(2)
ダンスの練習が始まり10日が経ち、もうすぐで舞踏会本番という時に全く予想していなかった人物が現れた。
「シンシア様~!」
温室から部屋に帰る途中、見事な銀髪を靡かせ笑顔で手を振りながら駆けてくる女性―――ミランダ様だ。私は驚きのあまり目を点にして固まった。だって何故グレスデンに居るはずのミランダ様がここに!?
「お久しぶりですね。お元気でしたか?」
「ええ・・・私は元気ですけど・・・」
何故ここに?首を傾げる私にミランダ様はふふっと小さく笑う。
「陛下がグレスデンに戻られるので代わりに私が来ることになったんです」
「ああ、そうなんですね」
まさかミランダ様をこちらに寄越してくるとは。少し困ったように笑う私にミランダ様はしゅん、と小さくなる。
「私じゃ頼りないかしら・・・」
「まさかそんな!お会いできてうれしいです!一人で寂しかったですし!」
慌てて取り繕う私にミランダ様は「そう?」と窺うようにこちらを遠慮がちに見る。もちろん私はミランダ様がドローシアに来て下さるのは嬉しいし心強いと思う。ただしこの方、見た目と性格通り割とお嬢様育ちで他人の悪意にあまり免疫がなかったりするので、こちらで心健やかに過ごすことができるかが不安だった。
「陛下の手紙でお聞きしましたよ、ルイス殿下とお付き合いされているんだとか」
「ええ、そうよ」
ミランダ様ははあ、と深く感心している様子。
「シンシア様ならいつか偉大な事を為すと思ってましたが、まさかドローシアの王子を射止めるなんて」
「はははは・・・」
射止めるところか逆に凶器で脅されているような状態だけども。
「ミランダ様はゲストルームに泊まるんですか?」
「ええ、陛下が使っていた部屋を貸していただいているんです。荷物も既に揃っていて」
「じゃあそろそろルイスが帰ってくる頃だから、紹介しますね」
「まあ、それはぜひ」
確か今日は3時頃帰ると言っていたのでお茶の時間を一緒にできるだろう。そう言えば“お茶の時間”って私はいつからそんな優雅な生活に毒されてしまったのか。ミランダ様の裾のほつれたスカートに視線を落とし、グレスデンでの暮らしぶりを思い出してため息を吐いた。
ミランダ様を引き連れてやって来たルイスの部屋。彼女は天井や床までしげしげと眺めまわして感嘆のため息を漏らす。
「すごく立派ね・・・。私が貸していただいているゲストルームも広くて綺麗でしたけど、ここは家具や装飾品がとっても豪華」
「ここはルイスの部屋なので一級品で揃えてあるらしいです」
「え!?こちらに入って大丈夫ですか!?」
「大丈夫ですよ、私もここに泊まらせてもらってますから」
一緒の部屋を使っている事実を知ったミランダ様は、目を点にして眉間に皺を寄せ、今までに見たことのない凄い表情をした。うん、改めて考えるとあり得ないわよね。身売りをしていると思われているのかもしれない。
「大丈夫大丈夫、何もありませんよ」
「あの、しかし恋人同士では・・・?」
「恋人ですけど、ドローシアは元々貞操に厳しい国でルイスは紳士ですから。同室になったのは成り行きでして・・・」
「そうですか」
納得できなくてもそれ以上掘り下げられなかったミランダ様。彼女は唇をきゅっと引き結んで言いたかっただろう言葉を飲み込んだ。
よし、話題を変えよう。
「ところで、グレスデンはいかがでした?アディたちは元気にやっていますか?」
「ああ、ええ、元気は元気なんですけど」
彼女は急に縮こまってしまう。
「特に変わりありません。ただ、貴族会の方々が全然私の言うことを聞いて下さらなくって・・・」
「ああ・・・あの人たち気位だけは山のように高いですからね」
「会議の日程も纏まらない、報告も上がって来ない、もうめちゃくちゃだったんですよ」
「あらまぁ」
そりゃお父様が呼び戻されるわけだ。
「国民の皆さんも、陛下かクラー様かシンシア様の言うことしか聞きませんし。揉め事が起こってもこじれるばかりで解決しなくて。仕舞いには“余所者”って言われて暴言吐かれるし、とても大変だったんです」
「酷い事を言いますね」
ミランダ様は西の少数民族の長の娘。確かに城下に住んでいる人からすれば余所者ではあるけれど、こんなに一生懸命頑張っているのに風当たりが強すぎると思う。
「ごめんなさい、役に立たなくて」
「いいえ、私はミランダ様が来てくださって心強いです」
「まあ、ありがとう」
ほっと安心したように笑うミランダ様は4人の子を育てている母でありながら、まだ少女のようなあどけなさもある顔で笑った。
「ただいまー」
「あ、ルイス帰ってきた」
ふう、と少し疲れた様子でジャケットを脱ぎながら現れたルイスはミランダ様に気付いて首を傾げる。
「あれ?誰だろう」
「ルイス、こちらグレスデンの側妃ミランダ様よ」
ミランダ様はルイスを一目見てから口を半開きにして固まった。忘れかけていたけど彼は一応イケメンなので私も最初は驚いたなあ。
ルイスは良い子ちゃんモードの笑顔で青い瞳をキラキラと輝かせながらミランダ様に近寄る。
「初めまして、いつもシンシアから話は聞いていたよ」
「あっ、はい!初めまして!」
ミランダ様は勢いよく立ち上がりガバーッと豪快な礼をした。
「ごめんなさい、私お部屋に勝手に入ってしまって・・・」
「大丈夫だよ、ここはシンシアと一緒に使っているから」
ミランダ様はぼけーっとルイスの顔を見た後、こちらにゆっくりと視線を寄越した。「ほんとにこの方とお付き合いしているの?」と顔に書いてある。
付き合っているフリしているだけなんです、ごめんなさい。だけどミランダ様、その人思いっきり猫かぶっているだけなんで。好青年のフリしているだけで実はトンでもない奴なんで。
「ルイス殿下にはシンシア様がいつもお世話になっているそうで、グレスデンのこともよくしてくださりありがとうございます」
「ううん、お世話になっているのは僕だよ。それに今の関係はグレスデンの陛下や父様たちの努力あってのことだから、僕は何もしていないよ」
全くだわ。
「なんでまたミランダ様がドローシアに?」
「お父様の代わりに来られたそうよ」
「代わり?」
国王陛下の代わりなんて君にできるの?と、ルイスは控えめながらも心の中の声をだだ漏れにしながらミランダ様を見る。ミランダ様はううっとまた小さくなってしまった。
「ごめんなさい、私なんて来てもなにも役に立たないのに・・・」
「ルイスー!」
謝りなさいよ!早く!と睨みながら促すとルイスはえへっと可愛く笑う。
「ごめんね、気にしないで」
「いいんです、グレスデンでも私じゃ何もできなかったし、ドローシアでも何もできることはないので・・・」
ほらみろー!責任取りなさいよー!
落ちこむミランダ様に私はルイスの首元を掴みガクガクと前後に揺すったが、ルイスは全く堪えた様子はなく余裕そうに笑っている。
「あはは、気にしないで。ドローシアは基本的に平和だから気楽に過ごすといいよ」
「そう!そう!ドローシアの食事はとても美味しいんですよ!
そうだ!お茶の時間ですし一緒にお菓子をいただきましょう!」
ね!?とやや強引に誘えば、そう?とミランダ様もおずおずと顔を上げる。
「まあ、ドローシアではお菓子もいただけるんですか?」
「はい、とても美味しいですよ」
じゃあいただこうかしら、と少しだけ元気を出した様子のミランダ様に、私は安堵して胸を撫で下ろした。
ミランダ様は準備が間に合わないので舞踏会は不参加となった。
はあ、憂鬱だわ。心の中で弱音を吐きつつも、ある程度決意の固まった私は鏡に映った自分のドレス姿を眺める。うーん、もう少し腰の辺りが細ければ・・・。
「シンシア、すごく綺麗だよ」
「ありがとう」
ルイスの心の籠っていない賛辞は聞き流す。侍女たちが満足気だったのでまあいいだろう。
それにしてもルイスの用意した深緑のドレスはサイズがぴったりだ。採寸した覚えなんてないのに、よくここまでジャストサイズを選べたわねってくらいに。おかげで身体のラインが露になって年頃の私にはこっ恥ずかしい。
「はい、ちょっと下向いて動かないでね」
ルイスが赤い宝石のネックレスを手に取ると私は後ろを向いて俯いた。そっと首元に掛けられたそれは首元の露出が多い分大ぶりの物を使用していて、高い技術で加工されているのかキラッキラに輝いている。これいくらするんだろう。
「はあ、怖い。どうしよう失くしたら」
「気にしないで。この宝石はシンシアの為に存在するものなんだから、君が最期まで使ってくれたらこの宝石だって本望だよ。
ま、シンシアの美しさの前に宝石の輝きなんて霞んでしまうけどね」
ペラペラペラペラとよく口の回ること。
私はルイスの賛辞を半分無視して自分の二の腕を顔に近づけ、くんくんと匂いを嗅いだ。
「ちょっと香水きつ過ぎない?」
「全然」
「そう?」
「舞踏会だと汗をかくから、香水は多めにつけるんだよ」
なるほど。舞踏会と夜会ではずいぶん勝手が違うようだ。化粧だって心なしか濃いし、肌の露出も多い。
「大丈夫かなぁ」
表情を曇らせる私の姿を鏡越しに見ながら、ルイスは笑って私の腰に手を回した。ちょ、さり気無くお尻触るのやめなさい。
「大丈夫だよ。あれだけ練習したでしょ」
あんたは始終笑ってただけだけどね。
やるだけのことはやったのだから、後は誰にもダンスに誘われないことを祈るしかない。まあ大した知り合いもいないので誘われる機会は無さそうだから、その点については少し安心かな。
ルイスは私を横に抱き寄せてよしよしと頭を撫でた。
「僕も一緒なんだから何も心配いらないよ。さあ、そろそろ行こうか」
ニコニコの侍女たちに見送られ、私たちは部屋を出て会場へと向かう。場所は夜会が行われた時と同じ場所。遠くから聞こえる賑やかな声や音楽が、この感じなんだか久しぶりだわ、と少しだけ懐かしかった。夜会に出たのはつい最近のことなのに遠い昔に感じるのは、ドローシアに来てから色んな事があったからだろうか。
今回は裸を披露するようなひどい目に合いませんように。
1歩会場に足を踏み入れるとあまりの密度に驚いて半歩後退りした。夜会の時の比じゃない。倍はいる。
人の多さに目を丸くしているとルイスは私の腰に腕を回しながら微笑む。
「公式行事だから。地方からも人が来てるんだよ」
「そうなのね」
この窮屈さは城下街の商店街さながら。奥の方に優雅な音楽を奏でているオーケストラがおり、ホールの中央は男女のカップルが踊りを楽しんでいる。
日が高くて明るいから夜会の時よりもドレスの色が鮮やかで美しく見える。そしてルイスに聞いていた通り香水の匂いがきつめだった。
「あら?踊ってない人たちもいるわ」
端の方では普通にお喋りをしたり食事をしている人たちもいる。
「基本的に過ごし方は自由だから挨拶も適当だよ」
「一斉に踊る訳じゃないのね」
じゃあ私も是非食事を・・・と大皿が並んでいるテーブルへ向かおうとしたが、ルイスに手を引かれて私が行きたい場所とは逆方向に連行された。
「あー、ごはん・・・」
「後でゆっくり食べられるから。まずは練習の成果―――ブフッ―――見せてもらおうかな」
笑ってるじゃないの。
もういいや、なるようになれ。どうせこの人混みじゃドヘタクソでもそう目立たないわ。
私は意を決してルイスの肩に手を置き、散々練習した一番簡単なダンスのステップを始めた―――のだが。
「うん?」
ルイスにぐいぐい押されて引っ張られて、私は大して何もしていないのに身体がちゃんとリズムに乗っていた。なんと、私は普通に踊れているらしい。
「踊れてる・・・!普通に踊れてるわ!」
「よかったねー」
ルイスは棒読みで無感動だったが、私は感動のあまりルイスの肩をバンバン叩く。幾多の努力がようやく本番で花開いたのだのだから喜ばずにはいられない。
「すごーい、身体が勝手に動く!」
「よかったねー」
これは楽しい。ちゃんと周りと動きが合っているから一体感もある。
調子に乗った私は空腹で気分が悪くなるまでずっと躍り続けたのだった。





