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 目の前にあるルイスの顔に驚いて飛び起きた。目を覚ますなり美麗な顔面のドアップは心臓に悪い。

 いつも私が起きる時間にはルイスは仕事で出ているため、朝起きて彼がまだベッドに居るのは初めてのことだった。きっと今日は休みなんだろう。


 上半身を起こせば肌を刺すような冷たい空気に身震いを起こした。今朝は随分冷える。冬が訪れたかのような寒さにベッドから出た私はすぐに上着を羽織って洗面台へと向かった。


 顔を洗って着替えを済ませ、部屋に戻った時にはベッドに居るルイスの上半身が起き上がっていた。


「おはよう」


 ところが声をかけてもルイスは上半身を前後にフラフラと船を漕ぐように揺れるだけで返事がこない。目も開いているのか、閉じているのか。


「ルイス?起きてるの?」

「んー・・・・・うん」


 口を開くことなく返された返事はやはりまだ半分は夢の中の様子で寝惚けているみたい。意外だわ、普段は朝が早いからもっと寝起きがいいものだと思ってたんだけど。


「今日は休みなの?」

「うん」

「だったら寝てたらいいのに」

「・・・んー・・・」


 それは否定なのか肯定なのか。


 しばらく反応を待っていたが、ルイスはついにガックリと力尽きて寝入ってしまった。―――上半身を起こして座ったまま。

 寝るなら横になればいいのに、変なの。まあ昨夜も遅くまでチェスに付き合わせた私も悪いんだけどね。


 座ったまま寝るのは首が痛そうなので、私はベッドに近寄りルイスの肩を後ろに押して彼の身体を横たわらせた。ドサッと音を立てて沈むベッドにもルイスは微動だにせずグッスリと深く寝入っている様子。


 さて、今日は何をして過ごそう。

 ドローシアに来て10日目になるが、ここ最近はずっと温室でオリヴィアさんや小鳥ちゃんと談笑した後、借りた本を部屋に帰って読み、ルイスが帰ってきてからはチェスを打つのが日課になっていた。今日もいつもと同じでも構わないのだがルイスが部屋に居るしなあ。起きるまで待つかしら。


 そうこう悩んでいるうちに侍女たちが朝の支度に部屋を訪れる時間になっていた。ノック音と共にズラッと並んで女性たちが現れる。


「おはようございます」

「おはよう」

「朝食をご用意いたします」

「ええ、お願い。ルイスは休日の朝食はどうしているの?」

「休日の殿下は10時頃お目覚めになりますので、お飲み物だけ召し上がられます」

「そうなの」


 じゃあ私だけいただくわ、とお願いすればいつも通りの豪華な朝食がテーブルに並び始めた。2種類のパンにスープにハムやソテー、卵にサラダに果物。ドローシアの食事は量が多いから身体にお肉が付きそうで困る。なんとまあ贅沢な悩みだこと。


「シンシア様、差し出がましいようですが」


 パンを千切っていたら若い侍女の一人から声を掛けられた。珍しいこともあるもんだと手を止めて彼女を方を向けば、若い侍女は年配の人から「ちょっと・・・」と非難めいた注意を受けても怯むことなく私へ話かける。


「本日はあまり部屋の外へお出かけなさらない方がよろしいかもしれません」

「何かあるの?」

「市民の間で半月に一度発行される新聞があるのですが、本日の物にシンシア様に関する記事が載っていて・・・」

「き、記事!?」


 新聞ってあれでしょ?幽霊が出たとかどこそこの貴族が破産したとか、そんな下らない噂話を文字に起こしたやつでしょ?

 私の記事ってことはルイスとの事で色々書かれているってことかしら。


「ん、ちょっとそれ持ってきて・・・」


 むくり、と目を擦りながら起き上がったルイスは片手を侍女の方に差し出して新聞を要求した。


「起きて大丈夫なの?」

「うん、それより新聞」


 侍女は慌てて部屋の外へ新聞を取りに向かう。


 ルイスは大欠伸をして依然として眠そうだ。目も半分しか開いてないし。


「おはよう、ルイス。ご飯食べる?」

「いらない。飲み物だけ貰う」


 よいしょ、と珍しく腰の重そうな様子で顔を洗いに行ったルイスだが、戻って来た時には着崩れたシャツも着替えており、目元もスッキリとしていつも通りの彼に戻っていた。席に着くなり紅茶を飲み始める彼の片手には侍女から渡された新聞記事が。


「ふーん・・・」


 無言で読み進めるルイスに、私は緊張からゴクリと生唾を飲み込む。一体何が書かれているんだろう。


 一通り読み終わったのか、ルイスの目線が新聞から外れた途端に私は身を乗り出した。


「どうだった?」

「んー、微妙。面白くはない」

「貸して、貸して」


 催促すると渡された新聞に顔を突っ込んで読み始める。


 ―――グレスデンのシンシア王女の陰謀。ルイス王子、傀儡か―――


「なにこれ」

「なんでも、シンシアが僕のことを操って政府をいい様にしているらしいよ?」

「・・・へー」

「僕たちこんなにラブラブなのにねえ」

「・・・うん」


 侍女の前だから言えない。半分当たってるだなんて。傀儡って言葉には鼻で嗤えるけど、下心満載でルイスの恋人役をやっているのは事実だからだ。

 盗み聞きでもされた?でも記事なんて所詮憶測で書かれたものが多いんだし、あまり深刻に考えない方がいいのかしら。


 記事を読んでいると、私を散々扱き下ろしているのはもちろん、ルイスについても相当苦言の多い内容になっていた。恋に盲目で現実が見えてないだとか、恋人を優遇し過ぎだとか。私については夜会で服を脱いだ一件も書かれていた。流れ的に私がまるで痴女みたいな扱いになっていて納得できない。出来事を語るなら順序ってものがあるでしょうが。まずオリヴィアさんのスカートの事を書きなさいよ。もうっ。


「可哀そうに、シンシア。そんなもの気にしなくていいよ」

「私は気にしてはないけど・・・、こういうのは一定数信じる人たちがいるのよね」

「まあね」


 私は頭を抱えた。ドローシアとグレスデンの仲が不安定なこの時期にこの印象操作はプラスには働かない。ってか誰だ、この記事を書いた奴は。


「仕方ないよ。でもまあこれもいい機会かも」

「なんで?」

「ちょうど休みだし、今日は城下街デートかな」

「ウギッ」


 喉から変な声が出た。城下街?苦手だ。デート?もちろん嫌だ。


 ルイスの無言の笑顔の圧力に私は無理やり笑う。


「わあ、嬉しい」


 嬉しいわけがなかった。














 城下街、と言ってもルイスに連れてこられたのは私がイメージしていた賑わいのある商店街とは全く違った。ここはあまり人気のない噴水広場。たまに子どもたちが駆けまわったり散歩に来た老夫婦が通るくらいの、木に囲まれた静かな場所だった。護衛だっていつもの眼鏡の騎士が遠くから見守っているくらいのもの。


 ハトに餌をやりながらぼけーっと何も考えずに過ごす。


「いいの?休日の過ごし方は本当にこれでいいの?」


 ただ時間を浪費するだけ。パンを細かく千切って投げると、一斉に羽を広げたハトが集って来た。とっても平和だけど得られるものは何もない。


「買い物に行きたかった?」

「ヤダよ」


 物価の高いドローシアでお買い物をするような金銭など持ってはいない。買い物に出るならば結局ルイスのお財布にお世話になることになるのだ。それは絶対に嫌だった。


 ルイスは私の背後で一人ベンチに座っている。彼も今は白シャツに黒っぽいシュッとしたパンツという簡素な装い。いくら顔を知られた身とはいえぱっと見では王子だと気づかれないだろう。その証拠にすれ違った人がチラチラとこちらを伺うことはあっても人集りができるようなことはなかった。


「かわいーくおねだりすれば君の手には届かないような品を買ってもらえたかもしれないのに」

「冗談キツイわ」


 いくら演技でも品物目当てに媚びる真似なんてできない。例え買ってもらったとしても心情的に使い辛くて持て余すに決まっている。


 ハトがクルッとこちらに首を回して愛らしい瞳で私の顔を見つめて来た。


「“ハートハトハト白いハト~、お目目の真っ赤なうさぎかな~”」

「何その変な歌」

「え!?知らないの!?」


 すごく有名な童謡なのに!


「知らない」


 えー・・・。


 そっか、これだけ距離があれば童謡も全く違うのか。きっと童話とか(ことわざ)とかも違うんだろうな。結構なカルチャーショックだ。


「じゃあ“雪がチラチラ森の中~、きつねの赤ちゃんひとりきり~”は?」

「知らないよ。なんでメロディ一緒なのさ」

「替え歌だからよ!」

「だから知らないって」

「ドローシアには童謡はないの?」

「あるけどあんまり聞かないなあ。僕たちは歌劇を見に行く方が多いから。庶民なら詳しいんじゃないの?」


 金持ちに訊いたのが間違いだった。私は思わずケッと吐き捨てる。


「いいわよいいわよ、価値観の違いよ」

「別に童謡を否定したわけじゃないんだけど」

「舞台なんてグレスデンにはないもの。吟遊詩人が稀に来る程度よ」

「舞台興味ある?」

「全く」


 やっぱりね、とルイスは小馬鹿にしたような鼻息を漏らした。最高にムカツクけれど笑って堪える。


 まあ実際に舞台に興味がないのは本当だ。暗がりの中で寝てしまう自信があるし、基本金持ちの娯楽なのでそもそも着ていく服に困る。舞台に行くより公園でボケっとしている方が100倍マシだった。


「ハァ、平和って罪よねえ」

「なんだよ唐突に」

「豊かになればなるほど物欲は増して、明日何着る?とか何食べる?とかどこに行く?とか生産性のないことばっかり考えるようになるのよ。畑耕さなくていいの?薪を割らなくて大丈夫?って不安なんてないんだから」

「生産性はあるよ、経済は回るし」

「あーやだやだ、これだからお坊ちゃまは。うちにはドローシアみたいな金銭のやり取りはほとんどないんですー。

せめて冬がもう少し短ければなあ。雪が深くなければ移動も難しくないのに。やっぱりそもそも気候に恵まれてないのは致命的だと思うのよ。だったらグレスデンの存在意義って何なの。いっそグレスデンの国民がドローシアに移住できれば全て解決できると思わない?大した数じゃないんだからドローシアの国土なら余裕で住めるでしょ。もしかして私たち王家って必要とされてないんじゃ?

じゃあなんで私は異国の地で恋愛ごっこなんてやってんの。陰で悪口言われるわ服を脱ぐ羽目になるわ印象の悪い記事を書かれるわでロクな目に遭ってないじゃないの。だいたいお父様にもまともにお会いできないで私ずっと独りだし誰も信用できる人はいないしで嫌になるわ」

「急に愚痴モードのスイッチ入ったね」

「ただの独り言ですー」


 よほどストレスが溜まっていたのか、とりあえず思いついたネガティブな言葉を吐き捨てて私は大きく息を吐き出す。今のはただの落書きのようなもので特に深い意味はない。ただ暇を持て余すばかりに余計な事ばかり脳裏に浮かぶものだから・・・。


「お前がやっていることが他人に認められようが咎められようがどうでもいいだろ。やるべきことをやってるだけなんだから。それともお前は間違ってないって誰かに言われなきゃできないような情けない奴なわけ?」

「わかってるわよ。ちょっと言ってみただけだって」


 弱ってる所をナイフで抉ってくるような言葉。ルイスは言葉の切れ味が鋭すぎると思う。


 彼は大きなため息を吐いた。


「お前、ただ誰かに自分の背中を押してもらいたいだけだろ。一人で抱え込んで突っ走って来た反動が今来たんだよ」

「・・・そうか。誰かに背中を押してもらいたかった、そうかも」


 私は人に認められなければ王女としての責務を負えないほど弱い人間じゃない。だけど誰かに認めてもらえるというのは大きな原動力だから、ルイスの言う通り私は一人で突っ走り過ぎて不安になっていたんだろう。


 どうしようもなくお母様に会いたくなってきてしまった。


「ああ、ダメだわ。やっぱり暇になると感傷的になっちゃう」

「いいんじゃないの、別に誰もいないし」

「誰も・・・いないことはなくない?」


 気付かないうちに私たちは遠巻きに取り囲まれていた。ザッと見積もって30人以上は居る。

 もしかしたらルイスが王子だと気付かれてしまったのかもしれない。簡素な服を着てるとは言えこの見た目じゃあ気付かれても無理ないか。


「ねえ、どうしよう、ルイス。めちゃくちゃ見られてる」

「気にするな。あれはただの有象無象だ」

「国民をくだらないもの呼ばわりして大丈夫なの、王子」


 距離があって言葉が聞きとれないからって言い放題だなぁ。


 ―――あ!!ワンコちゃんっ!!


 ぽてぽて、と可愛いお尻振りながら現れたこの世で一番可愛い生き物が目の前に現れて私は飛び上がる。彼はこちらを振り向くと真っ黒なくりくりのつぶらなお目目で私を見つめて来た。


 わかったわ!触って欲しいのね!撫でて欲しいのね!


「いいわよ!いくらでも触ってあげるー!」


 私は興奮のあまり飛び付いてフサフサの首を撫でようとしたが、ズシャッと全身に何かが降りかかって手を伸ばしたまま固まった。

 なにこれ、ペッペッ。


「ブッ、あははははははは!」


 ルイス、大爆笑。


 犬の後ろ脚で砂をかけられた私は、砂まみれで涙目になりながら口の中に入った砂を吐き出した。そしてワンコちゃんはそっぽを向いて遠くの方へ逃げて行ってしまった。


 ああ、そっけない・・・。そんなあなたも素敵だけどもう少し優しくしてほしかった・・・。


「あはははははは!」

「そんなに笑わなくってもいいでしょ!」


 ペッ!


 もうやだ、服の中にも少し入ってしまったかも。


「あははは!ひっどい姿!」


 衆人環視の中でみっともないところを見られた上にルイスにまで大笑いされて、少し心が折れてしまいそうだったが私は唇を噛んで耐えた。

 ペッ!砂を吐くのに忙しくて唇を噛む余裕も無かったけど耐えた!


「あーあ、砂だらけだね」

「ぶっ」


 ひとしきり笑い終えたルイスが目の前にやって来て膝をつくと、ハンカチで私の顔を乱暴に拭き始める。


「いいって、大丈夫だから」

「砂だらけでよく言う」


 そんなに汚れてるの?


 この時はルイスが思いの外優しかったから大人しく拭かれていたけど、後々考えてみたら人前でこれはすごく恥ずかしい行為だと後悔するのであった。




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