第41話 ギシャル城塞都市①
荒野の中を、聖地奪還軍の本隊である五万の軍勢が土煙を上げてヴァルゼ州へと北上した。
その土埃の中に垣間見える軍勢の先頭は、白銀の鎧をまとった聖教騎士団。
さらにその後ろに諸侯の軍勢が続く。
馬蹄を響かせ、地響きを立てて軍勢は突き進む。
ただ一人の男を救うために。
ここまで異教徒討伐を指揮し、快進撃を作り出した男。
その裏には俺の事前工作があったわけだが、それすら己の功績とした狡猾な人間でもある。
しかし、それでも俺は、あの男をこんな形で死なせたくはなかった。
バザンの情報では、マラエヴァの処刑にはロモン教会の正式な手続きが踏まれ、その処刑日が宣言されたという。
ロモン教徒は、神前での宣誓を大事にする。
異教徒であるマラエヴァの処刑は大々的に宣伝され、見せしめにされるようだった。
だが、これは逆に言えば、その処刑日は神に誓った日であり、その日までマラエヴァの命は保証されるということでもあった。
「ハン! 先遣隊を編成しろ。可能ならば潜入して奴らの様子を探ってこい」
「わかりました」
聖教騎士団の暗部とも言うべき司教の一団を率い、ハンは先に馬を駆けて行く。
ようやくバルディル州の制圧が成ったフェラニカ率いる残り五万の軍勢は、一部をバルディル州に残し、俺の率いる本隊とは別の迂回路で、そのままヴァルゼ州へと向かわせた。
(間に合うのか……。いや、間に合わせてみせる……!)
マラエヴァという男は不思議な男だ。
あれほど自力のみを頼りにし、孤高の存在でありながら、それでもなお部下たちを惹きつける。
――いや、部下だけではない。
功績のなさに不満を漏らしていた諸侯たちでさえ、彼の死を望んではいなかった。
その証拠に、彼を救うために強行軍でヴァルゼ州へ向かうことを厭わない。
それはフェラニカの言っていた、同胞を救うという行為――、ただそれだけが原動力というわけではないだろう。
誰もがマラエヴァという人間に期待をし、何かを求めている。
――英雄、マラエヴァ。
そういうことなのだろう。
この俺ですら、奴を救おうとしているのだから。
兵士たちの疲労は目に見えて色濃いものではあったが、一人一人の目には、強い意志が感じられた。
諸侯のみならず、末端の兵士たちをも魅了するマラエヴァの力を俺は改めて感じていた。
しかし、それでも彼を救いたいと思う、本来のセルベクという人格が持つ強い思いが、俺を衝き動かしていた。
(今回は奴を救う。しかし、道を譲るわけではない)
俺は自嘲の笑みを浮かべながらも、そう自分に言い聞かせていた。
先を急ごうとする諸侯たちの意思を汲み、強行軍を続けたおかげで、聖地奪還軍本隊は当初の予定よりも大幅に短い日数でヴァルゼ州へと辿り着くことができた。
そうして集まった兵士たちを前に、俺は聖人として語りかける。
この戦いで勝てば、英雄マラエヴァを救いだした者の一人となり、例えこれで命を落としたとしても、必ずラトス教の示す天界へと召されることができる――、と。
信心篤い兵士たちはこの言葉に奮い立った。
ヴァルゼ州の南、ギシャル城塞都市はその入口を固く閉ざしたまま、乾いた空気の中に無骨なその姿をさらしていた。
外壁には見張りの兵士たちが重装備で警戒をしているのが見える。
そんなギシャル城塞都市のちょうど正面に、聖地奪還軍の本体部隊は陣取った。
まるで突如現れた銀色に輝く巨大な湖のように。
(おそらく奴らが打って出てくることはない……)
城塞都市は堅固だ。
彼らとしてはその殻に閉じこもって戦う方が有利に決まっている。
先遣隊として先にギシャル城塞都市へと潜入していたハンは、戻ってくるなり開口一番こう言った。
「残念ながら奴はまだ生きていますよ、ボス」
ハンは未だにまだ、マラエヴァを始末するという考えを捨てきれていないらしい。
俺はそれを表情も変えずに受け流す。
「俺の意思は変わらないぞ、ハン」
「分かっていますよ。――持久戦で攻めるという手もありますが?」
持久戦で攻めるそぶりを見せて、マラエヴァの処刑を待てばいい――と、ハンは俺の言葉を理解していると言いながらも、マラエヴァを追い落とすことを主張する。
それが彼の中で賢明な策だと思っているからだろう。
「そんなことをしていたら、聖地奪還自体が難しくなる。カザール国内に猶予を与えることになるからな。それにここまで来てそんなことをしてみろ。俺が諸侯に見捨てられる」
今この聖地奪還軍はマラエヴァ救出という目標に向かって、それを達成しようとする俺を中心に、強い求心力によってまとまっている。
その目標を俺自身が反故にすれば、諸侯だけでなく、聖教騎士団以外の兵士たちから強い反発がでて、この五万の軍勢はたちまち混乱をきたすだろう。
貴族というものは矜持も高いが、妙なところで仲間意識のようなものもある。
それが今回の諸侯たちの動きにもつながっているのだが、ハンはそのあたりの性質をいま一つ理解しきれていないところがある。
「中にいる兵の状況はどうだ?」
「およそ五千。フェラニカが率いている軍勢の動きまでは把握していないようです」
「力攻めでも行けるが、無駄な消耗は避けたい。――明朝にはフェラニカの軍勢も予定の場所まで到着すると伝令があった。正面の敵はこちらで引きつける。ハン、その隙に反対側にある北門を中から開けられるか?」
「問題ありません。中に潜り込ませている兵もまだ気づかれていません」
「よし。ならば合図があるまで、中で待機してくれ」
「はっ」
ハンが去ると、俺はバザンを呼んだ。
「状況に変化は?」
「いや、新しい情報は入ってきていないが」
興味深げに城塞都市の方を見やったバザンは、不敵な笑みを浮かべていた。
どうやらこの状況を楽しんでいるらしい。
そんなバザンに俺は、声をかける。
「新しい噂――いや、真実か。それをカザール国内に広めてもらいたい」
「なんだ?」
「この城塞都市の人間は兵士に関わらず皆殺しにする。それをありのまま、カザール国内に広めてくれ」
「な……!」
バザンの驚愕ぶりを、俺は内心楽しんで見ていた。
「まさか……。戦に関係のない女、子供、老人にも手をかけるというのか?」
「関係がないわけではない。彼らとて異教徒だからな。でなければ、わざわざ皆殺しにするとは言わん」
バザンの目が、俺を刺すように睨む。
「お前は……! お前らは、異教徒相手ならば、関係ない人間までに手をかけることをも厭わないというのか? それがお前たちラトス教徒のやり方か? 聖職者の在り方か?」
「ラトス教は関係ない。これは戦略の問題だ。これまでは各州同士の連携がとれていないことが救いだったが、ここで普通にギシャルを攻略した後、他の都市が呼応する可能性は高い。そうすれば我が軍は聖地奪還どころか、進退すらままならなくなるだろう。――だが、皆殺しとなれば、話は違う。恐怖が鮮烈な印象となって残り、ためらい、奴らは二度と同じことをしようなどと思わなくなる。これは必要な措置だ」
バザンはそんな言葉では納得しないだろうと分かってはいるが、これは善悪の話ではない。
ここはカザールという異国の地。
手心を加えれば、それはたちまち自らの身に返ってくる。
下手をすればこの大軍ごと、本国に戻ることすらできなくなる可能性も、なくはない。
「我々にも同じことをしてみろ。一生後悔させてやるからな!」
吐き捨てるように言うバザンに、俺は聞き分けの悪い子供を諭すように言う。
「言っただろう? これは必要な措置だと。感情論ではない。放浪の民にも、ケーシュ教徒にも、俺たちがそんなことをする必要はない。お前たちは協力者なのだから」
「ちっ……!」
バザンはそのまま身を翻し、俺の元を去って行った。
(これは必要な手段であり、やらなければならないことだ)
バザンが驚愕と怒りをあらわにすればするほど、俺は気持ちが冷めていくのを感じていた。
最近は妙に甘いところが出てきていたが、本来の俺はこうあるべきなのだ、と。
だが、バザンが去り、一人になると、俺の胸は再び以前のようにずきずきと痛みを訴え始めた。
これでいい、利用できる機会はすべて利用するべきなのだと自分に言い聞かせてみても、その痛みはなかなか消える気配を見せない。
奥底に眠るもう一人の俺が、また不満を言っているのだ。
(バザンのことを笑えないな……)
俺はそいつを黙らせるために、ぐっと拳を握り締めて自分の胸を一度、強く叩いた。
ギシャル城塞都市の眼前に陣取ったラトス教聖地奪還軍の群れは、泰然とその軍勢を見下ろす太守フェルダンとは対照的に、彼の秘書であるハシルを震え上がらせていた。
「太守様……。フェルダン太守様」
「なんだ? 少しは落ち着いたらどうだ?」
秘書ハシルをちらと見たフェルダン太守は、またすぐに軍勢へと視線を戻した。
立派なひげと厳めしい顔。
武人らしい体格にふさわしい立派な剣を腰に差し、カザール特有の小さな帽子を頭にのせている。
そんな頼もしい風貌の太守フェルダンの様を見ても、秘書ハシルの震えはなかなか止まらなかった。
「本当に大丈夫なのでしょうか? 王太子殿下は、本当にお助け下さるのですよね……?」
「疑うな。これは王太子殿下のご指示だ。――思っていた以上に、奴らは餌に食いついてきている。これで背後から殿下の精鋭が叩けば、奴らは壊滅だ」
「はあ……。しかし、我々はそれまで持ちこたえられるでしょうか? あそこにいる軍勢は、どう見ても我々の十倍はいるようですが……」
「あの程度の数でこの城塞都市が落とせるものか」
そう言うと、太守フェルダンは胸を張った。
「東西を見よ! 大河に阻まれ、強兵と言えども攻め落とすことのできぬ壁として滔々と流れておる。南を見よ! そびえ立つ険しき岩山は、どんな強靭な兵をも遮る。そして堅固なこの城壁。奴らが攻めてくるとすれば、南西、南東、北にある三か所の城門のみ。我々はそれさえ守っていればよいのだ。多くの兵力は必要ない。それが分かっていて、何を恐れる必要がある? 例え十倍の兵が攻めてきたところで恐れる必要はない!」
まるで誰にともなく宣言するように、太守フェルダンは朗々とそう言い放つ。
周囲にいた部下たちもそれを耳にして、頼もしそうな表情を浮かべる。
期限もなく敵の攻撃から身を守るのであれば苦しいかもしれないが、敵指揮官を奪取した作戦は、アメルス王太子直々の指示であり、成功した暁には褒賞も出る。
そして、敵がこの城塞都市を攻めることに気を取られている間に、王太子の軍が攻撃する手筈になっていた。
本来であれば、隣の州に頼んだ援軍が加わる予定だったのだが、予想以上に早く敵が到着してしまったため、そちらとは未だ連絡が取れないでいた。
「オレは出世の為に文官の道を選んだが、祖は異教徒討伐で名を馳せたバゼル様なるぞ! この度の戦は、先祖からの名を高めるまたとない機会。神はオレに異教徒を打ちのめす絶好の機会を与えて下さったのだ」
「そ、そうでしたな! 閣下は、勇者の血を引くお方。万の敵など、ハエを払うようなものですな」
カザール国で勇者バゼルといえば、勇猛果敢、子どもの寝物語にすら出てくるほど有名な人物だ。
それを思い出した秘書ハシルの顔に、ようやく血の気が戻ってくる。
「本来であれば、陛下に親征していただき、鎧袖していただければ一番なのだが……。しかし、この度は王太子殿下が直々に陣頭指揮をとられるという。そうなれば、各太守は殿下の下、一丸となって一糸乱れず戦うは必定。陛下にご足労いただくまでもない」
「王太子殿下は、以前から、異教徒は殲滅すべきと主張されていましたからね」
二人は、王太子の事で熱く頷く。
それだけ臣民は、王太子に希望を持っていた。
カザール国の駿馬とも言われる英邁な息子アメルス王太子は、臣民全てが即位を熱望するほどの人物であった。
「畏れを知らぬ異教徒の兵士どもめ! 尊き神の大地、カザールの国土を、その薄汚れた足で踏みにじる行為の代償、しかと払ってもらうぞ。あやつらの薄汚い神の力など、所詮この地では通用せぬことを思い知らせてやる!
――ハシルよ、神は見ておられるぞ、我らの行動を。信仰の深さを。異教徒ごときに負け続けるようでは、我らが神に見捨てられてしまうわ」
「御意!」
そう、これはただの戦争ではないのだ。
ロモン教が勝つか、ラトス教が勝つか――、そういった勝負でもあった。




