第40話 同胞か、政敵か
文末にバザンの挿絵があります。
マラエヴァが、カザール側に捕まった――、それは想定外の事態だった。
流言によってヴァルゼ州反乱のきっかけは作ったが、俺としてはマラエヴァが一時的に指揮権を奪取できる時間が稼げれば良かった。
マラエヴァは有能な指揮官ではあったが、それが俺にとって代わったこところで、本来あるべき姿になったというだけで、全体として大きな差異はない。
諸侯の同意は得ており、彼がたとえ戻ってきても、俺が指揮権を掌握し続けられる下地は既にある。
だが、マラエヴァが敵に捕らえられたとなると話はまた別だ。
諸侯としても功績を独占されるのは困るが、マラエヴァは貴族院での一大勢力の旗頭でもあり個人的なカリスマもあり、死ぬことまでは望んでいないはず。
このまま放置すれば、マラエヴァの部下たちだけでなく、諸侯から「話が違う」と不満がでる可能性もあった。
「やってくれたな」
俺はハンと二人きりになった瞬間を見計らって、そう声をかけた。
「何のことでしょう?」
ハンはまるで感情を表に出さずにシラを切って見せたが、俺は今回の件にハンが深く関わっていると踏んでいた。
そうとでも考えなければ、あのマラエヴァがそう易々と敵の手に落ちるとは考えられない。
「こちらの軍勢は、前進ばかりに興味があり、後方は留守気味。後方をかく乱すれば、総大将が出てくる……とでも情報を流せば、異教徒どもは動く。あるいはその情報を元に奴らが狡猾な罠を仕掛ければ――」
俺の推測にハンは目を細めた。
「この機会を逃しては、次にいつ仕留められるか分かりません」
(やはり、か)
俺の指示以上に、ハンが機転を利かせ、マラエヴァを窮地に陥れたのだ。
諸侯の反発があがったとしても、今さえ乗り切ってしまえばあとはなんとかなる――、そう判断したのだろう。
「全く……。お前は少し急ぎすぎる」
「やるのならば、好機と見た時点で完全に息の根を止めなければ。禍根を残します」
それがハンの――、暗黒街で生き抜いてきた者の価値観なのだろう。
そこへフェラニカが不意と天幕に入ってきた。
「セルベク、マラエヴァの部下どもがお前に会わせろとせっついてきているぞ……」
俺とハンの様子を見たフェラニカは、つと口を閉じ、そして呟いた。
「お前ら、まさかマラエヴァを見殺しにする気じゃないだろうな?」
フェラニカは返答によっては剣を抜くことも辞さないようないというような剣幕だ。
だが、そんなフェラニカの火に油を注ぐように、ハンはさらりと答える。
「この際、邪魔な政敵は見殺しにするのが賢明だろう」
「貴様……!」
激怒して掴みかかろうとしたフェラニカの手をするりと避け、ハンは冷やかに言い放った。
「無駄な情は身を滅ぼす。特に相手が強力であればあるほど」
「マラエヴァは同胞だぞ? 政敵かもしれんが、同じ国の人間だ! こんな形で奴を陥れるのは、納得がいかん」
確かにマラエヴァは同じ学院出身であり、同級生であり、同胞だ。
ジャイルがいれば、きっとフェラニカと同じようなことを言っただろう。
俺はいなすように、フェラニカに言った。
「フェラニカ、そう急ぐな。マラエヴァに関しては、まだ情報も少ない。まずは正確な状況を把握することが先決だ」
「――お前の言葉を信じていいんだな?」
「ああ。マラエヴァの部下たちにも、もう少し待つように言ってくれ」
「分かった」
フェラニカは去り際にハンを一瞥し、そして天幕を出て言った。
それに動じる様子もないハンに、俺は苦笑する。
「フェラニカに対して、言葉を選び間違えたな」
「そのようですね」
そう言って、ハンは面倒くさそうに肩をすくめた。
騒ぎ立てるマラエヴァの部下たちを適当にあしらいながら、俺は全軍の指揮権を奪取すべく、素早く動いた。
各方面に指揮官として送られていたマラエヴァ直属の部下を、マラエヴァ奪還の為と称して次々と本隊へ戻し、入れ違いに聖教騎士団の幹部を派遣する。
そして聖地奪還軍の直接の指揮権は、フェラニカに握らせた。
諸侯たちは俺の動向を注視しているといったところだろう、今のところ何か苦言を呈してくるようなことはなく、素直に従っている。
聖地奪還軍本隊内の指揮系統もほとんど入れ替え、マラエヴァに関わる者全てを要所から排除した。
バザンはそんな状況下、俺の天幕へとやって来た。
あからさまに異民族の様相をしているバザンだが、この聖地奪還軍においても、既に協力者として周知されている。
「――いいか?」
「ああ、かまわない」
大きな体躯を折り曲げるようにして現れたバザンは、相変わらず不遜な態度だった。
「奴は……、ハンはいないのか?」
それほど広くない天幕の中に視線を走らせて、バザンは低い声でつぶやいた。
「さっき出て行ったところだ。指揮系統は入れ替えたが、まだ完全ではないからな。いろいろ調整が必要だ」
その言葉を聞いたバザンはふっと皮肉気な笑みを浮かべた。
「今回の件、奴が動いたのだな。オレたちが指示された流言以外に、奇妙な話が流布していた。まあ、お前らのやることに口を挟むつもりはないが」
「知っていたのか」
「当然だ。――それで、どうするのだ? マラエヴァという男……、見殺しにするのか?」
バザンはそう言いながら、含みのあるような表情で俺を見た。
「……居場所は、分かったのか?」
「ああ。奴はヴァルゼ州の南部にあるギシャル城塞都市に幽閉されているようだ」
「ギシャル城塞都市か……」
それほど詳しくはないが、ギシャル城塞都市が厄介な場所であることぐらいは分かっている。
そこを陥落させようと思えば、それなりの兵と準備が必要になる。
今の兵力を考えれば無理ではないが、それなりの犠牲も覚悟しなければならないだろう。
「我らケーシュ教徒は決して同胞を裏切らない。それが教えだ。しかし、お前らラトス教徒も、ロモン教徒も、己が欲望のためならば、たとえそれが同じ門徒、同胞であっても足を引っ張り合い、殺し合う……。そんなお前らを見ていると、汚らわしくてならん」
バザンの見下したような一言に、俺は苦笑した。
彼を責める気にもならない。
なぜならそれは、事実だからだ。
「返す言葉もないな」
「……ならば、あのマラエヴァという男、見捨てはしないのだろうな?」
再びバザンは俺に問いかけた。
同胞――、だが、マラエヴァは政敵だ。
俺の前に立ちふさがる、邪魔者。
ハンは事を急いたとは思うが、俺の心情を汲んだ行為だったと俺自身は思っている。
汚い手かもしれないが、これもひとつの好機だ。
「さて。ギシャル城塞都市を攻略するとなれば、それなりに準備も必要になる。この先のバルディル州制圧作戦も目前だ」
「ふん。これからどう動くつもりなのか、見ものだな……。オレが言いたいのはそれだけだ」
バザンはそう言うと立ち上がり、背を向けた。
「お前ならば……、どうする?」
「言うまでもなかろう? 俺は同胞を裏切らない。例えそれが、オレの敵であろうともな」
「そうか」
そのまま天幕を出たバザンに、何者かが駆け寄る足音がする。
「おい! お前!」
ディングの声だ。
マラエヴァの部下。
「……何だ?」
不機嫌そうなバザンの声が応えた。
「マラエヴァ様の居場所は分かったのか!? マラエヴァ様はどこに捕らえられている!!」
居丈高なディングの口調に、バザンは答えようとはしないだろう。
俺はそう思いながら耳をすましていると、案の定、バザンは何も言葉を発しない。
「……すまん。言い方が悪かった。頼む。マラエヴァ様の居場所が分かったのなら、どうか、我々にも教えてくれないか? マラエヴァ様は我々にとって大事なお方なのだ」
「オレはお前たちとは契約していない。味方でもない。教える義理はない」
バザンはにべもなく、ディングを袖にした。
しかし、ディングはそんなことぐらいでは諦めない。
「頼む! どうか……、知っているのなら教えてくれ! 頼む……!」
そこで鎧が音を立て、周囲がざわめくのが聞こえる。
俺は思わず天幕から顔を出した。
すると、バザンに向かってディングが平民のようにひざまずいている異様な光景が目に飛び込んできた。
周囲に集まったマラエヴァの部下たちの視線が、一斉に俺に集まり、バザンも振り返った。
「ちょうどいい……。お前らの指揮官は、今、こいつであるはずだ。マラエヴァとやらの居場所は、こいつから聞くがいい」
そう言うと、バザンは集まったマラエヴァの部下たちを押しのけて、立ち去って行った。
「セルベク枢機卿!」
ディングは地面に座ったまま、俺を見上げた。
顔には焦りの色が見える。
(それほどマラエヴァの命が惜しいか……)
部下をまるで駒のように使うマラエヴァを、これほどディングが慕っているとは意外だったが、彼には彼なりの、何か理由があるのだろう。
「マラエヴァ様の所在が分かったのですか!?」
「――ディング、ひとまず天幕へ入れ」
そう言うと、ようやくディングは立ち上がり、周囲に集まった他のマラエヴァ配下の者たちにひとつうなずいて見せた。
俺はそれを横目で見ながら、天幕へ入る。
「ディング。マラエヴァは今、ギシャル城塞都市にいる」
そう声をかけると、ディングは目を見開いた。
「ギシャル城塞都市――! 確か、ヴァルゼ州にあるのでしたか」
「そうだ。あそこは固い。迂闊に手出しすれば、犠牲が増える」
地図を広げ、ヴァルゼ州の一角を指さして俺は静かにそう言った。
「犠牲など――! マラエヴァ様のお命には代えられません!」
憤慨してそういうディングに俺は冷めた視線を送った。
「お前は仮にも指揮官の一人だぞ? 確かにマラエヴァの命も大事だが、この聖地奪還軍の本来の目的を見失ってはならない。今ここで多くの兵を失えば、この先の攻略も難しくなる」
「な……! では、見殺しにせよとおっしゃるのですか!」
「まあ、落ち着け。救援に行かないとは言っていない。マラエヴァは俺の戦友でもある。見殺しになどはしない」
「それでは……!!」
期待を込めた目でディングは俺を見た。
「お前をマラエヴァ奪還の指揮官に命じる。今残っている配下の兵を率いて、ギシャル城塞都市を攻略してくれ」
そう言うと、今度はディングの顔色が蒼ざめた。
本来であれば、配下は聖教騎士団並に兵の数がいたが、俺があの手この手を使い、マラエヴァの軍政から兵を他の支援にまわしたので、今、動かせる彼らの兵と言えば、せいぜい千程度。
「お、お待ちください! 今残っている兵だけではとても無理です。せめて、支援に回っている兵士を戻していただけないでしょうか?」
そうだろう。
千程度の兵数でギシャル城塞都市を攻略するなど、不可能だ。
だが、俺は静かに言った。
「先程も言ったが、この軍の本来の目的はあくまで聖地奪還だ。今、他州でも動きがあって、これ以上兵を戻せば他の戦線が破たんする。これではマラエヴァを救出できたところで、奴も喜ばんだろう」
「そんなはずは……!」
もちろん、そこまで他州の軍が窮しているわけではないが、俺はこれ以上ディングに兵をまわしてやるつもりはない。
「それで足りないというのなら、他州の戦況が落ち着くまで、しばし待て」
ディングは悔しげに歯嚙みした。
戦況が落ち着くのはいつのことなのか――、そんな時間を、彼らが待っていられるはずもない。
そして、その頃に俺が心変わりでもすれば、この奪還命令自体が無いものになる可能性もある、とディングの頭の中は、めまぐるしく計算をしているところだろう。
今のディングが率いることのできる人数で救援に行っても、マラエヴァを救うどころか、彼ら自身が全滅する可能性がはるかに高い。
(さて、どうする――?)
俺は興味深く、ディングの顔を見ていた。
「しばらく時間をやってもいいが」
水を向けると、ディングは決意したように、キッと顔をあげて俺をにらんだ。
「――行きます。敵の手に落ちた以上、いつお命を奪われるかもわかりません。我々はこれ以上、待つことはできません。例え少数であろうとも、マラエヴァ様をお救いしてみせます……!」
「良かろう。では、お前をマラエヴァ奪還の指揮官に任ずる。だが、他の部隊から兵を割くことは許さん。お前たちの配下だけを連れて行け。……武運を祈っている」
「ありがとうございます。――では、これにて失礼!」
荒々しく頭を下げたディングは、足早に天幕を後にした。
俺はそれを冷めた気持ちで見送る。
所詮は無駄死するだけ――、救いたいという気持ちだけでなんとかなるほど、ギシャル城塞都市攻略は簡単ではないはずだ。
「ボス。ディングが今出て行きましたが」
入れ違いに入ってきたハンが、目を細めながら言った。
「ああ、マラエヴァ救出に向かわせた」
「奴の配下はほとんど残っていないと思いますが?」
「それでも行きたいらしいな」
「――これで邪魔者が一掃できましたね」
どこか満足げなハンの横顔を見ながら、俺はこれでいいのだと思った。
ギシャル城塞都市の前に、ディングの部隊は全滅するだろう。
そして、マラエヴァは助からない。
ようやく奴が俺の前からいなくなるのだ。
それは望んでいた筋書きのはずだったが、俺は心のどこかに小さな刺が刺さる感じをぬぐえなかった。
数日後、ディングは少数部隊を率いて出発した。
騒ぎ立てるマラエヴァ配下の人間がいなくなり、聖地奪還軍の指揮はより順調に進み、フェラニカを指揮官として、バルディル州制圧は順調に進んでいた。
時間をかければかけるほど、カザール側の抵抗は激しくなる。
速やかな制圧が必要だった。
だが、好調に進む状況とは裏腹に、俺は全体の指揮をとりながらも、何か絶えず引っかかりを感じていた。
(これでいいのだ。これで……)
救援部隊は送った。
見捨てたわけではないから、これで多少は諸侯に対しても面目が立つ。
フェラニカは納得しないかもしれないが、何とでも言い様はある。
そんな時、再びバザンが俺の元を訪れた。
珍しく少し急いた様子で、彼は俺の前に現れた。
「どうした?」
「――マラエヴァの処刑が決まった」
「何……!」
俺はその言葉を頭の中で反芻する。
ディングの部隊からは未だ何も報告は来ていない。
「奴は来週にも処刑されるぞ。いいのか?」
良いに決まっている――、そう俺は自分に言い聞かせた。
だが、心の内から湧き上がる声は、俺に何かを訴えかけるようだった。
(本当にこれでいいのか……?)
セルベク――、本来の俺は、それを望んでいないのか……?
矛盾する二つの思考が俺を揺らす。
(本当にこんなやり方で、奴を陥れて良かったのか? 正々堂々と、政治的に奴を追い落とすべきではなかったのか? 奴を死なせてしまえば、国内の世論は、五王は、教会は、どう動く?)
様々な感情と計算が、俺の頭の中を駆け巡った。
バザンが俺を刺すような目で見ている。
そして――、ハンも。
決断しなければならない。
「ハン」
「は」
「全軍に伝えろ。バルディル州制圧部隊以外の作戦は一時中断。全軍本部に集結」
「……!!」
驚きの表情を浮かべるハンを、俺は静かに見る。
「マラエヴァ如き、救えずして守護聖人は名乗れまい」
「しかし、ボス!!」
「これが俺の意思だ。邪魔するな」
しばらくハンは俺をにらんでいたが、やがてふと視線をそらした。
「――分かりました」
ハンは眉間にしわを寄せながらも、すぐに身を翻し全軍に伝令を伝える為に立ち去った。
そして、そんな俺とハンの様子をバザンは黙って見ていた。




