第39話 カザール侵攻
「セルベク枢機卿。次はベルジュ州を落とそうと思っているが、どうだ?」
マラエヴァは真剣な表情で意見を求めるように俺に話しかけてきた。
聖地奪還軍はライツア五王国を出立してから、カザールとの国境付近にあるボルダ州、ヴァルゼ州を陥落させ、さらに進軍を続けている。
「――この先湖があるからな。ベルジュ州を先に攻略するのが良策だろう」
俺の答えに満足気にうなずいたマラエヴァは、地図上の進路ルートを指で辿っていく。
その地図は、もともと詳細なカザール国の地図がなかったため、俺がバザンから入手したものだ。
マラエヴァの中では既に答えは出ているはずだが、俺にわざわざ意見を求めてきたのは、形式上この聖地奪還軍を円滑に指揮するために必要だからだ。
編成された聖地奪還軍の総勢は約十万。
掲げられているのはラトス教の赤い旗だったが、そのほとんどが諸侯の軍で構成されている。
本来ならば、諸侯軍が大半を占めるとはいえ、聖地奪還軍という性質上、俺が指揮を執るはずだった。
だが、マラエヴァは貴族院で入念な根回しを行って諸侯の同意を得、指揮権を得て、さらに俺が守護聖人という肩書を持っているのをいいことに、俺をこの聖地奪還軍のシンボル的な立場へと祭りあげた。
(大人しくこのままでいると思うなよ――)
地図で地形を確認しているマラエヴァを見ながら、俺はかねてからの疑問を口にした。
「王族の地位を捨ててまで――、よくこの奪還軍に加わったな。意外だったよ」
中等部の頃から、マラエヴァは王族らしくふるまうことに執着があるように俺には見えていた。
家臣を従えながらも、自身の力だけを信じて孤高に立つ指導者――、マラエヴァはそうあることで、より王族らしく存在しようとしているのだと俺は推測していたのだ。
そんな彼が王籍を捨てて臣籍に下ることなど、ありえないことだと俺はその可能性をまるで否定していた。
実際に彼がそんな行動をとった後も、しばらく信じられなかったほどに。
そんな俺への問いに、マラエヴァは顔をあげて俺を見た。
「オレは王族という身分に、それほど執着してはいない。王族とは、国の為に行動できる人間であるべきだろう。そのために王籍が枷となるのなら、オレはそれを捨てることに躊躇しない。重要なのは籍ではなく、誠の王族たる人格だからだ」
軽い口調で語ったマラエヴァの言葉は、その言葉通りに聞けば、彼が崇高で無私な男であるような印象を受ける。
だが、実際はそうではない。
彼はもはや王籍などに頼らなくても、実力で自らの“王国”を築けるつもりでいるのだ。
(自身の力への確固たる自信――、それがマラエヴァの王族という身分への執着を薄れさせたのか……)
マラエヴァとて、中等部の頃の彼ではない。
貴族院で築き上げてきたものが、さらに彼を貪欲にし、王籍すらも必要ないほど自身の力だけを信じるような人物へと変容させている。
(だが、俺がお前の最後の枷になる。必ず――)
このまま全てがマラエヴァの思い通りになる――そんなシナリオを、俺は描かせるつもりはない。
聖地奪還軍が国を出てからも、俺はなんとか指揮権を奪取する策を水面下で進めていた。
一度はマラエヴァに指揮権を託すことに同意した諸侯だったが、現状ではその功績をマラエヴァはほぼ独占する形になっている。
そのことに対して、諸侯からは不満が出始めていた。
諸侯もこれほど功績が自分たちに回ってこないとは想定していなかったのだろう。
マラエヴァは有能すぎて大きな視点から細かい所まで目が届くため、些細な指示を出すので、諸侯たちはそれに従う駒のように使われる。
また、自分たちの裁量で動けないことも、彼らの不満の一因となっている。
そこに俺のつけ込むすきがあった。
今はマラエヴァの能力とカリスマ、その籍こそ返上したとはいえ王族であるという血筋がものを言っているが、ひとたび何かあれば、それは脆く崩れるはずだ。
「無駄な戦は必要ない。今回の目的は聖地奪還だからな。聖地に向かう通路となる州だけを攻略していけばいい」
淡々とマラエヴァはそう言ったが、俺は内心それを腹立たしい思いで見ていた。
今回の遠征のために、俺はあらかじめ、我がライツア五王国は内乱と異教徒の度重なる侵攻により、国土は疲弊し、もはや戦う戦力も気力もないという噂を放浪の民を使って流してあった。
そのために油断しきっていたカザール国内を、マラエヴァが次々と攻略していく。
まさに全てがマラエヴァのための下準備となってしまったのだ。
しかし、だからといって、この戦いは負けるわけにはいかない。
俺にとっても苦渋の選択だった。
「マラエヴァ。ベルジュ州の指揮ぐらいは俺がしても良い。少しは休め」
軽い調子で俺はそうマラエヴァに言ったが、そんな発言にとり合うような男ではない。
「気にするな。これぐらいは俺の部下でもできる」
そう言うと、マラエヴァはすぐに彼の腹心ディングを呼びつける。
「ディング、次のベルジュ州の指揮、お前に任せる。全軍は必要ないだろう。後軍を待たず、前軍だけで落として来い」
「御意! お任せください!」
がっちりとした体格のディングは、ここが自分の活躍の場と見たのか、にやりと笑って一礼すると、すぐさま天幕を後にした。
俺はその様子を見ながら、心の中で舌打ちする。
「ディングは前回も軍を動かしている。ベルジュ州はそれほど大きな州ではない。ここはフェラニカに指揮を任せて、少し休ませてはどうだ? 騎士団はこれまで動いていない。俺たちはお飾りではないぞ」
その言葉にマラエヴァは冷やかな目をこちらに向けた。
「聖教騎士団は、あくまでセルベク枢機卿の護衛としてあれば良い。守護聖人であるお前が怪我でもしては、この聖地奪還軍全ての士気に関わるからな。この度の戦いは以前の国内の反乱とはまるでその性質が違う。お前も分かっていることとは思うが、戦いでありながら、宗教的な意味合いの強いものだ。教会の威信、守護聖人の威信というものを大事にするべきだ」
それも全てマラエヴァの詭弁にすぎないのだろうが、俺は頷くしかなかった。
現状では、諸侯たちもマラエヴァの指示にしか従わないだろう。
「聖教騎士団が前線に出るのは、この軍が窮地に追い込まれた時だと思ってくれ。まだ戦力はそれほど消耗しておらん。お前はこの聖地奪還軍の象徴として構えていればいい」
理屈は通っている。
だが、それがマラエヴァの策なのだということは、痛いほど俺にはよく分かっていた。
今は思うままにふるまうがいい。
ふと視線を転じると、副官として付き従うハンが射殺すような強烈な視線を、マラエヴァに送っていた。
乾いた大地がむき出しに続く荒野。
はるか彼方に見える丘は遠く、かすんで見える。
固くなってうっすらと色あせたように見える道を、銀色に輝く鎧の騎士たちは、大河の流れのように荒涼とした大地をひたすら進んでいた。
空気は乾き、砂埃が舞い上がって大軍の後ろに尾を引いて行く。
マラエヴァの腹心ディングによってベルジュ州侵攻が始まったが、それも聖教騎士団はまるで蚊帳の外の出来事にすぎなかった。
「つまらん。またディングとやらが指揮官か」
途中で馬を寄せてきたフェラニカが不服そうに言った。
「――ああ」
「このままで良いのか? これではあいつの一人勝ちではないか」
「分かっている。しかし、相手はマラエヴァだからな」
俺はそう言って、誤魔化した。
フェラニカもどうにかする手段はないのかと、苛立っているのだろう。
だが、俺はフェラニカに真実を話す気はなかった。
今回の策は、俺とハンだけが知っていればいい。
フェラニカは遠くに目をやりながら、眉間にしわを寄せた。
「ここまで来て、奴の好きなようにされるとは……。ディングという奴の部下が調子に乗っているのも腹立たしいな。――私ならもっとうまくやれる」
「分かっている」
フェラニカがあきらめた様に遠ざかるのと入れ違いに、俺はハンを呼んだ。
「例の件、どうだ?」
「まだ動きはありません」
「そうか……」
俺としても、このまま黙っているつもりなど、毛頭ない。
少々汚い手を使ってでも、奴を引きずりおろす必要がある――そのために、俺とハンは秘かに動いていた。
マラエヴァの腹心ディングの采配により、ベルジュ州制圧の目途が立つと、聖地奪還軍の本体はさらにバルディル州へと駒を進めた。
長く時間をかけていては、兵も疲弊する上に、カザールが動く時間を与えることになってしまう。
しかし、俺の下準備のお陰で、軍は予想以上の快進撃を続けていた。
怖いぐらいに。
聖地奪還軍の前軍がバルディル州に入り、制圧作戦もまもなく開始される――そんな矢先のことだった。
「報告致します! ヴァルゼ州にて異教徒が反乱、制圧軍が残っていた城が囲まれ、救援を要請するとのことです!」
既に次のバルディル州制圧作戦について話し合うために集まっていた俺とマラエヴァ、そして直属の部下たちは、その報告に眉をひそめた。
制圧した州にはそれぞれ少数の軍を残してきている。
マラエヴァが口を開くより先に、俺は一言つぶやいた。
「ヴァルゼ州に駐留しているのは、ダルヴィク侯の軍だな」
「はっ! すぐにでも救援をと」
「規模は?」
「それが、ヴァルゼ州の反乱にしてはかなりの数で……」
詳細の報告を受けるうち、マラエヴァの表情が珍しく曇る。
「ヴァルゼ州だけの反乱ではないかもしれんな。あの州にそれだけの余力が残っていたとは思えん」
マラエヴァの言葉に俺もうなずいた。
「カザール各州のつながりは希薄だが、状況が状況だけに、他州と手を組んだ可能性もないとは言えない。だとしたら、援軍はそれなりの数で編成した方がいい」
「急いて退路を断たれてはどうにもならんな」
今の聖地奪還軍にはそれなりの余裕はあるが、今回の反乱をどう見るか。
「マラエヴァ、俺が行こう。ヴァルゼ州だけの動きではないとしたら、確実にここで叩いておく必要がある。奴らがその気になって周到に動いているとしたら、部下を送るより俺自身が行ったほうがいいだろう」
俺の進言にマラエヴァは腕を組んで考え込んでいた。
「聖教騎士団ならば、確かに小回りは利く……。しかし、お前が後退するのは得策ではない」
「――俺が守護聖人だからか」
「そうだ。お前はこの聖地奪還軍のもう一つの旗でもある」
そう言ってマラエヴァはちらりと自分の部下たちを見たが、そこに腹心のディングの姿はない。
彼はまだベルジュ州の事後処理で戻っていないのだ。
ヴァルゼ州での反乱がこれからどれほどの規模になるのか予測できない以上、援軍に向かう指揮官はある程度臨機応変に対応できる者が理想的だ。
現状で退路を断たれては、窮地になりかねない。
「――オレが行く。指揮権はセルベク枢機卿に預ける」
「マラエヴァ様!」
マラエヴァの部下から声があがったが、それをマラエヴァは冷やかに無視した。
「ヴァルゼ州を失うわけにはいかん。セルベク。ディングの帰還を待って、予定通り本隊はバルディル州制圧に向かってくれ。ヴァルゼ州は俺の方でなんとかしよう」
「分かった。任せろ」
マラエヴァはさらに手早くいくつかの指示をとばすと、旗下の兵士を連れて足早に天幕を出て行った。
それでもマラエヴァとしては鎧袖一触のつもりだっただろう。
(全てが計画通りだ――)
俺は内心にやりと笑った。
一時的とはいえ、これで十分指揮権を確立させる時間は稼げる。
マラエヴァの下ではその功績を得ることができなかった諸侯に対しても、俺の指揮に従えば、国から認められるだけの功績があげられるように計らってやることで既に同意を得ている。
俺としても教会における功績が認められればいいだけの話で、王国からの功績は今、必要ない。
このあとマラエヴァが戻ってきたとしても、諸侯は後方で反乱を未然に防ぐことが出来なかったことを盾に、俺が指揮権をとるよう主張する手はずになっている。
もはやマラエヴァの指揮官としての居場所はないというわけだ。
万事が上手く運んでいる。
しかし、その数日後――。
予想を大きくかけ離れた報告が、俺の耳に飛び込んできた。
それは、聖地奪還軍全体にも激震を走らせた。
マラエヴァがヴァルゼ州に向かう途中、カザール側の軍に捕縛されたのである。




