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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
36/52

第34話 恋文

文末にジャイルの挿絵あります。

 地響きを立ててやってくるカザールの大軍勢。

 物見の知らせが、執務室に駆け走って報告に来る。

 援軍要請のために早馬が出されたが、ほどなくして城周辺は敵兵で埋め尽くされた。

 カザールの軍勢、約四万。

 敵の使者が降伏勧告に訪れたが、俺はもちろんそれを断った。

「異教徒に降伏勧告とは」

 俺は思わず苦笑する。

「これまでの太守とは違うようですね」

 ハンがうなずく。

「今さら降伏したところで、出たところをだまし討ちにあうのが落ちだ。俺たちは、それをされるだけの敵を葬ってきたからな。――さて。アメルス王太子とやらは、反目する太守をまとめあげるだけの手腕はあるようだが、果たして戦争はどうかな」

 外に目をやると、カザール国の青い旗がいくつも翻り、まるでうねる波のようだった。

 降伏勧告を断ると、ほどなくしてカザール軍は動き始めた。

 城を取り囲む兵士たちが次々に攻めてたててきたのだ。

「異教徒を中に入れるな!」

 城内では指揮官の怒号が飛び、設置された石弓がびゅうびゅうと矢を放つ。

 城壁にぐるりと配置された兵士たちは槍を構え、城壁を登ってくるカザール兵を串刺しにし、払い落していく。

 時には煮えたぎった油を城壁から注ぎ落したりもした。

 十分に備えた聖教騎士団は、一時は優位に見えた。

 だが、それでも間断なく攻めのぼってくる敵兵の数はあまりにも多すぎた。

 時間がたてばたつほど、次第に押されていく。

 しかし、何日経っても教会からの援軍は来る気配を見せなかった。

「ボス。アラディス主席枢機卿は、裏切ったのではないですか?」

 ハンが怒りに似た暗い光を瞳に宿しながら言った。

 援軍の早馬を送ってから、もうずいぶん経つ。

 動くならもう、動いているだろう。

「あれだけの利権を譲ったのに……! まさかこのまま見殺しにする気ですか」

 ジャイルも憤慨する。

 俺もジャイルと同じ思いだったが、相手は腐りきった聖職者。

「そのまさか、だろうな……。俺ならばここで恩を売っておくところだが。俺の名声が上がりすぎて、やっかまれたか」

「アラディス主席枢機卿は、お前にとって代わられると思ったのか?」

「そこまではまだ思っていないだろうが、いずれ邪魔になると踏んだのだろう」

 ハンとバザンの宣伝効果もあり、今の俺は、巷では守護神と言われ、崇められている。

 危機感を覚えないほうがおかしいとも言えた。

 このままいけば、あと半年もすれば食料が切れ、餓死。

 だがそれ以前に、攻め落とされる可能性の方が高い。

 ふと、メリッサの顔が頭をよぎった。

 メリッサと結婚するという条件を飲めばマラエヴァは軍を率い、応援に来てくれるだろう。

 しかし、それは俺の人生の終わりも意味していた。

 思案する俺と、フェラニカの目が合う。

「少し時間をくれ。フェラニカ、しばらく指揮を任せる」

「わかった」

 俺は足早に執務室に向かい、ペンを手に取った。

 こうなれば手段は選んでいられない。

 外で繰り広げられる戦いの喧騒を耳にしながら、俺は一人部屋に閉じこもった。

 そして、外で行われてる戦闘とは全く無縁の恋文をしたため始めたのだった。


 俺がいかに彼女に恋をしていたか。

 聖職者でなければ、結婚したかったという熱い想いをただひたすらに綴った。


 他人が見たら赤面しそうなその内容の手紙を、俺は封筒に入れて蜜蝋で厳重に封書した。

「ジャイル。頼みがある」

「――オレにですか? なんでしょう?」

「そうだ。この件に関してはお前しかいない。お前は顔が広い。商会の伝手を使って教皇の娘ザーラに会い、この手紙を渡してくれ」

「教皇の娘に? それが、今の状況とどんな関係が……」

「彼女は以前から俺に熱をあげていた。この恋文を見れば、思いが通じたと勘違いした彼女が、父親であるソルデ教皇を必死に説得してくれる。教皇は娘にせがまれて、仕方なく諸侯に異教徒撃退の召集をかける――という筋書きだ」

「なるほど」

 ジャイルはにやりと笑う。

 だが、フェラニカはそれを聞いて眉をひそめた。

「乙女心を利用するのか……。それでその彼女とやらはどうなる?」

 その問いに、ジャイルがさらりと答えた。

「一般に言う、青い結婚ってやつですよね?」

 俺はそれに苦い顔でうなずく。

 ラトス教の聖職者は、通常の婚姻をすることは認められていない。

 結婚という形をとることは可能だが、法的な根拠もなく、権利もなにも存在しない。

 そのため正式な結婚とは言えないが、いわゆる事実婚の形を取ることは可能であり、多くの聖職者がそれを利用している。

 それをこの国では“青い結婚”と呼ぶのだった。

「教皇は俺という駒を、決して裏切ることのない義理の息子という楔で手に入れる。俺は大きな後ろ盾を手に入れる。結婚を餌に、交渉をするカードはこれで消えるが、仕方ないな」

 俺は苦笑して言った。




 ラトス教の赤い旗が風に揺らめく。

 戦闘は持久戦となり、今は一時的に敵からの攻撃がやんでいる。

 それでも城壁にはりついた見張りの兵たちは、交代でカザール兵のいる陣営の様子をじっと見張っていた。

 フェラニカは風の音に耳を澄ましてみるが、人の声らしいものは聞こえない。

「静かだな」

 中にいる兵士たちはこの城の強さを信じて必死に戦いを続けているが、このままではいずれ押され負けるのではないかという不安を抱えている者も多いだろう。

「本当にいいのか?」

 フェラニカは振り返り、そばに立っていたセルベクに声をかけた。

 金色の柔らかそうなセルベクの髪が、風に揺れている。

 天使のような容貌と謳われた彼の容姿は、大人になってからも美しいままだ。

 だが、その瞳は強い意志を宿し、口から出てくる言葉は彼女の予想をいつも越える。

 今回の教皇の娘とやらを手玉に取るやり方も、正直に言えば彼女は気に入らない。

 とはいえ、それがセルベクであり、フェラニカには他に思いつく打開策もない。

「婚姻のことか」

 セルベクは、ふっと微笑んだ。

 この優しげな表情の男がこれほど汚いやり方を思いつくなど、世の中はどう考えてもおかしい。

 そもそも、セルベクの存在自体が詐欺に近いとフェラニカは秘かに思った。

「利用できるものは利用すればいい。婚姻など、所詮形だけのものだ」

「彼女はどうする? その教皇の娘は?」

「どうにもならない。まあ、適当にあしらっていれば、彼女も満足するだろう」

 これが他の男だったら、フェラニカは拳を握って一発お見舞いしてやるところだ。

 しかし、これはあくまで状況を打開する作戦なのだと自分に言い聞かせる。

「兵士たちが待っているぞ」

 促され、フェラニカは前に向き直った。

 見張り以外の兵士たちが、彼女の話を聞くために集まっている。

 彼女の部下たちが。

 それは彼女の望むものだった。

 軍人としての地位と、自分の能力を最大限に発揮できる場所――。

 それを与えてくれたのが、セルベクだ。

 女が男から一歩下がって歩かなければならないこの国で、セルベクは彼女を信頼し、対等に扱い、軍人としての彼女を買ってくれている。

 フェラニカは風にもてあそばれる前髪を乱暴にかきあげ、腹に力を込めた。

 そしてまっすぐ壇上へと歩みを進める。

 兵たちの視線が一斉に注がれるのを感じながら、フェラニカはゆっくりと息を吸い込んだ。


「諸君。我々は今、重大な危機に直面している。騎士団本部は堅牢な城壁に囲まれているが、それでも敵の勢力は我々の約十倍。この危機を乗り越えるためには、諸君らの協力が必要である!」


 そうフェラニカは兵士たちに語りかけた。

 そしてそんな彼女の言葉を、兵士たちは一語一句聞き漏らすまいと耳をそばだてて聞いていた。




 まもなく夜明けを迎える頃。

 城外は静まり返っていた。

 風もなく、音もなく、ただ夜の星が色あせて光っている。

 ジャイルが教皇の娘に手紙を届けるためには、城を囲んでいる敵兵の包囲を突破しなければならない。

 その為にかき集められた兵は四千。

 鎧に身を包んだジャイルのその手は、珍しく緊張で汗ばんでいた。

 フェラニカはいつもと変わらない様子で部下に指示を出し、兵士たちはきびきびとした動きで隊列を整えていく。


(オレが……。やんなきゃ仕方ねぇんだよな)


 これまでは籠城に徹していたため、敵はおそらく、こちらが打って出ることを想定していない。

 その虚を突き、フェラニカ率いる部隊が一気に打って出て、活路を作るのだ。

 フェラニカたちが切り開いた道を、ジャイルとその護衛部隊が一気に突破して駆け抜ける――、そういう手筈になっていた。

 だが、ジャイルはもともとそういう訓練を受けた人間ではない。

 前の騎士団本部が襲撃された時にはセルベクを助けに行きもしたが、それは戦場にいた誰もが自分に注目していなかったからうまくいったのだ。

 今回は、ジャイル自身が台風の目になろうとしている。


(本当にうまくいくのかよ……)


 危険な賭けではあるが、勝機がないわけではないとセルベクは軽く笑っていた。

 フェラニカも「任せておけ」と胸を叩いていた。

 二人を信用していないわけではないが、これが犠牲を伴う策であることは明白だ。

 しかも運ぶものは、教皇の娘ザーラへの恋文。

 ジャイルは思わずポリポリと頭をかいた。

 そこへ背後から鎧をごつんと叩かれる。

「ジャイル。大丈夫か?」

 いつの間にかフェラニカがそばに来ていた。

「あ? ああ。問題ない」

 怖じ気づきそうになっている心を隠し、ジャイルはすまして答える。

 すると、フェラニカはそんなジャイルの心情を見透かしたかのようにニヤリと笑う。

「道は必ず開く。お前は何も考えずに突っ走れ」

「――分かってるよ」

 やるしかない、とジャイルは腹をくくった。

 後方から出るジャイルよりも、先頭を行き、敵兵を突き崩すフェラニカの部隊の方がよほど危険なのだと自分に言い聞かせながら。


 先頭には、指揮官であるフェラニカ。

「怯むな! 我々が血路を開くぞ!」

 フェラニカが声を張り上げると、兵士たちは勇ましい掛け声で応える。

 騎士団の兵士たちは、フェラニカを中心に見事にまとまっていた。

 特にフェラニカ直下の部下たちは、下士官学校、士官学校からの強いつながりのある者たちばかりだ。

 ジャイル自身も長年の付き合いである部下たちとはそれなりに信頼しあっている。

 だが、フェラニカやセルベクと指揮官たちの間には、それとは比べ物にならないような太い絆があった。

 それは戦場で同じ苦難を乗り越えてきたことによって、強まった絆なのだろう。

 騎士団の中核がそういう者たちで構成されているからこそ、騎士団全体の結束力もまた、非常に強かった。

 今回の作戦は、長くこう着状態にある状況を打開するためのものだ。

 そのために、兵士たちは捨て石になる覚悟で体を張って道を切り開こうとしていた。

 彼女の合図で、城門がゆっくりと開かれる。

 城門が開くとともに、フェラニカ率いる兵団は城から一気に雪崩出た。

 突然城内から出てきた兵に、カザール兵は動揺を隠しきれないでいた。

 それでも取り囲もうと動き始めたが、まとまらずフェラニカが容赦なく振るう槍の餌食となる。

 不意をつかれた形のカザール兵を相手に、フェラニカ率いる三千の兵団は決死の覚悟で戦い、暴れた。

 ジャイルはその様子を食い入るように見ていた。

 そして、カザール兵の陣形が完全に崩れたその時。

「行きましょう!」

 護衛として傍にいた兵士の一人がジャイルに声をかけた。

「おう! よし、行くぞ!」

 ジャイルと彼を囲む千の騎兵は、一塊となって城門から躍り出た。

 激しい戦闘が繰り広げられる中、崩れた一角を狙ってジャイルの一団は突き進む。

 だが、明らかに何かを担っているであろう空気を感じ取ったカザール兵たちも、簡単にジャイルを通すようなことはしない。

 すぐに、彼らの進路へと敵兵たちが群がりはじめた。

 それを遮るフェラニカの部隊とカザール兵たちが激しくぶつかり合う。

 その間をジャイルと彼を護衛する兵団が、決死の覚悟で突き進んだ。

 先頭を行く騎兵が群がろうとするカザール兵を強引に斬り伏せるも、別方向からの攻撃に倒れる。

 それでもすぐに次の者が陣形を埋め、カザール兵を薙ぎ払いながら果敢に前へ前へと押し進んだ。

 フェラニカの部隊も必死に彼らを囲もうとするカザール兵たちを背後から攻撃し、乱戦となった。

 矢が飛び、あわやのところを掠め飛んで行く。

 繰り広げられる激しい戦いの渦中で、ジャイルは緊張と冷汗で背中を濡らしていた。

 取り囲んでいる護衛の兵団は、ジャイルを死守すべく自ら盾となって奮戦するが、次々に討ち取られていく。

 セルベクに託された手紙の為に、目の前で仲間が死んでいくことに、ジャイルはいたたまれない気持ちになった。


(こんな手紙の為に、あいつらは……。クソッ! やってらんねぇな……。けど、これしか手がねぇんだよな)


 ジャイルは手綱を握る手に力を込めた。

 盾となった顔見知りの兵士の血飛沫が、宙を舞う。

 守っていた兵も百、二百と減っていき、最後は数えるほどになった。

 そして、なんとかようやく敵陣を突破する。


(よし! 抜けた……!)


 一気に体に血が巡ってくるのを感じる。

「このまま突っ走ってください! あとは頼みましたよ!」

 ともに敵陣を抜けてきた護衛部隊の一人はそう叫ぶと、残りの十数名を率いて、敵陣へと馬首を翻した。

「お前ら……!」

「行ってください! 行って援軍を!」

 彼らの必死の覚悟が、ジャイルの心臓を鷲掴みにする。

「くっ……! すまん! 死ぬなよ!」

 もはやその場にいない彼らに向かってそう呟くと、ジャイルは再び前を見据えた。

 自分のためではない。

 騎士団本部のためなのだ。

 そう自分に言い聞かせると、ジャイルは馬の腹を蹴った。

 風が鳴り、矢が体を掠めた。

 それでも振り返らずに、ジャイルは馬を走らせる。

 すべての兵士たちの想いに応えるために。

 ジャイルは目頭が熱くなるのを感じながら、馬の手綱を必死に握り、一人戦場から遠ざかって行った。





挿絵(By みてみん)



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