第30話 策謀
晴れあがった空の下に広がる、広大な聖教騎士団本部の敷地。
「見事にきれいさっぱり原型がなくなったな」
フェラニカは腕を組んで、焼失した建物の跡を眺めていた。
異教徒の襲撃で燃えてしまった残骸は全て撤去され、きれいな更地になっている。
今は別の場所に仮の宿舎が建てられ、全部隊がそこで生活していた。
「もともと小隊の建物以外は廃墟同然だったからな」
俺はせわしなく行き交う大工たちの姿に目をやった。
騎士団本部の建て替え工事のため、今はかつての小隊建て替えの時とは比べ物にならないほど大勢の大工たちが立ち働いている。
どうせ新しく建てるのならと、今度はかなりの予算を投じて、俺は聖教騎士団本部を堅固な造りにすることにした。
「見事に資金は空ですよ。鉱山は内乱の影響で止まっていた採掘がようやく目途がたったばかり。農民の反乱で今年は物価も高騰してますし」
書類を手にしたジャイルが、ため息まじりに言った。
「金はまた生まれる。それよりも本拠地の確保が優先だ」
俺がさらりというと、ジャイルは俺を恨めしそうに見る。
「そりゃもう、団長命令ですから。やれと言われれば、オレはうなずくしかないですけどね」
その様子を見ていたフェラニカが、声をあげて軽やかに笑った。
マラエヴァの部隊を筆頭にした義勇軍によって、結社『朱の夜明け』の本拠地は制圧され、完全に瓦解した。
結社という拠り所を失った農民の暴徒集団は、一時期の勢いがまるで嘘のようにあっけなく鎮圧されてしまった。
国は反乱鎮圧を大々的に宣伝しつつも、その頭首であったゼシュラムとその幹部数人は行方知れずのままだ。
あれほどの反乱を起こしておきながら、実質的にゼシュラムは一度も表舞台に立ってはいない。
暴徒として参加した農民たちもその名前こそ知ってはいたが、その素顔を知る者はほとんどいなかった。
さらに反乱後は見事に姿をくらまし、その行方はまだ分かっていない。
しかし、鎮圧されたとはいえ、結社はあれほど大きな影響力があったのだから、背後にいる人間の数は相当なものだろう。
だとすれば、今回行方が知れないのも何らかの力が働いてると推測される。
俺も独自で、ハンには暗黒街のルートから、ジャイルには商人筋からその行方を探させることにした。
また、この反乱は国内においても未曽有の規模の内乱ということもあり、論功行賞はかなり難航したようだったが、俺は多大な功績を認められて大司教に叙任された。
同時に、聖教騎士団の団長にも任命される。
聖教騎士団団長、セルベク大司教。
それが今の俺の肩書だ。
フェラニカはといえば、俺の指揮下で奮戦し勝利に導いた聖女として、女性初の司教へと抜擢された。
ハンとジャイルは俺の指揮下で働いただけ、とあまり功績を評価されなかったが、俺が裏で手をまわし、同時に司教となるよう取り計らった。
もちろん俺の指揮下にあった師弟関係にある部下たちも、大幅に職位があがっている。
「しかし、セルベク。改めて団員を補充しないと、騎士団としての体裁が整わないぞ。これまでと違うからな」
フェラニカが思案顔でこちらを見た。
騎士団は内乱でかなりの兵と指揮官を失い、おまけに過日の異教徒襲来でかなりのダメージを受けている。
バザンからの情報によれば、カザール国の異教徒もしばらくは大人しくしているようだが、今後のことを考えれば時期を見て早めに補充しなければならないだろう。
これまでと違い、俺は騎士団全体を預かることになったのだから。
「そうだな。建て替えの工事も始まったことだ。そろそろ補充を考えよう」
俺がそう言うと、ジャイルはうんざりしたように天を仰いだ。
「また出費ですか……」
「これからしばらく続くぞ。政治的な交際、周辺信徒への慰問……。他にも山ほどある」
「金遣いの名人ですね。もうお見事としか……。鉱山の収入以外にも何か考えないと、それまで持ちそうにないですよ」
げんなりするジャイルの肩を、俺はぽんぽんと軽く叩いて笑った。
「それがお前の仕事だからな」
ジャイルにはそれだけの能力があると俺は本気で期待しているのだが、彼は半ばあきらめ顔で不承不承うなずく。
「……わかってます。頑張ってやらせていただきますよ」
そして、ジャイルのため息は風にとけていった。
半年ほど経つと、聖教騎士団本部はそれなりの建物の姿を成すようになった。
まだ全てが完成したわけではないが、これまでにはなかった石造りの城壁や深い堀が作られ、外見から見れば、ちょっとした城のようにも見える。
かつてここに廃墟同然の本部があったことなどすっかり思い出せないほどに、敷地内の様子は様変わりしていた。
そんな折。
兄のカムルから手紙を受け取り、久しぶりに二人で会うことになった。
わざわざ聖教騎士団本部まで足を運んでくれた兄を、俺は本部の入口まで出迎えに行く。
「噂には聞いていたが、まるで城だな」
馬車を降りた兄は、本部の建物を仰ぎ見た。
貴族院らしい高価な衣服に身を包み、以前よりさらに貫禄が出ている。
「騎士団本部ですからね。体裁だけでもそれなりにしておかなくてはと思いまして」
そう言って俺がゆったり笑うと、兄は目を細めた。
「お前もすっかり聖職者らしくなったな。――未だにお前が騎士団を率いている姿は想像できないが」
冗談めかして笑う兄を、俺は中へと案内した。
今の俺は、白地に金糸と銀糸で刺繍が施された宗教服に身を包んでいる。
フェラニカにも揶揄されたが、俺には鎧よりもこの身なりの方がよほどしっくりくるらしい。
俺は騎士団本部内の一室に兄を通すと、付き人として従っていた司教たちを下がらせた。
応接室として使っているその部屋は、本部の物々しい外見からは想像がつかないほど、きれいな装飾が施してある。
それなりの地位の者たちが訪問してきたとしても恥ずかしくないよう、特に金をかけて作った部屋だ。
大きな椅子にゆったり腰掛けると、俺は先に口を開いた。
「兄さんがわざわざ足を運んでくれるなんて、珍しいですね」
兄はふっと口元に笑みを浮かべる。
「一度、聖教騎士団本部とやらを見てみたかったのだ。――というと、空々しく聞こえるかな」
「なんですか? 勿体ぶって」
俺が冗談めかして笑うと、兄は両手を組み、深刻な顔で語り始めた。
「実はな。今、貴族院内で妙な動きがある」
「妙な動き?」
「お前に男爵の爵位を与えようというものだ」
俺は驚いて、兄の顔を見返した。
「――兄さんにではなく、俺にですか?」
「オレはそもそも新たに爵位を受けるほどの功績は残していない。だが、いくら功績をあげたからとはいえ、聖職者であるお前に爵位をというのは、少々解せなくてな」
聖職者である俺は、一応形としては俗世の社会から身を引いた人間だ。
宗教的な職位であれば分かるが、爵位は俗世のものであり、俺にはそぐわない。
(何か裏があるな……)
俺は過去の記憶を手繰り寄せた。
「――そういえば王国初期の頃、聖職者を味方にするために爵位を乱発した時期がありましたね。ただそれは、五人の王が連合するよりもはるか昔の話ですが」
すると兄は驚いた顔をする。
「そうなのか? そういう歴史までは知らなかったが……。何か思惑があるだろうとは、オレも感じている。いろいろ手を尽くして調べてみたんだが、それ以上のことはよく分からなかった」
「そうですか……。わざわざ知らせてくれてありがとうございます、兄さん。でも、そういう話なら手紙でも良かったのに」
俺が首をかしげると、兄はにっと笑った。
「まあ、たまには出世した弟の顔を見に来るのも悪くない。今や騎士団の団長様だからな」
「また御冗談を」
「話はそれだけだ。――何かわかったら、今度は手紙を寄こすよ」
「ありがとうございます」
それから俺と兄は近況を報告し合い、貴族院での話や騎士団のちょっとした雑談などをした。
唯一心を許せる兄との会話は、俺にとって楽しいものだった。
帰り際、兄はふと振り返って急にあらたまったような表情で、俺の顔をまじまじと見た。
「なんですか?」
「いや。このところお前を紹介しろとよく言われる。適当に受け流してはいるんだが」
俺は思わず声のトーンを落とし、顔をしかめる。
「何か政治的な……」
「いやいや、そういうことじゃない。騎士団団長のセルベク様は美男子な上に腕もたつと、社交界のお嬢様方のちょっとした話題なのさ」
思いがけない話に俺は拍子抜けする。
「美男子はつらいな。まあ、その気になったらいつでも言ってくれ」
だが、聖職者である自分にそういうことを言われても、何とも返答のしようがない。
「それはどうも……」
そんな俺を見た兄は声をあげて笑い、騎士団本部を後にした。
兄の来訪から一週間もたたないうちに、俺は王城へと呼び出された。
王たちの意図もはっきりと分からないまま、あまりに速い展開に眉をひそめたが、俺はひとまず王城へと出向いた。
玉座の間へと通された俺を待っていたのは、ずらりと居並ぶ貴族院の者たち。
その中にはもちろん兄もおり、あのマラエヴァの姿もあった。
敷き詰められた赤い絨毯の上をゆったりと歩いて広間を進むと、王の前で膝をつき、頭を垂れる。
すると玉座の下に立っていた宰相が重々しく口を開いた。
「アルザン家が次男、セルベク」
「は……」
「貴公を反徒鎮圧の功により、男爵に叙任する。ありがたく受けるがよい」
それは予想していた言葉ではあった。
だが、鎮圧が終わって既に半年以上は経っている。
それを今になって“反徒鎮圧の功”と言われても、空々しいばかりだ。
「ありがたきお言葉ですが、私は神に身を捧げると誓った身。そのような過分なお情けは、身に余ります。なにとぞ、辞退をさせていただきたく存じます」
俺は用意していた言葉を述べた。
しかし、宰相も動じることなく言葉を続ける。
「それは相成らん。すでに教皇自身もお認めになっておられる。遠慮せずに受けるがよい」
(教皇にまで手が回っていたか……)
俺は内心舌打ちした。
やはりこの話、受けるしかないのか。
俺が逡巡している間にも、宰相は居丈高に言葉を続ける。
「また領地として、ヴァルキシュ地方を与える。謹んで受けるがよい」
俺はその瞬間、ハッとした。
彼らの意図がようやく分かったのだ。
ヴァルキシュ地方は、カザール国と隣接する交通の要所。
カザール国の異教徒が、大軍を率いて攻めてくるなら必ず通るであろう地域。
教会中央や王都から遠くはるかに離れた辺境の地で、土地も痩せており、岩山に囲まれた何もないところだ。
(――はめられた)
どうせすぐに、「王より任命された地に教会を建て、そこを聖教騎士団の本部とせよ」と教会中央からも辞令が下るに違いない。
騎士団と俺を切り離そうにも団員のほとんどが俺と師弟関係を結んでいる者ばかり。
切り離せないなら、一緒に僻地に飛ばしてしまえということになったのだろう。
半年という期間があったのも、俺に聖教騎士団を建て直させ、散財させることが目的だった可能性が高い。
どこまでも用意周到に準備された左遷だった。
しかし、もうこうなってしまっては返上することもできない。
俺は心中の苛立ちを隠しつつ、大人しく叙任の儀式を受けた。
式典が終わると、列席者の一人であったマラエヴァが俺の元に寄って来た。
貴族院の正装を身にまとったマラエヴァは、戦場で見たときよりさらに、堂々とした気品に満ちあふれていた。
だが、その目には相変わらず冷たい光を宿している。
「まずは叙任、おめでとうと言っておこう。聖職者の身では貴族院に顔を出すことはなかろうが、戦友として頼もしく思うぞ」
珍しく笑みを浮かべたマラエヴァの表情を見た瞬間。
(仕組んだのは、マラエヴァか……!)
それは根拠のない直感ではあったが、マラエヴァとは共に戦場を渡り歩いてきた仲だ。
しかも俺とマラエヴァは、相反しながらもどこか似通ったところがある。
表向きは俺に恩を売り、裏では蹴落とす――。
俺を追い落とすためにマラエヴァが秘かに動き、それが政府上層部や教皇の思惑と合致したというのが、おそらく今回の左遷の裏だろう。
瞬間、腹の底から突き上げるような怒りがわきあがった。
(――だが、これは予想すべき事態だったはずだ)
それに気づくと、俺の頭は急速に冷えた。
そして今のこの感情を気取られて、奴に勝ったと思わせることはさらに腹立たしい。
俺は平静を装った表情でマラエヴァに形式的な礼を言い、城を後にした。
これからどうすべきか、考えながら。
※ 教会の組織図を【青年編 人物紹介】の下部に追加しました。




