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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
29/52

第27話 邂逅③

文末にマラエヴァの挿絵があります。

 サンディガ地方ザルツに駐留する反乱軍の将アドルは苛立っていた。

 南東にあるクレヒムからは早く援軍を寄こせと何度も催促が来ているのだが、先日、クレヒムに向かう道の途中で義勇軍と正面から遭遇してしまった。

 正規兵と見間違うばかりの立派な兵団だったが、数で押せば十分勝てると思っていた所に、側面から聖教騎士団の部隊に奇襲を受け、思わぬ敗北を喫してしまったのである。

 アドルは農民出身ではあったが、結社『朱の夜明け』のゼシュラムにその能力を買われ、反乱軍の将を任されていた。

(正面に気を取られて、脇が甘くなっちまってたな……。だが、二度と同じ手は食わねぇ)

 敗北の苦みを思い出し、アドルは眉間にしわを寄せる。

 これまでアドルは幾つもの町の制圧に関わってきた。

 その功績を認められ、アドルは指揮官クラスの部下を持つ、四千もの大軍を率いる将にまでなったのだった。

 ゼシュラムとは一度会っただけだが、彼は貴族とは思えないほど話の分かる男だったし、アドルが農民出身であることを気にすることもなく、能力を買ってくれた。

 彼は生まれではなく、能力で人を見る。

 だからこそ国を相手に、反乱軍がこれほどまで成長できたのだとアドルは思っていた。

(クレヒムには救援に向かう。――だが、奴らがいる限りザルツを空にはできねぇ)

 ならば、こちらから打って出るしかない。

 相手は見るからに重装備だったが、それでも正面からこの数で押せば十分に勝てるはずだ。

 その為にアドルは、先日鉢合わせした義勇軍と聖教騎士団について探らせていた。

「隊長殿! 奴ら、クレヒムに向かったようです」

「なんだと!?」

 ようやく戻ってきた部下の報告を聞いたアドルは、声を荒げた。

(数に恐れをなして、先にクレヒム攻略に行きやがったか……)

 クレヒムには義勇軍だけでなく、国王軍が来襲しており、反乱軍は苦戦を強いられている。

 だが、待てよと首をひねった。

 勝ち馬に乗りに行ったとも考えられるが、逆にそれを利用して、相手が奇襲をかけてくることも十分考えられる。

(どうする? これは誘いか、それとも……)

 情報が本当ならば、背後から彼らを急襲することができる。

 だが、彼らはザルツにいる自分たちに背を向けるほど愚かだろうか?

「何度も同じ手を食うと思うなよ」

「……は?」

 首をかしげた部下に、アドルは言い放った。

「部隊の指揮官全員を呼べ! これから手短に策を伝える。それから部隊の準備も進めておけ。奴らを叩いて、ついでにクレヒムの国王軍も蹴散らしてやるぞ」

 例え彼らが奇襲をかけてくるつもりだとしても、むしろそれを利用してやれば相手の裏をかくこともできる。

 アドルは口端を持ち上げ、にたりと笑った。

 今度こそ数の勝利というものを、農民の恐ろしさというものを奴らに見せつけてやるのだ。



 曇天だった。

 先日降った雨のせいで地面はまだ所々ぬかるんでいたが、進軍に大きな影響を与えるほどではない。

 ザルツを出発した反乱軍は、クレヒムへとつながる道を南に進軍した。

 広大な畑が左右に広がる場所を抜けると、こんもりと茂った林が左右広がった場所にさしかかる。

(オレが奴らなら、ここらで仕掛けるな……)

 敵の軍にはかなりの騎馬兵がいる。

 伏兵をするのならば、まだぬかるみが残っている道よりも、それほど広くはないが比較的地面がしっかりしている林道を選ぶだろう。

 そう思っていた矢先、前方から声があがった。

「西側より敵襲っ! 先日の義勇軍と思われます!」

(やはりか――!)

 アドルは内心にやりと笑う。

「全軍態勢を整え、迎え討て! 数で囲い込むぞ!」

「はっ!」

 指揮官たちには既に、奇襲を受けた際の指示も出してある。

 落ち着いて対処すれば、勝機はこちらにある。

 部下たちも余裕の表情を見せながら、次々に指示を飛ばしていく。

(勝つ……。この戦い、必ず勝つぞ)

 アドルはそう心に強く念じた。




 反乱軍の隊列の西側から攻撃を加えたマラエヴァ率いる義勇軍は、思わぬ手ごたえに見舞われていた。

 奇襲に隊列を乱すと思われていた反乱軍は、予想に反して乱れることなくこちらに向かって反撃をしかけてきたのである。

(読まれたか……)

 だが、マラエヴァの軍はそれに対して焦ることなく応戦する。

 反乱軍はまともな武器を手にしている者もいるが、その手に農具を持っている者もかなり多い。

 それに対して、マラエヴァの軍は重装備。

 指揮官は愚かではないようだが、所詮は農民兵だ。

 奇襲は不発に終わったが、町から引きずり出しさえすればよかったのだから、当初の目的は十分に果たしたと言える。

 その証拠に、最初は整然と戦っていた反乱軍も徐々に押され、マラエヴァの軍が主導権を握りつつあった。

 反乱軍はマラエヴァの軍を囲い込もうと迫ってくるが、それでも義勇軍の強さの方が勝っていた。

(惜しむべきはその兵の弱さだな)

 そう冷静に戦況を見定めると、マラエヴァはここが勝負の岐路とばかりに、ついに側近を率いて自ら戦場へと身を躍らせる。

「農民ごときが、我らに勝てると思うなよ!」

 ぬかるむ大地をものともせず、マラエヴァは巧みに馬を操りながら、次々と騎乗している指揮官クラスの兵に狙いを定めて、その首をはね飛ばしていった。

 金色の鎧が光にきらめき、そして飛び散る鮮血に染まる。

 その戦神のごとき神々しさに、彼に付き従う他の貴族たちも雄叫びをあげ、馬首を巡らしてその剣をうならせた。



「前方の義勇軍、現在敵兵と交戦中ですが、それほど混乱は見受けられません!」

 斥候の報告に俺は眉をひそめた。

 ザルツの町に立て籠った反乱軍を、少数で攻略するのは難しい。

 そこでマラエヴァが立てた策が、クレヒムからの救援を利用した誘導作戦だった。

 町から出てきた反乱軍をマラエヴァの義勇軍が奇襲し、混乱して後退してきたところを背後に回った俺の部隊が攻撃する――、という段取りだったのだが。

 敵将もさすがに四千の兵を率いる者。

(――それほど馬鹿ではなかったということか)

 遠くにいても交戦する兵たちの怒声と甲高い剣戟の音が聞こえる。

「どうしますか?」

 ハンの問いに、俺は静かに応える。

「動じることはない。予定通り背後から突く。フェラニカにもそう伝えろ」

「はっ」

 大事なのは動じないことだ。

 妙に冷静でいられるのは、過去の軍人としての記憶があるからか。

 時代が変わり、武器や戦い方が変わったとしても、根底に流れるものはそうそう変わらないものだ。

 俺はふと空を見上げた。

 昼間なのにも関わらず、空が暗い。

 そう思った瞬間、雷鳴が轟いた。

(天候が変わる――)

 雨が降るのは、騎馬にとってあまり歓迎すべきことではない。

 あまり時間をかけてもいられないようだ。

 俺は部隊に進撃の合図を出した。

 反乱軍はマラエヴァの軍をなんとか取り囲もうとはしていたが、それはあまり功を奏していなかった。

 マラエヴァの的確な指示によるものだろう。

 むしろ義勇軍に押され、後退し始めた反乱軍の最後尾に、フェラニカ率いる部隊が怒声を上げながら突撃した。

 義勇軍の奇襲は予測していたようだが、俺の部隊の動きまでは把握していなかったのだろう。

 挟撃される形となった反乱軍は混乱に陥った。

 足元の悪さに数騎は足を取られるが、それに怯むことはない。

 部隊は反乱軍を二分するように道を広げながら蹂躙して行く。

(勝ったな――)

 俺は、まるで道を見失った蟻のように右往左往する彼らを嘲笑った。

 軍と言う名を冠し、場数を踏んではいても、所詮彼らは軍人ではない。

 仲間内で怒声が飛び交い、反乱軍は身動きがとれなくなっていく。


 そこに突然、一際大きな雷鳴が響き渡った。


 はっと空に視線を走らせると、大粒の雨がぼたぼたと地面に落ち、それはすぐにどしゃぶりの雨へと変わった。

 空はどす黒く、雨雲が低く垂れ下っている。

 俺は思わず舌打ちした。

 あと少しだというのに。

 そんな俺の思いとは裏腹に、あっという間に地面は濡れ、先日の雨で湿気を含んでいた土は見る間に泥と化す。

 こうなると騎馬はその泥に足を取られ、動きが一気に鈍った。

 歩兵中心の反乱軍は、それを好機と盛り返し始める。

(まずいな……)

 だが、既にフェラニカ率いる部隊は戦場の奥深くに切り込んでいる。

 視界はさらに暗く、雨はますます激しくなった。

 入り乱れる戦場で、次第に二分していた反乱軍が再び一つになりつつあった。

 マラエヴァの軍の様子も当然、全く分からない。

(ここはいったん、引き上げるべきか)

 戦場の見極めを間違えると、二度と立ち上がれない程の敗走につながる。

 そうなる前に決断しなければならない。

 だが、いつの間にか近くにハンの姿もなく、目の届くところには少数の部下しかいなかった。

 そこへ、こちらに向かってくる騎兵の集団が視界に入る。

(ハンか、フェラニカか?)

 こちらの意図を読み、引き上げてきたか。

 だが、瞬間何かが違うと感じた。

 先頭を走っていた騎兵の一人が擦れ違い様こちらを見るや、馬を巧みに操り、馬首を返して歩み寄ってくる。

「察するに、そこに居るのは一軍の将とお見受けする!」

 聞き覚えのない、野太い声。

 雨で視界は酷く悪かったが、近づいて見ればそれは敵兵だった。

 反乱軍にしては珍しく立派な鎧を身にまとい、騎乗している。

 反乱軍の中においても、それなりの将だろう。

 俺は一瞬のためらいの後、応えた。

「いかにも! 聖教騎士団の一軍を預かる司教セルベクである」

「オレはこの軍を指揮するアドルである! いざ、尋常な一騎打ちを所望したい!」

 敵将アドルはここで俺を潰し、騎士団を敗走させ、義勇軍に戦力を集中したいのだろう。

 だが俺としても、それは不利になりつつある戦況を一気に逆転する機会だ。

「良かろう!」

 互いの利害が一致した一騎打ちとなった。

 土砂降りの雨が大地を穿つ。

 この雨の中でも慣れた様子で馬を寄せるアドルは、それなりに腕も立つのだろう。

 俺も馬を寄せ、相手との距離を計る。


 互いの剣が届く、間合いに入った瞬間。


 俺とアドルはほぼ同時に踏み込み、剣と剣が甲高い音を立てた。

 そのまま間髪入れず、互いに剣を交える。

 アドルの剣は洗練さはなかったが、時々ハッとするような鋭い攻撃を繰り出してくる。

(やりづらいな……)

 おそらく自己流なのだろうが、こちらの一撃を次々と阻む剣の腕は目を見張るものがある。

 俺は勢いよく剣を弾き返し、再び間合いを取る。

 アドル独特の流れに乗ってはならない。

「いい腕をしている! お前が望むなら、部下として厚遇してやるぞ!」

 土砂降りの雨の中、俺は声を張り上げた。

 アドルは滴る雫を払い、再び剣を握りなおす。

「ぬかせ! 貴様らの教会の人間の言うことなど誰が信じるか! 貴様らはいつもそうだ。甘い言葉と恐怖で我々を煽り、払えきれぬほどの多額の布施を要求する。それが払えぬとなると今度は反徒扱い! 無抵抗な農民を虐殺したのは、お前ら聖教騎士団だろうが!」

(なるほど。この男、そこまで知っているのか……)

 だが、あの時の指揮官が俺だったことまでは知るまい。

「ゼシュラム様はおっしゃった! このような蛮行を繰り返す今の歪んだ教会の在り方を、神はお許しにならないだろうとな!」

 そう言うが早いか、アドルは再び俺に切りかかってきた。

 俺もそれを素早く受ける。

 アドルが繰り出してくる斬撃は、どんどん重くなっていくように感じられた。

 まるでアドルの執念が乗り移ったかのように。

「我々が、この国の腐敗を一掃してやる!」

 アドルの重い一撃を剣で受け、俺は剣越しに見やる。

「奇遇だな。――俺も同じだ」

 そう言って口を歪めると、アドルは一瞬その動きを止めた。

 俺はその隙を逃さず、アドルの剣を絡めとり、それを天高く弾き飛ばした。

 甲高い音が響き、剣は地面に突き刺さる。

「これで終わりだ」

 俺はそのまま止めをさそうと剣を構えた。

 だがその時、周囲で戦っていた別の歩兵の槍が、偶然にも俺の馬の首を掠めた。

(何――っ!)

 俺の馬が驚きで棹立ちになる。

 そんな好機をアドルが見逃すはずもなく、彼が素早く腰にある予備の剣を引き抜いた。

「く……!」

 驚く馬の手綱を操る無防備な俺に、アドルは容赦なく斬りかかってきた。

「天は我に味方した!!」

 勝ち誇ったようなアドルの声が響く。


 俺が瞬間、覚悟を決めたその時。


 大地を振動させる一団が、俺とアドルの間に割って入った。

 驚いてアドルは馬を引き、俺も辛うじて馬を操ってその場を退く。

 燦然と輝く鎧に身を包んだ騎兵と、それに従う騎馬の一団。

(マラエヴァ……!)

 反乱軍の囲いを突破し、ぬかるみの少ない林道を抜けてきたのか。

 マラエヴァは馬首を返すと、そのまま刃をきらめかせた。

 そしてその次の瞬間には、アドルの首は宙を舞い、地面に転がり落ちていたのだった。



 アドルという将を失った反乱軍は一気に瓦解。

 完全に烏合の衆となり下がった。

 総崩れとなって敗走する反乱軍を、フェラニカとマラエヴァの部下が率いる部隊が追撃する。

 いつの間にかあれほど降りしきっていた雨は、少雨に変わっていた。

 追撃する兵の声が、まだ遠くに聞こえる。

 傍まで馬を寄せてきたマラエヴァは、兜を脱いで俺を見た。

 俺も兜を脱ぎ、泥と雨の匂いに満ちた空気を吸い込む。

 すっと頭が冷えるのを感じた。

「これで学院時代の借りは返したぞ」

 マラエヴァは突如、目を細めてそう言った。

 思いがけない一言に、俺は驚いてマラエヴァを見返す。

「そういう算段か。――運が悪いな。どうせならもっと重要な局面の方が良かったんだが」

 俺が肩をすくめると、マラエヴァは少しあきれたような顔をした。

「これ以上まだ重要な局面があるのか?」

 マラエヴァの部隊がいなければ、俺は今頃、そこらに転がる死体のひとつになっていただろう。

 命を助けられたわけだが、それでもこれは俺の想定外の出来事だった。

「まだまだ先は長いからな」

 負け惜しみのように言う俺に、マラエヴァはとうとう笑い出した。

「そう上手くいくものか。人生とは、思い通りにいかないから人生なのだ」

 マラエヴァの言葉に俺も思わず笑った。

「人生を達観した老人みたいなことを言うんだな」

「老人とは――。言ってくれる」

 互いの顔を見合せて笑い合う、俺とマラエヴァ。

 そんな様子を、側近の兵士たちが不思議そうに眺めていた。





挿絵(By みてみん)


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