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黒き聖伝  作者: ヨクイ
【青年編】
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第19話 落ちぶれた騎士団①

 聖教騎士団とは、主に国外から侵攻してくる異教徒と戦うことを想定し、創設された騎士団である。

 騎士団に所属する者は聖職者との位置づけになってはいるが、創設当初はやはり戦闘に特化した者の集まりで、初代、その頂点で指揮を執っていたのは武官であったと言われる。

 とはいえ、長らく異教徒の侵攻を受けなくなってから、その存在は形骸化。

 名目上は教会を守護する騎士団とされてはいるが、実情はといえば、教会だけでなく、政界などから追い落とされたような者たちの吹き溜まりとなっていた。


「見えてきましたよ、お客さん」

 馬車を操る御者からそう声をかけられ、俺は随分先に見えるその光景に、目を細めた。

 丸い屋根の礼拝堂が、広大な大地にぽっかりと建っている。

 さすがに軍隊を駐留させる場所だけあって、敷地はそれなりの広さがあるようだった。

 だが、徐々にその建物が近付くにつれて、俺は目に入っているその建物が本当に聖教騎士団のものなのかと疑いたくなった。

 遠くからはそれなりの建物のように見えたが、近づいてみるとそれは廃墟同然に崩れかけており、礼拝堂だけに限らず、その周囲に点在する宿舎らしき建物なども似たような状態だった。

 敷地内を歩くのは、薄汚れた服を着た、気力を失ったような者たち。

 敷地内にいるということは、あれでも一応聖職者なのだろうが、俺はまるで場末かスラムにでも来たような錯覚を覚えた。


(想像以上だな……)


 これでは確かに、"最果ての左遷先"と呼ばれるのがふさわしいだろう。

 馬車が適当な場所に止まると、御者がそわそわした様子で、俺が降りるのを急かした。

 どうやら、身の危険を感じているらしい。

 敷地内からは、途切れ途切れに喧嘩のような怒鳴り声も聞こえてくる。

 御者がその声にいちいち首をすくめるので、俺は苦笑いした。

 荷物を受け取り、もう帰っていいと告げると、彼は驚くべき速さで馬車に乗り込み、あっという間に遠ざかって行った。

 それを見送ると、俺は周囲をぐるりと見渡した。


(さて、どうしたものか……)


 案内の者がいるはずなのだが、見当たらない。

 ただそこで待っているのも馬鹿らしいので、俺は仕方なく荷物の入ったトランクを手に持ち、敷地内に入って行った。

 とりあえず建物の方に向かって歩いていると、反対側から俺の方に向かって歩いてくる助祭を見つけた。

 どうやらあれが、案内役のようだ。

 俺の姿を認めながらも、その助祭は急ぐこともせず、面倒くさそうに歩いてくる。

 近くまで来ると、その男は垂れていた頭を持ち上げた。

「ああ……。新しく来た……」

「セルベクです」

「ああ……。こちらへ……」

 どこか病んでいるのではないかと思うようなその助祭は、ボソボソとそう言って、先に立って歩き始める。

 本来ならばその助祭が荷物のひとつも持つのが当たり前なのだが、彼はそんな素振りを一切見せることもない。

 俺はまた仕方なく自分でトランクを持ち、男の後に従った。


 建物の中は、外見と大差のない荒れようだった。

 汚れで黒ずんだ壁。

 あちこちにクモの巣が張っており、廊下の隅にはゴミやほこりがたまっていた。

 ここまで来ると、もはや飽きれを通り越して感心する。

 よくこんな場所で生活できるものだ。

 助祭の男はそんなことに頓着する様子もなく、一言もしゃべらずに、俺を団長の部屋の前まで案内した。

「団長はこちらです……」

 ぼそっとそれだけ言うと、男は俺が動くのをじっと待っていた。

 どうやら、部屋には俺だけ入る段取りらしい。

 小さなため息をひとつつき、俺が古びた扉をノックすると、「入れ」と言う太い声が返ってきた。

 助祭を残して俺が部屋に入ると、武人然とした、だが少しくたびれたような風采の男がいた。

 年の頃は四十かそこらだろう。

「貴様か。金と親の力で司祭までのしあがったという男は」

 開口一番、男はまるで汚いものでも見るかのように、俺を見た。

 初対面だというのに、この団長と見られる男には既にかなり嫌われているようだ。

「セルベクです。よろしくお願いします」

 低姿勢でとりあえず名乗ると、男は鼻をふんっと鳴らした。

「この騎士団の団長、ルダンだ。覚えておけ。――言っておくが、俺は貴族が嫌いだ。自分の力ではなく、金の力、コネの力で上がってくるやつも嫌いだ」


(なるほど。それで俺は嫌われている訳か……)


 ルダンの名前には聞き覚えがある。

 平民出身ながら、その勇猛さで何度も王を助け、近衛兵隊長までのし上がった男だ。

 その物語のような出世ぶりと、王を助けた功績から、民衆の間では英雄ルダンと呼ばれていた。

 だが、それが気に食わぬ貴族たちから策略に陥れられ、どこかに左遷されたと耳にしたことがある。

 それがまさか、こんなところでその英雄に会うことになろうとは。

 しかも、この男が俺の上司になるわけだ。

「さしずめ私は嫌いなものの総づくしといったところですか」

 肩をすくめてそう言うと、ルダンは俺を脅すように見返してきた。

「分かっているじゃないか。ここでは親の力や金が通用すると思うな」

「胆に銘じておきます。――当面、私は何をすればよろしいでしょうか?」

「小隊を一つ任せる。一応司祭だからな。ただし、問題の一つでも起こしてみろ。即座に首にして、この世界からたたき出してやる」

 この騎士団と言わず、宗教界からと来たか。

 そもそもこの寂れた騎士団から叩きだされたところで、これ以上、下に落ちようもない気がするが。

 俺は苦笑いした。

「了解しました」

「用はそれだけだ、質問がなければとっとと失せろ」

 そう言ってルダンがそっぽを向いたので、俺は大人しく退室した。


 廊下で待っていた助祭の男が、俺を見る。

「小隊の建物まで案内します……。こちらへ……」

 また聞き取りにくい声でそう言うと、助祭の男は先に立って歩き出した。

 先ほどまでいた建物を出ると、同じように朽ち果てようとしている危うい建物がいくつか見えた。

 その中の一つの建物の扉を開け、助祭の男はまた歩き出した。

 建物の中にいても、窓は風でガタガタ揺れ、隙間風が吹きこんでくる。

 薄暗い廊下を歩いて行くと、助祭の男は扉のない、大きな部屋の前で立ち止まった。

 すると、それまで聞こえていた複数の野太い声が消え、沈黙が訪れる。

 そして、部屋の中にいた男たちの視線が一斉に俺に降り注いだ。

 三十代前後の男たちが十人ほど、部屋の中で好き勝手にたむろしている。

 いぶかしげに俺の顔を見る荒んだ男たちを見ていると、まるでスラム街にいるような気分になった。

「ええ……、新しい小隊長になられる……。ええ……、お名前は……?」

 先ほどこの助祭の男には名乗ったはずなのだが、聞いていなかったのか、忘れてしまったのか。

「司祭のセルベクだ」

 とりあえず、短く名乗っておく。

 どうせ気に食わないのなら、何らかのリアクションがあるだろう。

 不意に下士官学校の頃を懐かしく思った。

 あの頃もこんな調子だった。

 お世辞にも雄々しいとは言えないこの顔に、女性は好意を寄せてくれるが、大概の男は舐めてかかってくる。

 外見からして自分より弱そうだと勝手な判断を下すのだ。

 そしてそこにいた男たちが示した反応もまた、全くその通りのものだった。

「小隊長? どこの小鳥ちゃんが紛れ込んできたのかと思ったぜ」

 大柄な男がそう言うと、それに同調して他の男たちもゲラゲラ笑う。

 すると別の男がするっと立ち上がって俺の方に向かって歩いてきた。

 俺より頭ひとつ分は大きい。

 男は低い声で、わざと見下ろすように、脅しをかけてきた。

「ここはお前みたいなやつが来るところじゃねぇし、俺らはお前みたいな男女を小隊長なんて認めねえ。尻尾巻いてとっとと帰りな」

 俺はため息をついた。

 やはりこういう輩は、痛い目をみないと分からないらしい。

「お前ら、よくこんな劣悪な環境で生きていられるな? これならどんなゴミ溜めに送られても、害虫並にしぶとく生きられそうだ」

 わざと軽蔑の色を浮かべてせせら笑うと、目の前にいた男の顔色が変わった。

 周囲の男たちも気色ばんでこちらを見る。

「なんだと、コラ!? 俺らが優しく上司様に忠告してやってんのによぉ? 喧嘩売ってんのかっ!」

 男が俺の胸ぐらを掴もうと右手をのばしてきたのを、手刀で払う。

「おいおいおいおい! なめてんじゃねえぞ!」

「それはお前の方だろう? 仮にも上司に向かって、その態度はないな」

「野郎……!」

 それが合図だった。

 殴りかかってきた男の拳を紙一重で避け、そのまま相手のみぞおちに拳を打ち込む。

 仮にもこれから部下になる者たちだ。

 多少は手加減してやることにする。

 最初の男が崩れたのを見て、別の奴が俺を羽交い絞めにしようする。

 その男のつま先を踏みつけ、怯んだすきに体をひねって即座に肘鉄を食らわす。

 驚く男の鼻を殴ると、男はそのまま鼻血の出る鼻を両手で抑え込み、痛みに耐えきれずに座り込んだ。

 そのあとは、独擅場だった。

 半ば呆然とする男たちの隙間をぬって、次々に軍の格闘技で壁に叩きつけてゆく。

 最後に残ったのは、おそらく、この中でもリーダー格の男。

 最初に声をかけてきた奴だ。

「さて。ちょっとは学習したか? これでも手加減してやったんだぞ」

 一人残った男は黙って俺をにらみ、うずくまる他の仲間たちを一瞥いちべつした。

「わかった。わかったよ。俺たちの負けだ。小隊長。認めてやるよ」

 降参のポーズをとる男を、俺は冷やかに見下す。

「お前の頭の中は空か? ここのボスは誰だ? もう一度言ってみろ」

「……すみません。小隊長殿です。俺たちは小隊長殿に付き従います」

 まさかここに来てまでかつてのような立ち回りをするとは思わなかったが、まあ仕方あるまい。

「分かればいい」


 こうして俺はこの日、聖教騎士団の小隊長として迎え入れられたのだった。

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