第三十四話 友達として守りたい
花が乗った車はフェニックス・シンジケート本部があるビルの地下駐車場に入った。
「停めてください!」
駐車スペースに入る前に、花は運転している黒服に言った。
黒服はバックミラー越しに亀谷の顔を見たようであったが、亀谷の承諾が得られたのか、すぐに車を停めた。
待ちきれなかったようにドアを開けた花は、すぐ後ろに停まった車に駆け寄った。
しかし、花がドアに手を掛ける前に、後部座席から出てきたのは青葉だった。
「青葉ちゃん!」
花は思わず青葉を抱きしめた。
「大丈夫なの? ピストルで撃たれたように見えたから、すごくびっくりして……」
最後の方が涙で声がかすれてしまった。
「花さん……」
青葉も言葉を発することなく、花を抱きしめた。
「若奥様。青葉は大丈夫ですよ。ちゃんと足もあるでしょう?」
デリカシーとは無縁の亀谷の言葉に青葉も呆れ顔を見せながら、花から身体を離し、「花さん、行きましょう」と泣きじゃくる花の背中をやさしく押した。
花と青葉、そして亀谷がエレベーターに乗ると、亀谷が秘密の操作をして、エレベーターはさらに地下に降りていった。
開いた扉から出ると、そこは花が初めて見る場所であった。
「こちらです」
亀谷は廊下の突き当たりにある大樹の執務室に花と青葉を連れて行った。
ドアをノックして開いた亀谷が、「若旦那様、お連れしました」と部屋の中にいた大樹に告げた。
大樹は事前に連絡を受けていただろうが、無事な花の姿を見て、ほっとしているようであった。
ゆっくりと花に近づいた大樹は優しく花を抱きしめた。
「ごめんよ、花。花を危険な目には遭わさないって約束していたけど、こんなことになって」
「ううん。私は大丈夫。でも」
大樹から体を離した花は、大樹の目をじっと見つめて「本当のことを教えてください。どうして青葉ちゃんがここにいるの? どうして青葉ちゃんが狙われなくてはいけないの?」と問いただした。
大樹は花から目を外して、青葉に向かって「僕から話して良いかい?」と尋ねた。
「私が言う。自分のことだしね」
前に進み出た青葉が花の前に立った。
「花さん、私はただの女子高生ではないのです。実は、私は稲山会のために、とある稼業を行っていたんです」
「い、稲山会のために?」
「ええ。いろんなことをやってきました。例えば」
「やめて!」
出てきた「稲山会」という名前から、青葉の「やってきたこと」の想像がついた花は、その言葉を青葉の口から聞きたくなかった。
「もう良い。聞きたくない」
青葉は悲しそうな顔をして花を見つめた。
「軽蔑してください。私のこれまでの人生は血なまぐさく汚れているんです」
「……」
「でも、私はもう稲山会とは手を切っています。そして、次期総帥から花さんの護衛を頼まれました。その仕事にこれまで感じることがなかったやりがいを感じていました」
「……」
「でも、私は、花さんのような方とは無縁の世界で生きてきた人間なんです。できれば、このまま花さんには内緒にして、花さんの近くにいたかったです。でも、知られてしまった。だから、花さんがそんな人間である私に側にいてほしくないというのなら、いさぎよく身を引きます」
花は何も言えずに、うつむいてしまった。
「本当に良いのかい、青葉?」
しばらく時間をおいて発せられた大樹の問いに、青葉は無言でうなずいた。そして花に向かって軽く頭を下げた。
「花さん、短い間でしたけど、楽しかったです。ありがとうございました」
花が何も言わなかったことで、青葉は花に拒否されたと考えたようだ。
花もそれを感じて、顔を上げ、「待って!」と青葉に言った。
「青葉ちゃん! 私の前からいなくなって、今度はどこに行くの?」
「あてはないですけど、一人で生きていくことには慣れてますから」
「青葉ちゃんを一人になんてさせない!」
「えっ?」
「人は一人で生きていけるわけがないよ!」
「……」
「あの夢の木坂学園の子供たちだって、みんなで一緒に暮らしているから、あんなに明るく笑っていられるんだよ」
「……」
「一人で暮らしてて、青葉ちゃんは笑えるの?」
「……」
「青葉ちゃんの笑顔ってすごく素敵なんだよ! 笑っている青葉ちゃんが私は大好きなんだよ!」
「は、花さん……」
青葉に一歩近づいた花が背の高い青葉を見上げるようにして見つめた。
「逆に訊く! 青葉ちゃんは私の隣に居たくないの?」
「そ、それは……、居たいです」
「じゃあ、私の隣にいて! 私にまた素敵な笑顔を見せて!」
「……」
「来年の三月の卒業式まで一緒に笑おうよ! いっぱいお話もしようよ! 一緒に遊びに行こうよ! だって、せっかく出会えた同級生じゃない! 友達じゃない!」
「花さん……」
青葉がうつむいた。泣いているようにも見えたが、涙は落ちなかった。
「花さん、あなたは飛鳥財閥次期総帥飛鳥大樹氏の奥様です」
顔を上げた青葉が険しい顔で語りかけた。
「あなたはその立場がどんなものかご存じですよね?」
「う、うん」
「飛鳥財閥は日本一の富豪です。大きなお金が動く先には、それにたかってくるハエのように、いろんな欲望を抱えた連中が寄ってきます。その中には理不尽な憎しみを抱えて近づいてくる奴らもいます」
「……」
「花さんは、次期総帥の妻となった時からその危険にさらされています。今はまだ公表していませんから、数は少ないでしょうが、花さんを危険に陥れようとする連中は必ず来ます。もし花さんが許してくれるのなら、私はそんな花さんをお守りしたいんです」
「でも、私は青葉ちゃんをそんな危険な目に遭わせたくない!」
「もう慣れっこです。それに花さんを守ることは、今、花さんが言われたことを私ができるようにするためにも必要なのです」
「ど、どういうこと?」
「私は、世の中の裏側を嫌と言うほど見てきました。それは汚くて、臭くて……。花さんには絶対に見てもらいたくないです。先ほど襲ってきた奴は、私に個人的な恨みを持っている奴でしたが、これでカタはついたと思います。だから、これからも花さんの護衛をさせてください。なぜって、私も花さんと一緒に笑いたいからです。もっとお話もしたいからです。でも、それもこれも花さんがいなくなってしまえば叶わないことです。花さんを守るということは、自分のためなんです」
「青葉ちゃん……」
「許されるのであれば、ずっと、おそばでお仕えいたします。若奥様」
青葉が跪いて、頭を垂れた。
「やめて、青葉ちゃん!」
跪いたまま、顔を上げた青葉に、花が優しい顔つきで「立って、青葉ちゃん」と手を差し伸べた。
その手を握って、青葉がゆっくりと立ち上がると、花は「私が許すとか、そんな話じゃなくて、私から青葉ちゃんにお願いする。ずっとそばにいて、青葉ちゃん! 友達として!」と手をつないだまま、にっこりと笑った。
すくっと立ち上がった青葉も満面の笑みで答えた。
「若奥様、そろそろ時間ですよ」
春の家で、春と青葉とともに、ちゃぶ台でお茶を飲みながら他愛のない話に夢中になっていた花に青葉が告げた。
「本当だ! じゃあ、お婆ちゃん、行ってきます!」
元気に立ち上がった花と青葉に春が「行ってこい。青葉もな」と笑顔で言うと、青葉も照れくさそうに「行ってまいります」と春に頭を下げた。
二人きりの時には花のことを「若奥様」と呼び出した青葉も、外では「壁に耳あり障子に目あり」で同級生の顔で今までどおり「花さん」と呼んでいた。表向きはもともと丁寧な言葉遣いで、花の専属ボディガードとなってからも違和感はなかった。
また、春の家の三軒隣にあるアパートに引っ越してきて、土日には春の護衛の手助けをすることも任されるようになっていた。
そんなこともあって、春は青葉をときどきは食事に呼んでいるらしい。青葉がこれまで経験できなかった「家庭」の雰囲気を少しでも味あわせてあげたいのだろう。
春の家から、みどりと待ち合わせをしている地下鉄の駅に並んで歩く花と青葉であったが、明日からは夏休みという今日は朝から日差しが照りつけ、もう夏本番であった。
そのためか、超お嬢様学校で、車での送迎も認められている白薔薇学園の生徒らしき姿が後部座席に見える黒塗り高級車が何台か追い抜いて行った。
「高校を卒業すれば、花さんも結婚の事実を公表されるのですから、車で通学することになりますね」
「そうだね」
高校を卒業した後、総帥夫人として恥ずかしくないような教養を身に付けるため、半エスカレーター式に行ける白薔薇学園女子大学に進学することも決めているが、花が大樹との結婚の事実を公表すれば、危険な連中が集まってくることは目に見えている。今と同じように徒歩で通学するわけにはいかないだろう。
「青葉ちゃんも一緒に進学してくれるんだよね?」
「もちろんです。車の運転もさせていただきます」
「青葉ちゃんの運転だと、きっと安心だろうな」
「おまかせください。今でも乗れますから」
「えっ? 青葉ちゃん、確か九月生まれじゃあ?」
「そうですけど、偽造免許を持っていて、もう何度も運転しています」
「そ、そうなの?」
「九月になって十八歳になれば、実技試験一発合格の自信もありますので、すぐに正規の免許も取っておきます」
「うん」
「花さんはどんな車がお好きですか?」
「全然、知らないし、分からない」
「皆さんと同じように黒塗り高級車にしましょうか?」
「絶対、私には似合わないと思う」
青葉が思ったとおりの答えだったのだろう。青葉も思わず微笑んで、「では軽自動車にでもしましょうか?」と花に尋ねた。
「青葉ちゃんに任せる。でも、可愛いのが良いな」
「分かりました」
夫である大樹を通じてではあるが、巨万の富とそれに伴う絶大な権力を手にしているにもかかわらず、それを誇示しないばかりか、使おうともしない花に痛快さを感じているのか、青葉が面白そうに笑った。
学校までの途中にある地下鉄の駅の出入り口でみどりと合流してからは、青葉は護衛としての顔を隠して、今までの三人と同じ雰囲気で、花とみどりの話をニコニコと微笑みながら黙ってついてくるポジションのままであった。
しかし、今まで以上にその笑顔がうれしそうに見えるのは、花の勘違いではないはずだ。
(完)
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