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第三十一話 飛鳥のブランド

 失禁して気を失って倒れている黒崎くろさきの周りに、チェンソーを持った仮面の男と長い黒髪を振り乱した血みどろの女が立っていて、そして大樹ひろきがいた。

「しかし、そんなに腹が出たチェンソー殺人鬼は初めて見たぞ」

「あははは」

 大樹の言葉に血みどろ女が大笑いをした。

 チェンソー殺人鬼が仮面を取ると、亀谷かめたに強面こわおもてが現れた。

青葉あおば! 笑いすぎだ!」

「だってさあ……」

 実際に箸が転んでもおかしいお年頃の青葉は笑いをこらえることができなかったようで、腹を抱えて体を小刻みに震えさせていた。

 その姿には、この「業界」で恐れられていた殺し屋の雰囲気はどこにもなく、普通の女子高生と言ってもおかしくはなかった。

「それで、こいつはどうするんだい?」

 笑いを納めてから、青葉が黒崎を見下ろした。

「警察に来てもらおうか。警察の連中も黒崎の横柄な態度に辟易していたみたいだから、溜飲を下げるんじゃないかな」

「なるほど」

「じゃあ、撤収をしよう。ああ、先に気絶をさせている奴らも黒崎の近くに転がしておくように」

「へい」

 あとはフェニックス・シンジケートの若い者に任せて、大樹と亀谷、そして青葉は玄関に横付けした大型バンに乗り込んだ。

 窓すべてに黒い遮光フィルムを貼ったバンのボディには「特殊メーキャップオフィス」と書かれており、亀谷と青葉の姿を仮に誰かに見られたとしても何かの番組の出演者くらいにしか思われないだろう。

「しかし、青葉。おめえもノリノリだったじゃねえか」

「面白かったよ。もうちょっと怖がらせたかったけど、あっという間に気絶してしまったから残念でもあるけどね」

「青葉」

 血みどろ女のメーキャップのままの青葉に、大樹が優しい顔を向けた。

「君の方から参加したいと言ってきてくれるとは正直思ってなかったよ」

「そ、それは」

 メーキャップのままでも青葉が照れていることが分かった。

「これははなが望んだことではないけど?」

「確かにそうだけど、花さんの無念さを少しでも晴らしたかったんだよ」

「花の代わりにかい?」

「そうだね。花さんは、こんなことは考えもしないだろうけどね」

 花が一生懸命に取り組んできたことを青葉は見ている。青葉自身も悔しいと感じていたのかもしれない。

「青葉。花の護衛の話だが」

「もう返事は決まっているよ。言うまでもないだろ」

「そうか。ありがとう、青葉」

「あんたが花さんを好きになった理由も分かったよ。私もあんな人は初めてだよ。だから、側にいると面白い」

「花にはどうしようか?」

「……今はまだ黙っていてほしい。陰からでも、私は花さんを必ず守ってみせるよ。花さんは私の……初めてできた同い年の友達でもあるしね」



 黒崎弁護士の帰りが遅く、また弁護士本人や同行している事務員とも連絡が取れないという事務所からの通報で駆けつけた警察官によって黒崎弁護士たちは発見し保護された。

 フェニックス・シンジケートによる工作は跡形もなくすべて撤去され、ただの空き家で黒崎とその取り巻きの連中が失神していただけであった。

 もちろん「お化けが出た」という黒崎の訴えを警察がまともに受け取るわけもなく、仮にその訴えが本当だとしても、黒崎や事務員に身体的な怪我はなく単なる悪戯と判断され、また普段から警察に対しても尊大な態度を取っていた黒崎に警察官たちも「いい気味だ」という気持ちがなきにしもあらずで、裏から飛鳥が圧力を掛けるまでもなく、捜査に本腰が入っておらず、迷宮入りになるのは確実であろう。



その日の夜。

「花」

 ベッドに座って、本を読んでいたパジャマ姿の大樹が、ドレッサーの前でお肌のお手入れをしていた、同じくパジャマ姿の花を呼んだ。

 結婚前はそもそもお肌のお手入れをするお金さえなかったが、飛鳥家の嫁となり、いつまでも大樹から可愛がってほしいと思う花は、きちんと自分を磨くこともするようになった。

 もっとも使用している化粧品は、高級な物ではなく、多くの若い女性が使っているリーズナブルな物であった。

「何、大樹さん?」

「夢の木坂学園のことだけど」

「えっ!」

 すぐに反応した花は、ベッドに飛び込むようにして、大樹の横にぺたんと座った。

「うん!」

 すぐに続きをせかすようにキラキラと瞳を輝かせる花に、大樹がいつもの優しい笑顔を見せた。

「あの場所で存続させることは不可能だった」

 落ち込んだ表情を見せた花は、「だけど」という大樹の言葉で、すぐに期待をする顔になった。

「少し西に売りに出されていた土地があったから、そこに移転をしてもらうことを考えている」

「本当に?」

「うん。広さも今の倍近くある。建物も新しく建てるよ」

「でも引っ越しするまでの間は?」

「あの土地の買い主の会社が夢の木坂学園の移転が終わるまでは学園の取り壊しは待ってくれることを了承してくれたよ。そして買い主の会社に対しては、学園の移転までは飛鳥が借地料を払うことにしたから買い主が不利益を被ることはない」

「ひょっとして、無理なお願いしちゃった?」

 飛鳥の嫁として贅沢や理由がつかないお金の使い方はしないと約束をしていた花だったが、その約束を破ってしまったのかもと心配になった。

「いいや。飛鳥が払う借地料は、確かに経済的な利益はもたらさないけど、企業は社会的責任も果たさなきゃいけない。売り上げから得た利益を自分たちだけで分けるんじゃなくて、社会にも還元する必要がある。今回の夢の木坂学園の移転は、飛鳥財閥がその責任を果たす一環ということで、うちの役員会でも全員一致で決定したよ」

「じゃあ、大樹さんのお仕事にも役立つの?」

「もちろんだよ。企業にはイメージとかブランドとかがつきまとう。福祉にも力を入れているということで飛鳥グループ全体のイメージアップが図れるし、取引先からも喜ばれるだろう」

「うれしい!」

 花は思わず大樹に抱きついてしまった。

「おいおい」

「ありがとう! 大樹さん!」

 花の目から大粒の涙が流れてきた。

「そんなにうれしかったのかい?」

「だって、あの子たちがこれからも一緒に暮らせるんだもん!」

「そうやって他人の幸せを自分の幸せにできる花は、さすが僕が惚れ込んだだけはあると、自分でも誇らしいよ」

 泣きじゃくる花を大樹が優しく抱いてあやしてくれた。



 飛鳥財閥による夢の木坂学園の新築移転計画は、飛鳥総合企画本社からマスコミにメモが配信されただけの発表があった。記者会見すら行われなかったことや、表向きは「飛鳥財団」という外郭団体が行ったことで、記事にしたマスコミはなかった。

 夢の木坂学園の園長からぜひお礼にうかがいたいとの連絡を受けた大樹は、花から園長は高齢の女性だと聞いていたので、自らが夢の木坂学園を訪れた。

 花があれだけ一生懸命になっていた学園を見ておきたかったということもあった。

「このたびは本当にありがとうございました。どれだけお礼を申し上げても足りないくらいです」

 執務机と質素な応接セットがあるだけの園長室で大樹は園長と面会していた。

「いえいえ。非常にお困りだと知り合いから聞いたものですから」

「その飛鳥様のお知り合いというのは、私どもが知っている方なのでしょうか?」

「ええ。園長先生はご存じだと思いますが、今は申し上げることはできません。でも、そのうち分かるでしょう」

「そのうち?」

「そうですね。来年の春以降には」

 含み笑いをする大樹に、園長も深く訊いてくることなく、「そうですか。その時がくれば、私どももあらためでその方にお礼を申し上げたいと思います」と言った。

 園長室のドアが遠慮がちにノックされた。

「どうぞ」と園長が言うと、同じシスター姿の女性職員が顔だけを見せて「白薔薇学園の生徒さんがいらっしゃいました」と園長に告げた。

「申し訳ありません、飛鳥様。今日は、いつもボランティアに来ていただいている近くの学校の生徒さんがいらっしゃる日でして、私も挨拶をしてこなければなりません」

「では、私はそろそろおいとまさせていただきます」

「申し訳ございません」

「いえいえ。では、新たな園舎の設計については、うちの担当者が相談させていただきますので、どんな細かな注文もどんどんと出してください」

「ありがとうございます」

 園長の案内で、玄関まで出た大樹は、玄関前にたむろする白薔薇学園の女生徒たちの注目を浴びながら正門近くに停めている自分のスポーツカーに向かった。

 途中、目が合った花と、周りには気づかれないように目配せをしてから、車に乗り込み、華麗に去っていた。



 まさかのイケメンが夢の木坂学園の玄関から出てきて、白薔薇学園の女生徒たちは騒然となっていた。

 大樹が去った後、「あれは確か……、飛鳥の社長さんじゃ?」とセレブの人物辞典が頭の中に入っていると思われる綾小路あやのこうじ瑠璃るりが呟いた。

 セレブな家庭の生徒が多いだけに、高校生でありながら、「飛鳥」の名前を出すだけでほとんどの生徒が反応していた。

「あれが噂の日本一のお金持ち?」

「超素敵なんですけど!」

「ハーバード大卒業の超インテリでもあるんでしょ?」

「何それ! 容姿、資産、学力の三つとも高いなんて!」

「まだ独身らしいわよ」

「本当に? 私、マジでストーカーしちゃおうかな」

 そんな大樹が自分だけを愛してくれている旦那様ということで、少しだけ鼻が高くなった花であったが、大樹の隣にいて恥ずかしくない女性に、飛鳥の嫁としてふさわしい人間になろう、そのための努力は惜しまずに頑張ろうという気にもなったのだった。

 

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