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第十八話 蘇る祖母の思い出

「婆さん、久しぶり」

「久しぶりじゃのう、大樹ひろき。まあ、入りな」

 老婆は、モンペに似たズボンをはき、割烹着を着ていて、一般的な「お婆ちゃん」のイメージそのもので、日本一の富豪の一族にはとても見えなかった。

 リモコンでテレビを消した老婆の前に大樹とはなは並んで座った。瀬場せばは襖の近くに正座した。

「その子が大樹の嫁さんかえ?」

「うん。紹介するよ。僕の奥さんになってくれた花だよ」

 花は、「花と申します。よろしくお願いします」と三つ指を突いた。

飛鳥あすかはるじゃ。よろしゅうのう」

 笑いじわとでも言うのだろうか。いつも微笑んでいるかのような優しい顔立ちの春が、自分の祖母の面影とダブった。

「花さんはここから学校に通うのじゃろ?」

「そうなんだ。婆さんには迷惑を掛けるね」

「何の何の」

 大樹が春から花に顔を向けた。

「花」

「はい」

「花には、さっき通った秘密通路を通って、この家から登校してもらうことになる。両親が亡くなって、今は祖母と一緒に暮らしているという、事実とそれほど違わない設定で、学校とか近所づきあいをしてもらうことになる。結婚を公表した時に、実際とそれほど事実関係が違わないようにした方が良いと思うからね」

 外向けには、ここが花の家だということになる。

「大樹がいない時には、こっちの家にも泊まりんしゃい。あの広い部屋で独りぼっちは寂しいじゃろ。儂もそうじゃったからのう」

「はい。お婆様」

「こんなみすぼらしい家のババアを『様付け』はおかしいぞい」

 確かに、大富豪の飛鳥家とは関係のない、たまたま同姓の祖母を様付けで呼ぶのは不自然だった。

「えっと、じゃあ」

「何なら、『このクソバアア!』でも良いぞい」

「そ、そんな」

「以前と同じで良いんじゃないかな」

 大樹が優しい顔で言った。

「お、お婆ちゃん、ですか?」

「まあ、それが一番、自然だわな。じゃあ、儂も『花』と呼び捨てにさせてもらおうかの」

「は、はい!」

 亡くなった祖母に代わって、また、「お婆ちゃん」と呼べる人ができたことが、単純にうれしかった花であった。

「ああ、お茶も出さんかったねえ。ちょっと、待っとれ」

「よいしょ」とかけ声を掛けると、春は立ち上がった。亡くなった自分の祖母よりも小柄で、年上だと思われた。

「わ、私がやります!」

 花は思わず立ち上がった。

「じゃあ、一緒にやろうかね」

「はい!」

 春について、台所まで行くと、少し懐かしい感じがする、祖母と一緒に暮らしていた頃と同じような古い流し台がある台所だった。

「おばあさ……お婆ちゃん! お茶はどこにあるんですか?」

「そこじゃよ。湯飲みはそこじゃ」

「じゃあ、あとは私がします。お婆ちゃんは座っていてください」

「年寄りは座っておれということかの?」

「い、いえ、そういうわけではなくて、その、私、今まで、ずっと、家のことは祖母にやってもらっていたんですけど、もう、結婚して、大樹さんの奥さんになったんですから、大樹さんはもちろんですけど、お母様やお婆ちゃんにも楽をしてもらいたいって思うんです。祖母にはできなかった恩返しを、皆さんにしたいんです」

「ほっほっほ」

 驚いた顔で花を見つめていた春が、うれしそうに笑った。

「花よ」

「は、はい」

「あんた、竜子たつこさんと似とるのう」

「そ、そうですか?」

「本音と建て前の使い分けなどできん女じゃ」

「……」

「姑によく思われたい一心でお茶を入れるのが普通の嫁じゃろうが、そんな猫をかぶっている感じは、まったく、せんかった。今、花が言ったことは、心からそう思っているのじゃろ?」

「は、はい」

「あの馬鹿でかい屋敷に、竜子さんが初めて挨拶に来た時、有栖川ありすがわがおったのに、儂には自分がお茶を入れると言ってのう。『何でじゃ?』と儂が問うと、儂が生んだ昌樹を奪ってしまって申し訳ないという気持ちからじゃと言うての。面白い女じゃと思ったわ」

「お母様らしいです」

「まあ、最初からシャキシャキとものを言う女で、昌樹も尻に敷かれるじゃろうと思ったが、そのとおりになったわい」

 そう言いながらも、春も楽しげに笑い、その今の状態が息子夫婦のベストな状態なのだと分かっているのだろう。

「大樹も良い嫁をもらったようじゃな」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ、お茶は花に入れてもらおうかの。儂は座っておるで」

「はい」



 花は瀬場の分も含めて、お茶を入れて持ってきた。

 お盆に載った四つの湯飲みを見た春は、「瀬場もこっちゃ来い」と、襖の近くに正座している瀬場を手招きした。

「若奥様、ワタクシの分も入れてくださったのですか?」

 まさか、使用人である自分の分のお茶を用意することなど考えてなかったようで、瀬場が少し驚きながら言った。

「入れちゃいけなかったですか?」

 花が焦って大樹に訊いたが、春が「花のこういうところが大樹も好きになったんじゃろ?」と大樹に訊いた。

「そうだね。使用人だからって、差別をするような花じゃないよ」

 瀬場は感激したような様子で、「ワタクシにお茶を入れていただいたのは、大奥様、奥様に続き、若奥様が三人目でございます」と言った。

「お婆ちゃんとお母様も?」

 歴代の飛鳥家の嫁が瀬場にお茶を入れたということらしい。

「まあ、飛鳥に嫁に来る女は、上流階級の女ではないからのう」

「婆さんも、実家は農家だったんだよね?」

 瀬場も入れて、ちゃぶ台を取り囲んだ四人は、お茶をすすりながら話を続けた。

「そうじゃ。あの人が儂の住んでいた田舎に避暑に来ていた時に花火大会があっての。そこで、あの人が声を掛けてきたのがきっかけじゃ」

 春が「あの人」と呼んでいるのは、昌樹の父親で大樹の祖父である飛鳥財閥第二代総帥の飛鳥朋樹のことだ。ヤミ金融屋から企業家の道を歩み出した初代総帥・飛鳥照樹の跡を継いで、今の飛鳥財閥を実質的に作り上げた人だったが、三年前に病気で亡くなり、飛鳥家総帥は昌樹が継ぎ、それに併せて、春もここで一人暮らしを始めたのだ。

「花よ」

「はい」

 春の人懐っこい笑顔に、花も思わず微笑んだ。

「今までと違う生活がこれから始まるじゃろう。儂もそうじゃったが、違い世界に来たのかと思うくらいじゃ。飛鳥の財力をもってすれば、贅沢をしようと思えば、いくらでも贅沢ができる。しかし、そんな贅沢ができるのも、飛鳥の歴代の旦那様が頑張って仕事をしてきてくれたからじゃ。その感謝の念を忘れてはいかんぞ」

「はい」

「大丈夫だよ、婆さん。花は、目の前に大金を積まれても、それが理由のないお金なら絶対に手を付けることはない。僕はそう信じている」

「私もお約束します! 大樹さんが眉をひそめるようなお金の使い方なんてしません! ていうか、そもそも、そんなお金の使い方なんて知らないです」

「うむ。今の気持ちを忘れることのないようにの。まあ、大樹の太鼓判も得たんじゃ。花なら大丈夫じゃろう」



 春ともいっぱい話をして、竜子同様、着飾ることのないその性格で、すっかりと打ち解けた花は、大樹と瀬場とともに、本宅に戻った。

「若旦那様、亀谷かめたに鶴屋つるやが若旦那様の執務室でお待ちかねでございます」

 メイド長の有栖川が告げた。

「分かった。花、ついて来て」

 大樹とともに、自分たちの居住スペースに戻った花は、大樹の個室というべき執務室に入った。

 そこには、大樹と出会った時に一緒にいた恰幅の良い黒服と、初対面の痩せて背が高い男性がいた。

「紹介するよ。彼らは、『フェニックス・シンジケート』という、うちの専属ボディガード集団のチームリーダーの二人で、こっちが亀谷、こっちが鶴屋だよ」

 鶴と亀は、無言で花に頭を下げた。

「亀谷とは、以前に会ってるよね?」

「そ、そうですね」

 あの時、亀谷はピストルを持っていて、ヤクザを捕らえていた。顔も少し強面で、花も少しびびってしまった。

「若奥様、お久しぶりでございます」

「ど、どうも」

「まさか、あの時は、若旦那と結婚されるとは思いませんでした」

「わ、私もです」

「亀谷は、見た目は怖いけど、花を襲って食べたりしないから心配しないで」

「若旦那! あっしはライオンじゃねえすよ」

「どっちかというと熊かな」

「勘弁してくだせえ」

 大樹と冗談を言い合う亀谷とは相反して、鶴屋はその間、無表情なままだった。

「学校に行く花には、表だって護衛を付けることができないけど、登下校の時には、影からこの亀谷の部下が護衛をすることになっているから、心配をしないで」

「若旦那と結婚をしていることは内密しているので、襲われることはないと思いますが、念には念を入れて、万全の警備体勢を敷くようにいたしやす」

「ありがとうございます」

 大きな腹が窮屈そうに腰を折った亀谷に、花も頭を下げた。

「少し、この二人と話があるから」

 大樹の言葉で、自分がここにいることはできない話をすると分かった花は、「じゃあ、リビングにいます」と言って、亀谷と鶴屋に軽く頭を下げてから、踵を返し、執務室のドアを開けた。

 振り向いて、ドアを閉めようとした花は、執務机に座り、亀谷と鶴屋を見上げる大樹の表情に、今まで花が見たことのない、少し威圧されるような雰囲気を感じた。

 花に見つめられているのに気づいた大樹は、にこりと笑った。それは、花が知っている、いつもの大樹だった。

 微笑みを返した花は、ゆっくりとドアを閉めた。

 

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