第九話 甘い二人とバイオレンスな事情
そこは人工の島で、海に向かって砂浜が広がっていた。
「すごい! 海って広いですね」
「あはは、そうだね」
まるで小学生のようにはしゃぐ花を、大樹が優しい笑顔で見守ってくれていた。
砂浜には、多くのレジャーシートが広げられ、主に小さな子どもがいる家族連れが思い思いの場所で、砂遊びに興じたり、波打ち際で遊んでいたりしていた。
「遊園地に行く予定にしていたから、レジャーシートを持って来なかったよ」
と言いながら、大樹はズボンのポケットからハンカチを取り出して、砂浜の上に広げた。
「どうぞ、花ちゃん」
「じゃあ、私も」
花もバッグの中からハンカチを取り出し、大樹のハンカチの隣に置いた。
「どうもありがとう」
二人は、お互いのハンカチの上に腰を降ろして、海を見つめた。
東京湾なので、水平線は見えなかったが、海の上を走る高速道路や、空港を飛び立った飛行機が見えて、普段、見ている風景よりは広大で、何だか心が洗われるような気がした。
「気持ち良いですね」
「そうだね」
「お弁当を作ってきたら良かったなあ。ここで食べたら、きっと、美味しいだろうなあ」
「本当だね。そういえば、花ちゃんは、料理は得意なのかい?」
「私が中学生の頃は、お婆ちゃんが働きに行ってて、私が先に家に帰れるので、晩ご飯は私が作ってました。私がバイトを始めてからは、朝晩ともお婆ちゃんが作ってくれていたんですけど、今は久しぶりに自分で作っています。でも、得意かどうかって訊かれると自信はないです」
「そっか。でも、一人分を作るのって、逆に食費が掛かっちゃうんじゃない?」
「二人分とそんなに変わらないですよ。三日くらいは、使い回しをして、同じようなおかずになりますけど」
「余りそうなのなら、僕が食べに行っても良いよ」
「えっ、それはその、大樹さんが来てくれるのはうれしいですけど、大樹さんに美味しいって食べてもらえる自信は、まだないです」
「そうなの?」
「でも、大樹さんに自信を持って食べてもらえるように頑張ります」
「うん、ありがとう。じゃあ、今日は、途中にあった軽食屋さんで、焼きそばとかうどんにしようか?」
「はい。焼きそばもおうどんも大好きです!」
「ははは、もうお腹が空いているのかい?」
「そ、そんなことはないです」
と言い訳をしたそばから、花のお腹が「ぐ~」と鳴った。
「ははは、お腹は正直だね」
「恥ずかしいですぅ~」
「じゃあ、何か食べに行こうか?」
「はい」
先に立った大樹が差し出してくれた手を握りながら、花も立ち上がった。
花と大樹は、軽食屋の席、砂浜、花壇が見えるベンチなど、園内を回りながら、座れる所があれば、二人して並んで座り、いっぱい話をした。
出会ってから話をした時間は、他のカップルよりは、ずっと長いのではないだろうか。
お互いの好きなこと、嫌いなこと、興味があること、やってみたいこと、花の学校のこと、大樹の育てられ方に至るまで、話は及んだ。
でも、まったく飽きることはなかった。
大樹のことをもっと知りたい。そうすると、もっと好きになれるはずだと、花は思っていたし、そのとおりだった。
大樹も企業を経営しているだけあって、豊富な知識を持っていて、難しい話も花でも分かるような簡単な話に置き換えたりしながら話してくれた。
気がつくと、二人の影が長く地面に映る頃になっていた。
「もう、こんな時間」
「本当だね。帰りに洋服を買ってあげるって、朝、約束したけど、その時間もなくなってしまったね」
「お洋服は、もう、いらないです」
「えっ?」
「今日、ずっと大樹さんと一緒にいられて、お話もいっぱいできて、それだけでしたけど、私、すごく楽しかったです。お洋服を買う時間よりも、大樹さんと、もっといっぱい話がしたいです」
大樹は、やれやれというように頭を振ると、うれしそうな顔を見せた。
「やっぱり、花ちゃんだ」
「はい?」
「自分でも呆れるくらい、今日一日で、今までより何倍も花ちゃんのことが好きになったよ」
「大樹さん……」
「じゃあ、そろそろ、帰ろうか? 病院にも寄りたいでしょ?」
「あっ、はい。お婆ちゃんのことも気に掛けてくれて、ありがとうございます」
「いやいや、花ちゃんの気持ちを考えると、絶対、そうだと思ったんだ。そうでしょ?」
「はい」
「これも、いっぱい話ができたから、以心伝心ができるようになったのかな?」
「そうだと、うれしいです」
「そうだね。でも、正直、まだまだ、話し足りないんだけどね」
「私もです」
「じゃあ、また、次の週末も二人で出掛けようか?」
「はい!」
辺りが暗くなった頃。
花を乗せた大樹のスポーツカーは、祖母が入院している病院の玄関に着いた。
大樹が運転席を降りて、助手席のドアを開けようとしたが、その前に、花は自分でドアを開けて、車から出た。
「大樹さん。私、自分でできることは自分でします。今まで、この車のドアは、ずっと大樹さんに開けてもらっていましたけど、開け方も分かったですし、私が自分で降りた方が、早く、大樹さんの隣に行けるじゃないですか」
「それもそうだね。分かった。じゃあ、これからは自分で降りてもらうよ」
「はい。今日は、ありがとうございました」
「うん。じゃあ、こんな時間だから、僕はここで失礼するよ。それに昼間はずっと花ちゃんを独占できていたんだから、そろそろ、お婆さんに花ちゃんをお返ししないとね」
「大樹さん……」
大樹の心遣いに感激していた花の隙を突いて、大樹が花のおでこにキスをした。
「あっ」
「こんな所だし、おでこが限界かな。花ちゃんの唇は、次回まで我慢するよ。じゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
その頃。
ある建物の前に、物々しい装備を身に着けた機動隊の屈強な男たちが列を作っていた。
その建物の豪勢な門には、「稲山会総本部」という金ピカの看板が掛かっていた。
同じく首都圏を勢力範囲とする広域暴力団「風月会」との抗争が激化しているということで、一般市民がその巻き添えを食うことのないようにと、警察が一方当事者である稲山会の本部を警備しているのだ。
その様子を遠くから見つめるように、新聞や週刊誌の記者やカメラマンがたむろしていた。
「しかし、今回の風月会の攻撃はかなりのもんだな。かつては首都東京を支配していた稲山会が壊滅寸前まで追い詰められているんだからな」
「そりゃあそうだろう。風月会のバックには飛鳥が付いているという、もっぱらの噂だからな」
「おいおい、それはあまり大きな声で言わない方が良いぞ。何と言っても、我が社も飛鳥財閥傘下の企業の広告料で持っているようなものだからな」
二人のベテランらしき記者の話に、一人のまだ若い記者が割り込んできた。
「でも、今のご時世に、日本にも財閥が残っていたなんで、この仕事に就いてから初めて知りました」
「そりゃあ、そうさ。飛鳥財閥は、終戦時には少し羽振りが良い金貸しにすぎなかったんだからな」
「そうなんですか?」
「だから、戦後の財閥解体の時にも、無傷で生き延びたんだよ」
「今の総帥、飛鳥昌樹氏の祖父である飛鳥照樹氏と父親である飛鳥朋樹氏が、その資金を元に多角経営を始めて、それがことごとく当たって、それによって膨らんだ資産で、いろんな企業を買収していき、どんどんと勢力を伸ばして、今の飛鳥財閥を形成していったんだ」
「たった二代でですか?」
「ああ。今やその資産規模は国家財政にも匹敵するなどと揶揄されているが、あながち間違ってもいないだろう」
「その飛鳥照樹氏と朋樹氏は、よっぽど、天才的な経営力を持っていたんですね」
「それだけじゃないのさ」
「えっ、どういうことですか?」
訊かれた記者が左右を見渡し、少し声を低めた。
「金貸しと言っても、けっこうブラックな貸し付けもしていたらしい。そんなところだったから、暴力的な取立てを専門に行う連中を配下にしていた。それは飛鳥財閥が真っ当な企業グループ化してくるにしたがって、闇の組織となっていった。それが『フェニックス・シンジケート』と呼ばれている組織で、表向きは、飛鳥家の私設ボディガード集団ということで活動しているが、裏ではいろいろと暗躍しているという噂がひっきりなしなんだ」
「ヤクザは拳骨で頬を殴って言うことをきかせる。金持ちは札束で頬をはたいて言うことをきかせる。その両方ができる飛鳥がどんどんと勢力を拡大していったのも、うなずけるということだ」
「でも、どうして飛鳥財閥のそんなブラックな一面が報道されないんですか?」
「どうやっても裏が取れないからさ」
「でも、火のない所に煙は立たずですよね? 飛鳥財閥の暗部を白日の下にさらけ出すことってできないんですか?」
若い記者が特有の熱い正義感を振りかざした。
「その豊富な資金力で、警察内部はおろか、政府内にも大きな影響力を有している飛鳥の関係者がパクられることはないだろうな」
「今回の抗争の一方当事者である風月会に飛鳥が肩入れしているという話も、飛鳥財閥の今の総帥飛鳥昌樹氏の奥方が風月会の現会長の娘だからということを根拠にしているだけなんだ」
「そうなんですか? でも、そんな結婚なんて、企業のイメージ的にはマイナスですよね?」
「それはそうだが、昌樹氏と奥方は、大学の同級生で恋仲になり、卒業後、すぐに結婚をしたんだ。相手がヤクザの娘であろうと、社会の体裁とかを気にせずに、若い恋心を成就させた昌樹氏を賞賛する声が相次いだな。あの頃は」
「まあ、昔ながらの財閥と違って、飛鳥財閥には、血縁を利用して勢力を伸ばすという考えはそもそも持っていないみたいだし、実際に、そんなことをせずとも今の勢力を築いているんだから、そこは素直にすごいとしか言いようがないよな」
「そんなこんなで、風月会には飛鳥財閥から、というより今の総帥夫人から資金が流入しているのではないかと言われているが、証拠はどこにもない」
「いずれにせよ、飛鳥財閥は、その名前のとおり、飛ぶ鳥を落とす勢いでこれまで発展をしてきており、その勢いはこれからも続くだろうと言われている」
「そういえば、次期総帥の飛鳥大樹氏が、一時期、行方が分からなくなっていたのは、稲山会の連中に襲われたからだという噂も立っていたが?」
「それもまったく裏が取れていない。飛鳥側からは、極秘のプロジェクトの検討のため、ホテルにこもっていたなどと説明されている。とにかく、飛鳥のすごいところは、徹底した情報管理からもうかがえるよな」
「次期総帥の大樹氏って、あのハーバード大を首席卒業した天才と噂の?」
「ああ、しかも超イケメンで、学力、財力そして魅力もトップクラスのパラメータを持っているという、俺たちが嫉妬する気にもならない男だよ」
「そういえば、大樹氏は何歳だっけ?」
「確か、二十五か六だったと思うが」
「まだ、浮いた話はないのか?」
「聞かないな」
「母親はヤクザの娘、祖母である朋樹氏の奥方も農家の出と言われているだけあって、果たして大樹氏はどんな奥方をもらうのか、気になるところだな」
「今までの慣行を破って、どこかの金持ちの令嬢を射止めるのか、かつて国民的美少女と言われた、あのタレントと良い仲になるのか。まあ、いろいろと噂は出ているが、どれもガセネタらしい」




