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08. 詐欺なら自首をお勧めします


 ウィズクローク大帝国の皇太子、クライザー・ラノン・ド・ウィズクロークは臣下たちの報告を待っていた。

 彼が求めている報告は二つ。ひとつは逃げ延びているであろう憎きヴェルフランド皇子の死亡確認。そしてもうひとつは恋い焦がれてやまないリンソーディア姫の身柄確保である。



「殿下、ただいま戻りました」


「キリアンか。ご苦労だったね。首尾はどうだい?」



 アークディオスを攻め込むよう命令したのは父帝だが、病床にある父の代わりにほぼ全権を掌握しているのは皇太子であるクライザーだった。その場で跪いた腹心の部下を軽く労ってからクライザーは報告を促す。



「申し訳ございません。ヴェルフランド皇子、及び共にいると思われるリンソーディア様のいずれも消息不明のままです」


「そうか。ある意味予想通りだね。彼らが国境を越えた可能性は?」


「すべての国境で検問を実施しておりますので、怪しい人物がいれば報告が来るはずです。現時点ではまだ国内にいるかと」



 どうやら難航しているようだ。クライザーは眉間に皺を寄せた。相手が相手なので本当はアークディオス皇宮で彼らを捕らえることができれば一番良かったのだが。


 要注意人物であるヴェルフランド皇子の部屋だけは、全方向から兵を向かわせていた。皇子宮に突入する兵士たち以外にも、窓からの逃亡を阻止するために複数の弓兵をあらかじめ配置し、それでも逃げられた場合に備え窓の下も兵士たちを配置しておいたのだ。

 しかし結果はこの有様だ。ヴェルフランド一人ならともかく、彼のそばにリンソーディアがいたとなれば、その程度の数の兵では足止めにもならなかっただろう。クライザーは瞑目した。


 リンソーディア・ロゼ・ティルカーナ。かつて戦場で一度だけ相見えた凶悪なまでに美しい戦姫。

 社交界の一部の人間からは「血の公女」と揶揄されているようだったが、下手な皇族よりもはるかに格が上と囁かれる本物の淑女であることは誰もが認めざるを得なかった。その一方で、戦場では敵に容赦なく死をもたらし、そこにいるだけで敵を恐怖させ味方を鼓舞する存在へと早変わりする。


 初めて出会ったあの日から今日に至るまで、クライザーの心を揺り動かしたのはリンソーディアただ一人。それほどまでに彼女の存在は強烈だった。

 だからこそ、いつでも彼女をそばに置くヴェルフランドが憎くて憎くて堪らないのだ。すべてにおいて自分より優れているくせに、当然のように彼女まで奪っていくあの男の存在そのものが許せない。



「ただ、少し気になることが」



 黙り込んでしまったクライザーに気を遣ったのか、キリアンが報告を続ける。



「チェザリアンとの国境付近で少し騒ぎがありまして。行方不明になっていたとあるご令嬢が、十日ほど経って無事にチェザリアンに帰ってきたそうなのですが、国境で保護する際に一時的に検問が疎かになったようです。あくまで可能性の話ではありますが、もしかしたら」


「その騒ぎに乗じて国境を越えたかもしれない、ということか」



 クライザーは顎に手を当てた。もしそうだとしたら、彼らは現在チェザリアンに潜伏しているということになる。国外に逃亡されたとなると手出しは少し難しい。

 しかし、だからといってここで諦めるわけにはいかないのだ。



「まだ国内にいる可能性も捨てきれないが、チェザリアンにも密偵を送れ。なんとしてでも探し出すんだ」


「は。仰せのままに」



 ヴェルフランドには死を、そしてリンソーディアには皇太子妃の座を。それこそがクライザーにとっての悲願である。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




「第十三監獄の看守を希望? はい、採用」


「えっ」



 ウィズクロークの皇太子がチェザリアンに狙いを定めていることなど露知らず、リンソーディアとヴェルフランドはガイアノーゼルにてさくっと就職を決めていた。街の門番に事情を説明して監獄の担当者に会わせてもらったわけだが、顔を合わせた瞬間に採用されるというのもこれいかに。



「え、本当に私たちを採用してくれるんですか? どこの馬の骨とも知れぬ私たちですよ? 詐欺なら自首をお勧めします」



 疑わしげな目でじろじろと見てくるリンソーディアに、担当者は嫌そうな顔をした。ヴェルフランドは興味なさそうな表情で壁に寄りかかってぼんやりとリンソーディアを眺めている。変な二人組が来てしまったものだ。担当者は溜め息をついた。



「これから上司になる相手に向かって詐欺師呼ばわりとはいい度胸だな、新人。まあいい、とにかく採用だ。こちとら深刻な人手不足でね。第十三監獄(うち)に来てくれるならたとえ変人でも大歓迎だよ」


「なんとフラン様を変人扱いするとは命知らずな。殺されても文句は言えませんよ。早く謝ってください」


「人を無差別殺人鬼みたいに言うな。お前こそ俺に謝れ」



 ……本当に、人手不足でなければこんな奴ら採用なんてしないのだが。しかしつい先日も、新たに雇った看守のうち二人が死んで三人が辞めたばかりである。結局残っているのは古参の曲者が二人だけ。背に腹は代えられない。目の下にクマができている担当者は改めて新人二人に向き直った。



「自己紹介がまだだったな。私はセラフィーナ・レーベルト。第十三監獄の看守長だ」


「あ、ディアです。よろしくお願いします」


「…………」


「フラン様、他人に興味ないのはわかりますけど一応上司らしいので名前くらいは言いましょうよ」



 挨拶すらしない無礼な新人には礼儀を一から教えるべきかと悩みつつ、そんなことよりも監獄での仕事のほうが優先だと思い直す。とりあえず監獄内を案内するため、セラフィーナは新人二人を引き連れてガイアノーゼル最奥に位置する第十三監獄へと向かうことにした。



「念のため訊くが、お前たち二人とも囚人の誰かが襲いかかって来た場合、殺さない程度に対処できるか?」


「相手の強さにもよりますが、大熊王(ベアグランデ)程度の強さなら寝ぼけていても対処が可能です。それより強くても人間の性能には限度がありますからね。まあ問題ないかと」


「……そうか。心強いよ」



 寝ぼけていても大熊王(ベアグランデ)と戦えるほどの実力があるなら概ね問題ないだろう。

 というか、まさか天災級生物である大熊王(ベアグランデ)と戦った経験があるとは思わなかった。お前たちは一体どんな人生を送ってきたんだと訊いてやりたい。あれはアークディオス帝国の迷いの森か、大山脈地帯くらいにしか生息していないはずなのだが。……いや、アークディオス帝国はもうないのか。



「そういえばウィズクロークがアークディオスに攻め込んで、あっという間に征服したそうだな。今後はウィズクローク大帝国と名乗るらしいが、アークディオスほどの大国がこうも呆気なく滅ぼされるとは驚きだよ」



 独り言に近い何気ない話題を振ったつもりだったが、後ろからついてきていた新人二人が不自然に押し黙ってしまった。



「……へーえ、そうですか」



 奇妙な空白のあと、リンソーディアが白々しく相槌を打った。ヴェルフランドは完全なる無の表情である。



「なんだ、知らなかったのか? 二週間くらい前の話だが」


「初耳です。私たち二人ともアークディオスの出身なんですが、そうですか、もう国そのものがなくなってしまったんですね」


「……故郷だったのか。不用意なことを言ってすまなかったな」


「いえ、どうせいずれ耳に入ることですし」



 なんだか微妙な空気になってしまった。セラフィーナは話題を変えることにする。



「着く前にいくつか説明しておこう。第十三監獄ではすべての囚人たちを地下監獄に収監している。風呂も食事も基本的に地下階で済ませるから、囚人たちが地上階に出てくるのはここに来た時と出ていく時、それとたまの自由時間だけだな」


「囚人たちの監視と生活の世話をすることがおもな仕事内容ということでいいんでしょうか」


「そうだな。囚人たちが暴動を起こしたり脱走したりしないように監視することと、監獄内の定期的な見回りと、掃除や洗濯や風呂の世話あたりが基本的な仕事になってくる。食事は厨房担当の看守が作ってくれるからしなくていいよ」



 そんなことを話しているうちに、いつの間にか他よりも堅牢な造りの建物へと辿り着いていた。本来であれば正面玄関の前にいるであろう見張りの看守はここにはいない。人手不足ゆえこんなところにまで人員を回せないのだ。なにを隠そうここは看守が三人しかいない限界監獄である。

 女性であれば全体重をかけてやっと開くほどの重厚な扉を抜ければすぐにまた同じ扉があった。脱走防止措置だ。重い扉に苦戦している間に看守が追いつけるようになっている。ロビーまで来るとセラフィーナが笑った。



「ようこそ、第十三監獄へ。今日からここがお前たちの職場だ」



 先頭を歩くセラフィーナのあとについて行きながら、リンソーディアはきょろきょろと辺りを見回した。好奇心もなくはないが、いざというときの脱出経路を確認してしまうのはもはや完全に癖だった。

 さらにその後ろからついてくるヴェルフランドも、建物の造りや脱出経路の確認、そして前を行くリンソーディアの周りにも意識を割いている。有事の際にはいつでも彼女を抱えて逃げるためだ。



「これから実際に収監されている囚人たちのところに行くけど、行ってみて無理そうなら正直に言いなさい。人によっては精神的にきつい場所だからね」



 ここから去っていった者たちのほとんどは、地下監獄の空気に耐えきれなくて逃げ出してしまったようなものなのだ。


 第十三監獄で働く看守たちは、囚人たちによる激しい怒号と脅しの的となり、こちらを毒牙にかけようとする手練手管(てれんてくだ)と常に戦わねばならない。下手をすれば心が壊れた廃人になったり、利用されるだけの傀儡と化したりもする。

 先日辞めた看守の一人は「もう鉄格子に近づくことすら恐ろしい」と泣いていたし、囚人たちを更生しようとした正義感あふれる看守はもの言わぬ骸になって発見された。


 おかげでセラフィーナはここ最近ずっと安定の一日二十時間勤務である。


 地下への階段を降りきると一気に空気が変わった気配がした。どこか暗くて澱んでいて、ピリピリとした殺気を感じる。



「地下階は地上階より造りが複雑だから迷わないように。こっちが看守の詰所で、今の時間の担当者がいるからあとで紹介しよう。で、あっちに曲がると囚人たちの食堂、その向こうに風呂場がある。……そしてここを曲がって突き当たりが監獄だ。今から入るが準備はいいな?」



 リンソーディアは頷いた。背後にはヴェルフランドもいることだし、恐れるものなどなにもない。

 縦に三つ並んでいる鍵穴にそれぞれ別の鍵を差し込んだセラフィーナが固く閉ざされていた扉を開く。そしてその向こう側へと足を踏み入れた、その瞬間。



「うっぎゃあああああああくっさあああああああああい!」



 とんでもない異臭が目から鼻から口から流れ込んできてリンソーディアは絶叫した。人よりも嗅覚が敏感なのである。本来であれば扉を開けた瞬間に囚人たちの怒鳴り声が聞こえてくるはずなのだが、今回ばかりはリンソーディアの絶叫のほうが早かった。

 両手で顔面を覆ってのたうち回るリンソーディアを、ヴェルフランドが慣れた手つきでひょいと抱き上げた。かくいう彼もあまりの異臭に顔を歪めている。さすがにこれは臭い。



「おい……なんなんだここは。血と汗とドブと生ゴミが入り交じったのような臭いがするんだが」


「囚人どもを怖がってまともに清掃できる看守が最近ほとんどいなかったせいだな……。お前たちが来てくれたからには少しはマシになるかもしれないが」


「ひ、ひどでぶぞぐのよはがごんなどころにも……っ」


「ディア、無理に喋るな。豚帝(ピッグカイザー)みたいな声になってるぞ」



 しっかりと鼻を押さえつつも涙目になっているリンソーディアだが、野太くしわがれた声の巨大豚に例えられては黙ってなどいられなかった。



「だれがぶだでずがっ! かりにもおどめをぶだよばわりずるとはいいどぎょうでうぎゃおおぉぉぉ……」


「とにかくお前は黙って鼻と口を押さえていろ」



 ヴェルフランドは面倒臭そうにリンソーディアの頭を自分の首元に軽く押しつける。これでなにかが軽減されるわけでもないが、気分の問題だ。

 そんな新人たちの姿にセラフィーナは生ぬるい目を向けた。おかしいな、なんでこんな場所で微妙なほのぼの感が醸し出されているのだろう。



「ねー、ちょっと看守長ぉ。なんなのコイツら。ウチらの後輩〜?」



 突然、この場にそぐわないほど能天気な声が響き渡った。その瞬間、鼻を押さえていたはずのリンソーディアの手からは短剣が放たれ、ヴェルフランドはそんな彼女を腕一本で支えつつ、剣を片手に大きく跳び退いて距離をとる。セラフィーナは呆気に取られた。二人の動きが速すぎて全然目がついていかない。


 リンソーディアが放った短剣は、鉄格子の向こう側の石壁に当たってカランと音を立てて床に落ちた。顔の横すれすれを短剣が通り抜けていったため、能天気な声の主は驚いたように目を丸くする。かと思えば、彼女はガシャンと鉄格子にぶつかる勢いでこちらに近づいてきた。


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