30. いま私は最高に幸せな気分なんです
皇宮最下層での攻防から数日後。
ベッドで横になっていたソティーリオは、籠いっぱいの七色果実を見て思わず閉口していた。同じ重さの金塊よりも価値があるといわれるこれが、なぜこんな山積みに。
「なにこれ、お供え? 僕いつから御神体になったの?」
「お供えじゃなくてお見舞いだよ。キミはれっきとした人間だろう。村の子供たちがキミのためにわざわざ採取してきてくれたんだ。ありがたく受けとりたまえ」
サラサエル博士が隻眼でにやにや笑いながらベッド脇の椅子に腰かけた。
リンソーディアの兄ソティーリオは、現在療養中の身の上であった。長きに渡り四肢を拘束されていたとはいえ、そこまで劣悪な環境というわけでもなかったため妙に元気ではある。が、さすがに体力も筋力も落ちているため療養は必要であった。まずは自力で歩けるようになることと、日常生活を送るのに支障のない程度の体力をつけるところから。
なお、あんな状況でも腹を引っ込ませ続けるという運動は怠らなかったので、最低限の腹筋は保っていたとかなんとか。転んでもただでは起きない典型である。
「それにしても、キミがあの有名な『悪魔の貴公子』か。せっかくディアくんと同じキレーな顔をしてるのに、二つ名のせいでいろいろと台無しだねえ」
「ふ、『流浪の傭兵エル』の兄にそう言われるとは光栄だね。その目、いろんな憶測が飛び交ってるけど、戦場で弟を庇ってなくしたんだっけ?」
「そうそう。ボクとしては名誉の負傷だったんだけど、これがきっかけでハウエルは傭兵をやめて第十三監獄に引きこもっちゃってね。意外と繊細なんだよ、アイツ」
以前、博士が隻眼である理由についてリンソーディアとヴェルフランドの間で『大熊王に襲われて九死に一生を得た説』と『有毒植物にかぶれて治ったあとも視力は戻らなかった説』で意見が割れていたことがあった。だが真相はそのどちらでもなかったらしい。噂なんてそんなものである。
ソティーリオは七色果実をひとつ手に取ると、一緒に置いてあった果物ナイフで器用に皮をむき始めた。皮は捨てずにとっておく。乾燥させたこの皮でお茶を淹れるとこれまた美味しいのだ。
「あーっと、リオくん。種も捨てないで取っておいてくれたまえ。今度それを使って七色果実の栽培ができないか試してみるから」
「へえ、それはいいね。うまくいけばこの村だけの特産になる」
切り分けた七色果実を食べていると、横から博士がちょいちょい横取りしていく。ソティーリオは仕方なく二つ目の皮をむき始めた。
「ところで、ディアくんとフランくんはいつチェザリアンから帰ってくるんだい?」
ザクッとおかしな方向にナイフが滑った。危うく手を切るところだった。
「……そんなの知らないよ。なんかお世話になった人たちのところを一通り巡ってくるって言ってたから、それなりに日数がかかるんじゃない?」
急に不機嫌になったソティーリオは、そのまま三つ四つとザクザク皮をむいていく。本人は無自覚らしいが、むいてしまったものは食べねばならない。あまり長持ちしないのが七色果実の唯一の欠点でもあるのだ。
博士は自動的に切り分けられていく天然の万能薬を食べながら、これでしばらくは病気にならないなと思った。しかし食べすぎることでおかしな副作用が出ないとも限らない。そのため自分が食べる量はほどほどに抑え、食べすぎたソティーリオの様子を見ることで実験することにした。
「うわ、なにその体のいい実験体を見つけたみたいな顔」
「失敬だねキミ。いくらボクでも想い人の兄を実験体にしようだなんて、たまにしか思わないよ」
「……お、想い人って、もしかしなくても僕のディアのことを言っているのかな? はっはっは、死にたいの? ねえ、死にたいの?」
「突然の情緒不安定か……これが副作用じゃないとは言い切れないあたり辛いところだなあ」
二人がすったもんだする声を扉越しに聞いてしまったニールとブリジットは、互いの顔を見合わせたのち、無言のうちに帰ることにした。ソティーリオの見舞いに来たわけだが、これだけ元気そうなら大丈夫であろう。
サラサエル村は今日も平和だった。
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こちらガイアノーゼル。先日セラフィーナに「有給をあげるからちょっと休暇を取りなさい。そうだな、ウィズクロークのサラサエル村なんて休暇にぴったりだぞ。いい感じに過疎ってる」と言われて問答無用で派遣されていたハウエルは、無事に任務を終えてお土産持参で第十三監獄へと帰還していた。
「ただいまー。はい、お土産ー」
その言葉につられて集まってきた第十三監獄の面々は、差し出された予想外の『お土産』に思わず固まってしまった。
「あー、その節は大変ご迷惑をおかけしました」
「……変わりなさそうだな。じゃあ次に行くか」
「ちょ、フラン様の愛着のなさが目に染みます。もうちょっと話させてくださいよ」
かつて急に姿を消したリンソーディアとヴェルフランドが、元気そうな顔でハウエルの横に立っていた。久しぶりのはずなのに、妙にこの第十三監獄に馴染んでいる。
ディア様、とラシェルが声を震わせた。それに気づいたリンソーディアが、ラシェルをぎゅっと抱きしめる。
「……心配かけました。急にいなくなった私たちのために、いろいろと根回しをしてくれてありがとうございました、ラシェルさん」
「いいえ、いいえ……! ご無事であることはニールさんからの手紙で知ってはおりましたが、こうして会いに来てくださって本当に嬉しいです……!」
ラシェルの鉄壁の無表情がここまで崩れるところを見るのは初めてだった。ひとしきり再会の抱擁をすませたリンソーディアは、改めて周囲を見渡した。
懐かしい顔ぶれが揃っていた。ラシェルはともかく、なぜかアイザックまで涙目になっているが見なかったことにする。なんだかんだここでの生活は長かったから、思っていた以上に感慨深いものがあった。
「こんなに堂々と遊びに来やがって……もう、いろいろとカタはついたのか?」
「ええ。クライザー殿下に嫁ぐ話も白紙に戻り、これで私も晴れて平凡な村人になることができました。というかアイザックさん、なんでそんな鼻声なんですか?」
「ディア様が平凡な村人!? うおお、俺の貧相な想像力じゃまったく想像できません!」
「それでいいぞ、ノルベール。こいつは異様な村人でしかないからな」
異様な村人……。セラフィーナは遠い目をした。なんだかすごく嫌な感じの村人である。
そんなことを考えていると、リンソーディアがコホンと咳払いをしながら改まった顔でセラフィーナに向き直った。
「レーベルト伯爵夫人。このたびのご助力に感謝申し上げます。私たちだけの力ではここまで上手く立ち回ることなど到底できなかったでしょう」
そもそも住所不定無職な馬の骨である自分たちを受け入れてくれたあの日から、彼女には世話になりっぱなしなのだ。人手不足の寝不足で、正常な判断ができていなかっただけかもしれないが、それすらリンソーディアにとってはありがたいことだった。セラフィーナにはひたすら貧乏くじを引かせてばかりな気もするが。
「つきましては、お世話になった皆様にお礼の品をお持ちしました。どうぞお召し上がりください」
じゃーん、と自分で効果音を出しつつ、リンソーディアが背嚢から取り出したその代物を見た面々は凍りついた。アイザックがごくりと息を飲み込む。
「こ、こ、これって」
「今後サラサエル村の特産になるかもしれない七色果実です。あ、ちゃんと人数分あるんで喧嘩しないで分け合ってくださいよ」
「そういう問題じゃねえっての! おま、これ、どんだけ希少で高価なものか分かってんのか!?」
「当然じゃないですか。これを安定供給できるようになれば我がサラサエル村はウハウハです。いやあ、迷いの森って蓋を開けてみれば宝の山なんですよねえ」
ふへへへと笑うリンソーディアは、確かに異様な村人だった。こんな奴が隣の家に住んでいたら、毎日の生活に微妙な不安を覚えそうである。
「さて渡すものも渡せましたし、そろそろ次の目的地に向かいましょうか、フラン様」
「えっ、もう行っちゃうんですか!?」
七色果実を矯めつ眇めつしていたノルベールが驚いたように振り返る。リンソーディアは頷いた。
「このあとダンハウザー侯爵家にもご挨拶に行かないといけないんですよ。今回の件で随分と私たちの盾になってくれたようですし、グレース様にも会いたいですしね。また来ます。今度はもっとゆっくりガイアノーゼルの観光をしに」
考えてみれば、それなりの期間この街にいたにも関わらず、観光らしい観光はしたことがなかった。逃亡中の身の上であったし、仕事も忙しかった。いつかゆっくり見て回りたいところである。
リンソーディアは何度も手を振って、ヴェルフランドは一度だけ振り返り、そうして二人は第十三監獄をあとにした。その後ろ姿を見送っていたラシェルは、ある変化に気がついた。
「あら? ……まあ、ノルベールさん、ちょっと見てください。ほら、お二人の手元……」
「手? 手がどうし……って、ああー!」
並んで歩く二人の手が、遠目に見ても分かるくらいしっかりと繋がれていた。
指を一本一本絡ませるような、簡単にはほどけない特別な繋ぎ方。単なる仲良しでは説明がつかないそれを見て、ノルベールは感極まって叫んだ。
「え、宴会だー! ラシェル、仲間たち全員に通達してくれ! 早めに結婚祝いを考えねえと!」
「それは気が早いです、と言いたいところですが……これはもしかすると、もしかしますかね。わかりました。とにかく至急皆さんに手紙を送ります」
この日ラシェルが書いた手紙は、各地に散らばっていたヴェルフランドの元部下たちを驚愕と歓喜で踊り狂わせることになった。そして先走った彼らは事実が判然としないまま結婚祝いについてあれこれ議論を重ねることになるのだが、それはまた別のお話である。
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――目覚めた時、真っ先に目に入ったのはパトリシアの顔だった。
「クライザー様……!」
「パトリシア……? 僕は生きているのか……?」
全身が軋むように痛んだが、それでも生きていることに変わりはない。体を起こすことはできないが、命に別状はなさそうだとなんとなく分かった。
皇宮最下層での出来事が蘇る。地下牢にいるはずのソティーリオのところへリンソーディアを連れていくと、なぜかそこにはヴェルフランドがいて、ソティーリオの姿はなくて、そしてヴェルフランドを殺そうとしたらリンソーディアに刺された。記憶はそこで途切れている。
「お医者様の話では、まさに奇跡だったそうですわ」
「奇跡……?」
「確かに致命傷になりかねないほどの傷でしたが、奇跡的にどの臓器も避けて刺されていたようで。クライザー様の日頃の行いがよほどいいのではないかとお医者様が苦笑しておられました」
「…………」
そんなことがあるのだろうか。本当に?
クライザーは泣きながら自分を刺したリンソーディアの姿を思い出す。殺したくなかったと、彼女は確かにそう言っていた。クライザーは瞑目する。
本当のことは誰にも分からない。きっとリンソーディア自身ですらも。
でも、もしかしたら。彼女の「殺したくない」というその願いが、無意識下で致命傷を避けたのかもしれなかった。もともと武器の扱いに長けているリンソーディアだ。臓器を避けて刺すことも可能だろう。
すべては推測に過ぎないけれど、それでもリンソーディアの思いの一部を垣間見れた気がした。そして。
「ご無事で、本当に良かったです」
泣いて喜ぶパトリシアに、クライザーは微笑みかけた。これまで彼女に向けた感情の中で、一番あたたかな感情だった。
「ありがとう、パトリシア。君がいてくれて、良かったよ」
遠くなる意識の中で、最後に聞こえたリンソーディアの言葉が、今ならちゃんと伝わってきた。
『忘れないでください、クライザー様。あなたのそばには、誰よりもあなたを想うパトリシア様がいるということを』
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第十三監獄の懐かしの面々に挨拶をしたあと、ガイアノーゼルに預けていたヴェルフランドの愛馬たちを引き取りに行く。それからリンソーディアとヴェルフランドはダンハウザー侯爵家に顔を出しに行った。
再会したグレースは始めこそ泣きそうになっていたが、心配しすぎて途中から怒りだし、宥めるために七色果実を差し出したところ、それを見た衝撃でなぜかエミリーがいきなり失神した。ちなみにその場に居合わせていたビクトルは、流通し始めたあかつきには優先権をくれと交渉してきたため、予期せぬ新規顧客の開拓に繋がった。村に手柄を持ち帰れそうでなによりである。
「……ディア」
「はい?」
馬たちの手綱を引きながら、二人はかつてグレースたちを送り届ける際に使ったルートを辿って帰途に就く。
「悪いが、いつかの約束は破ることになりそうだ」
「……え?」
いつかの約束。リンソーディアが望む限り、ずっと一緒にいてくれると言っていたヴェルフランド。
繋いでいた手が、さらに強く握りしめられた。
「お前が望まなくても、俺はずっとお前のそばにいるから覚悟しろ」
いつか誰かがリンソーディアを幸せにしてくれるなら、それでいいとずっと思っていた。彼女を幸せにするのは自分じゃなくていい。むしろ自分以外であるべきだ。でも。
「愛してるって言ったら、ちゃんとお前に伝わるか?」
「……それは、私が期待している愛でいいのか自信がないんですけど」
「言葉より行動のほうがわかりやすいか。なら」
繋いでいた手を引かれ、瞬きする間もなくリンソーディアの顔に影が差した。目を丸くしている間に口が塞がれて、二人の間に数秒の沈黙が落ちる。
「……これでわかったか?」
「んー……んふふふ」
「なんだ気持ち悪い」
急に笑み崩れたリンソーディアに、ヴェルフランドは不審げな視線を向けた。当然リンソーディアは反論する。
「さっきの今で気持ち悪いとは何事ですか。いま私は最高に幸せな気分なんです。水を差さないでくださいよ」
「そうか。幸せか。……俺もだ」
ふ、と小さく微笑んだヴェルフランドに、リンソーディアの内で言い知れぬ感情が湧き上がってきた。自分の意思に反して顔がニヤつく。
「んふふ、愛してますよー、フラン様」
「……お前、酔っ払ってるわけじゃないよな?」
訝しげな顔でジロジロ見てくるヴェルフランドはじつに失礼な男だったが、もうそれに苦言を呈さないほどリンソーディアはご機嫌だった。
並んで歩きながら、これから先のことに思いを馳せる。
考えてみれば、追っ手のことを気にせずに余裕を持って何かを考えるのは、本当に久しぶりのことだった。将来が明るいと思えることも。
「本当に幸せですね」
なお後日、ヴェルフランドは迷いの森で怒れる某シスコンと何度も死闘を繰り広げるハメになり、その余波で森の一角が見事に消し飛ぶことになる。
リンソーディアがヴェルフランドと結婚するまで迷いの森は戦場と化し、村人の立ち入りが一時的に禁じられたりもしたわけだが、それは完全にどうでもいい後日談であった。
これにて完結となります。
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
活動報告にて、改めて完結のお知らせと、本編では明らかにならなかった部分の解説をする予定ですので、気になる方はのちほどそちらもご覧ください。
追記:後日談に当たる短編「亡国の公爵令嬢は今日も愉快に暮らしてる(https://book1.adouzi.eu.org/n3399he/)」もありますので、興味のある方は、ぜひ。
さらに追記:往生際悪く番外編シリーズ「いつかどこかの誰かの話(https://book1.adouzi.eu.org/n9350he/)」もできました。世界観や設定をより深く楽しみたい方で、シリアスな展開でも大丈夫という方はどうぞ。




