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28. なんかダサい格好で捕まってるな


 元アークディオス皇宮の地下最下層には、重罪人用の牢獄がある。その最奥で厳重な監視下に置かれていた『彼』のもとに、クライザーは久しぶりに足を運んだ。見張りの兵士たちはすべて下がらせて、彼と一対一で対峙する。



「君の妹が来るよ」


「…………」


「僕の妃になってもらうんだ。祝福してくれるよね?」


「…………」



 四肢を拘束し猿轡も噛ませている彼は、なんの反応も示さない。しかし猿轡を外したところでなんの反応も返ってこないことを、クライザーはよく知っていた。



「彼女が来たら君にも会わせてあげよう。いや本当に、君を交渉材料にしなくてすみそうで良かった良かった」



 機嫌よく笑うクライザーを、彼はじっと観察していた。視覚も聴覚も奪われてはいないので、クライザーの声も表情もわかるのだ。



「それにしても、君って自害するつもりとかないよね? 食事はもりもり食べてるし、舌を噛む気も餓死する気もなさそうだから、猿轡外しちゃおうかな」



 キリアンをはじめ彼のことを恐れる部下たちは、彼を拘束した当初から、やれ四肢を切り落とせだの、やれ五感もすべて排除しろだのとうるさかった。それが気に食わなかったクライザーは、それらの進言をすべて無視していたけれど。

 うるさい兵たちの目がないのをいいことに、クライザーは勝手に牢の鍵を開けて、彼に近づき猿轡を外した。これで四肢を拘束されている以外はすべて自由になったことになる。それでもだんまりを決め込む彼だったが、クライザーは特になにも思わず牢の外に出ると、再び厳重に鍵をかけた。



「久しぶりの再会になるわけだし、発声の練習くらいしておいたほうがいいんじゃない? もう一年くらいはまともに喋っていないんだから、そのくらいはしようよ」


「…………」



 けれど、やはり彼はうんともすんとも言わなかった。まあいい。伝えるべきことは伝えた。クライザーは「また来るよ」と告げて踵を返す。

 クライザーが立ち去り、下がっていた兵たちが戻ってくるまでのほんのわずかな空白の時間。彼は、ふ、と息を吐き出した。



「――ほんと、脳内お花畑で羨ましい限りだね」



 かなり掠れた声で、彼は呆れたようにそう呟いた。そしてクライザーが残していった情報を頭の中で整理する。

 近いうちに、妹がここへ来るらしい。ということは……。そこまで考えて、彼は溜め息をついた。



「やれやれ。悲しいかな、僕の可愛いディアよりも先に、あいつと再会することになるかもしれないな」



 まあ、それでもいいか。彼はにやりと笑った。それもまた一興である。

 やがて見張りの兵士たちが戻ってきて、彼の猿轡が外されているのを見て大騒ぎし始めるのだが、それを無視して彼はひたすら思考に没頭するのだった。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




 リンソーディアとパトリシアを乗せた馬車は、皇宮へ向けて比較的順調に予定通りの行程を辿っていた。


 途中、一度だけレジスタンスもどきのような破落戸(ごろつき)の一団に襲撃されたが、爆睡していたリンソーディアはパトリシアに起こされるまで外の騒ぎに気づいていなかった。寝ぼけ眼を擦っていると、馬車の外から「少しは手伝ってくださいよッ!」というキリアンの叫びが聞こえてきた。が、寝起きだったリンソーディアはその声を完全に無視する。自分が出るまでもないだろう。

 というか、この程度の破落戸にやられていては、ウィズクローク軍の名折れである。ここにいるのは皇太子妃を護る精鋭揃いのはずなのだ。


 そう思って放っておいたら、護衛たちの隙をついたと思われる破落戸が、この馬車のすぐそばまで接近してきた。思っていたよりも敵の数が多く、交戦中に守りを突破されたのだろう。

 リンソーディアは面倒臭そうに溜め息をついた。そして一瞬だけ馬車の扉を開けて、シュッと短剣を投げ飛ばして一撃必殺で撃退した。キリアンが「あなたは引きこもりの暗殺者かなにかですかッ!」と失礼なことを叫ぶので「うるさいですよ」と一蹴し、その後は本当に馬車に引きこもってやった。

 しかし一撃必殺のリンソーディアに恐れをなしたのか、その後はこの馬車の外だけ静かなものだったので、リンソーディアは心置きなく二度寝を始める。ちなみにパトリシアは終始オロオロと護衛たちの心配をしていて可愛かった。


 そんなわけで紆余曲折がありながらも、馬車は無事に皇宮へと辿り着いたのだった。

 到着した時点ですでに夕方になっていたことから、クライザーとの謁見は翌日に回され、リンソーディアは客室へと案内された。護衛付きメイド付き監視付きではあったが、チェザリアン王宮でも経験済みの展開であったためリンソーディアは別に気にしない。誰に見られていようと爆睡できるのが彼女である。


 そして翌日、リンソーディアは寝坊した。半ば意図的に。



「リ、リンソーディア様! 早く起きてくださいませ! 謁見前に身支度を!」


「まずは大至急お風呂に! 隅々まで綺麗にして香油を塗り込んで……」


「ドレスはこちらを! ああダメ、急いで! このままだと髪を結う時間がないわ!」



 謁見の二時間前にバタバタと動き出すメイドたちだが、もっと早く起こせばいいのにとか言うことなかれ。起こしてもリンソーディアが起きようとしなかったのだ。クライザーとの謁見に着飾る必要性を感じなかったため、フカフカのベッドで寝ていたほうが百倍有意義と判断したらしい。


 結果、リンソーディアは半泣きのメイドたちを尻目にちゃっちゃと朝風呂に入り、そのあと着せ替え人形よろしく棒立ちし、髪を結われている途中で時間切れとなり謁見の間へと連行されることになった。リンソーディアを連行する役人たちにメイドたちの怨念が向けられたが、それはどうでもいいことである。

 勝手知ったる道のりを歩きつつ、周りを歩くのは全然知らぬ顔ぶれだ。ウィズクロークの役人たちと、ウィズクロークの兵士たち。リンソーディアの味方は誰もいない。


 でも、これでいいのだ。味方がいないということは、守るべき存在もいないということ。誰のことも気にせず、思う存分、好き勝手に動いても問題ないということなのだ。

 そうして仮面の下でほくそ笑みながら始まった謁見だが、さすがはクライザーと言うべきか、彼も彼でリンソーディアの予想をはるかに上回るものを用意していた。



「……今、なんと仰いましたか?」


「あなたのお兄さんを保護している、と。もちろん五体満足で、意識もはっきりしています。ぜひ顔を見せてあげてください」



 にこやかにそう告げるクライザーに、リンソーディアは初めて仮面の表情を崩してしまった。

 形式通りの挨拶が済んだ直後にクライザーから放たれたのは、求婚の言葉ではなく、リンソーディアの兄であるソティーリオの生存報告であったのだ。



「もっと早くお伝えしていれば良かったですね。申し訳ありません」


「…………」



 リンソーディアは俯いた。かすかに手が震えた。……兄が生きている?

 いや、とリンソーディアはかぶりを振った。あの多勢に無勢の猛攻のなか、生き延びるなどありえない。ありえないが――あの兄なら、ありえる。ありえてしまうところが、嫌だった。

 混乱する。冷静な判断ができない。



「……あなたが、兄を助けてくださったのですか」



 リンソーディアの問いに、クライザーは微笑んで頷いた。



「ええ。実はあの奇襲軍を指揮していたのが僕だったもので。でも助けられたのは偶然のことでした」



 クライザー曰く、ティルカーナ一族は確かに一人残らず討ち死にしていた。けれどそれを確認しつつ皇宮をめざして進軍していると、ほんの微かに息をしている唯一の生存者を見つけたのだ。もちろん兵たちは彼にとどめを刺そうとしたが、他ならぬクライザーがそれを止めた。止めてしまった。


 戦いで煤けた琥珀金の髪と、こちらを睨みつけるアメトリンの瞳と、その奥で燃え盛る折れることのない鋼の精神力。

 気がつけば、彼を殺さず捕虜として連れていくよう部下たちに指示を出していた。殺すな、自害もさせるな、手当てをして、なにがなんでも死なせるな、と。



「……いま考えれば僕の自己満足です。別に僕は彼を助けたくて助けたわけじゃなかった。ただ、彼はとてもよくあなたに似ていたから。そして、かつてあなたがそうやって僕を助けてくれたから」



 リンソーディアの真似をして、瀕死の敵を助けてしまった。そして、なんだかいいことをしたような気になった。まるで善人にでもなったような気分。あくまで気分の問題なので、どう転んでもクライザーは善人にはなりえないけれど。



「そう、でしたか……」



 リンソーディアの声が震える。喉の奥から何かがこぼれそうになった。けれどそれを喉の奥に押しとどめ、代わりにリンソーディアは酷い笑顔を浮かべた。


 薄々そんな気はしていたが、やはり家族を殺したのはこの男だったらしい。ティルカーナ家全滅の元凶。破滅の皇子クライザー。

 けれど、リンソーディアには彼を糾弾する気も、その資格も持ち合わせてはいなかった。結局は同類なのだ。自分もクライザーの兄や弟、そしてたくさんの部下たちを死に追いやったのだから。



「……兄に会わせていただけますか?」


「もちろんです。ご案内しましょう」



 求婚の話は出さないまま、クライザーは立ち上がった。そしてリンソーディアに向かって手を差し出す。

 しかし、差し出されたその手をリンソーディアが取ることはなかった。彼からはなにも貰う気がなかった。なにひとつ。その心でさえ。


 クライザーもパトリシアも、恐らくリンソーディアがここへ来た理由を誤解している。

 ヴェルフランドと離れてまでここへ来た理由は、断じてクライザーの妃になるためではないのだ。かと言って、観念したからでも、逃げるのを諦めたからでもない。


 手を取ろうとしないリンソーディアの様子に、クライザーは少し寂しそうに笑った。けれど差し出していた手をおろし、何事もなかったかのように「行きましょう」と歩き出す。リンソーディアは黙ってついていった。

 長い階段をおりる。向かう先は重罪人用の牢獄がある地下最下層。リンソーディアもあまり足を踏み入れたことがない場所だった。だから。



「――遅い。待ちくたびれた」



 地下牢の最奥でヴェルフランドが待っていたとき、リンソーディアは本気で驚いたのであった。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




 時は少し遡り、リンソーディアが謁見のため渋々準備をしている頃。

 囚われていたソティーリオ・シド・ティルカーナは、ずず、と重いものが動くような音を聞いた。大きな石を引きずるような、そんな音。

 その音が止まったかと思いきや、今度は奥から誰かが歩いてくる足音がした。だがその方向には行き止まりしかなく、そこから誰かが来るなどありえない話だった。ありえるとすれば、石壁を通り抜けられる幽霊か、あるいは――。



「……なんだ、思ったよりも人が多いな。誰かを拘束しているのか?」



 突然、ここにいるはずのない、というか侵入できるはずのない人物の声が響き渡った。見張りの兵士たちがバッと振り返ると、そこには忽然と現れた幽鬼のような青年が立っている。

 松明に照らし出された彼の容貌を見て、兵士たちの顔がみるみる青ざめていった。



「き、貴様、まさかアークディオスの第三皇子ヴェルフランド……!?」


「な、なぜここに! どうやって!」


「馬鹿者、早く殺せ! そいつだけは生かしておくなとクライザー殿下が……えっ?」



 いつ距離を詰められたのかも分からなかった。瞬きした次の瞬間には、眼前にヴェルフランドが迫ってきており、兵士たちは為す術もないまま次々と昏倒させられていく。

 その場にいた全員を片付けたヴェルフランドは、そこでようやく牢の中で囚われていたソティーリオに気がついた。そして一目見て微妙な顔をする。



「なんかダサい格好で捕まってるな、リオ」


「……誰にどう思われようと別に構わないんだけど、君にダサいって言われるとなぜか屈辱で死にたくなるね」



 久しぶりに会った親友に対してこの言い草である。ソティーリオはイラッとしたが、いろんな意味で通常仕様の親友に安堵もしたので溜飲を下げることにした。そもそもヴェルフランドに再会を喜ばれたところで気持ち悪いだけだ。

 ソティーリオは改めて親友の顔を見る。しばらく見ぬ間に、少しだけ雰囲気が変わった気がした。


 石壁のその向こうからこの場所へやって来られるとしたら、それは石壁を通り抜けられる幽霊か、あるいは。

 この地下最下層にある秘密の抜け道を知っている、アークディオスの皇族くらいである。



「で、なにしに来たの。僕を助けに来たってわけじゃないよね?」


「ああ。ディアの様子を見に来たんだ。というかお前生きていたのか。良かったな」


「すっごく心がこもっていないけど、一応ありがとうと言っておくよ」


「いや、お前ならなんとなく生きている気がしたからな。別に驚かないだけだ」



 そんなことを話していると、背後の石壁がまたずれるような音がした。そしてそこからひょっこりと顔を覗かせたのは。



「フランくん、終わったー?」


「終わった。出てきてもいいぞ。あと予定変更で、お前はこいつを連れて先に脱出してくれ」



 転がる兵士たちを縛り上げながらヴェルフランドがそう言うと、石壁の隠し扉から出てきた笑顔の青年が「わかったー」と牢の鍵を探しに行った。知らない顔にソティーリオが説明を求めてヴェルフランドを見ると、彼はわずかに口角を上げて笑った。



「あいつのことは信用していいぞ。名前はハウエル・サラサエル。腕のいい元傭兵で、俺とディアもそれなりに世話になった奴だ。ああ、『流浪の傭兵エル』って通り名のほうが有名か?」



 それは、第十三監獄で看守兼厨房担当だった青年の名前であった。


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