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26. 何度も言わないぞ


 ある日の朝、ヴェルフランドはひたすら無言で朝食を咀嚼していた。テーブルの上には真っ赤なナニカと、真っ黒なナニカと、ドロドロゴポゴポなナニカが並んでいる。



「…………」



 テーブルの向こう側に座っているリンソーディアも、黙々と同じものを食べながら、それでも時折首を傾げて「どうしてこうなった?」という表情を浮かべていた。だがそれはヴェルフランドのセリフである。本当に、なにをどうしたらこうなるんだ?

 真っ赤なナニカはトマトソース的なものでコーティングされた魚っぽいもの、真っ黒なナニカは焦げたパンのようなもの、そしてドロドロゴポゴポしているものはスープだった。ヴェルフランドはそれらを顔色ひとつ変えずに着々と胃に収め、最後に木製のカップで水を飲み、一言。



「二点」



 その評価に、リンソーディアは「えっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。



「この料理のどこに二点のプラス要素が!?」


「パンは零点、スープはマイナス十点、魚がプラス十二点」


「十二点!?」



 過去最高得点である。リンソーディアが乱舞しているのをよそに、ヴェルフランドはなんとなく両手をグーパーさせてみた。

 味と見た目はともかく、身体にはいいリンソーディアの手料理。いつもはその効力を発揮するまでにやや時間がかかっていたのだが、どうにも最近それが遅効性から即効性に変化しつつある気がする。



「お前が鍋の中に容赦なく薬草をぶち込む薬草戦術だが、食べてからキマるまでの時間が前よりも短くなってないか」


「なんですかその斬新な戦術。初耳なんですけど」



 まるで違法薬のような言い方をするヴェルフランドにイラッとしつつも、リンソーディアは「まあ、そうですね」と同意した。



「たぶん普通の薬草じゃなくて、迷いの森で採取した薬草を使っているからじゃないかと。使っている薬草の種類は変えていませんから、違うことといえば産地くらいです」



 なるほど。ヴェルフランドは頷いた。これで『迷いの森産のものは総じて品質が高い』というサラサエル博士の仮説が正しかったことが証明された。


 それにしても、いつになったらリンソーディアの料理の腕はマシになるのだろうか。食器を片付けながら、ヴェルフランドはぼんやりとそんなことを考える。

 亀のような速度で上達していることは分かっているが、いかんせんスタート地点がドン底すぎて、未だに地上ゼロ地点にすら到達していない状態なのだ。たぶん三食欠かさず作って経験値を積んでも、人並み程度になるにはあと三十年くらいかかると思われる。



「ところでフラン様、本日のご予定は?」


「ん? ああ、サラサエル博士を連れて森の深部ギリギリまで行くことになっている。お前は?」


「私はブリジットさんや村の子供たちと一緒に七色果実(アルコイリス)を探しに行きます。あ、ニールさんもついてきてくれるそうなので問題はありませんよ」



 天然の万能薬として超有名な七色果実(アルコイリス)だが、一生で一度もお目にかかれず終わる人が九割だといわれるほどの幻の果実でもある。以前リンソーディアが偶然見つけてガイアノーゼルの市場に持っていくと大騒ぎになり、あのときは本当に焦ったものだ。少し懐かしい。



「そうか。確かに迷いの森なら探せばいくらか見つかるだろうからな。まあ頑張れ」


「ええ、頑張ります。でもあの七色果実(アルコイリス)が探せば見つかるとか、本当にふざけた森ですよねえ」



 そんなことを話しながら、二人は朝食の片付けを終えたあと、仲良く連れ立って家を出た。リンソーディアは待ち合わせ場所の酒場へ、ヴェルフランドはサラサエル邸へと向かうことになっている。



「ではまた、夕方にでも」


「ニールがいれば大丈夫だろうが、一応気をつけろよ」


「フラン様も。いざとなったら博士を生贄に差し出して即刻逃げてくださいね」


「わかってる」



 手を振ってから出かけていくリンソーディアを見送ってから、ヴェルフランドもサラサエル邸へと足を向けた。

 歩きながら、ふと思う。博士を生贄にしろとかなんとか言っていたリンソーディアだが、そういえば博士の弟については知っているのだろうか。……知らなそうだ。ああ見えてあの幼なじみは案外抜けているところがあるから。そのあたりは抜け目がなかった彼女の兄とはまったく違う。


 そこまで考えて、今は亡きリンソーディアの兄に少しだけ思いを馳せた。恐らくヴェルフランドの生涯で、ただ一人の親友と呼べるような存在だったあの男を。

 恐ろしいほどの切れ者で、誰もが羨む頭脳と誰もが憧れる美貌を兼ね備えた、完璧すぎる次期公爵。しかしその本性は、人としての道を踏み外しかねないほどの超絶シスコン男であった。



「千回殺しても平然と生き返りそうなあいつが、ディアを残してこんなにあっさり死ぬとはな……」



 思わず苦い声が出る。特技が『死んだフリ』だというあの男は、窮地に陥るたびに自らの死を偽装して、敵の意表を突いては最高の戦果をあげて何度もにやにやと意地が悪い顔で生還してくるような奴だった。

 その彼が、最愛のリンソーディアを守って死んだ。まさかあいつがそんな普通の死に方をするなんて、ヴェルフランドは夢にも思っていなかった。あいつらしくて、全然あいつらしくない。

 だからこそ未だに親友の死を信じきれないヴェルフランドだ。さすがにあの状況で生き残れるとは思わないし、実際死んでいたほうが幸せだろう。でも、なんだか、釈然としなかった。


 そんな悶々とした気分を抱えてサラサエル邸に到着したヴェルフランドを出迎えたのは、顔面蒼白な元部下たちだった。彼らのただならぬ様子にヴェルフランドが眉を寄せると、彼らもヴェルフランドに気がついて小走りで駆けてくる。



「大変です、フラン様!」


「なにかあったのか」


「ウィズクロークのパトリシア皇太子妃殿下がいらっしゃっております! リ……、ディア様にお会いしたいと」



 思わぬ名前にヴェルフランドは瞠目した。パトリシア。クライザーの妃で、チェザリアン王宮ではリンソーディアを擁護してくれた唯一の女だ。



「……博士はどうしている」


「応接間にてパトリシア様とご歓談中です。ディア様の話題についてはのらりくらりと躱して、言葉巧みに話を逸らしてくださっています」



 ほう、とヴェルフランドは感心したように腕を組んだ。あの変人研究者にそんな話術があったとは驚きである。だがまあ、そういうところは博士の弟である彼に少し似ているとヴェルフランドは思った。全然似てない兄弟だと思っていたが、そうでもなかったらしい。



「フラン様、本日ディア様は……」


「酒場の女主人と村の子供たちを連れて、迷いの森で七色果実(アルコイリス)探しだ。一応ニールがついている」



 皇太子妃であるパトリシアが来たということは、彼女の護衛としてそれなり人数がこの村に来ているはずだ。しかも皇族の護衛を任せられるような精鋭部隊であって、間違ってもヘボ兵士などではないはず。

 そんな連中がいる中で下手に動いたりしたら、村狩りのような事態にならないとも限らなかった。ヴェルフランドとしてはどうでもいいことだが、この村が気に入っているリンソーディアは村の一大事に黙っていられるわけがない。



「……俺がパトリシアのところに行く」



 瓶底眼鏡を外して迷いなくそう言い放ったヴェルフランドに、当然だが元部下たちは猛反対した。



「危険すぎます! パトリシア様のそばにも、この村の入り口にも、ウィズクロークの兵士たちがいて見張っているんですよ! フラン様はすぐにディア様を連れてお逃げください!」


「俺もそうしたいところだが、ディアはそれを許さないだろう」



 目の前には複数の選択肢が広がっていた。しかしヴェルフランドは迷わないし、悩まない。いつもそうだ。迷ったり悩んだりするのはリンソーディアのほうであって、ヴェルフランドは最善しか選ばない。リンソーディアにとっての最善を。



「誰か森に行ってディアにこのことを伝えろ。その間に俺がウィズクロークの連中を足止めする」


「ですがフラン様!」


「何度も言わないぞ。……ディアのところへ行け。行って、あいつの望む通りにしてやってくれ。逃げるにしても面会するにしても、あいつが決めたことなら俺に異論はない」



 たとえリンソーディアがどんな選択をしたとしても。たとえそれが『最良』とは言えない選択であったとしても。

 それが彼女にとっての『最善』であるのなら、ヴェルフランドはいつだってそれを助け、結果的に最良だったといえるように協力してやるだけだった。

 ヴェルフランドの答えはいつだって単純明快。すべてはリンソーディアの心のままに。それを貫く限り、ヴェルフランドは絶対に後悔なんてしないから。


 渋る元部下たちを森に送り出し、残ったサラサエル邸の使用人たちを引き連れて、ヴェルフランドはパトリシアがいるという応接間へと足を進めた。使用人のひとりが接待中の博士に声をかける。



「……ご歓談中に失礼いたします。サラサエル博士、お客様がお越しになられました」


「おお、フランくんか。来たということは覚悟が決まったということだね。いいよ、通してあげて」



 応接間には、ソファーに腰かけている博士とパトリシア、そしてパトリシアの護衛四名が立っていた。護衛のうちの一人はヴェルフランドにも見覚えがある青年だった。確か、キリアンとかいうクライザーの側近中の側近だ。



「ヴェルフランド皇子!?」



 リンソーディアではなくヴェルフランドが来たことに驚いたのだろう。パトリシアがパッと立ち上がるとすぐさま淑女の礼をする。それを見咎めたのはキリアンだった。



「妃殿下、この男はもう皇族でもなんでもない一般人、もっと言えばクライザー殿下に牙を剥く大罪人です。あなたが敬意を示すべき相手ではありません」


「……そうかもしれません。でも、わたくしは彼の立場に敬意を示したわけではないのですよ」


「は? どういうことですか?」



 訝しげな顔をするキリアンをよそに、パトリシアはもう一度ヴェルフランドに向き直った。



「彼が失礼いたしました、ヴェルフランド皇子」


「……俺を皇子と呼ぶ必要はない。そいつの言っていたことは正しい」


「では、ヴェルフランド様。あなたに直接お会いできて良かったです。あなたには感謝したいことがあったものですから」



 感謝。あまりにも意外な言葉だったのか、ヴェルフランドは怪訝な顔でパトリシアを見返す。彼女に感謝されるようなことをした覚えはまったくない。



「アークディオスを逐われてから今日までずっと、あなたがリンソーディア様を守ってこられたのでしょう。……クライザー様は決してそれをお認めにはならないでしょうが」



 それはそうだ。クライザーはリンソーディアと一緒にいるヴェルフランドのことを、憎みはすれど感謝なんてするわけがない。

 パトリシアは笑った。こちらの毒気が抜かれてしまうような微笑み。そうして彼女はヴェルフランドに向かって改めて淑女の礼をしたのだ。



「恐らくあなたにとっても特に難しかったであろうこの時期に、リンソーディア様を助けてくださったことに心よりお礼申し上げます。わたくしにとってリンソーディア様はとても尊敬しているお方。クライザー様がなんと言おうと、わたくしはあなたの献身に感謝致しますわ」


「…………」



 毒気が抜かれてしまうような微笑みを向けられても、ヴェルフランドの心は動かない。それでも拍子抜けはした。まさかこう来るとは。

 後ろで控えていたキリアンが額に手を当てて悩ましげになっている。パトリシアの言動に頭痛を覚えているのだろう。確かにこれはクライザーの忠臣にとっては見逃せないことかもしれないが。



「妃殿下……本来の目的を忘れてはおられませんか?」


「いいえ、きちんと覚えております。わたくしはそのためにクライザー様に遣わされたのですから」



 キリアンの苦言にも動じることなく、パトリシアはきっぱりとした口調で答えた。そしてヴェルフランドに問いかける。



「ヴェルフランド様、正直にお答えください。リンソーディア様は今どちらにおいでですか?」


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