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23. クライザー殿下には欲しいものがあります


 四月。チェザリアンでは他国より遅い春が訪れていた。ずっと通行止めだった街道もついに開通することになり、人と物の行き来が盛んになったため、民はみな笑顔を浮かべている。

 しかし民衆たちの活気とは裏腹に、王宮では真っ青な顔をした重鎮たちが顔を突き合わせていた。



「……そうですか。それでリンソーディア様に逃げられた、と」


「も、申し訳ありません、キリアン殿!」



 遠路はるばるチェザリアン王宮へとやって来ていたキリアンは、にっこり笑いながら青ざめた大臣たちを眺めている。王宮で保護していたはずのリンソーディアに逃亡されたという報告は伝書鳩で聞いてはいたが、当時の状況を詳しく聞いて呆れ返るしかなかった。



「リンソーディア様は何度も死地から生還されているアークディオスの戦姫。それなのに部屋に軟禁しただけで彼女を確保した気でいたとは……呆れてものも言えませんね」



 むしろキリアンとしては、その状況下でリンソーディアがしばらく王宮に留まっていたという事実のほうが気になる。いつでも脱走できるザルな監視下にあえて留まっていたということは、恐らく情報収集でもしていたのだろう。

 リンソーディアは前線で戦うことが多いためあまり知られてはいないのだが、じつはヴェルフランド曰く「変態並みの諜報能力」の持ち主なのだ。


 キリアンは溜め息をついた。もはや彼にとってチェザリアン王国は用済みな存在だった。ほんの数日間もリンソーディアを確保しておくことができず、逆に情報収集する隙を与えてしまったうえ、周りに人がいないわけでもなかったのにあっさりと取り逃した。……思っていた以上に、無能すぎる。

 一方、リンソーディアたちの逃亡に一役買ったとされているダンハウザー侯爵家とレーベルト伯爵家は見所がある。国に目をつけられる可能性をものともせずに、助けたい人を助けるためにすぐさま動けるその気骨。なかなかできることではない。



「ところでリンソーディア様に毒を盛ったメイドの処遇は?」


「ガイアノーゼルの第八監獄に収監しております」



 ぬるい。キリアンならば第十二監獄に送るだろうし、クライザーならばとっくに処刑しているはずだ。

 しかし、リンソーディアが死んだわけでもあるまいし、たかが王宮メイドの罪状にまで他国の自分たちが口を出すこともないだろう。キリアンは「そうですか」と頷くだけに留めた。



「キリアン殿、お詫びのしようもございませんが、せめてもの気持ちでクライザー殿下への贈り物をご用意いたしました。どうかお受け取りください。リンソーディア様の行方についても現在全力で……」


「もう結構。あなた方がいくら尽力したところで、リンソーディア様を見つけることなどできないでしょう」



 リンソーディアの足止めすらできなかった彼らが、ヴェルフランドと合流しているであろう彼女を確保するなど百年経っても不可能だ。格が違いすぎる。



「捜索は我々がしますので余計なことはしないでいただきたい。クライザー殿下も事を大きくすることは望まれていませんので、贈り物はありがたく受け取りましょう。これでこの件に関しては終わりにします」


「はっ、ご温情に感謝いたします」


「時にキリアン殿。我が国の慈愛の姫君、パトリシア王女殿下とクライザー殿下の婚約は、その、無効になったりは……」



 その言葉に、周りにいた全ての大臣たちが息を呑んだ。それは誰もが気になっていたことだ。キリアンはうっすらと笑う。



「さすがに我々も無実のパトリシア様に恥をかかせるような真似はいたしませんよ。聞いたところによると、パトリシア様は最後までリンソーディア様の味方でいてくれたというではありませんか」



 正直、ちょっと彼女のことを見くびっていた。まさかあの大人しそうで控えめなパトリシアが、リンソーディアのためにあそこまで強く弁護に回るとは。キリアンはもちろん、これには一連の報告を聞いたクライザーも意外そうに目を丸くしていた。そのくらい予想外なことだったのだ。



「パトリシア様の輿入れは予定通りに進めさせていただきます。ご準備を」


「はいっ」


「その日はクライザー殿下が直々にこちらへ足を運ばれますので、それも念頭に進めてください。……では、リンソーディア様の捜索がありますので、本日はこれで失礼いたします」



 今回の訪問はあくまで事実確認のためだ。長居は無用。それより問題はリンソーディアの行方である。

 踵を返したキリアンは、廊下の先で誰かがじっとこちらを見ていることに気がついた。意外なその人物の姿に目を見開く。



「……キリアン殿、少々お時間よろしいでしょうか」


「これはこれは、チェザリアンの慈愛の姫君、パトリシア王女殿下にご挨拶申し上げます」



 今まではあくまでリンソーディアのおまけ程度の認識だった彼女だが、今回の件で随分と印象が良くなった。適当に躱すことなく、多忙なキリアンがこうしてきちんと足を止める程度には。



「いかがされましたか。婚約の件についてでしたら滞りなく進――」


「いえ、リンソーディア様のことです。……ご無事、なのでしょうか」



 キリアンはわずかに眉を上げた。今度こそ、本当に驚いた。

 パトリシアはクライザーとの婚姻に乗り気だった。客観的に見ても、今か今かと指折り数えて楽しみにしているようだった。

 けれど、今回の件で婚約が破棄されるかもしれないという懸念より先に、リンソーディアのことが心配だと彼女は言う。パトリシアは自嘲するように笑った。



「わたくしはリンソーディア様のことをなにも分かっていませんでした。限られた情報の中だけで判断して、傷つけるようなことも言ってしまったかもしれません。事実を知らなかったとはいえ、知りませんでしたじゃきっと済まされない」



 それなのに、リンソーディアは出ていく間際に綺麗な笑顔をパトリシアに見せてくれた。



『――どうか、お元気で』



 短いその言葉にどんな複雑な感情が込められていたのか、そのすべて読み取ることなんて到底できなかったけれど。

 たぶん、嫌われてはいなかった。パトリシアがそう思いたいだけかもしれないが。



「……リンソーディア様の行方は未だ掴めておりません。ですが、恐らく無事です」


「どうしてそう言えるのですか」



 パトリシアには分からなかった。行方知らずだというのに、どうしてリンソーディアが無事だなんて言えるのだろう。

 しかしパトリシアとは違いキリアンは確信していた。落城時も今も、リンソーディアは決して一人で逃げているのではないということを。



「ほぼ間違いなくあの男がそばについているからです」



 あの男。パトリシアは首を傾げた。リンソーディアは一人ではないということか。でも誰と一緒にいるというのだろう。



「アークディオス帝国の第三皇子、ヴェルフランド・セス・アークディオス。パトリシア様ならば彼の名前くらいは聞いたことがおありでしょう」



 聞き覚えのあるその名に、パトリシアの顔色が変わった。



「ヴェルフランド皇子……まさか、冷酷非情な次期皇帝と呼ばれていた……」


「はい。リンソーディア様とヴェルフランド皇子はお互いをよく知る幼なじみ同士。アークディオス皇宮が陥落した時から今に至るまで、ずっと共にいると思われます」



 あの二人が組んだら文字通り敵なしである。どちらかを引き離さない限りこちらに勝算はないが、リンソーディア単体でもチェザリアン王国では歯が立たなかった。そんな厄介な二人組。



「クライザー殿下はリンソーディア様だけではなく、ヴェルフランド皇子の身柄も確保したいとお考えです」


「なぜ?」


「不思議なことをお訊きになる。アークディオスの皇族は、ヴェルフランド皇子以外すべてウィズクロークが滅ぼしました。征服するとはそういうことです。唯一の生き残りであるヴェルフランド皇子を見逃す理由があるとお思いですか?」



 むしろ一番に消しておきたい皇族がヴェルフランドだった。気弱な第一皇子と脳筋な第二皇子ならば、生きていても邪魔なだけで大きな障害にはなり得ない。さすがに皇帝は生かしておくわけにはいかなかったが、他は生きていても死んでいてもどうでもいいくらいの人材しかいなかった。第三皇子のヴェルフランドを除いて。

 ……たとえ親兄弟が凡庸でも、たまにそういう際立って異質な人材が生まれることもあるのだ。味方にいれば最強だが、敵に回せば最凶でしかない、生きているだけで厄介な人物が。



「……確かにヴェルフランド皇子は危険人物だと聞いておりますわ。でも彼にはもう、故郷も家族も財産も何もないはず。国が滅びた以上は皇族の血筋だって無意味。これ以上、彼からなにを奪おうと言うのですか」



 周りが血筋を理由に彼を指導者として持ち上げたとしても、本人にその気がなければ国の再興などできるはずもない。そしてあのヴェルフランドにそんな野望があるとも思えない。

 それなのに、ここまで執拗にクライザーがヴェルフランドを追う理由が、パトリシアには分からなかった。しかしキリアンは「いいえ」と首を横に振る。

 確かにヴェルフランドはあまりにも多くのものを失った。しかしすべてを失ったわけではない。一番大事な宝物を、彼は確かに守りきっていた。



「クライザー殿下には欲しいものがあります。しかしヴェルフランド皇子が生きている限り、それは絶対にクライザー殿下のものにはなりません。だからこそクライザー殿下はヴェルフランド皇子を排除したいのです」



 キリアンは少しだけ言い淀んだ。クライザーの婚約者であるパトリシアには言いにくい理由。クライザーが誰かを殺してでも欲しいと思っているもの――否、欲しいと思っている人。

 しかしキリアンの懸念とは裏腹に、パトリシアは冷静だった。そして、キリアンが思っていた以上に、聡明だった。



「……リンソーディア様ですか?」


「…………」


「そんな気はしていました。でも、それなら尚更――」



 パトリシアは何かを言いかけて、ぎゅっと口を噤んだ。



「――いいえ。すべてはクライザー殿下のお心のままに。わたくしが口を出して良いことではありませんわ」



 クライザーが何を思ってパトリシアを婚約者にしたのかは分からない。けれど彼の妻になるのなら、よほどでない限り夫である彼の意見を支持すべきである。それが夫婦だ。

 それにパトリシアは事実のすべてを把握しているわけではない。クライザーの気持ちも、リンソーディアの事情も、きっと自分は氷山の一角程度しか知らない。そんな自分が訳知り顔でなにかを意見するなんて、傲慢ともいえることだろう。少なくともパトリシアはそう思う。



「……あなたの輿入れの日が楽しみになってきました」


「え?」


「いえ、なんでもありません。ではパトリシア様、わたしはこれで失礼いたします。リンソーディア様は必ず見つけて保護いたしますのでご安心ください」



 足早に去っていくキリアンの背中をパトリシアはただ見送った。



「…………」



 改めて思い知らされる。できることがあまりにも少ない。クライザーのためにも、リンソーディアのためにも、パトリシアがしてあげられることなんて何もなくて。

 昔からそうだ。いつも一歩引いたところで周りを眺めては、ただ心配することしかできない。それを周りは大人しくて控えめで慈愛に溢れた王女であると評価するけれど。


 行方不明のリンソーディアを思い、パトリシアは目を閉じた。

 彼女はどこでなにをしているのだろう。ヴェルフランドが一緒だろうとキリアンは言っていたが、とにかく無事であればそれでいい。

 いつかまた、同じテーブルに着いてお茶をする機会があるだろうか。またあの綺麗な笑顔を見せてくれるだろうか。

 そんなパトリシアの思いは言葉になることもなく、彼女の胸の内で浮かんでは形にならずに消えていった。


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