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挿話. 皇宮での彼ら〈後編〉


 ヴェルフランドは頭痛を覚えながらもリンソーディアから渡された釣書を目の前の仕事サボり魔に押しつけた。妹の不始末は兄の不始末である。押しつけられたソティーリオはムッとした。



「ちょっと、見るだけ見てくれてもいいんじゃないの? せっかく僕のディアが貴重な時間を費やしてまで君のために」


「うるさいぞシスコン。ディアはともかくお前は完全に面白がっているだけだろう。とっととその釣書を処分してこい。そして働け!」



 据わった目つきで釣書を差し出してくるヴェルフランドに、ソティーリオはわざとらしく溜め息をついてみせた。そしてやれやれといった風情で仕方なくそれを受け取る。

 突き返された釣書をしげしげと眺めつつ、ソティーリオはちらりと視線だけをヴェルフランドに向けた。



「……ねえ、これ本当にいらないの?」


「しつこいぞ。俺には必要ない。欲しけりゃやる。そして働け」


「それさっきも聞いたよ。……ふーん、せっかく僕のディアが()()()()を見繕ってくれたのになあ」



 なんとなく含みを持たせたソティーリオの言い方にヴェルフランドは怪訝な顔をした。



「……なにが言いたい?」


「君にしては珍しく察しが悪いなあってこと。考えてもみなよ、君が本気で嫌がるようなことをディアがやるわけないだろう? なのにわざわざこんなものを作って寄越すなんておかしいじゃないか。言っておくけど僕のディアはそこまで暇人じゃないからね」



 それは、まあ、確かに。ヴェルフランドは改めてリンソーディアがわざわざ作ったらしき釣書の束に目を留めた。

 釣書とは、すなわち身上書である。対象となる人物の経歴や家族関係、さらに現在の状況などが記されているもので、見合いなどでは自己紹介のために使われるものだ。ヴェルフランドは目を眇めた。



「釣書に見せかけた調査資料というわけか」


「そういうこと。言ったでしょ、僕のディアは暇じゃないって。これもれっきとした仕事の一環。特に最近は四方八方から狙われていてね、ディアも大変なんだよ」


「よし、分かった。詳しく話せ」



 四方八方から狙われているというのは聞き捨てならない。リンソーディア絡みになるとつい放っておけなくなるという悲しい(サガ)を持つヴェルフランドは、とりあえず未決裁の書類を机の両脇に寄せて聞く体勢に入った。それでいいのかと突っ込んでくれる常識人は今この部屋には存在しない。いるのはリンソーディアにとってのモンペ皇子とシスコン兄だけである。



「あれは僕たちがキュアの平原に出陣する少し前、宮廷舞踏会で君が僕のディアを指名して、キャッキャウフフと踊りやがった数日後のことだけど」


「キャッキャウフフとは程遠い時間だったが構わん続けろ」


「ファウベル侯爵令嬢からディア宛てに果たし状が届いたんだ」


「ほう」



 ソティーリオは数ある釣書の中からサッと一枚を抜き出してヴェルフランドに手渡した。どうやらこれがファウベル侯爵令嬢についての調査資料らしい。

 ファウベル侯爵令嬢といえば、ヴェルフランドの婚約者候補の一人であり、率先して他の候補者たちを蹴落とそうとするほどその座に執着していた人物だ。しかし、リンソーディアという高すぎる壁に阻まれて未だにヴェルフランドにほとんど近づけていないため、逆に彼に殺されずにすんでいるという奇跡の生き残り勢でもある。


 ちなみにかのご令嬢がリンソーディアに送ってきたのはほぼ果たし状のような内容ではあったが、一応かろうじてお茶のお誘いの体裁は保っていた。敵意がビシバシ伝わってくる好戦的な内容なのにかろうじて招待状の体裁を保っているあたり、彼女はそれなりに優れた文才を持っていると思われる。



「当然だけどディアは無視した」


「だろうな」



 予想通りの流れだったため、ヴェルフランドは特に驚くこともなく頷いた。きっと彼女は慣れた手つきで「おととい来やがれ」的なお断りの手紙をしたためたことだろう。


 たとえ果たし状ではない善意からのお誘いであったとしても、リンソーディアがこの手の招待に応じることなど滅多になかった。さすがに家柄的に格上である相手からのお誘いならば渋々でもきちんと顔を出すが、それ以外では必要最低限の交流しか持たないのだ。

 そして、幸か不幸かティルカーナ公爵家よりも格上の家柄はもはや皇族しか存在しない。おかげでリンソーディアの交友関係は年々順調に狭まってきていた。



「後日、激怒したファウベル侯爵令嬢が他家の令嬢たちと結託して、君をダシに僕のディアを強引にお茶会に招いた」


「その他家とやらを詳しく教えろ」


「ガルシア伯爵家、ユベール子爵家、モラン子爵家のご令嬢たち。はいこれ資料」



 バサッと三枚の釣書を渡される。似姿はもちろん、対象人物の趣味や特技、好きな色や音楽や食べ物、さらには基本的な一週間のスケジュールや個人的な悩み、果てはその交友関係を網羅した見事な相関図まで記載されている資料だ。ヴェルフランドは呆れた。リンソーディアの諜報能力は相変わらず変態並みである。彼女は一体なにを目指しているのだろうか。

 もはや釣書と呼ぶにはあまりにもタチが悪いそれに目を通しつつ、ヴェルフランドはソティーリオに続きを促した。



「俺をダシに使ったというのは?」


「なんか、君の耳に入れておきたい重要な情報があるんだけど、君と直接話すなんて恐れ多くてとてもできないから、まずは君の幼なじみで最有力婚約者候補でもあるディアの意見を聞きたいとかなんとか」


「……一応訊くが、ディアはそれを信じたのか?」


「んなわけないでしょ。あまりにも杜撰(ずさん)な口実に一周回って感心しているみたいではあったけどね」



 そんな経緯を経て、ご令嬢たちが手ぐすね引いて待ち構えているお茶会に面倒臭そうに出向いたリンソーディアだったが、結果だけを言えば圧勝して鼻歌を歌いながら帰ってきた。本人曰く、「思った以上にいろいろな情報を仕入れることができた予想外に有意義なお茶会だった」らしい。


 なお、瞬殺されたうえに情報という情報を搾り取られ、その搾りカスすら残らないような有様になった四人の令嬢たちは、そのあと三日間ほど臥せっていたらしいが、それはわりとどうでもいいオチである。ヴェルフランドが満足気な顔をした。



「さすがはディア。腹に一物ある連中の対処にも定評がある安定のえげつなさだな」


「僕のディアにえげつないとか言わないでくれる? あんなに可愛い僕のディアに向かってさあ」


「分かった分かった、お前の妹は世界で一番可愛いな」



 どこが可愛いというのか。もしこの場に第三者が居合わせていれば心の中でそう突っ込んだに違いない。

 確かに見てくれだけはちょっと他に類を見ない芸術品のごとき美少女だが、その本性はといえば、あの冷血皇子でさえ呆れ果てるほどのかなり食えない性格をしている。


 とはいえ、そんな可愛げのない幼なじみのことを殊更重宝し可愛がっているのが第三皇子ヴェルフランドであり、実兄ソティーリオに至っては彼女のことを溺愛している。このあたりからも彼らの神経がまっとうではないことが窺えた。



「で、話を戻すけど。その時の経験からディアと直接対決しても勝ち目がないことを思い知ったらしくてね。今度は続々と刺客的なものがあちこちから襲ってくるようになって」


「いきなり殺意をむき出しにしてきたなオイ」


「刺客といっても、ちょっと怖い目に遭わせてやろうってくらいの脅し目的であって、命を狙ってるわけじゃないみたいだけどね」



 四方八方から狙われているというのはそういうことだったのか。



「まあ、軒並み返り討ちにして背後関係を吐かせて、うちの戦力総動員で対処しているから、徐々に襲撃も減ると思うよ」



 アークディオス帝国最強と謳われるティルカーナ公爵家を総動員しているというのなら、モンペ皇子としても特に言うことなどない。それでもしいて言うとすれば。



「なにやら俺の弱点がディアだという噂があるらしくてな。俺を潰したくてたまらない連中がディアを狙うかもしれないから気をつけろよ」


「はあ!? なにそれ、そんな連中とっとと炙り出して微塵切りにしちゃってよ! なんでそんなのを野放しにしてんの!? 僕のディアをなんだと思ってるのさ!」



 先ほどまでとは打って変わってぎゃんぎゃん喚き始めたソティーリオの手から残りの釣書を奪い取る。どうせこれもリンソーディアやヴェルフランドに仇なす者たちの資料だろう。目を通しておいて損はない。ヴェルフランドはさらりと答えた。



「なにって、ディアは俺の強みだろう。弱点なわけないだろうが」


「…………」


「なんだその世紀の変顔は。ディアによく似た顔が台無しすぎるぞ」



 綺麗な琥珀金の髪も、美しいアメトリンの瞳も、小憎たらしいほど整った顔立ちも、兄妹ともに本当によく似ている。リンソーディアとソティーリオが並んでいる姿を見ることが、ヴェルフランドは結構好きだった。

 ソティーリオは不貞腐れたようにどさりとソファーの背にもたれかかった。



「……なんか、めちゃくちゃ腹立つんだけど」


「お前の複雑な兄心なんぞどうでもいい。とりあえずこの話は終わりだ。働け」


「えー、君のせいでやる気が出ないんだけど。本当に人遣い荒いんだから」


「ふん、お前ほどじゃない。言っておくがティルカーナ家関連の陳情書は山ほど届いているんだぞ。すべて黙殺してやっている俺に感謝しろ」



 それって職権濫用なのではとか、身内贔屓やめろとか、そんな苦言を呈してくれるような第三者もやはりこの部屋には存在していないわけで。



「ところでさ、僕たちがキュアの平原に行っている間に、ルーダロットのスペルティ侯爵家からディアに縁談がきていたんだけどね」



 机の両脇によけておいた書類を手繰り寄せていたヴェルフランドが首を傾げた。



「ルーダロットからディアにか? なんでまた」


「なんでもスペルティ家の一人息子が飛び抜けた人見知りで、もう国内には嫁の当てがないらしくて、ダメ元でうちまで打診がきたみたいだね」


「そうか。で、どうするんだ? 会うだけ会うのか?」


「それがさー、二ヶ月近く膠着状態だった間にうやむやになっちゃったから、もうなかったことにしようと思って」



 爽やかに笑うソティーリオだが、その表情はどう見ても確信犯だった。ヴェルフランドは心の中だけでリンソーディアに同情する。彼女が婚期を逃すことはほぼ確定ではなかろうか。



「……お前な、どういう奴ならディアの旦那として認めるんだ」


「そりゃあもちろん僕みたいな人だよ。あーあ、血の繋がった兄妹じゃなければ僕がディアをお嫁に貰えたのになあ」



 わりと本気でそう言っていることが伝わってくるだけに、ヴェルフランドは謎の使命感に駆られることになった。なにがなんでもこのシスコンからリンソーディアの貞操を守らねばならぬ。

 本来であればリンソーディア関連においてソティーリオほど信頼できる人物もそういないのだが、紙一重で彼女にとっての危険人物もまたソティーリオだと言えるのだ。自分に向けられる好意に鈍感なリンソーディアはいまいち兄の危険性に気づいていないようだし、もうやだこの兄妹。



「単純な好奇心で訊くが、もし俺がディアに正式に求婚したらどうするつもりだ?」



 ソファーに陣取って渋々仕事を始めたシスコン男が輝かんばかりの笑顔を浮かべた。



「好奇心は猫も殺すらしいよ」


「……そうか。忠告に感謝する」



 前言撤回。ソティーリオの愛は重すぎるので、リンソーディアは一生鈍感なままでいい。


次回から本編に戻ります。

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