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挿話. 皇宮での彼ら〈前編〉

本編では暗い内容になることも多いので、息抜きに過去編を投下。当社比ですが、本編よりは多少内容が明るいはずです。


 幼なじみである第三皇子はいろんな意味で狂っているが、リンソーディアから見て一番イカれていると思うのは、人の好意に対して容赦なく殺意を叩きつけるところである。



「殿下、キュアの平原にて反乱軍を制圧いたしましたのでご報告を――うわ」



 帝都にある公爵家本邸に一度帰還してから皇宮へと向かったリンソーディアは、廊下を血で染めているヴェルフランドを発見してしまい思わずドン引きした。これはまた嫌な場面に遭遇してしまったものである。



「ああ、ディアか。ちょうどいい、ちょっと付き合え」



 その場に居合わせてしまった哀れな衛兵に死体の片付けと廊下の清掃を命じ、ヴェルフランドはさっさと踵を返した。付き合えと言われたからにはリンソーディアも彼について行かなくてはならない。

 できるだけ靴に血がつかないよう爪先立ちで廊下を通り抜けながら、ちらりと死体に視線を向ける。顔までは確認できなかったが、長くて綺麗な巻き毛と血の気の失せた細い腕が視界に入った。恐らくどこかのご令嬢だろう。またかと思わずにはいられない光景だ。



「……殿下、彼女はどのような失態を犯したのでしょうか?」



 ヴェルフランドの逆鱗に触れたのでもない限り、そう簡単には死体にならないはずだが。



「俺が他人を拒絶するのは愛を知らないからだ、でも誰よりも俺を愛している自分ならきっと俺を変えられる、だから俺の妃になりたい――そう言い募りながら俺の利き腕に取り縋ってきた」


「それはまた……なんて浅はかな……」



 リンソーディアは遠い目をした。なるほど、ヴェルフランドが一番嫌いな勘違い系のご令嬢だったようだ。いやまあ、勘違いされるような言動をするヴェルフランドも悪いのだが。

 しかし、それをいいように解釈した挙句に直接彼に突撃したこのご令嬢の行動は、さすがに正気の沙汰とは思えなかった。よほど自分に自信があったのだろうか。


 そもそもヴェルフランドはかのご令嬢が主張したように、愛を知らないわけでも、愛し方を知らないわけでも、ましてや愛に飢えてるわけでもなかった。単にその範囲が極めて狭く、彼が愛情を注ぐ相手というのが限られているだけなのだ。


 ついでに彼女は『ヴェルフランドが変わる必要性』についても主張していたようだが、それこそ余計なお世話だろう。リンソーディアのみならず、彼をよく知る専属の騎士たちも使用人たちもこれについては同意見だろうと思う。

 冷酷すぎるヴェルフランドを変えたいと思うのは、いつだって彼のことをよく知らない者たちばかりなのだ。


 まあ、それにしたって戦う術を持たないご令嬢を殺すのはやりすぎだと思わなくもないけども。



「あと俺は、俺の利き腕を封じる奴を容赦する気は微塵もない」


「それは初耳ですが。参りましたね、その理屈でいくと私はすでに何度か死んでいるはずなのですが……殿下のこれまでの温情に感謝いたします」



 ここが人目の多い廊下でなければ「そういうことは早く言ってくださいよ」とか苦言を呈せるのだが、さすがにそうもいかない。とりあえず今後は咄嗟でも腕ではなく足に縋りつこうと心に決めた。

 二人で廊下を歩いていると、時折すれ違う役人たちが一様に怯えた表情を浮かべて慌ててヴェルフランドに道を譲っていく。そして彼の少し後ろをついて行くリンソーディアに、羨望やら同情やら悪意やらが込められた目を向けてくるのだ。……慣れているとはいえ相変わらず鬱陶しい視線である。



「ところで殿下、私が不在の間お変わりはございませんでしたか?」


「お前もリオもいないから退屈で仕方がなかったな。二回ほど食事に毒が盛られていたが、大したスパイスにもなりはしなかった」



 本人はつまらなそうな口調でそう言うが、毒という言葉が聞こえてしまった周囲の役人たちは皆びくりと肩を竦ませていた。……お役所勤めは本当に大変だ。

 ちなみにリオというのはリンソーディアの兄であるソティーリオのことで、ヴェルフランドとはいわゆる親友に当たる間柄である。本人たちはそのことを頑なに認めようとしないが、いい加減認めないとそろそろ()()()たちの餌食になりそうで、他人事ながらリンソーディアとしてはそれがなんとなく気がかりだ。



「……なんか妙なことを考えていないか?」


「いいえ、殿下。ただ特殊性癖をお持ちの貴婦人たちには十分お気をつけください」


「背筋がゾワッとするようなことを言うな。日常生活に不安を覚えるだろ」



 嫌な顔をするヴェルフランドと連れ立って、リンソーディアは第三皇子の執務室へと足を踏み入れた。


 重厚な執務机の上には、(うずたか)く積み重ねられた未決裁の書類の山。そしてそこに紛れ込む、明らかにヴェルフランドの仕事ではない書類の小山。それを見たヴェルフランドの眉が吊り上がった。



「おい、ディア。リオはどこに行った」


「知りませんよ。どうせいつも通り雲隠れしたんでしょう。別に珍しくもなんともないじゃないですか」



 部屋に入った瞬間、いつも通りの口調に戻るリンソーディア。ヴェルフランドはブルブルと震えた。もちろん泣いているのではない。怒りで震えているのだ。



「なんっっっでお前らティルカーナ家はこうも俺に対してだけ扱いが雑なんだ!」


「当然じゃないですか。私たちはあなたの最後の砦、最後の良心ですよ。要はあなたに期待しているんです。見捨てられたくなければカピカピに干からびるまで働いてください」


「それこそリオに言ってやれ! あいつ自分の仕事を俺に押しつけて一体どこに行ったんだ!」



 真っ当なる幼なじみの叫びにリンソーディアは「さあ」と肩を竦めるだけに留めた。文武ともにめちゃくちゃ仕事がデキる兄は、めちゃくちゃ仕事をサボりたがることでヴェルフランドにのみ有名だ。リンソーディアも大概ふざけた令嬢であるが、ヴェルフランドから見ればティルカーナ家の人間は総じてふざけた存在である。


 カンカンに怒りながらも律儀に仕事に取りかかるあたり変なところで真面目な幼なじみを、リンソーディアは近くのソファーに腰掛けて黙って見つめた。

 もしこれが兄ではなく他の人間であったなら、この時点ですぐさま殺されているはずだ。仕事をサボった挙句に、よりにもよって冷酷非情な第三皇子に押しつけるなんて、普通に考えれば処刑希望者としか思えない。



「……あなたって人は、本当に兄様が大好きですよね」


「は? なんだ急に気持ち悪いこと言って」



 汚物でも見るような目でこちらを見てくるヴェルフランドはじつに失礼な男だが、この男にデリカシーを期待してはいないリンソーディアは、特に反論することもなく持参してきた一揃いの紙束を取り出した。そしてそれをずずいとヴェルフランドへと差し出す。ヴェルフランドは怪訝な顔でそれを受け取った。



「なんだこれは」


「『リンソーディア厳選! 今オススメの令嬢たち』の釣書です」



 ヴェルフランドは即座に紙束を突き返した。



「いらん。帰れ」


「言われなくとも帰ります。あとそれ返却不可です」


「おい待て! これを置いて帰るな! お前こんなもんをせっせと作る時間があるなら夜ちゃんと寝ろ。目の下にクマができてるぞ」



 釣書を置き去りにしてすたこら逃げようとするリンソーディアを捕獲して、ヴェルフランドは執務机の脇に置いてあった椅子に彼女を座らせた。リンソーディアは迷惑そうな目でヴェルフランドを睨みつける。



「私これでも公爵家の娘ですよ? うら若き乙女ですよ? そんなか弱き女性を手荒く扱うなんて、頭おかしいんじゃないですか?」


「お前のどこがか弱いんだ。俺のそばにいて未だに生きている時点でお前の図太さがよく分かるだろうが」



 呆れたような幼なじみの物言いに、リンソーディアは「そうですか」とか言いつつそっぽを向いた。彼の言うことは、まあ、もっともなことだったから。


 単なるか弱い令嬢が、この冷酷非情な男のそばにいて無事でいられるとは思わない。実際、迂闊に近づいた多くの婚約者候補たちが、この男の逆鱗に触れたせいで斬り捨てられていた。それなのに未だに縁談話が引きも切らず満員御礼なあたり、次期皇帝と名高い第三皇子の婚約者という立場がいかに垂涎ものであるかがよく分かる。ヴェルフランドは溜め息をついた。



「俺には妃も味方も必要ない。お前たちさえいればいい。これからもせいぜい俺を守るんだな」


「なにを言って――」


「俺の最後の砦を謳うなら、せめて最後まで見届けろ」



 ぶっきらぼうにそう言うと、ヴェルフランドは再び机の上に山積みになっている仕事と向き合った。リンソーディアはペンを走らせる幼なじみの姿をしばらく見つめていたが、不意にボソッと呟いた。



「ちなみにこの目の下のクマですが、これは釣書を作っていたせいではなくて、ここ二ヶ月に及ぶ反乱軍との交戦が原因です」


「……そうか」


「なので、あなたの言う通り今夜はちゃんと寝ることにします」


「そうしろ」



 そして、沈黙が落ちる。リンソーディアはヴェルフランドを眺めるのに飽きたのか、立ち上がって執務室の隅に鎮座していたピアノへと歩み寄った。

 ポロン、と音が鳴る。なにかの旋律を奏でるのではなく、ただ気まぐれに音を鳴らすだけ。ヴェルフランドはぴくりと眉を上げてこちらに視線を寄越してきたが、リンソーディアは無視して鍵盤に触れ続けた。


 二人きりの執務室。窓の外からは近衛騎士たちによる訓練の音が聞こえてくるし、扉の向こうには衛兵たちが控えている。それなのに、この執務室の中だけは外の世界と隔絶されているような心地になった。音らしい音といえば、リンソーディアが気まぐれに奏でるピアノの断片的な音色と、ヴェルフランドが書類をめくったりペンを走らせたりする事務的な音だけ。


 会話こそなかったが、どちらもこの空気は嫌いではなかった。


 しばらくして、廊下からコツコツと靴音が聞こえてきた。馴染み深いその歩調にヴェルフランドは一瞬だけ書類から目を上げ、リンソーディアは扉へと視線を向ける。ややあって、規則正しく扉を叩く音が聞こえた。



「入れ」



 ヴェルフランドが許可を出すと、恐ろしいほど眼鏡が似合う美青年が大量の書類を抱えて入ってきた。

 ソティーリオ・シド・ティルカーナ。リンソーディアの兄にして、今にも人としての道を踏み外しそうなほどの超絶シスコン男である。



「お疲れ様です、兄様」



 リンソーディアが労りの声をかけると、彼はとろけるような眼差しを妹へと向けた。



「ディアこそ僕の代わりに殿下についていてくれてありがとう。あとは僕が殿下の護衛を引き受けるから、ディアは本邸に戻って大丈夫だよ」


「わかりました。……では殿下、お渡しした釣書にちゃんと目を通しておいてくださいよ。それをまとめた私の労力を無駄にしようものなら刺客を差し向けますからね」



 物騒な物言いをするリンソーディアに、黙々と仕事を続けていたヴェルフランドがうんざりと顔を上げた。



「堂々と暗殺宣言をするな。大体ピアノなんか弾けないくせに、適当に鍵盤を叩くんじゃない。耳がおかしくなるかと思ったぞ」


「お? お? それは自分がピアノ上級者だっていう遠回しな自慢ですか? 張り倒してもいいですか?」


「お前が俺を張り倒せるわけないだろうが。いいからお前はその釣書を持って帰れ。……じゃあまた明日な」


「嫌です。その釣書は私からの贈り物なんですから。ではまた明日」



 仲がいいんだか悪いんだか分からない会話を交わしながら、リンソーディアは嫌味なほど完璧な淑女の礼を披露して、何事もなかったかのように執務室をあとにする。そんな妹の後ろ姿を見送ってから、ソティーリオは持参してきた書類を机の上にどさりと置いた。それを見たヴェルフランドの目が据わる。



「……おい。追加の仕事は頼んでいないぞ。というかお前、自分の仕事を俺に丸投げして今の今までどこに行っていた」


「トイレ」


「嘘つけ! こんなに長時間トイレに篭っていたらそれもう病気だぞ!」



 本当にティルカーナ家にはふざけた人間しかいない。ヴェルフランドは額を押さえた。あのリンソーディアですらまだ可愛いものだと思えてしまうのだから始末に負えない。なんだか頭が痛くなってきた。


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