14. それを直接渡したかったの
いろいろと思うことがあるなかで、ついに訪れた社会科見学当日。
微妙な空気が漂う地下監獄にて、虐殺のメルセデスは胡乱な目で隣の牢に出入りしている囚人に声をかけてみた。
「…………いやマジでキミなにしてんの?」
「なにって、今日だけあなたと同じ囚人になったんですよ。よろしくする気はないんで話しかけないでもらえます?」
しっしっと手を振る隣の牢の住人は、どこからどう見ても見慣れた変人看守であった。いつもと違うところといえば、囚人服を着ていることと眼鏡をかけていることくらいだが、だからなんだという話である。
一方、蠱惑のオズウェルも向かいの牢でひたすらゴロ寝を決め込んでいる見慣れた冷血看守に興味津々の目を向けていた。
「うわあ、フランさんついに誰か殺しちゃった? 誰? 何人殺したの? ていうかディアさんは元気?」
「それ以上刑期を延ばされたくなかったら今すぐ黙れ蠱惑のオズウェル。次話しかけたら罰則だぞ」
ちなみにオズウェルの刑期は現時点で八十年で、メルセデスの場合は百三十年だ。反抗的であれば刑期は延び、模範的であれば刑期は縮む。どちらにせよ今のところはオズウェルもメルセデスも死ぬまで監獄から出られない計算になる。
それはともかく、本日リンソーディアとヴェルフランドは二人揃って自主的に投獄されていた。理由は簡単で、ここなら見学に来るグレースたちに会わないですむからである。自らの完璧な計画にリンソーディアは牢の中でほくそ笑んでいたわけだが。
「……ディア、折り入って相談がある」
足取り重く地下監獄へとやってきたセラフィーナに嫌な予感がしたリンソーディアは、即座に倒れて死んだふりをした。しかしセラフィーナは死体のリンソーディアに構わず話を続ける。
「今日の社会科見学なんだがな、お前だけなら表に出ることは可能だろうか?」
死体であるリンソーディアは返事をしない。なぜならただの屍だからだ。セラフィーナは溜め息をついた。
「今日に限って空気の読めないアイザックが高熱を出して急遽休むことになってな……」
それを聞いたリンソーディアは瞬時にアイザックへの報復方法を考え始めたが、職務に真面目な彼が仮病を使うわけもないので本当に高熱で動けないのだろう。予期せぬ体調不良というのであれば仕方あるまい。リンソーディアはしょっぱい顔をしつつも生き返ることにした。
グレースに会うぶんには、まあ問題なかろう。そして問題のグレースの兄だが、少なくともリンソーディアとはまったく面識がないことはヴェルフランドによって確認済みなので、顔を合わせても恐らく問題ないと思われる。
調子に乗って囚人服まで着たというのに、リンソーディアの牢獄生活はものの三十分で終了したのだった。
そんなわけで、アイザックへの闇討ちは後日実行するとして、甚だ不本意ながらダンハウザー兄妹と対面することになったわけだが。
「ディア!」
「お久しぶりです、グレース様」
王立学院の制服を着たグレースが駆け寄ってくる。迷いの森で出会った時のフリフリドレスの印象が強かったため、これはこれで見ていて新鮮な気分になった。そんなことを考えていると、グレースがくるりと後ろを振り返る。
「ディア、紹介するわね。こちら私の兄のビクトルよ」
「あなたがディアさんですか。ビクトル・ダンハウザーです。ビクトルとお呼びください」
グレースのすぐ後ろに立っていた青年が一礼してくる。初対面の赤の他人には挨拶すらしないどこぞの第三皇子とは違い、じつに礼儀正しい好青年だ。見覚えのない顔なので、ヴェルフランドが言っていた通り一度も会ったことがないと思われる。
「はじめまして、ビクトル様。第十三監獄のディアと申します」
「妹から話は聞いています。その節は妹が大変お世話になりました」
次期侯爵とは思えないほど腰が低い。これが普通なのだろうかとリンソーディアは内心で首を傾げた。自分の知っている他の貴族の令息たちを思い浮かべる。
そして、何人かの顔と名前は思い浮かんだものの、彼らの人間性を知るほど親しくはなかったという悲しい現実に打ちのめされた。そりゃあ縁談難民にもなるわけである。
「ちょっとディア、いきなり死んだ目になるのはやめてちょうだい」
「なにを言いますか、グレース様。今日の私の目は満天の星空のように輝きまくっているはずですが」
もしこの場にヴェルフランドがいたとすれば「腐った水みたいに濁った目だな」とか言うのだろうが、あいにくと彼は地下監獄でゴロ寝しているため、そんなツッコミを入れてくれる人物は誰もいないのだった。
さて、なにはともあれ社会科見学である。絶賛ゴロ寝中とはいえ地下監獄にはヴェルフランドがいるため、ダンハウザー兄妹に危険が及ぶ可能性は限りなく低い。というか、彼としてはリンソーディアに危害が及ばぬよう目を光らせているわけなので、あくまでダンハウザー兄妹はおまけ程度の認識である。
「そうだわ、ディア。エミリーからよろしく伝えておいて欲しいって頼まれていたのよ。会えて本当に良かったわ」
「ありがとうございます。エミリーさんにはご心配おかけしましたとお伝えください」
看守長であるセラフィーナの先導で監獄内の当たり障りのない場所を巡りながら、リンソーディアとグレースはそんな会話を交わす。
「それにしても本当に第十三監獄で働いているんだもの。いるかもしれないとは思っていたけど、やっぱり驚いたわ」
「私だって驚きましたよ。まさか侯爵家のお嬢様がわざわざこんな危険な場所まで来るなんて」
「だって、どうしてもディアに会いたかったんだもの。……それにね、あとでちょっと話したいことがあるんだけど、時間取れる?」
急に声を小さくしてそう言うグレースにリンソーディアは眉を上げた。もしかして内密の話をするために危険を冒してまでここに来たのだろうか。とにかく断る理由もないので頷いておく。
一方、見学もそこそこに嬉しそうにリンソーディアと会話をする妹の姿を見てビクトルは苦笑していた。
「……まったく、あの子ときたら。せっかく第十三監獄まで来たというのにろくに見学もせずに。申し訳ありません、レーベルト看守長」
「お気になさらず。むしろ本気でうちに興味があるというのであればそのほうが一大事ですからね」
案内の過程で厨房にも顔を出せば、ちょうど仕込みをしていたハウエルが笑顔で出迎えてくれた。囚人たちに提供される食事はほぼすべてが彼の手によるものだ。
「ハウエルさん、せっかくの見学会です。監獄食の試食とか試食とか試食とかはないんですか?」
「ディアちゃん、お腹空いてるのー?」
「バカを言うな、ディア。いくらなんでも侯爵家の方々に囚人と同じものを出せるわけがないだろう」
それもそうか……。リンソーディアはセラフィーナに引きずられてがっくりしながら厨房をあとにした。しかし背後からは「うーん、ちょっと残念だね」「せっかくだから食べてみたかったわ……」というダンハウザー兄妹の未練がましい会話が聞こえてきていたので、どうやら彼らも監獄食には興味があったようだ。ハウエルと交渉して、帰り際にでも折り詰めにして持ち帰れるようにするべきか。
その後は特にトラブルもなく、予定していた第十三監獄の見学会は無事に終了した。しかし地下監獄はおろか危険かもしれない場所はすべて避けての見学会だったこともあり、第二監獄の見学行っている他の生徒たちよりも早く終わってしまったようだ。そのため気を利かせたハウエルがお茶会の用意してくれたため、一行は二階の応接室で時間を潰すことになった。
「そういえばディア、なんで瓶底眼鏡をかけてるの?」
「やむを得ない事情がありまして仕方なく。でもこの眼鏡をかけているのにグレース様に一発で看破されるとは……」
顔の造形を曖昧にするという理由でアイザックが調達してきた瓶底眼鏡だが、眼鏡なしの顔を知っている相手にはあまり効果がないようだ。しかしグレースは肩を竦めた。
「私はもともとディアを探す気満々だったから看破できただけじゃないかしら。意識して見ていないと、たぶん知り合いでも見分けるのは難しいと思うわよ」
「そういうものですかねえ」
「そういうものよ。もしそれが変装の一環とかなら、それなりにいい線いっているんじゃない?」
それならいいのだが。リンソーディアが微妙そうな顔をしていると、不意にグレースが真顔になり、ちらりと隣に座っている兄を見た。そして彼がセラフィーナと話し込んでいるのを確認すると、素早くなにかをテーブルの上に滑らせてこちらに寄越してくる。リンソーディアは目を瞠ったが、受け取ったそれを反射的にテーブルの下に隠した。手紙、のようだ。
「……あとで読んで。それを直接渡したかったの。さっきも言ったけれど、こうして会えて本当に良かった。本当に嬉しかったわ」
話したいことがある、とグレースは言っていた。しかしこの場では言えないようなことなのだろう。なにか理由をつけて二人きりになってもいいが、妹のことが心配でわざわざ見学についてきたビクトルが妹とリンソーディアを二人きりにするとは思えない。
恐らくグレースもそれを見越してあらかじめこの手紙を書いてきたのだろう。内密の話ができないような状況だったとしても、伝えたかったことを手紙にして渡せば最低限でも情報は伝わる。
「お気遣いありがとうございます、グレース様」
「気にしないで。あなたの顔が見られて良かったわ」
迷いの森で出会った時は、利用し利用されるだけの利害関係でしかないと思っていた。けれど、もしかしたら、この出会いはリンソーディアにとって必要なものだったのかもしれない。
その後もお茶を楽しんでいた四人だったが、しばらくして第二監獄からの迎えが到着したため一行は正面玄関へと移動した。その際ハウエルが用意してくれた監獄食の折り詰めを渡してみたところ、思っていた以上に興味があったらしくダンハウザー兄妹は満面の笑みでそれを受け取ってくれた。本当に、侯爵家ということを感じさせないほど気さくな兄妹であった。
「本日はありがとうございました。大変勉強になりました」
「こちらこそ、大したおもてなしもできず」
「ディア、きっとまた会いましょうね」
「はい。ビクトル様もグレース様も、どうかお元気で」
去っていく彼らを見送りながら、リンソーディアとセラフィーナは揃って息を吐き出した。今朝アイザックが高熱を出したと聞いたときはどうなるかと思ったが、とにかく無事に終わって本当に良かった。
残る問題は――。
リンソーディアはグレースから渡された手紙にそっと触れ、眉間に皺を寄せた。正直あまりいい予感はしない。
「というわけで、これがグレース様から渡された不幸の手紙です。一緒に不幸を分かちあってください」
「俺を幸せにする気がないのかお前は」
やる気なく監獄で寝転がっていたヴェルフランドを叩き起こして詰所まで引きずっていき、リンソーディアはえいやとグレースからの手紙を開封した。
『親愛なるディア、ついでにフラン。
訳あり感満載なあなたたちの事情に深入りする気はないけれど、厄介なことが起きているかもしれないから、私が知っていることを一応伝えておくわね。
私たちが無事にチェザリアンに帰還して一ヶ月くらい経ってからのことなんだけど、それまでまったく面識のなかった貴族の男性に社交界で声をかけられたの。私を助けてくれたのはどんな人だったのかって。だから私は他の人に訊かれたときと同じように「通りすがりの傭兵みたいでした」って答えたわ。
そしたらね、どのくらいの歳だったかとか、もしかして男女の二人組だったんじゃないかとか、結構しつこく訊いてきたのよ。しかも兄様に訊いてみたら、その人はウィズクロークの貴族だったみたいで。
おかしいでしょう? どうしてウィズクロークの貴族があなたたちのことを気にするの?
ねえ、ディア。もしもどこかの誰かに追われているのなら、気をつけなさい。もしかしたらチェザリアンはあなたたちにとって安全な場所ではないのかもしれないわ』
リンソーディアは天を仰いだ。心当たりがありすぎる内容だ。
落城から早三ヶ月。未だにウィズクロークは血眼で自分たちを探しているらしい。いい加減諦めてくれてもいいのだが。
今後どう立ち回るかを改めて考える必要はあるが、それはまあともかく。
額を突き合わせてグレースからの手紙を読んでいたヴェルフランドは、証拠隠滅のため手紙に火をつけて完全に灰にしてから立ち上がった。
「とりあえずアイザックを闇討ちしてくる」
「あ、お供します」
その日、熱が下がってきたアイザックは謎の瓶底眼鏡二人組に八つ当たりの襲撃されたわけだが、その犯人の正体については言わずもがなのことであった。




