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13. こいつを消す


「いやあ、それにしても監獄の街とは思えないほど活気があっていいところですねえ」


「お? なんだい兄ちゃん、観光客かい?」


「ええ。治安がいいと聞いてはいましたが、てっきり眉唾ものだと思っていたので。いい意味で期待を裏切られましたよ」


「そりゃ良かった。あいにくとこの街にゃ宿泊施設はないが楽しんでいきなよ」


「ありがとうございます。あ、ついでにこの街一番の美女とかご紹介願えませんか?」


「はっはっは、さてはそれが目的だな? そうだなあ、一番の人気者ってんなら第二監獄で働くモニカちゃん一択だろうが、美女なら他にも何人かいるぞ。例えば第八監獄のメーガンさんとか、第十三監獄のセラフィーナさん、それから最近入ってきた期待の新人ディアちゃん――」




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




 どこぞの誰かがなにかの探りを入れている頃、第十三監獄の面々は前代未聞の事態に頭を抱えていた。



「姐さん、今からでも断れませんかね。さすがに責任取りきれませんよ」


「私も無理だと散々訴えたんだが、頑として撥ねつけられたんだよ。もはや我々に選択肢はない。その代わり臨時ボーナスを出すよう交渉してきたからそれで手を打ってくれ」



 なにかの境地に達したらしきセラフィーナは虚無の表情で淡々と答える。そんな上司の様子に副看守長であるアイザックが呻いた。彼の手には『社会科見学』と書かれた紙が握られている。リンソーディアとハウエルは神妙な顔を見合わせ、唯一ヴェルフランドだけがいつも通りの無表情だ。


 事の経緯としてはこうである。

 王立学院(カレッジ)の社会科見学の協力要請に毎年応じているガイアノーゼルだが、その仕事はいつも第二監獄が請け負っていた。十三ある監獄の中では最も危険の少ない場所だからだ。

 しかし今回、どうしても第十三監獄の見学をしたいと希望する生徒がおり、しかもその生徒は断りにくいほど身分が高い家の娘だそうで、ガイアノーゼル側としては断るに断れない状況になったという。

 結果、「君にしか任せられない。ほんの数時間程度だ。耐えてくれ」「政略結婚でなければもう三十回は離婚してるぞバカ夫が」という夫婦喧嘩に発展しつつも、臨時ボーナスを条件に嫌々セラフィーナが折れる形になったわけである。



「幸い見学に来る生徒はそのご令嬢ひとりだけだ。他の生徒たちは通常通り第二監獄で受け持つことになっている」


「……仕方ないですね。なんとか俺たちだけで万全を期しますよ。で、その生徒の名前はなんていうんですか」


「グレース・ダンハウザーだ。前騎士隊長のお前なら知っているんじゃないか?」



 その名前を聞いた瞬間、なぜかリンソーディアが床に崩れ落ちた。しかし彼女が奇行に走るのはいつものことだったので誰も気にせず話を続ける。アイザックは腕を組んだ。



「しばらく前に行方不明になってたダンハウザー侯爵家の二番目のお嬢様じゃないですか……。無事に帰ってきたかと思えば今度は第十三監獄に興味を示すって、なんつー酔狂なお嬢様だ」


「ああ、それとそのご令嬢を心配して一番上の兄が付き添いで来るそうだ。ダンハウザー家の跡取り息子だな。間違っても死なせないよう地下監獄には絶対に連れていかないように」


「なんで俺たちがそんな貴賓室に案内するような顔ぶれを接待しなきゃならんのですか……」



 嘆くアイザックをよそに崩れ落ちていたリンソーディアは、もそもそと床を這いずり近くにいたヴェルフランドの足に取りついた。取りつかれたヴェルフランドは嫌そうな顔で幼なじみを見下ろす。



「なんだ」


「その日は絶対に風邪をひいてください、フラン様。さもなくば私があなたをコテンパンにして寝込ませるしかなくなります」


「不穏なことを言うな。普通に休みを取れば済む話だろうが」



 もし足に縋りついてきたのがリンソーディアでなければ、相手を即座に蹴りあげて肋骨あたりを骨折させて終わらせるのだが、可愛くない幼なじみに縋りつかれた場合にのみ対応が寛大になるヴェルフランドである。


 それにしても、まさかグレースが第十三監獄に興味を示すとは。ヴェルフランドは渋い顔をした。もしかしなくてもリンソーディアに会いに来るのではなかろうか。



「でも嬢ちゃんの言う通りだぞ。その日は休んでもいいし、休まねえなら奥に引っこんでいられる仕事を割り当てるぞ?」



 ヴェルフランドの事情を知るアイザックが機転を利かせてそんな提案をしてくれる。社交界での経験年数が浅いグレースならともかく、ダンハウザー侯爵家の一番上の兄が来るならば、確かに隠れるなり休むなりしたほうがいいだろう。

 高位貴族であればあるほど、他国の皇族の顔ぶれくらいは把握しているものである。実際、他人に無関心なヴェルフランドでさえ他国の王侯貴族のほとんどを把握しているくらいなのだ。ダンハウザー侯爵家の跡取り息子とて例外ではないだろう。ヴェルフランドは溜め息をついた。本当に面倒臭いことになったものである。


 亡国の皇子と公爵令嬢。ウィズクロークから追われるお尋ね者。見つかってしまえば恐らく処刑。ヴェルフランドに引っぱり上げられて床に足をつけながらリンソーディアは思った。……ガイアノーゼルにも長く滞在しないほうがいいかもしれない。



「……ちょっと確認なんだけどさー」



 ずっと黙っていたハウエルが声を上げる。



「事情はよく分かんないんだけど、要はダンハウザー侯爵家の人とフランくんは顔を合わせないほうがいいってことだよね?」


「え? ……ええ、まあ、そんなとこですね」


「じゃあさ、ディアちゃんは? ディアちゃんもフランくんと同じで表に出ないほうが都合がいい?」



 いきなり話題を振られ、リンソーディアは思わずヴェルフランドを見上げた。ヴェルフランドもリンソーディアを見下ろしてくる。どう答えるべきか悩む問いかけだ。



「……私の場合、フラン様よりは顔も名前も知られていないと思いますが、抱えている事情は同じです。実はグレース様とはひょんなことでもう知り合ってしまっているので手遅れですけど、できるだけ王侯貴族とは関わりたくないですね」


「なるほどねー。教えてくれてありがとう、リンソーディアちゃん」



 あまりにも自然なその呼び方に、当のリンソーディアは違和感もなく聞き流しかけた。しかしヴェルフランドが勢いよくハウエルの胸ぐらを掴みあげたことでハッとする。ヴェルフランドの突然の暴挙にセラフィーナとアイザックはぎょっとし、リンソーディアは慌てて幼なじみの腕にしがみついた。



「離せ、ディア。こいつを消す」


「いやもう本当に疑わしきは殺す精神やめてくださいいい!」



 リンソーディアの必死の制止のおかげか、ヴェルフランドは思ったよりもあっさりと手を離した。しかしその目は鋭くハウエルを睨みつけたままである。

 ヴェルフランドの正体を看破済みのアイザックはともかく、ここには事情を知らないセラフィーナもいるのだ。皆の前であえて正体をバラすような話題を持ち出すなど、ハウエルはなにを考えているのだろう。



「……お前、なんのつもりだ」



 底冷えするようなその声音にセラフィーナが息を呑む。事情を知らないため話の流れがいまいち読めない。

 一体なにがヴェルフランドをここまで怒らせた? そうだ、さっきハウエルはなんと言った?



『教えてくれてありがとう、リンソーディアちゃん』



 リンソーディア。……ディア。

 もしかしなくても、それが彼女の本当の名前だったりするのだろうか。



「ごめんねー、ちょっと僕の配慮が足りなかったね。でも安心して。誓って僕は敵じゃないから」



 ハウエルは軽く両手を挙げて敵意がないことと降参の意思を示す。しかしヴェルフランドの目は冷たいままで、彼の後ろにいるリンソーディアもただ沈黙を貫いていた。どちらも警戒心がむき出しだ。

 とはいえハウエルは知っていた。この場にいる全員が、一番事情を知らないであろうセラフィーナも含め、仲間の秘密の保持に関しては信頼できる存在であるということを。



「どこから話せばいいかなー。えーと、ぶっちゃけると僕は元傭兵でねー。いろんな国の戦場に何度も駆り出されているんだけど、そこで何度もディアちゃんのこと見かけててさ。だから僕は君の素性を知っているから隠さなくてもいいよって言おうとしただけだよー」


「……戦場で、会ったことありましたっけ?」


「直接はないよー。だってディアちゃんはアークディオス帝国が誇るティルカーナ公爵家の精鋭で、僕は下っ端の傭兵だからねー。しかも敵だったり味方だったりしたからディアちゃんが僕のこと知らないのも当たり前だよ」



 金で雇われる傭兵には、仕えるべき国もなければ特定の主人もいない。ある時はアークディオス側で戦っていても、別の時にはウィズクローク側で戦っていたりする。それが普通。だからリンソーディアがハウエルのことを知らないのも当然のことだった。

 けれどハウエルのほうは知っていた。戦場のどこにいても、敵でも味方でも、ティルカーナ公爵家は不思議と目を惹く存在だったから。



「ディアちゃんのことはいつも遠目でしか見かけなかったから顔まではよく知らなかったんだけど、その琥珀金の髪は遠くにいてもよく見えたからねー。君のお母さんもお兄さんも、みんな同じ綺麗な髪色だったよね」



 呆気に取られながらも話を聞いていたアイザックだが、騎士隊長だったこともありティルカーナ公爵家のことはよく知っていた。そして納得する。ずっとリンソーディアの正体について疑問に思っていたわけだが、なるほど、道理でいつもヴェルフランドと一緒にいるわけだ。


 生き残った帝国皇子と、帝国に仕えていた公爵家の戦姫。きっと数多の追っ手を振り切ってここまで逃げてきたのだろう。そこまで考えて、アイザックはふと疑問に思った。



「……なあ、ディア。すげえ訊きにくいことなんだが、お前以外のティルカーナ一族はどうしている? 生き残りがいるならうちで保護できるかもしんねーぞ」



 ティルカーナ一族は忠義に厚いことでも有名だった。そして今や彼らにとっての仕えるべき主君はヴェルフランドしか残っていない。ならば生き残り勢は主君がいる第十三監獄に集まってきてもいいはずなのだ。現にリンソーディアはずっとヴェルフランドのそばにいるのだから。


 ふ、と不自然な息が漏れる。リンソーディアは瞑目した。できるだけ普通に呼吸をするように意識する。



「……いえ、その必要はありません。皇帝陛下を逃がすのと引き換えに私以外の一族は全滅しましたから。その皇帝陛下も采配を誤って結局はご覧の有様ですが、陛下も我が一族も無駄死にしたとは思っていません」



 思わぬ答えにアイザックとハウエルは絶句した。帝国がひとつが滅びたのだからさすがに無傷ではないと思っていたが、まさかのあのティルカーナ公爵家が全滅するとは。


 かすかにリンソーディアの手が震えた。……あのポンコツ陛下を恨む気など毛頭ない。戦闘時に指揮する能力がポンコツだっただけで、それ以外は良い皇帝だった。怒りも憎しみもない。

 ただ、愛する家族と家族同然だった公爵家騎士団を一度に失った悲しみが大きすぎるだけだ。本当にそれだけ。だから大丈夫。……大丈夫だ。


 不意に、ヴェルフランドがリンソーディアの手を握った。小さい頃から一緒にいるものの、手を握ったり抱きしめたりはあまりしない間柄だった。でも悲しい時や苦しい時は躊躇わずに相手に触れ、触れられたほうはその体温にホッとする。そんな関係でもあった。

 リンソーディアはヴェルフランドを見上げ、それからフンと鼻で笑ってみせた。



「……なんか妙に打ちひしがれた空気になっていますけど、私の身の上話なんてどうでもいいんですよ。それよりも社会科見学の問題です。結局どうするんですか」



 そう、目下の問題はそこである。ハウエルの発言により図らずも正体をバラす形になってしまったが、いっそのこと隠し通すよりも彼らを巻き込んで協力者にしてしまったほうがいろいろと上手くいくのではなかろうか。



「ここまで赤裸々に話したんですから、とにかくフラン様を王侯貴族には会わせないよう協力してください。人によってはフラン様の顔を知っているかもしれません。生きていることがバレたらまたもや逃亡生活に逆戻りです」


「……事情はわかった。最後にひとつだけ確認させて欲しい」



 ここまで静かに話を聞いていたセラフィーナが口を開いた。



「今の話の流れでいくと、フランはアークディオス帝国の皇族で、ディアは公爵家のご令嬢で、二人とも生きていることがウィズクロークにバレたらまずいという認識でいいんだな?」



 改めて訊かれたことではたと気がつく。考えてみればリンソーディアの素性がバレただけで、ヴェルフランドの素性に関しては決定的には明言していなかった。が、話の流れからしてセラフィーナがそう結論するのは当然のことだろう。

 リンソーディアは答える前にもう一度ヴェルフランドの表情を窺った。そして彼がわずかに頷いたのを確認してからセラフィーナに向き直る。



「はい。アークディオス帝国の第三皇子、ヴェルフランド・セス・アークディオス。それが殿下の本当のお名前です」



 つい先程まで一介の看守だったはずのリンソーディアの雰囲気が、みるみるうちに洗練されて、紛れもない『公爵令嬢』のものへと変わっていく。



「そして私はリンソーディア・ロゼ・ティルカーナ。ヴェルフランド殿下ともどもウィズクロークに追われている、しがない公爵令嬢です」



 この日、第十三監獄の面々にのみ二人は自分たちの正体を明かすことになった。しかしこの判断が後々役に立つことになるとは、現時点ではまだ二人とも気づいてはいないのだった。


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