●2 それが〝支援術式〟
さて、今更ながらだが、落ち着いて現状を説明しようと思う。
現在、僕達のクラスタ『BVJ』は、〝剣嬢ヴィリー〟ことヴィクトリア・ファン・フレデリクスさん率いる『蒼き紅炎の騎士団』と共に、少し前まで『開かずの階層』と呼ばれ、何人も侵入不可能だったルナティック・バベル第一一一層で合同エクスプロールを行っていた。
知っての通り、これは少し前から決まっていたことである。
かつてこの『開かずの階層』が今のような形をしていなかった頃、僕とフリム、『蒼き紅炎の騎士団』の幹部であるアシュリー・レオンカバルロさんと、そして他四人組は、偶然ここに隠されていた〝謎の仮想空間〟へと囚われの身となってしまった。
そこからなんだかんだと紆余曲折ありつつ、ハヌとロゼさん、そしてヴィリーさん達『NPK』が救助に来てくれたこともあって、僕達は無事に生還することができた。
その時、ヴィリーさんとカレルさんがこう約束してくれたのだ。
『私の可愛い団員を救ってくれて、本当にありがとう。あの子達が生きているのは、全てあなたのおかげよ。心から、感謝しているわ』『お詫びと言っては何だが、もし戦力が足りないようであれば、我々も手を貸そう。無論、手に入ったものは全てそちらに渡すという条件で。今回は我々の大切な仲間を助けてもらい、本当に感謝している。ありがとう、ラグ君……いや、勇者ベオウルフ』――と。
それからも、準備期間中に〝下克上〟と異名をとる〝神器保有者〟――ロムニック・バグリーにちょっかいを出されて一対一の決闘をする羽目になったりもしたが、みんなの協力の甲斐あって僕は戦いに勝利し、不調をきたしていた〝SEAL〟もどうにか回復して、今日という日を迎えることができた。
余談だが、僕の〝SEAL〟はいわゆる『超回復』なるものをしたらしく、同時に扱える術式の数がいつの間にか十五個から二十個へと増えていた。〝SEAL〟なしでの決闘はかなり辛いものがあったけれど、結果論で言えばむしろ良い修行になったのかもしれない。まぁ、同じことをもう一度やれと言われても、もちろんお断りなのだけど。
今回の合同エクスプロールは、元々はヴィリーさん達『NPK』からの〝恩返し〟という体で、僕達『BVJ』はほとんど戦闘に参加しなくてもいいことになっていた。というか、準備段階でヴィリーさんが強硬にそう主張したのだ。
『当然よ。言ったでしょう? 今回は私達からのお礼とお詫びを兼ねているのだから、こちらが全面的に働かせてもらうわ。アシュリーの命を救ってくれたあなた達だもの。今回ばかりは、わずかな危険も近付けさせないわよ』――と。
だけど、そうも言っていられない状況になったのは先述の通りだ。ある程度予想していたとはいえ、いくらなんでも一つの部屋にゲートキーパー級が三体、しかも同時にポップするだなんて、想定外にもほどがある。
こうなっては僕達も参戦やむなし。というわけで、事前に検討しておいたプランは全て廃棄し、一から戦術プランを練り直して臨んだのが先程の戦闘だったのである。
結果は見ての通り。即興にしてはなかなか危なげない展開だったと思う。
けれど――
『いやぁーハラハラしましたねぇ! すごかったですねぇ! さあ、今のお気持ちをどうぞ!』
テンション高めのトークでマイクを差し出したのは『放送局』の男性リポーター。
当然、マイクを突き付けられているのは僕――なはずもなく。
若き新鋭、今をときめくトップ集団の一つ、『蒼き紅炎の騎士団』を率いる剣嬢ヴィリーさんである。
『ええ、本当に手強い戦いだったわ。ルームガーディアンとしてゲートキーパー級が出てくることは事前の調査でわかっていたけれど、最後の合体は心底予想外だったわね』
落ち着いてマイクに答えるヴィリーさんは、だけどいつもとは雰囲気が違っていた。貴族の令嬢然とした態度はそのままに、どことなく事務的な印象を受ける。
『けれど、今回は一緒に戦ってくれた『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』に助けられたわ。彼らがいなければ、ここまでスムーズな勝利はなかったはずよ』
そう、先程の戦いは全て、『放送局』が放った自動浮遊カメラ〈エア・レンズ〉によって撮影されていた。つまり『放送局』の人達も戦いの一部始終を見ていたのだ。
――なので、言っても詮無きことだが敢えて言いたい。
確かに最初のグローツラングにとどめを刺したのは〝カルテットサード〟のユリウス君ではある。
でも、その次のタケミナカタを活動停止に追い込んだのはうちのロゼさんだったのだ。三体目のククルカンを倒す際だってフリムの陽動がヴィリーさんの〈ディヴァインエンド〉を放つための隙を作ったのだし、最後の合成ゲートキーパーなんてハヌ一人で消滅させたようなものだ。
だというのに。
現在マイクを向けられているのは、ヴィリーさんなのである。
つまり、その、何が言いたいのかと言うと――こんなことを言うと少しおこがましいかもしれないのだけれど……
――『放送局』の人達は、もっと僕達に注目してくれてもよいのではなかろうか?
だって、誰がどう見ても今回のMVPはハヌだ。
なのに、あろうことか『放送局』のリポーターはハヌのすぐ側を素通りして――小さすぎて見えなかった可能性はあるけれど――迷いなくヴィリーさんにマイクを差し出したのである。
正直、僕のことはどうでもいい。それに、ハヌ自身はそうやって目立つことはきっと好まないだろう。事情はわからないけれど、いつも外套を被って顔を隠しているのだし。――まぁ、その割には多少目立ちたがりなところがある彼女なのだけど……
いや、それはともかく。
僕としては戦闘における活躍ではなく、エクスプローラーの知名度だけで真っ先にヴィリーさんにマイクを向けた『放送局』が、ちょっとだけ気に喰わないのだった。無論、ヴィリーさん自身に対する他意はないというのが大前提だけど。
『またまた御謙遜を! すごかったじゃないですか、あの剣嬢の誇る必殺の〈ディヴァインエンド〉! しかも今回は分身つき! 最高にかっこよかったですよ!』
『ありがとう。お褒めにあずかり光栄だわ』
リポーターの露骨なおだてに、ヴィリーさんがクールに返す。その手応えが物足りなかったのか、リポーターはさらに、
『差し支えなければ教えてもらっていいですか? あの分身〈ディヴァインエンド〉はどうやって? 配信をご覧の皆さんも気になっていると思いますし!』
一気に踏み込んだ質問を繰り出してきた。
本来、エクスプローラーにこういった質問をするのは御法度である。僕の『マルチタスク』やアシュリーさんの〝サー・ベイリン〟の特殊機能のように、エクスプローラーの切り札は原則的に秘匿されなければならない。特に戦術などの情報は、エクスプローラー同士の抗争が起こった際、致命的なことになりかねないからだ。
例外として、ヴィリーさんの〈ブレイジングフォース〉のように『看板』ないしは『通り名』に由来するものもあるにはあるが、これは本当に例外だ。当人が『知られても構わない』と考えているからこそ公開されているのである。
そんなリポーターの不躾な問いかけに対し、しかしヴィリーさんは薔薇の蕾が咲くような微笑を浮かべ、
『ええ、構わないわよ』
あっさりと了承してしまった。
――ええっ!? いいのっ!?
と、僕と同じことを思ったのだろう。リポーターも驚いた様子で聞き返す。
『い、いいんですか!?』
『あら、質問したのはあなたじゃない。知りたかったのではなかったの?』
『あ、これは失礼を! まさか本当に教えていただけるとは思ってなかったものですから……! で、ではあの分身は一体どういった……!?』
前のめりになってマイクをさらに近づける男性リポーター。
『それはね……』
ヴィリーさんは、うふ、微笑むと――突然、カメラの外に大きく視線を外した。
深紅の視線が向かう先は――って、え? あれ?
「へ……?」
思わず喉がうねって声が出た。
ヴィリーさんは真っ直ぐ、この僕を見つめていたのである。
何故だろう。それは影も形もない視線であるはずなのに、不思議と僕の胸は不可視の力で射抜かれた気がした。
――い、いや、気のせい、だよね……!?
慌てて辺りを見回す。特に背後とか。ほら、もしかしたら僕のすぐ後ろにカレルさんがいたりなんかしちゃったりして――
いなかった。
というか、気がつけば僕の傍にいるのは外套を被ったハヌ一人だけで、他の人達からは微妙な距離を空けられて孤立してしまっていた。
再びヴィリーさんの方へ視線を戻すと、彼女はこちらに微笑みかけてヒラヒラと片手を振っていた。
――え、僕!? 本当に僕なんですか!?
周囲には他に誰もおらず、目線の高さ的にハヌは除外される。
予想外の展開に挙動不審になっていると、
『あなたよ、あなた。〝ベオウルフ〟。早くこっちへ来てちょうだい』
振っていた手を招く動きに変えて、うふ、とヴィリーさんが笑った。
「え、あ、は――はいっ!?」
まさかの名指しに声がひっくり返る。反射的に小走りで向かおうとして、ふと僕に寄り添うように立っているハヌが気にかかった。僕と彼女は、いつものように手を繋いでいたから。
「え、えと……」
一緒に来る? それとも待ってる? という問いを込めて、手を軽く引っ張ってみる。するとハヌはフードの奥から、ちらり、と蒼と金の瞳で僕を見上げ、
「…………」
渋々、といった感じで僕の手を離した。それからハヌは、くいっ、と顎でヴィリーさんの方を指し示す。どうやら『仕方ないの。業腹じゃが行ってこい。妾はここで待っておるからの』と態度で言っているようだった。
「――うん、じゃあちょっと待っててね、すぐ戻るからねっ」
ハヌの機嫌が下降中なのはどう見ても明らかだったので、片手を立てて謝罪しつつ、僕はその場を離れる。
ヴィリーさんの前方に扇状に陣取っている『放送局』の人達を迂回して近づいたところ、ヴィリーさんが手招きしていた腕を伸ばし、ちょいちょい、と『お手』のジェスチャーをした。反射的に腕を上げ、その手に触れてしまう。
ぐいっ、と力強く引っ張られた。
「えっ……?」
思わぬ強引さにびっくりして声をこぼす僕の耳元に、ヴィリーさんの桃薔薇色の唇が近付けられる。
「来てくれて嬉しいわ、ラグ君。ここからは私に話を合わせてちょうだい」
小声で一方的に通告すると、ヴィリーさんはリポーターのマイクへと向き直った。
『――それじゃあ知っている人も多いとは思うけれど、改めて紹介するわ。彼が〝勇者ベオウルフ〟こと、BVJのリーダーにして支援術式使いのラグディスハルトよ』
「へっ……?」
ヴィリーさんの掌が僕を指し示し、合わせてカメラマンの構えるレンズ群がこちらに向けられた。無数のレンズの上で瞬いている小さな赤い光は、カメラが稼働中であることを示しているインジケーターである。
エクスプローラー以外は立ち入れない、遺跡のセキュリティルームのような場所へと送り込む〈エア・レンズ〉とは違い、こういう時に使うカメラは撮影者の〝SEAL〟と連結できる本格的なものだ。軽量化のため平面撮影しかできない〈エア・レンズ〉に比べて、こちらはいくつものレンズを使って立体撮影も可能という優れものである。
そして今、見る人によっては仮想空間にある立体として映るであろう僕は、気付けばヴィリーさんに腕を組まれ、逃げられないよう捕獲されていた。
『何を隠そう、このラグ君こそがさっきの分身の――いいえ、戦闘全体における要よ。むしろ彼がいなければ私の勝利はなかった――そう断言してもいいぐらいにね』
「えっ、えっ、えっ?」
カメラのレンズ群は僕を照準していて、それでも画面に入るためかヴィリーさんが思いっきり体を密着させてくる。ふにょん、と右腕に柔らかくてあったかい感触が押し付けられ――いやいやいやいやいや!? 考えるなよ僕!? 考えるな考えるな考えるんじゃないぞ僕!?
――っていうかヴィリーが僕をベタ褒め!? ぜ、全世界に配信される映像なのに!? な、何が、一体何が起こって……!?
右半身に伝わる体温と、憧れの〝剣嬢ヴィリー〟に世界中の人達の前で褒められるという恐れ多き事態に、僕の頭はいまや沸騰寸前だった。
ヴィリーさんはマイクを向けるリポーターに、にっこりと女神のような笑顔を見せる。
『あなたが気になっている最後の分身〈ディヴァインエンド〉も、このラグ君のおかげよ。彼が支援術式〈ミラージュシェイド〉を重複発動してくれたの。これ以上は秘密だから言えないけれど、一瞬であれだけ分身できたのは紛れもなくこの彼、ラグ君のおかげなのよ』
『サ、支援術式、ですか……?』
リポーターが呆然とした声で呟く。
チラ、と彼が怪訝な目で僕を見るのも無理はない。
今なお、世の中の支援術式に対する目には厳しいものがある。
過日、僕が〝下克上〟の異名をとるロムニック・バグリーと決闘を行った記憶はまだ新しい。
これを『瓢箪から駒』と言うべきか。
はたまた『棚からぼた餅』と称すべきか。
神器〝共感〟の〝神器保有者〟であった奴を、正面から正々堂々と、しかも支援術式なしで下したところ――無論、皆の協力あってのことである――僕のエクスプローラーとしての名声は急上昇した。
なにせ総合評価Dランクだった僕が、一気にAランクまで飛び級したほどである。
その結果、前々から一部の界隈で話題になっていた〝ベオウルフ・スタイル〟が、さらに大きく取り沙汰され、前回とは比較にならない大騒ぎになってしまったのである。
騒動の中身を一言で言えば――賛否両論の大嵐。
簡単に言えば、元々から存在した『支援術式は百害あって一利なし派』と、新たに現れた『やはりこれからの時代は支援術式だ派』とが大激突したのである。
たとえ一度は文明が崩壊するほどの大災厄を乗り越えようとも、さほど人の心は時代の移り変わりに機敏になれるものではない。
大局的に見れば、当然ながら『支援術式は百害あって一利なし派』が圧倒的に多勢であった。
対する『やはりこれからの時代は支援術式だ派』はしかし、少数でありながらも精鋭が勢揃いしていた。
両者はかつてないほどの大論争を巻き起こした。
これまで何度も何度も言ってきたように、支援術式は扱いが非常に難しい。
僕みたいな特殊なタイプであったり、ヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団』のように特別な訓練を行わない限り、おいそれと使いこなせるものではないのだ。
それだけに『支援術式は百害あって一利なし派』の不信感は根強く、反発も激しかった。
だが理論的に言えば、『やはりこれからの時代は支援術式だ派』の方が正しい。なにせエクスプローラーのトップクラスになればなるほど、支援術式の有用性を見直している昨今なのである。機を見るに敏なカレルさんが『NPK』のメンバーに支援術式を使いこなすトレーニングを始めさせているところを見るに、支援術式を戦術に組み込むのが常識となる日もさして遠くはなかろう。
だけど、それはそれ。
世間の趨勢はいまだ『支援術式は百害あって一利なし派』が圧倒的に強く、このリポーターもきっとその一人だったのだろう。
『支援術式というと、アレですよね? 燃費が悪くて、扱いが難しいという――』
『あら、放送局に所属している人間がそんな古臭いことを言ってていいのかしら?』
『――えっ?』
ある意味予想通りだったリポーターのコメントに、ヴィリーさんが被せ気味に食らい付いた。
『残念ね。その見解はあなただけのもの? それとも放送局全体がそうなのかしら? だとしたら幻滅としか言い様がないのだけれど』
ニコニコと朗らかな笑みと声で、切れ味鋭い台詞を吐くヴィリーさん。リポーターも流石に雰囲気の変調を察したのか、石のように固まり、ごくり、と生唾を呑み込む様子を見せた。
ヴィリーさんはリポーターからカメラ群へと目線を切り替え、
『そうね、もしかしたら未だに勘違いしている人がいるかもしれないから、ここで改めて支援術式について説明しておいた方がいいわよね。少し長くなるけど、構わないかしら?』
と、今度はカメラの外へと視線を飛ばす。その先にいるのは、どうやら『放送局』の責任者らしき人物だ。つば付き帽子とサングラスをかけた責任者は驚いたように軽く肩を上げ、しかし数秒後には仕方なさそうに頷いた。そして、半ば自棄になったかのように親指をぐっと立ててみせる。
『ありがとう。それじゃ、まずは皆の支援術式に対する誤解を解くところから始めましょうか』
そう前置きすると、ヴィリーさんはカメラ群に向かって語り始めた。
『いい? 支援術式に限らず、どんな術式も結局はただの【ツール】。道具なの。それぞれに特徴があって、一長一短があるのは当たり前よね。〝鶏を割くに焉くんぞ牛刀を用ひん〟なんて言うでしょ? つまり道具にはおのおの適した使い方があって、それを考慮しない議論なんてナンセンスもいいところなのよ』
はーやれやれ、といった感じで肩を竦め、首を振るヴィリーさん。トレードマークの長いポニーテールが宙を躍って、僕の背中をペシペシと叩いた。えっと、あの……これはやはり密着しすぎなのでは……?
それとなく離れようとしてみるけど、ガッツリ組まれた腕のホールドはビクともしない。ヴィリーさんは僕を逃がすつもりが全くないのだ。
『そう、みんなが思っている通り、確かに支援術式はピーキーな代物だわ。ねぇ、ラグ君?』
「――えっ!?」
いきなり話を振られて、ビクンッ! と反応してしまう。
『エンハンサーであるあなたが一番よく知っているはずよ。言ってみてくれるかしら? 支援術式のデメリットを』
にこー、と朗らかに、けれど有無を言わさない迫力を醸し出す女神の微笑。
私に話を合わせてちょうだい――ヴィリーさんはそう言った。
つまりここは、ちゃんと話を合わせられないと後で怒られる場面である。主に、訓練という名目で行われる【地獄のシゴキ】によって。
『――は、はいっ! そ、そうですね!? えと……み、皆さんご存じの通りっ、支援術式には〝燃費が悪い〟というデメリットがありますね!?』
僕は慌ててマイクに向かって口を動かし始めた。だけど焦りのあまり頭の中は真っ白で、正直自分でも何を言っているのかよくわからない。口を衝くまま、僕は自ら支援術式の短所を並べ立てていく。
『し、使用者の最大術力を要求するこの仕様は、その人の術力が強ければ強いほどフォトン・ブラッドの消耗が激しくなってしまいますからね!?』
『ええ、そうね。他には?』
『ほ、他には――フィ、身体強化系の術式はダイレクトに身体や神経に作用するので、し、然るべき訓練をしてない人は感覚の変化についていけなくなって、じ、自爆する可能性が高いですね!?』
『うんうん。まだあるわよね?』
『こ、効果時間が三分しかないのも欠点でしょうか!?』
『あら、どうして?』
『か、重ね掛けしても効果時間の延長はできませんしっ、戦闘が長時間に渡った場合はどうしてもインターバルが発生して、えっと……!?』
『隙が出来てしまうということ?』
『そ、そうです! その通りですっ!!』
滑らかに出てくる質問に、僕は何度もうなずきを返す。
ぶっちゃけほとんど直感的に思いつくまま喋っているのだけど、ヴィリーさんが上手く誘導してくれたおかげか、僕の解説はどうにかそれなりの形をとることができていた。
『ありがとう、流石はラグ君ね。今や、あなたは支援術式の第一人者と言っても過言ではないもの。とてもわかりやすい説明だったわ』
『あ、ありがとうございますっ!?』
果たして本当にそうだったろうか? なんて疑問が頭の中を飛び交うけど、とにかくヴィリーさんが褒めてくれた。思考力がナメクジレベルまで低下している僕は一も二もなくそれに飛びついた。
『じゃあ今の三つが支援術式のデメリットね。燃費が悪い、身体強化は危険が多い、効果時間が三分しかない』
ヴィリーさんはカメラ群に向かって三本の指を立て、僕の解説を要約する。
『ここまではOKかしら? なら次は、もちろん【メリット】についてね、ラグ君』
『え、は――め、メリット、ですか……?』
思わぬ単語の登場に、思わず素で聞き返してしまった。
にっこりと向日葵のごとき笑顔を見せるヴィリーさんは、ええそうよ、と頷く。
『さっきも言ったじゃない。どんなものにも特徴があって〝一長一短〟があるって。短所があるなら当然、長所だってあるはずよ。それを教えて欲しいの。他でもない、あなたの口から』
「…………」
――考えたこともなかった。
とても初歩的なことに気付き、僕は束の間、呆然としてしまった。
いや、支援術式のメリットについてではない。
【自分が支援術式のメリットについて語る】という行為について、これまで考えたこともなかったことに気付かされたのだ。
我ながらちょっとした驚きだった。支援術式使いのくせに、僕はまるで考えたことがなかったのである。
世間に支援術式の有用性を訴えよう――などとは。
予想外の言葉に虚を突かれていると、ヴィリーさんが身を寄せ、僕の耳元でこう囁いた。
「私はさっきこうも言ったわよ、ラグ君。今や、あなたは支援術式の第一人者と言っても過言ではない、と。もちろん、これは何人ものエクスプローラーを見てきた私個人の見解よ。けれど、ええ、そうよ」
小さな声にしかし、確信を込めてヴィリーさんは続ける。
「こと支援術式に限って言えば、あなたは間違いなく【世界一】の人材だわ。この私が保証する。まずはそれを自覚してちょうだい」
「……!?」
望外すぎる褒め言葉に、僕は我が耳を疑った。
――この僕が……!? せ、世界一の……!?
驚きの余り、僕は上体を仰け反らせてヴィリーさんを見た。
繊細な金色の睫毛に縁取られた深紅の瞳は、真っ直ぐ僕のことを見つめていた。
「――だから【あなた】でなければいけないのよ、ラグ君。【あなたの言葉】だからこそ、意味があるの」
真摯な眼差しは微動だにせず。
「誰よりも支援術式を使いこなし、今日まで使い続けてきたあなただもの。私はただの剣士。本当の意味で支援術式を知っているだなんて口が裂けても言えないわ。けれど――〝ぼっちハンサー〟だなんて揶揄されながらも、それでもエンハンサーであり続けた、そんなあなたなら」
僕の右半身に密着した身体からは熱い体温が流れ込み。
「支援術式の本当の魅力を、きっと世界中の人々に伝えられる」
その声はただ、揺るぎない確信に満ちていた。
「――だから、語って。あなたは知っているはずよ。【支援術式の正しい使い方】を」
「…………」
――【支援術式の正しい使い方】。
おかしなことに、僕はその言葉を生まれて初めて耳にしたような気がした。
それはきっと、ずっとずっと前から存在していたのだろう。
それこそ、支援術式が生まれたその瞬間から。
だけど――誰もそれを見つけようとしてこなかった。あるいは、見つけた人がいたとしても、【誰もその人の話を聞かなかった】。
支援術式は不便だ、使えない、役に立たない、むしろ危険だ――そんなイメージが先立って、たくさんの可能性が無言のうちに殺されてきたのだろう。
だから僕も思いつかなかった。
考えようともしなかった。
支援術式には【正しい使い方】があって、誰もそれに気付いていないだけなのだ――なんて。
それなのに、この人は――
金髪紅眼の麗しい剣嬢は――
「――はい。わかりました」
自分でも意外に思うほど、すんなりと言葉が喉から滑り出てきた。
気がつけば、全身に染み渡っていた緊張感が嘘のように消えていた。
そう。今はそんな場合ではない。慌てふためいたり、周章狼狽している時ではないのだ。
ここはきっと、ヴィリーさんが用意してくれた舞台。
日陰者と指差されてきたエンハンサーに、そして支援術式に眩いスポットを当てるための、一世一代の大チャンス。
ここを無駄にしたら、きっとハヌにだって呆れられてしまうに違いなかった。
だから僕はマイクに向き直り、すぅ、と息を吸った。
『――支援術式のメリットについて説明します』
視線を感じる。すぐ近くにいるヴィリーさんはもちろんのこと、あらゆる角度から僕を見ている目がある。ロゼさんやフリム、カレルさんやアシュリーさん達『NPK』のメンバー。
そして、これだけは絶対に間違えようもない――ハヌの視線。
果たして彼ら彼女らの瞳に、今の僕はどう映っているだろうか。
『まず第一に言いたいのが、支援術式は【誰にでも使える術式】だということです。ご存じの通り、支援術式はその人の最大術力を強制する仕様で、とかく燃費が悪いと思われています。ですが、それは誤解です。誰に対しても最大術力を要求して発動するということは、つまり【術力が弱い人でも発動させることができる】ということなんです』
夢にも思わなかった。まさか自分が『放送局』のカメラの前で、こんな風に話す日が来るだなんて。
『普通の戦闘術式は、ある程度の術力がなければ発動させることすらできません。特に上級の術式にもなると、一部の限られた人にしか発動させられません。でも、支援術式はどんなに術力の弱い人でも、最大術力を使用すれば発動させることができるんです。つまり、どんなに術力の才能がない人でも使用できるのが、支援術式なんです』
それも、支援術式の有用性を訴えるために、こうして言葉を紡ぐだなんて。
『また、支援術式は重ね掛けすることによって非常に高倍率の強化係数を得ることができます。僕個人としては、術者の最大術力を要求するという仕様は、この点においてむしろ当然の結果だと考えています』
ずっと言いたかった。ずっと聞いて欲しかった。
ずっと知って欲しかった。ずっと理解して欲しかった。
『特に身体強化の支援術式は、重ね掛けするごとに倍々計算で強化係数が増えていきます。一回で二倍、二回で四倍、三回で八倍という風に。これも他にはない支援術式の大きな特徴です』
支援術式は役立たずなんかじゃない。
支援術式は無意味なんかじゃない。
『また効果時間が三分しかないのは、あくまで客観的な話です。実際に身体強化の術式を使ってみるとわかりますが、三分間は主観的にはむしろとても【長い】んです』
エンハンサーは無価値なんかじゃない。
エンハンサーは落ちこぼれなんかじゃない。
『いくら〝SEAL〟を介して強化しているとはいえ、強化係数が上がれば上がるほど肉体にかかる負担は増加します。筋力、敏捷性、防御力をどれだけ強化しても、体力だけは変わらないからです。特に最大係数である一〇二四倍――いわゆる〝アブソリュート・スクエア〟にもなれば、かかる負担も消耗も文字通り桁違いです。下手をすればそれだけで死ぬ可能性も低くはありません』
ちゃんと役に立つ。
ちゃんと意味はある。
『そのため三分で効果が切れるという仕様は、むしろ欠点ではなく安全機構なんです。先程の戦いを見てもわかる通り、一回の戦闘にかかる時間というものはさほど長くありません。さっきもゲートキーパーを三体同時に相手しましたが、戦闘自体は三分以内に終了しています』
ちゃんと価値はある。
どこも劣ってなんていやしない。
『何故かというと、それも支援術式のおかげなんです。単純に考えてみてください。支援術式を駆使してメンバー全員の能力を二倍や四倍に強化すれば、それだけ攻撃力が上がります。攻撃力が上がれば、ゲートキーパーの耐久力をより早く削り、素早く活動停止に追い込むことが出来ます』
みんな知らないだけだ。
『実際、僕は支援術式を使うことで第二〇〇層のゲートキーパー、ヘラクレスを三分以内に倒すことが出来ました。僕の記憶によれば、通常のゲートキーパー戦の平均戦闘時間は十分前後です。これは世界中の遺跡における平均値です』
だから、今こそ知って欲しい。
『つまり、三分間の制限時間は欠陥なんかじゃありません。【安全のために短く設定されている】だけで、もっと言えば【短くてもまったく問題がない】んです』
きっと――いや間違いなく、今も世界のどこかにいるであろう、僕と同じ支援術式使いのために。そして、将来的にエンハンサーになるしかない人々のためにも。
僕は語る。
『つまり、誰もが使用できて、戦場の環境を整えることができて、味方の能力を強化することができて、より早く、より効率的に、そしてより安全に、戦闘に勝利するための術式――』
僕が最も誇るべき、その力こそが。
『――それが、支援術式なんです』
言い切った。
――正直、上手く伝わったかどうかはわからない。
だけどこの瞬間、この胸に詰まっていた思いは、余すことなく言葉に変えられたと思う。
「…………」
次の瞬間、僕はこの場に満ちる静寂に気がついた。
しん、と静まり返った空気に、はっ、となる。
深い穴に落ちる錯覚を覚え、まるで夢から醒めたかのように。
――あ……あれっ……? いま僕、何を喋って……?
平静だった心の水面がやにわに波立ち、揺れ始めた。
そうだ、何を落ち着いているのだ。この中継は全世界に向けて配信されているのだ。つまり世界中の人に向かって、僕は支援術式の何たるかを――
『――ありがとう、ラグ君。いいえ、勇者ベオウルフ。実体験を交えたとてもいい説明だったわ』
心臓が早鐘を打ちだして取り乱しかけていた僕の右腕を、ヴィリーさんがぐいっと引っ張った。
『おかげでみんな、支援術式のメリットとデメリットがよく理解できたはずよ。そうでしょ?』
ヴィリーさんはカメラ目線で問いかける。すると、僕に集中していた視線の束がヴィリーさんの方へと大移動した。
ふっ、と肩の荷が下りて気分が楽になる。パニック寸前の頭が冷えて、焦りの感情が日差しを浴びた雪のように溶けていくようだった。
『要点をまとめると、支援術式のメリットは、誰にでも使えること、効果が絶大なこと、戦闘時間を短縮できること。逆にデメリットは、燃費が悪いこと、効果が強すぎて自滅しやすいこと、効果時間が短いこと』
そこまで言うと、うふ、とヴィリーさんは微笑み、声のトーンを高めた。
『――さあ、もうわかったかしら? 支援術式のメリットとデメリット。これらは全て【表裏一体】だということに』
自分は剣士だから支援術式について語れない――そうヴィリーさんは言っていた。けれど彼女の発言は、支援術式について深く考察していなければ出てこないものばかりだ。きっと言葉とは裏腹に、たくさん調べて考えてくれたのだろう。絶対おくびにも出さないだろうけれど。
『術者によっては燃費が悪い反面、誰にでも発動させることが出来る。訓練が足りなければ強すぎる力で自滅するかもしれないけれど、逆に言えばそれだけ能力が向上するということ。効果時間が三分と短いように思えても、実際は支援術式のフォローによって戦闘時間が短縮されるから影響は少ない』
右手を上げて指折り数えつつ、支援術式のメリット・デメリットを接続させるヴィリーさん。
『そう、最初に言った通りどんな術式にも〝一長一短〟があるの。だというのに支援術式は、これまでマイナス面ばかりに目を向けられて、その有用性が無視されてきたわ。これはとてもナンセンセスな話よ。槍がナイフのように小回りが利かないからと言って、それを役立たずだなんて誰が呼ぶかしら? そんな馬鹿な話ってないでしょう?』
ヴィリーさんは人差し指をピンと立て、ちっ、ちっ、ちっ、と左右に振る。
『道具や武器に、使い方と使うべき場面がそれぞれあるように、術式もまた然りなのよ』
ここで何故か、ヴィリーさんは首の後ろへと手をやり、そこにあった自身のポニーテールを撫で払った。それ自体が発光しているかのようなプラチナブロンドが蛇のように躍り、『放送局』の照明を反射してキラキラと輝く。
『支援術式を役立たずと呼ぶのは簡単だわ。何も考えなければいいだけだもの。だけど、それでは【先】がないわ。特に、これからのエクスプロールにおいてはね』
ヴィリーさんの口元から微笑が消えた。まなじりを決し、深紅の視線がカメラのレンズを射抜く。
『――いい機会だから、ここで宣言しておこうかしら』
そう前置きしてから、ヴィリーさんは力強く断言した。
『これからは【支援術式の時代】よ』
ビリッ、と空気が帯電したかのようだった。その電気は大気中を伝播してこの場にいる全員、そしてカメラの向こうにいる視聴者ですら痺れさせただろう。
今この瞬間、新たな時代の幕が切って落とされた――そんな錯覚すら覚えた。
『多くのエクスプローラーが目を背けたがっているようだから敢えて言ってあげる。ルナティック・バベル第二百層の〝ヘラクレス〟。キアティック・キャバンの深層に現れた〝アキレウス〟。デモニック・キャッスルの〝ジークフリート〟……もはや誰の目にも明らかよ。どいつもこいつも馬鹿げたレベルの怪物揃いで、支援術式の助けでもなければ決して勝てなかった。もし、そんなものがなくても勝てる、と豪語できる人間がいるのなら、それはきっとおとぎ話に出てくる〝神器〟を持った〝神器保有者〟だけでしょうね』
さらりと地雷原に足を踏み入れるようなセリフに、ぞわっと背筋が粟立った。神器がおとぎ話の中の空想ではなく、現実に存在する能力だと知っているのは〝神器保有者〟とその関係者だけだ。揶揄するような物言いをするヴィリーさんに、僕は密かに肝を冷やしてしまう。
『実際、ヘラクレスを倒した勇者ベオウルフはエンハンサーだった。アキレウスを斬り伏せた〝剣〟ゼテオには、支援術式によく似た能力を持つ〝フェアリーアイズ〟がついていた。そして、ジークフリートを活動停止させた謎の人物については情報が少ないけれど……さる筋からは〝尋常ではないスキルの持ち主だった〟という証言が流れてきているわ。また、黄金に輝くフォトン・ブラッド――〝黄金律血〟の持ち主だったともね』
流石はヴィリーさんである。ルナティック・バベル以外の遺跡で起きた出来事に関しても網羅しているとは。僕も毎日ニュースをチェックしてはいるけれど、そこまで詳細な情報は持ち合わせていなかった。
『わかるかしら? はっきり言って、私も含めたほとんどのエクスプローラーがとっくに【行き詰っているのよ】。ここ最近で遺跡の難易度は一気に跳ね上がったわ。従来通りの戦術や、これまでのような鍛え方ではまったく手が届かないほどに。いえ、実際には難易度が跳ね上がったというよりは――【最初からそうだったことが判明】したのよ』
それは思う。ヘラクレスも然りだが、僕が思い出すのは先日のミドガルズオルム戦だ。
何度だって断言してやろう。このルナティック・バベルのセキュリティシステムを構築した古代人は、絶対に悪魔だ。
だって、どう考えたっておかしい。あの『開かずの階層』の仮想空間は間違いなく地獄だった。いま思い出しても背中がゾクリとする。よくも一人も欠けずに生きて還れたものだとしみじみ思う。
食料の自給はできず、ポップするSBは全てドラゴン系の飛竜か駆竜。それだけならいざ知らず、仮想空間から脱出するためにはフロアマスターを倒さねばならず、しかもそいつは常識外れの巨大さを誇るときた。
こうして生還しておいて言うのもなんだけど、あんなの無理だ。絶対に死ぬ。全長百メルトルを超える双頭の蛇に、取り巻きのドラゴンが数えきれないほどいたのだ。
その上で『隠しステージ』らしく、フロアマスターにはいくつもの奥の手が秘められていた。
双頭の〝ウロボロス〟から九つ首の〝ヒュドラ〟へ。無限かと思える再生力に、無数に分割されたコンポーネントのコアカーネル。口から吐く強烈な熱閃に、巨体を生かした物理攻撃。
それでも決して諦めず、死線をくぐり抜けて奴を倒そうとしたところ、更なる形態変化が僕らを待ち受けていた。
結局のところそれは顕現することはなかったけれど、その真名は〝ミドガルズオルム〟――〝世界蛇〟とも伝承に謳われる存在の名を与えられた奴は、まさしく超巨大な怪物へと変化しようとしていたのだ。
ちょうどヒュドラの胴体部分が最終形態の〝片目〟になったであろうことから、その全体がどれほどの大きさであったのかは、もはや想像もしたくない。
もしあのまま、とどめを刺しきれずにミドガルズオルムそのものが顕れていたらどうなっていたことか。まぁまず間違いなく、僕達はこうしてこの場にいなかっただろう。
『さっきの三体同時に現れたゲートキーパーもそう。ルナティック・バベルに限らず世界各地の遺跡は、これまで私達が考えていた以上に恐ろしい場所だったことが判明したわ。けれど、もちろんこれで終わるはずがない。次の部屋ではゲートキーパー級が五体同時に出てくるかもしれないし、下手をしたら十体同時かもしれない』
これまた、しれっ、と空恐ろしいことを宣うヴィリーさん。だけど悪魔的な古代人の策略を思えば、まるきり否定できないのがつらいところである。
『いまや、エクスプロールは新たなステージに突入したと言っても過言ではないわ。これからは、これまでろくに研究されてこなかった支援術式をも戦術に組み込んでいかなければ、いずれ命を落とす羽目になる。そうならないためにも、エクスプローラー全体で支援術式を見つめ直し、活用していかなければならないのよ』
詰まる所ヴィリーさんの訴えは、この場における勝利者インタビューなどという枠を大いに逸脱していた。
彼女は今、この瞬間、世界中のエクスプローラーへと檄を飛ばしているのだ。
目を覚ませ。ぬるま湯のような安寧から飛び出して、変わりつつあるエクスプロールの未来にしっかりと目を向けろ――と。
『だから私は宣言するわ。これからは支援術式の時代がくる、と。支援術式は戦術になくてはならないものとなって、エンハンサーはヒーラーと同じぐらい必要不可欠の存在になるはずよ』
ヒーラーと同じ。それはつまり、一つのパーティーに一人は必ずエンハンサーが組み込まれる、それが常識になるということだ。
僕のようなエンハンサーからすれば、それは夢のような世界である。何度そんな妄想を繰り返しただろう。引手あまたとなる自分。皆から必要とされ、仲間と一緒に遺跡にエクスプロールしに行く――そんな明るい未来を。
そんな夢物語が、いずれ現実になるとヴィリーさんは言う。
『既に支援術式の有用性に気付いているクラスタも当然いるでしょうね。抜け駆けはとっくに始まっているわ。なにせこれからのエクスプロールは、間違いなくエンハンサーのランクで決まるもの。さっきの戦闘のように腕のいいエンハンサーさえいれば、例えゲートキーパーが三体相手でも苦戦することもない。有能なエンハンサーの獲得合戦はもう水面下で始まっているのよ』
腕のいいエンハンサー。はて、腕のいいエンハンサーとは何だろうか。具体的にはどういうものを指すのだろうか――などと疑問に思っていると、
『もちろん、ゼロから育成を始めているところもあるでしょうね。いいエンハンサーの条件はとても簡単だもの。一つ、術力が弱いこと。二つ、フォトン・ブラッドの総量が多いこと。三つ、一度に複数の術式を発動させられること。この三つよ』
なるほど、確かに。僕のように術力が弱い人間ほど支援術式による消耗は少ない。それでいてフォトン・ブラッドの量が人並み以上なら文句なしだ。なおかつ、同時に複数の術式を扱うことができるのなら、エンハンサーとして申し分ない。
――って、あれ? それってなんだか、どこかで聞いたことがあるような……?
次の瞬間、右腕に纏わりついていたヴィリーさんの体温が、さらに密度を上げた。ぐい、と体を押し付けて密着率を高めたのだ
『――そして、その三つを高レベルで満たしているのが、ここにいるラグ君――〝勇者ベオウルフ〟なの』
『――へっ?』
先程までとは打って変わった、やけに明るい声で言ったヴィリーさんに、思わず変な声がこぼれた。
いつの間にやらヴィリーさんの表情は満面の笑みへと豹変していた。
『だからこれも宣言しておくわね。今、私はこのラグ君にモーションをかけているの。残念ながら一回振られているけれど、それでもまだ私は諦めないわ』
うふ、と口元に妖艶な笑みを刻み、ヴィリーさんは僕に流し目を送る。
『断言するわ。この彼こそは世界一のエンハンサー、最強無敵のサポーターよ。彼さえいればもうどんな敵も怖くない。第二百層のヘラクレスを単体撃破した彼がついていれば、どんな怪物が出てこようとも勝利は揺るがないわ』
――えっ?
――えっっ!?
――えええええええええええええっっ!?
どこか誇らしげに僕を見つめて断言したヴィリーさんに、僕の頭はかつてないほどの混乱に叩き落された。
ヴィリーさんが何を言っているのかわからない――いや、とにかくすごく褒められていることだけはわかる。だけどあまりに過分な賞賛を受けているものだから、脳細胞がエラーを連発しているのだ。
『――だから私は諦めない。〝剣嬢〟の名にかけて、必ずあなたを手に入れてみせるわ。他のエクスプローラーはもちろん、手出し無用よ。私が先に唾を付けていたのだもの。横から勝手に手を出したら絶対に許さないわ。その時は腕の一本や二本、斬り落されても文句は言えないわよ』
前半のセリフは僕に、そして後半のセリフはカメラに向けて不敵に言い放った。
にこやかに、女神のような微笑を浮かべたまま。
『――ご清聴感謝するわ。ありがとう。以上が私の支援術式に関する主張よ。他に質問などはあるかしら?』
サクっ、と話を切り上げて、緩やかに頭を巡らせたヴィリーさんはリポーターに深紅の視線を向ける。すると、これまで呆けたように黙りこくっていたリポーターは、雷に打たれたかのごとく全身を震え上がらせた。
あまりにも予想外な展開に完全に自失していたのだろう。ヴィリーさんに声をかけられて我を取り戻したリポーターは、慌ててマイクを自分自身に向けた。
『――あ、は、はい、そ、そうですねっ!? え、ええと……』
頭の中が真っ白なのだろう。リポーターは救いを求めるように、カメラの向こうにいる責任者さんへと顔を向けた。責任者さんはつば付き帽子を脱いで――まさに〝脱帽〟ということだろうか――大げさな所作で首を横に振る。
もういい、適当なところで切り上げろ――そう言っているようだった。
『そ――それでは、インタビューはここまでとさせていただきます! ご協力ありがとうございました!』
無理矢理な笑顔を浮かべて、リポーターは半ば強引にインタビューを打ち切った。それでも普段からの積み重ねによる条件反射だろうか。改めてマイクをヴィリーさんに差し出し、
『あ、ちなみに、この後のご予定などはっ?』
『ええ、予定通り今日のエクスプロールはここまでにしておくわ。新たに対策を立てたいことも増えたし、次のルームでも激戦が予想されるから、ちゃんと体を休めておかないと。どうか明日も、BVJと私達の活躍に期待してちょうだい』
最後のセリフはカメラ目線で語り、ヴィリーさんはやはり完璧な笑顔で撮影を締め括ったのだった。
この時、僕は目の前のこと――というか右半身に密着したヴィリーさんの体温や、思いがけず至近で聞こえる艶のある声などに意識が集中してしまっていて、全く気付いていなかったのだけど。
ヴィリーさんの言動は、全エクスプローラーにとって間違いなく爆弾だったわけで。
だというのに、僕の周囲――リポーターや『放送局』のスタッフはもちろんのこと、カメラに入らないよう撮影現場を取り巻いていた『NPK』のメンバーや、ハヌ、ロゼさん、フリムが特に騒ぎもせず、妙に静かで。
というのも多分きっと、ヴィリーさんの放り投げた爆弾はあまりにも衝撃的過ぎて、もはや上手くリアクションがとれないほどのものだったわけで。
誰もが意識の表層で『なんかすごいこと言っている』みたいな感じで受け流してしまっていたのかもしれず。
それもおそらく、【あの】カレルさんですら。
したがって、本当の爆発は全てが終わった後に、遅れて徐々に膨張し、誘爆し、スタンピードは指数関数的に加速して、世界中を覆い尽くすこととなったのである。
なお、その爆発の瞬間を、僕は目にしていないし、耳にもしていない。
何故なら。
リポーターが下がって、撮影現場の空気が弛緩した、その空隙を狙ったかのようだった。
ヴィリーさんがさらに身を寄せ、小さな声で問いかけてきた。
「――ねぇラグ君。憶えているかしら? 私が前に言ったこと」
「えっ? ま、前、ですか……?」
いつの話だろう? と宙に視線を泳がせて考えていると、
「すぐこの前のことよ。ほら、あなたの祝勝会のときの」
「祝勝会……? ――あっ……!?」
言われて思い出した。ロムニックとの決闘に勝った後のお祝いパーティー。みんながクラッカーを鳴らして祝ってくれたあの時、ヴィリーさんは僕にこう言ったのだ。
「思い出した? 私は言ったわよ。狙った【剣】は必ず手に入れるのが信条なの。どうか覚悟していて――と」
そう、そしてその直後、右の頬に柔らかい感触を感じ、僕はひとたまりもなく意識を失った。
思い出した途端、ヴィリーさんにキスされた箇所が熱くなってきた気がする。
うふ、とヴィリーさんが笑った。
「何度だって言ってあげるわ。私は絶対に諦めないわよ。あなたや小竜姫達を私のナイツに引き入れるまで、何度だってアタックしてあげるんだから」
ふわっ、と空気が流動する感覚を肌で感じた。
同時に、脳裏に閃く【嫌な予感】。
――あ、まずい、これは……!?
直感が警鐘を鳴らした。それは奇しくも、先日のヴィリーさんやアシュリーさんのつけてくれた特訓によって身に着けたものであった。
ちゅっ
偶然か、はたまた故意か。
またしても右のほっぺたに、柔らかいものが触れ、すぐに離れた。
頭の中が純白に染まる。
耳元をくすぐるような、甘い囁き声。
「――だから早く私のモノになりなさい、【ラグディスハルト】」
なおかつ、敢えての本名呼び。
なんてことをしてくれたのか。
間違いない。この人は、ヴィリーさんは全部わかった上で【やった】に違いないのだ。
くすっ、と小悪魔めいた笑みの気配と同時に、僕は急速に全身から力が抜けていくのを感じた。
今となっては、僕がこういった女性の行為に免疫がないというのは、公然の秘密である。
よって、例えこれが都合二回目のキスであろうと、しかもそれが頬への軽いものであろうと、僕の意識を刈り取るには十分すぎる威力なのであった。
ぐるん、と視界が回転した。
もはや足の感覚どころか平衡感覚さえない。
ただ、僕は最後に見た。
僕とヴィリーさんを取り囲む人々の驚いた表情を。
そして。
僕ら二人に向いていたカメラの群れ、その上に灯った小さな赤い光を。
そう――
カメラはまだ、絶賛稼働中だったのである。
後は諸々察して欲しい。




