●20 エピローグ~剣嬢の信条~
さて、それからどうなったのかと言うと。
まず結論から言うと、ロムニックは無事に一命をとりとめたのだそうだ。
そうだ――と伝聞調なのは、決闘場所だったルナティック・バベルから拠点へと帰ってきた僕の〝人工SEAL〟宛てに、ヴィリーさんからのダイレクトメッセージが届いたからである。なお、どうしてメッセージの送信先が〝人工SEAL〟だったのかは後述する。
ともかく――我ながらよくやったものではあるけれど――高ランクのヒーラーから医療用ポートを通じて上級の治癒術式を受けてなお、ロムニックの容体は酷いものだったらしい。
どれほどだったかと言うと、全身の骨折やら裂傷やら破裂やら神経断裂やら、その他諸々を合わせて医学的には『これで生きているのは本当に奇跡だ』とお医者さんに言わしめたという。
さもありなん。ロムニックが纏っていた『身代わりの加護』の内、命の代わりになるものは本当に命しか守ってくれない。つまり、生命維持に必要な部分は保護するが、逆に言えばそれ以外の部分には手が回らないのだ。むしろ、効果が集中するからこその奇跡的な加護とも言える。詳しくは知らないけれど、あの加護一つでルーターが買えるぐらいの価値があるのではなかろうか。
実際、あそこまでやった張本人が言うのも何だけど、何が何でも生き延びる気概で準備をしてきたロムニックの、執念の賜物だと思う。あれだけ入念な仕込みは、やれと言われてもそうそう出来るものではない。一体どれだけの金額を注ぎこんだのだろうか。そして、その資金は一体どうやって調達したのだろうか。まったく謎である。
ともかく、送られてきたメッセージの内容から、やはりヴィリーさんたちの『急用』とはロムニック――即ち神器関係であることが判明した。
ロムニックの状態からして急ぐようなことではないように思えたのだけど、何か特別な事情があったのだろうか?
――という疑問には、後ほど僕らの拠点――最初にハヌが賃貸契約を結び、今では共有資産としてみんなで家賃を払っている高級マンションの一室――へとやってきたヴィリーさんが直接答えてくれた。
「おめでとう、ラグ君。そして、ありがとう。心からお礼を言わせてもらうわ」
夕刻、いつぞやと同じように花束持参で現れたヴィリーさんは、遅くなってごめんなさい、と前置きしてから女神のような微笑を見せてくれた。
「せっかく決闘に勝利したのに、こうしてお祝いを言うのが後回しになってしまって本当にごめんなさい。誤魔化しにしか見えないとは思うけど、よかったらこれを受け取ってくれないかしら」
決闘前に顔を合わせた時と違い、先日のデート時のように柔らかい雰囲気の格好をしているヴィリーさんは、豪奢な花束を差し出した。綺麗な花をまとめたそれは、ゴージャスさで言えばこの前のものよりさらにすごいものになっていた。
僕は恐縮しながら、丁寧に受け取る。
「あ、ありがとうございます……っ!」
「いいえ、こちらこそ。あなたが勝ってくれたおかげで、肩の荷が下りた気分よ、私」
うふ、と可愛らしく笑ったヴィリーさんは、ふと何かに気付いたように深紅の目を瞬かせた。
「……随分と楽しそうな雰囲気ね。もしかして、またお邪魔しちゃったかしら?」
玄関口に立つヴィリーさんは、ひょい、と僕の肩越しに部屋の奥を覗き込んだ。
玄関の扉を開けている僕の背後からは、きゃいきゃいと女の子達――と言っても主にハヌとフリムなのだけど――の楽しげな声が聞こえてくる。それがヴィリーさんの耳にも届いたのだろう。
「いえ、その……」
何と言ったらよいものか、と僕は言葉に迷う。
実を言うと、ちょうど今、ささやかながら僕の祝勝パーティーが開かれるところだったのである。インターホンのベルが鳴ったのはまさしく、さぁ乾杯しよう、というジャストなタイミングだったのだ。
だけど刹那、これは好機だ、と僕は思った。
本当だったら僕の祝勝会はすぐにやるはずだったのだけど、そうはいかない事情が色々とあり、結局こんな時間まで延期になってしまっていた。それがようやく始められる段になって、タイミングよくヴィリーさんがやってきたのだ。これは、今回のお礼をする絶好のチャンスではないか。
僕は天啓のように閃いた思いつきを、すかさず実行に移した。
「あ、あのっ! え、えっと、その……じ、実は今、これからみんなでお祝いをするところで……で、ですからあのっ! ヴィリーさんも、その、よ、よかったらっ……!」
一緒にどうですか、と僕はヴィリーさんを誘った。
髪を下した可憐なヴィリーさんの姿と、花束から匂い立つ香気にドギマギしてしまって、とてもスマートとは言えない言い回しになってしまったけれど。
「――あら、いいのかしら? ……でも、そうね。私もあなた達に報告したいこともあるから、お邪魔させてもらおうかしら?」
くす、と笑ってヴィリーさんは快く応じてくれた。
「は、はい! ど、どうぞどうぞっ」
大きな花束を抱え、僕はヴィリーさんをパーティー会場であるリビングへと案内する。
ロムニックとの決闘が終わり、僕が目を覚ました直後。ルナティック・バベルを辞した僕達は、当初はどこかのお店で祝勝会をやろうという話をしていた。けれど移動中に会話をしている内に、先に病院へ行って検査をするべきだ、ということになったのである。
何故かと言うと――他でもない、僕の〝SEAL〟が原因だ。
一体全体どういうわけか、決闘が終わった途端、またしても僕の〝SEAL〟はウンともスンとも言わなくなってしまったのである。
それだけではない。
「そういえばハルト、アレってどうやってたの?」
「アレ?」
露店街で買った挽肉串を食べながら歩いていた僕に、いきなりフリムが問い掛けてきた。
「ほら、オミットしてるはずの〈ステュクス〉。物理的に回路を繋げてないから全身モードは起動するはずがないのに、アンタ力尽くで展開させてたでしょ? アレって、何すればあんな風になるわけ?」
僕は口の中の合挽肉を咀嚼することも忘れ、ぽつり、と答えた。
「……………………わかん、ない……」
「は?」
「……………………よく、おぼえてない……」
「はぁあぁ?」
とまぁ、こんな風に色々とおかしい部分も浮き彫りになってきてしまったので、念には念を入れて病院へ直行することになったのである。
で、お医者さんに診てもらったところ、決闘の時は確かに回復していたはずの〝SEAL〟が再び沈黙していることが判明した。
というか、正確には【まだ回復していない】という衝撃の事実が明らかになった。
診断してくれたドクター曰く、
「さっきまで〝SEAL〟が動いていた? いやいや、冗談言っちゃいけませんよ、この状態で動くはずがないでしょう。大体、動いたというログも残ってませんよ?」
信じがたいことにその言葉は正しくて、医療用ポートを介してアクセスした僕の〝SEAL〟には、起動ログがひとつも記録されていなかった。当然、戦闘ログも。
現実と診断結果のあまりのギャップに『あれ? もしかして僕の方がおかしいのかな?』と少し自信を失いつつ、でもやっぱり素直に引き下がることもできなくて、
「い、いえ、でも、確かに動いて……ストレージから武器も取り出せましたし、術式もちゃんと使えて……えっと、まだ配信されてないと思うんですけど、一応証拠の映像もあるんですが……」
と食い下がってみたところ、お医者さんは腕を組んで首を捻り、
「それは不思議ですねぇ」
ばっさりだった。
結局、患者の証言より検査結果の方が正しかろう、という判断だったのだろう。とにもかくにも、僕が言う『〝SEAL〟が動いていた』という時間帯に稼働していたのは、あくまで病院がリースしている〝人工SEAL〟の方であり、行動ログだってそっちに残っている――というのが専門家であるお医者さんの見解だった。
とはいえ、これでは流石の僕も、それ以上にみんなが納得できない。なので、他の病院にも足を伸ばしてそちらでも検査をしてもらうことにした。
けれど、結果はまったく同じ。
最初のお医者さんが下した診断結果とまったく同様のものが、他の病院でも出てしまった。やはり僕の〝SEAL〟が動いていたという話は疑わしく、何かの間違いではないのか――と。口を揃えてそう言われてしまった。しかし、それでも実際に僕は決闘で術式を使っていたわけで。みんなもそれを見ていたわけで。とはいえ、お医者さんもお医者さんできちんとした検査をしてくれたわけで。
結局、どうして僕の〝SEAL〟が決闘の最中だけ動いていたのかは全く謎のまま、僕らは腑に落ちない想いを抱えつつ病院を後にしたのだった。
しかし、不幸中の幸いと言うわけでもないが、二つ目の病院でも『〝SEAL〟以外不調なし』という結果が出たのは、本当によかったと思う。その点についてだけは、全員でほっと胸を撫で下ろした。ミドガルズオルム戦ほどではないとは言え、今回もかなりボロボロにされてしまっていたから。
結局、そんなことをしている間にすっかり昼飯時を逃してしまい、雰囲気もどこかのお店で祝勝会をしようという感じではなくなってしまった。
すると、ロゼさんがこう提案してくれた。
「もしよろしければ、ですが。一度拠点に戻り、私が腕によりをかけて料理を振る舞うというのはいかがでしょうか? また部屋の飾り付けなどにも凝れば、そちらの方が一層、祝勝会という雰囲気が出せると思います。小竜姫、フリムさん、いかがでしょうか?」
これには僕もハヌもフリムも、一も二もなく頷いた。ここ最近、クラスタメンバー四人で共同生活をしているわけだけど、もはやロゼさんの料理の腕は折り紙付きなのである。
本人曰く『人付き合いが不器用な分、物言わぬものに対しては少し器用になれるようでして』とのことだけど、そんなものはただの謙遜でしかなく、むしろエクスプローラーより料理人の方が向いているんじゃないかってぐらいの腕前なのだ。
そのロゼさん自ら『腕によりをかける』と宣言したのだ。これは期待するしかなかった。
また、飾り付けによって会場を豪華にできる点が、ハヌの琴線に触れたらしい。
「それはよいな! 妾自ら気合を入れて飾ってやろうではないか! 期待するのじゃぞ、ラト!」
金目銀目をキラキラ輝かせて喜ぶハヌは、多分どちらかというと、飾り付けの作業そのものが楽しみ、という感じだった。そういえば僕も、小さい頃にフリムの誕生日会で楽しく飾り付けをした記憶がある。けっこう楽しいのだ、ああいうのは。
というわけで、僕達は途中で食材や飾り付けのアイテムの買い出しをしながら、拠点へ帰ることにした。
――そういえば、リビングでパーティーをすると決まったとき、ロゼさんがハヌに何やら耳打ちしていたけど、あれは何だったのだろう?
この時の僕は、もしかして宴会芸の打ち合わせかな? などと暢気に考えていた。
そのおかげで、後々大いに驚かされる羽目になったのである。
そう、次のように。
「こ、こちらへどうぞ。もう料理や飲み物も準備できてるんで――」
ヴィリーさんを連れ立ってリビングに戻ってきた僕を出迎えたのは、ハヌ達の歓迎の声――ではなく。
パーティークラッカーが奏でる盛大な炸裂音だった。
「わぁっ!?」
パパパン! と重なって響いた鋭い音と、舞い飛ぶ紙細工に度肝を抜かれた。ビクゥ! と体が硬直する。驚きすぎて危うく花束を取り落とすところだった。
何かと思えば、料理を並べたテーブルについていたはずのハヌ達が何故かリビングの出入り口近くに移動していて、僕が入ると同時、クラッカーを一斉に鳴らしたのである。
「……え……?」
三人とも、してやったり、という風な笑顔を浮かべていた。
「大儀であったぞラト!」
「よくやったわねハルト!」
「おめでとうございます、ラグさん」
みんな満面の笑顔で、キラキラ輝くリボンの束を吐き出したクラッカーを手に、労いの言葉をかけてくれる。
僕は何が何だかわからない。
大きな音にさっきまで頭の中にあったものが全部吹っ飛んでしまっていた。
「……へ……?」
我知らず、間抜けな声をこぼしてしまう。
その瞬間、背後でまた、パァン! と乾いた音が鳴って、今度こそ僕は花束を落として飛び跳ねた。
「うわぁっ!? なになになにっ!?」
慌てて振り返ると、そこには何故か、ハヌやフリムやロゼさんが持っているのと同じパーティークラッカーを手にしたヴィリーさんの姿が。
「――ええっ!? なん……っ!? あれ、それ――あ、あれぇ……!?」
ヴィリーさんもまた、してやったりな笑顔で、うふ、と唇の端を吊り上げる。
「素晴らしい戦いだったわ、ラグ君。流石は〝勇者ベオウルフ〟といったところかしら。――あ、そういえば、私がプレゼントしたナイフを使ってくれていたわよね? 嬉しかったわ。渡した甲斐があったというものよ」
ニコニコとした笑顔に取り囲まれ。
まるで申し合わせたかのように僕一人だけが驚いている、この状況。
も、もしかしなくても、これは――
「サプライズ成功っ♪ ねぇねぇハルト、驚いた? 驚いたっ?」
――やっぱり……!
主犯はフリムに違いなかった。黒髪のツインテールをぴょこぴょこ跳ねさせ、悪戯を成功させた悪童みたいな顔でドッキリの首尾を確認してくる。
「びっ……」
「び?」
「……くりしたぁ……」
ふはぁ、といつの間にか止めていた息を吐いて、僕はへなへなとその場に崩れ落ちた。驚愕と安堵のギャップに、半ば腰が抜けてしまったのである。
そんな僕の姿に、どっ、と女性陣が笑った。僕はその中の一人、突然の珍客だったはずのヴィリーさんへと視線を向ける。
「――え、でも、どうしてヴィリーさんまで……?」
フリムを筆頭に――もしくは陣頭に――ハヌとロゼさんが、密かにパーティークラッカーを購入してサプライズを狙っていたのはわかる。だけど、どうして、今さっき来たばかりのヴィリーさんまでもがクラッカーを持っているのか。
僕の疑問に答えたのは、ふふん、と何故か薄い胸を張ったハヌだった。
「うむ。こやつを呼び出したのは妾じゃ」
「えっ? ハヌが?」
少し――否、かなり意外だった。てっきりハヌはヴィリーさんを呼びたがらないものと思っていたのだけど。
「ロゼからの提言での。いくら用事があったとは言え、挨拶もなく先に帰ったこやつには一言いってやらねば気が済まぬ。故にラトには秘密で――」
得意満面な様子で語るハヌの口上を、ロゼさんがしれっと遮った。
「? いいえ、小竜姫。私が申し上げたのは、ヴィリーさんもお呼びした方が場が賑やかになって、きっとラグさんも喜ぶはず――というお話だったはずですが?」
「…………」
ピタッ、とドヤ顔のままハヌの動きが止まる。
次の瞬間には物凄い勢いで素の表情に戻って、猫みたいな金銀妖瞳を天井に向けた。
「……そうじゃったかの?」
「はい。ただ、ヴィリーさんがこの場においでになれば、小竜姫も言いたいことが言えるでしょうし――と付け加えはしましたが」
ハヌの思い違いの理由には、なんとなく想像がつく。多分、ハヌ的にはそのプラスアルファの方がメインになってしまって、主と従が逆転してしまったのだろう。
「そこから、どうせヴィリーさんを呼ぶならば――とフリムさんがこのサプライズを思いついたのです。私達だけではある意味想定の範囲内ですから、意外性を高めるにはヴィリーさんにも協力していただこう、と」
なるほど。それで僕は前後から挟み撃ちを喰らって、見事にやられてしまったということか――ああ、ということは、あの時の耳打ちはそういうことだったのか。思い返してみれば、あの時から既に三人の態度が微妙によそよそしかったような気がする。
「さらに言えば、アシュリーさんもお呼びしております。少し遅れるので先に始めて欲しい、との連絡が来ていますが」
「アシュリーさんまで?」
意外だ。こういった場には呼んでも来てくれないイメージがあったのに。
「驚かせてごめんなさいね、ラグ君。小竜姫からメッセージを貰った時、ちょっとおもしろそうだと思ったものだから……私もここへ来る途中でこれを買ってきたのよ」
クラッカーの残骸を掲げて、ヴィリーさんがくすくすと笑いながら身を屈めた。へたり込んでいる僕に手を差し伸べてくれる。
「でも、あなたをお祝いしたいという気持ちは本当よ? そこは信じて怒らないでくれると嬉しいのだけど」
「は、はい……い、いえ、むしろ来て下さってありがとうございます、僕なんかのために……」
素直に手を握って、立ち上がらせてもらいつつ、僕は恐縮した。
だって、少し前の――ハヌと出会う前の僕に、お前は近い内あの剣嬢ヴィリーとこんなにも仲良くなるんだぞ、と言ったところで、絶対に信じないだろう。そんな夢のような状況に、いま僕はいるのだ。ちょっとびっくりしたけど、みんな僕をお祝いしてくれようとしてのことなのだ。怒るなんてとんでもない。
「あら、またそれ? そんな言い方をしては駄目よ、ラグ君――いいえ、〝勇者ベオウルフ〟。相変わらず自覚がないようだけれど、あなたは本当に素晴らしいことをしたのよ?」
急にヴィリーさんが僕の両手を握って、真剣な顔を近付けてきた。身長差があるため、高みから迫られる形になる。
「え――!?」
ずい、と接近してきた美貌に僕の心臓が激しくブレイクダンスを踊った。喉が詰まって変な声が出かけるのを必死に我慢する。
「あなたは仲間の尊厳を護り、あなた自身の意地を貫いた。それもあんなにも不利なルールで、本来なら敵わないはずの敵を相手に。ヘラクレスの時と同じだわ。あなたは勇者の名に恥じない行動をとって、そして、その名に相応しい結果を出したのよ。自分を卑下するなんて以ての外だわ。もっと胸を張っていいのよ」
強い視線を放っていた深紅の瞳が、不意に和らいだ。
くす、と口の端に笑みを乗せ、ヴィリーさんは女神のように微笑する。
「だから、改めてお礼を言わせてもらうわ。決闘に勝ってくれて、本当にありがとう、ラグ君」
ぎゅっ、とヴィリーさんの繊手が僕の両手を柔らかく包み込む。肌を通して伝わってくる体温がとても生々しくて、僕は喉から心臓が飛び出しそうになる。
だけど次の瞬間、何を思ったのか、一転してヴィリーさんの表情が曇ってしまった。視線を斜め下に落とし、声のトーンも暗く沈む。
「……実は、私の不手際であなたに不利な戦いを強いてしまうことになったでしょう? 私、すごく後悔していたの。もしこれであなたが負けて、辛い目にあうことになってしまったら、と……」
沈鬱な面持ちをするヴィリーさんに、僕は思わず『そんなことはありません』と否定の言葉を吐きかけた。しかし、それを言うより早く、ヴィリーさんは顔を上げてこちらへ向き直った。
ふっ、と表情から翳りが抜けて、切れ長の目が少し潤んだように見える。
「――でも、あなたはそんな逆境をも乗り越えて、見事勝利を手にしてくれた。勿論、それで私の不始末が帳消しになるわけではないけれど……でも、おかげで少し、心が軽くなったわ。ありがとう。心から感謝するわ。それに――」
うふ、とものすごく嬉しそうに、ヴィリーさんはやけに幼く見える顔で笑った。
「――おかげで新しい神器も手に入ったわ。重ね重ね、あなたは私の恩人よ、ラグ君」
「――え……?」
何やら聞き捨てならない発言を耳にして、僕は唖然としてしまう。
だけど僕の意識がリブートする隙を与えることなく、ヴィリーさんはさらに肉薄してきた。
刹那、息がかかるほど顔が近付いてきたかと思うと――実際に右の頬にくすぐったい風が当たって――
耳元で囁き声。
「こうなると、是が非でもあなたが欲しくなってきたわ、ラグディスハルト。あなたを、私の剣として」
真実、息が止まった。
耳の穴から頭へ直接流し込まれる、その妖艶な声に。
僕の魂は、鷲掴みにされた。
「私は〝剣嬢〟。狙った【剣】は必ず手に入れるのが信条なの。どうか覚悟していて――私の勇者様?」
脳髄を溶かすような甘いささめきに、頭の中が真っ白になる。
だけど、スポーツチャンバラの時のように、そして地獄の猛特訓の時のように。
ヴィリーさんは決して追撃の手を緩めなかった。
思考停止した僕の右のほっぺたに、
ちゅっ
と、柔らかい何かが触れて、すぐに離れた。
「ぬぁ――ッ!?」
「あっ……」
「あっちゃー……」
ハヌの悲鳴と、ロゼさんの驚きの吐息と、フリムの『やっちまったなぁ』的な声が、とても遠くに聞こえた。
くす、と耳朶をくすぐる小悪魔的な笑みの気配。
「これはひとまずのお礼よ。小竜姫にも教えてあげたけど、奮闘した勇者にはやはり美女の接吻よね」
楽しげなヴィリーさんの声が、遠ざかる。
耳に聞こえる声が、どんどん遠ざかる。
「あ、そうそう、勿論だけど神器の所有権については、これからあなた達と相談させてもらうつもりよ、そこは安心してちょうだい。状況を利用して掻っ攫った、なんて思われるのは心外だもの。まずはこちらとそちらの事情について――ラグ君? どうしたの、ラグ君? ラグ君? えっ、小竜姫、なに? どうしたの――?」
ブラックホールに吸い込まれたみたいに、五感の全てが急速に遠ざかっていく。
目も見えなくなって、耳も聞こえなくなって、知覚の全てが次々にシャットダウンしていく。
もう自分が立っているのか倒れているのかすらわからない。
何もわからない。
頭の中はビッグバンだった。
こんなもの、僕に耐え切れるわけがなかったのだ。
ひとたまりもなかったのだ。
即効だった。
僕の意識は何か思うことすらできないまま、ブレーカーを落とすように闇に呑まれた。
祝勝会が延期になった瞬間だった。
第四章「私は〝剣嬢〟。狙った【剣】は必ず手に入れるのが信条なの。どうか覚悟していて――私の勇者様?」
完
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
これにて第4章、完結です。
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