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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第四章 私は〝剣嬢〟。狙った【剣】は必ず手に入れるのが信条なの。どうか覚悟していて――私の勇者様?

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●18 僕のシナリオ





「ちょ、まっ――アイツなにやってんの!?」


 大型ARスクリーンに映る有り得ない光景に、フリムは我知らず叫んでいた。


「フリムさん……?」


 血相を変えてスクリーンに食らいつくツインテールの少女に、左隣に立つロゼが首を傾げる。とはいえ、質問している彼女自身もただならぬ事態が起こっていることだけは察していた。今の少年の様子は、どう見てもただごとではない。


「あれは――〝アキレウス〟のモード〈ステュクス〉は発動しないようオミットしているのよ!? 兜のところ以外は動くはずがないの! だって回路を物理的に断線させてるんだから! なのになんで……!」


 正常ではないが、しかし確かに全システムが稼働していた。ソフト的にもハード的にも、全身鎧化の機能は切り離しているはずなのに。


 勿論、展開は歪で、伸張の動きもギザギザで美しくない。形状も完璧な全身鎧には至っておらず、全体的に無理矢理動かした感が強く滲み出ている。そのおかげで、本来なら少年の全身を覆うスマートなフルプレートになるはずが、まるで死神が纏う外套フーデッドローブのようになってしまっていた。


「有り得ないわよ、どういうことなの、アイツ何してんの!?」


 フリムがリメイクした〝アキレウス〟には、ドゥルガサティーやスカイレイダーと同じくフォトン・オーガンシステムが搭載されている。表面にラグディスハルトの輝紋によく似た深紫の幾何学模様が浮かぶのは、そのためだ。


 今、不完全なモード〈ステュクス〉を発動させている〝アキレウス〟の表面には、ディープパープルの輝きが駆け巡り、さらには至る所で刺々しいスパークが弾けていた。誰がどう見てもまともではない。


 暴走――そんな単語が、フリムの脳裏に過ぎる。


「まさかアイツ、あの時みたいに……!?」


 思い出されるのは『開かずの階層』におけるミドガルズオルム戦。フリムを庇って九頭蛇の頭突きを受けた少年は、復活すると同時、並外れた戦闘力を発揮した。


 あの時の少年の強さは尋常ではなかった。


 しかしコミュニケーションの一切がとれない、暴走状態でもあったのだ。


 本人に聞いたところ、当時の記憶は朧気ながらに残ってはいるが、どうしてあのような状態になったのかは自分でもわからないと言っていた。


 説明のつかない謎の力――それが、またしても顕現したというのだろうか。


 切り離されているはずのシステムを、強制的に繋げて。ブロックされているはずの機能を、こじ開けて。


 問答無用で、暴力的に、


 まるで獣のごとく。


「――!」


 こうなれば続けて連想されるのは、戦いの後の少年の姿だった。


 無理に無理を重ねて、肉体も〝SEAL〟も悲鳴を上げていた。最終的には血を噴いてぶっ倒れた。


 今度もまた、そうならないという保証はどこにもない。


 さらに言えば――次も無事に快復するという保証も、どこにもなかった。


 ――止めなきゃ……!


 その思いが胸の中で弾けた。


 もう勝敗なんてどうだっていい。少年の負けでいい。何なら自分が代わりになって頭を下げてやる。いくらでも地面に額を擦りつけてやる。どんな屈辱でもどんな苦しみでも受け入れてやる。


 大切な家族を喪うぐらいなら、そっちの方がよっぽどマシだ。


 どんな誹りを受けようとも構うものか。『放送局』の人間に突撃して、力尽くでも決闘を止めてやる。何が何でも絶対に止めてみせる――!


 決意を固めたフリムが動こうとした瞬間、その腕を左から伸びてきた手がしっかと掴んだ。


 誰何するまでもなかった。フリムは振り返ることもなく、硬い声で告げる。


「……ごめん、離してロゼさん」


「いけません、フリムさん。それはするべきではありません」


 ロゼはフリムのしようとしていることを正確に察していた。頭のどこかでわかっていた正論を敢えて聞かされて、フリムは強く歯を食いしばる。


 ロゼの声は憎たらしいほど恬淡だった。


「ラグさんが言っていたではありませんか。『これは僕の決闘だから。僕自身が、決めたことだから』――と。フリムさんのお気持ちはわかります。ですが、この戦いを止める権利は私達にはありません」


「――わかってるわよそんなことぐらいッッ!!」


 一瞬で感情が沸騰した。激昂したフリムは声を荒げ、弾かれたように振り返る。


 そこには、苛立つほど冷静なロゼの顔があった。これが八つ当たりであることは重々承知しつつも、フリムは自分を止められない。


「でもッ! アタシの作った装備が想定外の起動をしてるのよ!? ハルトの身が危ないのかもしれないのよ!? ううん、アイツとっくに暴走してるわ! あれ見たらわかるでしょ!?」


「はい。わかっています」


「だったら――!」


「でもいけません」


 あくまでも静かに、しかし断固として首を横に振るロゼ。アッシュグレイの豊かな髪が揺れ、琥珀色の瞳が決意の光をたたえてフリムを見つめる。


「それはラグさんの念願をないがしろにする行為です。ラグさんの誇りを傷つける行為です。それは――他ならぬ私達こそが、絶対にしてはいけない行為なのです」


「そんなこと……!」


 いちいち言われなくてもわかっている、と怒鳴りかけて、フリムは気付いた。


 ロゼの頬肉が、引き攣るように、小刻みに震えている。


「…………」


 それだけで、ラグディスハルトの幼馴染みであり、従姉妹でもある少女は悟ってしまった。


 能面のような無表情の下に、ロゼは途方もない激情を押し殺しているのだ、と。超人的な精神力で、あるいはフリムのそれよりも強大な衝動を、ロゼは抑え込んでいるのだ。彼女自身が口にしたように、それが少年の想いを裏切る行為であることを知っているから。この決闘を中断させることが、どれほど少年の心を傷つけるかを知悉しているから。


 だから、今すぐ飛び出して行きたい欲求を堪え、あまつさえ同じことをしようとしたフリムを制止している。


「フリムさん……」


 熱く燃え盛っていた心にバケツの水をかけられたような気分だった。落ち着いた途端、自分がどれほど短絡的で考えなしだったのかを痛感してしまう。


「……ごめんなさい、アタシ……」


 声を落とすフリムに、ロゼはもう一度首を横に振った。


「いいえ、私も気持ちは同じですから」


 力のコントロールが上手くいかないのか、ロゼはフリムの腕を掴んでいる自分の右手首に、左手を添えてから手を離した。見ると、その両手も小さく震えている。顔にこそ出ていないが、やはり彼女もラグディスハルトの状態を見て動揺しているのだ。


 ロゼは視線をやや下に落とし、そこにある小さな少女の銀髪に向けた。


「それに……小竜姫が動かないのです。彼女より先に、私達が動くわけにはいきません」


 釣られてフリムも視線を下ろすと、そこには微動だにせず、腕を組んで仁王立ちしているハヌムーンの後ろ姿があった。


「小竜姫、アンタ……」


 そうだ。誰よりも真っ先に大騒ぎしそうなこの少女が、まだ無言のまま戦いを見守っているのだ。年上のくせに真っ先に取り乱してしまったことを恥じつつ、フリムは身を屈めてハヌムーンの顔を覗き込んだ。


 途端、目を見開く。


「――ちょっ、な……!? アンタ何やってんの!?」


 顎を上げて、じっ、とスクリーンを見据えるハヌムーンの口の端から、スミレ色の血が流れ出ていた。唇を強く噛むあまり、皮が裂けてしまったのだ。見れば大仰に組んでいる腕も、握り込む力が強すぎて外套に深すぎる皺が出来てしまっている。あるいは既に二の腕に爪が食い込み、皮膚を突き破っているかもしれなかった。


「……狼狽えるでないと言ったであろう、おぬしら」


 子供を奪われた鬼子母神がごとき顔でスクリーンを睨みつけるハヌムーンは、年不相応に低い声を絞り出した。


「今、一番痛いのは誰じゃ? 今、一番苦しいのは誰じゃ?」


 小振りな唇から漏れ出た血が顎を伝い、一滴、足元へ滴り落ちた。それでも、ハヌムーンはスクリーンに映る少年の姿から目を離そうとしない。


「それはラトじゃ。この場におる妾らより、あやつが一番痛い思いをしておる。苦しい思いをしておる」


 蒼と金、色違いの瞳に強い光を宿し、小さな少女は告げた。


「そのラトがまだ戦っておる、男子おのこが意地を張り続けておるのじゃ。外野が騒いで何とする。――先も言ったであろう。心配するな、ラトを信じよ。黙って見ておれ」


「……アンタ……」


 そう言う本人が、少しでもきっかけがあれば爆発しそうな顔をしているではないか――と、そんな言葉がフリムの喉元まで昇ってきた。だが、先日少年が倒れた際、この少女こそが彼を心配するあまり、誰よりも激しく憔悴したのだ。そのハヌムーンがこうして堪えている。先んじてフリムが飛び出していい道理はなかった。


「……わかったわよ、悪かったわよ。ああもうそれはいいからアンタも血を拭きなさいよ、ほら」


 溜息を吐きつつフリムはストレージからハンカチを取り出し、仁王立ちのまま動こうともしないハヌムーンの口元にあてた。自分で拭おうとしないのはわかっていたので、そのまま唇から流れる血を拭きとってやる。


「それに……」


 スミレ色の血で汚れたハンカチをしまうと、フリムは本人の二の腕に食い込んでいるハヌムーンの手にそっと触れた。


「そこまで言うなら、アンタもちょっと落ち着きなさいよ。ハルトが戻ってきた時にアンタが血出してたら、アイツもびっくりするじゃない」


 強張って固まってしまっていた指を、一本一本丁寧に外して、爪の先端まで漲っていた力を抜いていく。ハヌムーンはされるがままフリムの誘導に従うが、それでも視線は頭上のスクリーンに固定したままだった。


 やがて、ふぅ……、と微かにハヌムーンの唇から息が漏れた。


 だが次の瞬間、吐いたばかりの息が鋭く呑まれる。


「――わかっておる……それよりもフリム、ロゼ、あれを見よ! 風向きが変わったぞ!」


 少女の緊迫した声に、フリムもロゼも同時に顔を上げた。


 あちら側の音声など、最初から歓声に掻き消されてしまっていて全く聞こえない。故に、どちらが優勢なのかは二人の動きをよく見なければわからなかった。


 先刻までは誰がどう見ても、ロムニックが圧倒的優位に立っていた。それは少年を応援する少女達にとっても認めざるを得ない事実だった。


 そして今もなお、ラグディスハルトが攻め、ロムニックが受ける――その図式は変わっていない。


 しかし。


「ラトの攻撃が当たり始めた」


 への字に歪んでいたハヌムーンの口元が、徐々に緩んでいく。


 スクリーンに映る光景は、少年による一方的な展開へと変じていた。未完成の黒鎧〈ステュクス〉を纏い、全身から深紫のスパークをまき散らす彼の斬撃が、少しずつロムニックの身に届き始めている。


 だが、いくら暴走状態に入ったとはいえ、少年がいきなり強くなったわけではない。


 むしろロムニックの動きが鈍り、受け流しの正確性が落ちているのだ。これまで無謬と思われていた鉄壁の防御が、砂上の楼閣のごとく崩れている。クリーンヒットこそまだないものの、着実にラグディスハルトの剣先がロムニックに届き、服を、装甲を、皮膚を僅かずつだが削り始めていた。


「……確かに、相手の動きから精彩が欠けつつあります。これは……動揺……でしょうか? ラグさんを……恐れている……?」


 こと戦闘に関しては、三人の中ではロゼが一番の目利きだ。少年の攻撃を受けるロムニックの動きから、身体の不調ではない障害を読み取り、その内実を予測する。


 表情、四肢の筋肉の動き、それぞれの動作のぎこちなさから、ロムニックの精神にまとわりつく【恐怖の匂い】をロゼは嗅ぎ取った。


 どのタイミングでかはわからないが、二人の間で何かが起こり、立場が逆転したようだ――とロゼは推察する。


 これに対し、ハヌムーンは組んでいた腕を解き、両手で握り拳を作った。熱の籠もった声で叫ぶ。


「当たり前じゃ! あそこに立つは妾の唯一無二の親友じゃぞ! 見よ、あのラトの顔を!」


 スクリーンを示す少女の人差し指。その先で、戦う少年の表情がアップで抜かれる。そこには、つい先程までの苦しげな面持ちは欠片もなく、目を大きく見開き、戦意に燃える狼がごとき形相があった。


 顔の半分を隠す〈ステュクス〉のバイザーから、そして不自然に空いた隙間からは、双眸から迸る深紫の輝きが溢れ、熾火のように燃える怒りを表しているようだった。


 その姿にハヌムーンは確信する。


 絶対の自信を込めて、少女は高らかに断言した。


「――勝つぞ、ラトは!」




 ■




 思考が灼け付く。


 神経がひりつく。


 五感が冴えわたり、周囲の何もかもが把握できる。


 ロムニックの動揺が、狼狽が、恐怖が、手に取るようにわかる。


 両手両足が半自動で動く。


 アシュリーさんの剣術を模した双剣が、流れるように宙を舞う。反撃の隙間なんて与えやしない。絶え間なく斬撃を重ねていく。白銀の刃が、深紫と紺青の血に汚れた白槍と激突し、火花を狂い咲かせた。


 不思議な感覚だった。それは僕の意思で動くのと同時に、それ以外の何かが肉体を駆動させているかのようだった。


 全身の筋肉が唸る。溢れんばかりのエネルギーを全開で叩き付けろと猛り立つ。


 だけど頭の中は滅茶苦茶だ。いくつもの思考を並列で走らせて、常に十種類以上の攻撃パターンを考えている。正直、どれが僕の本心なのか僕自身にすらわからない。各々の思考ルーチンが何を考えているのか、僕自身も把握しきれていない。


 我ながら他人事のように言ってしまうが、僕は暴走していた。


 ロムニックは言った。奴の神器は他人の心が読める――と。


 そう、未来を視ているわけではないのだ。奴はあくまで僕の心を読むことによって、その行動を予測しているだけに過ぎない。


 故に、僕は肉体ではなく精神において全力を出すことを決めた。


 確かに僕は、支援術式がなければ、通常の一千倍以上の能力を発揮するなんてことは出来ない。


 だけど、頭の中だけなら話は別だ。


 一千倍の世界――〝アブソリュート・スクエア〟を使いこなすための思考速度。時間が止まって見える集中力。それさえ発揮すれば、一セカドを千分割――あるいはその深さまで届かなくとも、最低でも百分割ぐらいは出来る。そう思ったのだ。


 よって〝SEAL〟で複数の術式を同時に起動・発動させているように、僕は己の思考をも分割した。一度に十五個の術式が扱えるのなら、思考回路だって分けられる。そう思ったから。


「         ――――――――ッッ!!」


 口や喉が勝手に動いて何か叫んでいる。だけど脳内は同時処理しているプロセスに埋め尽くされて、自分でも何を言っているのかわからなかった。


「■■■■■■■――――――――ッッ!!」


 ロムニックもまた、必死の形相で何かを叫び返していた。雄叫びだろうか。声は聞こえないが、でも動きはいやになるほどよく見える。まるでスローモーションだ。


 そうだ。相手の動きを読むのに神器の力なんて必要ない。この目で動き出しのとっかかりさえ掴めば、その先を予想するなんて対して難しくない。


 相手の攻撃のいなし方はアシュリーさんやヴィリーさんに習った。剣の使い方、二刀流の極意など、二人から懇切丁寧な指導を受けたのだ。


 追い詰められて仕方なく出したような片手突きを逸らすなんて、レモンを切るより簡単だ。


「――ッ!」


 右の小刀で血濡れの穂先を受け流しながら懐へ踏み込み、左の剣を振るう。ロムニックは慌てて上体を反らして剣閃を避けようとするが、わずかに間に合わない。チッ、と切っ先が奴の頬を掠った。


 もはやロムニックは僕の心理を読めずにいた。当然だ。自分で言うのも何だが、常人じゃ処理しきれない量の情報を常に放射しているのだ。僕自身ですら理解できない意思の乱流を読み取るなんて不可能に決まっている。


 【共感】なんて出来るはずがない。


 こうなれば互いの条件はほぼイーブンだ。双方共に、切り札も奥の手も尽きた。どちらも手負いで十全な動きはとれない。後は地力の差だけが残るが、それだってここまで来たら些細なことだ。


 なにしろ奴は余裕を失い、心を千々に乱れさせている。これまでと違って隙だらけだ。いくらでも付け込む機会はある。


 それに――


「――〈アラドヴァル〉!」


 不意にロムニックの起動音声が僕の耳を劈く。その音声だけは不思議と聞き取れた。紺青色のアイコンが示すのは槍術式――しかもかなり強力な上級術式だ。


 突如、白槍から猛火が噴き上がった。膨れ上がる真紅の劫火は瞬く間にロムニックの全身をも包み込み、火炎の鎧と化す。


 全身に烈火を纏ってて突撃する――それが上級槍術式〈アラドヴァル〉の効果だ。〈トルネードスピナー〉や僕の〈ドリルブレイク〉にもよく似た、しかしそれら以上に強力な術式である。


 僕はスカイウォーカーで何もない空間を壁代わりに蹴って、大きく後退した。


 刹那、逃がすか、とロムニックの口が動いた。


 奴の背中から、アフターバーナーよろしく猛烈なジェット炎が噴射される。ロムニック自身が槍を構えた巨大な火の玉となって突進してきた。


 これに対し僕は――半ば以上の確信を込めて――起動音声を叫ぶ。


「――〈ドリルブレイク〉!」


 とっくに励起していた僕の〝SEAL〟が、さらに強烈な輝きを放った。幾本もの光条が稲妻のごとく迸る。


 剣術式〈ドリルブレイク〉×20。


 今使えるありったけの出力スロットへ術式をぶち込み、一斉に発動させた。


 全ての螺旋衝角を右手の小刀へ一極集中。ミルフィーユのごとく積み重なり、巨大な騎士槍ナイトランスの形状をとるディープパープルのドリルを構え、僕も突貫する。


 着地するよりも早く、背中でフォトン・ブラッドが爆発して僕の体を前方へ吹っ飛ばした。


 吼える。


「づぁああああああああああああああああああッッ!!」


「――ぉぉおおおおおああああああああッッ!!」


 今度は聞こえた。僕とロムニックの雄叫びが重なり合い――激突。


 奴の〈アラドヴァル〉と僕の重複〈ドリルブレイク〉の先端同士が、真っ向からぶつかり合った。


 爆裂。衝撃。


 凄まじい音が響いたはずだ。僕も、そしておそらくはロムニックも、轟音を耳ではなく体を貫く震動として感じた。


 互いの術式が打ち消し合って、激しく鬩ぎ合いながら飛び散る。真っ赤な炎が、深紫のフォトン・ブラッドが、破裂した風船のように粉々に砕け散った。


 残されるのは、術式の効果を剥ぎ取られた僕ら二人の姿だけ。


「――……!?」


 ロムニックの顔が驚愕で凍りついている。今のを、まさか相殺されるとは思ってなかったのだろう。


 一方の僕は、上手くいった、と内心で拳を握る。思った通りだった。僕の〝SEAL〟が完璧に復活している。こうして励起して、術式だって発動できた。攻撃術式だって問題あるまい。つまり、


 ――これでお前を攻め立てる手段が増えたぞ、ロムニック!


 僕は敢えてクリアな思考を奴に叩き付けた。こちらがさらに有利になったことを、聞き間違えようがないほど大々的に宣言してやるために。


 事実、僕の選択肢は大幅に増えた。これまでの近接戦闘に加えて、剣術式に攻撃術式、そして――


「――らぁっ!」


 互いの術式が打ち消し合って生まれた一瞬の膠着状態。僕はすかさず両手に握っていた小刀をロムニックめがけて投げつけた。


 右、左と連続投擲。ロムニックは飛来した二本を慌てて槍で叩き落とすが、その時には既に僕の移動は完了している。


 スカイウォーカーの機能で空中へ。奴の手の届かない場所へ退避してから――【愛用の二振り】をストレージから取り出した。


 右手に、黒帝鋼玄〈リディル〉。


 左手に、白帝白虎〈フロッティ〉。


 そう、〝SEAL〟が本調子を取り戻したというなら、ストレージだって使用可能になっているはず。そう予想――否、期待した通り、持ち慣れた重さが両手に現れた。


 黒と白の、柄しかない武具を握りこみ、構える。掌に吸い付くようなグリップの感触は、まるで黒玄と白虎が『この時を待っていた』と言っているかのようだった。


 抜刀する。二振りの古代武具エンシェントアームズが僕の術力――フォトン・ブラッドを吸収し、深紫の光刃を勢いよく吐き出した。


 だが、猛烈に暴走する思考や術力制御の煽りを喰らってか、フォトン・ブレードの形状が安定しない。〝SEAL〟の輝紋から弾け飛ぶスパークのように、ノコギリじみたギザギザの形で揺れている。


 構うものか。このまま短期決戦だ。一気呵成に片を付けてやる。


 僕は双剣を翼のように広げて、空を蹴った。


 駆け抜ける。


「――ぉぉおおおおおおおおおおおッッ!!」


 雄叫びは自然と上がっていた。僕は空中から彗星のごとく宙を駆け、ロムニックめがけて突き進む。


 視界に捉えたロムニックの顔が、明確に引き攣った。


 頭の中でいくつもの攻撃パターンが同時進行する。最終的にどれを選ぶかは僕自身にもわからない。闘争本能の赴くまま僕は全身を駆動させ、ロムニックに急速接近した。


 連撃。


「はぁああああああああああああッッ!!」


 左右の剣を閃かせて縦横無尽に振るう。紫紺の剣光が文目を描き、ロムニックの眼前の空間を制圧する。


「〈ミーティアストリーム〉!」


 奴の口から新たな起動音声が飛び出した。ロムニックの槍が紺青色の輝きを纏い、高速で動く。


 超高速の連続突き――一言で言ってしまえば、それが槍術式〈ミーティアストリーム〉の仕様だ。しかし、そんな簡単な説明ほど実物は甘くない。術式による強化補正を受けて、とても一人で放っているとは思えない数の刺突が、それこそ槍衾のごとく眼前に現れる。しかも一撃一撃が隕石落下に例えられるほどの威力を有しているのだ。この槍術式が〈アラドヴァル〉に並ぶ上級槍術式と謳われる由縁だった。


 ロムニックの放つ術式を一目で看破した僕は、即座に手を打った。


「――〈ヴァイパーアサルト〉ッ!」


 両手の光刃に剣術式を発動させ、その刀身を蛇のごとく伸長させた。さらに、


「〈ドリルブレイク〉!」


 被せるように猛回転する衝角を纏わせ、その上で、


「〈ズィィィィィィ――!」


 輝紋が焼き千切れてしまうかと思うほど、決河の勢いで剣術式を畳み掛けた。


「――スラァァアアアアアアアアシュ〉ッッッ!!!」


 三種の剣術式を融合させた攻撃が両腕から放たれる。


 流星群がごとき刺突の嵐と、二重の『Z』を描いて唸る竜巻の斬撃とが、真正面から激突した。


 とても金属同士がぶつかり合っているとは思えないほど豪快な音響が轟き渡る。


 掘削機が巨大な岩盤を穿つような音が連続で響き、セキュリティルーム内の大気を揺るがせた。


 僕とロムニックの中間で互いの武装術式が鬩ぎ合い――競り勝ったのは僕の方だった。


 ロムニックの槍が頭上へ跳ね上げられる。双方ともに術式は相殺されてしまったが、奴は体勢を崩し、押し勝った僕は更なる追撃の構えが取れる。


 そのまま一瀉千里にロムニックの懐へと飛び込んだ。


「――~ッ!?」


 ロムニックの顔が苦渋に歪む。心なんて読めなくても何を思っているのかなんてすぐわかる。一目瞭然だ。奴は両腕を上に跳ね上げられ、無防備な体を晒している。防御したくても出来ない、間に合わない。これから避けようのない攻撃を打ち込まれる――その恐怖。


 こうもまざまざと理解できるのは、つい先刻、僕もまったく同じ状況に陥ったからだろうか。それとも――いや、今は構うまい。


「――ッだぁあああああああッ!」


 右の黒玄〈リディル〉の刺突を、左の白虎〈フロッティ〉の斬撃を、続けざまに叩き込んだ。突きは過たずロムニックの心臓を貫き、左上から右下へ走った剣閃は確かに奴の肉体を斜めに切り裂いた。


「――!?」


 だけどおかしい。手応えに違和感が――と思った瞬間、ロムニックの両耳のあたりで何かが、パンッ、と破裂した。


 イヤリングだ。灰褐色の巻き毛で隠れて気付かなかったが、そこにあったイヤリングが砕け散ったのだ。そう悟った時、違和感の正体に気付く。


 ――『身代わりの加護』!


 しかも発動したタイミングから見て、胸当てやその他のものとは種類が違う。おそらくは『命に届く』攻撃のみに反応する加護――緊急用の【もう一つの命】だ。


「――ぁあああああああああああッッ!!」


 ならばと更に斬りつける。脳裏にアシュリーさんの剣舞がフラッシュバックする。それをなぞるようにして剣を振る。四連撃。深紫の荒々しい光刃がロムニックの体を切り刻む。


 すると、奴の肩甲と手甲が弾け飛んだ。


 ――こいつ、どれだけ仕込んでいるんだ……!


『身代わりの加護』の中でも、命の代わりになるレベルともなると、付与できる武具作製士はどうしたって限られてくる。とんでもなく高い買い物だったはずだ。それを、こんなに。


 察しはつく。きっと僕がルールを破って支援術式を使用することすら視野に入れていたのだろう。決闘のルールは物理的に身を縛る鎖ではない。その気になればいつでも無視できる。そして、僕が〝アブソリュート・スクエア〟まで己を高めれば、ロムニックを十回どころか一〇〇回だって殺せるだろう。こいつは、そんな事態すら想定していたのだ。


「――~ッ!!」


 ロムニックが弾かれた槍を引き戻すまでに、さらに八つの斬撃を浴びせてやった。ベルトのバックルが、腕輪が、装甲靴が、マントの留め金が、手袋の装飾が、めいめい爆竹みたいに弾け飛んでいく。


 だがロムニックの【仕込み】は外側だけではなかった。服の内側にも大量に『保険』が用意されていた。


 光刃が奴を切り裂く度、血で汚れた白い服の内側で何かが破裂していた。おそらくは『身代わりの加護』を付与した護符を全身に張り付けているのだ。


 どんな状況になろうとも、自分だけは何が何でも生き残る――いっそ、そんな信念すら感じ取れるほどだった。


 だけど僕の中で、ただでさえ燃え滾っていた怒りがさらに火勢を増した。無秩序に並列処理している各種の思考ルーチンが吹き飛びそうになるほど、感情が激発する。


 こいつはシグロスと一緒だ。あれだけ大きな口を叩いておきながら、人を散々馬鹿にしておきながら、何だこの体たらくは。幾重にも保険をかけて、保身に注力して。これは決闘だぞ。ほぼルール無用とは言え、一対一の勝負だぞ。それを――!


 奴に聞こえているだろう心の声で叫ぶ。


 ――一体いくつ『身代わり』を持ってきた! ふざけるな! そんなもの……全部剥ぎ取ってやる!


「おおおおああああああああああああああああッッッ!!!」


 さらに僕の剣速が上がる。腕が軽い。以前からそうだったように黒玄も白虎も光刃の時はいつもより軽く感じる。本来なら感覚のズレが生じるところを、今は不思議と波長があった。


 ロムニックが槍を構え直し、防御体勢が整うまでにさらに六連撃を打ち込んだ。間違いなく、今の僕の身体能力で発揮できる最高の連打だったと思う。


 だがロムニックは倒れない。本来ならもうとっくに五体バラバラになって死んでいるはずの男が槍を手に、とうとう僕の双剣を防ぎ始めた。


「「――――――――ッッ!!」」


 超至近距離で猛烈な打ち合いが始まった。


「がぁあああああああああああああああああああああああッッッ!!」


「うおぉああああああああおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」


 もはや僕もロムニックも、恥も外聞もなく獣のように吼えた。


 どっちも血塗れだ。


 体のあちこちが傷だらけでボロボロになっている。


 本当だったらとっくに倒れていたっておかしくない。


 それでも動く。


 戦う。


 お互いに負けられない理由があった。


 意地があった。


 プライドがあった。


 執念があった。


 それらを貫き通すためだけに、僕らは全身全霊をかけて戦う。


 深紫の光刃と純白の槍が何十回と激突を繰り返す。


 雄叫びを上げ、ただ本能の昂ぶるままに己の得物を振るい合った。


 そんな中、突如としてロムニックが後ろへ飛び退く。槍に有利な間合いを取ろうとしているのは瞬時に察せられた。しかし、それは僕にある時間を与える機会にもなった。


 後方へ飛びずさったロムニックを追うため、僕はスカイウォーカーで床を蹴った。そのまま立体機動へ移る。何もない空間を蹴りまくって跳弾のごとく宙を舞った。


 その間に〈リディル〉と〈フロッティ〉の光刃をいったん収納し、黒と白の柄を上下に重ね合わせる。


 合体。


 双剣に内蔵されているギンヌンガガップ・プロトコルが稼働して、追加パーツを具現化させた。


 完成した大剣柄から、これまでとは比べものにならないほど巨大な光刃が、逆巻く瀑布のごとく噴出する。


 太極帝剣〈バルムンク〉――フリムが新たな黒玄と白虎に搭載した、新たな武装モード。フォトン・ブレードによる〈大断刀〉といえばわかりやすいだろうか。作製者によると、このモードのフォトン・オーガンの出力は二倍どころか二乗となるそうだ。


 巨人のナイフみたいな光の剣を携え、僕は不可視の階段を一気に駆け上り、セキュリティルームの天井近くまで一気に上昇する。そこでトンボを打って体の上下を入れ替え、純白の天井を蹴った。


 そのまま――真下にいるロムニック目掛けて全力疾走。


「お お お お お お お お お お ッ !」


〈バルムンク〉を大上段に振りかぶり、自分の声を置き去りにして加速する。速度に乗って稲妻のごとく急降下する。


「――ッ!」


 頭上から弾丸のごとく落ちてくる僕に対し、ロムニックはシンプルな選択をとった。


 両手で槍を持ち、頭上へ掲げる。


 僕が上段斬りをするのは目に見えて明らか。それを真っ向から受け止め、防御するつもりなのだ。


 僕は敢えて心の声で言う。


 馬鹿め、と。


「っああああああああああああああああッッッ!!!」


 一瞬で彼我の距離を殺し、僕は全力で〈バルムンク〉を振り下ろした。


 噴水のごとく迸る紫紺の光刃と、純白の槍とが激突し――


 バギンッ! と〈バルムンク〉の刃がロムニックの槍を叩き折った。


「――!?」


 だがそれでも、わずかに斬撃の軌道が逸らされてしまった。ロムニックを真っ二つにするはずだった〈バルムンク〉は左へずれ、しかし槍の片割れごと奴の右腕を肩から切り飛ばした。


 右腕が一本まるごと、あらぬ方向へ吹っ飛ぶ。


「ぎッ――あぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁッッ!?」


 ロムニックが喉を反らして悲鳴を上げた。ロムニックの右肩から凄まじい勢いで紺青色のフォトン・ブラッドが噴き出す。光り輝く血飛沫が雨のように降った。


 奴の持つ残りの『身代わりの加護』は、致命的な攻撃にしか反応しない――いや、反応できない。逆に言えば、即座に命を奪わない攻撃には加護が発動しないのだ。


 ――見たか。これがお前の馬鹿にしたフリムの、〝無限光〟の作った武器の威力だ!


 会心の思考を叩き付けながら、僕は膝を曲げながら床に着地して勢いを殺す。だけど流石に速度がつきすぎて完全には殺しきれず、少なくない衝撃が両足から全身へと走った。


 どうしようもなく体が硬直する。


 その間隙を縫って、ロムニックが残る左手を、床に踞る僕へと向けた。


「――〈フリーズランス〉!」


 まさに血反吐を吐くような叫びと共に、掌の先に紺青のアイコンが浮かび上がり、攻撃術式が発動した。しかも、


「〈フリーズランス〉! 〈フリーズランス〉〈フリーズランス〉〈フリーズランス〉ッ!」


 連発。水溜まりに雨が落ちて波紋が広がるように、ロムニックの術式のアイコンが次々と中空に現れる。


 直径八〇セントル近くある紺青のアイコンから、その名の通り氷の槍が生まれ、高速で撃ち出された。真っ白に氷結した槍の向く先は、しかしてんでバラバラだ。適当な照準に、いい加減な乱射。カウンターというより、苦し紛れの攻撃にも見えた。


 だけど――【違う】。


 不思議な感覚が僕を包み込む。神器なんて持っていないのに、ロムニックの考えていることが手に取るようにわかる。


 これは演技だ、見せかけだけのブラフだ。


 攻撃術式〈フリーズランス〉は、鋭い氷の槍で敵を穿つだけじゃない。着弾の直後、周囲に極寒の冷気を撒き散らし、凝結効果をもたらすのだ。


 故に――ロムニックの狙いは、凍結によって僕の動きを止めること。


「――――ッッ!!」


 僕はとっさに右腕の円盾を突き出し、シールド展開のコマンドを連続でキックした。さっき〈トルネードスピナー〉を防いだのと同じ要領で、発生するシールドが一気に爆発する。いわゆる反応装甲リアクティブアーマーの応用だ。


 紫の輝きが膨張して爆風で迫り来る〈フリーズランス〉のことごとくを吹き飛ばした。だけど、しっかりと身構えられなかった僕の体も煽りを喰らった。見えない手で突き飛ばされるようにして、僕は床をゴロゴロと転がる。


 そうして立ち上がるまでの刹那で思考を回す。ロムニックの出したアイコンは並のウィザードに匹敵するぐらいのサイズだった。きっと術力もそれなりに強いのだろう。その力で〈フリーズランス〉を連射されては、近付くに近付けない。


 ならば。


「――ッ!」


 少しでも体にかかる慣性が弱まった瞬間に手をついて、猛然と立ち上がる。


 集中。ロムニックの動きを把握する。未だにこちらへ左手を向けて、しつこく〈フリーズランス〉を撃とうとしている。右肩の出血が既におさまりかけているのは、まだ何か隠しているものがあるからだろうか。


 片腕を失いながら、なおも狂乱の形相で勝利に手を伸ばす奴へ向けて、僕は両手に握った〈バルムンク〉の剣柄を――勢いよく投げつけた。


「――らぁっ!」


「!?」


 これにはロムニックも度肝を抜かれたらしく、モスグリーンの両眼を見開いて驚愕を露わにする。そして、おそらくは脊髄反射だろう。放たんとしていた〈フリーズランス〉の照準が、僕の投げつけた大剣柄へとズレてしまった。


 それが、致命的なミスとなった。


 僕はストレージから新たな武器を取り出し、右手で柄を握る。左手で鞘を掴んで、一気に抜き放った。そのまま鞘を放り捨て、身を低く沈ませ、全力で一歩目を、


 踏む。


 全力加速。


 円盾と同じく、スカイウォーカーにも加速能力を発動させるコマンドを連続キックした。〈プロテクション〉で護られていない肉体にはキツすぎる負荷のかかる超加速が生まれる。


 僕は疾風になった。


 武器を構え、一本の矢となって駆ける。


 思わず、といった風にロムニックが投げつけられた〈バルムンク〉に〈フリーズランス〉を放った。直撃を受けた大剣柄は凍りつき、氷漬けになる。


 遠く背後で、投げ捨てた鞘がかつんと音を立てた。


 慌てたロムニックが攻撃術式の照準を僕に向け直す。


 だが思い知れ。今のはたった一発の、しかし、どうしようもない無駄弾だったのだと。


 もう遅いのだ。僕の態勢は完全に整ったのだから。


 新たな〈フリーズランス〉が発動した。空中に氷の槍が生まれ、牙を剥く。真っ白な凍気の塊が高速で発射される。


 一瞬で目の前まで迫ってきたそれを、僕は右手に握った武器で、


 【斬った】。


「ッッ!?!?」


 ロムニックがさらに愕然とする。


 僕の右手に握られた武器――刃渡りの短いナイフによって斬られた〈フリーズランス〉は、その存在を全否定されたかのように霞となって消失した。


 ロムニックは一瞬だけ硬直し――すぐに思い出したように〈フリーズランス〉を連発した。でも、そんなものはただの悪あがきでしかない。


 僕はそのことごとくをナイフで斬り払い、消滅させた。こんなもの、ハヌの正天霊符の方がよっぽど手強かった。速度も精密さも遠く及ばない。


 直撃コースの術式だけを斬り消しながら、僕はあっという間に間合いを詰めた。


「あ……ぁあ……!」


 近付いてくる僕を見るロムニックの顔が、恐怖に歪む。逃れられない死を突き込まれると予感している、そういう表情だった。


「う――わぁああああああああっっ!! 来るな来るな来るな来るなぁぁぁ――――――――ッッ!!!」


 最後の最後に何をするかと思えば、奴は一本だけの腕を振り回して子供のように逆上した。目尻から涙を散らし、口角から唾を飛ばすその姿は、もはや見るに堪えない。


 ロムニックは藁にも縋るように、再び攻撃術式を連射する。


「〈フリーズランス〉! 〈フリーズランス〉! 〈フリーズラ」


 そこで彼我の距離がゼロになった。


 僕は右手のナイフを、突き出されていた奴の左掌に突き込んだ。


 青く輝く――希少金属〝エーテリニウム〟の刃を。


「ンッ――!?」


 スピードの乗った僕の刺突は砲弾のようなものだった。


 インパクトの瞬間、ドン、と衝撃波が生じた。


 勢いよく叩き込まれた衝撃で、ロムニックの左腕が真上へと跳ね上げられる。奴はまるで、天井から紐で吊られているみたいに片手で万歳をする。


「――ス〉……」


 術式の起動音声が最後まで告げられたが、結局それは発動することはなかった。


 何故なら、ロムニックが掌に集中させる術力は全て、蒼い刀身――ヴィリーさんがプレゼントしてくれた〝エーテリニウム〟のナイフへと吸収されていたのだから。


 右腕を失い、槍を喪い、左腕を弾かれた奴は完全なる無防備。


「――――」


 ショックのあまりか、顔から表情が抜け落ち、空白となるロムニック。


「――ッ!」


 僕はナイフから手を離し、素早く両脇を締めた。右足を踏み込み、床へ剣のように突き立てる。


 ロゼさんに教えてもらった拳撃の基本。全身を引き締め、力を体の内側、〝芯〟へと収束。集めた力を拳に乗せて、鋭く、コンパクトに打つべし――


 その教えを忠実に守り、僕は未だ助走の勢いが残る体をねじり、全ての力を左の拳に収斂させた。


 歯を食いしばり、目を見開く。


 雄叫びは自然と喉から迸っていた。


「――ぉおおああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


 ロムニックの優男風に整った相貌。唖然とした表情を浮かべている、その鼻面めがけて、


 渾身の左ストレートをぶち込んだ。


「ぐべ――!?」


 拳骨から伝わる、肉と骨のひしゃげる音、感触。ロムニックの口から漏れた息が、挽き潰されるカエルみたいな声になった。


 会心の手応えが、奴の顔と頭を撃ち抜いたのを確信した。


 振り抜く。


 メキメキと何かが割れ砕けていくのを感じた。それは奴の鼻骨であり、僕の拳でもあったのだろう。


 どうでもよかった。


 ロムニックの体が玩具の人形みたいに吹っ飛んだ。


 僕は全力で振り抜いた拳の力を、勢いに逆らうことなく体を回転させることで乗りこなした。その場でくるりと一回転して、全身に掛かっていた慣性を抜く。スカイウォーカーの靴底を鳴らして止まるその頃には、交通事故の被害者みたいに床に転がっているロムニックへと右掌を向ける。


「〈フレイボム〉」


 起動音声を唱え、コイン程度の小さなアイコンを一挙に表示させる。二〇個もある深紫のそれらから一斉に細い照準光線が伸びて、無様な姿で倒れているロムニックをロックオンした。さらに、


「〈フレイボム〉」


 追加する。


「〈フレイボム〉」


 追加する。


「〈フレイボム〉」


 追加する。


「〈フレイボム〉」


 追加する。


 計一〇〇本の照準線がロムニックの周囲を取り囲み、結界を形成した。


「……ぐ、ぅ……が、はっ……!」


 ロムニックが生まれたての子馬のように震えながら、ゆっくりと身を起こす。動きに合わせて、その口元や肩口からボタボタと紺青の血がこぼれ落ちた。あれだけ速度の乗った拳撃だったのだ。顔面がどう破損していても不思議ではない。


 ふと見ると、興奮しているせいかほとんど痛みを感じていないけれど、僕の左拳も結構ひどいことになっていた。煌めくディープパープルの合間に見え隠れする白いものは、もしかしなくても骨だろうか。もう握り拳はつくれそうにないし、剣も持てそうになかった。


 でも、もう構わない。勝敗は決したのだから。


「動くな」


 僕の喉から出たそれは、自分でも驚くほど冷ややか過ぎる声だった。


 ビクッ、とロムニックの背中が震えて動きを止める。


「ゆっくりこっちを見ろ」


 しばし硬直していた後、ゆるゆると面を上げて、奴はこちらを見た。


 捨て犬みたいな瞳をしていた。


「…………」


 モスグリーンの目が泳いで、自身に降り注ぐ〈フレイボム〉の照準線を見る。やがて現状を理解したのか、ただでさえ紺青の血で下半分が蒼く染まっていた顔を、さらに青ざめさせた。


 カタカタカタ、と小さな音が聞こえると思ったら、ロムニックの左手に突き刺さったナイフの柄が、奴の震えを床に伝えていた。


「…………」


 四つん這い――正確には片腕がないので三つん這い、だろうか――のロムニックは、己の状況を察して無言を貫く。何か下手なことを言った場合、僕が全ての〈フレイボム〉を一斉に起爆するだろうことは、いちいち言うまでもないことだった。


 しかし、それでも何も言わなければ無為に殺されると思ったのだろう。今までの饒舌さとは程遠い語調で、ロムニックは僕に語りかけてきた。




「――こ……殺すの、ですか……私を……?」




 ■




 ロムニックの視線は、少年の右手の周りに浮かぶ無数のアイコンへと注がれている。


 勇者ベオウルフが好んで使う〈フレイボム〉の威力を、ロムニックはよく知っていた。この決闘に備えて、少年の情報をありったけ収集したのだ。単発では大して強力ではないが、複数を重ね合わせ同時に発動させることでその威力を何十倍、何百倍にする攻撃術式。ベオウルフ以外には、その真価を引き出せないだろう特殊な術式だ。


 その照準線が今、男の周囲にこれでもかと降り注いでいる。


 これだけの数の〈フレイボム〉が一斉に起爆すれば、いくら『身代わりの加護』を持っていようと無意味だ。一瞬で【殺し尽くされてしまう】。


 死の谷底へ落ちる崖っぷちに立たされたロムニックは、思わず自明に過ぎる質問を口にしてしまった。


「――こ……殺すの、ですか……私を……?」


 そう問うた瞬間から、無数の声が脳内に流れ込んでくる。


『当たり前だ』『当然だ』『勿論だ』『今更』『何を』『言っている』『お前だって』『僕を』『殺そうと』『していた』『だろ』『ああ』『そうか』『わかったぞ』


 そこで少年の心の声がいったん途切れ、代わりに肉声がロムニックの耳朶を打った。


「……命乞いの練習、してきたんだろう?」


 ゾッとするほど冷酷な声だった。氷と言うよりは、石。硬く、冷たい、多少の熱では溶かすことのできない拒絶がそこにはあった。


 不完全な黒い鎧を纏い、全身から深紫の輝きを迸らせ、人魂のように光る双眸から冷酷な視線を放つ少年は、さらに思念でロムニックを追い詰める。


『命乞いの』『練習なんて』『発想は』『普通』『思いつかない』『ということは』『つまり』『お前は』『その練習を』『したことが』『あるってことだ』『そうだろ』


 神器の力を通じて少年の感情が伝わってくる。肌をひりつかせるほどの熱が、ロムニックの全身を炙る。


 いまや指先どころか、〝SEAL〟にわずかなコマンドを入れるだけでロムニックを消滅させることが出来る少年は、深く静かに――怒り狂っていた。


「……しないのか?」


 短い質問。その意味するところは、神器に頼るまでもなくわかる。


「……っ……!」


 立場が完全に逆転していた。ロムニックのしたことを、ベオウルフはそっくりそのままやり返そうというのだ。


 惨めたらしく命乞いをしてみせろ、もしかしたら助かるかもしれないぞ――と。彼はそう言っている。


 ロムニックはおこりにかかったように震えだした。


 これまで積み上げてきたものがガラガラと崩れていく音が、耳の奥で響いていた。


 名誉、栄光、尊敬、地位、名声――そんな煌びやかな宝石を山と積んで成してきたロムニックの経歴が、今、根底から覆されようとしている。


 ――どうしてこうなった……?


 意味がわからない。道理が理解できない。何が一体どうなれば、こんなことになるというのだろうか。


 自分は圧倒的に優勢だったはずだ。相手は支援術式がなければ総合評価Dランクの雑魚だったはずだ。そんな奴に支援術式禁止のルールで決闘を申し込み、一方的に不利な条件を呑ませたはずだ。しかも当日になって、奴は〝SEAL〟の不調で他の術式まで使えず、武装も最高のものを使えなかったはずだ。誰がどう見ても、何をどう考えても、楽勝だったはずだ。その気になれば一瞬で終わっていた勝負だったはずだ。


 ――なのに何故……自分は、すぐに勝負を決めなかったのだろうか……?


 自分でも答えのわかりきっている疑問が、ふと脳裏を過ぎった。


 決まっている。何故かと言えば、そうするよう依頼されたからだ。勝負を長引かせて、ベオウルフに恥をかかせ、最も惨めで無様な結末を迎えさせろ――そう指示されていたからだ。


 他でもない、この神器〝共感〟を授けてくれた、あの人に。


 でも、実際にそうしたら――こうなった。


 こうなってしまった。


「……有り得ない……」


 世界が揺れる。足元がおぼつかない。床についている膝と左手が、そのまま下へ沈み込んでいくような気さえする。


 震えが止まらない。


「……違う……こんな……」


 否定するしかない。それしか出来ない。【このルートじゃない】と、【この結果はおかしい】と、そんなことしか考えられない。


 自分は間違っていなかったはずだ。常に正しい選択肢を選んできたはずだ。それなのに――


 これはおかしい。


 おかしいのだ。


 こんなこと、あっていいはずがない。


「……嘘、ですよね……?」


 気付けば、ロムニックは少年にそう問い掛けていた。


 理不尽な話だと思った。あっていいことではないと思った。


 ならば――これは嘘だ。


 間違いない。


 か細い声で、ロムニックは繰り返す。


「嘘、なんでしょう……? あなた、本当は私を殺すつもりなんて、ないんでしょう……?」


 むしろ、そうでなければ駄目だ。


 そうでなければ【おかしい】。


 そうだ――そうでなければ【バランスがとれないのだから】。


 ロムニックは今、本気でそう思っている。


 だって、自分はずっと頑張って来た。毎日毎日休むことなく、地道に努力を続けてきたのだ。


 その苦労が、その一途さが、報われないわけがないではないか。


「お、脅しなら無駄ですよ、い、言ったでしょう、わ、私にはあなたの心が――」


『読めるって言うんだろう』『わかってるさ』


 ベオウルフはその思念ですら、氷柱を折る音にも似た響きを持っていた。


『だったらよく聞け』『僕は本気だ』


 神器で読み取る心の声は、決して嘘をつかない。否、嘘をつけない。視覚が、聴覚が、嗅覚が、味覚が、触覚が、五感の全てがベオウルフの言葉が真実であることを示している。


『お前を殺す』『必ず殺す』『絶対に殺す』『許さない』『グチャグチャにしてやる』『粉々にしてやる』『粉微塵にしてやる』『消えろ』『消えろ』『消えろ』


「――――」


 ひゅっ、と我知らずロムニックは息を呑んだ。横隔膜が痙攣したみたいに、上手く呼吸ができなくなる。表情筋が勝手に震えだして、歪な笑みを浮かべてしまう。合わせて、カチカチと歯が鳴り始めた。


 ――有り得ない、あり得ない有りえないアリえない……


 がらんどうになった頭の中に、そんな言葉だけが木霊する。


 何故だ。どうしてこうなった。


 自分は選ばれたのではなかったのか。この世界に認められたのではなかったのか。


 長年の努力が実り――自分はようやく『主人公』としての人生を歩み始めたのではなかったのか。


「……あり……え、ない……」


 呆然と呟く男の胸に、虚しい風が去来する。


 神器〝共感〟を得るまでのロムニックは、実に典型的な中堅エクスプローラーだった。


 総合評価Bランク。二流ではないが、さりとて超一流でもない。下を見ればいくらでも優越感に浸れるが、上を見れば、しかしそこには分厚く堅固な壁がある。


 それは――才能の壁。


 ロムニックは常々思っていた。トップエクスプローラーに必要なのは〝才能ギフト〟である、と。


 英雄や勇者と呼ばれる、超一流のエクスプローラーを見ればわかる。〝剣嬢ヴィリー〟や〝氷槍カレルレン〟、〝崩界剣ミカド・タカアキラ〟や〝精霊女王ジェラルディーン〟、あるいは〝魔王の右手〟や〝魔弾の射手〟、〝鬼戦騎ユニコーン〟や〝名前のない暴帝〟――そして、〝勇者ベオウルフ〟。


 総じて彼ら彼女らは、凡人が決して持ち合わせてないものを有している。


 例えるなら、それは〝剣聖〟の称号を持つ父と〝剣嬢〟と呼ばれる母から生まれ出ること。


 例えるなら、生まれながらに天才的な戦略・戦術センスを持ち合わせていること。


 例えるなら、ただ存在するだけで精霊に愛されること。


 例えるなら――類い希なる術式制御能力と、人類最底辺の術力を持っていること。


 その何もかもが『天賦の才』だった。天に選ばれ、世界に認められ、神から愛され、〝才能ギフト〟を授かって生まれてくる。


 それが英雄。


 それが超一流。


 それが――『主人公』。


 しかし、ロムニック自身はどうしようもなく『凡人』だった。特別な家柄の生まれでもなく、特殊な才能を持つでもなく、類稀なる環境に生まれついたわけでもない。


 ただただ、平凡。


 主人公にはなれない脇役として、ロムニックはこの世に生を受けた。


 別段、低能だったわけでもなければ、不器用だったわけでもない。何事もやればそれなりに出来た。やってやれないことはなかった。むしろ並の常人よりも優秀で、なかなか器用な人間だったとも言える。


 だが同時に、飛び抜けた何かもなかった。


 槍を持って修行すれば、地元では敵なしだった。だが、世界一にはなれなかった。


 術式を扱えば、そこらのウィザードに匹敵するほどの術力があった。だが、本職の上位には敵わなかった。


 ならばと槍と術式、双方を得意とするハイブリッドスタイルを極めようとした。だが当然、同じことを考える人間は多くいて、ロムニック程度のエクスプローラーなんて世界には掃いて捨てるほど存在した。


 ナンバーワンになれる、あるいはオンリーワンになれる何かを、ロムニックは持っていなかった。


 どこまでも、どこまでいっても、よくできた『凡人』だった。


 それでも『凡人』なりに努力はしたのだ。腐ることなく鍛練を積み重ね、槍の腕を磨いた。そのおかげで超一流とはいわなくとも、一流の実力が会得できた。術式の特訓だって疎かにしなかった。常に最適な運用、ペース配分を考え、自己研鑽を怠ったことはなかった。


 頑張ったのだ。血が滲むほど。


 だが届かなかった。超一流の、英雄や勇者と呼ばれる『主人公』への壁はあまりに高く、あまりに分厚かった。


『凡人』には決して超えられない壁があるのだ――と、いつしかロムニックはそう思うようになっていた。心のどこかで諦め、割り切っていた。


 だが、そんな時だった。


 この手に、神器〝共感〟が授けられたのは。


 未知なる力を手にした瞬間、ロムニックは――嗚呼、やっと自分の番が回ってきたのだ、と思った。


 ようやく自分が輝く時がやってきたのだ。


 とうとうこの日がやってきたのだ――と。


 当然だ。自分はこれまでずっと、ひたむきに努力し続けてきたのだから。


 そう。自分は報われるべき人間であり、報われるべき人間が報われるのは当たり前のことで、そこには何の疑問も挟み込む余地はない。


 故に、これは天からの贈り物だ。これこそ我が〝才能ギフト〟。やはり自分は、選ばれし者だったのだ。


 後回しにされていた順番がついに回ってきた――ロムニックはそう信じた。


 己が『主役』となる人生が、とうとう始まったと。


 そう思っていた――はずなのに。


 この現状は何だ?


 有利で優勢だったはずの決闘で、自分よりもはるかに実力の劣る、それも年下の少年に――自分は、どうしてここまで追い詰められている?


 よもや天は自分を見離したというのか。それとも、あの少年の方がより『天才』で『主人公』だとでもいうのか?


 あんな、生まれながらにして天性の才能を持っていたような子供が、努力に努力を積み重ねてきた自分よりも偉いというのか?


 理不尽だ。不公平だ。不条理かつ不合理だ。


 自分の人生はまだまだこれからだったはずだ。やっと輝ける時代がやってきたのだ。もっと、もっと名を馳せて、地位を高めて――もっと派手に目立っていくべきなのだ。


 なのに――何故だ。こんなにも早く、こんなつまらないところで、自分は躓いてしまうというのか?


 有り得ない。


 いや、有ってはならない。こんなことは。


 こんな荒唐無稽な状況を、絶対に許してはならないのだ。


 そう、断じて。


「――ふざけるんじゃ……ありませんよ……!」


 熱く滾るマグマにも似た怨嗟の声は、食いしばった歯の隙間から漏れ出た。


「あなたに……あなたなんかに……何がわかるというのですか……!」


 体の震えがさらに大きくなる。だが、理由が変わっていた。ロムニックを身震いさせているのはもはや恐怖ではなく、猛然と湧き上がる憤怒だった。


 次の瞬間、ロムニックは自身の置かれた状況さえ忘れて激昂した。


「――お前なんかに何がわかるぅッ!!」


 上体を起こし、膝立ちになって腹の底から怒鳴り上げた。


 嵐のごとくこちらを照準する深紫の光線と、冷然とした深紫に輝く瞳を向けてくるベオウルフに対して、男は全身全霊で吼えた。


「才能に恵まれて! 周囲に恵まれて! 仲間に恵まれたお前に! お前なんかにッ! 俺の何がわかるッッ!!」


 昂ぶりすぎた感情が涙を呼んだ。体裁をかなぐり捨てたロムニックは両眼から生温かい水を垂れ流し、慟哭する。


「命乞いの練習!? ああしたとも! したともさ! なにせ相手はお前のような『天才』だったんだ! 万が一のことぐらい考えたさ! それを、それを……お前は何だ……? そんなこと、考えたこともないみたいな顔をしやがって――!!」


 神器の力で心を読んだからわかっている。ベオウルフには、そんな発想はまるでなかった。可能性としても、選択肢の一つとしても、まったく考えていなかった。己が命乞いをしなければならない状況があるかもしれない――という発想そのものが、少年の中にはなかったのである。


 それが余計に腹立たしかった。


 しかも、彼はロムニックの憤激を前にして、微塵も動揺していなかった。こちらを眺める冷淡な眼差しが、まるで虫やゴミでも見るかのようなものに思えてくる。ロムニックの憤怒の炎に、さらに油が注がれた。


「――その澄ました目で俺を見るのをやめろッ! 何の苦労もせず、ただ生まれ持ったものだけで〝勇者〟だの〝怪物〟だのと呼ばれ、調子に乗ったこのクソガキがッ! お前なんぞにそんな目で見られる筋合いなんてどこにもないッッ!!」


 ロムニックの猛りに合わせて、治癒途中の右の肩口から血が飛び散った。効果は薄目だが、服の下に『治癒の加護』を付与した護符を何枚か張っている。そのおかげで痛みも多少は和らげられていた。もっとも今は、その恩恵があろうがなかろうが、体内から噴き上がる熱によって痛みなど意識の埒外にあっただろうが。


「俺はお前らとは違う……何もかも違ったんだ! お前みたいに恵まれてなくて、才能もなくて、『特別』じゃなくて、ただただ普通で! それでも毎日死ぬほど努力して、力を手に入れて、苦労して積み上げて! ようやくここまで来たんだ! やっとの思いでここまで来たんだ!」


 もはやロムニック自身も、自分が何を言っているのかを理解していなかった。ただ込み上げてくる思いの丈をぶちまけなければ気が治まらなかった。頭のどこかに、どうせもうすぐ死ぬのだから、という思考があったのかもしれない。


「それなのに……それなのに何の努力もなく、才能だけでやってきた『持てる』お前が、血反吐を吐くほど努力を積み重ねてきた『持たざる』俺を、そうやって馬鹿にするのか!? ふざけるな……ふざけるなァッ! ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなァァァァッッ!!!」


 灰褐色の髪の先端まで怒気を漲らせて、モスグリーンの瞳に炎を灯し、ロムニックは絶叫する。


 才能の上に胡坐をかく怠け者に、長年耐え忍んできた己が、どうして虚仮にされなくてはならないのか。


「どうして俺がお前なんか命乞いをしなければならない!? どうして! ふざけるのもいい加減にしろ! こんな理不尽があってたまるものか! 何故だ!? 何故、俺がお前に殺されなければならない!? なぁ! どう考えてもおかしいだろう!? 一体どこにそんな道理がある!? なぁ!? 間違っている! こんなのは間違っているだろ!? あっていいわけがないだろ!? なぁ!?」


 虚言ではなく、ロムニックは心の底から本気でそう思っていた。


 今のこの状況は道理に反している。世界は選択を間違えた。【このルート】は正しくない。


 やり直すべきだ。今すぐに――と。


 だが同時に、それが叶わないこともロムニックは知悉していた。故に、彼は涙ながらに叫ぶ。


「お前に――【お前ら】に俺の気持ちがわかるか!? 『特別』なお前らに、何も持っていなかった俺の――【俺達】の気持ちが!」


 あちらは光に照らされる側。スポットライトの中にいる人間。


 こちらは影に隠れる側。観客席からただ眺めているだけの人間。


 神器を手にして、やっと【あちら側】に――舞台に上がれたと思ったのに。今また、先に煌びやかな照明を浴びていた側の人間が、傲岸不遜にも自分を蹴落とそうとしている。


 これはロムニックにとって、あまりに理不尽極まりない話だった。


「お前らはいいだろうさ! なにせ自分自身が輝いている! 生まれ持ったその光に引き寄せられて、周りの連中が勝手に集まってくる! だけどな、俺達『凡人』はそうじゃない! そうじゃなかった! 才能のない平凡な人間は泥臭く足掻いて、必死こいて頑張ってないとずっと一人ぼっちなんだよ! ありのままじゃ誰も認めてくれない! かまってくれない! 『特別』じゃないってことはそういうことなんだ!」


 畢竟、ロムニックの激情の根源は『嫉妬』だった。


 自分にはない『特別』な何かを持っている人間が羨ましかった。それを以て周囲に持ち上げられている奴が妬ましかった。


 自分もそうなりたい。なのに、なれない。どうしてあいつだけが、どうして自分が――そんな風に恨み妬みが連鎖して、悪循環していく。


 詰まる所、これまでのロムニックの振る舞いは、劣等感コンプレックスからくる反動に過ぎなかった。殊更にベオウルフを煽り、以前までは同類だった『被害者の会』を利用しながら、彼ら彼女らを愚かだと嘲る――そんな言動こそが、己が持つ劣弱意識をひた隠しにするための仮面だったのである。


「だから俺はずっと頑張ってきた! 毎日毎日休まずに努力してきた! それがようやく認められて、俺はこうして〝神器保有者〟になった! やっと『特別』になったんだ! なのに――なのにどうしてこんなところで、お前なんかに負けなきゃあいけないんだよ!? どうして俺が勝てないんだよ!? ここは俺が勝つところだろう!? 普通はそうだろう!? 常識的に考えて! やっと――やっと俺の輝く順番が回ってきたのに! ずっとずっと我慢してきたのに!! こんな……こんなに早く終わっていいはずがないだろぉ!? なぁ!? こんなの不公平だろ!? おかしいだろ!? こんなの間違ってるだろ!? なあ!?」


 号泣しながら、小さな子供のわがままにも等しいことを喚きたてるロムニック。


 そんな彼に、しかし冷然とした言葉が突き付けられた。




「言いたいことはそれだけか」




 時を刻む秒針にナイフを突き入れたかのような一言だった。


 ロムニックは動きも、舌も、呼吸さえも止めて硬直した。


 脳内にベオウルフの思念が響く。


『僕だってそうだった』


 少年は、ロムニックの泣訴に対して、一ミリたりとも心を動かされていなかった。


『僕だってずっと一人ぼっちだった』


 今もなお、ベオウルフの思考は無数に分割しており、一〇〇の音声データを一斉に高速再生したようなノイズを発生させている。だがそんな中でも、その心の声だけはやけにクリアにロムニックの聴覚に届いた。


『僕も特別な人間じゃなかった。頑張っても頑張っても空回りばっかりで、もっと頑張ったらもっと空回りしてた。馬鹿にされて嫌われて、あっち行けって色んな人から何度も言われた』


 歪に展開した黒と紫のヘルム、そのバイザーの奥で、深紫の光が熾火のごとく揺らめく。


『術力が弱すぎてエンハンサーになるしかなかった。そうしたら友達が出来るどころかどこのパーティーにも入れてもらえなくなった。だから、ずっと他の人達が羨ましかった。みんな楽しそうだった。みんな仲よさそうだった。僕もあんな風になりたいってずっと思ってた』


 その恬淡な語調は、どこか爆弾の導火線が燃えていく音にも似ていた。


『いつもトップエクスプローラーに憧れてた。ヴィリーさんやカレルさんみたいなすごいエクスプローラーになりたいって思ってた。格好いいな、自分もいつかきっと大勢の仲間と一緒に遺跡でエクスプロールするんだ――ってずっと夢に見てた。でも』


 冷水を注ぐようなベオウルフの心の声が、不意に軋んだ。


 凍りつく。


『駄目だった。僕には多分【そういう才能】がなかった。友達を作る才能。仲間を作る才能。自分の実力をアピールする才能。他の人が出来る当たり前のことを、上手くやる才能が。誰にでも出来るような普通のことが出来なくて、自分でも自分の本当の才能に気付いてなくて、だから僕は〝ぼっちハンサー〟だった』


 孤独の色と匂いを感じた。暗く凝り固まるような闇が見え、凍りついた湖畔の空気にも似た香りがした。


『僕だってお前と同じだったんだ』


 思念を直接伝えてくる心の声は、高速思考や分割思考で誤魔化すことは出来ても、嘘を告げることは出来ない。つまり、ベオウルフの告白は彼の主観的には事実ということになる。無論、ロムニックも少年の過去については調べ上げていた。〝ぼっちハンサー〟と蔑称を付けられる不遇の時代があったと。だがそれはたった一年間ほどのことであり、ロムニック自身の過去に比べれば大したことはないと考えていた。


 だが思い返してみれば、この年頃の一年間は、ひどく長く感じられるものではなかっただろうか。


 たかが一年。されど一年。


 己の無能さに絶望するには、十分すぎる時間だ。


「だから許さない。僕は、お前を」


『だから許さない。僕は、お前を』


 少年の肉声と、その内なる声が重なって聞こえた。


『こんな僕を変えてくれたのがハヌだった。あの子が僕を見つけてくれて、引っ張り上げてくれた。友達になってくれて、手を繋いでくれた。エンハンサーとか、術力の弱さとか、そういうフィルター抜きで僕をちゃんと〝僕〟として見てくれた。ありのままの僕を受け入れてくれた。僕の本音に、僕よりも早く気付いてくれた。他の誰よりも、僕自身よりも、僕のことに詳しくなってくれた』


 ベオウルフの感情がざわざわと波打つ。凍りついていた感情が溶け出し、グラグラと揺らぎ始めた。熱が上がり、沸騰していく。


『あの子がいたから僕は生まれ変わることが出来た。〝ぼっちハンサー〟じゃなくなって、寂しくなくなった。みんなから〝勇者ベオウルフ〟なんて大層な名前で呼ばれるようになったのも、今までの戦いに勝利してこられたのも、みんなで一緒にいられるのも、全部あの子のおかげだ。僕はただ、あの子とずっと一緒にいたい、あの子に恥じない人間になりたい――そう思っていただけだったのに』


 硬く強張っていた心の声音も、徐々にうねりを帯び始めた。火にかけた鍋の水が煮立っていくように、少年の感情のボルテージが上がっていく。


『あの子がいてくれたおかげで、ロゼさんやフリムも仲間になってくれた。みんな優しくて、暖かくて……大好きで。僕の大切な人達。その全てがハヌから始まっているし、あの子がいなかったら今の僕は絶対に存在しない。断言できる。あの子は僕の恩人で、あの子と出会ってから今まであったことは全部、僕の人生において大切な――本当に大切な宝物なんだ』


 否、鍋の水など比喩として生温い。そこにあるのは紅蓮のマグマだ。噴火する直前の火山のごとく、少年の精神が鳴動していた。


『なのにお前はそれを汚した』


 少年の目に灯る深紫の輝きが、その強さを増した。


『僕の大切なあの子を侮辱した。僕と大切なあの子との思い出を、お前は土足で踏みにじったんだ。お前があの子を〝ハヌ〟と呼ぶな。お前が僕を〝ラト〟と呼ぶな。殺すぞ』


 いまや少年の内部で煮え滾るマグマの色は、赤を通り越して純白と化していた。


『お前はハヌを、ロゼさんを、フリムを馬鹿にするだけじゃなくて、僕の大切な記憶まで汚したんだ。絶対に許さない。絶対に許せない。お前を許していい理由がどこにも見当たらない』


 怒りの化身がそこにはいた。少年の全身から放たれる激情の熱量がロムニックの肌を焼く。


『だからお前に同情なんかしない。できない。僕もお前もスタート地点は一緒だった。それなのにお前は僕の恩人を虚仮にした。侮辱した。尊厳を踏みにじった。そんなお前の気持ちなんてわからないし、わかりたくもない』


 断固とした拒絶。絶対的な拒否。自らも同じく『特別』でなかったと称する少年は、しかしだからこそロムニックの言葉に耳を貸さなかった。


「――――」


 ようやく、遅まきながらロムニックは理解した。


 自分が、とんでもない思い違いをしていたことに。


 己は、踏んではならぬ虎の尾を踏んでしまったのだ――と。


 自分は、触れてはならぬ竜の逆鱗に触れてしまったのだ――と。


 あんなに弱腰だった少年に、ここまで言わしめるのだ。ロムニックのやったことは即ち、挑発や煽りなどというレベルではなく、完全なる宣戦布告――取り返しのつかない【攻撃】だったのだ。


 故に、妥協はない。譲歩もない。歩み寄りもない。


 そして、慈悲もない。


 殺すか殺されるか。


 自分とベオウルフの間にあるのは、その二つだけだった。


「……あ……」


 ロムニックは自身の認識の甘さを痛感する。こうしてベオウルフに突き付けられるまで、まるで自覚していなかった。自分がどれだけ楽観的にこの決闘に臨んでいたのかを。


 最初から、双方共に生きて帰る可能性などどこにもなかったのだ。


 自らの周囲を取り巻く深紫の照準光線。これが起爆した瞬間、ロムニックはこの世から消滅する。きっと――いや、間違いなく跡形も残るまい。少年にそうさせるだけの理由を与えたのは、他ならぬロムニック自身だった。


「ひ――ヒィ……!?」


 現状が正しく脳内に沁み込んだ途端、死の恐怖が身体中に纏わりつき始めた。触手のような冷気が背筋や四肢を這いずり回る。だというのに、毛穴という毛穴からどっと汗が噴き出した。


 ガタガタと震えながら、か細く、ひっくり返った声を出す。


「……こ、ここ……ころす、のですか……? ほ、ほんとうに……? ほ、ほんきで、わ、わたしを……?」


 運命を司る魔女にではなく、今度こそ少年に対してその意思を問うた。


 怒れる黒紫の鬼神は間髪入れずに反応する。


『くどい』『殺す』『殺したい』『いや』『消したい』『粉微塵に』『まて』『砕け散れ』『消滅しろ』『やりすぎだ』『殺そう』『殺せ』『殺すんだ』『待て』『落ち着け』『殺すほどじゃない』『でも』『だけど』『殺さなきゃ』『こいつだけじゃない』『見せしめ』『最初で最後』『だから殺す』『だから殺せ』『だから殺そう』


 いくつもの思考が同時に雪崩れ込んできた。そのほとんどがロムニックへの殺意に埋め尽くされていたが、それでもわずかに、殺人を忌避する気持ちが残っていることがわかった。


 ロムニックはそこに一縷の希望を見出す。


「ほ、ほら……ほ、ほんきで、ころしたいわけでは、ないのでしょう……?」


 ピク、とベオウルフの右手が動いた。所々が欠けた全身鎧を纏う少年は、何かを振り払うように首を横に振る。


『ああダメだ』『迷うな僕』『ブレるな』『染め上げろ』『埋め尽くせ』『殺意で』『殺意を』『もっと』『もっともっと』『塗り潰せ』


「駄目だ、殺す。見てろ。僕を舐めるな。頭を切り換えるなんて簡単だ」


 敢えて喉から冷酷な声を出した少年は、そこから己の思考を書き換えるように怒濤のごとき思念を奔出させた。


『ああ殺す』『そうだ殺す』『すかさず殺す』『必ず殺す』『絶対に殺す』『真っ二つに』『三枚下ろしに』『四散五裂に』『五体バラバラに』『八つ裂きに』『木っ端微塵に』『蹴散らせ』『砕け』『塵芥に』『切り裂け』『引き裂け』『潰せ』『爆ぜろ』『消えろ』『消滅しろ』『消し去れ』『消え去れ』『殺せ』『そうだ殺せ』『殺せ』『殺せ』『殺せ』『殺せ』『そうだもっと』『殺すんだ』『ああ殺す』『確実に殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』


 複数に分割された思考のことごとくが、徐々に一定のベクトルに沿って声を揃え始めた。たった一人の心が、しかし大勢の集団が斉唱するかのごとく『殺す』という掛け声を何度も何度も繰り返す。


 ロムニックは戦慄を禁じ得なかった。


 ――じ、自分で、自分の心を塗り潰している……!?


 自己暗示。少年は己の頭の中を、力尽くで変化させようとしていた。殺意を溢れさせ、膨大なそれで理性の声を圧殺しようとしているのだ。


 はっきり言ってまともではない。狂人にも等しい行為だ。本来あるべき自分の意思を、自らの手で無理矢理捻じ曲げようというのだから。


 しかし、ロムニックはここで諦めるわけにはいかなかった。彼は、ごくり、と生唾を嚥下し、


「――う、うそでしょう……? ほ、ほんとうは、やりたくないのでしょう……? むりを、しているのでしょう……?」


『いいや違う』『無理なんてしてない』『これが僕の本心だ』『僕の総意だ』『本音だ』『心の底から』『お前を殺した』『いや殺す』『殺す』『絶対殺す』『死ぬまで殺す』『死んでも殺す』『殺して殺す』


 わずかに見えた希望が、ドス黒い絶望に塗り固められていく。もはや神器〝共感〟が教えてくる五感情報は、少年から迸る殺意しか示していなかった。


 怨嗟の声轟く聴覚。漆黒の波動に占められる視覚。吐き気がしそうな腐敗臭に突き上げられる嗅覚。苦酸っぱく、舌の上がざらつく味覚。火傷しそうなほど冷たい触覚。


 何もかもが少年の憎悪を証明していた。


 圧倒的な憤怒を前にして、ロムニックの震える喉から紡がれたのは――懇願の声だった。


「――こ、ころさないで……」


 涙に濡れた顔で、実質上の命乞いを口にした瞬間、背景にノイズとして流れていた無数の高速思考がピタリと止まった。ベオウルフが展開させていた思考のジャミングを停止させたのだ。


 ロムニックの主観的に、しん、とセキュリティルーム内が急速に静まり返る。


 急激な変化に耳鳴りがするほどの静寂の中、次なる少年の思念はひどく明瞭に聞こえた。


『駄目だ』


『お前は死ね』


『僕が殺す』


 聞き間違えようのない死刑宣告だった。


 繰り返しになるが、直接的に思考を読み取る〝共感〟は決して嘘をつかない。神器が伝える心の声がそう言ったのであれば、それは間違いなく、ベオウルフが心の底からそう思っているということなのだ。


 少年はいまや完全に、本気でロムニックを殺すつもりでいた。


「…………」


 ロムニックは全身から力が抜けるのを感じた。両肩を落とし、残っている左腕をだらりと垂らし、ぺたんとその場にへたり込む。もう精も根も尽き果てたような声で、それでも半自動的に確認の問いを出していた。


「……ほんき、なんですね……」


 返答は早かった。一言一言、じっくり塗り込むように少年は告げる。


『うん殺す』


『そう殺す』


『だれがなんといおうと殺す』


『ようしゃなく殺す』


 そうして、新たに攻撃術式の起動音声が唱えられた。


「〈フレイボム〉」


 さらに二〇本もの照準光線が増えた。


「ヒッ――!?」


 どうしようもなくロムニックの体がビクつく。今更これ以上の威力を発揮されようがされまいが、この身が消滅することに変わりはない――そうと知りつつも、恐ろしいものは恐ろしかった。


「〈フレイボム〉」


 さらに二〇本。


「〈フレイボム〉」


 さらに二〇本。


「〈フレイボム〉」


 さらに二〇本。


「〈フレイボム〉」


 さらに二〇本。


 爆発的に増加する深紫の光線は、しかしロムニックを狙ってはいなかった。何故か、彼とベオウルフの間をつなぐ橋を描くように、純白の床を照準している。


 否――違う。これは導火線だ。


 最初の爆発はきっとベオウルフの足元から始まる。それが山脈のように連なり、ロムニックへと近付いてくる。やがて連続する爆発がこちらを取り囲む重複〈フレイボム〉にまで辿り着いた瞬間、一斉に誘爆するに違いない。


 その時こそ、ロムニックの最期だった。


 想像した瞬間、体の奥底からどうしようもないほどの恐怖が込み上げてきた。もはや恥も外聞もなかった。ロムニックは身を起こし、ナイフが刺さったままの左手を器用に床に置いて、土下座した。額を強く打ち付ける。


「――た、助けてください! こ、この通りです! 私が悪うございました! い、命だけはなにとぞ……!」


 プライドを捨て、本気で命乞いを始めたロムニックの聴覚に、冷ややかな声が届く。


『言ったはずだ』


『後悔させてやる』


『僕の仲間を侮辱したことを、絶対に後悔させてやる』


『撤回も訂正も許さない』


『絶望と後悔を抱いたまま――死ね』


 おそらくは、実際に言葉にする際はもっとオブラートに包まれた表現になるのだろう。だが心に浮かぶダイレクトな思考は、一切装飾されることなく、そのままストレートに伝わってくる。


 冷酷すぎる宣告に、ただでさえ真っ青な顔をしたロムニックはさらに色を失った。


「そ、そんな……! お、お願いします! お願いします! 私の負けです! あなたの勝ちです! ですからどうか! どうか命だけは! 慈悲を! お、お慈悲をぉぉぉぉッッ!!」


 ガンガンと額を床に叩き付けて、無様すぎる姿でロムニックは懇請する。命を失うか否かの瀬戸際で、なりふりなど構っていられなかった。男は年下の少年に必死に頭を下げる。


「何でもします! あなた様の犬になります! 奴隷になります! ですからどうか! どうかお慈悲を! 命だけは! 命だけはぁ……!!」


 肺腑を焦がすような屈辱も、今だけは気にならなかった。全ては命あっての物種なのだ。ここを生き延びなければ、誇りなどに意味はない。


 懸命な哀訴嘆願に対し、しかしベオウルフは一言だった。




『ここでお前が負けて死ぬ――それが僕の【シナリオ】だ』




 敢えてロムニックの使った単語を用いて、少年は厳然と突き放した。


 ドン、と小規模な爆発がベオウルフの足元から少し離れた場所で起こった。缶詰めが破裂する程度の爆発だ。おそらくはそれが、少年の素の術力で出せる威力なのだろう。だがそれはすぐ近くの照準光線へと誘爆して、ドン、と次の爆発を呼ぶ。


 導火線に火がついたのだ。


 ロムニックは喉を張り裂けんばかりに叫ぶ。


「たっ助けてぇ! 助けてくださいお願いします助けてください! 殺さないで! 殺さないでください殺さないで殺さないで殺さないでぇぇぇぇっ!!」


 ジタバタと暴れ、逃げようとする。だがいつの間にか腰が抜けていた。まともに動けず、ろくに移動できない。しかも多少の距離を動いたところで、〈フレイボム〉の照準光線の束は、すい、と吸い付くように追尾してきた。


 ドドドドン、と小さな爆発が連鎖する。奇しくもその進行速度は、ちょうど人がゆっくり歩いてくる程度。少しずつ近づいてくる爆発音と振動は、ロムニックにとっては死神の足音だった。


 ひきつけを起こした子供のように、甲高く震える声でロムニックは喚く。


「こ、後悔しました! 私はもう後悔しましたぁ! 申し訳ありませんでしたっ、私程度があなた様に逆らうなんてっ、もう二度といたしません絶対に逆らいませんっ! お願いですっ、たっ助けてくださいお願いしま――」


 途中で導火線の爆発がいきなり加速した。人が小走りする程度になかったかと思うと、そのまま一気にスピードアップする。


 ロムニックは狂乱に叩き落とされた。


「いやぁああああああああぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあっ!? 降参します降参します私の負けですいや殺さないで助けてごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃぃぃっ!?」


 陸に上げられた魚のごとく床の上でビチビチと跳ね、一本しかない腕を無秩序に振って絶叫する。己が失禁したことにすら気付かなかった。


 願い虚しく爆発の導火線は無慈悲に距離を詰め、あっという間にロムニックを取り囲む〈フレイボム〉の檻までたどり着いた。


「あああああああ――――!?」


 カッ、と一〇〇本以上の照準光線が一斉に輝きを強めた。深紫の閃光がロムニックの視界を染め上げる。


 これが最期に見る光景なのか――刹那、ロムニックはそんなことを思った。


 それそのものが衝撃波となる爆音が轟いた。


 大瀑布のごとき音と振動とが全身を貫く。


 ロムニックは一瞬にして爆発の光に呑み込まれ、己が身体の輪郭が消え失せるのを感じた。


「ううぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ――――――――!!!」


 人生最後の発声。そう思って全身全霊で張り上げた悲鳴は――しかし、いつまで経っても途切れることなく続けられた。


「――あぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ……………………あ……?」


 いくらか経つと流石におかしいと気付き、いつの間にか強く瞑っていた目を開ける。


 すると、未だに自分を取り巻いている深紫の光線の束が視界に入った。


「……………………」


 モスグリーンの目だけを動かし、おずおずと周囲を窺う。


 ベオウルフの立ち位置は変わっていない。黒と紫の歪な全身鎧を纏って、こちらに右手を差し出し、〈フレイボム〉の網をロムニックにかけている。


 だがよく見れば、その光の網の量が微妙に減っているようだった。


「……………………いき……てる……?」


 思わず、呟きが漏れた。


 それどころか、傷一つ増えていない自分の現状に驚く。


 推察するに、どうやら爆発したのはロムニックを取り囲む光線の一番外側――外縁だけだったらしい。被害の及ぶ中心部の〈フレイボム〉は、何故か起爆していなかった。


「……!? !? !?」


 命拾いした――とは思わなかった。それどころか、まだなお自分をいたぶるつもりなのか、という疑念しか抱かなかった。


 極限状態で、ひっ、ひっ、としゃっくりを繰り返すロムニックの視線の先で、果たして少年は何もない中空を振り仰いだ。


「――聞こえましたか? 降参だそうです」


 誰に向かって話しかけているのか、と疑問に思い、ロムニックも視線を上げる。


 すると深紫に輝く怪しい双眸の向く先には、浮遊自動カメラ〈エア・レンズ〉の一つがあった。


「……………………は……?」


 予想だにしていなかった事態に、頭が空っぽになる。


 だが唖然とするロムニックの目の前で、事態は無情に進行する。


 プカプカと宙に浮かぶ〈エア・レンズ〉のスピーカーから、ブツッ、と回線を繋ぐ音が生まれた。次いで、セキュリティルームの外にいる実況の声が強く響く。


『――オッケェェェェイッ! 今ちょうど審判レフェリー二人のジャッジが下ったぜ! ああそうだ、見ての通りだ! ロムニック・バグリーの降参リザインが承認されたってことだぜ!!』


 そこで大きく息を吸い込む気配。背景に、観衆のどよめきがノイズとなって流れている。


 次の瞬間、実況が高らかに宣言した。




『この決闘! 勝者は〝勇者ベオウルフ〟こと――ラグディスハルトォォォォォォッッ!!!』




 次の瞬間、うお、と観客からの大歓声を上がった。〈エア・レンズ〉のスピーカーから割れた音が飛び出し、耳の中をざらつかせる。床を踏み鳴らす震動が、壁を越えてこちらまで伝わってくるようだった。


「…………」


 まったく理解が追い付かなかった。


 こうしている今でも、自分が何故生きているのか、ロムニックにはその理由がわからない。


 ベオウルフの殺意は、正真正銘の本物だったはずだ。


 高速思考や分割同時思考に誤魔化されたわけではなく、少年の【生の声】を自分は聞いたはずだ。


 そこに嘘はなかったはずだ。いや、直感的な思考で嘘をつくことなど不可能だ。確信できる。断言もできる。


 自分を殺すと宣言したベオウルフは、間違いなく【本気】だった。


 なのに何故――自分はこうして生きているのか? ロムニックはそこが理解できない。本来なら、自分は今頃は爆発四散しているはずだというのに。


『よかった』『降参してくれて』


 己の勝利宣言を聞いたベオウルフが、死神の黒装束のような全身鎧――〈ステュクス〉を武装解除した。ウネウネと蠢きながら、歪な展開をしていた鎧が戦闘ジャケットの形状に戻る。自らのフォトン・ブラッドで盛大に汚れた少年の顔が露わになった。


 その顔をじっと凝視して、


「……あり……えない……」


 我知らず、ロムニックは呟いていた。そうだ、こんなことは有り得ない。ほんのついさっきまで、彼は本気で自分を殺そうとしていたはずだ。なのに、なんだ。今の安堵した声は。


 ――よかった……? 降参してくれて……?


「……まさか……うそ……だった、の……です、か……? わたしを……ころす……と、いう、のは……?」


 無意識に、未だ小刻みに震える己の体を残った腕で抱き締めるにしながら、ロムニックは質問した。


 先刻までの鬼神がごとき威圧感が幻か何かだったかのように、気配を落ち着かせた少年は心の声でこう答える。


『ちゃんと〝うそだよ〟って言った』


「――え……?」


『頭の中でちゃんと〝うそだよ〟って心を混ぜた。だからお前を騙せた。それだけだ』


 ――〝うそだよ〟……? いや、馬鹿な。そんな声、どこにも……


 呆然とするロムニックの顔を見て、補足の必要があると考えたのだろう。少年は反射的にその思考を繰り返した。




『〝う〟ん殺す』


『〝そ〟う殺す』


『〝だ〟れがなんといおうと殺す』


『〝よ〟うしゃなく殺す』




『ほら。ちゃんと〝うそだよ〟って思考が混じってる』


「……………………は……?」


 荒唐無稽すぎる説明に、またしても理解が追い付かない。


 いや。


 待て。


 そんな。


 まさか。


 よもや、そんな馬鹿げた方法でこちらを――神器の力を欺いたというのか……? 実際には殺すつもりなど毛頭なく、ただ降参宣言を引き出すためだけのブラフだったと……? それを悟られないがために、殺意の中に本音を分割して混ぜていたと――そういうことだというのか……?


「……そん、な……………………ばか、な……」


 目の前で死者が蘇るよりも信じられなかった。頭に思い浮かぶ思考など、心臓や胃腸を動かす不随意筋のようなものだ。自己意識下でコントロール出来るはずがない。それを――


「……………………ば……ばけ、もの……」


 空っぽだった脳裏にふと浮かんだのは、そんな名詞だった。


 そう。彼の異名は〝勇者ベオウルフ〟――またの名を〝怪物ジ・モンスター〟。だが、その名を付けた者はきっと知りもしないだろう。己がつけたその二つ名こそが、まさしく少年の本性を言い表していたことを。


 表面的な、肉体的な強さではなく。


 内面的に、精神的に――こいつは〝怪物〟だった。


 神器を持っていようが何だろうが関係ない。人には理解できない生物――それがロムニックの眼前にいる少年だったのだ。


『勘違いするな。殺さなかったのは単なる温情じゃない』


 あまりのことに放心するロムニックに、少年が釘を刺す。


『今日は、外であの子が見てる。あの子の前に、汚いものは出したくない。それだけだ』


 あの子というのが小竜姫であることは、聞くまでもなかった。そして、その言葉が嘘でないことも。


 神器の力に頼るまでもない。ロムニックを睨む少年の視線は、混じり気のない殺意に満ちていたのだから。


『次はない』


 最後にそう一言だけ付け加えて、少年は〈フレイボム〉を一斉にキャンセルし、その場で踵を返した。ロムニックに背中を向け、セキュリティルームの奥へと歩いていく。決闘の決着がついたので、ゲートのロックを解除しに行くのだろう。


 ひょこ、ひょこ、と足に不具合がある歩き方。時折、ぐらり、とふらつくあたり、やはりあの少年も限界が近いだろう。おそらく、ああやって歩くのも相当つらいはずだ。


 だがそれはロムニックも同様だった。片腕を失くし、左手にはナイフが突き刺さっており、何故か術式が起動できない。


 互いに満身創痍の状態。


 そして、このまま少年が部屋奥のコンソールを操作し、ロックを解除すれば、ロムニックの背後にあるゲートが開き――自分は【現実】へと帰らなければならなくなる。


 己が敗者として扱われる、冷たい現実せかいへ。


 そう、自分は負けてしまったのだ。決して負けてはならない戦いに、敗北してしまった。それも、あまりに無様で、あまりに惨めな姿で。


 その結果、外の世界で何が待っているかなど、考えたくもない。


 年下の少年に圧倒され、情けなく無様に命乞いをして、今気付いたが失禁までして床に水溜まりを作っている男が、その姿を大観衆に見られ、撮影までされているのだ。


『言ったはずだ』『後悔させてやる』『僕の仲間を侮辱したことを、絶対に後悔させてやる』『訂正も撤回も許さない』


『絶望と後悔を抱いたまま――死ね』


 ベオウルフの宣言に嘘はなかった。


 命こそ永らえたが、これからロムニックを待っているのは、ここで死ぬ以上の地獄に違いなかった。きっと屈辱と汚名に塗れた最期が待っているだろうことは、想像に難くなかった。


「――――」


 そのことに気付いた瞬間だった。


 喉元過ぎれば熱さを忘れる――辛くも窮地を脱し、空っぽになったロムニックの胸の中で、むくり、と何かが鎌首をもたげた。


 ――今なら……いけるかもしれない。


 そう、双方ともにまともに戦える状態でない、今なら。


 いや、今だからこそ。


 お互いにボロボロの今こそ、この神器〝共感〟の、本当の力を――!


 セキュリティルームの最奥に辿り着いた少年が、コンソールからゲートのロックを解除した。ゴン、という解錠音に続いて、扉の開いていく震動が床を通じて伝わってくる。


「……私の力はね……インプットだけじゃないんですよ、ベオウルフ……」


 地面にへたりこんだまま、ロムニックは小さく呟いた。


「ええそうです……認めない……認められない……こんな現実は、あってはならないんですよ……」


 書き換えなければ。


 暗い目をしたロムニックは、自分にしか聞こえない声で囁く。


 神器〝共感〟の力は、ただ他人の心を読み取るだけではない。【共感する】ことも出来れば――【共感させる】ことも可能だ。


 そして、我が身を省みず本気を出せば、直接触れたことのある相手、という前提条件は要らない。神器の力に呑まれるリスクは高まるが、現状をこのまま放置する方がよっぽど危険だ。


 故に、ロムニックは己の内に宿る神器を全力で稼働させる。


 この不遇な運命を書き換えるために。


「……ふふ、そうですよ……なかったことにすればいい……こんなこと、何もかもなかったことにすればいいんだ……記録を書き換えて、記憶を書き換えて、現実を書き換えて……なかったことにぃ……!」


 ロムニックの〝SEAL〟を媒介にして、神器が力を発揮する。


 紺青色の輝きが男の全身を駆け巡り、輝紋が激しく励起した。フォトン・ブラッドの光が弾け――ベオウルフのそれと同じように――稲妻状に迸った。細い光の蛇が何匹もロムニックの体に絡みつく。


 ばっと面を上げたロムニックは、鬼のごとき形相で絶叫した。


「ベオウルフゥ――――――――ッッ!! お前を殺して全部なかったことにしてやるァ――――――――ッッ!!」







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