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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第四章 私は〝剣嬢〟。狙った【剣】は必ず手に入れるのが信条なの。どうか覚悟していて――私の勇者様?

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●16 行方不明の勝利





「ああっもうっ! 何をしているのですか! そうではありません違います! そこで突っ込んでどうす――引くのが遅すぎですッああもおッ!」


「あのう、アシュリー? 少し落ち着いた方がいいと思うですよー?」


「お黙りなさいゼルダ! これが落ち着いていられま――だからそこは違うでしょう! 私はそんな無様な戦い方は教えていませんよベオウルフ!」


「はぁ……本当に、自分とアシュリーだけみんなと離れた場所で観戦することにして、大正解だったでありますねぃ……まぁ、言い出したのはアシュリー本人でしたですけど……」


 観客席の一角。一人憤激している相方の隣でゼルダ・アッサンドリは、やれやれ、と溜息を吐いた。決闘が始まる前、『蒼き紅炎の騎士団』の仲間と一緒に観戦せず、離れた場所に移ろうと提案してきたのは、他でもないアシュリー自身だった。おそらく自分でもわかっていたのだろう。己が我を失い、こうやって暴れてしまうことを。


「ああああどうしてそんな無駄撃ちばかりを――そこは後ろに下がるべきです! 相手はランサーなんですよ!? もっと回避運動に工夫を――どうしてそこでスタングレネードなんですか!? なってません、まったく全然なっていませんっ!」


 どうしようもなくヒートアップしている相方は、普段はきっちりシニヨンにまとめている赤金色の髪を半ばほどけるほど振り乱し、ARスクリーンに向かって届くはずのない声を張り上げている。


 ――いったん入れ込むと、トコトン熱中しちゃうタイプでありますからねぃ、アシュリーは。世話焼きおばさんって感じみたいなのであります。


 アシュリーと同じくナイツの幹部〝カルテット・サード〟の一人であるゼルダは、同性同士ということも相まってか、彼女と行動を共にする機会が多い。その長い付き合いから、ある程度彼女の性格を把握していた。


 ゼルダ自身もアシュリーと初対面した際は、それはもう〝けんもほろろ〟な態度をとられたものである。だが付き合いが長くなってくると、態度の険しさはともかくとして、一度情が移った相手には過剰なほど世話を焼きたがる癖がアシュリーにはある。


 ――ベオさんのこと、随分と気に入っちゃったんでありますですねー。


 今もなお拳を握り締めて一時的な剣術指南の弟子に声援を送るアシュリーを、ゼルダは生暖かい目で見やる。すると、


「――だからどうしてそこで武器を投げるんですか! 行き当たりばったりで戦って勝てる相手じゃないでしょう! もっとよく考えて――ああっ!? 馬鹿ですか馬鹿ですか馬鹿なんですか!? さっきも同じ方法でやられたではありませんか相手の攻撃術式をちゃんと警戒しないからそうなるんですっ!」


「え? 武器を投げたんであります?」


 少し気になるワードが飛び出したので、ゼルダはARスクリーンへと視線を戻した。


 大画面には相変わらず、不利な状況を覆せず苦戦しているベオウルフが映っている。先程からアシュリーが憤慨している通り、彼の戦い方はさほど上手くない。対戦相手であるロムニック・バグリーとの実力差は明白で、その差を埋めるべく戦略的に色々と作戦を用意してきたようではあるが、戦術レベルでは到底洗練されているとは言えない有様であった。


 双方共に無傷ではない。しかし、一発殴られた程度の軽傷しか負っていないロムニックとは違い、ベオウルフの損耗は比べものにならないほど激しかった。


 未だ致命傷を受けていないのが不思議なほどである。


 おそらく着用している戦闘ジャケットの性能がいいのだろう。あちこちを槍の穂先に刻まれてボロボロにはなってはいるが、急所だけはしっかり守っている。決闘する二人の周辺にはベオウルフのフォトン・ブラッドが飛び散り、無数の水玉模様を描いていた。


 ゼルダもアシュリーから一通りの事情を聞いている。彼女がこっそりベオウルフの剣術指南役を買って出ていたことも、この数日はヴィクトリア団長まで一緒になってあの少年を鍛えていたことも。


 それらに対して思うことは特にない。元来、ゼルダは他人の趣味嗜好に大して興味を持つタイプではなかった。


 だがそんな彼女でも、時には気になることもある。


「……ちょっと聞いてもいいでありますですか、アシュリー?」


「なんですかゼルダいま私はとても忙しいのです! あとあなたは相変わらず言葉遣いが変ですね!」


 届かないアドバイスを叫ぶのに忙しいも何もないと思うゼルダであったが、敢えてそこはスルーした。


「こう言っては悪いと思うんでありますが――これ、ベオさんに勝ち目なさすぎじゃないです? なのに、どうしてそんなに気合いを入れて応援しているのでありますか?」


 素朴な疑問のつもりだった。第三者による冷静な視点――と主張するわけではないが、ゼルダから見れば、どう考えてもベオウルフの勝利はない。実力は勿論のこと、事前の準備においても、対戦相手の方が圧倒的に分がある。それはアシュリーの目にも明らかなはずだ。


 なのに何故、彼女は声を枯らさんばかりにベオウルフを応援しているのか。ゼルダはそこがピンとこなかった。


 ゼルダの質問に、アシュリーがピタリと動きを止めた。盛んに口から飛び出していた声援も出なくなって、完全にフリーズする。


「? ? ?」


 動から静への急激な変化に、ゼルダは首を傾げた。自分はそんなにおかしなことを言っただろうか――と。だから、少女は更に補足を付け加えた。


「確か、今のベオさんって〝SEAL〟が使えないんでありますよね? でもって、決闘のルールで支援術式も禁止されているです。一応、そのあたりをどうにかするために色々と用意してきたみたいですけど……見た感じ、相手も同じぐらい念入りに準備してきているっぽいですよ? これ、どう考えても普通に無理ゲーじゃありませんです?」


 時折、スクリーンにベオウルフの顔のアップが映し出される。その時に見れる少年の表情は、必死そのものだ。頬には幾つもの裂傷が走り、動くごとに体の端々からフォトン・ブラッドが飛び散り、床やロムニックの服に血痕を残す。勝利を諦めている顔や動きではない。むしろ逆に、己の敗北など考えもしていないという雰囲気だ。しかし、


「何というか……控えめに言って、手も足も出ていませんですよ?」


 確かに序盤こそベオウルフが圧すシーンもあり、勝機があるかのように思えた。しかし今となっては、もはや少年の勝利は風前の灯火に等しい。


 最初のクリーンヒット以降、彼の攻撃はことごとく回避されるか防御されてしまっている。それどころか、攻める度にカウンターを喰らって傷付くのはベオウルフばかり。それでもまだ決着がついていないのは、ひとえに決闘相手のロムニックが手を抜いているからだろう。何のつもりかは知らないが、どうやら彼はベオウルフをいたぶって楽しんでいるようだった。それが、ベオウルフがまだ負けていない最大の理由である。


 詰まる所ロムニックは、その気になればいつでもベオウルフを倒すことが出来るのだ。全ては彼の気分次第――いまや少年は、薄氷の上で踊っているにも等しい状態だった。


 まさしく、大人と子供の喧嘩である。


「……ま、まぁ、アシュリーが訓練してあげたんですから、勝って欲しい気持ちはわかりますですが……」


 あまりにもアシュリーが微動だにしないので、不安になってきたゼルダは遅ればせながらフォローを入れてしまった。


「……確かに、あなたの言う通りですよ、ゼルダ」


 気まずい沈黙が下りてしばらく、やっとアシュリーが重い口を開いた。赤金色の髪を乱した少女は、スクリーンから目を離さぬまま意外と穏やかな声で語る。


「どう贔屓目に見ても、ベオウルフに勝機はありません。ただでさえ地力で負けている上、相手もまた万全を期してこの決闘に臨んでいるのですから。しかも未だ詳細は不明ですが、彼は〝神器保有者〟であるとヴィクトリア様が言っておられました。誰に尋ねても、ベオウルフの勝利を信じている人間なんていないでしょう」


 ARスクリーンに映る戦いの様子を、瑠璃色の瞳が冷静に見つめている。その落ち着いた横顔から、情にほだされすぎて目が曇っていたわけではないのか、とゼルダは胸を撫で下ろす。アシュリーはカレルレンに次ぐナイツの頭脳だ。彼女の判断力が鈍るのは、ナイツのためにも、ひいてはゼルダ自身のためにもならない。


「ですが」


 胸を張って、アシュリーは逆接続詞を唱えた。


「ゼルダ、あなたはもう忘れたのですか? 彼は……〝勇者ベオウルフ〟は、あの『開かずの階層』のフロアマスターを倒した英雄ですよ?」


 柔らかな口調で言って、アシュリーは流し目でゼルダを一瞥した。


「直接戦っていないあなたにはわからないかもしれませんが、あのフロアマスター――ミドガルズオルムは、私の〝サー・ベイリン〟の〈嘆きの一撃〉でも仕留められなかった、怪物中の怪物です。正直、あれほど勝てる見込みのない戦いもそうないでしょう」


 過日の仮想空間における戦いを、ゼルダは追想する。確かにあの時、ゼルダはアシュリーと共にドラゴンの群れと戦っていただけで、竜種より遥かに巨大な多頭蛇の化け物には、近付くことすらしなかった。とはいえ、【アレ】がドラゴンなどよりよほど恐ろしい存在であったことは、敢えて教えてもらうまでもなく、肌感覚でわかっていた。


「最初から無謀な戦いだったんです。巨大なフロアマスターに、同時にポップするドラゴンの大群……対する私達はたった七人の烏合の衆。しかも三人は負傷していて、まともに戦えるのは四人だけ。増援が来る可能性はないと考えていましたし、物資の補給も望めませんでした。半ば、このまま無為に餓死していくぐらいなら戦いの中で散ろう――そんな想いがあったのかもしれません」


 淡々と静かに語るアシュリーの様子は、逆説的に、当時の彼女がどれほど追い詰められていたかを如実に表しているようだった。


「絶望的な戦いでした。特にベオウルフがフリムを庇い、ミドガルズオルムに叩き潰された時は、一瞬だけですが目の前が真っ暗になったものです。そうですね……ゼルダ、あなたが駆けつけてきてくれたあの瞬間まで、私は頭のどこかで『もう駄目だ』『全員死ぬ』『どうせ時間の問題だ』と――そう考えていたように思います」


 スクリーンを凝視する瑠璃色の目は、しかしそこに映る映像を見てはいないだろう。脳裏に浮かぶ追憶を見つめているに違いない。


「……ですが、彼はそんな状況を【ひっくり返して】くれました。完膚なきまでに、これ以上はないというほどに、絶体絶命だったあの窮地を。そして、仲間の力を借りたとは言え、見事に成し遂げてみせたのです。あの強大なフロアマスターを撃破するという、偉業を」


「あ……」


 ゼルダは思わず声をこぼしてしまった。素で驚いたのだ。


 あのアシュリーが、柔らかく微笑んでいるという事実に。


 とても珍しい。話の内容よりむしろ、彼女の表情の変化にゼルダは魅入られてしまった。


 ARスクリーンに映るベオウルフの顔を見つめながら、アシュリーはさながら、聖母を崇める敬虔な信者のごとく宣う。


「確かに、今回も彼を取り巻く状況は非常に厳しいものがあります。実際、この私の目から見ても、勝てる見込みはほとんどありません。ですが……【それでも】」


 最後の一言を強く発音して、アシュリーはゼルダの問いに答えた。


「どんな苦境にあってもなお、【彼なら何とかしてくれる】、あるいは【どうにかしてくれるに違いない】――そう期待させる何かが、ベオウルフにはあるのです。それはきっと、ヴィクトリア様も同じなのでしょう。直接口にされたわけではありませんが、しかし、そうでもなければ決闘に向けて彼を鍛えようとは思わないはずです。故に、私は全力で彼を応援します。彼が勝利する未来を、可能性を信じます。……これがあなたの質問に対する答えですよ、ゼルダ」


 言い切ってから、アシュリーはゆっくりとゼルダに振り向いた。力みのない自然体で、〝疾風迅雷ストーム・ライダー〟の異名をとる少女のペルシャンブルーの瞳と、視線を合わせる。


 不思議な自信に充ち満ちた声で、乱れ髪の少女は断言した。


「何より、苦境や逆境をねじ伏せてこその英雄、勇者です」


 そして、


「彼の異名は〝勇者ベオウルフ〟。彼が本物の勇者なら、必ずや勝利を引き寄せます。そうは思いませんか、ゼルダ?」


「…………」


 英雄崇拝。まさしくそうとしか呼び得ないものを相方の中に見出し、ゼルダは絶句していた。


 元々、アシュリーにはその手の気があった。〝剣嬢ヴィリー〟や〝氷槍カレルレン〟といった、一流のエクスプローラーに対する絶対的な信頼。信仰にも等しい心酔――そういったものを持ちやすい少女ではあったのだ。


 しかし――あの少年は、アシュリーに一体何を見せたのだろうか。もはや、大英雄にも匹敵するほどの信頼を勝ち得ているではないか。


 相方の変貌ぶりをにわかに信じられずにいるゼルダの耳に、アシュリーの声が突き刺さる。


「さぁ、わかったのならあなたも声を出しなさいゼルダ! 負けた時は負けた時です! しかし万が一にもベオウルフが勝利した暁には、あなたにも私の気持ちがわかるはずですよ! さあ!」


 唐突にアシュリーの顔が迫ってきて、がしっ、とゼルダの腕が掴まれる。至近まで寄ってきた瑠璃色の吊り目に、ゼルダは度肝を抜かれた。


「それに私見ですが、ここからが佳境ですよ! 今から世紀の大逆転劇が起こるかもしれないのです! 見逃す手はありませんよこれは!」


「へ? えっあっ、は、はいでありますですっ!? え、あ――が、がんばれですベオさぁーんっ!」


 済し崩しに背中を叩かれて、ゼルダはアシュリーと並んで声を張り上げることになってしまった。


 その隣で、先程の倍する声がアシュリーの喉から飛び出す。


「ほら何をしているのですかベオウルフ! 私達が鍛えたあなたの力はそんなものではありませんよ! 思い出しなさい! ――あなたの真骨頂を!」




 ■




「なぁ、カレルレンの旦那、ちょいといいかい?」


「何だ、ジェクト。まだ決闘中だぞ。トイレなら我慢しろ」


 すぐ左から話しかけてきた男の声に、カレルレンは一瞥もせず冷たく返した。翡翠の瞳は頭上のARスクリーンをひたすら見据えている。


「おいおい、つまんねぇ嫌味はやめてくれよ。いやさ、俺もう帰っていいかな? って思ってさ」


「? どういう意味だ?」


 聞き捨てならない台詞に、氷槍は振り返った。当然、目付きを険しくして。


 氷の刃のごとき視線を受けるのは、カレルレンと同じデザインの、しかし漆黒の戦闘コートを羽織った男である。


 年の頃はカレルレンと同じか、少し上程度。こざっぱりした黒い髪に、ややタレ気味な青い瞳の青年は、氷の棘のごとき視線を前にして欠伸を噛み殺した。


「いや、どういう意味もねぇよ。もう飽きたんだって。もう結果は見えてるだろ、これ。最後まで見る価値がないよ」


「それについては同感だ。だが、言ったはずだぞ。この件については団長、ひいては俺達全員に非がある。最低限の礼儀として、ナイツ総勢で応援するのが筋だ、とな」


「ああ、わかってるさ、ちゃんと覚えているよ。でも、もう応援はいらないんじゃないかな?」


「……つまり、お前はこう言いたいのか、ジェクト? ベオウルフが負けるのは目に見えているのだから、応援しても無駄だ――と」


 腕を組んだまま溜息交じりに問うたカレルレンに、ジェクトと呼ばれた男はやや目を丸くさせた。


「へ? ああいや、違う、違うよ旦那。そうじゃねぇ」


 パタパタと顔の前で手を振って否定するジェクトに、今度はカレルレンが頭を捻る。


「違う? どういう意味だ?」


 眉根にしわを寄せる上司に、部下であり〝カルテット・サード〟の一人でもあるジェクトは、にっ、とシニカルな笑みを見せた。


「逆だよ、逆。この決闘、どう見てもベオウルフって小僧っ子の勝ちだ。相手が〝神器保有者〟だか何だか知らねぇが、小者もいいところさ。話にもならねぇよ」


 首を振って肩を竦めてみせて、ジェクトはおどけるように天井へ視線を向けた。


 そんな横顔を探るようにじっくり凝視してから、カレルレンは問う。


「……一応理由を聞いておくが、何故そう思う?」


「んー……勘、って奴かな?」


「お前はまた……いつもそればかりだな」


 悠然と自身の顎を摘まみながら返ってきた部下の答えに、上司たるカレルレンは目を伏せて呆れの吐息を一つ。


「……いいかジェクト。現時点で優勢なのは決闘相手――ロムニック・バグリーだと思うのがごく一般的なものの見方だ。実際、他の人間はそう思っている。そこはどうなんだ?」


「ま、パっと見はそうだろうさ。俺だってそう思うよ」


「なら、目に見えない要素が関係しているとでも?」


 カレルレンも長身だが、ジェクトも劣らず背が高い。真横から突き刺さる疑念の眼差しを、黒髪の男は含みのある蒼い瞳で受ける。


「そうさねぇ……簡単に言ってしまえば、【気合いが違う】って感じかな」


「気合い?」


 漠然とした物言いに、カレルレンが眉をひそめた。ジェクトは頓着することなく、格闘士らしく金属糸が編み込まれた戦闘グローブの右手を上げ、ピン、と人差し指を立てる。


「そう、気合いだよ、気合い。戦いに臨む意識がまるで違う。小僧っ子はガチの真剣。相手はボンクラ適当だ。これじゃ話にならねぇよ。旦那、『ウサギとカメ』の話は知ってるだろ?」


「……ロムニックが兎で、ベオウルフが亀だと言いたいのか?」


「そーそー、それそれ。だから今は相手が優勢に見えても、最後には小僧っ子が勝つ。これが俺の見立て」


 ははん、と軽く笑って、ジェクトは顎で頭上のARスクリーンを示す。


「奴さん、決闘相手をいたぶるのが趣味かもしれねぇが、真剣勝負で手を抜く奴ほど手酷いしっぺ返しを食らうのが勝負の常さ。あの男には目に見えない油断がある。しかも致命的な油断がね。遠からず、ベオウルフにそこを突かれて負けるだろうさ」


「……正直、そうは見えんが……」


 自信満々に嘯くジェクトを胡乱げに見やって、カレルレンもスクリーンに視線を戻す。するとちょうどよく、ロムニックの槍で顔を殴り飛ばされているベオウルフが映っていた。大きく吹っ飛び、床の上を転がって深紫の血を飛び散らす様は、どう控えめに言っても無様の一言に尽きる。


 しかし――


「――確かに、彼の目はまだ死んではいないな」


 少年の漆黒の瞳に宿る意志の光は、決闘前に見た時と比べても遜色ない。それどころか、さらに輝きを強めているようにも見えた。


「ああ、あれは腹に一物ある男の顔だよ。ただ一方的にやられているだけじゃなくて、虎視眈々と何かを狙っている――そんな顔だ。ま、それが逆転に繋がるかどうかはわからねぇけどさ」


 無責任に言い捨てて、ジェクトはわざとらしいまでに爽やかな笑みを浮かべる。ぐっ、と親指を立てて、


「――というわけで、旦那。説明も終わったことだし、俺もう帰ってもいいよな?」


「待て。それとこれとは話が別だ。そこまで言うならむしろ最後まで見て行け」


「おいおいなんだよ藪蛇じゃねぇか。あ、じゃあ賭けるかい? 俺はベオウルフの小僧っ子に賭けるから、旦那はあっちの白い方な」


 希望が却下されると、ジェクトは落ち込むどころか逆に気乗りし始めた。瀟洒にウィンクして、笑いかける。だがこれも、カレルレンににべもなく叩き落とされた。


「規則で団員同士の賭け事は禁止されている。慎め」


 冷然とした返答に、こりゃ駄目だ、と言わんばかりにジェクトは大袈裟なジェスチャーをした。


「へいへい、お堅いこって。せっかく〝自由の騎士リベルタス・エクエス〟なんてお名前を頂戴してるんだから、少しぐらい自由にさせてくれたってもいいだろうに」


「お前だけ色の違う制服を認めてやっているだろう。ひとまずはそれだけで満足しておけ。そんなことより、お前の予想は見事に外れそうだぞ?」


「お、白いのが本気を出したかい?」


 カレルレンの言葉に釣られて、ジェクトは再びARスクリーンへと顔を向けた。そこに、カレルレンが端的に告げる。


「どうやら弾切れだ」




 ■




「チャージブレイクもあと一発ね……」


 出入り口の上部に浮かぶ巨大スクリーンを睨みつけ、フリムは無意識に右手の親指の爪を噛んでいた。


 六振りの剣に、十八発分用意した必殺の一撃は、しかし一発を除いて実に十六発がおもしろいように外れていた。


 使い手の実力が足りないのも事実の一つだが、それだけではない。


 ラグディスハルトの決闘相手――ロムニックの異常なまでの先読みによって、攻撃のことごとくが回避されるか、軌道を逸らされてしまっているのだ。


「それに、スティックも残り一本です……」


 フリムの隣で同じく戦いを見守っているロゼは、胸の前で組んだ両手に我知らず力を込める。皮膚が白くなるほど握り締められた掌が、ブルブルと小刻みに震え出す。その姿は、まるで神に祈っているようにさえ見えた。


 牽制用にと持たされた閃光発音弾も十一個を使いきり、残るは一つ。


 苛立たしげに、あるいは不安そうに少年を見守る二人とは真逆に、彼女らの前に立つ一際背の低い少女は傲然と喉と胸を反らし、仁王立ちしていた。


 腕を組み、眦を決して、唇を横一文字に結んでいる。蒼と金の瞳から強い視線を放ち、スクリーンへと射込むハヌムーンの立ち姿には、苛立ちや不安を感じさせる要素は皆無だった。


「…………」


 無言。ただじっと目を凝らし、唯一無二の親友の戦いを見据えている。それこそが己の責務であるかのごとく。


 彼女の瞳には、焦りもない。恐れもない。


 少女はただ、少年を信じていた。


 とはいえ、勝利を確信しているわけではない。


 敗北を覚悟しているわけでもない。


 決めていることは、ただ一つ。


 何が起ころうとも、全て受け入れる――ハヌムーンはそう心に定めていた。


 故に、彼女は後方の二人にこう告げる。


「狼狽えるでない、フリム、ロゼ」


 威風堂々と。


「心配するな。ラトはやる時はやる男じゃ」


 スクリーンの中で傷つく少年を見つめながら、それでもハヌムーンは断言した。


「あやつを信じよ」


「「…………」」


 幼い少女より遥かに年上であるはずの二人が、声もなく小柄な背中を見つめた。


 この時、頭から外套をすっぽりと被った、華奢であるはずの背中が――フリムとロゼの二人には、巨人のそれのごとく頼もしく見えた。


 フリムは琥珀色の目を、ロゼはアメジスト色の双眸を、それぞれ見合わせる。そして、


「……そうね、泣いても笑ってもあと一発……次で決まるようなものだしね……」


「ええ、結果がどう出ようと、私達はラグさんを全力で守るだけのことです」


 勝てば官軍、負ければ賊軍という。少年が勝った場合は何の問題もないが、負けた場合は周囲からのバッシングは避け得ぬだろう。その際、彼を守れるのはここにいる三人しかいない。


 フリムとロゼの双眸にも、ハヌムーンの瞳に宿るものと同種の輝きが生まれた。


 覚悟の光だ。


 もはや目の前の勝負の是非ではなく、その後に何が起ころうとも少年を守り抜くという、強い決意の顕れだった。


 フリムは意識せず噛んでいた爪から口を離し、ロゼは強く組んでいた両手をほどく。


 もはや言葉はいらない。


 三人の少女はそれぞれの思いを胸に、固唾を呑んで少年の戦いを見守る。


 スクリーンに傷だらけの、しかし未だ勝利を掴むことを諦めていない少年の顔が映り出される。


 漆黒の両目には、彼のフォトン・ブラッドと同じ深紫の輝きが、仄かに灯っていた。




 ■




 もはや僕は満身創痍だと言っていい。


 きっと身体中のあちこちが痛いはずだ。


 多分だけど、場所によっては骨に罅が入っているところだってあると思う。


 でも、今の僕にはよくわからない。


 感覚が鈍くなっているのではない。むしろ、その逆だ。


 全身が燃えるように熱く、細胞という細胞がふつくに活性化していた。ドッ、ドッ、ドッ、と心臓の鼓動に合わせて四肢の筋肉も収縮を繰り返している。オーバーロード、なんていう単語が脳裏の片隅をチラついた。


 絶好調だった。


 我ながら空恐ろしいほど頭が冴え渡り、五感が鋭敏になっている。まるで機械のデータを読み取るように、自身の肉体の状態を客観的に俯瞰できる。その上、このセキュリティルームの空気の動きすら肌で感じ取れそうなほど、全身の感覚器官が研ぎ澄まされていた。


 同時に、不思議と全身に刻まれた傷や打撲痕からの痛みは感じない。多分、頭が邪魔な痛覚を自動的に遮断しているのだ。今の僕に必要なのは、戦闘に関する情報のみ。それ以外のノイズは全てシャットアウトしている。


 ヴィリーさんがこの場にいたら『いい集中ね』と褒めてくれただろう。


 でも、状況は最悪の一言に尽きた。


 現状は次の通りだ。


 早いものでフリムが六振りも用意してくれた内の五本はチャージブレイクを撃ち尽くし、そこらにうっちゃっている。鞘もなく床に転がる剣の姿からは、どことなく死屍累々めいたものを感じるのは気のせいだろうか。また牽制や陽動のために用意してくれた特殊スティックも、十二本中の十一本を使い果たしてしまっていた。


 そして僕は今、右手に小刀を一振り、左手にスティックを一本握り込んで、ロムニックと対峙している。


「……はっ……はっ……はっ……はっ……!」


 額から流れ落ちる血が、僕の左目の視界を奪う。唸る内燃機関のように身体を大きく上下に揺らす呼吸をしながら、拳を握った左手の甲で目に掛かる血を拭い取った。


 残った最後の武器は、ちょうど脇差しだった頃の白虎と同じぐらいのサイズ。リーチは短いが、その分軽量で、扱いやすい。何より速度が出る。


 左手の中に隠した最後のスティックは、実は決闘前にフリムに強く言い含められた特別な一本だ。十二本の内でこれだけが何故か、ほんのちょっとだけ濃い紫色をしている。


『いい、ハルト。他はいつでもいいけど、これだけは絶対最後に使うのよ』


 そう忠告してくれた幼馴染みに、それは何故か、と僕は尋ね返した。ごく当たり前の疑問として。すると、


『それは秘密。でも、いいわね? 絶対、絶対最後に使うのよ?』


 という答えが返ってきたので、勿論僕は不安になって、さらに踏み込んだ問いを放った。あのもしかしてこれ、閃光発音弾じゃなくて、本物の爆弾だったりしないよね?――と。


 これに対してフリムが、


『ううん、そこは安心して。そういうのじゃないから』


 にっこりと天使のように微笑んだ時点で、僕はそれ以上言及するのを諦めた。まともに答えてくれるとは思えなかったし、まともな答えが返ってくるとも思えなかったからである。それに当時は、まぁこれを使う羽目にならなければいいだけの話だ、と高を括っていたこともある。


 故に、今はほんの少しだけ博打の気分だった。なにせ、これが何なのか僕は知らないのだ。他のスティックと同じ閃光発音弾なのか。それとも、真の意味での爆弾なのか。あるいは、それ以外の何かなのか――


「いい面構えになってきましたねぇ、ベオウルフ。よくお似合いですよ」


 ロムニックが、相変わらず腹の立つにやけ面を向けてくる。


 決闘前までは眩しいぐらい真っ白だった奴の衣服や槍は、今やすっかり僕の血飛沫で汚れてしまっていた。刷毛を振ってペンキを散らばらせたみたいに、大小入り混じった深紫の点が水玉模様を描いている。その中に、奴の紺青色のフォトン・ブラッドは一%も混じっていないだろう。


 ロムニックが本気を出して以降、情けないことに僕の攻撃はまともに命中していない。繰り出す斬撃もチャージブレイクも蹴りも何もかもが、風に舞う綿毛を相手にしているかのごとく避けられてしまうのだ。それでも時折は奴の白槍と打ち合うこともあるのだけど、その時は例外なく剣撃をいなされ、すかさずカウンターを叩き込まれてしまっている。


 しかも未来が視えるロムニックは、僕がとるであろう回避行動すら先読みして反撃してくるのだ。奴のフェイントに引っ掛かり、回避を試みた先で待ち構えていた槍の穂先に何度肉を抉られたことか。フリムがリメイクしてくれた〝アキレウス〟にも無数の穴を空けられて、隙間から地肌や裂傷が覗いてしまっていた。


 さらに言えば、ロムニックの装備品には『治癒の加護』が付与されているものがあるのだろう。唯一チャージブレイクがクリーンヒットして与えたダメージですら、今ではすっかり回復してしまっていた。


 ここにきて、奴はほぼ無傷。


 それに引き替え、僕は傷だらけ。


 外で決闘の様子を見ている観客からすれば、この時点で勝負の趨勢はもはや決まったも同然だろう。


 多分、これでもまだ諦めていないのは僕だけだ。この様では、ハヌ達でさえ僕の勝利を信じてくれているかどうか――自信がない。それぐらい僕はボロボロだった。


「さぁ、そろそろ観念したらどうです? 私に勝てないということは嫌というほどわかったでしょう。この瞬間まで、私があなたを殺せる機会が何百とあったことは流石にわかりますよね?」


 わかっている。こいつは何度も何度も、未来予知によって僕の隙を突いてきた。その際、急所さえ狙っていればいくらでも僕の命を奪うことが出来たはずだ。


「それに、そろそろ万策尽きてきた頃じゃないですかねぇ? 正直いい感じにみすぼらしくなってきましたし、命乞いするにはちょうどいい頃合いだと思いますよ。それとも、最後の最後まで醜くあがきますか? ま、私はどちらでも構いませんが」


 すっかりディープパープルに染まった槍の穂先を陶然と見つめ、今にも口笛でも吹き出しそうなほど上機嫌な声音で宣う。


 それも仕方のないことだった。今の僕は、フィクションによくいる〝大口を叩いた割りには大したことがない奴〟を地で行っている。あちらが圧倒的に優勢なのだから、ロムニックが調子づくのも当然だ。


 だけど。


「――まだだ」


 そんなもの、焼け石に水というものだ。


「まだ、勝負はついちゃいない」


 先述の通り、満身創痍でありながら、今の僕はかつてないほど絶好調なのだ。


 さっきだって間一髪の差で逃げられてしまったが、あとほんの少しでチャージブレイクを直撃させられるところだった。しかもロムニックのカウンターを左の円盾で弾き返し、初めて無傷で一合を終えることができたのである。


 ここからだ。


 僕の命を即座に奪わないのは、奴の手抜きではない。【手落ち】だ。


 窮鼠猫を噛む。とりくるしめば車を覆す。火事場の馬鹿力――今の僕を示す言葉はいくらでもある。


 舐めるならなら舐めろ。笑いたくば笑え。


 最後に立っていたものが勝者なのだ。


「寝言は勝ってからにしろ」


 身体が芯から熱い。何か燃やしてはいけないものを燃料にして動いている気分。傷口から流れるフォトン・ブラッドが、高熱の体温で蒸発していくような気さえする。服の内側を濡らす血流のぬるぬるも全く気にならない。


「言ったはずだ」


 意識が戦闘に集中しているのがわかる。自分が『ゾーン』に入っていることがわかる。結局ヴィリーさんの言うとおりだった。僕はこんな風に追い詰められることでしか集中力を極限まで高めることができないのだ。


 だけど、今なら――


「お前を、後悔させてやる――って!」


 両足のスカイウォーカーにコマンド。これまでで最大の加速度を叩き出せと尻を蹴っ飛ばす。ドン、と砲撃音みたいな音を轟かせて一歩目を踏み込む。爆発的な反動を受けて僕の体が弾丸のように飛び出す。


 一瞬、周囲の音が全部消えた。多分、その瞬間だけ限りなく音速に近付いた。


「――!」


 特殊スティックの最後の一本。それを左手を振って投擲する。同時、〝アキレウス〟へコマンドを突っ込んで〈ステュクス〉を起動。頭がすっぽり漆黒のヘルメットに包まれる。


 炸裂した。


 光と音が爆発する。でも意外だ。これまでのものと比べて何の変哲もない。従来のものと同じ閃光発音弾。フリムがこれを最後にしろと言ったのは何だったのだろうか。


 ――と思った瞬間だった。


「――なっ……!?」


 ロムニックの驚愕の声。やはりと言うかなんと言うか、目を閉じて耳を塞いでいる奴が、しかし愕然と硬直している。


 その理由は、僕が投げつけたスティック。


 違う。これまでの十一発の閃光発音弾とは微妙に雰囲気が異なっている。初めて聞くバチバチと空気を引っ掻く音、灼き焦がす匂い。


 電撃だ。


 最後の一本には閃光と爆音だけでなく、高電圧の稲妻が封印されていたのだ。


 しかし無論、投げつけた僕もこうやって雷閃の射程内にいる故、結局は相打ちに――


 ならなかった。


「っ!?」


 弾き、受け流している――僕が身に纏っている〝アキレウス〟が、大気を伝って触手のごとくまとわりつく稲光を、完全に防御していた。


 よってロムニック一人だけが、突然の電撃に身体を痺れさせ、石像のごとく動きを止めている。


 ――そうか、だから……!


 フリムが、この一本だけは必ず最後に使えと言った理由がわかった。敵を欺くにはまず味方から。彼女は僕とロムニックを同時に騙して、有利な状況が生まれるよう細工してくれていたのだ。


 この好機を逃したら、僕は世界一の馬鹿だった。


「――チャージ!」


『マキシマム・チャージ』


 躊躇なく、持ってきた武器の最後の一本――それに蓄えられている最後のエネルギーを刀身に充填させる。白銀の刃が紫の光に包まれ、稲妻にも似た輝きが飛沫を飛ばした。


 これが正真正銘、最後の一撃だ。


 未来が視えるはずのロムニックが、何故ここまで見事にフリムの術中に嵌まったのかはわからない。けれど真実として奴は突然の電撃に麻痺している。表情を見ればこれが予想外の事態であることは明白だ。


 だから。


「――だぁああああああああああああッッ!!」


 しゃにむに突っ込んだ。


 激流のような閃光が迸る小刀を振り上げ、青白い電光に四肢を縛られているロムニックへ一気に肉薄。


「――!?」


 奴のモスグリーンの瞳が恐怖と驚きに見開いた刹那。


 右上から左下へ袈裟懸けに振り下ろし、チャージブレイクのトリガーをキックした。


 紫の光爆が破裂する。


「――――――――――――――――ッッ!?」


 弾ける威力と轟音はロムニックの悲鳴すら呑み込んだ。今度こそ確実に直撃したチャージブレイクが、怒涛のごとく爆発する。


 奴の体が巨人に蹴っ飛ばされたみたいに吹っ飛んだ。玩具の人形よろしく弧を描いて飛んでいったマント姿が、ボールのように床の上で何度もバウンドして転がっていく。


 ――やった……!


 会心の手応えだった。今度という今度こそ、完全なクリティカルヒットだった。身動きがとれず、防御させることもなく喰らわせたチャージブレイク。これで決まっていなければ、


 決まっていなければ――まずいなんてものじゃない。


「――――」


 浮き立ちかけた心が瞬時に冷えた。


 喜んでいる場合ではないと気付いた。この一発が最後の必殺攻撃だ。この機会を逃せば、もう勝ち筋は見えない。


 だから走った。


 叩き込まれた慣性を殺しきれず床を転がるロムニックを、スカイウォーカーの全速力で追いかける。


 その足音が聞こえでもしたのだろうか。転がるまま転がっていこうとしていたロムニックの身体が、突然ネコ科の肉食獣めいた動きで跳ね起きた。


 やっぱりだった。最後のチャージブレイクの直撃は、しかし浅かったのだ。奴の背中のマントがズタボロに破けている。きっとアレにも『身代わりの加護』が付与されていたのだ。そういえば最初のクリーンヒットの時も、ロムニックはマントにくるまっていたではないか。


 止めが必要だった。


 これ以上はないってぐらい、決定的な致命打を与えなければいけなかった。


 いくら『身代わりの加護』があろうとかなりの衝撃を受けただろうに、ロムニックは槍を手放していなかった。熟練の戦士らしく最低限の動きで体勢を立て直した奴に、僕は速度を緩めることなく斬撃を打ち込んだ。


 僕のフォトン・ブラッドでデコレーションされた白槍が刀身を受け止め、快音を鳴り響かせる。


 二度目のチャージブレイクを喰らい、ダメージの多寡はともかく精神的には動揺したのだろう。余裕の弾け飛んだ険しい顔でロムニックが怒鳴る。


「――しつこいですねぇベオウルフ! あなたの頼みの綱はさっきのが最後だったでしょうに! いい加減もう諦めたらどうなんですかねぇ……!」


 床に何度も叩き付けられた際に傷付いたのだろう。目を剥いて僕を睨みつける奴の頭からは、紺青色の血が流れていた。灰褐色の髪や額、頬を伝って足元へ滴り落ちていく。


「黙れ……!」


 負けじと僕も奴の顔を睨め付け、押し殺した声を吐く。小刀と槍の柄が鬩ぎ合い、ギリギリと擦過音を立てる。


「せっかく綺麗な服を着てきたんだ、僕の血だけじゃなくて――お前の血も彩りに加えてみせろ……ッ!」


 言い放つと同時、僕は手元の小刀に〝人工SEAL〟からのコマンドを叩き込んだ。白銀の刀身から、紫光が溢れる。


「!?」


 ロムニックの表情が驚愕に凍った。


 四度、小刀が紫の輝光を纏う。仮面のように固まった奴の顔を下方から怪しく照らす。


 そう。これこそが、先刻の電磁閃光発音弾ヴォルト・スタングレネードとは違って、フリムからちゃんと使い方を教わっていた最終手段――最後の『切り札』。


 僕の本当の『奥の手』。


「――ギャザーアップ!」


 起動音声を叩き付けるように叫んだ。


 瞬間、周囲の床に転がっていた五本の武器が生き物のごとく同時に跳び上がった。


「な――!?」


 いきなり自分を取り囲んだ窮地に、我知らずといった風にロムニックが呻く。


 フリムが用意してくれた大・中・小の六本の剣は全てデータ的にリンクしている。彼女の開発したフォトン・オーガンを搭載し、何より当人のフォトン・ブラッドを注入しているのだ。それぐらいお手の物である。


 これにより何が出来るのかというと――『招集』だ。使用者の手元に一本でも武器が残っていれば、それを基点として残りの武器全てを【一斉に呼び寄せる】ことが出来るのである。つまり――


「待て」


 すぐさま逃げようとしたロムニックの槍を、僕は左手で無造作に引っ掴んだ。そのまま胸元へ引き寄せ、渾身の力を込める。


「逃がさないぞ」


 僕がそう囁くのとほぼ同時だった。仮初めの命を与えられたかのように宙に浮かんだ五本の剣が、申し合わせたようにそれぞれの切っ先をロムニックに向けた。


 次の瞬間、放たれた矢のごとく宙をかっ飛ぶ。


「ば、馬鹿な――!?」


 焦りの余りか、あまり芸のない台詞が奴の口からこぼれた刹那。


 強力な磁石に吸い寄せられたような五振りの刃が一斉に、あらゆる方角からロムニックに襲い掛かった。


「がっ……ぐぁあああああああっ!?」


 右肩、左腕、背中、右太腿、左足――大中小の剣がそれぞれ、ロムニックの身体に深々と突き刺さる。


 残念ながら背中にはまだ戦闘マントの切れ端が残っていたため、胸まで貫くことは出来なかった。しかし、それ以外はほぼ貫通し、切っ先が向こう側から顔を覗かせるほどの有様だった。


 ――とった……!


 今日一番の手応えに、勝利の確信を得る。剣の突き刺さった部位からロムニックのフォトン・ブラッドが溢れ出し、白い衣服が紺青色に染まっていく。


 だけど。


「……ふ……ふふ、ふふふ……」


 目の前のロムニックが、小刻みに体を揺らしながら笑い出した。その震えは激痛によるものと思われたが、どうやらそれだけではない。


「……やってくれましたねぇ、ベオウルフ……こいつはしてやられましたよ……まさか、こんな破天荒な手まで用意しているとは……流石の私も予想外でした……ふっふっふっ……」


 がくがくと今にも倒れそうなほど身体を震わせながら、ロムニックは一歩後ろへ下がった。僕も奴の槍から手を離し、両手で小刀を構えなおす。見た感じかなりの損傷を与えたはずだが、勝負は最後までわからない――他ならぬ僕自身がついさっき胸に誓ったばかりだ。油断は禁物だった。


「……ああ、痛い……これは痛い……ふっ、ふはは、ああ痛い痛い……ちくしょう……本当に痛い……」


 よろよろと後ろへ下がっていくロムニックは、顔を俯かせているため表情は杳として知れない。だが声の芯もまた震えていて、不安定だ。


 ――このまま、倒れるか……? いや、倒れろ、倒れてくれ……!


 半ば祈るような気持ちでロムニックの様子を窺う。よろめきながら距離を離していく奴の足元に、点々とブロンズブルーの血痕が残されていく。かなりの出血量で、手足に刺さった剣を抜けばそのまま失血死しかねない勢いだ。


 なのに。


「――でも、コレで【本当の本当に最後】なのでしょう?」


 ロムニックが面を上げ、にやり、といやらしい笑みを見せた。


 それはもう、悪魔メフィストフェレスが実在するのなら、まさしくこんな笑い方をするであろうという顔だった。


「ああ……やれやれ、まさか本当にこれを使う羽目になるとは思いませんでしたよ」


 今や僕以上に満身創痍であるはずのロムニックが、やけに明晰な声で言った。奴は激しく痛むはずの四肢を動かし、こともなく体に刺さった剣を抜いていく。刃と床がぶつかる硬い音が鳴るその度に、紺青色のフォトン・ブラッドがポンプみたいに傷口から溢れ出した。


 五本の刃を続けざまに抜き落としたロムニックは、今度は首に巻いた純白の――既に僕と奴の血飛沫によって汚れていたが――チョーカーに血塗れの指を引っかけた。


 ひと思いに引き千切る。


「しかもこんなに深い傷……流石に完全回復は無理でしょうが、備えあれば憂いなしとはよく言ったものですよ、まったく」


 嘲笑を浮かべるロムニックの全身が、淡いレモンイエローの輝きに包まれた。途端、四肢の傷からこぼれていた流血が、完全に停止した。それどころか、手足に深々と穿たれた穴が、じわじわと小さくなっていく。


「な……」


 もしやもまさかもなかった。あれは間違いなく『治癒の加護』だ。しかもフリムのフォトン・オーガンにも似た、おそらくは作製者のフォトン・ブラッドを利用する術式発動型の。


「ええ、そうですよ、ベオウルフ。これは〝無限光〟のフォトン・オーガンの真似事です。アレはなかなかに画期的な発明ですからねぇ、どうにか自己流で再現しようとする武具作製士がごまんといるわけですよ。実は私の知り合いもその一人でして」


 愕然とする僕の内心を見透かしたように、手の甲の血を舐め取りながら語る。細められたモスグリーンの双眸が、獲物を狙う蛇のごとく炯々と輝いた。


「これは身につけているだけでジワジワと回復するHoT(Heal over Time)機能と、こうして引き千切ることで発動する瞬間回復の機能とがありましてね。まぁ、内封されているフォトン・ブラッドの量に限界がありますから、前者の使用時間が長ければ長いほど後者の効果も薄まってしまうという問題点もあるのですが……いやしかし、まさかこちらを使う破目になるとは。正直、予想外でしたよ」


 ロムニックの言葉通り、やがて奴の全身を包むレモンイエローの燐光は大気に溶けるように消失していった。が、流石に傷の治癒は完全にとはいかず、わずかナイフで斬りつけられた程度のものが残ってしまっている。だけどそれは、先程までの致命傷と比べれば、ほんのささいな裂傷でしかない。多少は動きを掣肘するかもしれないが、その気になればいくらで無視できる程度の損傷に見えた。


「…………」


 詰んだ。そう思った。


 チャージブレイクも、特殊スティックも、そして切り札だったギャザーアップですら、無効化されてしまった。


 もはや万策尽きた。僕の手元に、ロムニックを打倒するための打つ手はなくなってしまった。


 だけど。


「……!」


 小刀を握る手に力が籠もる。心の奥底から湧き上がってくるのは悲嘆でも絶望でもなくて、やはりマグマのような怒りだった。


 純粋に腹が立っていた。いっそ卑怯なまでに、用意周到な準備をしてきたこの男が、憎たらしくて憎たらしくてたまらなかった。


 ロムニックは僕の顔を眺めて、楽しげにくつくつと笑う。


「さぁ、どうします? もう完全に打つ手なしなのでしょう? 頼みのチャージブレイクは弾切れ。目眩ましのスタングレネードも使い切ってしまった。最終兵器だった不意打ちも、こうして無駄に終わってしまいましたよ。もはや手も足も出ないでしょう? さぁ、額を擦りつけて命乞いをする覚悟は出来ましたか?」


『そういうわけなので、そろそろネタばらしといきましょうか。この声が聞こえますか、ベオウルフ?』


「……!?」


 ロムニックの言葉の終わり際、おかしな声が頭に響いた。


『ああ、ちゃんと聞こえているみたいですね。結構、結構』


「なっ――!?」


 声というより、震動。立体音響とでも言おうか。僕の頭の周りを、目に見えないスピーカーが羽虫のごとくグルグルと回っているみたいだった。発生源が杳として知れず、聞こえてくる方角が目まぐるしく変わる。


 僕は咄嗟に左手で耳を押さえ、右耳だけで音の発生源を探ろうとした。


『無駄ですよ、そんなことをしても。これは肉声ではありませんからねぇ。私は今、あなたの頭の中に直接話しかけているんですよ。これ、言っている意味わかりますか?』


「……!? !?」


 骨伝導のように体内で響く声に、僕は混乱する。ロムニックの方を見ても、奴の唇はまったく動いていない。ただ、にやにやとこちらを見やっているだけだ。


 んふ、とロムニックが嫌な笑い声を洩らした。槍を握っていない方の手を掲げて、


「いいんですよぉ、ゆっくり考えてもらって。もう勝負はついたも同然なのですから。ねぇ?」


『まだわかりませんか? 本来ならこんなネタばらしはしない主義なのですが、今回ばかりは頼まれ仕事ですからねぇ。あなたには存分に絶望してもらうため、特別に教えてさしあげますよ。私が持つ、【神器の正体】を』


「……!」


 耳に聞こえる声と、頭に響く音声とが重なるのと、その内容に息を呑んだ。


 猛烈な違和感。


 ――コレは、何だ? ……もしかして僕は、とてつもなく大きな【勘違い】をしていたんじゃ……!?


『ええ、その通りです。全く以てその通りですよ、ベオウルフ。あなたは盛大に勘違いをしていたのです。してしまっていたのですよ。残念でしたねぇ、んっふっふっ』


 声もなく、ロムニックが体を揺すって僕を嘲笑う。モスグリーンの瞳は、馬鹿な犬でも見るかのような視線を向けてくる。


 ――まさか、奴の神器の力は『未来予知』などではなくて……!


 込み上げる嘔吐感。僕は無意識に口元を左手で覆い、吐き気を我慢する。


 にやり、と満足そうにロムニックが唇の両端を大きく吊り上げた。


『ええ、そうです。あなたの予測は大外れ。私の神器は未来を読むのではなく――』


 絶望が、告げられた。




『他人の心を読むのですよ』







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