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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第四章 私は〝剣嬢〟。狙った【剣】は必ず手に入れるのが信条なの。どうか覚悟していて――私の勇者様?

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●10 ピンチにピンチをかけても、やっぱりピンチでしかない




『――こ、これは、どういうことですか、ベオウルフ!?』


 焦りに焦ったアシュリーさんの声が、耳を劈く。


 やはりというか予想通りというか。僕への剣術指南の話は、ヴィリーさんには話していなかったらしい。


「いや、それがその……何と言いますか……まぁ、成り行きで……」


 僕とアシュリーさんは今、〝SEAL〟のダイレクトコールで会話している。僕の〝SEAL〟が万全なら映像のやりとりも出来るのだけど、今は借り物の〝人工SEAL〟である為、音声だけで話をしていた。


『な、成り行きとは何ですか!? どんな成り行きがあればこんなことになるというのですか!?』


音声のみ(サウンドオンリー)〟という文字が描かれた通話アイコンが、アシュリーさんの感情を表すように大きく躍動する。


 実はあの後、あれやこれやと紆余曲折を経た結果、〝あること〟が決定してしまったのである。


 その〝あること〟とは、何かと言うと。敢えて一言で説明するのなら――


〝ラグディスハルト集中強化計画〟。


 という文字列になるだろうか。


 通話アイコンの向こうから、余裕など微塵もないアシュリーさんが叫ぶ。


『一体どんな魔法を使えば明日からヴィクトリア団長まで一緒になってあなたを鍛えるだなんて話になるのですかっ!?』


 そうなのだ。


 驚天動地のヴィリーさんの一言が放たれた後、なんだかんだでそういうことになってしまったのである。






 無造作に放り投げられた爆弾発言は、覿面に炸裂した。


「セ、〝神器保有者セイクリッド・キャリア〟……?」


 呆然と、僕はその名詞を舌に載せる。もうほとんど聞くことはないと思っていた言葉だけに、驚きもひとしおだった。


〝神器〟――ロゼさんと出会うまでは都市伝説か御伽噺かと思っていた、しかし実在する超常の力。実際、ロゼさんの持つ〝超力エクセル〟、そして『ヴォルクリング・サーカス事件』の首謀者シグロスが所有していた〝融合ユニオン〟の力を、僕は目の当りにしている。


 ――それを、あのヴィリーさんが持っている……?


 でも、こんな偶然があるものだろうか? 人々の間でまことしやかに語り継がれる話が本当なら、神器はたった十二個しか存在しないのだ。この広い世界の中で、まさかその内の三つもがこの浮遊都市フロートライズに集まるだなんて……


 驚きのあまりどんな反応をすればいいのかさっぱりわからず、呆けた顔でヴィリーさんとロゼさんの顔を交互に見つめていると、


「――以前から、もしや、とは思っていました。あの時……シグロスが〝神器保有者〟だと私が告げた時、あなたは驚きはしても訝しげな顔はしていなかった。そういった反応をするのは、神器が実在することを知っている人間か、もしくは〝神器保有者〟であるかのどちらかですから……可能性はあると思っていました」


 ソファに座ったまま、琥珀色の瞳でヴィリーさんをまっすぐ見据え、ロゼさんは静かに言葉を紡ぐ。その声にも、表情にも硬さはない。ただ淡々と、事実だけを述べているようだった。


「……剣嬢ヴィリー、いつから私が〝神器保有者〟だと?」


 気付いていたのですか、という言葉を省いてロゼさんは問うた。そうだ、〝神器保有者〟同士は近くにいれば互いのことがわかるそうだけど、それには『力を発動している時のみ』という条件があると、いつかロゼさんから聞いたことがある。


 ヴィリーさんはやや目を伏せ、再びソファに腰を下ろした。それから、ロゼさんの質問に答える。


「ルナティック・バベルの『開かずの階層』で、あなた、神器の力をかなり使ったでしょう? あの時よ」


 僕はぽかんと口を開けて「あ、あー、なるほど」と頷いてしまう。そういえば確かに、あの時ロゼさんは神器の力を用いる〈リサイクル・オーバードライブ〉でハーキュリーズを使役ハンドルしていた。道理である。


「勿論、疑っていたのはあなたと初めて出会った時から。あなた、しれっと〝神器保有者〟だなんて言葉を使うのだもの。驚いてしまったわ」


 ――あれ? でも、それならロゼさんだって、ヴィリーさんの存在に気付いてもよかったのでは?


 と疑問に思った僕の心の声が聞こえたのか、


「というか、むしろ、あなたは気付かなかったのかしら? 私もあの場で自分の神器――〝実在イグジスト〟の力を使ってドラゴンの群れと戦っていたのだけど?」


 ヴィリーさんが逆に問い返した。これに対し、ロゼさんは緩く首を横に振る。


「生憎、あの時の私はラグさんとフリムさんの姿を探すことと、見つけた後もハーキュリーズを使役することに必死でしたから。むしろドラゴンの群れを前にしながら、あの距離で私の存在に気付くあなたの余裕の方が驚嘆に値するかと」


「大したことじゃないわ。〝神器保有者〟にとっては下兵類なんて羽虫みたいなものよ。あなたもそうでしょ?」


「流石にそこまで豪語できません。私などではせいぜい、大きなトカゲ、と言った程度です」


 何だか次元の違う話をしている。常人にはちょっと理解できないレベルでお互いを褒め合うヴィリーさんとロゼさんに、僕は目を丸くするしかない。


 その時だ。突然ロゼさんの眼光が鋭く尖り、攻撃的な視線をヴィリーさんへと突き刺した。途端、部屋の空気が凝固したかのごとく硬くなる。


「――ところで話の流れからして、これから〝神器保有者〟同士で神器の奪い合いがしたいわけではない……と、私は見ているのですが、いかがでしょうか?」


 その瞬間、室内の大気が帯電したかのように緊張した。ロゼさんとヴィリーさんの視線が中空で激突して、火花を散らしたのかと思った。


 背筋に怖気が走って、僕は我知らず生唾を嚥下する。


 ヴィリーさんを刺激しないようギリギリ下限で抑えられてはいるが、ロゼさんの全身から迸るそれは――紛れもなく【殺気】だった。


 ピクッ、とヴィリーさんの長い金色の睫毛が震える。すっと深紅の双眸が細められ、苛烈な光を放つロゼさんの瞳と目線を合わせる。


 しばし、二人は静かに睨み合い――やがて、ヴィリーさんから瞼を閉じた。


「……ええ、そうね。そのつもりよ。出来れば、あなたとは事を荒立てたくないわね。時間もないことだし、その話はまた今度にしましょ。どう?」


 くす、と小さく笑いながらヴィリーさんが提案すると、応じるようにロゼさんから漏れ出ていた剣呑な雰囲気が影を潜める。


「ええ、同感です。では、【件のロムニック・バグリーが〝神器保有者〟であることについて】、話を続けましょう」


「――えっ!?」


 今度はロゼさんから飛び出した爆弾発言に、僕は思わず声を上げてしまった。


 三人どころか、四人目が!? いやそうじゃなくて――あのロムニックが、〝神器保有者〟……!?


 一人だけ声を出してしまった僕に、みんなの視線が集中する。


「何を驚いておる、ラト。この話の流れからして、行き着くところはそこしかあるまい」


 僕の胸に後頭部を預けているハヌが、そのまま振り返ることなく、右手を上げて僕の頬をぷにぷにと突っついた。


「う、うん……言われてみれば、確かにそうなんだけど……」


 いきなりヴィリーさんが〝神器保有者〟と名乗り出たことに驚くあまり、そこまで頭が回らなかった。そうか、『評価外項目』から神器の話を切り出したのだから、確かに結論はそこにしか辿り着くまい。


「えーと、ごめんなさい、アタシちょっとわからないんだけど……」


 と、ここで、フリムがおずおずと挙手した。珍しく、妙に申し訳なさそうな半笑いを浮かべている。


「どうしたのかしら、ミリバーティフリムさん?」


「あ、フリムでいいです。アタシの名前長いんで」


「なら、私のこともヴィリーと呼んでちょうだい。それに、歳も近いのだし、そんなに丁寧な態度をとらなくてもいいわ。この中で一番年下の小竜姫からして、気にしてないのだし」


 ちら、とヴィリーさんが僕の懐に収まっているハヌに、悪戯っぽい一瞥をくれる。


「む……?」


 僕からはハヌの頭の天辺しか見えないが、どうやら今の視線が気に喰わなかったらしい。不満げな唸り声が小さな身体から漏れた。色違いの瞳をジト目にして、唇をへの字にしているのが容易に想像できる。


「じゃあヴィリーさん。話を中断しちゃってごめんなさい。えーっと悪いんだけど、アタシよくわかんないのよね、神器のこと。一応、ロゼさんからいくらかは聞いているんだけど……ソレって、実際どういうものなの?」


「あ、そっか」


 僕は思わず声に出してしまった。そういえば、フリムは神器によって引き起こされる現象をほとんど見たことがない。精々が『開かずの階層』で、ロゼさんがハーキュリーズを再生リサイクルさせた時ぐらいだろうか。でも、あの時のフリムは頭部にダメージがあってフラフラしていたし、何より戦闘の最中だったから、ろくに見てもいられなかったはずだ。


「この間のロゼさんの力? ならチラッと見たんだけど。ほら、ハルトが倒したゲートキーパーを使役していた奴。でも、ちょっと前にハルトが戦ったシグロスって相手も〝神器保有者〟だったわけでしょ? その割には映像で見たそいつは、また違う感じの力を使ってたみたいだし。まぁ、ハルトとの戦いが激しすぎて、映像のほとんどが遠距離から撮ったものだったから、よくわかんないんだけど」


 僕もロゼさんから説明されて、何となくの理解はしているのだけど、実を言うと詳しいことはよくわかっていなかったりする。


 とんでもない力だということだけは、冗談抜きで身に染みて知っているのだけど。


「……そうね、対策を練るには、まずその説明から始めないといけないわね。ロゼさんからは何て聞いているのかしら?」


「確か、これっていう形はないのよね?」


 フリムがアメジスト色の瞳をこちらに向けたので、僕も記憶の抽斗をひっくり返す。


「でも〝SEAL〟にインストールする術式やデータとも違って……いわば概念みたいなものって聞きましたけど……」


「神器を有する者同士ならば感知し合えるが、それは、持たざる者にはさっぱりわからぬ感覚なのであろう?」


 ハヌも参加してきた。フリムが相槌を打つように、


「そうそう。後、それぞれ種類が違うって話も聞いたわね。確かロゼさんの奴が〝超力〟って名前で、シグロスのが〝融合〟――って、あれ? ちょっと待って? っていうか、そのシグロスの神器って今どうなってんのかしら?」


「【ここにあるわよ】。半分だけ、だけれど」


 ヴィリーさんが自身の胸に手を当て、しれっと何てことないような口調で言い放つ。その瞬間、ピクン、とロゼさんが小さく反応したのがわかった。


「……半分だけ、じゃと?」


「それについては長くなるから、また今度にしましょ、小竜姫。とりあえず、必要最低限のことは知っているようね。なら、話は早いわ」


 訝しげに小首を傾げたハヌをさらりと躱し、ヴィリーさんは脱線しかけた話を元の流れに戻した。


「そうね、確かに神器は〝概念〟とも言えるわ。形はなく、目には見えず、〝神器保有者〟以外には存在が感知出来ない……実在を知っている人間以外には、とても曖昧であやふやなものよ。御伽噺や都市伝説として語られるのも無理はないわね。けれど、私の考えはちょっと違うわ」


 ロゼさんの『神器は概念』説を脇に置き、ヴィリーさんは持論を展開し始めた。


「私が思うに、神器は〝特権〟よ」


「……と、特権……?」


 普段あまり耳にしない単語を、僕はオウム返しにする。ヴィリーさんは首肯して、


「ええ、この世界に対する〝特権〟――常人には不可能な、世界への干渉を可能とする、限定的な管理者権限のようなものだと私は考えているわ。例えば、私の神器〝実在〟は『実在性を与える』権限ね。炎に質量を与えたり、それこそ概念そのものを形にしたり、言霊を物質に変換したり……そういったことが可能になるわ」


 この説明を受けて、ロゼさんが自身の神器について語り出した。


「だとすれば、私の神器〝超力〟は『限界を超える』権限と言えるでしょう。万物のランクをグレードアップさせる――例えば、支援術式の強化係数の上限を取り払う、術式の威力を上昇させるといった、増幅器ブースターのようなものです。この世界にある、ありとあらゆる限界値を突破することが可能となります」


 これはまさしくその通りで、実際ハーキュリーズを使役しているのも、ロゼさんの神器がなければ不可能なことなのだ。あれは〈リサイクル〉の術式に、さらに神器の力を流用した術式〈オーバードライブ〉を付与することによって、本来なら『ゲートキーパー級を使役することは出来ない』という限界を突破しているのである。


「さらに言えば、シグロスが使用していた神器〝融合〟は、その名の通り『あらゆるものを融合させる』権限です。無機物、有機物と限らず自身の体内へ取り込んだり、物質同士を融合させることが可能となります。さらに言えば『術式と術式を融合させる』という離れ業まで、彼はやってのけました」


 その話を聞いて、僕は記憶野を刺激される。そういえば、あの〈コープスリサイクル〉がそうだったはずだ。シグロスは本来なら一つの術式として完成するはずだった〈コープスリサイクル〉を、龍脈からエネルギーを吸い出す付与術式〈ジオアブソーブ〉と神器の力で融合させ、無理やり完成型へと持っていったという。


「この〝特権〟は、伝承によると全部で十二個あると言われているわ。つまり、一つ一つ属性の違う権限が十二種類。神器を全て集まればどんな願いも叶う――なんて御伽噺があるけれど、確かにこれらの〝特権〟を全て集めれば……およそ、願いという願いは叶ってしまうでしょうね。まだ未確認だけれど、中には『時間を操作する』権限の神器まであると言われているわ。神器という名前は、決して伊達ではないの。全ての神器を集めた人間は、間違いなく神――この世界の何もかもを操れる、〝アドミニストレーター〟になれるのよ」


 ほう、とか、へぇぇ、とか、おぉ、と言った驚歎の声がハヌやフリム、僕の喉から生まれる。神器がとにかくものすごいものであることは知っていたけれど、正直、想像以上のものだった。これまで見てきた神器が、主に戦闘にしか使われていなかったから、というのもあるだろうけど。


 あまりのスケールに呆然として、ふと沈黙が下りる。それを破ったのは、僕の膝上に乗っかっている女の子だった。


「……左様なものを、ラトの決闘相手が持っておると言ったな、ヴィリー?」


「ええ、そうよ。ロムニック・バグリー……彼が〝神器保有者〟なのは間違いないわ。そこは確認したもの。ただ……」


「ただ……何じゃ?」


 言葉尻を濁したヴィリーさんに、ハヌはすかさず問いを重ねる。ヴィリーさんは視線をテーブルに落とし、悔しそうに、かつ申し訳なさそうにこう言った。


「……相手の神器の詳細まではわからなかったの。力の反応もしばらく気付かないほど微弱で、人も多かったから、最初は誰が発信源なのかもわからなかったぐらいよ。私が神器を強く励起させてカマをかけた時、もしロムニックが反応しなかったら、彼が〝神器保有者〟であることを確定させることすらできなかったわ。だから彼がどのように神器を使って、何をしていたのか……どんな属性を持つ神器を有しているのか、肝心なところが不明なの」


 なるほど、と僕は声もなく納得する。あの時のヴィリーさんの台詞「あなた今、【私に気付いた】わね?」はそういうことだったのか、と。そして、だからこそロムニックもあんなに怯えていたのだ。まさか、剣嬢と名高いヴィリーさんが、まさか自分と同じ〝神器保有者〟だとは彼も思わなかったのだろう。


「――ってことは、何? ハルトは正体不明の神器を持った、しかもそれを考慮に入れると推定総合評価AないしはSランクの相手と、決闘しなくちゃならないってこと……?」


「ええ、そうなります。しかも、〝SEAL〟が麻痺した状態で……」


 フリムの疑問に、ロゼさんが端然と答えた。


 僕は一人、無言で顔を蒼白に染める。僕の総合評価はDランク。相手はAかSランク。まさしく天と地ほどの差がある。もし僕の〝SEAL〟が万全で、マルチタスクスキルを使えたとしても、どうなるかわからない実力差だ。なのに決闘当日まで、その肝心要のマルチタスクが使えるかどうかわからない状態ときた。


 結構……いや、かなり絶望的な状況と言えるだろう。


 不意に、場の雰囲気が急激に重くなる。


 二人の言葉に、ヴィリーさんもまた目を伏せ、今度こそ深い溜息を吐いた。


「……誤算だったわ。まさか、このタイミングでラグ君の〝SEAL〟に不調が出るなんて……ごめんなさい、私の判断ミスだわ……」


「えっ!? そ、そんな……そんなことはありませんっ!」


 心の底から申し訳なさそうに謝罪したヴィリーさんに、僕は思わず声を高めてしまった。


「け、決闘を受けたのは僕の意思です! ヴィリーさんのミスなんかじゃありません!」


 けれど、ヴィリーさんは首を横に振って、


「いいえ、それを止めるどころか、さらに煽ったのは私よ。それに、状況からしてラグ君の〝SEAL〟にとどめの負荷をかけさせたのも私だわ。あの時、私が無理をお願いしていなければ、もしかしたら……」


「ち、違いますっ、ぼ、僕の〝SEAL〟はちょっと前から調子が悪くて――だ、だからヴィリーさんは悪くなくて、ですからそのっ……」


「――ええい、まどろっこしいの!」


 突然、僕の懐のハヌが大声を上げてソファの上で立ち上がろうとした。が、勢いがありすぎたのと、僕の顔が直上にあった為、こちらの顎と銀髪のつむじとが、ごっ、と激突してしまう。


「おぬしらは何を――いっ!?」


「だっ!?」


 僕とハヌは同時に苦痛の呻きを漏らす。


「「――~っ……!?」」


 僕は顎を、ハヌは頭を抱えて激痛を堪える。


「――す、すまぬラト、大丈夫かの?」


「う、うん、なんとか……ハ、ハヌこそ大丈夫?」


 ハヌが振り返りちっちゃな掌で僕の顎を、僕はハヌの頭の天辺を、お互いに涙目でさすさすと撫で擦り合う。いきなりのことでも舌を噛まずに済んだのが不幸中の幸いだった。


 ひとしきり互いの痛むところを撫で合うと、ハヌは今度こそ僕の膝を踏まないようソファの上に立ち、声を挙げる。


「先刻からおぬしらは何をぐずぐずと抜かしておる! 決まったものを後から悔いても無駄であろうが! 頭を回すのならばもっと意味のあることを考えぬか!」


 懐から正天霊符の扇子型リモコンを取り出し、ビシッ、と先端をヴィリーさんに突き付ける。


「そのロムニックとかいう輩は元よりそこそこ強く、さらには得体の知れぬ神器を持ち、ラトの〝SEAL〟はしばらく動かぬ! この条件でラトが勝つには何が必要か! まず真っ先に考えるべきはそこじゃ! 後悔なんぞ、それこそ全てが終わってからにせよ! ばかものが!」


 雷鳴のごときハヌの大喝に、ビリビリと室内の空気が震えた。


 ぐるり、とハヌが振り返り、僕の眼前に扇子型リモコンを向ける。


「ラト! おぬしはその男を絶対に許さぬのであろう! 後悔させてやるのであろう!」


「は、はいっ!?」


 ズビシ、と突き刺さるハヌの舌鋒に、僕はほとんど脊髄反射で返事していた。彼女は更に激しく、


「そこに、誰が元凶で誰に責任があるかなんぞが関係あるのか!」


「な、ないと思います!」


「ならば何とする!」


「か、勝ちます! と、とにかく頑張って勝ちます!」


「よかろう! その意気じゃ!」


 畳み掛けるように僕を激励すると、再びヴィリーさんの方へ向き直り、閉じた状態の扇子を突き付ける。


「そういうわけじゃヴィリー! 誰が原因で誰が悪いかなどは今は捨て置け! どうせ一番悪いのはそのロムニックとかいう輩とその取り巻き共じゃ! そも時間がないと言うたのはおぬしであろう! さっさと話を次へ進めぬか!」


 そこまで一気に言いたいことだけ言い切ると、ふん! という感じでハヌは再び僕の膝上に腰を下ろした。


 しばしの沈黙。


 やがて、僕以外の女性陣が――ロゼさんだけほとんどわからないぐらいのレベルで――肩を上下に揺らし始めた。皆、くつくつと喉を鳴らすように笑っているのである。


「――そうね、小竜姫。あなたの言う通りだわ。今はそれどころじゃなかったわね。ありがとう、そうさせてもらうわ」


 大人の余裕、という奴であろうか。それとも、トップエクスプローラーとしての矜持だろうか。ヴィリーさんは怒るどころか、楽しそうに笑ってハヌにお礼を言った。


「今ので、なんでアンタとハルトが友達になれたのかがわかった気がするわ」


 にゃは、とフリムが笑い、


「いつものことですが、体の大きさからは想像できない豪放磊落さですね、小竜姫は」


 ロゼさんも心なしか弾んだ口調で、ハヌをそう評する。


 ハヌの一喝のおかげで、重く沈みかけた雰囲気が一気に吹き飛んでしまった。ある意味、相変わらずのことではあるけれど。ここにヴィリーさんがいるせいか、初めて出会った頃、ニエベスに猛然と食って掛かった時のことを思い出してしまった。


「それでは、最悪の事態を想定して、出来る限りの対策を立てましょう。絶望するためではなく、希望を持つために」


 少しだけ、ほんの少しだけ唇の端を吊り上げているように見えるロゼさんが、続けて提言した。


「相手の神器の属性がわからないことはともかくとして、まず想定されるラグさんにとって最悪の状態は、決闘の時までに〝SEAL〟が回復しないことですね」


「あ、ごめん。それについてはアタシからも一言」


 ひょい、とまたしてもフリムが手を挙げた。即席ポニーテールを揺らす自称僕のお姉ちゃんはアメジスト色の視線と、人差し指をこちらへ向けた。


「今、ハルトの〝SEAL〟は使えないのよね? 励起できないのよね? ……じゃあ、武装もストレージから取り出せないんじゃない?」


「あ……!」


 その指摘に、僕は再び顔から血の気が引いていく感覚を味わった。


 そうだった。どうして今まで気付かなかったのか。借り物の〝人工SEAL〟では僕本来の〝SEAL〟のストレージにアクセスして中身を確認するところまでは出来ても、それを再物質化するのは不可能なのだ。


「つまり、どういうことじゃ?」


 要領を得ないハヌがフリムに聞き返す。フリムは、ふぅ、と疲れたような吐息と共に、肩を竦めた。


「……この間、せっかくチューンナップしたばっかりの黒玄と白虎が使えないってこと。つまり、唯一勝てるかもしれなかった武器のランクでも、ハルトは優位に立てないかもしれないのよ」


 このような状況を、八方塞がりとか、四面楚歌と言うのだろう。僕は運命の魔女を怒らせるような真似でもしてしまったのだろうか。それとも蛇蝎のごとく嫌われているのだろうか。ことごとく、僕にとって不利なことばかりが積み重なっていくようだった。


「一応、決闘当日までにはそれなりのものは用意出来ると思うけど、流石にあの二本と同レベルのは無理よ。防具に関しては、ハルトが普段から着ていたから良かったけど。その点は不幸中の幸いってところね」


 そう。フリムがリメイクしてくれた戦闘ジャケット〝アキレウス〟は今も着用しているので、黒玄や白虎と違って取り出せない事態だけは避けられていた。本当に、微妙すぎる幸いではあるけれど。


「ということは最悪の場合、支援術式なし、攻撃術式なし、武器は普通という、ほとんどラグ君の身一つで戦わなければならないということね……」


 ヴィリーさんが呟くように総括してくれたけど、うわぁ大変だなぁそのラグ君って人は、なんて他人事みたいな思考を頭の片隅でしてしまう。


 勿論、僕の〝SEAL〟さえ回復すれば、これらの不利はどうにか覆せるのだけど――


「仕方ないわね。ここまでくると、出来ることもさほど多くはないわ。やるべきことをリストアップして、とにかくそれをやっていきましょう」


 そうして始まる、対策会議。


 話自体は大して長くならなかった。ヴィリーさんが言った通り、現状で打てる手なんて限られ過ぎているからだ。アイディアはあっという間に出尽くして、すぐにそれらをどう実行していくかという段取りに入った。


 頼もしいことに、僕はほとんど意見を出す必要がなかった。というのも、ハヌもロゼさんも、フリムもヴィリーさんも、まるで長年の親友みたいな精度で話を合わせて、建設的に対策を立てていってくれたからである。無論、途中で意見が衝突することもあったけど、誰も自分の考えをゴリ押しせようとせず、すぐ妥協点を探してくれたから、喧嘩になることもなかった。主に、なし崩し的に議長になってくれたヴィリーさんの態度が、実に節度あるものだったのが要因かもしれない。


「――決まったわね」


 最後にヴィリーさんが皆の意見を集約して、ロムニックとの決闘の対策が決定された。


 果たしてその内容とは――むしろ僕が生きて決闘の場に立てるかどうかが怪しまれるほどの、過密なハードスケジュールであった。






 ロムニックの過去の決闘の記録を精査すると、彼が持っているであろう神器の性質がある程度は推察できる。


「彼の戦いぶりは、決して派手なものではありません。むしろ、正統派かつ王道的のものです。映像を見る限りでは、彼は達人級の戦闘技術を持っていると言っても過言ではないでしょう。――もし神器を持っていなければ、の話ですが」


 僕と向かい合って立つロゼさんは、隙のない構えを取りながら、ロムニックをそう評した。


「彼の基本スタイルを一言で言うならば、『後の先』――即ち、敵の動きに応じて先を取る戦い方です。相手より後に動き出すにも関わらず、いざ間合いに入った時には先に攻撃する、もしくは有利な位置をとる。それが『後の先』です」


 僕は脳裏に、ヴィリーさんが収集してくれた映像を思い出す。確かにこれまでの決闘におけるロムニックは、相手の攻撃を誘い、その出足を叩くという戦法を得意としているようだった。


「ですが、気になるのは、時折『先々の先』を取っているように見える点です」


「せ、せんせんの、せん……?」


 聞き慣れない言葉を、思わずそのままオウム返しにしてしまう。『後の先』や『先の先』は師匠から聞いたことがあるけど、『先々の先』というのは初耳だ。


「『先の先』が迅速な先制攻撃、『後の先』が反応速度によるカウンターだとすると、『先々の先』は【先読み】による最速の戦法です」


 ロゼさん曰く、『先の先』と『先々の先』は似て非なるものだという。


「『先の先』がとにかく速度まかせに攻撃を仕掛けるのに対し、『先々の先』は、相手がどう動くかを先読みした上で、一番効果的な攻撃を繰り出します。相手が動き出してから、その僅かな動作や重心の位置を見て対応する『後の先』と違い、まずもって【相手が動く前】からその行動を予測して、機先を制するのが『先々の先』なのです。わかりますか?」


「は、はい」


 理屈の上ではわかる。『先の先』や『後の先』より、『先々の先』が途轍もなく難しい、超絶技巧であることも。


「こうして聞けば非常に高度な技術かと思われるかもしれませんが、実を言いますと、これは戦闘行動がパターン化されているSBであれば、比較的容易な戦法だったりします。単純なアルゴリズムで動くSBは、次の動作が容易に予測できます。エクスプローラーの誰もが、少なからずSB相手には実践していることでしょう。しかし、人間が相手となれば話は別です」


 冷静かつ淡々と話していたロゼさんの声が、不意に恐ろしげに低まった気がしたのは、僕の気のせいだろうか。


「単調なSBと違い、人間の動きは複雑で、個々人で傾向が異なります。そう易々と先読みできるものではありません。無論、戦いの最中、逃げ道を塞いで相手の動きを誘導することは可能ですが、それだけでは『先々の先』をとったとは言えません。ですが、少なくとも映像記録のロムニックは、これをかなりの頻度で行っているように見えます」


 そういえば、映像の中でいくつかおかしなシーンがあった。時々、ロムニックが繰り出した攻撃を、決闘相手が全く反応できずに直撃を喰らってしまうのだ。まるでロムニックの動きが見えていないのか、あるいは――


「『先々の先』をとられた相手は虚を突かれます。なにせ、何もしていないのに、一番来て欲しくない死角へ攻撃が来るのですから。この場合の死角とは、目における死角であると同時に、【意識の死角】とも言えます。ここを突かれると、まるで予定調和のごとく直撃を受けてしまうのです」


 そう聞いて思い出すのは、今も背後から僕とロゼさんの組み手を見守っているであろう、アシュリーさんの剣舞だ。SBの方から曲刀ショーテルの走る軌道へ飛び込んでいくかのような、不思議な剣閃。あれこそまさに、ロゼさんが先程言ったSB相手への『先々の先』、その極致だろう。


「まずはラグさんに『先の先』、『後の先』、『先々の先』をそれぞれ体験してもらいましょうか」


 静かな声で告げた瞬間だった。


「え?」


 と声をこぼした瞬間にはロゼさんの姿が旋風と化していた。


 ふわふわしたアッシュグレイの長い髪と藍色の戦闘ドレスが霞み、急接近する。


 ビュフォッ! と風切り音が聞こえた頃には時既に遅く、僕の顎先でロゼさんの握り拳がピタリと動きを止めていた。風圧で僕の前髪が浮かび上がる。


「……!」


「これが『先の先』です」


 平然と静止状態からトップスピードへ加速し、そして唐突に静止するという絶技を見せたロゼさんは、静かに言いながら拳を引いた。


「私の動きは見えましたか?」


「は、はい、どうにか……」


 彼我の距離は五メルトルは離れていたはずだ。それを、ほんの一瞬で殺されてしまった。あまり集中していなかったとはいえ、見えていたはずなのに全く反応できなかった。


「見えてみても反応できない、もしくは間に合わない。それが『先の先』です。では、次は『後の先』です。ラグさん、このまま私を攻撃してください」


 詰めた間合いを離すことなく、ロゼさんはその場で構え直した。


「あなたの動きに応じて、私が先んじます。いつものように遠慮は無用です。どうぞ」


「は、はい……!」


 僕も構えていた両手両足に力を籠め直し、本格的に戦闘態勢をとった。途端、ピンと張り詰めるような緊張感が全身を駆け巡る。ピリピリと肌が粟立つ感覚。一気に戦意が昂揚して、集中力が高まった。


 視線を巡らせロゼさんの隙を探る。この距離から一挙で届くとすれば――


 右、左と拳を打ち出して、防御させる。そこですかさず身を低め、足払い。


 そのイメージを固めて実行に移そうとした刹那だった


「――ッ!?」


 右肩に力を込めたと思った矢先にロゼさんが動いた。放たれた矢のごときジャブが瞬く間に眼前まで迫って視界を遮り、僕の鼻先でピタリと止まる。


「……!?」


 心を読まれたようなタイミングに、我知らず息を呑む。


「これが『後の先』です。今、ラグさんは前に出ようとしましたね? 重心の移動でわかりました。そして」


 ロゼさんの声を聞きながら、無意識のうちに僕はどうやら後ろへ下がろうとしてしまったらしい。


「あっ……!?」


 右踵に重石のようなものが引っかかり、さらには膝の裏を何か棒のようなもので突かれたような感触があった。堪らずバランスを崩し、僕は為す術もなく白亜の床に尻餅をつく。何かと思えばそれは、股の内側から絡めるように差し込まれたロゼさんの脚だった。


 図らずして下から見上げる形になった僕を、ロゼさんが琥珀色の瞳で見下ろしている。


「これが『先々の先』――のようなものです。視界を塞げば、あなたは自然と後退すると踏み、先んじて足を置いておきました。これは誘導したようなもので、微妙に『先々の先』とは違いますが、つまりはこういうことです。相手の動きから予測するのではなく、膨大な経験則や敵の心理状態の読み取り、もしくは超感覚によるほとんど予知に近い直感や、神器のような特殊能力によって未来を読み、そこに攻撃を加えるのです。わかりますか?」


「は、はい……」


 ロゼさんが手を差し伸べてくれたので、それを掴んで立ち上がる。すると、背後から二人分の拍手が聞こえてきた。振り向くと、横に並んで立つヴィリーさんとアシュリーさんが手を打ち鳴らしている。


「見事だわ、ロゼさん。初歩的な動きと言っても、流れるような動作からとても洗練されたものを感じるわ。うちのジェクト――ナイツのメンバーであなたと同じ格闘士ピュージリストなのだけど、彼にも見習わせたいぐらいよ」


「ベオウルフから、私以外からも教練を受けているとは聞いていましたが……あなたほどの達人に指導されていたとは思いませんでした。道理で彼が、日に日に私が教えた以上の成長をするはずです」


 ヴィリーさんは煌めくような上機嫌で、アシュリーさんは少々不服そうな雰囲気を纏って、めいめいロゼさんを褒めそやす。


「恐縮です」


 無感動的に短く言って、ロゼさんは軽く頭を下げた。どことなく妙に距離を置いた対応のように見えるけれど、これがロゼさんのデフォルトである。特に他意がないことは、既にヴィリーさんとアシュリーさんには伝え済みだ。


 さて、そろそろこの辺りで、僕らが現在どこにいるのかを説明しよう。


 壁も床も天井さえも真っ白な空間。広さは、大体バスケットコート一面分ぐらい。この時点でおおよその予想を立てていると思うけれど、おそらくそれで正解だ。


 ここはルナティック・バベル第二階層。その一角にある、無人のルームである。


 ルナティック・バベルの一階層と二階層は、大昔にセキュリティ設定が変更されていて、SBがポップしないようになっている。そのせいか、解放されたままのルームの一部を使って、何らかのイベントや集会が催されたりすることが稀にある。今の僕達もそれと似たようなもので、誰にも見つからない、邪魔されない、広い空間が確保できる――といった条件から、このルームを勝手に使わせてもらっていた。


 まぁ、勝手に、と言ってもこの空間は誰のものでもない――なにせ遺跡内に法律はない――のだから、何ら悪いことではないのだけど。


 ちなみにこれは余談だが、以前、家を持たない人が遺跡の空きルームを自分の住み処にすることが流行ったらしい。ある意味、エクスプローラーらしい発想と言えば発想なのだけど、さっきも言った通り遺跡の内部には法律がないし、警察機構もない。それ故、凶悪なエクスプローラーが空き巣をしたり、人が住んでいるルームに集団で乗り込んで強盗殺人をしたり、中に誰かがいるとわかっていながら攻撃術式を撃ち込んだりと、ひどい事件が頻繁に起こるようになって、次第に遺跡に住もうとする人は淘汰されていった。少し考えればわかりそうな帰結なのだけど、当時は誰もそう思わなかったらしい。


 そんな空間で何をしているのかと言えば、見ての通り『特訓』である。しかも、ロゼさん、ヴィリーさん、アシュリーさんの女傑三人がかりの、徹底的な。ただ、アシュリーさん一人が不満そうにしているのは、彼女にとってこれが寝耳に水だったからに違いない。


 さもありなん。なにせ、アシュリーさんは僕への剣術指南の件を、ヴィリーさんに秘密にしていたのだから。


 昨晩のことだ。僕達の拠点で行われた決闘対策会議において、流れるかのごとくスムーズに僕の強化計画が立てられた際、何だか嫌な予感がした僕は適当な理由で席を立ち、裏でこっそりアシュリーさんに連絡をとった。すると、前述の通り〝SEAL〟の通話越しに滅茶苦茶怒られてしまったのである。


『私が言えた義理ではないことは重々承知していますが、しかし、どうしてあなたはいつもそう妙な騒動にばかり巻き込まれるのですか……!』


 通話アイコンの向こうで、顔を両手で覆って崩れ落ちるアシュリーさんの姿が目に浮かぶようだった。


 どうしてと言われても、自分では皆目見当がつかない。思い返してみれば、大抵のトラブルは向こうからやって来ている気がする。記憶を遡れば、やはり僕の人生の転機はハヌとの出会いだったように思える。まぁ、僕の運が良いのか悪いのかは、見方によるとは思うけれど。


 拍手の手を止め、凛と表情を引き締めたヴィリーさんがロゼさんのを話を簡潔にまとめる。


「つまり、ロゼさんはこう言いたいわけね? 初対面の敵を相手に『先々の先』をとるのは至難。故に、それは神器の力に依るものではないか――と」


「はい。ただその力の正体が、未来予知なのか、読心術なのか、あるいは私の〝超力〟のような『技術を向上させる』力なのか、もしくは『感覚を鋭くさせる』といったものなのか、これと確定することは出来ないのですが」


 首肯したロゼさんが、しれっと恐ろしい能力の候補勢を並べ立てる。どれが正解だったとしても、とんでもない脅威であることには間違いない。


「ロルトリンゼさんには、何か打開案はあるのでしょうか?」


 アシュリーさんにしては珍しく、遠慮がちに質問を放った。いや、違う、きっとこっちのアシュリーさんが通常モードなのだろう。僕がよく怒られるようなことをしでかすから、彼女はいつもキツい態度になってしまうのだ。


 アシュリーさんの問いに、ロゼさんは静かに首を横に振る。


「打開案、と呼べるほど確たるものはありません」


 淡々とした口調で言われた台詞に、僕の中の不安が少し膨張する。だけど。


「ですが、明るい材料ならあります。それは、ラグさんの超人的な集中力です」


「え?」


 琥珀色の視線がいきなりこっちを向いたので、ちょっと吃驚してしまう。


「対策として有効なものはこれといって思いつきませんが、誤解を恐れずに言えば、戦闘は原則〝先手必勝〟です。要は【こちらも同じことが出来ればいい】わけです」


 ロゼさんは確信めいた声音で言うけれど、よく聞くとかなり無茶を言っていることに気付く。


「お、同じこと……?」


 呆気にとられてしまった僕は、小首を傾げて聞き返す。


 ロゼさんは当然とばかりに頷き、


「ラグさんには〝アブソリュート・スクエア〟――即ち、身体強化係数一〇二四倍の状態でも肉体の操作を誤らないという、驚異的な集中力があります」


「いわゆる『ゾーン』というものね」


「はい。一セカドを千分割するその集中力があれば、間違いなく『後の先』はとれますし、限りなく『先々の先』に近いタイミングで機先を制することも出来るはずです」


 ゾーン――究極の集中状態を意味する単語を出したヴィリーさんに、ロゼさんは端然と点頭する。


「戦闘でもスポーツでもそうですが、まず普通の集中状態『フロー』があります。これは一意専心、雑念を挟むことなく高い集中を保っている状態です。ここからさらに集中力を高め、時間の流れすら遅く感じるほどの極限状態を『ゾーン』と呼びます。ラグさんの場合は、この『ゾーン』の深さと持続時間が常人離れしているのだと思われます」


「…………」


 こうして聞いていると、まるで他人事のように思えてきてつい、うわぁすごいなぁそのラグさんって人、などと考えてしまう。いやいや、現実逃避している場合じゃないだろ、僕。


「確認したいのですが、ベオウルフ。あなたは自分の意志で『ゾーン』へ入ることは出来ますか?」


 瑠璃色の眼光鋭く、アシュリーさんが聞いてくる。来るとわかっていた質問だけど、しかし――


「――わ、わかりません……」


 据わりの悪い気持ちで肩を竦めて、僕は小さな声で答えた。というのも、


「えっと、その、戦闘中にこう、スイッチが入る感覚があると言いますか……僕の中の戦闘モードみたいなのがあって、それが入った時はほとんど無意識に体が動いてて……ですから、その『ゾーン』とか意識したことがなくて……」


「いえ、それで構わないのですよ、ベオウルフ」


「えっ?」


 またぞろ『全くあなたという人は……』と怒られるかと思いきや、意外にも――なんて言ったら失礼になるけど――アシュリーさんは優しく僕の言葉を肯定してくれた。


「真に集中状態にある人間は、自分は今集中している、などと考えもしません。むしろ、そんな思考はノイズでしかないのですから。睡眠中に夢を見ているようなものです。余計なことを考えた瞬間に、せっかくの集中状態が醒めてしまいます」


「な、なるほど」


 わかる気がする。僕は、うんうん、と何度も首を縦に振った。


「ですが」


 ずん、とアシュリーさんの声が低くなった。喉元にナイフの切っ先を突き付けられたみたいに、ドキッとしてしまう。


「それを自分自身でコントロールできないのなら、宝の持ち腐れもいいところです。自分の意志で集中状態に入れないのはともかく、まさかとは思いますが……【支援術式を発動しなければ集中できない】――なんてことはないでしょうね?」


「ぎくっ」


「――今、何と言いました?」


「あ、わっ、い、いえそのあのっ!?」


 しまった、思わず声に出してしまった。目を細めて疑惑の視線を射込んでくるアシュリーさんに、僕はあわあわわと手を振って誤魔化そうとする。が、勿論そんな付け焼刃が通用するはずもなく。


「……まさか、図星なのですか?」


「……………………はい……」


 ズバリ言い当てられ、僕は長い沈黙の挙句に降参し、項垂れるようにして頷いた。そのまま、手持無沙汰の両手を適当に弄ばせつつ、上目遣いで、


「あの……多分、出来なくはないとは思うんですが……いつも支援術式の重ね掛けに合わせて感覚を調整しているので、それが癖というか、自然と術式の発動がトリガーになっている的な……」


 実際、ヴィリーさんとスポーツチャンバラで打ち合った時もそうだった。支援術式による身体強化がない状態だと、どれだけ集中しようとしても〝アブソリュート・スクエア〟の際に出るレベルにまでは到達できなかったのだ。しかし、その後ヴィリーさんの提案によって支援術式を使い始めてからは、強化係数が上がれば上がるほど感覚は研ぎ澄まされていって、最終的には百倍以上の強化係数にすんなりと適応していた。


「つまり、〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉の発動そのものが、ラグさんのルーティンになっているわけですね」


「は、はい」


 僕の言い訳にもならない弁解を、ロゼさんがわかりやすく一言で表してくれた。


 僕は、ちら、とアシュリーさんの方へ視線を滑らせる。すると、そこには不満そうにきつく眉根を寄せた赤金色のシニヨンの少女がいた。殺意すら籠っていそうな瑠璃色の睨みに、ひぃ、と声にならない悲鳴を呑みこんだ。


 が、しかし。


 全身を強張らせていた力を抜いて、ふぅ、とアシュリーさんが嘆息した。


「……いえ、確かに合理的ではありますね。私があなたなら、同じように支援術式の発動をルーティンにしていたかもしれません。ですが……」


「残念だけど、今回はそれが裏目に出る形ね。普通、エクスプロールで術式の使用が制限されるだなんてこと、ほとんどないのだもの」


 怖い顔をしていたのは真剣に考えてくれていたかららしいアシュリーさんの言葉を、ヴィリーさんが継いだ。


「けれど、この間の〝術力制限フィールド〟のように、そういった状況に追い込まれることがないわけではないわ。これもいい機会よ。ラグ君、あなたは支援術式発動のトリガーなしでも『ゾーン』に入れるようになるべきだわ。でしょ、ロゼさん?」


「はい。まさに私も、それと同じことを提案しようと思っていました」


 ヴィリーさんの確認をロゼさんが肯定した。ということは、


「つ、つまり……いつでもどこでも、〝アブソリュート・スクエア〟状態並の集中力が発揮できるように――ってことですか?」


 僕の要約に、三人はほぼ同時に首肯した。


「そうです」「そうよ」「それ以外に何があるというのですか」


 特にアシュリーさんの刺々しい物言いがダイレクトに突き刺さる。


「流石に、ルーティンもトリガーも無しで、とまでは言わないわ。術式発動に代わる新しいものを作ればいいのよ。もっとやりやすくて、状況によって制限されないようなものをね。そうだわ、いざという時のために複数用意しておくのがいいかもしれないわね」


「それだけではありません。いくら自由に『ゾーン』に入れるようになっても、敵にラグさんの攻撃が届かなければ意味はありません。この短期間では身体能力の向上が見込めませんから、技術の向上によるスピードアップを目指しましょう。無駄な動きを削り、洗練させ、正しい姿勢をとればそれだけで速度は上がります」


「格闘技についてはロルトリンゼさんにお任せしましょう。私とヴィクトリア団長は剣技を指導します。剣と無手、双方の良いところを合わせれば、効率的かつ効果的な技術の向上が見込めるはずです」


 とんとん拍子で畳み掛けるように『僕のやるべきこと』が積み重ねられていく。しかも、僕の意思をほぼ無視した状態で。


 いや、勿論わかっているとも。ロゼさんもヴィリーさんもアシュリーさんも、僕のことを思ってのことなのだ。来るべき決闘において、僕の勝利を望むからこそ、心を鬼に……


「格闘技と剣技の融合……いいわね、それ。ラグ君ほどの素質なら、私達には思いも寄らないものが出来上がるかもしれないわ。その線で行くわよ、アシュリー、ロゼさん」


「では、まずはどこから始めましょうか?」


「いえ、ヴィクトリア団長、ロルトリンゼさん。どう考えても時間が足りません。【全て同時に並行して】やっていくべきです」


 こ、心を鬼に……


「全部一緒に? それは流石にラグ君の負担が大きすぎるんじゃないかしら?」


「いえ、大丈夫のはずです。今すぐ計算しますのでしばしお待ちください」


「レオンカバルロさん。ラグさんの【純然たる基礎】は回復力にも関係していて、特に疲労回復の速度は目を見張るものがあります。そこの計算はもっと厳しく攻めても大丈夫かと」


「そうなのですか。助かります、ロルトリンゼさん」


「いいえ。あと、もしよろしければ私のことはロゼとお呼びください。クラスタの皆からはそう呼ばれております」


「これはご丁寧に。わかりました。それでは私のこともアシュリーとお呼びください。今度の合同エクスプロールの際もどうかよろしくお願いします――と、このような計算はどうでしょうか、ロゼさん」


「ええ、いい感じにギリギリですね、アシュリーさん」


 鬼に……いや、あ、悪魔にして……?


『ラトよ、聞こえるか?』


『ハ、ハヌ? どうしたの?』


 突然、〝人工SEAL〟を介して繋いでいるルーターから、ハヌの声が届いた。僕一人を対象に絞ったプライベート通信である。


『話はルーター越しに聞かせてもらったぞ』


 ハヌは現在、このルームの外、出入り口付近にいる。誰も来ないとは思うけれど、念のため見張りに立ってくれているのだ。ちなみにフリムは決闘用に出来るだけ精度の高い武器を用意するため、レンタル工房に缶詰めになってくれている。


『なかなか険しい訓練になりそうじゃの?』


『そ、そうだね、みんな凄い気合いだから……でも僕、ちゃんとやれるかな……』


 念話でハヌと話していると、つい他の人の前では出せない弱音がするりと出た。


 くふ、と通信越しにハヌが笑う。


『案ずるでない、おぬしはラトじゃ。この妾の唯一無二の親友じゃ。おぬしならば必ず、どのような試練だろうと乗り越えてみせるじゃろう。妾が太鼓判を押してやるぞ』


『か、過大評価しすぎだよ、ハヌ。僕はそんな……』


『そうか? ならば、何故に妾以外の者までおぬしに期待しておるのじゃろうな?』


『期待……? 僕に?』


『然様。妾だけが言うのであれば、確かに親友としての贔屓目もあるやもしれぬ。じゃがの、仲間でもないヴィリーやその配下のアシュリーとやらまでもが、おぬしに成長の見込みありと見ておるのじゃ。ほれ、今の話がまさにそうだったじゃろう。見込みがあるからこその厳しい訓練なのではないか? これが期待していると言わず、何と言うのじゃ?』


『あ……』


 ハヌの言葉が、すとん、と胃の腑に落ちた。途端、目の前で、ああでもないこうでもない、と議論を重ねているロゼさん、ヴィリーさん、アシュリーさんに、これまで以上の感謝の気持ちが溢れてくる。


 ――期待……してくれてるんだ……〝ぼっちハンサー〟だなんて呼ばれていた、この僕に……!


『無論おぬしに一番期待を寄せておるのは、他でもないこの妾じゃがな。――それでの、ラト。実は妾にもちと腹案があってな、それを試したいのじゃが……よいか?』


『え、ふ、腹案? それって、僕の特訓の?』


『うむ。妾もラトの力になりたくての』


 ハヌにこんな嬉しいことを言われて、僕が喜ばないわけがない。


『ほ、ほんとっ? や、やるよ! やるやる! ハヌの考えてくれた特訓メニューなら、何だって僕絶対頑張るよ!』


『そうかそうか、それは重畳じゃ! では、また後での。見張りを交代した時に詳しいことを話すからの!』


『うん、ありがとう! じゃあまた後で!』


 そこでハヌとのプライベート通信は終わった。すると、まるでタイミングを見越していたかのように、議論の輪から離れたヴィリーさんが歩み寄ってきた。


「ラグ君、時間がもったいないわ。細かいところはあの二人に任せて、私達はとりあえず組み手を始めるわよ。まず最初の課題は〝支援術式の発動なしで『ゾーン』に入る〟からね」


 すらり、と訓練用の刃を潰した剣をストレージから取り出したヴィリーさんは、にっこり、と女神様みたいな顔で微笑んだ。


「いきなりだけど、【どれだけ追い詰められると集中状態に入れるか】を見たいから、最初は自由に打ち合いましょ。行くわよ」


 僕の返事を聞くことなく、普段のエクスプロールで纏う戦闘装備のヴィリーさんは、さっと剣を構えた。あ、多分これ、問答無用で突っ込んでくるやつだ。


「は――はいっ!」


 僕も慌てて、両手に訓練用の双剣を具現化し、構えた。これは先日、『開かずの階層』の仮想空間で砕けてしまった祖父形見の柳葉刀を復元したものである。しかしフリム曰く『ダメね、これはもう武器としては〝死んじゃってる〟わ』とのことで、粉々だったのをどうにか元の形へと復元してくれたけど、エクスプロール本番で使用するのは禁止されていた。それを今回の特訓に再利用できるよう、刃を潰して持ってきたのだ。


「じゃあ徐々にギアを上げていくから、厳しくなってきたら言ってちょうだい」


 と言っても手加減はしないけれど、という言葉を省略したに違いないヴィリーさんが、勢いよく純白の床を蹴った。


 こうして、僕の地獄の猛特訓が幕を開けたのである。







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