●5 僕の理由
「急にニヤニヤして、どないしはったんどす? 勾邑はん」
「おっと? これは失礼しました。いえね、先日見つけた【駒】のおかげで、少々おもしろいことが起こったようでして」
「おもろいこと?」
とあるオープンカフェの一角。
全身黒尽くめの長身痩躯と、遊女のごとく着物を着崩した幼い少女が、うららかな陽光を遮るパラソルの下、互いに向かい合って席についていた。それぞれ、手前のテーブルに中身が半分ほど減ったドリンクが置かれている。
赤い着物の少女――アグニールは、旅の相方である男の口元に笑みが浮かんでいるのを見咎め、気味悪がるように質問していた。
アグニールは無造作に結った長い銀髪を揺らし、視線を宙に泳がせる。
「こないだの駒て……ああ、道端で絡んできたあの小童の?」
椅子に座ると地面に届かない素足をプラプラと遊ばせながら、アグニールは記憶の引き出しを適当にひっくり返し、出てきたイメージをそのまま口にした。他人を小童などと呼べる見た目ではなかろうに、しかしその口調には気取ったところが一切ない。
サングラスで目線を隠している勾邑は、口角をやや釣り上げたまま頷く。
「ええ、確かニエベスだったか、ニエビスだったでしょうか? まぁそんな名前の個体です。ニエ君と呼びましょう。いや、彼に出会えたのは実に幸運でしたね。望外の情報が手に入りましたから」
「へえ、確か〝勇者なんちゃら〟とかいうエクスプローラーがどうのこうのて言うてはりましたけど……それがどないしましたんえ?」
右目の蒼と左目の赤に好奇心の光を灯し、アグニールもまた唇の端を持ち上げて尋ねる。
飲む物まで黒くなくては気が済まないのか、勾邑はシロップもミルクも入れていないアイスコーヒーのグラスを手に取り、ストローに口をつけた。
「ええ、〝勇者ベオウルフ〟です。実は先日、ニエ君が持っていた〝とある情報〟を世間に流させたのですが、これがまた妙な展開になっていましてね。見てみますか?」
言いながら、勾邑は空いている片手を差し出し、アグニールに握手を求める。直接接触で〝SEAL〟のARスクリーンを共有しようというのだ。
すると、突如アグニールは唇を尖らせて膨れっ面になり、首を横に振った。
「ややわぁ、めんどい。是非とも勾邑はんの口から教えておくれやす」
「おやおや。まぁ確かに、ログを遡るのも面倒と言えば面倒ですからね」
勾邑が納得して手を引っ込めると、アグニールは、むう、と不満げな声を漏らした。剥き出しの細い肩を怒らせ、またしても頭を振る。
「ちゃいます、せやありまへん。うちみたいな淑女と触れ合う時は、きちんと手袋はずさんと。それが紳士の嗜みやいうものやありまへんの?」
ツーンとそっぽを向いた少女に、勾邑は漆黒の革手袋をはめた我が手をサングラス越しに見つめ、ああ、と膝を叩いた。
「おっと、これはこれは。どうも失礼致しました。この通りでございます、どうかお許しを。レディ?」
グラスをテーブルに置き、胸に手を当て、勾邑は微笑みながらうやうやしく会釈する。その姿を、アグニールもまた顔を背けたまま流し目で確認し、うふ、と笑う。
「わかったんならよろしおす」
「ありがたき幸せ」
大して意味のない寸劇を演じ終えたところで、勾邑は話を本筋へと戻した。
「では、僭越ながら説明させていただきましょう。先日、ここへ送り込んだシグロス君が失敗した件――世間で言うところの『ヴォルクリング・サーカス事件』ですが、何を隠そうその〝勇者ベオウルフ〟こそが、〝神器保有者〟であるシグロス君を倒した〝時の人〟だったのですよ」
「へえ? ほなそれがその、ニエなんちゃらが持っとった特別な情報なんどす?」
その問いに、勾邑はテーブルの下で長い脚を組み、軽く肩を竦めて見せた。
「いいえ。この程度の情報なら、コレクティブ・ネットのそこいらに転がっていますよ。ですがニエ君が興味深かったのはここからです。なんと彼、リアルでベオウルフの知り合いだったんですよ。それも、肩を並べて一緒にエクスプロールするほどの」
「へえ? えらい偶然があったもんどすなぁ」
「ええ、全くです」
駒とした個体の記憶を読み取れる勾邑は、当然ながらニエベスとベオウルフが『知り合い』などと呼べるような間柄でないことを知っている。しかしベオウルフとニエベスが決して友好的な関係でないことを理解していながら、アグニールにそう説明しないのは、単にそちらの方が話が早いからであった。
ぴっ、と人差し指を立てて、勾邑は続ける。
「それも、です。ニエ君の記憶によると、件の勇者様はつい先日、あそこの軌道エレベーターにあったエクストラステージをクリアしたようなんですよ。すごいと思いませんか?」
「……えくすとらすてぇじ?」
聞き慣れない単語を、オッド・アイの少女はオウム返しにした。
「ええ、エクストラステージ――つまりは隠し部屋ですね。他の遺跡でも似たようなものがありまして、別名スペシャルルーム、エクセプションエリア、トランセンデンスフィールドなどと呼称されています」
「ふぅん……で、要は何ですん? えらい大仰な名前してはるようどすけど」
持って回った言い方をする勾邑を、着物の少女は無遠慮に切り払った。ずるっ、男の尻が椅子の上を滑る。
「……み、身も蓋もないことを聞きますね、アグニール……こう、迷宮の隠し要素には、男の子的なロマンとかがですね?」
「どないでもええどすわ、そんなん。えずくろしい、ええからはよ話ぃな、勾邑はん」
もっと雰囲気を大切に、という黒尽くめの主張を、アグニールは苛立たしげに叩き落とした。溜息交じりで、容赦なく。
「これは手厳しい……まぁそう怒らないください。ちゃんと説明しますから」
もはやアグニールは生返事すらすることなく、自分の抹茶ミルクへ小さな手を伸ばし、じっとりとした色違いの半目を勾邑に向けた。ずぞぞぞ、とわざとらしく音を立ててストローを吸う。
反応の悪さにややがっかりした様子の勾邑だったが、気を取り直すと再び口元に笑みを刻み、楽しげに語り始めた。
「簡単に言ってしまえば、おまけのお遊び空間ですね。どうも【守護者】の皆さんの中にも、ユーモアのセンスが振り切れている方がいらっしゃるようでして。そういった方が設計したエクストラステージには、通常よりも強力なSBが大量に配置されていたり、そう易々と逃げられない罠が設置されていたりと、実にハードな仕掛けが施されているのです。勿論、ただ凶悪なだけでは意地が悪すぎますからね。その難易度に見合った報酬として、強力なアーティファクトや貴重な情報などが用意されています。俗に言う『お宝の山』という奴でしょうか」
お宝。その単語にアグニールの眉がぴくんと跳ねた。
「――へえ? そこはそないに危ない所なんどす?」
途端にぱっと目を輝かせると、椅子の座面に足を乗せて立ち上がり、テーブルへ身を乗り出す。
意外な食いつきに、勾邑は少し首を傾げつつも答える。
「? そうですね。一番わかりやすいエクストラステージといいますと、やはりドラゴン・フォレストの最奥でしょうか。伝説上のドラゴン、皇帝類が跋扈する魔境。あの場所に踏み入って還ってきた者は一人もいない――と【言われています】」
曰くありげな言い方を、勾邑はした。だがが、アグニールは気付いているのかいないのか、
「なぁなぁ勾邑はん、そやったらソレ、うちらで行ってみるゆうんはどうどす?」
ワクワクする胸の高鳴りが抑えられないという風に、少女は蒼と赤の瞳に星屑を散りばめさせて、そう提案した。
ここへ来て勾邑はようやく悟る。少女が何を望んでいるのかを。
彼は両手を壁のように立てて、厳然と首を横に振り、アグニールを制する。
「ああ、いけませんよアグニール。今の私達は、〝束の間のバカンスに見せかけた情報収集〟という名目でこの街に滞在しているのですから。あなたに暴れられては困ります。ただでさえ、今は他所での計画が動いている最中なのですから」
穏やかに諭すと、喜色に塗れていたアグニールの顔が一転して不機嫌に沈んだ。すとん、と椅子に腰を下ろし、唇を尖らせ、ツンとそっぽを向く。
「……勾邑はんのいけずぅ……ちょっとぐらいええやおまへんの……」
見た目そのまま子供が拗ねているようなアグニールに、勾邑は無言で、やれやれと肩を竦めて見せた。
「話を戻しますよ? とにかく、それほど大変なエクストラステージをかの勇者はクリアしてしまったわけです。そして、ニエ君はその場に居合わせました。これが先程言った、〝望外の情報〟です。なにせ、私達とニエ君が偶然出会わなければ、この情報は世間に秘匿されたままだったでしょうからね。あの日あの時、ニエ君が私にぶつかって絡んできたのは、本当に幸運なことでした」
「へえ、逆さに言うたら、そのニエなんちゃらには不幸なことやったわけやけれども」
チクリ、と針を刺すようなアグニールの皮肉。勾邑は心外とばかりにやや声を高める。
「いえいえ、そんなことはありませんよ。あなた風に言うなら、命があるだけめっけもん、ではありませんか?」
男の詭弁に、うふ、とアグニールは艶のある笑みをこぼした。
「そんなん、【あれ】が生きとるて言えるような状態やったらの話どすやん?」
適当な言い訳なんてお見通しだとばかりに、少女は見た目に釣り合わない、蠱惑的な流し目を男に向けた。幼いながらも、瞳の奥に【女】が潜んでいる。
まいりましたね、と肩を竦める勾邑。
「おやおや。やはり手厳しいですねぇ。何でしょう、ケーキでも追加注文すれば機嫌を直してくれますかね?」
「あらぁ? うちをそないな軽い女と思わんで欲しいんどすけどぉ?」
露骨にしなを作り、うふふふ、とアグニールは意地悪そうに笑う。勾邑は溜息を吐くしかない。
「それは残念。ではケーキはやめておきますか」
「いややわぁ、食べへんとも言ってまへんえ?」
あっけらかんと言ってのけたアグニールに、一瞬、勾邑の動きが停止した。ややあってから、くすりと苦笑し、掌を差し出す。
「まったく、ちゃっかりしていますね、あなたは。では、メニューからお好きなものをどうぞ」
「へえ、おおきに。――そんで、その〝望外の情報〟とやらをどない使われはったんどす、勾邑はんは?」
ウキウキと〝SEAL〟からオープンカフェの注文システムを呼び出しながら、アグニールは話の続きを促した。
勾邑は一つ頷き、楽しそうに含み笑いをする。
「ええ、実に面白そうでしたので、そのまま情報開示させていただきました。するとですよ? ネットを通じてあれよあれよと世界の果てまで広がっていきまして。これがまた、とんでもない事態へと発展してしまったのです」
「ははぁ、そんでニヤニヤと気味の悪い顔しとったんどすな?」
底意地の悪い表情で揶揄するアグニールに、珍しく勾邑はむっと唇を突き出した。
「気味が悪いとは失敬ですね。借り物とはいえ、なかなかのハンサムのはずですよ?」
「そやいうても、サングラスで顔の半分が隠れてしもうてはるから、ようわからへんのどすけど」
「まぁ、それはそうなのですが。……おや? だとすると、今のはますます失敬な話になるのでは?」
「ほんで、妙におもろいことってどないな?」
ブルーベリータルトと、ついでに抹茶ミルクのおかわりをしれっと注文したアグニールは、勾邑の抗議を当たり前のように無視して本題へと踏み込んだ。
もはや勾邑も、しつこく食い下がろうとはしなかった。
「簡単に言えば、勇者ベオウルフに対する世間の反感が非常に高まっています。出る杭は打たれる、高い木は風に倒れると言いますが、まさしくですね。ほとんど知る人もいなかった状態から一躍有名になったものですから、反作用もやはり大きいのでしょう。しかも彼の場合、戦闘スタイルが特殊なものだっただけに、さぁ大変です」
「特殊な戦闘スタイル?」
「ええ、そうです。巷では〝ベオウルフ・スタイル〟と呼ばれているものなのですが、これがまた非常に危険な戦い方でして。それが彼の名前と一緒に流行して、真似をした人々に結構な被害が出ているようなのです」
「? 被害っちゅうと?」
「なにせ【支援術式で実力を底上げして戦う】スタイルですからね。強化しすぎた力による自滅や、フォトン・ブラッドの枯渇、勢い余って味方や壁に激突する事故など、色々と問題が発生しています。怪我人は当然ですが、中には死亡した例もあるとか」
馬鹿馬鹿しい話に、アグニールは呆れを隠さない。
「そりゃまた、身の程も弁えんと、えらい自業自得なことどすなぁ」
「おや、アグニールにはそう思えますか?」
「――? 何がどすん?」
意味ありげな質問をする勾邑に、アグニールは素直に小首を傾げて聞き返した。男は嘲弄の波を声音に乗せ、何故だかひどく嬉しそうに語る。
「残念ながら、世間の人々はそれを〝自業自得〟とは思わないんですよ。ベオウルフ・スタイルを模倣することによって怪我をしたり死亡したりした人々は、むしろ〝犠牲者〟なのだ――とね」
「へえ? けれどもそんなん、逆恨みもええとこやおまへんの?」
アグニールが素朴な疑問を口にしたちょうどその時、オープンカフェの店員が先程注文したタルトとドリンクを運んできた。それらをテーブルに置き、アグニールが空にしたグラスを回収するまで、しばし会話が止まる。
店員の気配が完全に遠のいたのを確認してから、勾邑は口を開いた。
「そうですね。ですが、例えそうだったとしても、周囲の人々の十人中九人が正しいと言えば、彼らの中でそれは【正義】になります。仲間、友人、家族、恋人。これらをベオウルフ・スタイルの影響で傷つけられたり、失ったりした人々は一体何を思うでしょうか? 彼ら彼女らにかかるストレスはいかほどのものでしょうか? きっと彼らには、わかりやすい〝悪役〟が必要なんですよ。何故なら、そうでなければ彼らの大切な人の怪我や死は、本人の過失や浅慮によって引き起こされた愚行でしかないのですから。そう、理屈など関係なく、感情が収まらないわけですよ」
「ほんま、あほな話どすなぁ」
はっ、と顔も見たこともない人々を完全に馬鹿にした顔で、アグニールは吐き捨てた。
「――ほんで、そのアホらしい憎悪と怒りの矛先にされた勇者ベオはんが?」
「ええ、俗な言い方をすれば【絶賛炎上中】です」
「そら災難なこって」
口ほどには同情心の籠っていない声音で、少女は冷たく切り捨てた。抹茶ミルクのストローを摘まみ、はむ、と銜えこむ。
「現在、自称〝犠牲者〟の皆様方が一致団結して、彼を弾劾しようと画策中のようです。いやはや、群衆というのは本当に面白いですね。逆恨みだろうが妄想だろうが、一度決まった方向には流されずにはいられない。水のごとく高きから低きへ。濁流よろしく何もかもを飲み込み、やがては怒涛のように。これは並大抵のことでは止まりませんよ」
「――そんで、勾邑はんは一体何を企んではるんどす?」
うふ、と笑いながら意味ありげな視線を向けられて、黒尽くめの男はまずとぼけてみせた。
「企む? 何の話でしょう?」
「またまたぁ、白々しいわぁ。今の話しながらニヤニヤしてはったんやから、なんぞ仕掛けるつもりなんでっしゃろ?」
アグニールの言及に、はっはっはっ、勾邑はわざとらしい笑い方をした。黒い指でサングラスのブリッジを押し上げつつ、
「いやいや、敵いませんね、あなたには。よくぞお見通しで」
「あんさんがそないに楽しそうにしてはるんやもの、なんぞあるに決まっとります。なんやの、ウチには何もさせてくれへんくせに」
唇を尖らせながらストローを銜えるアグニールに、勾邑は大仰に頭を振った。
「いえいえ、先程も言いましたが、流石に私達が表立って動くのはまずいですからね。あくまで密かに――ええ、【こっそり】と。秘密裏に、しめやかに事を進めるのが肝要です」
「へぇへぇ、あんじょうおきばりやす。ほんで? 具体的にはどんなことしはるん?」
アグニールはフォークを手に取り、ブルーベリータルトを切り分け、空いている手を受け皿にしながら口へ運ぶ。
「そうですねぇ……とはいえ出来ることは限られていますから、精々が【ちょっかい】レベルでしょうが……こんなのはどうでしょう? ああ、お耳をこちらへ」
「ふぅん?」
勾邑が口の横に掌を添えて手招きするので、アグニールは口内のタルトを嚥下してから、再び椅子の上に立ち上がり、テーブルへ手をついて身を乗り出した。左耳を勾邑の唇に近付けようとしながら、
「あ、お先に言うておきまっけど、耳に息を吹きかけるみたいな悪さしたら許しまへんえ?」
「……深く心に刻んでおきましょう」
微妙な間を置いてから答えた男に、少女は耳を寄せた。
囁きかける。
「……へえ? そやけども、そら……」
何か言い返しかけたアグニールに、勾邑はさらに何事かをつつめく。
すると、ピクン、と銀の柳眉が律動的に跳ねた。犬であれば耳と尻尾をピンと伸ばしたであろうか。
「……あぁ、はいはい、そないな感じで。へえ、あの嬢ちゃんらも? ふんふん……」
にまぁ、アグニールの口元が緩んでいく。蒼と赤の双眸も弓なりに反って、誕生日プレゼントを楽しみにする子供のような顔へと変化していった。うふ、うふふ、と含み笑いもこぼれていく。
「――とまぁ、こんな感じで考えています。ちょっとした余興も楽しめて、ついでに彼の正体が見極められれば幸いですね」
他聞をはばかる話を終えると、勾邑はアグニールの耳元から口を離し、椅子の背もたれに体重を預けた。
「それで、その後のことなんですが。とりあえず結果がどうなろうとも事態が収束し次第、私達は一度皆さんのところへ戻りましょうか。そろそろ帰らないと、『情報収集ついでのバカンス』が、『バカンスついでの情報収集』だとバレてしまうでしょうし」
そう軽い口調で勾邑が告げた途端だった。
「あ……」
今の今まで胸を躍らせていたアグニールがピタリと凍り付き、一転して顔を曇らせてしまった。
まるで、期待を膨らませて大好物を買い求めに来たのに、売り場でそれだけが売り切れてしまっていた時のような、そんな表情の変化であった。
「……せやね……楽しい時間っちゅうんは、はよ過ぎてしまうもんやから……あーあ……うち、まだ見て回りたいとこぎょうさんあったんやけどなぁ……」
急落したテンションを表すように、はぁぁぁぁ、と深い溜息を吐きながら俯き、アグニールはのろくさと椅子の座面に腰を下ろす。その様子は、さながら風船がしぼんでいく姿にも似ていた。
「おやおや? アグニールはてっきり喜ぶと思ったのですが……当初は早く帰りたがっていましたし。それにここにいたままでは、あなたも燻ってしまうのではありませんか?」
「それはそうやけど……もう、わからんお人どすなぁ。それとこれとは話が別なんどすっ」
意外そうに尋ねる勾邑に、すっかり臍を曲げてしまったアグニールはフォークを雑にタルトへ突き刺し、あんぐ、と大口を開けて一気に頬張った。ぷいっ、とそっぽを向いて、リスのようにモグモグと咀嚼する。
勾邑には彼女のむくれる理由がさっぱりわからない。
「……? 女心と秋の空とは言いますが、いやはや、まいったものですね」
肩を竦め、やれやれとぼやく。
ゴクン、とせっかくのスイーツをろくに味わうこともなく嚥下したアグニールは、ふくれっ面のまま勾邑のサングラスに移る自分の姿をねめつけ、
「ほんまに鈍感なお人。もうええどす、そやったら後は精々楽しませてもらいまひょ。その勇者……勇者……」
「勇者ベオウルフ?」
「そうどす、勇者ベオウルフ。その子がどないな醜態を見せてくれるんか、高みの見物どすわ」
「そうですね、一緒に楽しみましょう」
その点についてだけはにこやかに同意を示しながら、勾邑はふと視線を横に切るように顔をあらぬ方角へ向けた。
色の濃いサングラスに遮られて視線の読めない双眸が、どこか遠くを見やるように斜め上を向く。
やがて、口元の笑みを一層深くすると、彼は誰にともなくこう呟いた。
「――いやはや、大変なものですね。有名人というのは……」
シニカルな囁きが空気に溶けるのと同時、アイスコーヒーの氷が、カラン、と音を立てた。
■
戦慄を禁じ得ない宣告の直後、実にちょうどいいタイミングでさっき注文したアイスコーヒーとロイヤルミルクティーが到着し、僕とヴィリーさんの会話はいったん途切れた。
提供に現れたのは、活動的な赤毛とミニスカートから伸びる素足が眩しいウェイトレス――看板娘のアキーナさんだった。
他にもウェイトレスさんはいるはずなのに、なんだか最近は、決まって彼女が注文の品を持ってきてくれることが多い気がする。僕の思い込みだろうか。
ともあれ、グッジョブです、とアキーナさんには言いたかった。僕の前にグラスを、ヴィリーさんの前にカップを載せたソーサーを置く彼女に、心の中で万雷の喝采を送る。
が、しかし。
「それでは、ごゆっくりおくつろぎくださいにゃ♪」
素敵な笑顔を残してアキーナさんが退室していった直後、再び個室の扉がロックされた。
勿論、僕ではない。
ヴィリーさんだ。
この部屋の鍵は、〝SEAL〟から店内システムを介して、内側からのみロックできるようになっている。僕が何のコマンドも送ってないのに、店内システムから『ドアロックが正常に実行しました』とメッセージが届くのは、つまりはそういうことだった。
しん、と室内が静まり返る。
そんな中、ヴィリーさんが動いた。ロイヤルミルクティーがなみなみと注がれたカップを手に取り、
「……とはいえ、さっきも言った通り、取って食べようってわけではないから安心してちょうだい? 私は小竜姫も気に入っているの。あまり強硬な手段をとって、彼女に嫌われたくないわ」
優雅に口を付ける。
「あ、は……はい……」
ヴィリーさんの言葉に、僕は安堵すると共に一挙に脱力した。よかった、もしかしなくても巧妙な罠に引っかかってしまったのか、とものすごく焦ってしまったのだ。
しかし、ハヌに嫌われたくない、とヴィリーさんは言ったけれど、今朝の様子を見る限り、それはもう手遅れのような気もする。あるいはヴィリーさんが僕らの獲得を諦めてくれれば、良い関係が構築できるのかもしれないけれど。
「それに、やるべきことは先に済ませてしまいましょうか」
カップをソーサーに戻し、ヴィリーさんはやや表情を引き締めた。
「すでに色々と聞いてはいるけれど、あなたやアシュリーが迷い込んだあの仮想空間――カレルレンの検証によると、随分と意地の悪い設計者によるものだそうね。こうなるとロックのかかっているルームにも、何かしら悪辣な罠が仕込まれていると見るべきだわ。まずはその対策について話し合いましょう」
「は、はい」
さっきまでのお嬢様から、上級エクスプローラーの顔へと変化したヴィリーさんの迫力に、僕は思わず気圧される。ビリッと室内の空気が帯電したかのようだった。
「ラグ君、手を貸してもらえるかしら?」
「えっ?」
「〝SEAL〟でデータのやりとりをしたいの。直接接触の方が早いでしょう?」
いきなり真顔で言われたので、別にネイバー同士なのだからさほどの手間ではないと思うのですが、という台詞を呑み込んでしまった。
「は、はいっ」
慌ててジャケットの裾で右手を擦り、差し出された繊手を握る。以前と同じように、とても剣士のものとは思えないシルクのごとき柔らかさにドキリとする。剣撃も極めれば、むしろこのように手が柔らかく滑らかになるものなのだろうか?
繋いだ手からヴィリーさんの体温が直接流れ込んできて、またぞろ胸の動悸が激しくなっていく。
「まずはこれを見てちょうだい。カレルレンと話し合って、いくつか固めてきた戦術プランよ」
ヴィリーさんの〝SEAL〟から送られてきた画像が、僕の眼前にいくつかのARスクリーンとして浮かび上がる。
「――――」
途端、僕はヴィリーさんと手を繋いでいるというとんでもない状況どころか、呼吸すらも忘れた。
言葉を失い、複数の陣形を駆使した三つの戦術プランの内容に、どうしようもなく目を奪われる。
すごい。なんて緻密な作戦説明図なんだろうか。どれもこれも、微に入り細に穿った説明と予測がなされている。こんなにもしっかりしたエクスプロールの戦術プランなんて、初めて見た。
だけど――
「どうかしら? ABCとあるけれど、状況に応じて使い分けていこうと考えているわ。基本形はプランAね。例えば各ルームにガーディアンが常駐していると仮定した場合、基本的に敵のタイプは攻撃型か防御型に別れるわけだけれど――」
「あ、あのっ!?」
思わずヴィリーさんの解説を遮って声を上げてしまった。
幸いヴィリーさんは怒ることなくこちらへ振り返り、ARスクリーンに向けていた深紅の瞳で僕を見つめ返した。
「どうしたの? 何かデータにおかしなところでもあったかしら?」
「い、いえ、そうではなくて……!」
つぶさに検討を繰り返して作られたであろうプランに、きっと問題なんて一つもない。けれど、僕にはどうしても確認せざるを得ない箇所があった。
意を決して、質問する。
「あの、ど、どうして――どうして、【どのプランでも僕達が最後方なんですか】?」
こればっかりは流石に看過できなかった。三つの戦術プランのどれもが、ヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団』が矢面に立ち、僕達『ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ』は一番安全なところ――良く言い換えても、遊撃の位置へと配されているのだ。
別段、僕達を侮ったり軽んじたりしての配置ではないとは思う。ヴィリーさんにせよ、カレルさんにせよ、そんなことをする人達ではないはずだ。それだけに、この点だけはどうしても見過ごせなかった。
けれど。
「ああ、そのこと?」
僕の指摘に、ヴィリーさんは何のことはないという風に頷いた。硬く引き締めていた表情をこの時ばかりは綻ばせて、ヴィリーさんは僕の問いに答える。
「当然よ。言ったでしょう? 今回は私達からのお礼とお詫びを兼ねているのだから、こちらが全面的に働かせてもらうわ。アシュリーの命を救ってくれたあなた達だもの。今回ばかりは、わずかな危険も近付けさせないわよ」
「で、でもっ……」
そうは言っても、流石に限度というものがあろう。これじゃ合同エクスプロールという名目の、事実上の引率だ。
我ながらヴィリーさんに反駁している自分に恐れ戦きつつ、僕は声を高めた。すると、
「ああ、もし誤解させてしまったのならごめんなさい。他意はないのよ? あなた達を足手まとい扱いしているつもりはないの。今回の合同エクスプロールに限っては、私達はあなた達『ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ』の忠実な騎士よ。気兼ねなく活用してちょうだい」
「…………」
「大丈夫、あなた達には指一本触れさせないわ。大船に乗ったつもりでいてちょうだい」
見栄や虚勢ではなく、心からの言葉だというのはわかる。自信満々に断言する姿には、流石はトップ集団のリーダーだと思わせる貫禄があった。
だけど――これではあまりに不釣り合いだ。
全面的に戦ってもらった挙げ句、その報酬は全て僕らが持っていくだなんて。
ハヌではないけれど、僕達に都合が良すぎて逆に気味が悪い。いや、気味が悪いと言っては失礼だから、据わりが悪いとでも言った方が適当だろうか。
そう、これは――流石に【貰いすぎ】だ。
やっぱり受け取れない。
「あ、あの、ヴィリーさん……お言葉ですが、やっぱり、そこまでしてもらわなくても僕達は……」
「あら、何を言っているのよラグ君。正直、私はこれでも足りないと思っているのよ? 何だったら他にも――」
「ええっ!?」
申し出を謝絶しようとしたら、さらにとんでもない発言が飛び出した。仰天して大きな声を上げてしまう。
「ど、そうしてそこまで――!?」
思わず本音がそのまま漏れてしまった。
だって、どう考えても割に合わない。いくらヴィリーさん達から見て、僕らが『アシュリーさんの命の恩人』だったとしても、そこまでしてもらうほどの理由になるだろうか。
ただでさえトップ集団である『蒼き紅炎の騎士団』が一緒にエクスプロールしてくれるだけでもありがたいことなのに、それでもまだ足りないだなんて……大体、アシュリーさんの件については僕もフリムだってたくさん助けてもらったのだ。命の恩人というなら、僕らにとってもアシュリーさんがそうなのである。剣術指南の件もあるし、やはりこれ以上あちらの厚意に甘えるわけにはいかなかった。
だけど。
「……少し誤解があるようね」
ヴィリーさんの声のトーンが一段落ちた。ヴィリーさんは空いていた片手を伸ばし、僕と繋いでいる手の上に重ねる。両手で掴まえた僕の右手をぐっと握り、深紅の視線を射込んできた。
「ラグ君、一つ質問に答えてくれるかしら。もし仮に、ある日突然、小竜姫の行方がわからなくなってしまったとしたら、あなたはどんな気持ちになるのかしら?」
「えっ……?」
突然の質問に、僕は面食らう。だけどヴィリーさんは真剣な表情のまま僕を見据え、問いを重ねた。
「勿論、連絡はとれないわ。他の仲間が小竜姫の傍にいないこともわかっている。さぁ、あなたはどんな気持ちを抱くのかしら? 想像してみて」
そんなの決まっている。思い浮かべるまでもない。
「し、心配します……」
「どれぐらい?」
間髪入れず次の質問が突き出された。
「も、ものすごく、です」
「具体的には?」
矢継ぎ早に畳み掛けられる問いに、僕はその意図が解らないまま頭を捻り、答える。
「え、ええと……胸の奥が痛くなったり……いてもたってもいられなくなって……た、多分……捜しに行くために飛び出しちゃいます……」
「その頃にはもう死んでいるかもしれないわよ」
「――ッ!?」
グサリときた。ヴィリーさんにそう言われた瞬間、本当にハヌが死んだかもしれない、と一瞬だけ錯覚した。みぞおちのあたりに鋭い痛みが走る。
「どこにいるかもわからない。何が起こっているかもわからない。そんな状況に小竜姫はあって、あなたはものすごく心配している――そんな時、とある伝手から小竜姫の居場所が判明したわ。どうする?」
「すっ、すぐ行きます! 駆けつけますっ! 何があっても絶対にっ!」
「でも、そこはとても危険な場所よ。あなたも、もしかしたら仲間ごと全滅するかもしれないわ。それでも行くの?」
一瞬も迷わなかった。
「行きますっ! 僕一人でもっ!」
仮定の話であることを忘れ、僕は前のめりになって断言した。
こくり、とヴィリーさんが頷く。
「……あなたが小竜姫の居場所に辿り着くと、そこには既に別の誰かがいて、彼女を絶体絶命の危機から救っていたわ。よかったわね。――さぁその時、その人物に対してラグ君はどんな思いを抱くのかしら?」
「――あっ……!」
ここまで来てようやく、僕はヴィリーさんの質問の意図を理解した。
つまり、ヴィリーさんが言いたかったのは、【そういうこと】だったのだ。
僕の表情から理解の色を察したヴィリーさんは、ふっ、と表情を和らげ、
「……わかってもらえたかしら? 私が、どれほどあなたに感謝しているのかを」
「え、えと……」
言葉に詰まる僕に、束の間ヴィリーさんは目を伏せる。
「あなたは私の大事な家族を救ってくれた、命の恩人よ。これは仮定の話だけれど――もしまた同じようなことが起こった場合、そうすればあの子や他の騎士達の命が助かるというのなら、私はあなたの足元に跪いて、爪先に口付けすることすら厭わないわ」
「ひざっ――くちっ……!?」
穏やかな口調で紡がれた、あんまりと言えばあんまりな例えに、僕の心臓がタップダンスを踊る。思わずその様子を脳裏に思い描きかけたのだ。
けれど、ヴィリーさんは真剣な表情を崩さない。
「そう驚くことでもないでしょう? あなただって同じ状況になれば、きっと同様のことをするはずよ。さっきの反応が何よりの証拠だもの」
確かに、言われてみれば――もしハヌやロゼさん、フリムが絶体絶命の危機に陥っているとして。もし、そんなピンチを救ってくれる人がいたとするならば。
僕はきっと迷わない。やれと言われれば、靴の裏だって舐めるだろう。確実に。
「だから私にとってのアシュリーは、ラグ君にとっての小竜姫と同じだと考えてちょうだい。そうすれば、私の感謝の気持ちがどれほど大きいかもわかるはずよ。そして、それがわかれば『どうしてそこまで』だなんて一切感じないと思うわ。どう?」
「…………」
返す言葉もない。
だって、本当にそんなことになったら、感謝なんてものじゃない。ロゼさんではないけれど、僕は命以外の全てを投げ打つ覚悟だって決められるに違いなかった。
ぎゅっ、とヴィリーさんの両手が僕の手を強く握る。
「……お願いよ、ラグ君。私達のことを思ってくれるなら、どうかこちらの気が済むまで恩返しをさせてちょうだい。自己満足でしかないのはわかっているけれど、借りっぱなしでいるのは性に合わないの。ね?」
まるで懇願するかのように、ヴィリーさんは言う。ずい、とテーブルに身を乗り出す勢いで顔を近付けてくるので、僕は反射的に逃げようとしてしまうのだけど、手を掴まれていてはそれもままならない。
何より、綺麗な深紅の瞳から一途な目線を向けられると、何というかこう――とても、困ってしまって。
「――は、はい……」
結局、観念するみたいに僕は頷いてしまった。もはや、それ以外の選択肢なんてどこにもなかったのである。
「ありがとう。本当に嬉しいわ」
すると、ヴィリーさんは心の底から喜ぶように明るい声で、薔薇の蕾が花開くかのごとく微笑んだのだった。
余談がいったん落着すると、改めて合同エクスプロールの打ち合わせが進められた。
と言っても、僕がヴィリーさんから概要を聞くだけに終始したのだけど。
それが滞りなく終わると、
「そういえば、ちょっと聞いてもいいかしら? プライベートなことだから、嫌なら答えなくてもいいのだけれど」
と、ヴィリーさんが話題の転換を促した。
「は、はい、何でしょうか?」
さあ来たぞ、と頭の中で警戒心が首をもたげる。エクスプロールの打ち合わせが終わり、話が変わるということは、つまり先刻ヴィリーさん自身が言っていた『下心』由来の話に違いない。
一体どんなことを聞かれるのだろうか、と身構えていた僕の前に提示された質問とは、実に平凡かつ予想外のものだった。
「ラグ君は、どうしてエクスプローラーになろうと思ったの?」
「え……?」
思いもよらなかった問いに、僕は目を瞬かせる。
「ぼ、僕がエクスプローラーになった……?」
「ええ、その理由。もし差し支えなければ、教えてもらってもいいかしら。ああ、変な意味はないのよ? これは好奇心からの質問だから」
柔らかく目を細めて、ヴィリーさんは少し冷めたロイヤルミルクティーに口を付けた。
「…………」
僕はしばし言葉を失い、固まってしまう。
――僕が、エクスプローラーになった理由。
故郷を、祖母やフリムの下を飛び出し、祖父の形見の武器を山と抱え、危険極まりない戦場へと身を投じた――その事由。
よもや、そんなことを聞かれるだなんて夢にも思わなかったものだから、僕は頭の中が真っ白になってしまった。
そんな風に僕が硬直していると、ヴィリーさんはふと何かを察したように表情を改めた。
「……ごめんなさい、もしかして聞いてはいけないことだったかしら……?」
質問したことを後悔して、ひどく気まずそうな顔をするものだから、むしろ僕の方が慌ててしまう。
「あっ、い、いえっ……! そ、そんなことはないですっ! ないん、ですが……」
両手を振って否定しようとして――けれどどうしようもなく、その動きは力のないものになってしまう。
どう言ったものだろうか。
ははは、と僕は後頭部を掻きながら、愛想笑いをする。
「な、何と言うか……その、説明が難しくて……」
「いいのよ、ラグ君。今のは忘れてちょうだい。嫌なら話さなくてもいいのだから」
「い、いえっ、ち、違いますっ! そういうわけじゃなくてっ!」
ヴィリーさんが申し訳なさそうな顔をすると、何だか僕まで辛くなってくる。それが嫌で反射的に声を高め、首を大きく振って否定した。
「えと、その……僕が、エクスプローラーになった理由は……何と言いますか……」
どう説明すればよいだろうか。ウダウダと迷う心が手の動きにも表れ、僕は両手に意味のない動きをさせながら、言葉を組み立てる。
まず、それを一言で言ってしまうならば、
「――実は、僕の両親が、エクスプローラーだったみたいなんです」
となるだろうか。
両親がエクスプローラーで、その子供もエクスプローラー。これは特段珍しくもない、よくあることだ。実際、ヴィリーさんもそうなのだし。
けれど、我ながらその微妙な言い回しに、やはりヴィリーさんは耳聡く気付いたようだった。
「……? エクスプローラーだった……【みたい】?」
「…………」
そうなのだ。自分で口にしておきながら、ひどく歪な言い方だと自分でも思う。
「――!」
すると再びヴィリーさんがはっとした顔をして、口を開こうとした。多分、良からぬ予想をしてまた謝罪するつもりなのだろう。
だから、僕は機先を制してこう付け加えた。
「――あ、あのっ、先に言っておきますと、僕が生まれてすぐ死んだとか、そういう話じゃないんですけどっ」
「え? ……そうなの?」
その途端、ご、と口を開きかけていたヴィリーさんがキョトンとなった。首を傾げ、どういうことなの? と言外に問いかけてくる。
「た、多分ですが……その、生きていると……思います。きっと」
「多分? きっと……?」
ヴィリーさんの表情が、さらに困惑の色を深めた。眉根を寄せ、どうにか僕の言葉を理解しようとしてくれている。
「え、えっと……」
どうしよう。僕は言葉に迷う。本当に説明が難しいのだ。かといって、ここで話を切り上げても感じが悪い。
「――ごめんなさい、ラグ君。私、なんだか上手く理解できなくて……整理させてもらうわね。つまり、あなたのご両親は健在で、今もエクスプローラーを生業としている……ということでいいのよね?」
「は、はい。……多分、なんですが……」
歯切れの悪い僕に、ヴィリーさんは腕を組んで、うーん、と考え込んだ。いや、わかっている。僕の言い方がダメすぎるのだ。
ヴィリーさんは僕を気遣いながら、遠慮がちに踏み込んできてくれる。
「……その、〝多分〟というのはどういう意味なのかしら? さっきから、多分とか、きっととか、微妙な言い方を繰り返しているみたいだけれど……」
「……すみません……」
たまらず謝罪の言葉が口を衝いて出てしまった。するとヴィリーさんは微笑みながら頭を振って、
「いいのよ、気にしていないわ。こちらこそ、急かしてしまったみたいでごめんなさい。ラグ君のペースでいいから、話を聞かせてもらえるかしら?」
「……ありがとうございます」
ヴィリーさんの優しさに、僕は深く頭を下げた。それから深呼吸をして、意を決して核心を語る。
「――僕、両親のことがわからないんです」
「――……」
ヴィリーさんがやや目を見開いた。深紅の瞳に驚きの色が混ざり、僕をまじまじと見つめる。
「わから……ない?」
こくり、と僕は頷いた。
「記憶喪失……というのとは、ちょっと違うみたいです。僕に両親がいたことはわかっていますし、【多分】、ずっと一緒に暮らしていたんだと【思います】。だから記憶は残っているはずです。でも――」
徐々に視線が下に落ち、いつの間にか僕は自分の膝を見つめていた。
「――ただただ、【わからない】んです。両親のことが、何も。名前も、顔も、声も……忘れたんじゃなくて、【認識できない】んです。僕には」
「認識、できない……?」
こくり、と僕は頷く。
「写真も映像もログも全部残っています。祖母や従姉妹もいますから、いくらでも両親の話は聞けます。両親に関する手掛かりはたくさん、本当にたくさんあります。でも――【わからない】んです」
今だってそうだ。どんなに父と母のことを思い出そうとしても、何も思い浮かんでこない。空っぽの輪郭だけがそこにあって、その中には【何か】があったはずなのに、でもその【何か】がさっぱりわからない。
「写真を見てもどれが父で、どれが母なのかがわかりません。上手く認識できないんです。祖母から両親の話を聞くと、上手く聞き取れなかったり、ノイズになったりします。ひどい時には、声そのものが認識できなかったりもします。多分、頭を素通りしているんだと思います。どうしてこんな風になってしまったのかも、わかりません。お医者さんにも行きましたけど、治りませんでした」
「――――」
ヴィリーさんが絶句しているのが気配でわかった。それはそうだろう。もし逆の立場だったら、僕だってドン引きするに決まっている。
「文字にされてもわかりません。僕に読める文字で書かれているはずなのに、そこだけ古代文字になったみたいに全く読めなくなります。読み上げソフトに読ませても、頭に入りません。だから、エクスプローラーになる以前は、時々すごく怖くなっていました。本当は両親は、今も僕のすぐ傍にいるんじゃないか……って。隣に居て、僕に触れたり、話しかけたりしてくれてるんじゃないかって。なのに僕がただ、見たり聞いたり認識できないだけで、お父さんもお母さんも悲しんでいるんじゃないかって」
「……ラグ君……」
沈痛なヴィリーさんの声。いつしか僕は自分の膝上に手をのせ、ジーンズを強く強く握りしめていた。
「……でも、輪郭はわかるんです。お父さんやお母さんに直接関係することは認識できないんですけど、でも、その周りだけはちゃんとわかるんです。風が吹いて、砂が舞えば、その動きが読めるみたいに。だから、いくつかわかることもあるんです」
二人が残した痕跡、周囲の状況、推察や考察を重ねて手にした情報が、この手にはある。
「その内の一つが、僕の両親はエクスプローラーだった、あるいは今も、エクスプローラーをしているということなんです。どうしてそれがわかるかというと、まず僕の祖父母もエクスプローラーで、僕の従姉妹――フリムって名前なんですけど、その子の両親もエクスプローラーだったからです。多分、フリムの両親と僕のお父さんとお母さんは、同じパーティーかクラスタの仲間だったんだと思います。だから、直接聞くと頭には入らないんですけど、状況証拠からそう推察できるんです」
例えば写真。フリムの両親の他に、もう二人ほど顔のよくわからない人が写っていたりする。何故だか上手く顔や体型を認識することはできないのだけど、【そこに誰かが写っている】ことだけはわかる。更に『これ、アタシのお父さんとお母さんがエクスプローラーだった頃の写真ね』というフリムからの情報があれば、そこに写っているのが僕の両親であることは明白だ。
エクスプローラーだった頃のフリムの両親と一緒に写っているのだ。きっと、僕のお父さんとお母さんだって、同じエクスプローラーだったに違いない。
「もっと調べると、多分、お父さんとお母さんは家に帰ってきていないことがわかります。そういった痕跡がないからです。でも、死んだわけでもないと思います。祖父のお葬式の時に、記録を確認しました。僕が生まれてから、僕の家でお葬式があったのは祖父だけでした。両親がエクスプローラーなら特例保険に入っているだろうし、しばらく安否が確認できなかったら、何かしら連絡が入ると思います。でも、祖母にもフリムにも、そんな連絡を受け取ったような様子はありませんでした。だから多分、僕の両親はまだ生きてます。生きて、どこかの遺跡でエクスプロールしているはずなんです」
僕はゆっくり顔を上げ、ヴィリーさんに向き合う。
ヴィリーさんは深紅の瞳に憐憫を宿して、じっと僕を見つめていた。そんな顔をさせて申し訳ないという思いと、気遣ってくれてありがたいという感謝が同時に胸に湧く。
だから、僕は笑ってみせた。これは悲しい話ではないのだ。希望のある話なのだと、そう言うために。
「生きているなら、きっとまた会えます。今は両親に関する何もかもを認識できない僕ですけど、でも、実際に会えばきっとわかると思うんです。本物に会えば、それがすぐにお父さんだって、お母さんだってわかるなんはずです。少なくとも、僕はそう信じています。だから」
望みは薄いのかもしれない。
もしかしたら、僕はとっくに両親と再会していて、それでも全く気付かずにいるのかもしれない。
どこかですれ違っているのに、致命的なまでに認識できず、素通りしているのかもしれない。
下手をすると、今よりも深い絶望に陥るかもしれない。
もう二度と両親を認識することは出来ないのだと、そう思い知ることになるかもしれない。
そんなの全部、わかっている。何度も何度も考えて、悩んで、思い直して――その上で決意したのだ。
覚悟を決めたのだ。
「だから、僕はエクスプローラーになりました」
これが、僕の理由。
僕がエクスプローラーとして危険な遺跡に潜る、その根源。
「両親と同じエクスプローラーなら、どこかでばったり会えるかもしれない。僕がトップエクスプローラーになって顔と名前が広まったら、二人が気付いて会いに来てくれるかもしれない。僕がエクスプローラーでいれば、きっと再会できる――そう、思ったから」
「ラグ君……」
何とも言えない表情で僕を見つめるヴィリーさんに、僕は笑ったままぐっと握った拳を見せて、落ち込んでいないことをアピールした。
「大丈夫です、今じゃハヌがいて、ロゼさんや、フリムもいますから。寂しくないですし、それ以上にエクスプロールするのが楽しくなっていますから。全然へっちゃらです」
それから、やっぱり謝ることにした。
「――すみません、なんだか変な話をしてしまって……その、本当に大したことじゃないんです。あの、両親のことを認識できないってことは、逆に言えば寂しく思うような材料もないわけで……だから特別つらいってこともなくて――」
「もういいわ」
僕の口を塞ぐヴィリーさんの声は、思いがけず鋭かった。剣で切り裂くように言葉を遮られた僕は、ビックリして固まってしまう。
ガタン、と椅子を蹴ってヴィリーさんが立ち上がった。いきなり過ぎて悲鳴も出なかった。
ヴィリーさんはそのままツカツカツカツカと凄い勢いでテーブルを迂回して僕の側までやってきた。
――お、怒られるっ!?
咄嗟にそう思ってしまい、僕は全身から震え上がった。どんな罵声を浴びせられるのか、それともいつかのニエベスのように殴られてしまうのか。僕は息を呑み、反射的に目を閉じた。
――が、いつまで経っても予想された怒声や衝撃はなく、それどころか――柔らかくて暖かい感触が、不意に僕の頭部を包み込んだ。
――へ……?
「本当にごめんなさい、ラグ君。辛い話をさせてしまったわね」
猛烈な勢いで鼻孔を刺激する、何だかよくわからないけど、すごくいい匂い。
気付く。
もしかして歩み寄ってきたヴィリーさんが、そのまま僕を抱きしめ
――はうあっ!?
僕の意識は一瞬だけ遠のきかけて、しかしすぐに戻ってきた。
あ、危なかった……ダメだ、こんなところで気絶するわけにはいかない。眠ったら死んでしまう。
――け、けど、とにかく状況は理解できた。
よくわからないけど、僕は今、ヴィリーさんの胸に顔を埋める形で抱きしめられている。
よくわからないけど、何だかすごく清潔でいい匂いがする。
よくわからないけど、ものすごく暖かくて柔らかいものに頭が包まれている。
よくわからないけど、うん、よし、ちゃんと状況は理解できている。
ただ、何をどうすればいいのか、さっぱりわからないだけで。
「――~っ……!?」
全身が燃え上がったかのように熱くなって、体中の筋肉という筋肉が強張り、声も出せなかった。
「言い訳にもならないけれど、悪気はなかったの。少しの好奇心からした質問が、こんなにもあなたを傷つけてしまうだなんて……本当にごめんなさい……」
カチンコチンに固まっている僕を抱きしめるヴィリーさんは、そのまま幼子をあやすように頭を撫で始めた。
「……でも、あなたは立派だわ、ラグ君。性根のまっすぐな子だと思ってはいたけれど、そんなにも辛い過去がありながら、それでもちゃんと前を向いて生きてきたのね。あなたは、とても強い心の持ち主だわ」
ヴィリーさんに褒められた。それだけで歓喜が爆発して胸が破裂しそうになる。背筋どころか体中がゾクゾクして、わけがわからなくなる。
嗚呼、ダメだ、またしても心臓が早鐘を打って、頭に回る酸素が足りなくなってきた。
だって、こんなの無理だ。
この場には今、僕とヴィリーさんしかいない。二人っきりで、しかも鍵のかかった密室だ。そんな場所でこうして抱きしめられて、密着しているのだ。
薄い布越しに伝わってくる体温。ハヌともロゼさんとも、フリムとも違う、女性特有の甘い香り。
脳と〝SEAL〟が痺れるようだった。
いや、もしかしたら溶けているのかもしれない。
「……でも、おかげで理解できたわ。あなたがどうして〝ぼっちハンサー〟だなんて呼ばれて、あの時まで無名だったのか」
僕の頭を撫でるヴィリーさんの手は、けれどハヌのそれとはまったく違う動きをする。ハヌの手つきは犬や猫の毛を撫でつけるように。でもヴィリーさんのは、ゆっくりと円を描いて、まるで良い成績を収めた生徒を褒めるような動きだった。
「……あなたは、ずっと傷ついていたのね」
優しげだったヴィリーさんの声音が、不意にトーンを落とした。頭を撫でていた手が背中へと降りて、傷口を慰撫するようにさする。
「――――」
トスン、と何かが胸に突き刺さった気がした。
「……ご両親のことがあって、それで自信を無くしてしまって……そのせいで、誰に対しても強く出れなくなってしまったのね。他人に対して臆病になって、いつも下手に出てしまって……それが結果的に、あなたの本当の姿を見えなくした……だから周囲の人達は、あなたの本当の実力に気付かなかった――いいえ、気付けなかったのね」
まず真っ先に、買い被りすぎだ、と思った。〝勇者ベオウルフ〟だの〝怪物〟だのと呼ばれている僕だけど、未だに実感は薄い。アシュリーさんが何故だか僕を名前ではなく、ずっと〝ベオウルフ〟と呼ぶので、聞き慣れてしまった感はあるのだけど。
そんな風に、ヴィリーさんの褒め言葉を面映ゆいと思うのと同時、僕の心の琴線は、ひどく大きく震えていた。
両親にまつわることが認識できない、それ故に自信を失くしていた――ヴィリーさんは僕をそう分析した。
自分でそんな風に考えたことはなかったけれど――でも、本当にそうだったのかもしれない……と、そう思ったのだ。
自信がなかった。誰かに愛されたり、必要とされている感覚が薄くて――だから、自分の全てに自信が持てなかった。
同じように、自分は本当に誰かを愛したり、必要としているのか。そういうことがちゃんと出来るのか。不安だった。
両親のことでさえ思い出せないのに、赤の他人に対して、僕は本当の意味で心を開けるのだろうか。また、開いてもらえるのだろうか。
真の意味で、誰かと仲良くなることが出来るのだろうか。
そんな思いが、どこかにあったのかもしれない。ずっとずっと心の奥底に沈殿していて、延々と蠢き続けていたのかもしれない。
そう思うと、絶世の美女とも言えるヴィリーさんに抱き締められている驚きとか、嬉しさとか、恐れ多さとか――そんな浮ついた感情が一気に遠のいた。
代わりに、わけもわからず、涙が込み上げてきた。自分の【芯】を見抜かれたことが、嬉しかったのか、ショックだったのか、よくわからなかった。
「……でも、きっと小竜姫があなたを救ったのね。孤独だったあなたが、本当の力を発揮できるようになったのは、あの子のおかげなのでしょう? だってあの時、あんなに怯えていたのに、それでも命懸けで助けに行ったのだもの。そうに違いないわ」
そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。正直よくわからない。
だけど、ハヌは僕の初めての友達だ。
家族を除けば〝エンハンサー〟とか〝ぼっち〟とか、そんなフィルターなんて関係なく、僕をちゃんと僕として見てくれた――初めての人だった。
だから、どうしても助けたかった。だから、戦場へ飛び込んだ。それだけだった。
「……少し悔しいわね……私も気付かなかった一人なのだから。あなたと出会ったのは小竜姫とそう大差ないはずなのに。こんなことなら、この街に来て最初のメンバー集めの時、カレルレンに任せず自分で探すのだったわ。そうすれば、あなたを見つけられたかもしれないのに……」
ヴィリーさんはそう言うが、きっとそれは難しかったと思う。今でもそうだけど、あの時の僕にはヴィリーさんのような人は眩しすぎた。あまりの神々しさにあてられて、きっとまともな反応なんて出来なかったはずだ。それに、本当の力を発揮したなんて言えば聞こえは良いけれど、あの頃の僕は自分に自信がないどころか、己の性能にすら気づいていなかったのだから。
だから、ハヌがいなければ今の僕はない。それだけは、確かだと思う。
僕の頭を抱きしめていた腕をほどき、ふっとヴィリーさんが体を離した。
「――ねぇラグ君、今から遊びに行きましょ?」
やおらこちらの肩に両手を載せたヴィリーさんが、何の前触れもなくそう言った。やや腰をかがめて、女神様みたいな美貌が近付いてくる。
「――へ……?」
いきなりの話題転換に僕の頭は上手くついていけず、変な声が出た。パチパチと瞬きを繰り返す。
さっきまでのしんみりした雰囲気はどこへやら。にっこり、とヴィリーさんは満面の笑みを浮かべていた。
「今日はせっかくのデートなのよ。しなければならない仕事の話は終わって、それでも時間はまだまだ余っているわ」
ヴィリーさんが座っている僕の手を握った。両手ともだ。
「つまらない質問をしてしまったお詫びに、今日は全部私の奢りよ。と言っても、私から誘ったのだから最初からそのつもりだったのだけど。さぁ、行きましょ!」
「え、えっ? あ、あのっ……!?」
ぐいっと手を引っ張られ、強制的に立ち上がらせられる。いきなりの急展開に、思考が空転する僕は為すがままだった。
「勿論、ここの支払いも私が持つわ。ラグ君は一緒にいてくれるだけでいいから。ああそれと、あなたの趣味を聞いてもいいかしら? 例えば映画はどんなジャンルが好きなのか、とか。そうそう、体を動かすのは好き? 好きよね? それだったらお勧めの場所があるのだけど」
ヴィリーさんは剣術式〈フェニックスレイブ〉のような勢いで畳み掛け、僕の腕を引いて扉へと歩みだした。すると個室のロックが解除され、その旨を告げるメッセージが僕の〝SEAL〟にも届く。
「あ、あのっヴィリーさんっ!? あ、遊びに行くって――」
「エスコートなら任せて。こう見えても慣れているのよ。そういえばラグ君はショッピングは好き? 男の子だからやっぱり武器とかそういうのを見るのかしら? ほら私って〝剣嬢〟なんて呼ばれているでしょう? そのせいか、よく剣を見に行ったりするのよ。ちょっとしたコレクターとでも言うのかしら。おもしろいものを見つけたらつい買ってしまうのよね。変な女でしょ?」
僕の手を引いて廊下を歩きながら、うふふ、とヴィリーさんは笑う。マシンガンのようなトークに僕は口を挟む隙が見つけられない。
――もしかして、僕を元気づけようとしてくれているのだろうか?
不意にそう思った。沈んでしまった僕の気持ちを無理にでも楽しませて、励まそうとしてくれているのかも――と。
そう思い至ってみると、確かにちょっと不自然だった。
昨晩は花束を手に、優雅にデートのお誘いに来たヴィリーさんである。それが、こちらの返事を聞く前に手を引いて外へ連れ出し、ベラベラと喋りかけてきた上、自虐ネタまで披露するなんて。
「ああ、よかったら今度、私のコレクションを見に来ない? 実用性はないけれど、おもしろい形のものや、おかしな素材で作られた剣がたくさんあるのよ。きっとラグ君も気に入ってくれると思うわ。そういえば、カレルレンもああ見えて妙な趣味をしていて――」
ヒールの高い靴を履いているはずなのに、実に律動的な歩調で進みながら、ヴィリーさんは楽しそうに語る。
この心遣いを無為には出来ない――そう思った僕は、少しだけ無理して笑みを浮かべてみせた。
「――ぼ、僕でよければ、喜んで」
どうにかそれだけを言葉にすると、ヴィリーさんはピタリと立ち止まり、こちらへ振り返った。
まじまじと僕の顔を見つめること約一セカド。
「――――」
やがて表情が綻び――
またしても薔薇園の蕾が一斉に咲き誇るかのような素敵な笑顔を、ヴィリーさんは見せてくれた。
「ええ、大歓迎よ」
その後光が差すかのように神々しい微笑みに胸を撃ち抜かれ、再び僕の心臓は破裂せんばかりに高鳴るのだった。
――どうしよう……僕、やっぱりこのデート中に死ぬんじゃないだろうか……?




