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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第四章 私は〝剣嬢〟。狙った【剣】は必ず手に入れるのが信条なの。どうか覚悟していて――私の勇者様?

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●2 仄かに嫉妬の燻る現人神




『ほう、そこでまさしく〝ベオウルフ・スタイル〟なるものを試しておった阿呆と出くわしたわけじゃな?』


『う、うん……』


 最前線にほど近い、ルナティック・バベル第一九五層。僕とハヌ、そしてロゼさんとフリムとで構成されたパーティー『ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ』は、いつものエクスプロールを行っていた。


 ハヌの操る正天霊符の護符水晶が唸りを上げ、宙を奔る。六つの水晶球はスミレ色の輝線を描き、床をどよもして迫る猛牛の群れへと飛び込んで行った。


『PPPPYYYYYYRRRRRRYYYYY!』『PUUUURRRRR!』『PRRRRRYYYYY!』


 伝承では青銅の皮膚を持つという一つ目の雄牛――ストーンカ。けれど、実際に二〇体以上の大群で押し寄せてくる奴らの体表は漆黒で、しかも青白い雷電を纏っているというおまけ付きだ。


「ほっ!」


 ハヌが扇子型リモコンを一振りすると、護符水晶の動きが一変した。ただ空中を飛んでいただけの水晶球が、個別に回転を始める。回転速度は加速していき、瞬く間に大気との摩擦音が生まれるほどになった。


 僕の拳ほどもある弾丸と化した水晶球が、ストーンカ一体につき一個ずつ突っ込んでいく。


『PPPPPRRRRRRYYYYY――!?』『PPPPUUURRRRRYYYY――!?』『PPPPPPYYYYYY――!?』


 高速回転することで破壊力を増した、しかもハヌが術力を込めた水晶球に過たず腹や背中をぶち抜かれ、六体のストーンカが甲高い悲鳴をあげながら活動停止シャットダウンしていく。


 そんな中、


『噂は耳にしていましたが、他の遺跡レリクスならともかく、このルナティック・バベルにまでその手の人間が現れるとは予想外でした』


 ハヌの攻撃対象から外れ、なおもこちらへ突進してくるストーンカの群れに、ロゼさんが二色の鎖を差し向ける。


『えっ!? ロゼさん知ってたんですか!?』


『ええ、小竜姫とコンビを組んでエクスプロールをしていた時に。たまたま近くを通りかかったパーティーがしている噂話を小耳に挟みました』


 蒼銀のレージングルと紅銀のドローミが蛇のごとく純白の床を滑り、素早くストーンカ達の足元へと這い寄った。


『えっ、じゃあハヌも知ってたの!?』


『うむ』


 蒼と紅の鎖がピンとその身を伸ばして廊下を横切り、二本の線を引いた。わずかに浮かび上がり、柵のようなものを作る。


 鎖による即席のトラップだ。足を引っかけ、ストーンカ達を転ばす目論見である。


『つまらぬことでラトを悩ませても仕方あるまいと考えてな。どうせすぐに雲散霧消するであろうと思い、ロゼと口裏を合わせて黙っておったのじゃが……』


『結局、ハルトに届くまで噂が広がっちゃったってことねー』


 むう、と唸るハヌに、僕の隣に立つフリムが軽い口調でチクリと刺した。


 その次の瞬間。


『PPPPRRRRRRYYYYY!?』『PPPPPRRRRRUUUUUUU!?』『PPPPPRRRRRRRRR!?』


 ロゼさんの張った単純すぎる罠に、しかし面白いほど見事にストーンカがハマった。雷電を纏って突っ込んでくる奴らのチャージ攻撃は強烈で恐ろしいものだけど、ああして真っ直ぐ突進してくるだけなので、ロゼさんがいるとむしろ鴨が葱を背負ってくるレベルで楽な相手になる。


 ズドドドド! と悲鳴を上げながら将棋倒しに漆黒の巨体を転倒させていくストーンカへ、ようやく出番がやって来た僕とフリムが躍りかかる。


『アタシが奥の半分を潰すわね!』


『わかったっ!』


 フリムの主張に頷きを返し、僕は目線をSBの群れの前方へと向ける。右手の黒帝鋼玄〈リディル〉と左手の白帝白虎〈フロッティ〉からディープパープルの光刃フォトン・ブレードが瞬時に飛び出した。


 すでに僕自身への支援術式は発動済みだ。〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉のフルエンハンス。現在、強化係数は四倍までにとどめている。


 自慢の長いツインテールを翻して、フリムが戦闘ブーツ〝スカイレイダー〟の機能によって不可視の階段を駆け上がった。山形の軌道を描いて奥側のストーンカ達へとどめを刺しに行くつもりなのだろう。


「でやぁああああああああっ!」


 僕もコンバットブーツで床を蹴る。一度転んだストーンカはなかなか起き上がれない。今朝のアシュリーさんの教えを意識しながら双剣を振るう。


 深紫の剣光が文目を描き、輝きの粒子が水飛沫のごとく飛散した。


『PPPPPPYYYYYY――!?』『PPPUUUURRRRRRYYYYY――!?』『PPPPRRRRRYYYY――!?』


 巨体の隙間を縫いながら、まるで身動きのとれない漆黒の猛牛を連続で屠っていく。


 楽勝だ。


 だけど油断してはならない。


 光刃状態の〈リディル〉と〈フロッティ〉はメチャクチャ軽い。なにせ柄部分しかないのだから当たり前だ。おかげで剣閃の速度は上がるのだけど、さて、それがまた問題でもある。


 軽すぎるのだ。


 そのため、早朝の訓練とは微妙に違った重心移動が肝となる。剣術指南役のアシュリーさんには『柔軟に対応しなさい』と言われているし、そのあたりはずっと昔、師匠から武器全般の扱い方を教わった時に掴んだコツがあるのだけど――


「はっ! やっ! たぁっ!」


 それが微妙に通用しない。早朝の訓練の時よりも身体が泳ぎ、上手く【流れ】が繋げられないのだ。


 というのもフリムが言うには、


「ああ、それ? それ多分【軽く感じてるだけ】よ。だって流体フォトンに質量がないと、特にアタシの『ジャイアントハンマー』なんて武器にならないでしょ? 元が自分の一部だから感覚的に軽く思えるだけで、ちゃんと光刃フォトン・ブレードにも重さはあるのよ。そのへんの感覚の差違を埋めるために実体剣も作ったんだから、悪いけどそこんとこは自分で上手く調節してくれない? あ、上手くいったら戦闘ログよろしく頼むわよ。研究データにするから」


 とのことで、この『軽すぎる』という感覚はあくまで僕の錯覚だというのである。


 言われてみれば確かに、フリムからドゥルガサティーを借りて『ナギナタブレード』を使用した時は、ちゃんと光刃の重さを感じていた気がする。多分、刃を形成していたのがフリムのフォトン・ブラッドだったからだろう。


 ややこしい話である。


 軽くないのに軽く感じる。同時に、軽く感じるのに軽くない。


 こうしてストーンカを立て続けに切り裂いている今だって、剣速は上がっているように思えるし、実際速くなっているはずなのだ。戦闘ログを見ればそれはわかる。だけど、それなら実体剣を使っている時にだってこの剣速が出せるはずなのに。


 この差は一体何なのだろうか?


 僕の修行不足だというのはわかっているけれど、似たような重さの剣を扱っておきながらここまで差が出てしまうのには、何かしら理由があるはずだ。あるいはそれを理解することこそが、アシュリーさんの言う『剣と一体になる』ということなのだろうか?


 ズガァン! という轟雷のごとき大音響に振り返ると、そこには超巨大な紫光のハンマーでストーンカ達を一斉に叩き潰しているフリムの姿があった。


 我が従姉妹ながら豪快の一言に尽きる。たったの一撃で、横臥していた猛牛の群れにとどめをくれたのだ。


 僕も遅れること一拍、担当していたストーンカ全てを切り裂き活動停止シャットダウンさせた。


 残心し、周囲を見回して伏兵や新たなSBのポップがないことを確認してから、我知らず止めていた息を吐く。


「ふぅ……」


 それにしても恐るべきは〈リディル〉と〈フロッティ〉の切れ味の鋭さである。黒玄と白虎は元からしてかなりの業物であったけれど、今じゃ全くの別物だ。もはや次元を一つ越えてしまったと言っても過言ではない。


 どれぐらい凄いかと言うと、斬った手応えがほとんどないぐらいに凄い。まるでゼリーかプリンでも斬っているような感覚で、サンドバッグみたいに身の詰まったストーンカの身体を切断できるのだ。僕がこの第一九五層で、強化係数たったの四倍でも満足に戦えているのは、ひとえにこの二振りのおかげと言っても過言ではなかった。


『――して、その阿呆はどうしたのじゃ?』


 戦闘が一段落してから、ハヌが話の続きを促した。倒したストーンカのコンポーネントは最後にとどめを刺した僕とフリムの〝SEAL〟へと吸収されていくけど、これは後でちゃんと分配する予定だ。


『あ、えっとね……』


 ちなみにさっきからルーターを介して念話しているのは、実は僕達四人の距離がそれなりに離れているからである。パーティーも四人になり、ルーターも購入したことでそれなりに陣形なんかも組めるようになってきた。現在は僕とフリムが前衛、中衛にハヌ、後衛にロゼさんという形をとっている。前衛でも中衛でも務められるロゼさんを後衛に置いたのは、後方からの奇襲に備えてのことだ。先日戦ったウロボロスではないけれど、所謂『双頭の蛇』と呼ばれる基本的な戦闘陣形である。


『も、勿論、アシュリーさんと一緒に助けたよ? 一応、助けたんだけど……』


『? どうされたのですか、ラグさん。こちらからでもわかるほど顔面が蒼白のようですが……』


「わっ、本当じゃない! ちょっとアンタどうしたのよ!?」


 僕の顔色を心配してくれたロゼさんが指摘すると、僕の傍まで戻ってきたフリムが肉声で驚きを露わにした。


 あは、あははは、と僕は砂漠のような乾いた笑みをこぼして、当時の成り行きを説明する。


『実はね――』






 偶然通りかかった僕とアシュリーさんに助けを求めてきたのは、どう見ても僕の倍以上は生きているであろう小太りの中年男性だった。


 軽鎧に戦闘コート、剣のような穂先がついた槍という、実に典型的なエンハンサーの出で立ちをしたおじさんは、こけつまろびつ僕達の足元へと駆け寄ってきた。


「たっ、たたた助けてくれ! ふぉ、フォトン、フォトン・ブラッドがっ、切れてしまって……!」


 この時点で既に嫌な予感はしていたのだ。


 しかし息も切れ切れに助けを求めるおじさんを、当然ながら見捨てることなど出来るわけもなく。


 アシュリーさんが即断した。


「やりますよ、ベオウルフ。あなたは右側をお願いします」


「は、はいっ!」


 おじさんの後からやってきたのは、〝バスターアーマー〟と呼ばれるSBセキュリティ・ボットの群れだった。ざっと見て、総勢十五体前後。


 俗に言う『リビングアーマー』の一種である。使い込まれた感のある――毎度のことながら情報具現化しただけの存在のくせに芸が細かい――鈍色の鎧騎士。当然ながら甲冑内には誰も入っておらず、関節部や兜の隙間から熾火にも似た青白い燐光が漏れ出ている。


 ある意味ではシルバーハウリングと正反対のSBだ。装甲は硬く、手にした剣や槍、戦鎚などによる攻撃力は決して侮れない。けれど敏捷性においては、プラチナの風と呼ばれる銀狼には遠く及ばない。


 つまるところ防御力に特化した化物なのだ。だから単純な話、甲冑を砕くだけの攻撃力さえあれば何の問題もない。が、逆に言えば、そうでない場合は文字通り手も足も出なかったりする。


 身体強化の効果が切れたおじさんは後者だったのだろう。


 だけど僕の黒玄と白虎は無論のこと、アシュリーさんの〝サー・ベイリン〟もその限りではない。


 僕達は苦も無く、ダブル二刀流で瞬く間にバスターアーマーの群れを全滅させた。そこまではよかった。


 そう――そこまではよかったのだけど。


 そこからが問題だった。


「た、助かった……」


 と安堵してへたりこんだおじさんに、アシュリーさんがとんでもない説教を始めたのだ。


「あなた、こんなところで何をしているのですか」


 それは詰問ですらなかった。問うているのではなく、ただ責めていた。お前のような雑魚が何をノコノコとこんな場所まで来ているのか――と。多分、言外に彼女はそう言っていたのだ。


「へ? あ、ああ……これは申し訳ない、ありがとうござ」


「何をしているのかと聞いたのです。質問に答えなさい」


 相好を崩してお礼を言おうとしたおじさんに、まるでルナティック・バベルの頂上――あるのかどうかわからないけど――から見下ろすかのごとく、アシュリーさんが超がつくほど高圧的な態度で言い放った。


 これ、経験者である僕にはわかる。わかってしまう。


 今のアシュリーさんが、ものすごく怒っているということが。


「見たところ、このあたりの階層でエクスプロール出来る実力もないようですが。そんなあなたが、どうやってこんな奥まで来たのですか。答えなさい」


 鋼のごとく硬い声を突き付けられたおじさんは、しばしポカンとした顔でアシュリーさんを見上げていた。けれど、不意に我に戻ると鼻っ面に獰猛な皺を寄せ、怒りの表情を浮かべる。


「な、なんだ偉そうに! 助けてもらったのには感謝するが、あんたみたいな子供にそこまで言われる筋合いは――」


「なら、その子供に助けられたあなたは一体何なのですか。赤ん坊か小動物ですか」


 毒を塗った刃にも等しい痛烈な皮肉が、おじさんの言葉を鋭く切り裂いた。


「――……!?」


 あまりの痛罵に二の句が継げず、おじさんは目を白黒させながら、餌をねだる池の鯉みたいに口をパクパクさせた。


 うわぁ、と僕は声もなく甘引きする。相変わらずの容赦のなさに、自分が言われているわけでもないのに背筋が震え上がってしまう。


「あなた、エンハンサーですね。もしやとは思いますが、最近流行りの〝ベオウルフ・スタイル〟にあてられた口ですか。いえ、皆まで聞かずともわかります。もしかしなくともベオウルフの猿真似をしてここまで来たのでしょう。それしか考えられません。それでこのざまですか。恥を知りなさい」


 手心など一切ないアシュリーさんの舌鋒に、今度こそおじさんの堪忍袋の緒が切れた。


「――ふっ、ふざけるなっ! 命の恩人だと思って下手に出てりゃ調子に乗りやがって! 年上を敬うことすら出来ないのか、最近のガキは!」


 怒鳴りつけながら立ち上がろうとしたおじさんの動きが、しかし途中で凍りついたように停止した。


「命の恩人を捕まえてガキ呼ばわりするような人間に、礼儀を説かれる筋合いはありません」


 一体いつの間にそこに動かしたのか。蒼い曲刀の切っ先が、おじさんの喉元に突き付けられていた。


「――ッ!?」


 ブルッ、と言葉もなくおじさんの総身が震え上がった。


 僕も仰天して思わず叫ぶ。


「あ、アシュリーさん!? な、何を……!?」


「お黙りなさい、ベオウルフ。ここにあなたの名を貶めようとする愚か者の一人がいるのですよ。放っておけるものですか」


 アシュリーさんが凍えた声でそう告げると、おじさんの双眸が驚きに見開かれた。


「――へっ……!? えっ、えっ?? ベ、ベオウルフ……!? こ、この子供が……!?」


 ギョロリとひん剥かれた目玉で僕とアシュリーさんの顔を、何度も交互に見返す。挙げ句には僕を指差して『し、信じられない……』とでも言いたげな表情を浮かべた。


 どうやらベオウルフの名前は聞いていても、僕の顔は知らなかったらしい。


 アシュリーさんの瑠璃色の瞳がこの時、氷の魔女の指輪よりも冷たく光った。


「別段、あなたがエクスプロール中に死ぬこと自体は構いません。身の程をわきまえず己が力量を越えた階層へ挑戦することも、敢えて愚かだとは言わずにおきましょう」


 さりげなくアシュリーさんの双曲刀が動いて、いつだったかニエベスにそうしたように、蟹の鋏よろしくおじさんの首を挟み込んだ。これでもう彼は逃げることも出来なくなる。


「ですが」


 そんな剣呑過ぎる真似をされながらも、未だおじさんはその事実に気付いていないようだった。それはきっと、アシュリーさんが手足のように剣を扱っていたからに違いない。あまりにも自然すぎて、よほど注意して見ていなければそうと認識できないのだ。


「今は時期が悪すぎます。万が一にもあなたのようなエンハンサーが、しかもソロで死んだということが広まってみなさい。まず間違いなく〝ベオウルフ・スタイル〟と関連づけられてしまうでしょう。そうなれば、否が応でも〝勇者ベオウルフ〟の名は地に落ちます。そのようなこと、このアシュリー・レオンカバルロの目が青い内は絶対に許しません」


「――ひっ……!?」


 ようやっと自分の太い首にかけられた死神の鎌に気付いたおじさんの喉から、短い悲鳴が漏れ出た。ぶわ、と顔中の毛穴から脂汗が一斉に噴き出す。


 アシュリーさんはわざとらしく〝サー・ベイリン〟の刀身を擦りあわせて、しゅら、と刃を鳴らせた。


「先程、命の危機に陥って身に染みたでしょう。その分不相応で愚かな戦い方を即刻、今すぐ、絶対にやめなさい。やめないと言うのであれば、いずれ近い内に死ぬ身です。今ここで私が引導を渡してあげましょう」


「ひぃぃぃっ!?」


 じわじわと隙間を狭めていく首刈り鋏に、おじさんが顔面を蒼白にして恐怖の悲鳴を上げた。けれどアシュリーさんはまな板の鯉でも見るような眼つきで彼を睨んだまま、決して手を緩めようとはしない。是という返答がなければ、このまま本当に首を落としてしまうつもりなのか。


 流石に物理的にでも止めるべきかと思った瞬間、おじさんの心がボキリと折れた。


「――わ、わかりましたやめますっ! やめますからっ! ど、どうか、どうかお助けを……!」


「わかればよろしい」


 求めていた返事が得られるや否や、アシュリーさんはすんなりと剣を引いた。


 途端、全身を小刻みに震わせながら、へなへなとおじさんの体が崩れ落ちる。


「これに懲りたのなら、あなたの周囲にもよく触れ回っておくことです。噂の〝ベオウルフ・スタイル〟は危険だと。死にたくなければ絶対に真似をするなと。ああ、それともう一つ」


 一度は下ろされた曲刀の切っ先が、再びおじさんの額に向けられる。ビクン、と電流を流されたカエルみたいな動きでおじさんの身体が跳ねた。


 赤金色の髪の少女は、霜が降りるような冷たい声で言い放つ。


「次はありませんよ。今度、同じ理由で私の前に現れた時は、問答無用で斬り捨てます。よく覚えておきなさい」


「――は、はいっ……はいぃっ!」


 鼻水を垂らして涙目になったおじさんが、ガクガクと壊れたからくり人形みたいに何度も何度も首を縦に振った。


 そういえば聞いたことはなかったけれど、アシュリーさんも見た感じ、さほど僕と年齢は変わらないはずである。多分、このおじさんの七割も星霜を経てないだろう。


 なのに、この貫禄の差。


 あちらが大人でこちらは子供のはずなのに、力関係が完全に逆転してしまっている。流石はトップエクスプローラー集団『蒼き紅炎の騎士団』の幹部、〝絶対領域ラッヘ・リッター〟の異名をとる剣士というところだろうか。


 ――って、そんなところに関心している場合じゃない!


「や、やりすぎですよアシュリーさん!? どうして――」


「どうして? 今、どうしてと言いましたか?」


 ギラリ、とジャックナイフみたいに尖った視線が僕の顔に突き刺さった。


 今度は僕が青ざめる番だった。あまりの眼力に僕は反射的に両手を上げて、僅かに背中を仰け反らせてしまう。


「え!? い、いや、あの……!?」


「――相変わらずあなたは肝心なことがわかっていないようですね。つい先刻、注意を喚起したばかりだというのに。ちゃんと気をつけると、あなたも言っていたではありませんか」


 舌鋒鋭く、アシュリーさんは切り込んでくる。


 きっと、僕に悪い風評が立つことを心配してくれているのだろう。だけど、


「い、いえ、で、でも、こればっかりは僕だけの力では、その、何とも……」


 ここでこのおじさん一人を説得したところで、大きな流れは変えられない。だからそんなに過激な真似をしなくても――と僕は主張したかったのだけど、その前にアシュリーさんが爆発した。


「そんなことはわかっています! しかし、だからといって目の前に出てきた悪い芽を摘まずにどうしますか! 千里の道も一歩からと言います。いいですか、以前にも言いましたがあなたには――」


 僕の言い分は怒声に吹き飛ばされ、アシュリーさんはそのままお説教モードへと入ってしまった。


 こうなると長い。


 ふと見ると、ショックのあまりか、おじさんはその場にへたり込んだまま放心状態になっていた。期待する由もなかったけれど、あの人からの助け船はほぼ絶望的だろう。


 ――ああ、どうしよう……みんなとの集合時間に間に合うかな……


「――堤防も蟻の穴から崩れると言うではありませんか。ですから、あなたはもっと毅然とした態度をとり、その威を以て周囲の人間に……聞いているのですかベオウルフッ!」


「は、はいッ! すみませんッ!?」


 鋭い一喝に僕は、背筋どころか頭のてっぺんまでピンとさせて直立したのだった。






『……というわけなんだ……』


『あっは♪ なによアシュリーったら、相変わらずねぇ。ま、ハルトもハルトだけど』


 今朝あったことを語り終えてげっそりする僕を、フリムがかんらかんらと笑い飛ばした。


『私はまだ会ったことがないのですが、そのアシュリーさんという方は、随分と真面目な御仁なのですね』


 ロゼさんがアシュリーさんの人となりに、簡潔な感想を述べる。


 そうは言うけれど、そのアシュリーさんとロゼさんはちょっと似ている気がします――とは、口が裂けても言えない僕であった。


『むぅ……解せぬのう……』


『えっ? ど、どうしたのハヌ?』


 不満を凝り固めたような声に、瞬間的に嫌な予感を覚えてしまう。離れた場所に立つ小柄な外套姿へ視線を転じると、ハヌは腕を組んで何やら考え込んでいるようだった。


 やがて顔を上げると、この距離からでもわかる蒼と金の瞳が僕を見返した。


『……そのアシュリーとやらの言い分じゃ。ラトの真似をする輩がゾロゾロと現れる。しかし、ラトほど上手くやれずに死んでしまう――そこまではよいのじゃ。わかる。……じゃがの、それがどうなればラトの悪評へと繋がるのじゃ?』


 素朴な疑問を呈して首を傾げるハヌに、僕の隣のフリムが天井を仰いだ。


『……あー、まぁそうね。普通はそう思うわよねぇ、確かに』


『エクスプロールの最中に死ぬのは、そやつの自己責任であろう? 何故それがラトのせいになるのじゃ? 妾はそれが解せぬ』


『気持ちはわかります、小竜姫』


 難しい顔をして唸るハヌに、ロゼさんが宥めるように同意を示した。


 どうやらハヌ以外の二人は、〝ベオウルフ・スタイル〟の台頭と衰退によって、一体どのようなことが僕に起こるかを正確に理解しているようだった。


 フリムは白銀の長杖を肩に担ぎ、気怠げな口調で言う。


『けど、世の中そういうものなのよ。簡単に言っちゃえば、責任を押し付けられちゃうのよね』


『ほ? 押し付けられるじゃと?』


『そ。無理矢理にね』


『ええ。無責任な第三者がそのように仕向けるのです。残念なことに』


 フリムに追随して、ロゼさんも首肯する。


『どこぞのだれそれが死んだ。誰のせいだ? それはあんな危険な戦法を広めたベオウルフのせいだ。そうに違いない。アイツが悪いのだ――ってね』


 芝居がかった口調で言ってから、フリムはやれやれと肩を竦めて見せた。


『ふむ……』


 ロゼさんとフリムの説明を聞いたハヌは、相変わらずの明敏犀利さを発揮し、一足飛びで正解へと辿り着いた。


『……それはつまり、【嫉妬】、というやつが原因かの?』


『ご明察です』


 すかさずロゼさんが短くも力強く肯定した。


 そう、実に簡潔に言い表せば――【嫉妬】、その一言に尽きるだろう。


『ま、ハルトに限った話じゃないけどね。もっと言えばエクスプローラーにも限らないけど。どこの業界でも他人より目立ったり有名になったりすると、大抵は出る杭を打とうとする連中がわんさか出てくるものよ』


『得てしてそういった人々は手段の是非を問いません。今回の場合ですと、〝ベオウルフ・スタイル〟というのはどう考えても格好の餌です。そこに火を点け、煽り、野焼きのごとく広げていくのが彼らの常套手段なのです』


 だからそれを少しでも防ぐために、アシュリーさんはあのおじさんを恫喝してくれたのだ。〝ベオウルフ・スタイル〟――あんなもの、真似する奴の方が悪い。あれはベオウルフ本人でなければまともにエクスプロールすることも出来ない、一般人には役立たずの戦型スタイルなのだ――と。そんなイメージが少しでも早く広まるように。


 むう、とハヌが唸った。


『つまり――そやつらは正義を謳うというわけでもなく、ただラトを貶めんがためだけに根も葉もない噂を流し、己が自尊心を満足させようとしていると……そういうわけじゃな?』


『せーかい』


 うんうん、と意味もなく厳かに頷き、フリムが長い二房の髪を揺らした。と思った次の瞬間、彼女は一転して明るい声を出す。


『でもまぁ、よくある通過儀礼みたいなものじゃないの? トップクラスのエクスプローラーなら誰だって経験してるみたいだし』


 アメジスト色の視線で話を振られたロゼさんが、こくり、と頷く。


『そうですね。そういった意味では私の〝狂戦士ウールヴヘジン〟や、フリムさんの〝災厄女王デッドリーヒール・クイーン〟も似たようなものです』


『……え? ちょっと待ってロゼさん何ソレ? 〝災厄女王デッドリーヒール・クイーン〟? え、アタシのこと? 嘘、何ソレ、聞いたことないわよ?』


『そうでしたか。なにやらキアティック・キャバン界隈ではかなり有名だったようなのですが』


 そこそこなショックを受けたらしく、ふらり、とフリムの身がよろめいた。


『ちょっと待ってよ……ア、アタシにはお師匠の〝光り輝く翼(ヴェルンド)〟にちなんだ〝無限光アイン・ソフ・オウル〟っていう超かっこいい二つ名があるのにっ……!』


『あ、あはは……』


 本気で悔しがる従姉妹に、僕は苦笑するしかない。


 何を根拠に、自分には裏のあだ名が付けられていないと思っていたのだろうか、僕の幼馴染みは。僕ですらかつては陰で〝ぼっちハンサー〟とか〝小竜姫の腰巾着〟とか呼ばれていて、今でもこっそり〝怪物ジ・モンスター〟をもじった『モンハンサー』とか〝ベオウルフ〟をもじった『ベオ狼』などと呼ばれているというのに。


『なるほどのう……〝嫉妬〟か……』


『? どうしたの、ハヌ?』


 なにやら妙にしみじみと納得している様子なので、気になって尋ねてみた。すると、


『ふむ……その、なんじゃな。以前はよくわからなかったのじゃが、最近は妾も、その〝嫉妬〟なる感情が何となくわかってきての。行動の是非はともかく、そやつらの気持ちもわかるような気がするのじゃ』


『え……? ハ、ハヌが……嫉妬……?』


 夢にも思わなかった発言に、僕は目を点にしてしまった。


 というか、ハヌのことだからてっきり『痴れ者共が! 矮小なる己を省みることもせず下らぬ感情に翻弄されよって! 妾の前に出てこようものならどいつもこいつも即座に消し飛ばしてくれようぞ!』なんて怒り出すものと思っていたのに。


『うむ。例えばじゃの。この頃、妾はこのようなことを考えてしまうのじゃ』


 はふぅ、と珍しくアンニュイな溜息をハヌが吐いた。蒼と金のヘテロクロミアが何故か僕に流し目を送り、ちっちゃな唇が、くふ、と猫みたいに笑む。


『――最近のラトは、朝はアシュリーとやらとの訓練、夜はロゼとも訓練をし、その後もフリムと武器にまつわる話し合いばかりしておる。これでは唯一無二の親友である妾と一緒におる時間が、一番少のうなっておるのではないか――とな?』


『へ――!?』


 絶句した。


 青天の霹靂とはまさにこのことだった。


 音と光のない雷撃が僕の脳天を穿つ。


 意識の死角から打ち込まれた【口撃】に、僕はどうしようもなく目を白黒させた。


 ――え、いや、待って? 待って? ちょっと、いや、うん、ちょっと待って欲しい。


 嫉妬。


 しっと。


 ジェラシー。


 ――やきもち。


 そういったネガティブな感情をハヌが抱いていたことにもびっくりだけど、その原因が僕であったことは、それ以上の驚きだ。


 いや、落ち着いて考えてみよう。冷静になれ、僕。


 つまり、つまりだ。


 ハヌの言い分を要約すると――『最近ラトが構ってくれぬ、退屈じゃ、一緒におるあやつらが羨ましい』――ということになる……なるのだろうか?


 な、なるのか? いや、なる。


 なってしまう。


 ――た、大変だ、驚天動地の事態だ……!


 よもやハヌが、あのハヌが。


 まさか、そんなことを考えていただなんて。


 思いも寄らなかったし、全く気付いてもいなかった。


『あ――え、えとっ……!? そ、そのっ……!?』


 あわあわわ。何か、何か言わなきゃ。そう焦って口を開くけど、思考が空転してしまって上手く言葉が全然出てこない。


 そんな風に慌てふためいていると、ふっ、と真理を悟った賢者のようにハヌが笑い、肩を竦めて見せた。


『別に構わぬぞ? 妾は特段寂しいと言っておるわけではない。ただの……このままラトが遠くへ行ってしまうのかもしれぬと思うと……こう、何と言うのかの? 切なくなるとでも言うのかの? 胸のあたりが、ぽっかりと【がらんどう】のようになってしまうだけでの?』


 持って回った言い回しに、ぶわっ、と僕の全身から嫌な汗が噴き出した。


『ま、待って! 待ってハヌちょっと待って!?』


 僕はリング上のレフェリーみたいに両手を広げて、ボディランゲージで『ストップ!』の体勢をとった。


『なんじゃラト? 何を取り乱しておるのじゃ?』


 そう問いながらも、ぷいっ、と視線をあらぬ方向へと泳がせるハヌ。もう少し機嫌が悪ければ唇も尖がらせていただろうか。


 僕は広げた両手を、パシン、と音を立てて合わせた。


『ご、ごめん! 本当にごめんなさい! 僕その、うっかりしてて……!』


『何を言うておる? 妾は何も気にしておらぬぞ?』


 そうは言うけど、色違いの瞳は明後日の方向を向いたままだ。口調だっていつもより恬淡としていて、よそよそしい気がする。拗ねる直前――否、もうほとんど拗ねていて、しかも変な風にこじらせつつあるのだ。


 これはまずい。


 確かにハヌの言う通りだった。『開かずの階層』をエクスプロールすることが決まり、アシュリーさんの剣術指南が始まってからこっち、以前みたいに一緒に映画を見たり、スイーツカフェへ甘い物を食べに行ったり、露店街で買い食いしたりといった、二人だけの友だち付き合いが全然出来ていない。しかも僕は自分自身の忙しさにかまけて、ハヌのことをすっかり蚊帳の外へ置いてしまっていたのだ。


 色んな人に相手してもらっていた僕はともかく、その間、ハヌはほとんど一人ぼっちだったに違いない。


 怒るのも無理なかった。


『――お、美味しいパフェ! ま、前に一緒に食べに行ったあのスペシャルパフェ! あ、あれ、また食べにいかないハヌ!?』


『ふん。ラトは毎日忙しいのであろう? 妾は知っておるのじゃ。無理などせずともよい』


 そっぽを向いたまま、とうとうハヌが唇を尖らせてしまった。声音もやや低くなっている。


 取り付く島もない態度を崩さないハヌに、けれど怖じ気づいてはならない。ここで引いたら後でもっと面倒なことになることを僕は知っている。だから、


『や、休みの日っ! 今度の休みの日っ! アシュリーさんにお願いして訓練もお休みにしてもらうからっ!』


 一気に畳み掛けた。


 ここで、じゃあ早朝の剣術指南が終わってから――などと言おうものなら、きっとハヌは余計に臍を曲げるに違いなかった。というか、休日丸ごと使ってでもしなければ、これまでの埋め合わせには到底足りないと僕が思ったのだ。


『だから朝から晩までずぅぅぅぅっと一緒だよ! 美味しいものたくさん食べて、いっぱい遊ぼう! ね!? ――お、お願いっ! この通りですっ! どうか僕と一緒に遊んでくださいっ! お願いしますっ!』


 両手を合わせたまま何度も拝み倒す。


 我ながら必死過ぎる気もするけれど、口にしている言葉は決して嘘ではなかった。勿論、多少の媚びが入っているのは否定しない。だけど、僕だってハヌと一緒に遊ぶ時間が本当に大好きなのだ。


 ちらっ、と蒼と金の視線がわずかにこちらを向いた。


『……本当にか? 本当に全て休むのじゃな?』


『休む! 休むよ! 何が何でも休むから! エクスプロールもアシュリーさんの剣術指南もロゼさんとのトレーニングも! ――あ、あのロゼさんすみませんっ! そういうことなので今度のお休みお願いしますっ!』


『はい、了解しました』


『フリムもごめん! その日は戦闘ログの提出はなしでっ!』


『仕方ないわねぇ』


 ハヌを説得する傍ら、僕達のやりとりを見守ってくれていたロゼさんとフリムにも頭を下げて、根回しをする。幸い二人とも快諾してくれたので、これでさらに話がしやすくなった。


『……絶対の絶対に、一日中、妾と一緒におるんじゃな?』


『うんっ! うんうんっ! 絶対の絶対の絶対にっ!』


 僕が首が引っこ抜けるんじゃないかってぐらいの勢いで、何度も頭を縦に振った。


『遠出は出来るのかの?』


『うん、行こう!』


『甘い菓子を所望しても?』


『全然いいよ!』


『そういえば街の観光がしてみたいのう』


『どんとこいだよ!』


『……よかろう』


 くふ、と笑う気配がルーター越しに感じられた。見ると、この距離からでも綺麗に見える金目銀目が、さらに煌めきを増しているのがわかった。


 ハヌが微笑んでいる。


『許してつかわす。それでこそ妾の親友じゃ。――しかし、わかっておるのう。せせこましく時間を作ろうなどとせず、まず最初に〝丸一日〟と言うたのが潔しじゃ。確かに約束したぞ、ラト?』


 ようやく機嫌を直してくれた彼女に、よかった――! と僕は心の中でガッツポーズをとった。


『――うんっ! 絶対に約束する!』


 釣られて僕も笑顔になると、隣のフリムがハヌの向こうにいるロゼさんと視線を交わし合い、やれやれだ、みたいな感じで苦笑した。ちょっとだけ面映ゆい。


 だけど、これで一安心である。ふぅ、と僕は隠れて安堵の息を吐いた。


『――しかし話を戻すが、実際どうすればよいのじゃ? その〝ベオウルフ・スタイル〟とやらに対しては』


 閑話休題。自ら爆弾を投下したハヌが、しれっと話の流れを本筋へと戻した。


 すると、


『放っておけばいいんじゃない? 多分、流行が廃れるまでじっくり待っていることぐらいしか出来ないわよ』


『そうですね。噂の中心人物がどうにかしてこの手の噂を収束させたという例は聞いたことがありません。時間薬に期待するしかないと思われます』


 フリムはざっくばらんに、ロゼさんは論理的に、結局は同じことを言った。


『ふむ……そうなのか……』


 何だか腑に落ちないような声で、ハヌが呟いた。賢い子だから二人の意見に一理ありと思いつつも、納得できない何かがあるのだろう。


 だけど実際、僕達にはお手上げなのである。


 人の口に戸は立てられないし、ましてや〝SEAL〟を持つ人類全てがコレクティブ・シンクロニシティ・ネットで相互接続されている以上、情報の拡散を防ぐのは理論上ですら不可能だ。


 だから二人が言うように、出来るのはせいぜい嵐が過ぎるのを待つことのみ。余計なことをして更に炎上しては、藪蛇もいいところなのだから。


 とはいえ、変な噂が出回っているのに何もしないというのも、何だかモヤモヤする。多分、ハヌもそうなのだろう。


『…………』


 ふと沈黙が下りて、何となく僕達の間に微妙な空気が流れだした時、


『――ここで立ち話をしていても何ですから、そろそろ行きましょうか』


 ちょうどいいタイミングでロゼさんがそう呼び掛けてくれて、雰囲気がリセットされた。僕らは誰からともなく歩みを再開し、改めてSBのポップを警戒しつつ、純白の廊下を進んでいく。


 と、蒼銀と紅銀の鎖が蛇のように素早く床を這い、僕達の横を通って先を行った。前衛の僕達も警戒は怠らないが、一応念のための索敵センサーである。勿論、後衛に位置するロゼさんよりさらに後方にも鎖は伸びていた。


「…………」


 先頭に立って歩く僕は、フリムと分担で周囲に気を配りながら、けれど頭の片隅で〝ベオウルフ・スタイル〟について考えていた。


 思い返してみれば、ここ最近が少し異常過ぎたのだ。


 この街に来てからのことを振り返ってみると――ハヌとの出会いが、全ての始まりだったように思える。


 それからヴィリーさん達と知り合い、ハーキュリーズを倒し。


『ヴォルクリング・サーカス事件』ではロゼさんと共にシグロスを撃破し、それからほとんど間を置かずルナティック・バベルの『開かずの階層』へと囚われ、ミドガルズオルムとの戦いを余儀なくされた――


 こうして時系列に羅列してみると、我ながらかなりの壮観である。畳み掛けるような勢いと言ってもいい。


 そう、僕史上ちょっと――否、かなり有り得ない頻度で、大きな事件ばっかりが立て続けに起こっているのだ。


 無論、辛いことばかりではなく、嬉しいことも楽しいこともたくさんあったので、苦難の連続とまでは言わない。言わないが……流石にこの密度はない。いくらなんでも濃密にも程がある。


 僕や、僕の使用する支援術式が悪目立ちしてしまったのは、多分にこの高濃縮された日々の所為もあるのだと思う。まぁ最後の『開かずの階層』の件については、他言無用だったはずなのだけど。


 こんなにも怒濤のごとく色んなことが起きて、危機一髪で死線をくぐり抜け、その度に派手な結果を残していれば――確かに目立って当然だ。


 これはアシュリーさんからの受け売りなのだけど、『人の噂も七十五日』という言葉がある。


 こうなればしばらくは派手な行動を控え、人々の記憶が薄れるのを待つのが最善手だろう。と言っても、残念ながら近々『開かずの階層』のエクスプロールという一大イベントが待ち構えているのだけど。


 願わくば、その節は何事もなく、平穏無事に――エクスプロールなのに何を期待しているのかと思われちゃうだろうけど――終わってくれることを祈ろう。本当にそうなってくれたら、どれほどありがたいことか。


 まぁきっと、『放送局』はヴィリーさん達ばっかり撮影するだろうから、僕達はあまり目立たないとは思うのだけど。


 それにしても、ハヌと出会う前はこんなことになるだなんて夢にも思わなかった。友達が出来て、仲間が出来て――こうして、パーティーを組んでいるだなんて。


 世の中、何が起こるかわからないものである。


 ――そうだ。何が起こるかわからないと言えば、先日のニエベスのようにまたぞろ悪意を持って嫌がらせをしてくる人が現れないとも限らないのだ。アシュリーさんも注意してくれたではないか。


「自分勝手で逆恨みをする人間はいつの世も絶えません」――と。


 もし同じようなことが起こった際は、今度こそちゃんと対応しなければ。


 侮られたり、侮蔑されたりせず、またこちらも逆上することなく、冷静沈着に事態を収拾するようにしないと。


 そう、あの時のアシュリーさんみたいに。


 僕が原因でハヌやロゼさんやフリムに、妙な迷惑なんてかけたくない。


 僕が護るのだ。


 みんなを。


『――引っかかりました。前方五〇メルトルほど、亜人型です。数は十五体前後かと』


 ルーターを介してロゼさんの鋭い索敵報告が上がった。〈レージングル〉と〈ドローミ〉がSBのポップを感知したのだ。


 僕達は即座に足を止め、身構える。見れば通路の奥で、情報具現化コンポーネントの青白い輝きがいくつも瞬いていた。


 僕は支援術式〈イーグルアイ〉を発動させ、深紫の光で形成された鳥を矢のように投擲する。


 俯瞰視覚で見えた。


 僕達の接近に対して具現化したのは〈ディバイドヘッド・オーガ〉と呼ばれる亜人型SBだった。


 赤黒い体皮に覆われた、筋肉質な巨躯。最大の特徴は、角が生えた頭を自らの手で持っているところだ。『ディバイドヘッド(頭が外れる)』の名の通り、奴の頭部は取り外しが可能なのである。


『GGGGGRRRRRRAAAAAAAAAAA――!!』


 右手に大剣、左手には鬼の頭。しかも、灰褐色のざんばらの髪を無造作に掴まれているにも関わらず、浮かべている表情がまさしく『鬼の首を取ったよう』と言う他なく、色々と洒落のきいたSBであった。


『うっわ……アタシあいつ嫌い……なんかキモイのよね……』


 共有視覚で奴らの姿を確認したフリムが、露骨に顔を歪めた。


『気持ちはわかるよ……』


 僕も同意する。


 何が嫌かって、あの〈ディバイドヘッド・オーガ〉は角の生えた自分の頭を躊躇なく投擲してくるのである。それでもってこちらの隙を誘発し、手にした無骨な大剣で斬りつけてくるのだ。


 別段、それがよほどの脅威というわけではない。


 けれど、ちょっと想像してみて欲しい。一体や二体ならともかく、もし十体以上が同時にそれをやってきようものなら……?


 ちょっとしたホラー映像の出来上がりである。


『――後方にも感あり。こちらは先程と同じストーンカのようです。ラグさん、フリムさん、そちらはお願いします。私は後背を守りますので』


『妾もロゼを援護する。ラト、フリム、そちらは任せたぞ!』


『はいはい了解ってね!』


『わかった! 任せて!』


 まさかの挟み撃ち。にわかに空気が張り詰め、緊迫感が充満する。ビリッ、と背筋に電流が走った。


 こうなっては意識の片隅とはいえ、つらつらと考えごとをしている場合ではない。僕は頭を振って雑念を振り払う。


『行くわよハルト! 気持ち悪いもの投げてくる前にぶっ倒すんだから!』


『うんっ! 突っ込むよ!』


 身体強化の支援術式を一気に発動させ、フルエンハンス。強化係数を四倍に引き上げる。同時に〈シリーウォーク〉を使って立体機動を可能とさせた。


 ドゥルガサティーを構え、スカイレイダーで駆けるフリムに続き、僕も床を蹴った。合わせて、両手に握った〈リディル〉と〈フロッティ〉に剣術式を同時発動。


「〈ドリル――ブレイク〉!」


 背中から勢いよくディープパープルの輝きが噴射し、僕は疾風迅雷の弾丸と化す。


 大気を貫き、一気に敵陣をぶち抜いた。





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