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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第三章 天才クラフターでスーパーエンチャンターのアタシが、アンタ達の仲間になってあげるって言ってんのよ。何か文句ある?

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●21 ちょっとした悟りの境地に立つ





 ちゃんと順を追って説明しなさい、とフリムとアシュリーさん、二人の女傑から揃ってたしなめられたニエベスは、訥々と説明を始めた。


 僕も詳細は聞いていなかったので、彼の言葉に耳を傾ける。


 空を探索する僕達と別れたニエベス達四人は、本人曰く、わりとダラダラと周辺の調査を始めたそうだ。


 この時はまだSB――つまりドラゴンがポップしていなかった為、四人は何事もなく大手を振って街中を歩くことが出来た。


 が、しばらく進んでいくと、彼らは妙なものを発見する。


 巨大な石像である。


 世界を見渡せば、どこかの宗教の神様や、過去の偉人の彫像なんかは珍しくもない。場所が遺跡レリクスともなれば、なおさらだ。


 この時、彼らが見つけたものもそういった類のものだと思われた。


 双頭の蛇――ウロボロス。


 そこらに建っている朽ちたビルディングを、そのまま横に倒したのとほぼ同じ大きさのそれは、確かに尻尾を持たず、替わりに頭が二つある大蛇の形をしていたという。


 その双頭蛇の巨像は、やはりそこらに建っている建物と同じぐらい古ぼけており、表面は所々が黴びているかのように苔むしていた。原料は恐らく石で、全体的にクラックが走っていたそうだ。


 ちょいと蹴ってやれば崩れ落ちるかもしれない――そう思うほど、ニエベス達には双蛇像がみすぼらしく見えたらしい。


 故に、四人は何の警戒心も抱くことなく巨像へと近付き、何気なく手を触れた。


 その途端だった。


 見つけた時には他のビルディングと同じく灰色だった地肌が、水面にインクを落としたかのごとく変色した。


 得も言えぬほど、ひどく毒々しい玉虫色に。


 変色は波紋が広がるかのごとく巨像の表面を伝播し、瞬く間に全体を駆け巡った。


 夢にも思わなかった事態に、彼らは四人揃って硬直し、呆然と事の行く末を見守ることしか出来なかったという。


 次の瞬間、見る角度によって色の変化する【ソレ】がゆっくり、しかし確かに動いた。




『VVVVVVVVVVRRRRRRRRRROOOOOOOOOOOOOWWWWWWWW――!!』




 繰り抜いたトンネルの中身かと思うほど巨大な図体、その両端についた双頭が、空に向かって同時に咆哮をあげた。


 天に裂くような鋭い雄叫び。


 今ならば、それこそが呼び水だったのだとわかる――そうニエベスは語った。


 双頭の大蛇の甲高い遠吠えが空へ吸い込まれていった瞬間、地上も空中も問わず、一帯に無数のコンポーネントがポップし、ドラゴンの群れが一斉に具現化したのだから。


 逆算してみると、どうやら僕とフリム、アシュリーさんの三人が空中で会話していた時とタイミングが重なっていた。道理であの時、いきなり飛竜達が出現したわけである。


 出し抜けに飛竜と駆竜に囲まれてしまった四人組は、それはもう泡を食って逃げ出した。あまりに慌てていたため、赤コートの支援術式を使って隠れることすらすぐに思いつかなかったという。


 そんな状態で、まず鼻ピアスがやられた。


 すぐ近くにいた駆竜の〝触角〟による一撃だったらしい。逃げる背中を刺され、かなり危険な倒れ方で地面に転がった。そんな彼をすぐさまニエベスが抱きかかえ、ノッポが格闘術式で駆竜の注意を逸らし、逃亡が続行された。


 四人は細い路地を選んで逃げ回り、その途中でようやく隠蔽術式に思い至り、〈カメレオンカモフラージュ〉と〈アコースティックキャンセラ〉を発動させて姿を隠した。


 後はそのまま路地裏を抜けて抜けて、僕らと遭遇した時に出てきた建物の中へ逃げ込んだのだという。ただ残念なことに〈タイムズフレグランス〉が赤コートの〝SEAL〟にインストールされていなかったことが災いし、そう間を置かず匂いを辿って追跡してきた駆竜の群れに建物ごと囲まれてしまった。


 結局、そこで赤コートが枯渇イグゾーストするまで隠れ続けたが、次に打つべき手が全く思いつかず――ついにフォトン・ブラッドの残量がなくなり赤コートが倒れると、あっさり進退が窮まってしまった。


 どう考えても活路はなく、一縷の希望すら見いだせない中、ニエベスとノッポはほとんど自暴自棄な気分で失神している赤コートと鼻ピアスを担ぎ、もうどうにでもなれとばかりに絶望的すぎる脱走を敢行した――というのがあの時の顛末らしい。


 そして現在に至る。


「……全長百メルトル以上の……ゲートキーパー……」


 アシュリーさんがニエベスから聞いた話を要約し、一言で表してみせた。その途方もない数字に、僕は思わず生唾を呑み込んでしまう。


 未だブルブルと全身を震わせているニエベスが、捨て鉢気味に叫んだ。


「ああ、そうだよ……! 間違いねぇ、あそこにある一番高ぇ建物の半分ぐらいはありやがった……!」


 と、彼が指差すのは、どう見ても二百メルトル以上はありそうな高層ビルのなれの果て。


 とりあえず、恐怖のあまり誇張している、ないしは大きいと思い込んでいると仮定しよう。それでも、例え話半分だとしても、双頭の蛇の全長は五十メルトル以上あることになる。


 かつて僕が倒した人型ゲートキーパー〝ヘラクレス〟の身長は約六メルトル程だっただろうか。これでも高さだけならゲートキーパーの中では大きい方だ。


 全長という意味では、初めて戦ったゲートキーパー〝海竜〟が一番だろう。あれはきっと、真っ直ぐ伸ばしたら二十から三十メルトルはあったはずだ。とぐろを巻いていたから正確なところはわからないけれど。


 蛇型ということであれば、同様に身を渦巻き状にしていると思っていいだろう。ということは――あれ? やっぱり全長百メルトルぐらいある……ということになるのだろうか?


「そう言われても、流石にこの目で見てみないことには信じられないわねー。ま、そこまで言うんだから、よっぽど大きかったんでしょうけど」


 ニエベスの話をほとんど信じていないのか、フリムがばっさりと切り捨てた。


「しかし、これまでにない大きさのゲートキーパーであること、そして難敵であることは間違いないでしょう。なにより、最大の問題点はゲートキーパーそのものではありません」


 こちらは半信半疑という感じのアシュリーさんが、問題提起する。


「おそらくは双頭蛇のゲートキーパー――便宜上〝ウロボロス〟と呼びますが――が起動すると同時に、ドラゴンの群れがポップすることです」


 アシュリーさんは語る。ニエベスがもたらした情報から推察出来るウロボロスの仕様を。


「ゲートキーパーがコンポーネントの状態ではなく、既に具現化した状態で待機スリープしているのは非常に珍しいことですが……前例がないわけではありません。そしてその前例の全てが、彼らがしたのと同じように『物理的接触』をきっかけに起動あるいは覚醒し、戦闘が始まっています」


 ラピスラズリにも似た綺麗な双眸が、じろり、と針みたいに尖ってニエベスを睨みつける。


「……この際、何故そんな風に考えも無く軽率な行動に出たのか、については言及するのは控えておきましょう。済んだ事を責めても詮無きことですから。――【非常に腹立たしくはありますが】」


 ほんのちょっと慈悲深いところが出てきたかと思えば、最後の一言にドスが効き過ぎていて、直近で聞いている僕の肝までもがガチガチに凍りついた。びくっ、とニエベスの肩が大きく跳ねる。


 僕が言うのも何だが、確かにニエベス達の行動はエクスプローラーとしてはあるまじきものだった。街中に、ましてやこの謎の空間に、奇妙なモニュメントがあったのだ。何かあると踏んでしかるべきところなのに、ろくに警戒もせず軽はずみに触って、その挙げ句、最悪のトラップを発動させてしまった。エクスプローラーとしては最低最悪の軽挙妄動――フリムをして、彼らを『ヴァカ共』扱いするのも無理からぬことだった。


 んん、と咳払いをして、アシュリーさんは話を本筋に戻す。


「ウロボロスの起動と同時にドラゴン達がポップしたということは、やはりこの二つの事象はリンクしていると見るべきでしょう。現在、更なる追撃がないことから考えると、ウロボロスは再び待機状態に戻っているものと思われますが……ベオウルフ、〈イーグルアイ〉で確認はできますか?」


「あ、は、はい」


 その注文オーダーに、僕は支援術式〈イーグルアイ〉を発動させた。深紫の小さな鳥が空へ飛び上がる。向かわせるのは先程、ニエベスが指差した方角だ。


 残念ながら〈イーグルアイ〉の最大移動距離は約一キロトル前後。そのため、件の双蛇像に接近することはかなわないけれど、高空からその威容を確認することぐらいなら出来る。


 僕は〈イーグルアイ〉と同期した視覚情報に意識を集中する。果たして、崩れた高層ビル群が立ち並ぶ街のど真ん中に、その巨像は鎮座していた。


 先刻、フリムと一緒に空から見回した時には角度的に見えなかったようだが、この街の真ん中あたりに、何故かぽっかりと開けた土地があった。と言ってもこの空間は一見寂びれた都会のように見えて、僕達が落下したような湖があったり、河が流れていたりするので、見えていたとしてもあまり気にならなかったかもしれないけれど。


 ハゲタカの頭みたいにまばらに木々が立っている他は、何の変哲もない公園のような場所。そこに、アシュリーさん呼ぶところの〝ウロボロス〟が、長大な身をくねらせて横たわっていた。


 遠目ではあるが、古い石像のような質感なのが見て取れる。それに、しばらく見つめていても微動だにしない。


 アシュリーさんの推測どおりだった。


「い、いました……と、止まってる……と思います……」


「大きさはどうですか? 周囲にドラゴンの影はありませんか? 周辺に移動痕は?」


「え、えっと、あのっそのっ……!?」


 矢継ぎ早に質問を飛ばすアシュリーさんに、僕は早く正確に答えねばと思って慌ててしまい、逆に返答に詰まってしまう。すると、スイッチで視覚情報を共有しているフリムが代わりに答えてくれた。


「んー、この距離だと正確な大きさはよくわからないけど、確かにかなりデカそうね……あ、他に敵影は見えないわ。多分、いたとしてももうコンポーネントに戻ってるんじゃないかしら? あと、あのデカブツはほとんど動いてないっぽいわね。ドラゴンを呼び出したら、後は高みの見物ってタイプかしら? 固定砲台タイプならちょっと面倒ねぇ……」


 動き回る敵を罠に填めて戦うタイプであるエンチャンターは、その場を動かず遠隔攻撃に徹する敵と相性が悪い。フリムは実際の視線はあらぬ方向へ向けたまま、眉根を寄せる。


 頭が二つあるのは死角を作らないため、大きな体はエネルギーの貯蔵庫と考えれば、フリムの予測もあながち当てずっぽうというわけではない。


「この広大な空間に似つかわしい巨大なゲートキーパーに、周囲を護衛するドラゴンの群れ……なるほど、わかりやすいですね」


「え? わかりやすい……?」


 一人納得して頷いたアシュリーさんに、僕は思わず聞き返した。どこの何がわかりやすかったのだろうか、と。


「いえ……ただこの状況が、実にルナティック・バベルの設計者の思想に沿っているものだと思ったのです。第一〇〇層では、逃げられない空間に鉄壁の防御を誇る〝アイギス〟。第一五〇層では三体連続で現れた〝グレートオークス〟、第二〇〇層では術力制限フィールドに六本腕の〝ヘラクレス〟……そしてここ第一一一層では、巨大ゲートキーパーと竜の大群です。やり口が似ているとは思いませんか?」


「そう言われてみれば……」


「そんな気もするわね」


 僕の納得に、フリムも追随して、うんうん、と頷いた。


「共通しているのは、エクスプローラーを決して逃げられない状態に追い込みつつ、真っ正面から力尽くで叩き潰そうとしているところです。残念ながら、正々堂々、とは言い難いですが。また、事前にヒントがないあたりも共通した意地の悪さ……いえ、【慈悲の無さ】とでも言うべきでしょうか。とにかく、容赦など全くないところが実に【わかりやすい】ところですね」


 やはりここはルナティック・バベルの中だ、と確信を深めるアシュリーさん。刹那、瑠璃色の瞳の中で超新星爆発にも似た輝きが煌めいた。


「――となれば、やるべきこともまた見えました。答えは一つです」


 珍しいことにアシュリーさんの口角が吊り上がり、口元に笑みを刻んだ。


 よく見ると小さな顔がいきなり、ずい、と勢いよく近付いてきた。


「まずベオウルフ。もう隠蔽術式を使用する必要はないかもしれませんが、念のため、もうしばらくは効果を継続させてください」


「は、はい」


 張りのある声と勢いに、反射的に頷いてしまう。右手をぎゅっと握られながらだったので、全く抵抗の意思が芽生えなかった。ちなみに、隠蔽術式はさっきから制限時間が終わる直前に新しいものを発動させて、効果が切れないようにしている。


「ではミリバーティフリム、ニエベス、ひとまずこの場から移動しましょう。後ろのルークは立てますか? アーカムとマナッドを抱えながら移動できる体力は回復していますか?」


「あ、ああ……?」


「ちょっと、いきなりどうしたのよ?」


 突然キビキビと指示を出し始めたアシュリーさんに、フリムが怪訝そうに尋ねる。


「大丈夫だとは思いますが、念のため建物内で休息をとります。とにかく、今の私達に必要なのは体力を回復する時間です。それと――」


「「それと?」」


 僕とフリムの声が重なった。意識せず、二人して一緒に小首を傾げてしまう。


「――作戦を考えます」


「作戦?」


「ええ、作戦です」


 またもオウム返しにしたフリムに、アシュリーさんはしっかと頷いた。次いで、ふ、とやや自嘲気味に微笑む。


「……これは、あなたやベオウルフの悪癖が移ったのかもしれません……ですが、これ以外に、私達がこの空間を脱出する方法はないでしょう」


「……アンタ、まさか……」


 微妙に戦慄の響きが混ざったフリムの声に、アシュリーさんはもう一度頷いた。


「ええ、そうです。そのまさかです」


 その声が僅かながら底冷えしていて、その笑みがほんの少しだけ引き攣っていることに、僕はようやく気付いた。目にはギラギラと剣呑な輝きが宿っている。


 囁くような掠れ声で、自分自身に言い聞かせるかのごとく、アシュリーさんは言った。


「これから私達の手で、あのゲートキーパーを――いえ、〝フロアマスター〟を、活動停止シャットダウンさせるのです」






 何はともあれ、対ドラゴン戦で体力もフォトン・ブラッドも消耗しきっていた僕には、アシュリーさんの提案は願ったり叶ったりだった。


 僕達は隠蔽術式を発動させたまま、付近にある比較的劣化の少ない建物を選び、移動を開始した。


 建物内に入ると、念のため〈イーグルアイ〉をいくつか飛ばして、おかしなものがないかを調査した。これまでのパターンから考えれば可能性は限りなく低いけれど、他のSBがポップしたり、何らかの罠があるかもしれなかったからだ。実際、先程のドラゴンの大量出現がニエベス達の油断から起こったものだけに、僕達は慎重にならざるを得なかった。


 幸い何事もなく調査は終わり、僕達は窓のない部屋を選んで転がり込み、めいめい体を横たえた。勿論、念のための見張り番は必要だと判断し、交代で見張りをすることにする。


 その順序を決める際、


「アンタは休んでいなさい」


「あなたこそが要なのですよ、ベオウルフ」


 口を開こうとした瞬間、間髪入れずフリムとアシュリーさんからグッサリと釘を刺されて、僕は半ば強制的に見張り番のローテーションから外されてしまった。頭の片隅に『よかったら最初の見張りは僕が』と考えていたところがあったので、正直かなりギクリとしたのは秘密である。


 結局、僕と重傷だった鼻ピアス、枯渇状態で失神している赤コートを抜きにして、見張り番の順番が決められた。フリム、アシュリーさん、ニエベス、ルークの順で、一アワト毎の交代制である。


「いい? とにかくアンタの回復が最優先よ。ゆっくり休んで疲れをとりなさい。何か変だなーって思ったらすぐアタシに言うのよ、わかった?」


 ストレージから取り出したマットを床に敷き、その上で寝袋に入ろうとした際、フリムから口を酸っぱくして注意された。頭痛でも気怠さでも寒気でも何でもいいから、体の変調はどんな些細なことでも必ず報告すること――と。


 流石に心配しすぎだよ、と言おうと思ったのだけど、何だかそう言うと本気で怒られそうな気がしたのでやめておいた。それぐらいフリムの目付きは真剣だったのだ。


 アシュリーさんやニエベス達も、ちゃんとこういう場合の道具をストレージに常備していたらしく、各々毛布やらマットやらを取り出している。


 その様子を呆と見ていると、くらり、と視界が揺れた。


「――あれ……?」


 何だか頭や体の芯が重い。疲労が、鉛のように凝り固まっているかのようだ。


 そういえば、さっきは何だかんだで〝アブソリュート・スクエア〟状態で二ミニトぐらいは戦ったはずで、あちこち沢山走ったり飛び回ったりしたなぁ、と思い出す。我ながら、あの短時間でどれだけ体を動かしたのだろう。倒したドラゴンの数は二〇体目以降からは数えていないけど、かなりたくさん倒したと思う。あ、そうだ、さっきの戦闘で手に入ったコンポーネントがあれば、僕らのクラスタの財政難なんてすぐ解決するはずだ。きっとハヌ




 気を失っていたらしい。


「……………………あれ……?」


 いつの間にやら僕の体は寝袋に収まっていて、マットの上に転がっていた。寝ぼけ眼な視界にうっすらと映るのは、使い古された言い方だけど、見知らぬ天井。


 左方向に暖かそうな光が見えたので、首を曲げて視線を向けると、そこにはフリムが発動したと思しき〈ボンファイア〉の火があった。


 よく見ると擬似的に燃える赤い炎の周囲には、僕と同じように寝袋や毛布にくるまって寝ている人影がいくつかある。


「…………」


 そうか、疲労が限界に来て、自動的に意識がシャットダウンされてしまったのか。気を失う直前まで何を考えていたのか、よく思い出せない。


 窓のない部屋なので、外がどうなっているのかがわからない。とりあえず僕は上体を起こしながら、〝SEAL〟の体内時計とセルフバイタルログを呼び出した。


 現在時刻とログから逆算すると、僕はどうやら四アワトほど眠っていたらしい。そういえばと体の調子を確認してみると、まだちょっと疲労の残滓が残っている気もするが、体の芯にあった鉛のような重さはすっかり消えていた。


 一応、他におかしな所はないかな、と確かめてみるけど、特にこれといった不調は感じられない。頭は痛くないし、気怠さは感じないし、悪寒もしない。よかった、ちゃんと回復できたみたいだ。


 自分の体の調子に、僕はほっと胸を撫で下ろす。


 というのも、戦闘によって受けた傷や、失った体の部位などは初級から中級の回復術式で治癒したり再生したりすることが出来るのだけど、体力というか、いわゆる〝生命力〟については上級から超級の術式でなければ回復できないのだ。


 そこまでのレベルの術式となると〝ヒーラー〟と呼ばれる専門家でもなければ使えないし、例え無理矢理インストールしたところで、かなりリソースが圧迫されてしまうので結局は役に立たなかったりする。また、当然ながらフォトン・ブラッドの消耗も激しい。


 実際、ヘラクレスやシグロスとの戦いの後――僕自身は気を失っていたけど――、僕も病院で治療としてその類の術式をかけてもらったことがある。勿論、術式で干渉できる範囲には限度があるから、ヘラクレス戦の後みたいに生きているのが珍しいほどのダメージを負っていると、治療を受けてなお丸二日も目を覚まさないこともあるのだけど。


 なので、そういったものに頼ることなく自然と体力が回復したのは、実に僥倖だった。


「――――」


 ふと、どこからか会話する声が聞こえてきた。音質からして女性二人――きっとフリムとアシュリーさんだ。そう察してから改めて辺りを見回してみると、部屋に横たわっている人影は僕を除くと四つ。


 ――二人で作戦会議でもしているのかな?


 そう予想し、僕も参加しようと思って立ち上がる。音を立てないよう寝袋とマットをストレージに収納し、靴を履かずに半開きの扉から部屋を出た。


 窓から陽光が差す廊下に出ると、二人の話し声はどうやら右方向から聞こえてくるようだった。僕はストレージから取り出したコンバットブーツを履きながら、周囲を観察する。


 入ってきたときには全く頓着してなかったけれど、どうやらこの建物はかつてトレーニングジムか何かだったようだ。ボロボロに寂れてはいるけれど、その名残のような部分が沢山ある。僕が眠っていた部屋も、元は更衣室か何かだったのだろう。だから窓がないのだと思われた。


 微かに聞こえてくる会話を追って、廊下を歩く。二人の声は僕が寝ていた――そして今もニエベス達が休んでいる――部屋から少し離れた隣部屋から漏れているようだった。


 扉から扉までの距離がそれなりに空いているので、きっと大きな部屋なのだろう。ドアが壊れて開きっぱなしになっているところまでやって来ると、少しだけ耳に届く声が大きくなった。


「――さいっ――のっ――リムッ――!」


「――じゃない――へるもん――ほぉら――!」


 会話……というより、何か怒鳴り合っているのだろうか? 何だか妙にキレの良い声が聞こえてくるのだけど。


 ひょい、と部屋の中を覗き込むと、ガラスのない窓枠から日光が差し込むそこには誰もいなくて、がらんとしていた。もう使い物にならないだろうトレーニング器具がそこらに打ち捨てられているから、多分、元はそういう空間だったのだろう。


「……あれ?」


 けれど、フリムとアシュリーさんのものと思しきやりとりはまだ聞こえてくる。


 キョロキョロと視線を彷徨わせると、それは部屋の左側にまた半開きの扉があって、どうやら二人はそちらの小部屋にいるようだった。


「――では――せんっ――っちに――!」


「――らどう――びえてる――いいじゃ――!」


 恐る恐る近付いて行くと、何やらドタバタと暴れる音までもが聞こえてきた。


 その瞬間、僕は慄然とする。


 ――もしかして……喧嘩してるとか……!?


 僕らが眠っている間に、遠慮のなさすぎるフリムの言動についに堪忍袋の緒が切れたアシュリーさんが、とうとう手を上げてしまったのだ。


 一刹那でそこまで想像してしまった僕は、いてもたってもいられず駆け出した。二人がとっくみあいをしているであろう部屋の扉に手をかける。


 中に入るとそこはかなり狭い空間で、しかし二人の姿はない。見ると、さらに部屋の奥に半透明のドアがあって、どうやらフリムとアシュリーさんはその中で言い争っているようだった。


 妙に反響していて何を言っているかよく聞き取れないけど、とにかくすごい迫力で怒鳴り声の応酬をしている。


 これはまずい、本格的な喧嘩だ――そう悟った僕は素早くドアに近付くと、今度こそ一気に開いた。


「二人とも! 喧嘩はやめ……………………て…………」


 勢いよく飛び込んだ僕の言葉はしかし、視界に入ってきたものを見た瞬間、エンストした車みたいに失速した。


「「「――あ……」」」


 僕と、フリムと、アシュリーさん――この場にいる三人が、同時に声をこぼして硬直した。




 後で聞いた話である。


 見張り番のローテーションが一回りした頃に、フリムが「いいもの見つけたわよ」とアシュリーさんに声をかけたらしい。


 その『いいもの』とは、いわゆるトレーニングジムには付きもののシャワールームで、どうやらフリムの見立てではちょっと直せばまだ使えそうな設備だったらしい。


 付与術式使い(エンチャンター)はエクスプローラーとしてはあまり人気のないタイプではあるけれど、他分野ではその工兵的な能力が非常に重宝されている。しかもフリムは武具作製士クラフターでもあるから、こういった設備の修理なんかはお手の物だったはずだ。


 ――しかし、よくよく考えてみるとここは仮想空間かもしれず、草木も水も建物も全てただの幻である可能性を考えると、それをちょっといじるだけで修繕出来てしまうのもなんだか不思議な話であった。


 果たして、設備の修理は問題なく完了した。ちょっと驚きである。


 それからフリムは「アイツらが寝ている間に汗流しておかない?」と、しばし見張り番をサボってシャワーを浴びる話をアシュリーさんに持ちかけたという。そして、先程の戦闘で汗だくになっていたアシュリーさんは、不承不承ながらもそれに頷いた。まぁ四アワトが経過しても何も起きなかったのだから、別にこの判断は間違っていなかっただろうとは思う。


 だけど。


 女二人、裸の付き合いともなれば定番のものがあるのよ――と僕の従姉妹であり幼馴染みでもある少女は、それがさも当然かのごとく嘯いた。


「ちょっと胸、触ってもいい?」


 この台詞がそうである――と。


 どんな判断だ、と突っ込まずにはいられない。


 特に、このおかげで【事故】を起こす羽目になった僕としては、なんてことをしてくれたんだ、と言わずにはいられない。


 もはやそこからは想像に難くない。当然、あのアシュリーさんがそんな申し出を容れるはずもなく。


 だけど同時に、あのフリムが一度断られたぐらいで諦めるはずもなく。


 無理にでも、おっぱ――じゃなくて、【胸】を揉みしだ――でもなく、【触ろう】とするフリムに、アシュリーさんは全力で抵抗した。終いには、互いに喚き合いながらさして広くもないシャワールーム内をバタバタと走り回り、だけど逃げ切れず、真っ正面から手と手と合わせて取っ組み合いをする形になったという。


 お互い全裸で。


 シャワールーム内は音が響きやすく、また、出しっぱなしにしていたシャワーの音が充満していたせいもあってか、外部の音はほとんど聞こえなかったらしい。


 そして両者の力が拮抗した、まさにその瞬間。


 折り悪しく、僕が飛び込んできた――というわけである。


 ――え? 僕が見たもの?


 いや、ここは天地神明とハヌに誓って断言したいと思う。


 何も見ていない、と。


 そう、シャワーを出しっぱなしにしていたせいだろう。あの時、もうもうと立ち込める湯気によって、僕の視界のほとんどは塞がれてしまっていた。故に、僕には何も見えなかった。二人の生まれたままの姿なんて決して見えなかった。


 いや、本当に。


 何も見ていないのだ。


 本当だ。


 信じて欲しい。


 ――た、確かに、実を言うとうっすらと湯気に透けて肌色のようなものが見えたような気もするのだけど、すぐさま背中を向けたし、アシュリーさんの絹を裂くような悲鳴が耳を劈いた瞬間「ごっごごごごごごめんなさぁいッ!」と叫んで一目散に逃げ去ったから、特にこれと言ってクリティカルな部分は見ていないのだ。


 ほ、本当です。


 本当なんです。


 何も見ていないんです。


 僕は何も見ていないんです。


 信じてください。


 信じてください……ッ!




 言うまでもないが、しばらく時間を置いた後、僕は盛大に怒られた。


 幸いなことに暴力は振るわれなかったけど、そりゃもうこってりと絞られてしまった。


 主にアシュリーさんに。


 むしろ、作戦会議用にとった時間の九割が説教だったという有様である。


 とはいえ、一方的になじられたわけではない。


 まず、一応は心配して入ってきたこと。現在の状況が状況であることを鑑みれば、万が一のことがあってもおかしくないと考えるのが妥当であること。それらを加味すれば、シャワールーム内に急行したのは正しくはないが間違ってもいない判断である――と理性的に情状酌量してもらった上で、それでも滅茶苦茶叱られた。


 そこへさらに、フリムとアシュリーさんが見張りをサボっていたこと、二人だけ内緒でこっそりシャワーを浴びていたこと、そもそもの元凶がフリムの蛮行であること――それらも含めた上で、けれどもやっぱり凄い勢いで雷を落とされた。


 このあたりはもはや理屈ではなく、ただひたすら感情によるものなのだろう。


 というか、僕もこればかりは致し方のないことだと思う。


 逆の立場になったら――と考えたら、それだけで顔から火が出そうになってしまう。


 実際、僕の眼前で眦を吊り上げてこれでもかこれでもかと叱責の言葉を並び立てるアシュリーさんの顔は、まさしく火を噴く寸前かと思うほど真っ赤っかだった。


 ちなみに、そんなアシュリーさんとは正反対にフリムはケロリとしていた。僕のような弟分は男の範疇ではなく、裸を見られた内に入らないということなのだろうか。ただ、自分が元凶である自覚はあるらしく、アシュリーさんの背後から可愛らしく舌を出して「ごめんね?」と両手を合わせてウィンクを飛ばしてきた。これで許されると思っているからこの幼馴染みは怖いのである。許してしまう僕も僕だが。


 業腹ながら、あれは不幸な【事故】だったのだと思うことにした。


 そう。得する人なんて誰もいない、悲しい【事故】。


 しかし、その根本原因はというと――


 僕を硬い床の上に正座させ、半泣き状態でガミガミとお叱りの稲妻を迸らせるアシュリーさんが、心の底から力を込めて大声を張り上げた。


「――だからあなたという人は! 本当に! 絶対にっ! 切実にッ! 落ち着いて行動することを憶えるべきなのですッッ!」


「……はい……」


 ほとんど絶叫のようなそのお説教を、僕はしみじみと噛みしめるのであった。





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