●19 〝絶対領域(ラッヘ・リッター)〟
駆竜の群れの前に、アシュリーは敢えて姿を晒して歩み出た。
クラスタの制服でもあるロングジャケットのボタンに取り付けた装身具『ギュゲスリング』は、燃費の悪い支援術式より遥かに少量の術力で身を隠すことが出来る。使用者自身と、スイッチないしルーターでリンクしているメンバーの発する光、音、香り、全てを外界と断絶し、完全に気配を絶つのだ。無論、性能が性能だけにルーターよりも高い買い物だったが。
普段のアシュリーはこれを目眩ましや隠密行動に使用しているが、今はむしろ目立つことこそが目的だ。
ここで戦闘を行い、ドラゴン達の注意を引く。
その為には単身で突撃し、派手に立ち回ることが肝要だ。
『――GGGGGGYYYYYEEEEEEE!!』
鷹とトカゲを融合させたような駆竜がアシュリーを発見し、咆哮を放つ。これによって飛竜も含めた他のドラゴンらがこちらの存在に気付き、さらに雄叫びを上げ情報を広めていく。
「…………」
巨大な怪物を前に歩を進めながら、アシュリーは緩く深呼吸をする。両手には愛剣の〝サー・ベイリン〟。この双剣こそが頼みの綱だ。
「〈アグレッシブ・サンクチュアリ〉」
術式を発動。体表に橙色の幾何学模様が浮かび上がり、光が走る。血流のような輝きが一瞬だけショーテルにも伝播し、柄から切っ先までを駆け巡った。
ドラゴンと戦うのは初めてではない。ある程度の特性ならば知っている。だが、奴らの性能は多種多様なSBの中でも群を抜いている。
だから、ここからは一手も仕損じることはできない。少しでも判断を誤れば、それが即、死へと直結する。
例えるなら、崖っぷちで戦うにも等しかった。
「――我が名はアシュリー! アシュリー・レオンカバルロ!」
天と地に群がる竜を前にして、少女は騎士としての名乗りを上げた。SBに話が通じぬことなどとうに知悉しているが、その目的の半分は奴らの注目を集めるため、もう半分は己を鼓舞するためだった。
「二つ名は〝絶対領域〟! 我が双剣の刃圏は――」
『GGGGGGGYYYYYEEEEEEEEEEEEEEEE――!!』『GGGGGGOOOOOOOAAAAAAAAAAAAA――!!』
口上の途中で、総勢二〇体を超える飛竜と駆竜が一斉に顎を開き、ブレスを放った。直径がアシュリーの身長の二倍以上になんなんとする太さの猛火が、激流が、雷撃が風刃が、怒涛のごとく殺到する。
全てがアシュリー一人に集中した。
しかし。
「――絶対不可侵の領域」
強く低めた声で呟き、蒼き双剣が燕のごとく軽やかに舞った。
直撃の刹那、少女をこの世界から消滅させるはずのドラゴンブレスがねじ曲がり、あらぬ方向へと逸れた。
地上から撃たれたものは上空へ。空から降り注いだものは前後左右へ。全てのブレスが放たれた勢いそのまま向きを変え、その先にいる仲間のドラゴン達へと牙を剥く。
一斉に放たれたドラゴンブレスが、一斉にドラゴン達を襲った。
『GGGGGYYYYYYAAAAAAAAA――!?』『PPPPPPPPGGGGGGGYYYYYYYY――!?』『GGGGGGGGAAAAAAAAAAAAA――!?』
SBの思考ルーチンでは理解し得ぬ出来事に、ドラゴン達が混乱の悲鳴を迸らせる。小さな敵性対象を一網打尽にしようとしたところ、何故か盛大に同士討ちをしてまったのだ。理論的矛盾がドラゴン達の行動を一時停止させるのも、無理からぬ話であった。
「我が剣閃は触れたもの全てを呑み込み、反転し、跳ね返す――あらゆるものの侵入を決して許しはしない。故に〝絶対領域〟!」
術力を吸収・放出する特性を持つ希少金属エーテリニウム。ヴィリーの持つ〝リヴァディーン〟と同じ素材を精錬した二振りのショーテルは、その特性を生かして刀身に触れた術力由来のことごとくを弾き返す。
その力を最大限に引き出すのが、アシュリーの特殊剣術式〈アグレッシブ・サンクチュアリ〉であった。
「この身に降りかかるいかなる攻撃もそのまま反転し、貴様らに滅びを与えるだろう! なればこそ我が二つ名は〝復讐の騎士〟!」
己が愛剣を双手に握り、あたかも猛禽類が翼を拡げるかのごとく構える。
「仮想の命である貴様らに言っても詮無きことだが、刻めるものならその魂に刻み込め!」
前後左右、頭上――全方位を取り囲む怪物の群れに、瑠璃色の双眸を剣のごとく尖らせ、アシュリーは高らかに告げた。
「この私が貴様らを終わらせる者だと!」
戦意は昂ぶり、気は充溢した。
今こそ戦いの時。
「いくぞッ!」
アシュリーは地を蹴り、駆け出す。
『GGGGGGRRRRRRAAAAAAAAAA――!!』
戦意を剥き出しにした敵性対象に、ドラゴンもまたその暴力性を露わにした。先刻まで囚われていた躊躇や混乱をかなぐり捨て、再びブレスの集中攻撃が放たれる。
天の飛竜が、地の駆竜が、咆吼と共にそれぞれの属性の波動を撃ち出す。あるものは一直線に、あるものは地面を舐めるように、あるものは剣を振り下ろすかのごとく、アシュリーを狙って破壊を振りまいた。
高速で迫るそれら全てを、アシュリーは駆けながら〝サー・ベイリン〟で迎え撃つ。
「――っはぁッ!」
蒼刃が風を切り、まず右から来た雷光のブレスを斬り払った。ベクトルを曲げられた稲妻の束は空へ昇り、ちょうどそこを飛行していた土色の竜を貫く。甲高い電子音の悲鳴が轟き、飛竜が墜落する。
曲刀の刃が届く間合い、その刃圏こそがアシュリーの展開する【結界】だ。近付くもの、侵入するものを例外なく疾風迅雷の速度で斬り払う。そこに思考の介在はない。
斬るという意志と剣閃が完全に同化する、一刀如意の極意――切っ先の届く範囲内だけではあるが、研鑽を積んだ少女は若くしてその境地へと達していた。
「ぁあああああああああああああッッ!!」
心が感じたままに双剣が奔り、次々と迫るドラゴンブレスを払い除けていく。
何もかもが直感で、同時に何もかもが計算尽くだ。
弾き飛ばされねじ曲げられるブレス一つ一つの行き先に、必ず別のドラゴンがいる。アシュリーは素早く移動しながら己の立ち位置を調整し、ブレスを逸らした先で確実に同士討ちが起こるよう計算していた。
『UUUURRRRRRRRRYYYYYYYYYYYYYY――!?』『GGGGGGYYYYYYAAAAAAAAAA――!?』『WWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOWWWWWW――!?』『GGGGGRRRRRRAAAAAAAAAA――!?』
炎竜が風竜の、水竜が土竜の、雷竜が氷竜のブレスを浴びて、それぞれ叫喚と共に大きく吹き飛ぶ。爆音が連続して轟き、大気を激しく揺さぶった。
「――ッ! はッ! やッ! てぇッ! やッ! はぁッ!」
脳の思考回路も〝SEAL〟の演算回路もどちらも全開で稼働している。躊躇している暇も逡巡している余裕もない。間断なく降り注ぐ死の吐息を捌くため、アシュリーは嵐のごとく剣を振るい続ける。
今の一瞬から次の一瞬への綱渡り。ショーテルを一閃する毎にどうせ一セカドにも満たない時間を稼ぐ。
竜の息吹は強力だが、しかし同時に、ドラゴンの耐久力を一度で奪うことは叶わない。奴らのまとう鱗には術力に対する強力な耐性が備わっているのだ。
故に、奴らを確実に仕留めるには接近戦しかない。
「――はぁあああああああああああああッッ!!」
至近の真紅の駆竜めがけて矢のように疾駆。一息で間合いを殺し懐へ潜り込む。巨大な体躯は脅威であると同時に、距離さえ詰めてしまえば死角の多い大きな的でもある。穴あきチーズのように隙だらけの腹に、猛然とショーテルの剣尖を突き刺した。鱗の隙間を貫き、蒼の刃が深々と埋まる。
術力系の攻撃を切り払い、弾き飛ばすだけが〝サー・ベイリン〟と術式〈アグレッシブ・サンクチュアリ〉の骨頂ではない。
アシュリーはブレスを受け流しながらも、少しずつその威力を刀身に吸収していたのだ。
「〝サー・ベイリン〟――解放抜刀!」
キーワードを受け取ったショーテルが、内包していた力を解き放つ。直前に吸収していたアイスドラゴンのブレスが、炎竜の体内で一気に炸裂した。
『GGGGGGGGGGYYYYYYYYYYAAAAAAAAAA――!?』
堅固な鱗を貫き、内部で直接放出された凍気にフレイムドラゴンが喉を反らして断末魔を上げる。一拍遅れて硬直した体の内側から氷の軋む音が連続で鳴り響き、やがて真紅の鱗に真っ白な霜が降りた。
「――はッ!」
気合とともに剣先を引き抜くとその衝撃だけで凍結した炎竜の全身に罅が走り、次の瞬間には砂の城のごとく粉々に砕けて崩れ落ちた。爆発的な勢いで純白の靄が噴き出し、膨張する。
積もった雪にも似た氷片の中から浮かび上がってくるコンポーネントには目もくれず、アシュリーは再び走り出した。視界は塞がっているが耳に届く音だけで、もはや同士討ちも躊躇わず他のドラゴン達がブレスを発射する気配を感じたのだ。
冷気の白い靄の中を突破した瞬間、四方八方から大量のブレスが殺到した。
「――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!」
声すら出せない。死に物狂いで〝サー・ベイリン〟を振り回す。触れたもの全てを斬り払う〝絶対領域〟は、理性ではなく本能によるものだ。剣速はむしろアシュリー自身の反応速度を超えた常識外のスピードで空を切り裂き最適の順序でドラゴンブレスをねじ曲げ受け流す。十数条の極太の波動が軌道を変え飛竜と駆竜を打ちのめした。
「――っはぁっ……はぁっ……!」
ただし、鉄壁の防御にも限界はある。〝絶対領域〟は、絶対であるが故に加減が利かない。刃圏に入った全てを切り捨てるといえば聞こえはいいが、逆に言えば、近寄ってきた何もかもに対して動かざるを得ないのだ。
しかもたった一人で、十数体、もしくはそれ以上のドラゴンを同時に相手取っている。
当然、体力の消耗は激しいに決まっていた。
早くも息を切らせたアシュリーは、しかし足を止めることなく走り続け、あらゆる方向から襲いかかってくる脅威のブレスを、パケットを分配するルーターのごとくあちこちへ受け流していく。
「くっ……!」
竜種と戦っているという重圧感、一瞬の迷いが死に繋がる緊張感、ほんの少しでも気を緩めればあっという間に捌ききれなくなるであろうドラゴンの猛攻――肉体的なものだけでなく、精神的な負担もまた激しかった。
ここに仲間が――せめてゼルダ一人だけでもいてくれれば、と思わずにはいられない。彼女がいてくれればこちらの負担は軽くなり、ブレスの行き先変更ももっと効率的に行えただろうに。炎竜に氷結のブレスを、水竜には土砂の激流を、それぞれの属性に合わせた中継が出来れば、奴らの足止めもより効果的に為せたはずだ。
さらに欲を言えば、『蒼き紅炎の騎士団』の皆がいれば、この程度の戦いなど難なく潜り抜けられたに違いないのに――
「はぁッ! せいッ! やッ!」
ブレスの同士討ちをさせて時間を稼いでいる隙に、手近な一体を見繕ってショーテルを突き刺し、〝解放抜刀〟で止めを刺す。それが終わればまた刀身にエネルギーを充填させつつ、同士討ちをさせる。
アシュリーは闇夜に針の穴を通すがごとき集中力で、これを繰り返した。
徐々に襲いかかってくるブレスの数が減ってくるが、それはそれで問題だった。一度の受け流しで変えられる角度は、最大でもせいぜい一一〇度前後。流石に一八〇度反転させて跳ね返すのは無理だ。威力がありすぎて、アシュリーの膂力ではそこまで持っていけない。
そして、ドラゴンの数が減っていくのは僥倖だが、減れば減るほどブレスの送り先がなくなっていく。
ブレスの同士討ちでダメージを与えることが出来なければ、一人で奴らの攻撃に間隙を作ることが至難となる。
「――はッ!」
今また駆竜の一匹が放った烈風のブレスを真上へ跳ね上げ、頭上から鋭い爪を露わにして急降下してきた飛竜を吹き飛ばした。
懸念はまだある。
そう、今のように業を煮やした竜が接近戦を仕掛けてきても危険なのだ。奴らには凶悪な牙があり爪があり、何より精密作業用の〝触角〟がある。どれもこれも相対的に体の小さなアシュリーを殺傷するに足る威力を有しているが、それらは〝サー・ベイリン〟の特性では弾き返すことが出来ない。純粋な力勝負になってしまう。
こちらの最大の攻撃である〝解放抜刀〟は接近戦でこそ生きるが、同時に、ドラゴン達にとってもブレスより接近戦こそが最善手だった。
つまり、力任せに押し潰しに来られたら、その時点でアシュリーは終わりだ。
今はまだ気付かれていない。しかし、ブレスが全く当たらないせいか、少しずつ物理的な攻撃手段に切り替える個体が増えつつあるように感じる。
となれば、あとは時間の問題だった。
「――解放抜刀ッ!」
『UUUUUURRRRRRRYYYYYYYYYYYYYY――!?』
豪風の力を宿したショーテルを巨大なミミズとしか言いようがない土竜の脇腹へ突き刺し、内部から爆裂させる。二階建ての家がまるごと入りそうな風穴が開いた。二分された巨体がのたうち回り、活動停止シーケンスへと移行する。
「はっ……はぁっ……はぁっ……!」
呼吸が乱れる。心臓が早鐘を打っている。こめかみの辺りが鼓動に合わせてドクドクと脈打ち、今にも爆発してしまいそうだ。
撃破したのは今ので何体目だろうか。二桁にはとっくに届いているはずだ。本当にドラゴンの数は減ってきているのか。それとも、未だ他の場所から増援が来続けているのか。それすら判然としない。
このままではいずれ体力が尽きて、押し切られる。一瞬だけ〝SEAL〟の体内時計を確認すると、目を剥くほどろくに時間が流れていなかった。体感時間ではもう三〇ミニトは戦っていたと思うのに、現実ではその三〇分の一も経過していなかったのだ。
軽い絶望感を胸に押し込めてアシュリーは走る。とにかく移動して、あの四人とフリムから引き離す。時間を稼ぐ。
「――ぁああああああああああああああああああッッ!!」
バカの一つ覚えのように雨霰と降り注ぐドラゴンブレス。こちらを押し流そうとするエネルギーの奔流を全身全霊で弾き返す。しかし流石に奴らのAIも学習したのか、空の飛龍達が第二波を敢えて直撃ではなく、【アシュリーの周辺】を狙って叩き込んだ。
「――ッ!?」
進行方向に大量の土砂に落とされ、堪らず足を止めてしまう。右方を薙ぎ払った炎竜のブレスが辺りの植物に引火する。タイミングを遅らせて発射された、竜巻にも似た風竜のブレスが土竜が作った土砂の山を爆発四散させ、散弾のごとき礫がアシュリーを襲う。背後に雷鳴、退路が断たれる。左側、足元からパキパキと地面の凍る音が這い寄ってくる。
「な――!?」
防御体勢をとったことにより、つい足元が疎かになった。気付いたときには地面を伝播してきた冷気がブーツを包み込み、足首辺りまでを氷付けにしていた。
つんのめり、体勢が崩れる。
「しまっ」
た、と口にするよりも速く、振り返った視界の端に、背後から大地を舐めるようにして近付いてくる雷竜のブレスが映った。
――無理だ、避けられない。
速すぎる頭の回転が即座にその結論を弾き出した。自ら足を切断して逃れるという選択肢も思い浮かんだが、その時にはもう間に合うタイミングではなかった。
後先など考える余裕も無く、崩れた体勢からでも振れる右の剣を使うしかなかった。
「――ッ!」
右手のショーテルを右から左へ振り抜き、とにかく頭上から降り注ぐ形の雷撃を払い除け、ベクトルを真横へ逸らす。
そして、ブレスの向こうに隠れていた駆竜が視界に現れた。
「!?」
まさかの二段構え。既に四足歩行の駆竜はこちらに向かって大きく顎を開き、ブレスを発射する体勢に入っている。喉奥に真っ赤に輝く烈火が見えた。
逆にこちらの体勢はもうどうにもならないほどに崩れている。両脚は氷に固定され、左腕はどうにかバランスを取ろうと突っ張ってしまい、右腕はついさっき振り抜いてしまった。
動けない。
偶然か、それとも狙ってやったのか。アシュリーはドラゴンの仕掛けた罠に完全に嵌まってしまっていた。
『WWWWOOOOOOOOOOOOOOWWWWWW!!』
駆炎竜が雄叫びを上げ、その口から巨大な炎の激流が溢れ出た。
必中必殺。これ以上ないほど最悪で最低の状況だった。
「――――」
何と言うことだろうか。絶体絶命の危機において五感が鋭敏になっているせいか、全てがスローモーションに見えてしまう。真紅と赤とオレンジの入り交じる火炎が、揺らめき、歪み、逆巻く様子が、つぶさに観察出来てしまう。あの劫火こそが、今からこの身を焼き尽くすというのに。
目を閉じることも出来ない。視線が吸い込まれ、どうしても目が離せない。
――やはり、無茶だったのです……
最期になるだろう思考で、アシュリーはそう思う。やはり、少人数でドラゴンの群れと真っ向から戦うなど、土台無理だったのだ。相手が一体だけならともかく、三桁に届かんとする勢力だ。多勢に無勢が過ぎる。いくら実力者が揃っていたところで、たった七人では勝てるはずもなかった。
――だから言ったのに……
そう思うが、しかし、それでも飛び出してきたのは自分の責任だ。今なら素直に認められる。結局の所、自分はベオウルフとフリムに感化されてしまったのだ、と。
畢竟、自分の判断は間違っていなかった。このような場合、やはり撤退するのが正解だったのだ。それはわかっていたはずなのに。
つまらない意地と正道を秤にかけ、挑発的な態度にカッとなった挙げ句、前者を選んでしまった。要するに、自分がしたのはそういうことだった。
故に、これは自業自得。ベオウルフに因縁をつけたニエベス達のように。そして、彼らと同じくベオウルフを尾行してこの空間に落ちたのと同様に。
何もかも、自分の責任で、自分が選んだ行動の結果だった。
だから、誰を恨もう。この結果は自分自身で呼び寄せたものなのだから。
――ヴィクトリア様、カレルレン様、申し訳ありません。このような場所で先立つ私をお許しください……
最期の最期に、敬愛する剣の主に対して、胸の内だけで言葉を遺す。
さあ、もう終わりだ。炎竜の喉奥で瞬いていた炎が、爆発的に膨張する。間もなく鉄砲水のごとき猛火が放たれ、きっと沸騰した湯をかけられた氷のごとく、この肉体は消滅するだろう。
せめて、少しでも痛みが少なければ幸いだ――頭の端でついそんな惰弱なことを考えてしまったアシュリーの目に、
紫の閃光。
今まさにファイアブレスを吐こうとした炎竜に、落雷のごとく降ってきた紫紺の光の矢が突き刺さった瞬間、真紅の巨躯が風船か何かのように爆散した。
「――!?」
目を見開く。上空から地上へ一直線に奔った閃光は鋭角に軌道を変え、アシュリーから見て右へ抜ける。今の今まで気付いていなかったが、そちらにもアシュリーを照準してブレス発射体勢をとっている氷竜がいた。この足元を凍らせた奴かもしれない。
そいつも光が通り過ぎた途端、シャボン玉のように弾け飛んだ。
――な、何が……!?
理解が追いつかない。水の中にいるかのごとく時間の流れが遅く感じられる中、それでもディープパープルに輝く【ソレ】は目にも止まらぬ速度で空間を駆け巡る。光の尾を曳いてジグザグの軌跡を刻み、アシュリーの周囲を縦横無尽に飛び回った。
「――ぁっ……!?」
体勢を立て直すことすら思いつかず、気付けばアシュリーは尻餅をついていた。衝撃に思わず目を瞑り、その途端、時間の流れる速度が元に戻ってしまった。
再び瞼を開いたとき、気付けば、そこら中にドラゴンのコンポーネントが無数に浮いていた。
「…………」
逆に、さっきまで自分を取り囲んでいたドラゴンの重厚な気配が全く感じられなくなっている。雄叫びや羽が大気を打つ音、重苦しい足音なども一切聞こえてこない。
静かだった。
――まさか……
消えた――否、全て活動停止されたというのか? 今の深紫の閃光によって。
「……ベオ、ウルフ……?」
呆然と、その名を舌に乗せて転がした。
あの忽然と現れた閃耀は、今はもうどこにも見えない。あの速度ならとうに別のところへ行ってしまっているだろう。
唐突に現れ、嵐のごとく吹き荒れ、一瞬で消えた紫紺の光。
確証はない。推測でしかない。自分でも自分の予想が信じられない。
しかし、彼だとしか思えなかった。あの輝きは、確かにベオウルフのフォトン・ブラッドと同じ色をしていた。映像で見たことがあるだけだが、ヘラクレス戦でもシグロス戦でも、あの少年は最終的に凄まじい速度で動いていたのを覚えている。そう、まさしく先程の閃光のように。
――助け、られた……?
それは勿論、そうだろう。首を傾げておきながら、それ以外に理由はないに決まっているだろうと自分でも思う。
滑稽な話だった。
強硬にニエベス達を見捨てるべきだと主張した自分が、それでも彼らを助けると制止を振り切って飛び出していったベオウルフに、助けられた。
誰かを見捨てる決断をした自分は、例え誰かに見捨てられることがあっても文句は言えない。その覚悟があった。むしろ、そういった覚悟なしに非情な判断はしてはならないとさえ思っていた。冷酷という名の剣は、諸刃であるべきなのだから。
だというのに。
あの少年にとっては、きっと――いや、やはり、というべきか――そんなことは【どうだっていい】のだろう。
目の前に救いたいと思う対象がいた、だから手を差し伸べた――それだけだったに違いない。こちらの思想も、信念も、都合も何一つ構うことなく、考えなしに。
彼の何を知っているわけでもないが、それだけは不思議と確信できた。
込み上げてきた笑いは、砂漠のごとく乾いていた。
「……ふ、ふふ……本当に……まったく……わからない……人ですね……ふ……ふっ……」
不意に、周りに浮いているいくつもの巨大コンポーネントが、揃ってある方向へ動き出していることに気付いた。面を上げ、その方角を見やる。
SBのコンポーネントは活動停止した瞬間から、それを為した人間に所有権が書き換えられ、自動的にその〝SEAL〟へと格納される。何故そうなるのかはわかっていない。ただ、遺跡を設計した古代人がそう設定したから、としか言いようがない。
瞬く間に――まさしく、アシュリーが瞬きをしている間にベオウルフに撃破されたドラゴンのコンポーネントが、ゆるやかに加速しながら宙を飛んでいく。コンポーネントの特性を考えれば、あれらの向かう先にベオウルフがいるはずだ。
奇しくもその方角は、アシュリーが来た道――つまりフリムと四人組がいるはずの方向だった。
その時だ。
視線を向けた空に、爆発音が連続して鳴り響いた。
「――!?」
ドン、ドドン、と腹に響く重低音。そして、蒼穹の中でなお視認できる爆炎。
「あれは……!?」
ドラゴンの能力にあのような事象を起こすようなものはなかったはずだ。アシュリーの知らない新種か、もしくは――
「ミリバーティフリムの……?」
この空間に来た時の自己紹介によれば、あのような猪突猛進な戦い方をしておきながら、彼女はエンチャンターだという。確かエンチャンターの使う付与術式に、あのような対空砲撃をするものがあったはずだ。
戦闘が起こっているのだろうか。故にベオウルフもあちらへ行ったのかもしれない。しかし、あれでは――
「――飛竜が集まって……!」
『GGGGRRRRRRYYYYYYY!!』『PPPPGGGYYYYYYYYYY!』『VRRRRAAAAAAAAOOOOOOOOOWWWWW!!』『GGGGGRRRRRRAAAAA!』『URRRYYYYYYYYYYYYYY!』
嫌な予感が即刻的中する。
あんな花火のように派手な術式を使っては、特に空にいる飛竜に『ここにいるぞ』と喧伝しているようなものだ。実際こうしている今も、どこから現れたのか大きな影がいくつもアシュリーの頭上を通り過ぎていく。
馬鹿な、何をしているのだ。いくら何でも、他にやりようがなかったのか。
「……ッ!」
こうしてはいられない、とアシュリーは立ち上がろうとして、足首ががっちり氷に食まれていることを思い出した。
「~っ! 〈ヒートブレイド〉!」
刀身に熱を持たせる剣術式を発動させ、足を縫い止める氷に突き刺した。瞬時に白い塊が溶けていくが、その僅かな時間すらもどかしい。
あれは何だ、ただの戦闘の結果なのか。それとも何か別の意図があってのことか? アシュリーは足が動くようになるまでの間も思考を回転させる。何か目論見があってあんな派手なことをしたのなら、その目的とは? 陽動のためのフェイクか、何らかの合図か、それともベオウルフへに向けたある種の符合か、もしかして飛竜を罠にかけるための囮か。
考えてもキリがなかった。
行ってみればわかる、結局はそう判断し、足が動くようになった途端に飛び起きて駆け出した。
途中で他の駆竜に遭遇しても構わぬよう『ギュゲスリング』を発動させ、姿を消したアシュリーは全力で来た道を戻る。
果たして、馳せた先に待っていたのは、予想だにしていなかった光景だった。




