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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第三章 天才クラフターでスーパーエンチャンターのアタシが、アンタ達の仲間になってあげるって言ってんのよ。何か文句ある?

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●18 卑怯者の葛藤





「あのね、アタシ細かいことはよくわかんないんだけど」


 飛び出して行く少年の背中を掴もうとして、しかし掴めずに終わって呆然とするアシュリーに、ツインテールの少女はやけに軽い口調で話しかけた。


「勇者とか、英雄とか? いや、アンタの言いたいことはわかるのよ? わかっちゃいるんだけどね」


「……何ですか」


 空を掴んだまま固まっていた自分に気付き、アシュリーは手を下ろしつつ背後を振り返った。


 白銀の長杖を右肩に載せているフリムは、何故かアシュリーとは目を合わさず、少年が飛び出していった路地の出口へと視線を固定していた。


 どことなく困っているような、それでいて喜んでいるような、なおかつ呆れているような――複雑な表情をしている。


「アイツね――あ、ハルトのことなんだけど――昔からあーなのよ。普段は気弱で、大人しくて、自分の意見なんてほとんど言わなくて。基本、家族以外の相手には下手に出るし、何かあると言いたいことも言えなくて黙っちゃうし、口を開いたかと思えばやたら遠回しな言い方するもんだから、聞いているこっちが面倒くさくなってくるし」


「……自分の弟分を、よくもそこまでこき下ろすことが出来ますね」


 チクリと針を刺すような皮肉を、アシュリーは吐いた。するとフリムはキョトンとした顔をする。


「あら、愛情にだってスパイスは必要よ? 相手を思って厳しくしない愛なんて愛じゃないわ、アタシ的には、だけど」


 しれっと容易には同意しにくい持論を説いたフリムに、アシュリーは目をすがめた。


「……それはまた、斬新な意見ですね」


「ま、愛の形は人それぞれよね――って、そんな話はどうでもいいわ。で、話の続きなんだけど。アイツね、さっき言ったみたいに、本当に気弱で臆病でコミュ障なんだけど――でも、時々ものすごく頑固になるときがあるのよ」


 はん、と投げ遣りな笑い方をフリムはした。


「まー大体、自分じゃなくて他人のことに関してのときが多いかしらね? 例えば、小っちゃいときのアタシが、近所の悪ガキ達に意地悪された時とか。あの泣き虫ハルトが、そりゃあもうすごい剣幕であいつらのとこまですっ飛んで行っちゃってね? むしろアタシがビックリしたっていう――」


「話が見えません。あなたは何が言いたいのですか」


 急に思い出話を始めたフリムに、アシュリーは声を強めて切り込んだ。


 その時、そう遠くない距離からドラゴンの咆吼や建物が損壊する音が連続して聞こえてきた。地面に巨大なハンマーを叩き付けたかのような轟音が幾重にも連なり、二人の少女の腹に響く。


 戦いの音だ。


 少年が、あのやくたいもない四人組を救うためだけに、死闘を始めたのだ。


 ざっと見て百体は超えるだろう、ドラゴンの大群に対して。


 もう笑うしかないといった風にフリムが、にゃは、と笑い、肩を竦めた。


 不意に顎を上げ、朽ちて崩壊寸前のビルに切り取られた細長い空を見上げたかと思うと、


「アタシ、思うのよね」


 すぐ近くで激しい戦闘音が轟いているにも関わらず、彼女は実に軽い口調で言った。


「――『弱きを助け、強気を挫く』って言葉があるじゃない?」


「…………」


 咄嗟に答えることができず沈黙してしまったアシュリーに、フリムはゆっくりと視線を下ろす。


「アンタが好きな勇者とか英雄とかって呼ばれる人間は、そういったことが自然に出来ちゃう奴なんじゃないかしら――って。アタシは思うの」


 アメジストにも似た瞳に浮かぶのは、どこか悪戯っぽい色。口元は笑んでいて、どこかアシュリーを試している風にも見える。


「――ちなみに、ウチのハルトは【そういう奴】よ? 見たでしょ? 黙ってらんないの。じっとしてらんないの。誰かが危ない時、助けたいって思ったら、損得勘定抜きで飛んで行っちゃうの。ああなったらもう誰にも止められないわ。このアタシでもよ? もうね、何を言っても頑として譲らないの。アンタは別人かってぐらいに」


「……ですから、あなたは、私に、何が言いたいのですか」


 侮辱されている。そう思った。だから声に力が入った。我知らず拳を握り締め、短く節を切りながら、なすりつけるかのように言葉をぶつけた。


 これに対し、フリムは瀟洒に肩を竦めてみせた。


「さぁ? ただ一つ言えるのは――ここでこうしているアタシとアンタは、少なくとも『英雄の器』じゃないわよね、ってことぐらいかしら?」


「――ッ!」


 にゃは、とまたしても明るく笑った彼女は、右手に持った白銀の長杖を地面に突き、左足の踵をリズムを取るようにトトンと動かした。


「じゃ、アタシもそろそろ行くわね。――サティ、レイダー、準備はいい?」


『All green(問題ありません)』『Exactly(当然です)』


 誰にともしれない呼び掛けに対し、フリムの体のどこからか女性と男性の機械音声が生まれ、応答した。どうやら彼女の身につけている長杖と戦闘ブーツが喋ったらしい、とアシュリーは推察する。目にする機会が多いとは言わないが、それでもああいったインテリジェント・アームズは今時珍しくもない。


 それよりもアシュリーが驚いたのは、言葉の前半だった。


「な……何を言っているんですか……? まさか……」


「そのまさかよ」


 絶句するアシュリーに対し、フリムはあっけらかんと言い放った。既に長杖とブーツの一部が変形し、戦闘態勢へと移行しつつある。


 アシュリーは叫ばずにはいられなかった。


「――しょ、正気ですかッ!? ベオウルフだけでなく、あなたまでドラゴンと戦うと!?」


「別にアンタにまで付き合えとは言わないわよ。でも、アタシは行かせてもらうわよ? アンタはアンタで好きにしたらいいわ。自分で言ってたじゃないの。別にアタシ達は仲間になったわけじゃない、って」


 コツ、コツ、と硬い靴音を立ててフリムはアシュリーの横を通り過ぎていく。その態度は、これから死地へ向かう者のそれではなかった。むしろ喜び勇んで戦いへ臨むようにしか見えなかった。


「な、何故……」


 もはや呆然と呟くアシュリーの問いに、フリムは肩越しに振り返る。悪戯っぽい輝きを宿す紫水晶の瞳が、赤金色の髪の少女を一瞥し、こう答えた。


「何言ってんのよ、あったりまえでしょ? 可愛い弟分が命張ってんのよ? ここで【お姉ちゃん】が気張んないで、どこで気張るっていうのよ?」


 あは、と彼女は心の底から嬉しそうに笑い、さらに続ける。


「アイツが誰かのために命を懸けてんだから。だったら、アタシぐらいはアイツのために命懸けてあげなきゃ、バランスがとれないってもんでしょ?」


 アシュリーは何も応えられない。


 意味が分からなかった。理解しようと努力する気すら湧かなかった。自分の常識の遥か埒外にいるとしか思えなかった。


「……ほんと、無茶するなってあれだけ言ったのにね、まったく……」


 アシュリーに聞かせるつもりのない独り言だったのか、ぽつり、とフリムは聞き取れるギリギリの声で呟いた。


 それから一転、急に明るい声で、


「じゃあねー♪」


 こんな時でも茶目っ気たっぷりに片目を閉じて見せ、駆け出していくツインテールの少女を、アシュリーはただ呆然と見送ることしか出来なかった。


 戦闘ブーツの靴底から紫の微光が生まれ、不可視の階段を昇っていく背中があっという間に見えなくなる。


「…………」


 行ってしまった。


 本当に。


「…………」


 薄暗い路地に一人取り残されたアシュリーは、深く俯き――やがてその総身がわなわなと震えだした。体の震えは徐々に大きくなっていき、ついにいてもたってもいられなくなった彼女は、自分の足元に向かって怒鳴り声を叩き付けた。


「――わかりませんッ! わかりませんわかりませんわかりませんわかりませんわかりませんわかりませんッ! ……わかりませんッッ!!」


 溜め込んでいた感情を一気に吐き出すように絶叫すると、顔を上げ、憤怒に染まった顔を見せる。


「全く以て理解できません! 頭がおかしいんですか!? 狂っているとしか言いようがありませんよ!? どう考えても自殺行為ですッ! こんな……ッ!」


 そこで言葉に詰まり、少女は肩を上下させて全身で呼吸する。


「こんなこと……ッ!」


 苦渋に顔を歪ませ、靴の爪先に視線を落とし、拳を握り締めて歯を食いしばる。


 一体一体が準ゲートキーパー級と言われているドラゴンの大群だ。


 それに対し、こちらは最大でもたったの七人。


 常識的に考えて勝てるはずがない。生き残れるはずがない。


 なのにどうして。


 あの二人は、ああも容易く死地へ飛び込んでいけるのか。


 これでは――


「私が……! この私が……!」


 彼女の――フリムの言った通りになってしまう。


 そのことを、納得するしかなくなってしまう。


 自分は『英雄の器』などではなく――ただの矮小な凡人にしか過ぎない、ということを。


 それだけではない。


 自分はベオウルフに対し、『最低ですね』とも『あなたに勇者を名乗る資格はない』と痛罵を浴びせた。


 だというのに、今の自分はどうだ。


 ここで逃げることは悪いことではない。賢く正しい選択だ。それだけは何があっても譲れないし、揺らぐこともない。


 しかし。


 同時に認めざるを得ない。


 英雄のあるべき姿にこだわる自分よりも、『勇者とか、英雄とか、そんなのどうだっていい』と言い放った彼の方こそが、英雄的であると。


 賢き者が、正しき者が、必ずしも〝勇者〟と呼ばれるわけではない。


〝勇者〟とは、文字通り【勇気ある者】を指す言葉なのだ。


 賢さも、正しさも、勇気には直結しない。むしろ賢さは狡さと、正しさは独善と、共に表裏一体なのだ。


 故に、ここに立ち止まっている自分こそ、裏を返せば、


「――ただの卑怯者になってしまうではありませんか……ッ!」


 口先だけで英雄を語る恥知らず。偉そうなことを言いながら危険を前に尻尾を巻く臆病者。あの時、ベオウルフを非難したのと同じように、自分自身を誹謗する言葉が次から次へと溢れてくる。


 もし仮に、このままあの四人を見捨て、ベオウルフとフリムとも袂を分かち、その結果として無事に生き残ることが出来たとしよう。


 だがその時の自分は、騎士として胸を張って生きていくことが出来るのだろうか?


「――~ッ……!」


 答えは否だ。断じて否だ。決まっている。そんなものは問うまでもない、明々白々たることなのだ。


 卑怯者にはなれない。


 そう、誇り高き『蒼き紅炎の騎士団』の一員たる自分は、何があろうと卑怯者になるわけにはいかないのだ。


 自分自身のためだけでなく、外にいる仲間や、敬愛する団長や副団長のためにも。


「…………!」


 覚悟は決まった。アシュリーは乱れていた息を調え、まなじりを決する。


 両手に〝サー・ベイリン〟を具現化し、剣柄をしっかと握った。柄に巻いた皮がギチギチと音を鳴らすほど強く。


 薄暗い路地裏で、激闘の音を背中で聞きながら、双剣をたずさえた少女はここに一人、宣言する。


「私は騎士――卑怯者に成り下がることだけは、絶対に許されない……!」


 瑠璃色の瞳に揺るぎない闘志の炎を灯し、決然と踵を返したアシュリーは、戦場へ向かって駆け出した。


 その足音に、迷いの残滓は微塵も無かった。






 刹那、眼前で起こった出来事が、ニエベスにはさっぱり理解できなかった。


 死ぬと思っていた。


 仲間もろとも――否、真っ先に自身が喰われ、命を終えるものと。


 そう思うしかない状況だった。


 だが、逃亡の途中でついに力尽き派手に転倒したルークと、その彼に抱えられていた枯渇状態のマナッドと重傷のアーカムを守るため――守り切れるなんて欠片も思っていなかったが――剣を抜き、包囲を狭め来るドラゴン達に切っ先を向けた時だった。


『GYA――!?』


 やけに濃い紫の雷撃が目の前にいた巨大な駆竜の土手っ腹をぶち抜いた。


「――ッ!?」


 度肝を抜かれたなんてものではなかった。間に余計なものがなければ喉から心臓が飛び出していてもおかしくなかった。自分に直撃したわけでもないのに尻の穴から頭の天辺まで凄まじい電流が駆け抜けた。


 それだけではない。


 空から落ちてきた深紫の稲妻は勢いそのまま地面へ突き刺さり、爆裂した。


 豪風が吹き荒れる。


 あまりの衝撃にニエベスも、後ろにいたルークら三人も一斉に吹き飛んだ。近くの建物の壁に叩き付けられる。


「ぐはぁ!?」


 軽鎧を着込んでなければ背中を強く打ってしばらく呼吸が出来なかったかもしれない。反射的に閉じていた目を開いた瞬間、またしても【何か】が起こった。


「――な……!?」


 愕然。


 目を見開くしかない。


 二匹の昇龍が、そこにはいた。


 そう、ドラッヘ型ではなく、ルン型の怪物が。


 雷光を迸らせ、膨大な風を渦巻かせ、天空へ昇っていく二匹の深紫の龍。


 否、違う。あれは竜巻だ。直径五メルトルはある巨大な竜巻。濃い紫色に輝いている――ということはつまり、あれは自分達を包囲しているドラゴンではなく、別の何者かのフォトン・ブラッドによる現象――!?


「――!?」


 鼓膜が破れそうな大音響と衝撃波。指先を掠めただけで全身が巻き込まれミキサーのごとく粉々にされるであろう破壊の奔流が、縦横無尽に躍った。


『GGGGGGYYYYYYAAAAAAAAAA――!?』『UUUURRRRRRRRRYYYYYYYYYYYYYY――!?』『GGGGGRRRRRRAAAAAAAAAA――!?』『WWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOWWWWWW――!?』


 幾重にも連なって突き上がる異形の悲鳴。


 朽ちた街の風景を隠すほど密集し、包囲網を組んでいたドラゴン達を、破滅の力が怒濤のごとく呑みこんでいった。


 瞬く間に、飛竜も駆竜もまとめて活動停止シャットダウンされていく。


 アメジストのように煌めく竜巻に触れた端から、ドラゴン達の体が消えていった。どいつもこいつも鋼鉄並に頑丈な鱗を持っているにも関わらず、ゼリーか何かのように弾け飛んでいく。


 一瞬だった。


 ニエベスの見ている前で、ディープパープルの力が荒れ狂い、視界にいた全てのドラゴンが消滅した。


 残るのは、そこかしこに浮かぶ無数のコンポーネント。通常のものよりかなり大きめのそれが、最初に落雷があった箇所へと集まっていく。


 それで、ようやく気付いた。


 そこに、誰かが立っている。


「――……!?」


 驚いた。声も出ないほど仰天した。


 黒い髪に、センスのない紫色の戦闘ジャケットを着た小さな背中。


 見間違いかと思った。


 だがいくら目を凝らしても、その幻影は消えなかった。


「……………………ぼっち…………ハンサー……?」


 未だ強い風が吹きつける中、瞠目し、呆然とその名を呟いた。


 すると、まるでその声が契機になったかのように、少年の両手に握られていた双剣が甲高い金属音と共に粉々に砕け散った。あまりの負荷に耐えきれなかった、と言うかのごとく。


 少年がさっと肩越しにこちらを見た。〝SEAL〟の輝紋が深紫に輝き、激しく明滅している。あんな風に励起する〝SEAL〟なんて初めて見た。輝紋が眼球内部にまで及んでいる上、時折、ショートしたかのように皮膚上で同色の火花が散っている。双眸から炯々と紫紺の光を放つその姿は、どこからどう見てもニエベスの知っている少年ではなく、紫色に光り輝く【何か】だった。


 ――〝怪物ジ・モンスター〟。


 ベオウルフ以外に彼につけられていた異名の一つが、ふと脳裏に過ぎった。


 そうだ、化け物だ。あれは、人の形をした化け物なのだ。そうとしか思えない。そのようにしか見えない。


 そして、ニエベスの背筋に最大級の戦慄が走る。


 自分はその化け物に、何をした?


「……!!!」


 暴言を吐き、暴力を振るった。もっと具体的に言うと、顔を殴り鼻血を流させ、飛び蹴りを喰らわせた上、我ながら理不尽な理由で土下座を強要した。


「あ……あ……!」


 夢にも思わなかったのだ。まさか彼が、あの少年が――【本物】だったなんて。


 嘘だと思っていたのだ。あんな小さな子供が、たった一人で、キリ番階層のゲートキーパーを撃破したなど。


 信じられるわけがなかった。それが本当なら怪しい業者が売っている幸せの壷は本物だろうし、闇ブローカーが流している寿命が延びるアプリだって偽物ではないはずだ。そう思うほど信じがたい話だった。


 さもありなん。どんな与太話とて、よほど真実味に溢れているに違いない。


 あの気弱でひょろっとした子供が、最強のゲートキーパーを独力で活動停止シャットダウンさせた――などという話に比べれば、


 現実がこんなにふざけているとは、想像だにしなかった。


 しかし、事実は目の前にある。それが全てだった。


「ひ――ぃ……!」


 純然たる恐怖が喉奥からせり上がってきて、素っ頓狂な声が漏れ出た。ニエベスは腰を抜かしたまま後ろへ下がろうとして、自分が壁を背にしていることを思い出した。そんな簡単なことも覚えていられないほど怯えている自分の頭が、余計に怖かった。


 殺される――そう直感した。今まさにその少年に窮地を助けられたというのに、それが理解できないほどニエベスは錯乱していた。


 ドラゴンに囲まれ死を覚悟した時よりもひどい顔をしているニエベスを、しかし紫電をまとう少年は一瞥しただけだった。


 刀身が砕け散った双剣の柄を〝SEAL〟のストレージに収納し、彼は新たな得物を取り出した。出現したのは、ニエベスにも見覚えのある十文字槍クロススピア。それを両手で持ち、軽く構えをとる。


 次の瞬間、両目に灯っていた紫紺の光が洒落にならない速度で右へと走った。かと思えば、棒立ちだった少年の姿が霞のように消えていく。


「……!?」


 否、残像だ。あまりに移動速度が速過ぎて完全に見失ってしまっていた。目に焼きついた幻をニエベスは見ていたのだ。


 視線を巡らせ少年の姿を探す。


 いた。


 飛竜が群れ集う空へ紫に輝く一条の光の矢が飛び上がり、滅茶苦茶な軌跡を描いて空間を貫いた。小さな子供が紙にクレヨンを走らせたような軌道で飛ぶ少年と、宙を飛ぶドラゴンが接触する度に強い紫光が瞬く。ほんの一刹那の閃光が煌めく度、飛竜が撃破されていく。


 速いとか、すごいとか、そんな次元の話ではなかった。


 二体揃えばゲートキーパー級に勝るとも劣らないとまで言われるドラゴンが、時には水風船のごとく破裂し、時には魚よろしく三枚に下ろされ、時には羽虫のように叩き落されていく。


 それも尋常ではない速さで。


「…………」


 放心状態で空をかっ飛ぶ紫紺の光を眺めていると、不意に甲高い唸り声が耳に届いた。


『GGGGGRRRRRRR――』


「ッ!?」


 呆けていた頭に活が入った。慌てて立ち上がり、周囲を確認する。


 重苦しい足音が近付いてくると思ったら、それは新手の駆竜の出現によるものだった。ざっと見ても七体以上。小さなものでも頭の位置が三メルトル以上のところにある。二足歩行に、四足歩行に、蜈蚣のような奴まで揃っている。


「く、クソがぁ……!」


 考えてみれば当たり前だった。ぼっちハンサー――いや、ベオウルフが吹き飛ばした奴らが、ここに集った駆竜の全てであるわけがなかった。


 慌てて足元を見回し、すぐ傍に転がっていた自分の剣を拾う。仲間の三人も近くで気を失って倒れていた。ニエベスは再び彼らを守るように飛び出し、近寄ってくる駆竜の影に剣を向ける。


「く、来るなら来やがれっ! お、おお俺のダチには手出しさせねぇかんよぉッ!」


『GGGGGGGGGRRRRRRRRRRAAAAAAAAAA――!!』


「ひっひぃいいいいいいいいいいいぃ!? うそ嘘うそウソッくっくっくく来るな来るんじゃねぇしゅしゅしゅしゅみましぇぇん!?」


 勢いよく啖呵を切ったはいいが、応じるように肌がビリビリ震えるほどの雄叫びを返されると、途端に悲鳴をあげて型もへったくれもなく剣を振り回す。


「……ニ……ニエ……ベス……」


 その時、背後から掠れた呼び掛けが聞こえてきて、ニエベスは息を呑んで振り返った。


「……に、げろ……せめて……おまえ、だけ……でも……」


 声の主は、仲間の中で一番体躯のでかいルークだった。糸の切れた操り人形のように横たわっている三人の中で、どうやら彼だけはかろうじて意識を保っていたらしい。


 心の底からありがたい提言ではあったが、しかしニエベスはこう叫び返した。


「で――できるわけねぇだろがッ! バカ言ってんじゃねえぞこのタコスケッ!」


 重い足音が響き、駆竜の接近を知らせる。ニエベスはルークから視線を外し、今度こそはしっかりと長剣を構えた。


「な……で、だよ……てめ……そんな……ガラ、じゃ……ねぇ……だろ……」


 気を失ったマナッドとアーカムを担ぎ、加速術式で限界以上に肉体を稼働させ体力を消耗し尽くしたルークは、途切れ途切れに問うた。


 先程のベオウルフの攻撃による影響か、一歩、また一歩と慎重に近寄ってくるドラゴン達を見据え、ニエベスは生まれたての子鹿のごとくガクガクと膝を笑わせながら、こう答える。


「へ――へへへっ……お、お前さぁ……このあいだよ……街中であのクソ女にやられた時……言ってくれたじゃねぇかよ……」


「……?」


「――『ダチやられて大人しくしてられっかよ!』――ってよ……? い、今だから言うけどよ……アレ、けっこう嬉しかったんだぜ……? いや、俺ぁ付き合い短けぇからよ……マナッドとアーカムのことを言ってたこたぁわかっちゃいるんだけどよ……それでもよ……!」


「……ニエ、ベス……? てめぇ……泣いて、ん……のか……?」


 ルークに背を向け、長剣の切っ先をブルブルと揺らすニエベスは、確かに滂沱と涙を流していた。頬を伝い落ちる熱い流れは、途中でこんこんと湧き出る鼻水と合流し、ひどいことになっている。


 完全な涙声で彼は強がった。


「――うるせぇ! とにかくだ! 俺だってそうなんだよ! 確かにここで逃げりゃ助かるかもしんねぇ! ンなことぐれぇわかってんだよ! でもよぉ! それでもよぉ!」


 歯がカチカチを通り越してガチガチと鳴っている。抜けた腰はまだ回復しておらず、手も足も震えが止まらない。こんな状態でまともに戦えるわけがない。そもそもいくらトップ集団にいた自負があるといえ、ドラゴン相手に一人で戦って勝てるわけがない。あのベオウルフは例外だ。あれは正真正銘の化け物だ。そして、化け物でも何でもない自分は、間違いなく喰われて死ぬ。踏み潰されて死ぬ。噛み砕かれて死ぬ。後ろのルーク達だってすぐに後を追いかけてくるだろう。そんなことわかってる。わかりきっている。


 それでも。


 ニエベスは、絶対に逃げないと心に誓っていた。


「――俺のことダチって呼んでくれた奴を見捨てて逃げちまったら、俺ぁ正真正銘のクズになっちまうっ……! ど、どうせ死ぬならよぉ! せめて少しは――少しぐらいはよぉ! ――カッコつけて死にてぇんだよっ! コンチクショウがよぉおおおおおおおおおおッッ!」


 涙ながらに絶叫し、雄叫びを上げ、ニエベスは力の入らない足を叱咤して地を蹴った。


 陽光を照り返し白銀に輝く長剣を振りかぶり、至近にいた二足歩行の駆竜に斬りかかる。自分の胴体よりも太い丸太のような脚を狙って、


「オラァァァァッ!」


 腐ってもトップエクスプローラーの末席を汚すニエベスである。たとえ力の入りすぎたキレのない剣筋であっても、それは確かな威力をもって駆竜の右膝に喰らいついた。袈裟斬りが頑丈な鱗を叩き割り、刃が肉へとわずかに食い込む。


『GGGGGAAAAAAA――!?』


 痛覚エンジンが稼動したドラゴンが顎を大きく開き、悲鳴をあげた。ニエベスはすぐに飛び退き、襲い掛かってくるだろう反撃に備える。


「――へ、へへっ! どうだこの野郎! なめてんじゃねぇぞクソがぁっ!」


 己の攻撃が通ったことでわずかに落ち着きを取り戻したニエベスは、軽快なフットワークを刻んで駆竜の尻側へと回りこむ。狙うはさっき斬りつけた膝の裏面だ。前後から挟撃してやれば片足を潰せる。そうなれば飛竜と違って駆竜は移動もままなるまい。


 いけるかもしれない――再び剣を大上段に振りかぶるニエベスは微かな希望を見出した。そうだ、自分は強い。ドラゴンの鱗だって斬れる。こうやって近付いてくるドラゴン全ての脚を潰してやれば、勝てはしないでも負けることもないのではないか――?


「そらそらそらそらぁぁぁぁぁッ!」


 口元に歪な笑みを刻み、ドラゴンの膝裏へ斬りかかろうとした瞬間だった。


『GGRRAAA!』


 標的の駆竜が短く吼え、ドラム缶よりも太い尻尾を勢いよく振った。


 硬質の鱗に覆われた尻尾が、空間ごと薙ぎ払うかのようにニエベスの頭の上を抜け、振りかぶった長剣の腹を打った。


 それだけで、ポキン、と間の抜けた音を立てて長剣が半ばから折れた。


「オラオラァァァァッ!」


 そのことに気付かず剣を振り下ろしたニエベスは、無論、刃のリーチがまるで足らずに盛大な空振りを見せ、危うく転倒する寸前でたたらを踏んだ。


「――っとぉ!? ア、ァアン!?」


 なんでだ、と顔を歪めて己の長剣――最高級のものとは決して言えず無銘ではあるが、長年連れ添ってきた自慢の相棒――を見た瞬間、目玉が飛び出すほど仰天した。


 いっそ笑えるほど綺麗に、刀身の真ん中から上が消えていた。


「ほぁ――ほぁあああああああああああああああああああ――――――――ッッッ!?」


 まるでSBのそれのような裏返った絶叫が迸った。


 サク、と彼の背後で折れ飛んだ長剣の半身が地面に突き刺さる。


『GGGGGGRRRRRRRRRAAAAAAAAA!!』


 尻尾を振った勢いそのままに、ぐるん、と駆竜が身を翻した。


「あ……」


 真上から降ってきた咆哮に、ニエベスは思わず頭上を仰ぐ。


 一口でニエベスの全身を飲み込むほどの巨大な顎門を持つ獰猛な魔獣が、敵意に満ちた目で彼を見下ろしていた。


 ぞろりと並んだ牙の隙間から涎が垂れ、雫となってニエベスの額に落ちる。


『GGGGGGYYYYYY』『UUUURRRRRRRRRYYYYYY』『GGGGGRRRRRRAAAAAAAAAA――!』『WWWWOOOOOOOWWWWWW!』


 さらに、四方八方から別種の駆竜の鳴き声と足音とが近寄ってきた。


 囲まれている。


 そう悟ったとき、わずかに見えかけた希望の光が、風に吹き消される蝋燭の火よりも儚く消え失せた。


 ニエベスの瞳から輝きが消え、濁った絶望がそこに取って代わる。


 あ、これ死んだわ――ドラゴンの顎ががばっと大きく開き、猛然と迫る刹那、ニエベスはそれだけを思った。思考はそこで停止して、走馬灯のような記憶の再生など何一つ思い浮かんでこなかった。


 凶悪な牙がその身と命を噛み千切らんと




『ジャイアントハンマー』




「どぉおおおおりゃぁあああああああああああああああああああッッ!!」


 すぐ隣で大砲をぶっ放したような轟音が、鼓膜を破る勢いで耳を劈いた。


 いきなり現れた巨大な紫色の光の塊が、自分を喰おうとしていた駆竜の横っ面をぶん殴った。


「――は……?」


 あまりに現実味のない光景に、驚くよりも先に、脳が理解を拒否した。


 クソ女。


 確かベオウルフがフリムと呼んでいたあの憎き少女が――空中で、馬鹿げたでかさのヘッドを持つハンマーを振り抜いていた。


 意味がわからなかった。


 駆竜の頭部をアルミ缶のごとくひしゃげさせ、剥がれた鱗の飛沫を撒き散らすハンマーのヘッド部がどれほど大きいかというと、どう見ても大型トラックのカーゴよりもでかい。質量的に有り得ない光景だ。


『GR――!?』


 一発いいのをもらった拳闘士よろしく二足歩行の駆竜がよろめく。そうしながら、そのえぐい鉤爪がついた両腕が宙へと伸ばされた。自らをぶん殴った少女を捕まえようというのだ。爪の先から青白く光る触手が伸びる。ドラゴンが持つ精密マニピュレーターである〝触角〟だ。ウミヘビにも似た動きで伸び上がった幾本もの〝触角〟を、しかし少女は何も無い空間を蹴って飛び上がり、俊敏に回避した。


「サティ、レイダー! マキシマム・チャージ!」


『『マキシマム・チャージ』』


 少女の叫びに白銀の長杖と漆黒の戦闘ブーツが応える。フリムの露わになっている肌、そこを駆け巡るアメジスト色の輝紋。そこから紫の光輝の粒が幾十も飛び出し、一瞬、眩い煌めきが彼女の全身を飾る。光の粒子は尾を曳きながら鋭角的な軌跡を描き、その全てが長杖とブーツへと吸収された。


『トライデントスピア』


 ハンマーのヘッドを形作っていた紫の流体が解け、新たに巨大な三叉鉾の穂先へと変化した。駆竜の頭よりも遥か高い位置へ跳躍したフリムは、その切っ先を真下――ドラゴンの胴体へと向ける。


 かと思った瞬間、その手を離した。


 重力に引かれ、穂先だけがひどく大きい奇妙な三叉鉾が落下する。その石突きがブーツの爪先あたりに来たとき、


『グラビトン・ハンマー』


 超重力をまとったブーツが、


「でっかいトカゲ風情が――」


 真っ逆さまに落ちる三叉鉾の石突きを、


「――このアタシを捕まえようなんざ――」


 踏んだ。


「――百万年早いってぇーのよッッ!!」


 怒声と共に、三叉鉾の穂先が駆竜の背中に突き刺さる。増幅された重力によって増加した荷重が、堅固な竜の鱗を紙細工か何かのように貫いた。


『GGGGGGGGRRRRRRRRRYYYYYYYYYAAAAAAAA――!?』


 一瞬にして巨体を垂直に串刺しにされたドラゴンが断末魔を上げ、活動停止シャットダウンシーケンスへ入る。


 手応えがなくなるまでベキベキメキメキと駆竜の肉と骨を破壊していた三叉鉾が地面に突き立った瞬間、フリムは『グラビトン・ハンマー』と『トライデントスピア』を同時に解除した。身を折って空中で長杖を掴み取り、首を巡らせ、周囲を取り囲む他の駆竜達へと視線を飛ばす。


「もう一丁チャージ!」


 少女が叫ぶと、すかさず長杖とブーツが揃って『『マキシマム・チャージ』』と返した。


『チェインスターフレイル』


『ジェット・ファイア』


 再びアメジストの流体が形状を変える。一瞬の変化で出来上がったのは、長杖と棘の生えた球を鎖で結んだ武器――いわゆるモーニングスターだった。勿論、大きさだけは規格外だが。


「そこのおバカっ! ちょっと伏せてなさいッ!」


「……は? ――お、おおっ!?」


 いきなりこっちへ飛んできた声に、ニエベスはワンテンポ遅れてから反応してしまう。言われた通りに体が動いたのは、フリムの両脚から豪快な噴射炎が溢れ出るのを目撃してからだった。


 右脚の脛から前方へ。左足のふくらはぎから後方へ。大気を灼き焦がす爆炎が同時に、文字通りジェット噴射される。


 左右前後が逆の噴射炎が生むのは、猛烈なスピンだ。


「せぇぇぇぇぇぇ――――――――のッッッ!!」


 巨大すぎるモーニングスターを構えた少女が、その場で時計回りの高速回転を始めた。


「うりゃぁぁあああああああああああああああああああッッ!!」


 女性に似合わない全く以って麗しくない雄叫びがあがり、フリムのツインテールが風を切る。その動きに引きずられたモーニングスターもまた、超巨大な星球を勢いよく振り回し始めた。


 見る見るうちに回転速度が上昇し、ほんの数回転でトップスピードに乗った。


 その瞬間、鎖が伸びる。


 一気に攻撃範囲を広げた破壊力の塊が、ニエベスらを包囲せんと集まってきていた駆竜達の中へ突っ込んだ。


「喰 ら え ぇ ぇ え え え え え え え え え え え え え え え ッ !」


 残像を曳くほどの速度で振り回されていたモーニングスターは、まさしく朝焼けの空を貫く一条の流星だった。


『GGGGGRRRRRRAAAAAAAAAA――!?』『UUUURRRRRRRRRYYYYYYYYYYYYYY――!?』『WWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOWWWWWW――!?』『GGGGGGYYYYYYAAAAAAAAAA――!?』


 膨大な遠心力を得た巨大星球が、群がっていた竜をまとめてぶん殴る。鱗ごと肉を砕かれるもの、肉体の一部をごっそり削がれ青白いフォトン・ブラッドを噴き出すもの、脚をへし折られ崩れ落ちるもの、全身を強く打たれ吹っ飛ぶもの――大きさや種類によって結果は様々ではあるが、ドラゴン達に絶大なダメージを与えていく。


 フリムの旋転は止まらない。


 最初の一撃で吹っ飛ばされた奴などまだ幸運な方だ。猛烈な速度で走るモーニングスターは、通り過ぎた一瞬後にはまた微妙にコースを変えて戻ってくる。当然、その場に残っていた駆竜は改めてその餌食となる。


 破滅の竜巻と言っていいだろう。


 時間にしてほんの十数セカド。それだけの時間で、周囲にいた駆竜のほとんどが活動停止に追い込まれ、残る一部がしばらく身動きできないほどのダメージを与えられた。


 敵の壊滅を確認したフリムは徐々に回転速度を落とし、やがてキッと音を立てて停止した。あれだけ回転したというのに、ふらつく素振りすら見せない。


 むしろ、その顔は笑みを浮かべてすらいた。


「――ふーん。何よ、大した事ないじゃない。ドラゴンって言っても下兵類はしょぼいもんね。ビビって損したわー」


 呵々と笑う少女の豪語に、もはやニエベスは何の感情も湧いてこなかった。立て続けに信じがたいことが起こりすぎて、彼の感覚はほとんど麻痺している。


 だが次の瞬間、その神経に【ヤスリ】がかけられた。


「――!? お、おいッッ!?」


 痙攣にも似た動きで跳ね起き、叫ぶ。


「は?」


「上だ! 上だよボケェェェェ!」


 ニエベスが咄嗟に指差したのは上空。


 フリムが弾かれたように頭上を仰ぐ。


 すると、ちょうど四体の飛竜が寄り集まり、それぞれの顎門を開いているところだった。


「げ……!?」


 一斉ブレス攻撃。


 まさかのタイミング。


 エクスプロールに限らず、戦闘では一瞬の油断が命取りとなる。その典型とでもいうべき状況だった。


「やばっ――!?」


 慌てて長杖を構えるフリム。しかし、例え万全の態勢でいたとしても間に合ったかどうか。


『スヴァリンシールド』


 白銀の長杖が音声を吐き、紫の流体が変化を開始した刹那、飛竜のブレスがまとめて発射された。火炎が、雷電が、風刃が、土砂が、避け得ぬ速度でフリムめがけて降り注ぐ。




「詰めが甘いですよ、ミリバーティフリム」




 その時、忽然と現れた人影が音を立てて跳躍し、少女とドラゴンの間に割り込んだ。


 五本のブレスが集中する焦点に飛び込んだ人影とフリムがまとめて消滅する瞬間を、ニエベスは幻視した。何故なら、その結末しか思いつかなかったからである。


 しかし。


 人影がブレスと交錯する刹那、蒼き双刃がギラリと煌めいた。


「〈アグレッシブ・サンクチュアリ〉ッ!」


 激突。


 竜が誇る超常の波動が、十字に切り裂かれた。


 滝が突き出た岩に邪魔されるように、分断されたブレスがベクトルを逸らされフリムの周囲へと突き刺さる。地面に触れた端からブレスが思い出したように威力を発揮し、焼き、焦がし、切り裂き、押し潰し、荒れ狂う。


 ニエベスは見た。


 激流のごとく降り注ぐ炎を、雷を、風を、土を斬っているのは二振りの曲刀だった。上空へ向けて十字に交差した蒼い刀身が、形なきブレスを確かに切断している。


 あれはそう――かつてニエベスの攻撃術式と、片耳を斬り払った蒼いショーテル。


 その持ち主は誰あろう――『蒼き紅炎の騎士団』の第三席が一人、アシュリー・レオンカバルロであった。


「〝サー・ベイリン〟――解放抜刀リリース・エンクロージャ!」


 否、その双剣はドラゴンブレスを切り裂いただけではなかった。


 アシュリーの叫びに呼応して、彼女の皮膚上を走る〝SEAL〟の幾何学模様が、オレンジ色に輝き激しく励起する。


 双剣〝サー・ベイリン〟の刀身から白い冷気が溢れ、霜を纏った。


「はぁああああああああああああッッ!」


 裂帛の気合をのせた双剣がそれぞれ全力で振り抜かれた。


 同時、大気を凍結して軋ませる音が連続し、凝固した氷の斬撃波が上空のドラゴンへ向けて撃ち出された。十字型の氷刃は、四本のブレスの中央を切り裂きながら上昇していく。


 ニエベスには知る由もなかったがこの時〝サー・ベイリン〟から放たれたのは、刀身に吸収されていたアイスドラゴンのブレスの力であった。


 本物のブレスに比べれば十分の一の威力もないものではあったが、飛竜らの虚をつくには充分だった。


『UUUUUURRRRRRRYYYYYY!!』


 危険を察知した四体の飛竜が羽を打って一斉に散開する。途端にブレスは途切れ、降り注ぐ破滅の激流が消え失せた。


 ドラゴンが散って空白となった空間を、氷の斬撃波が貫き、空の彼方へと消えていく。


 空中でくるりと一回転し、華麗に着地した銅色の髪の少女に、フリムが呆然と呟いた。


「アシュリー、アンタ……」


 だが数瞬の逡巡の後――フリムは、にゃは、と笑いかけた。


「――ありがと。おかげで助かったわ。でも、どうしてアンタ一人で逃げなかったのよ?」


 フリムに背を向ける形で立ち上がったアシュリーは、肩越しに振り返り、瑠璃色の一瞥をくれる。


「知れたことでしょう。あのようなことを言われて、はいそうですかと従えるものですか。それに、もし万が一あなた達が生き残ったときに、アシュリー・レオンカバルロは一人で逃げ出した臆病者だ、と流言飛語を流布されてはたまりませんからね」


 その言い訳を、フリムは軽く笑い飛ばした。


「しないわよぉそんなこと。まったく素直じゃないわねぇ。正直に、仲間はずれにされて寂しかった、って言っていいのよ?」


「……いずれ放言のツケは払ってもらいますよ、ミリバーティフリム。それより今は戦いに集中する時です。ここが瀬戸際ですよ、生きるか死ぬかの」


 一層低めた声でそう告げ、アシュリーは一対のショーテルを油断なく構え、空へと視線を戻した。そちらには散開した飛竜共が戻ってきていて、四体で円を描くようにこちらの頭上を旋回している。


「役割を分けましょう。ミリバーティフリム、あなたはそこで彼らを守ってください。私は前へ出て近寄ってきたドラゴンを無力化していきます」


 この提案に、フリムが不満たっぷりに反論した。


「えー、何よそれ。アンタ一人じゃ厳しいでしょ? アタシも一緒に戦うわよ」


 そんな彼女に、アシュリーからジト目が向けられる。


「あなたが側にいたら命がいくつあっても足りません。戦うなとまでは言いませんが、私から離れた場所でしてください」


 さもありなん、と端で会話を聞いているニエベスは思った。先程のハンマー投げのような戦い方を見れば、誰だって肩を並べて戦いたいとは思わないだろう。


 ――というか、さっきから何なんだ、こいつらは……


 いまや完全に、事態はニエベスの理解を超えたところにあった。


 あの剣嬢ヴィリーに次ぐ実力者の一人であるアシュリーはともかく、駆竜相手に一歩も引かず、それどころか豪快に叩きのめすあのフリムとかいう少女は、一体何者なのか。そして、ベオウルフもそうだが、どうして自分達を助けにきてくれているのか。仲間どころか知り合いでもない、むしろ互いに敵意を持っていたはずの自分達を、何故?


 しかし、状況は彼の理解など待ってはくれない。足元から響く震動、空から降ってくる電子音、それらが新たな敵の接近を報せていた。


「――ま、しょうがないわね。こいつらがやられちゃったら、せっかくハルトとアタシ達が飛び出してきた甲斐もなくなっちゃうし……いいわよ、行って。だけど、無理しちゃ駄目よ? 絶対よ? 危なくなったらすぐ戻って来るのよ?」


「あ、あなたは私の姉か何かですか!? 余計な節介はおやめなさい! そういった心配はベオウルフ相手にだけしていればいいのです!」


 しつこく念を押すフリムに、あっさり堪忍袋の緒が切れたアシュリーが顔を真っ赤にして噛み付いた。ニエベスにしてみれば、こんな時に余裕だなオイ、ぐらいの感覚なのだが、そういえば――と彼は少年が飛んで行った方角を見やる。


 紫紺に輝く光の矢は、今もなお空を縦横無尽に飛び回り、続々と集結してくる飛竜をバッタバッタと打ち落としていた。こうなっては次元が違いすぎて「おおスゲー」ぐらいの感想しか出てこず、我ながら精神が摩耗していることが自覚できた。


「とにかく、そこの四人が動けるようになるまで時間を稼ぎます。ここは任せましたよ」


「オッケー、そっちこそ任せたわよ」


 アシュリーの言い置きにフリムが首肯した次の瞬間、蒼のロングジャケットの裾が翻り、双剣士の少女の姿が霞のごとく掻き消える。


 高速移動――否、違う。隠蔽術式に似たような効果で、気配を遮断したのだ。そういえば、ひどく値は張るがそういった機能を持つ武具があると小耳に挟んだことが――


 と、ニエベスが頭の片隅で連想をしていた時だ。


 フリムが周囲を警戒しつつ、こちらに歩み寄ってきた。地面に俯せになっているニエベスをアメジスト色の瞳が見下ろし、顎でルーク達三人がいる方向を示す。


「なにボサッとしてんのよ、さっさと立ちなさいよ。あっちで倒れてる連中を手当てして、とっととズラかるわよ」


「お、おお……」


 さっきのモーニングスターフルスイングを目の当たりにしたせいか、小柄な少女に物凄い圧迫感を覚え、ニエベスは生返事をしてしまう。


「あと、聞きたいことがあるのよね」


「え?」


 聞きたいこと? このような状況で? と不思議に思い、率直に疑問符をあげてしまった。


「普通に考えて、ドラゴン達がこんなにも集まってくるなんておかしいじゃない? 何か理由があるはずよね?」


「――あ……」


 フリムの推察に、心当たりのある胸がギクリと音を立てた。反射的に声が漏れてしまう。


 その途端、こちらを見下ろしてくる双眸が訝しげに細められた。


「……アンタ達、何かしでかしたわよね? それでドラゴン達に狙われてるんでしょ?」


「うっ……」


 的確に図星のど真ん中を突かれて、ニエベスは思わずさっと視線を逸らす。


「――へぇぇぇ……」


 フリムの声が凍える。一歩、ズン! とこちらへ近付く足音は、駆竜のそれよりも重苦しく聞こえた。


 ツインテールの少女から、冷たい宣告が下される。


「……いいから、とっとと全部白状しなさい。場合によっちゃあ、今度こそガチで踏み潰すわよ……!」


 あ、今度こそ死んだわ――ニエベスはそう確信した。






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