●10 女三人寄ればかしましい
ルナティック・バベル第一〇八層。
遥か古代、ある地域では一〇八という数字に特殊な意味が込められていたらしい。
それは何あろう、煩悩の数である。人生には一〇八個もの悩み苦しみがあり、人はこれを克服して生きていかねばならないのだという。
――そんなトリビアを、この軌道エレベーターを建設した古代人達が知っていたかどうかはわからない。が、他の特殊な番号の階層と同じく、この第一〇八層には特別な趣向が凝らされていた。
他の階層では多くて一〇個程度のアーティファクトが、階層数と同じ一〇八個も眠っていたのである。
別名〝宝の山〟。
ここには一〇八個の宝物庫と、それを守護する一〇八体の〝ルームガーディアン〟が存在する。
――と言っても、この階層のセキュリティが解除されたのは僕が生まれるよりずっと前で、長い眠りについていた財宝はその全てが世に放たれてしまっているのだけど。
今じゃ〝空っぽのゴールドマイン〟なんて呼ばれているこの階層に、僕はフリムと二人でエクスプロールに来ていた。
「でぇりゃぁあああああああっ!」
『ビッグサイス』
フリムの振るう白銀の長杖から女性の合成音声が発せられると同時、鮮やかなパープルの光が巨大な刃鎌へと変化する。
巨大な鎌の名の通り、ロッドの先端から生えた紫の刃鎌が袈裟斬りの軌道で空を裂いた。
『GGGGGGOOOOOOAAAAAAA――!』
烈火を纏う二本の角を生やした緋色の牛――〝レッドブル〟の頭から尻までが一気に両断される。火の粉を散らして突進してきたところにカウンターを入れられた形だ。
「次ぃっ!」
『グランドアックス』
フリムの裂帛の叫びに、その手に握られた白銀のロッド〝ドゥルガサティー〟が間髪入れず応える。二メルトルはある長杖の先端に宿った彼女のフォトン・ブラッド――紫の輝きが拡大と縮小、伸長と屈曲を繰り返して瞬時に形状を変えた。
大鎌から戦斧へ。
「どっ――せぇぇぇぇいっ!」
『GGGOOOAAAAAAAAAAAA――!?』
返す刀で振り戻した巨大な刃の塊が、続けて突っ込んできた二体目のレッドブルの横っ面に叩き込まれる。紫の光刃が緋牛の巨躯を豆腐か何かのように上下に分断した。
「とどめぇ――――――――ッッ!!」
『ジャイアントハンマー』
三度の形状変化。大上段に構えられたドゥルガサティー、そのあちこちにあるスリットからフリムのフォトン・ブラッドが勢いよく噴き出し、戦斧へと追加される。膨張した紫の光輝がうねり、捻れ、渦を巻く。
出来上がったのは、馬鹿げたサイズのヘッドを持つ巨大なハンマーだ。
大型車両ほどの頭部をもつ無茶苦茶な戦鎚を、連なって突撃してきた最後のレッドブル目掛けて一気に振り下ろす。
『GOA――』
雷神の怒号がごとき轟音が鳴り響き、大気が破裂したような衝撃が走った。
一瞬、ルナティック・バベルの白亜の廊下に罅が入ったんじゃないかと思った。それほどの迫力だった。
もちろん、レッドブルはぺしゃんこになって活動停止シーケンスに入っていた。
「……やりすぎだよ、フリム……」
僕はといえば別に遠くからのんびり観戦していたわけではなく、こちらはこちらでSBの相手をしている。同時に六体がポップしたレッドブルのうち、三体が僕に向かってきていた。
『GGGGAAAAAOOOOAAAAAA!!』
円、回転、螺旋の動きを意識しつつ、最小限のサイドステップで劫火に燃える鋭い角を回避する。
「――はっ!」
すれ違いざま柳葉刀を閃かせ、クロスカウンターで奴の腹部を叩っ斬る。骨に凝縮して乗せた力が、刀身を伝って炸裂する感覚があった。
『GGGGGAAAAAAAAA――!?』
データが具現化しただけのSBに臓物なんてものは存在しない。腹を掻っ捌かれたレッドブルは赤い腹から青白い液体を飛び散らせながら転倒する。こいつはこのまま活動停止するだろうから、すぐさま次の相手へと意識を切り替える。
『GGOOOOOOOOOOOOOOOAAAAA!』
「せっ!」
数珠繋ぎになって突っ込んでくる二体目のレッドブルに対し、僕は大きく跳躍した。こう見えて身軽さには少々自信がある。ひらりと舞い上がって空中で体を捻り、突進してきたレッドブルの背中に跳び乗った。コンバットブーツの底越しに、脈動する硬い筋肉の感触を感じる。
以前に上層で戦ったストーンカもそうだったけど、突進が売りの牛型SBは速度や破壊力が凄まじい反面、動きが単純でくみし易い。こうして飛び乗れば無防備な背中が剥き出しだ。
「だぁあああああッ!」
一対の柳葉刀を逆手に持ち替え、勢いよく緋色の背中に突き立てる。
この一〇〇層あたりは僕がソロだった頃によくエクスプロールしていたエリアだ。この程度のSBなら、例え支援術式による強化が無くても充分ダメージを与えることが出来る。
果たしてレッドブルの両肩あたりに突き刺した二本の刀身は、確かな手応えと共に深く深く沈み込んでいった。傷口から噴水のごとく青白く輝く飛沫があがる。
『GGGGGGGAAAAAAAAAA――!?』
断末魔の声を上げてバランスを崩す背中から、素早く剣を抜いて飛び退く。空中で姿勢を制御して難なく着地し、レッドブルが青白い血を撒き散らしながら派手に転倒するのを見届けてから、最後の一体へと振り返った。
『GGGGGGGOOOAAAAAAAAAAAA!!』
仲間をやられて怒り心頭なのか、赤い体をさらに真っ赤に染めて雄牛が加速する。二本の角から噴き上がる火炎もまた激しくなった。僕は一体目と同じく、すれ違いざまに斬り捨てようと柳葉刀を構える。
と、その時だ。
「スカイレイダー、ミドル・チャージ!」
『ミドル・チャージ』
横合いからフリムの指令と、男性の合成音声が聞こえてきた。
視線を移すと、彼女の衣服に覆われていない肌に走った紫の幾何学模様――輝紋から星屑のごとき輝きがいくつも飛び出し、残光を曳いて戦闘ブーツ〝スカイレイダー〟へと吸い込まれていくところだった。
『ライトニング・ペネトレイター』
雷電が空気を焦がす音が響いたかと思った瞬間、まさしくフリムが稲妻と化した。
「どりゃぁあああああッ!」
捻れた紫電を帯びた飛び蹴りが、放たれた矢のごとく最後のレッドブルの胴体に突き刺さる。戦闘ブーツとホットパンツとの間に挟まれた太腿がやけに眩しく――っていやいやいやいや!? どこを見ているんだ僕は!?
『――AAAAAAAAAAAAAAAAA――!?』
僕から見て左方向へ、怒りの咆吼をそのまま悲鳴に変えたレッドブルが高速で掻っ攫われた。凄まじい勢いで純白の壁に激突。あまりの威力にレッドブルの全身が弾け飛び、赤い肉片と青白い液体を撒き散らして壁に不気味な華が咲く。フリムは壁を蹴った反動で宙返りをして、華麗に着地を決めた。
僕は溜息を吐くしかない。
「フリム……僕の相手まで持っていかないでよ。修行にならないじゃないか」
「アンタがチンタラやってるのが悪いのよ」
にゃは、と笑って僕の幼馴染みは全く悪びれない。ヒュン、と戦闘モードを解除した白銀の長杖で風を切り、肩に担ぐ。動きに合わせて長い漆黒のツインテールが生きている蛇のようにうねった。
「チンタラ……いや、っていうかフリムも、なんかこう……エンチャンターらしい戦い方ってあるって思うんだけど……」
今のはひどい。なにせ大鎌で斬って戦斧で分断して巨鎚で叩き潰して、挙げ句には飛び蹴りで爆散させたのだ。どこがエンチャンターだろうか。やっていることがまるっきりファイターである。
僕の抗議じみたぼやきに、フリムはつまんなさそうな顔で掌をひらひらと振った。
「あーそういうのパス。アタシそういうの嫌い」
「嫌いって……」
「既存の概念に縛られてちゃ一人前のクラフターになれないのよ。アタシはアタシらしく戦うわ。ほら、とっとと先行くわよ」
活動停止させたSBのコンポーネントが宙を漂い、〝SEAL〟に吸収されたのを確認すると、フリムは先んじて歩き出した。表面に走ったラインと靴底から薄紫の微光を放っているゴツイ戦闘ブーツは、不思議と先程から一切の靴音を立てていない。何か特殊な加工がされているのだろうか。
「もう……勝手だなぁ……」
聞こえないように呟いて、僕も後を追いかける。
今更過ぎる説明かもしれないが、ああ見えてフリムも歴とした探検者である。武具制作を主とするクラフターは別として、付与術式を得意とするエンチャンターは立派な戦闘タイプなのだ。
と言っても、エンハンサーやハンドラーよりは少しは【マシ】なぐらいで、エンチャンターもあまり人気のあるタイプではないのだけど。
しかし、ここまでの戦闘においてフリムはその付与術式を一切使用していない。やろうと思えば出来るはずなのだけど――それよりも今は、最近新調した武装の使い心地を試す方に執心しているようだった。
フリムの背中に追いついて、僕は質問を投げかける。
「新しい武器の調子はどう?」
「バッチリよ。当たり前じゃない。この天才フリムちゃんのお仕事よ?」
フリムは誇らしげに笑う。
彼女の戦闘装備は、ぱっと見の印象は普段とあまり変わりない。白のブラウスに紫のショートネクタイ、黒の短丈ジャケットとホットパンツ。従兄弟の僕から見ても見事なプロポーションを強調するサイズ感のそれらに、今は加護術式を付与したアクセサリーをいくつも装着している。これにより、僕の戦闘ジャケットと同じか、それ以上の防御効果が期待できるのだとか。
目を引くのは、やはり手に持った白銀の長杖と、両脚の漆黒の戦闘ブーツだろうか。どちらもフリムが自ら作成した自信作らしく、サイズも彼女に合わせたものになっている。
二メルトル前後の長杖の名前は〝ドゥルガサティー〟。一見すると、サイドにスリットが入っただけのただの金属棒だ。だけどその真価は、使い手のフォトン・ブラッドが供給されたときに初めて発揮される。先程のように使い手のフォトン・ブラッドを凝縮して刃やハンマーの頭部などを形成し、あらゆる種類の長柄武器へと変化する――不思議で珍しい万能武器だった。
ちなみに先程の『ビッグサイス』、『グランドアックス』、『ジャイアントハンマー』以外にも、『トライデントスピア』や『ナギナタブレード』など、いくつものパターンがあるらしい。
もう一つ。両脚の装甲板やら放熱フィンやらがごてごてと取り付けられた戦闘ブーツは、その名も〝スカイレイダー〟。ドゥルガサティーと同じく、こちらも装着者のフォトン・ブラッドを吸収して様々な能力を発動させることが可能らしい。まだ詳しい説明は聞けていないけど、見た感じでは先程の『ライトニング・ペネトレイター』のように攻撃術式や格闘術式にも似た機能があるようだった。
「このあたりかしら?」
前を行くフリムが徐々に歩を緩め、肩越しに僕を振り返った。
「そうだね。多分、あっちとあっちの扉とかがそうじゃないのかな?」
他のエリアでは見ない形状のドアを指差し、僕は答える。
今、僕達二人がいるエリアは第一〇八層の南側だ。そう大した違いがあるわけでもないが、【どちらかと言うと】、というレベルでこっち側のルームガーディアンが若干弱いと聞いている。
「じゃ、まずはあっちでルームガーディアンとやらのお手並み拝見ってところね。大したことなかったらドンドンぶっ飛ばしていくわよ、ハルト」
フリムは右手を頭上に伸ばし、高揚する戦意を示すかのごとくドゥルガサティーを風車よろしくヒュンヒュンと回転させる。やる気に満ちた顔で舌なめずりするその姿は、まさしく狩りにたつ肉食獣そのものだ。
そう、既に荒らされて空っぽになった〝宝の山〟にわざわざやってきたのは、他でもない。
ルームガーディアンの討伐である。
僕とフリムの二人で、とにかくルームガーディアンを倒しまくって、そのコンポーネントを集めるのだ。
何故そんなことになっているのかというと――
話は一昨日の晩に遡る。
僕は訥々と、ルナティック・バベルの中で元『NPK』の新人だったニエベスとその仲間達に絡まれたこと、そして、そこを同じく現『NPK』の幹部であるアシュリーさんとゼルダさんに助けられたことを話した。
「――ということがあって……」
僕が話し終わると、隣のハヌが無言のまま、ぴょん、と席を降りた。
「――ハヌ?」
呼びかけてもハヌは答えない。そのまま外套の裾を翻し、個室のドアに向かって歩き出す。カランコロンカランコロンとぼっくり下駄の音が連なる。
トイレかな? と一瞬思ったけれど、歩調といい雰囲気といい、尋常ではない。
「ど、どこに行くのハヌ?」
少し大きめの声でもう一度呼びかけると、ハヌはようやく立ち止まってくれた。
振り返らないまま、小さな背中が静か過ぎる声音で言う。
「決まっておろう。そのニエベスとかいう不届き者を成敗してくるのじゃ」
「……ぇええええっ!?」
性急過ぎる発言に思わず声がひっくり返った。椅子を蹴って立ち上がる。
「な、なんで!? い、いや、気持ちは嬉しいんだけどっ……!?」
「止めるなラト」
短く言い切ったハヌの背中から、刹那、豪風にも似た膨大な圧力が吹き出した。
「……ッ!?」
あんなにも小さな体のどこから――と思うほど、圧倒的な存在感が溢れ出る。大気が重さを持って全身にのしかかってくるかのようだ。全身の毛穴が開いて、脂汗が滲み出る。
術力だ。ハヌの強すぎる術力が外に漏れ出て、術式を起動させていないにも関わらず周囲の空間に影響を与えているのだ。普通、術力なんて体感できるものじゃないのに。
「……あやつら、妾のいぬ間にラトに手を出したじゃと……? ようやってくれたではないか。妾の親友を傷つけた愚か者がどのような末路を辿るのか……その身にしかと刻み込んでやろうではないか……!」
怒れるハヌから迸る重圧がさらに力を増し、空気を歪ませる。多分こちらから見えていないだけで、既に全身の〝SEAL〟が励起して、輝紋がスミレ色に光っているのではなかろうか。
「お待ち下さい、小竜姫」
けれどそんな圧力をものともせず、ロゼさんが立ち上がってくれた。
「ロ、ロゼさん……」
僕は内心で、ほっと胸を撫で下ろす。
よかった、ロゼさんなら冷静にハヌを説得してくれるだろう。被害者である僕が何を言っても無駄かもしれないが、同じ立場であり仲間であるロゼさんの言葉なら、ハヌだってきっと――
「何じゃロゼ。止めても無駄じゃぞ」
頑なに振り返ろうともしないハヌに、ロゼさんは首を横に振った。
「私も行きます。生きながら地獄を見せる術ならよく知っていますので」
「ロゼさぁああああああんッッ!?」
と、止めてくれると思ったのに――!?
ハヌと同じく部屋を出て行こうとするロゼさんを、僕は必死に止める。
「ま、待って待って待って!? 待って下さいロゼさん!」
「いくらラグさんのお言葉でも聞けません。彼らはやってはいけないことをしました。大丈夫です。殺しはしません。少々痛い目を見てもらうだけです」
いつもと変わらない無表情で恬淡な口調なのが逆に怖い。少々痛い目って言っているけど、絶対に【半殺し以上】をする目をしている。
「そうじゃな、安心せよ。殺しはせぬ。こうしてラトが生きているのじゃからな。殺しはせん。そうじゃとも。殺しは、の」
くくく、と小さな外套が肩を揺らして笑う。殺しはしない、と何度も繰り返しているあたりがひどく恐ろしい。
「一体何するつもり!? い、いや、そうじゃなくて! い、いいから! そういうことはしなくていいから! ほ、ほら、二人ともこっち座って! お願いだからっ!」
「いやじゃ」
「聞けません」
だ、駄目だ、全然聞く耳持ってくれない……こ、こうなったら!
「フ、フリム! フリムからも何か言って――」
対面に座っていたフリムに助けを求めると、しかし、そこはもぬけの殻だった。
「――あれ?」
目をパチクリさせると、返事は予想外の方角から飛んできた。
「え? なに? 呼んだ?」
声は扉の方から聞こえた。ばっと振り返ると、いつの間にかハヌの隣にフリムが立っていた。
手に白銀の長い金属棒を握っている。
「フリムぅううううううううう!? ちょなっ――君までなにしてるの!?」
「何って、決まってるじゃない。お礼参りの同行よ。見ればわかるでしょ?」
にゃは、と笑顔で明るく言ってのける。それは凶器を持っている人間が浮かべるべき表情ではなく、だからこそ余計に物騒だった。
アメジスト色の瞳に一瞬、氷塊の反射光のような煌めきが瞬く。
「――弟をイジメていいのはお姉ちゃんだけよ? それをおバカさん達に教えてあげないといけないじゃない?」
にやり、と口元に酷薄な笑みを浮かべるその姿は、どう控えめに言っても悪魔そのものだった。
「だ、大丈夫だからっ! そんなことしなくていいから! 僕なら気にしてないしっ!」
このままではえらいことになってしまう。そう危惧した僕は、それはもう全身全霊をかけて三人を引き留めにかかった。
「だ、だいたい仕返しに行くって言っても、どこにいるかもわかんないんだよ!?」
「草の根を掻き分けてでも探し出せばよい」
「地の果て、海の底まで追いかけます」
コンビでエクスプロールしている内にすっかり仲良くなってしまったのか、ハヌとロゼさんは事前に打ち合わせでもしていたかのように淀みなく言葉を繋げた。
「何があろうと必ず見つけだし」
「報復をします」
「い、いやいやいやいやいやいやいや!? そ、そこまでしなくてもいいんだって! というか、なんでハヌもロゼさんも『二人で一人』みたいな喋り方になってるの!?」
僕が掌を振って突っ込むと、ハヌとロゼさんは互いの顔を見合わせた。それから二人同時に僕を見返し、
「さようなことは」
「ないと思いますが」
「ありますよ!?」
言動が全く一致していない二人に僕は思わず声を高めてしまった。
それからも本当に大変だった。
相手の居場所がわからない上、もう時間だって遅い。それにアシュリーさん達のおかげで変なデータは削除されたし、ニエベス達だってあれで充分懲りたはずだ。怪我は負わされたけれど既に〈ヒール〉で治癒しているし、SBにやられたと思えば別に悔しくとも何ともない。だからこれ以上話をややこしくしないで本当にお願いだから――と拝み倒した結果、ようやく三人は椅子に戻ってくれた。全員、渋々と、という感じだったけれど。
腰を落ち着けて話し合いを再開した結果、とりあえず僕は明日病院へ行って検査を受けるということになった。
また、明後日以降のエクスプロールはどうするか、という話になった時、フリムがさっと手を挙げた。
「アタシ、ハルトに同行するわ」
「へ?」
僕一人だと無茶をするかもしれないし、再びニエベス達が襲ってこないとも限らない。となれば、誰かが一緒に行動するべきである。けれど、資金繰りのことを考えたらハヌもロゼさんも最前線でエクスプロールしてくれた方がクラスタとしては望ましい――そんな話をしていた時だった。
「ちょうど良かったわ、アタシも遺跡に用があったのよね」
「用? ルナティック・バベルに?」
これはまたけったいなこと言うものだ、と首を傾げる僕を、フリムは、ずびし、と指差した。
「というか、アンタにも関係ある話よ? 実を言うと、黒玄と白虎をリメイクするのに色々と材料が足りないのよね。具体的に言うとコンポーネントなんだけど。話を聞く限りじゃお金はないみたいだし、そういうことなら自給自足するしかないでしょ?」
「あ、そうか……」
なるほど、と納得する。今の僕達に、市場に出ているコンポーネントを購入するような経済的余裕はない。クラフターのような非戦闘的な職業の人々なら購入する以外に入手方法はないのだけど、実際に遺跡に潜るエクスプローラーはその限りではない。
「というわけで、アンタも自分の武器のためなんだから、修行も兼ねて付き合いなさいよ。お姉ちゃんと二人でエクスプロールしたら、一石二鳥でしょ?」
フリムは微笑み、片目を瞑って見せた。しかし、そこに待ったがかかる。
「じゃがフリムよ、妾らはおぬしの力量を知らぬ。本当にラトを任せても大丈夫なのであろうな?」
『歯に衣着せぬ』を略すとハヌになる――というのは今思い付いた言葉ではあるけれど、あながち間違ってもいないと思う。直球で遠慮など微塵もない問いに対して、怒るかと思ったフリムは意外にも笑みを見せた。
ただし、不敵な。
「小竜姫、だったわよね? みくびんじゃないわよ。アタシのこの〝ドゥルガサティー〟と〝スカイレイダー〟があれば、ゲートキーパーだってイチコロよ」
いつの間にか取り出していた白銀の長杖と両脚に履いたロングブーツを指して、フリムは嘯く。先程、空を飛んでいたのはあのロングブーツの性能だろうか。よくわからないけれど、すごい自信である。
「え、えーと、ハヌ? フリムは一応エンチャンターとして訓練を受けてるし、ベンチマークでもいいランク出してるから、きっと大丈夫だと思うよ。あと、あれでも一応僕の家族だから、信頼してもらっていいと思うんだけど……」
「一応一応うるさいわねー」
とりあえず僕からもフォローを入れておく。さっきみたいな二人の激突はもう避けたい。出来れば仲良くなってもらえると嬉しいのだけど。
「む……ラトがそういうのならば、仕方あるまい」
幸いハヌはすぐに聞き入れてくれた。その鋭すぎる舌鋒の筒先を下げてくれる。と、そこにロゼさんが声を被せた。
「とはいえ、本当にゲートキーパーと戦っていただくわけにはまいりません」
他の人ならここでシニカルな笑みでも浮かべただろうか。無論、感情が表に出にくいロゼさんがそんな表情をするわけもなく、至極淡々と彼女は続けた。
「ですが武器用ということであれば、純度の高いコンポーネントの方が望ましいですね……となれば、ここは間を取ってルームガーディアンなどはいかがでしょうか? ラグさんにも良い修行になると思いますが」
というロゼさんの提案もあって、病院の検査を受けた翌日、僕とフリムはここ第一〇八層に来たのであった。
ちなみに、検査の結果は問題なし。〝SEAL〟のプロパティに少々おかしなところがあったのだけど、それもすぐに修正してもらって事なきを得た。
僕は今、フリムと並んでとある宝物庫――アーティファクトルームの扉前に立っている。
「ハルト、準備はいい?」
「あ、ちょっと待って? えっと……スイッチは接続したし、武器も問題ないし、戦闘ジャケットの加護もバッチリだし、」
「いくわよー」
自分から聞いておきながら僕の返事なんて一セカドも待たず、フリムが扉のオープンパネルを叩いた。
「えっちょっまっぇえええええええっ!?」
大慌てで武器を構え直す僕の眼前で、セキュリティルームのそれより少し小さめの扉が真ん中で割れ、左右に滑って消えていく。
高さ三メルトル、幅六メルトルの壁にも似たドアが消えた後、僕の視界に飛び込んできたのはバスケットコート二つ分ほどの広い空間。
純白の部屋の最奥にある棺桶のような漆黒の箱は、かつて遺物を納めていた宝箱――ブラックボックス。
そして、その直前に浮かぶ直径五〇セントルほどの青白いコンポーネントこそ、この空間とブラックボックスの番人――ルームガーディアン。
ここから一歩でも部屋に踏み込めば、あのコンポーネントに内蔵されたセキュリティプログラムが現実世界に具現化するのだ。
「フ、フリム、ちょっと待って!? 僕まだ心の準備が――」
「え? なに? 聞こえてるけど」
戦闘ブーツ〝スカイレイダー〟の硬い靴底が、カツン、と尖った音を立てた。
「――あっ」
――あれ? そういえば、なんか前にも似たようなことがあったような……?
「さぁ出てくるわよ。気合入れなさい、ハルト!」
威勢のいいフリムの声が響き、ルームガーディアンが顕現する。
『――RRRRRRRROOOOOOOOOOOOWWWWWWW!!』
その脳天に響く甲高い咆哮が、戦いの幕を切って落とした。




