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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第三章 天才クラフターでスーパーエンチャンターのアタシが、アンタ達の仲間になってあげるって言ってんのよ。何か文句ある?

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●8 疾風迅雷の絶対領域





「ほら見ろ、俺の言ったとおりだったろ?」


「マジだ……なんか普通に戦ってるし……」


「おいおいなんでだよ……ベオウルフのくせに、こんな低層でエクスプロールとか……どういうことだよ……」


「しかも何だぁあの動きは? マジであの剣嬢が認めた奴なのか?」


「ほらな? だから言ったろ? あいつはただの〝ぼっちハンサー〟で、ベオウルフだの雷神インドラだの呼ばれる器じゃねぇんだって。ぶっちゃけ雑魚中の雑魚。俺らでも楽勝で潰せるっつー話よ」


「いやでもさ、ニエベっち。あれは暇つぶしで遊んでるとか、そういう可能性だってあるっしょ?」


「ねぇよンなもん。じゃなきゃあんな必死に声上げながらバトるわけねぇだろ」


「確かに必死に見えるけどよ……つか、なんで一人なんだ? 小竜姫とアンドロメダは一緒じゃねぇのかよ?」


「知らねぇよ、〝ぼっちハンサー〟がぼっちでも何の不思議もねぇだろうがよ」


「どう見てもCランク、いや下手したらDランクか? 並みのガキがエクスプローラーになってみましたぐらいのレベルにしか見えねぇが……」


「だろだろぉ? おら、そろそろぶっ潰そうぜ。そんでそこんとこムービーに撮って拡散したら、俺らの株もうなぎ登りだっつー美味い話よ。とっとと化けの皮剥がしてやろうぜ」


「え、マジで? やっちゃうの? ホントマジで?」


「仕方ねぇ、ここまで来て怖気づくってのもな」


「まぁ昨日からムシャクシャした気分引き摺ってたからな。一丁ブチかましてやるか」


「オラ、行くぜ野郎共!」






「――ふぅ……」


 空中を浮遊していた最後のコンポーネントが〝SEAL〟に吸収されるのを確認してから、僕は一息ついた。


 ヴェロキラプトルの群れを全滅させた後、ようやくお待ちかねだったクロードモンキーが十体同時に出現した。もちろんそちらもロゼさんから教わった円、回転、螺旋の動き、そして骨に力を乗せることを意識して戦い、今ちょうど片付けたところだ。


 戦闘の最中、ふとした拍子に昨日の〝発勁〟が脳裏によぎったけど、これはコーチであるロゼさんの忠告に従い、極力忘れるように努めた。変な話、自分自身に期待しないのは得意なので割と簡単だった。悲しいことに。


「…………」


 自分の体を見下ろして、どこにも傷を負っていないことを確認する。戦闘ジャケットにすらかすり傷一つ無い。


「……えへへ……」


 ちょっと嬉しさがこみ上げてきて、つい口元が緩んでしまった。


 昨日のバグベアーよりも変則的な動きをするクロードモンキー、およびついでに出てきたヴェロキラプトルとの戦いをそつなく終わらせた自分に、確かな手応えを感じる。


 自分で言うのもおこがましいけど、僕は着実に強くなっているようだ。実際、以前クロードモンキーと戦った際は攻撃術式を併用した上でどうにか倒しきっていたけれど、今回はそれに頼ることなく、剣だけでやりきることが出来た。しかも、前回よりもはるかに余裕を持って。


 これはもしかすると、もしかするかもしれない。ロゼさんが『素晴らしい才能です』と褒めてくれたのは流石に社交辞令だと思うけれど、でも、このまま上達していけば。


 もしかすると、エンハンサーではなく、フェンサーとしての道が開けるのではないだろうか。


 僕が一人前の剣士になって――それこそベンチマークでランクA以上と認められて――ハヌやロゼさんと肩を並べて戦えるようになれば、きっとクラスタへの評価だって変わるはずだ。


 エンハンサーがリーダーのクラスタではなく、剣嬢ヴィリーさんのようにフェンサーがリーダーのクラスタに。


 そうなればきっと、メンバー加入の希望者だって増えて――


「――って、それは夢見すぎかなぁ……?」


 自分で自分の妄想に突っ込みを入れて、苦笑いする。世の中は蜂蜜をかけたパンケーキほど甘くも柔くもない。到底思い描いたとおりにはいかないのが人生だ。それはわかっているつもりである。


 クラスタの拡大はともかくとしても、剣士として腕を上げるということは、僕の師匠だった祖父トラディドアレスに近付くということでもある。かつて〝強手フォーハンド〟と呼ばれるほどのエクスプローラーだった祖父に、僕は小さい頃から憧れていた。あの人のようになれたら――いや、なりたい、と。


 だから、ほんの小さな一歩とはいえ、目標に近付くということは喜ばしいことだ。それだけでもう、どんなつらい修行にだって耐えられるような気がする。


「――うん、頑張ろう。今頃ハヌとロゼさんだって頑張ってるんだし、僕も早く追いつかなくっちゃ」


 ぐっと拳を握って気合を充填し、エクスプロールを再開しようと思った時だった。


「いよぉ、ぼっちハンサーくぅん?」


「……えっ?」


 いきなり背後から言葉の刃で斬りつけられて、僕は真実、息を止めた。


 ぼっちハンサー。その響きの、なんと心を抉られることか。


 胸に針が突き刺さったような痛みを感じつつ、背後へ振り返る。すると、一体いつからそこに立っていたのか、三メルトルほど離れた場所に四人の男性が佇んでいた。出で立ちから察するまでもなく、遺跡にいるということは彼ら全員がエクスプローラーであるはずである。


 その内の一人、明るい茶髪の男性がニヤニヤと笑いながら歩み寄ってきた。


「久し振り――ってほどじゃねぇか。どうよ、元気してた?」


 開口一番、やけに馴れ馴れしい態度で話しかけてくる。


「? え、えっと……?」


 突然現れた見知らぬ顔に、僕は戸惑いを隠せない。


 彼らは一体いつの間にこんな至近距離まで寄ってきたのだろうか。全員が武器なり鎧なりを纏っているし、実際に今、茶髪の人は体のあちこちから装備品が擦れ合う音を立てながら近付いてきている。いくら僕が鈍感な人間だったとしても、遺跡では戦闘をするために気を張っているのだから、声を掛けられるまで気付かなかったのはちょっとおかしい。


 よほど気配を殺して近付いてきたのか。それとも――


「あン? なんだその顔? ……おいおいもしかして、俺のこと覚えてねぇの? ――いやウッソ、マジで!?」


 セリフの割には大してショックを受けていない様子で、くはっ、とむしろ楽しげに彼は笑った。アヒャヒャヒャと、言っては悪いが品の無い声でひとしきり体を揺らした後、いきなり真顔になり、


「――ナメてんのかテメェ、あ?」


 左右非対称になるほど顔を歪めて僕を睨み付けてきた。


 突如、ズカズカと僕の目の前まで肉薄し、胸倉を引っ掴む。


「えっ……!?」


「おいおいおいおいおいマジかよマジかよざけんなよ。覚えてんのこっちだけかよマジか、マジでか。あーやばい……キレそうだわ……!」


「ちょ、ちょっと……!」


 いきなり勝手なことを言いながら乱暴なことをしてくる男性を、僕は反射的に振りほどこうとして、しかし直前で思い止まった。今、僕の両手には柳葉刀が握られている。下手に動いて傷付けでもすれば、余計な騒ぎになりかねない。エクスプローラー同士の刃傷沙汰は即殺し合いに発展する、最悪の悪手なのだ。


「――や、やめてください……! だ、誰ですか、あなた……!?」


 茶髪の人と僕とでは頭一つ分以上の身長差がある。勿論、あちらの方が上だ。


 身に纏っているのは使い古された感のある戦闘ジャケットと鈍色のライトアーマー。腰には長剣を吊るしているところを見ると、おそらくはヴィリーさんみたいなフェンサーだろうか。


「誰ですか、だとぉ……!?」


 僕の誰何に、さらに男性の顔が歪んだ。怒りを通り越して憎悪にまで達した目線が、僕に突き刺さる。


 男性の背後でどっと笑い声が上がった。見ると、他の三人がこちらを指差して大笑している。


「ウヒャヒャヒャヒャ! おいおいニエベっち! 忘れられちゃってんじゃんよぉー!」


「ぎゃははははニエベスだせぇ! やべぇ腹いてぇ――ぎゃははははははははっ!」


「剣嬢ヴィリーが眩しすぎてゴミの顔なんざ覚えてねぇってよ! そりゃまぁそうだよなぁ! あっははははははっ!」


 赤い戦闘コートの人、鼻にピアスをつけている人、やたらと背丈の高い人の順で、主にニエベスという名前らしき茶髪の男性を笑いものにしていた。


 そのニエベスの顔が、仲間に馬鹿にされた屈辱でか赤黒く染まっていく。しかしその怒りはあちらには向かわず、何故か僕にぶつけられた。


「テメェゴラ何様だぼっち野郎! 上等だクソがぁ! ブチ転がすぞ!」


 口角泡を飛ばす怒声に、ふと記憶野が刺激される。


 ――あれ? そういえば今のフレーズ、どこかで聞いたような……それに剣嬢ヴィリーって、どうしてここでヴィリーさんの名前が……?


「……あ――!」


 記憶の像は唐突に実を結び、僕は名も知らぬある人物を思い出した。


 ハヌと出合ったあの日。ヴィリーさん率いる『蒼き紅炎の騎士団』と初対面した時にいた、あの【新人さん】――!


「あ、あの時の……!?」


 驚きのあまり我知らず声に出してしまっていた。


 僕に『ぼっちハンサー君』と話しかけてきて、支援術式がどれほど不要なものかを語った挙げ句、ハヌにどやされ、ヴィリーさんに殴り飛ばされて気絶した、あの人だ。


 目を見開く僕に、新人さん――否、【元】新人のニエベスは怒りの形相から一転して、にやぁ、と暗い熱を帯びた笑みを浮かべる。


「ンだよ、覚えてんじゃねぇか。いやーよかったよかった――ってンなわけねぇだろォッ!」


「――ッ!?」


 頬に衝撃が走ったと思った時には、既に視界の中で天地が逆様になっていた。


 ――え……?


 殴られたのだ、と認識できたのは床の冷たい感触を頬に感じた時だった。遅れて純白の廊下に転がっている自分を発見する。気付けば柳葉刀が手元になく、少し離れた場所に転がっていた。落とした時に金属音が鳴ったはずなのに、全く聞き覚えがなかった。


「……!? !?」


 頭の中身まで殴り飛ばされてしまったみたいに、思考が空白だった。左の頬が熱い。当たり前だ。胸倉を掴まれたまま、思いっきり殴られたのだ。鼻の下あたりがぬるぬるして水っぽい。舌先を出してみると、途端に塩の味がした。


 ――なんで……? なんで、今……僕……あれ?


 真っ白な床に滴る深紫の液体を見つめながら、僕は混乱する。


 殴られたことは理解しているけれど、なんでそうなったのかがさっぱりわからなかった。


「ったくよー、ぼっちハンサー風情が調子に乗ってくれるじゃねぇか。なに知らねぇ振りしてんだよクソが。ちょっと有名になったぐらいでお高く止まってんじゃねぇっつーの」


 背後。僕を殴った張本人、ニエベスが足音を立てて近付いてくる。さらにその向こうからは嘲るような笑い声。殴り飛ばされた僕を、さっきの三人がせせら笑っている。


 僕は肉体的ダメージではなく精神的なショックでガクガクと震える体に力を込めて、どうにか上体を起こした。危険を予測する動物的本能だけでニエベスがいる方向に顔を向け、


「オラァッ!」


「ッ!?」


 すかさず前蹴りで顎をぶち抜かれた。真下から跳ね上がった装甲靴の一撃にひとたまりもなく吹っ飛ばされ、僕はボールや丸太みたいにゴロゴロと床を転がった。


「やっべぇ! 超やべぇ! ベオウルフ本気で弱っ!」


「マジか……もしニエベスの情報なかったら、俺こいつが強い奴だって思ったままだったぜ」


「つうか、見たまんまだったな。こうしてよく見りゃ、どこにでもいるガキじゃねぇか」


 他の三人が近付いてくる気配に、僕は慌てて体勢を立て直し、顔を上げた。ぞろぞろとやってきた仲間にニエベスは得意げに宣う。


「だっろお? 言った通りだっただろぉ? あ、ちゃんとムービー撮ってっか? つか、こいつがぼっちハンサー以外の何者だよって話だよ。どっからどう見ても雑魚だっつーのに、なんでどいつもこいつも、ベオウルフだの雷神だの言ってんだよ?」


 この疑問に対し、真っ赤な戦闘コートを着て短杖を持つウィザードらしき男性がこう答えた。


「でもよニエベっち、こいつが二〇〇層のゲートキーパー倒したのは映像が残ってるし、そっちはマジっしょ?」


「だから言ってんだろぉ? 何かトリックがあったに決まってんだよ。そうでもなけりゃエンハンサー風情がンな大それたこと出来るかってーの」


 赤コートの言い分を一蹴すると、ニエベスは僕にその舌鋒を向けた。


 嗜虐的な愉悦を顔に浮かべ、偉そうに言う。


「おうコラぼっちハンサー、テメェ調子に乗りすぎなんだよ。今すぐ『嘘ついて申し訳ありませんでした』って土下座して謝れや」


「――な、なんでっ……!」


「あ?」


 ジャケットの袖で鼻血を拭いながら立ち上がり、僕はニエベスに疑問をぶつける。


 いきなり現れて、いきなり殴ってきて、いきなり何を言っているんだ、こいつらは。


 突然襲われた混乱と恐怖が、段々と湧き上がって怒りに圧縮されていく。


「なんでそんな……こんなことっ……!」


「はぁぁぁ?」


 僕の声を、さらに大声でニエベスは掻き消そうとする。わざとらしく耳に手を当て、よく聞こえない振りまでして。


「聞こえないなぁ? 俺、謝れっつったよな? わかんねぇ? なぁ、俺の言っていることわかんねぇ?」


「……っ!」


 再び無造作に距離を詰めてくるニエベスに、僕は反射的に身構えた。そうだ、油断さえしてなければそう簡単に――


「オラァ!」


 顔。そう思ってガードを上げたら、腹部に衝撃。


「がはっ……!?」


 フェイント。肺の中から強制的に息を吐き出させられ、呼吸が止まる。それでつい腕を下げてしまい、


「ドラァ!」


「!」


 今度こそ顔をぶん殴られた。さっきとは逆の頬を打ち抜かれ、僕は後ろへよろめく。けど、倒れはしない。いや、むしろ倒れてなどやるものか。


「くっ……!」


 反撃だ。こうなったらエクスプローラー同士の争いがどうとか言ってられない。幸い、あちらは武器を抜いてはいない。殺し合いをするつもりはないのだろう。


「こん――のっ!」


 右拳を握りしめ、僕はニエベスに殴りかかった。何がトリックだ、僕がヘラクレスを倒したのは本当の――!


「ああ?」


 奴の顔に吸い込まれるはずだった僕の拳が、突然現れた大きな掌に遮られた。バシィン! と乾いた音が響く。


「なっ……!?」


 そうしたのは誰でもない、ニエベスだ。奴は僕の拳を受け止め、それどころか鷲掴みでがっちりとホールドし、不機嫌な目でこちらを睨みつける。


「……なにやり返そうとしてんだ、ああコラ?」


 静かにドスの利いた声で言うやいなや、奴の膝蹴りが僕の腹部に炸裂した。


「げぉっ……!」


 わざとではなく勝手に喉奥から変な呻きが出てきた。重い。まるで鈍器をぶつけられたかのような威力に、胃がぐるりと痙攣する。


「――ぇぇえ……!」


 堪えきれず、そのまま腹の中にあったものを戻してしまった。ビチャビチャと床で跳ねる液体の中に、出がけに買い食いしたBLTサンドの赤が混ざっている。


「おいおい汚ぇなぁ、このクソぼっち」


 飛び散る胃液を避けるようにニエベスが後ろへ飛び退いた。と思ったら、奴はその場で跳躍。僕が作った汚物の地図を飛び越えるように飛び蹴りを放ってきた。


「ぐあっ――!?」


 予想もしてなかった攻撃に僕は回避行動すら取れず、胸に直撃を喰らってまたしても吹っ飛んだ。床に倒れ込み、慣性を消化しきるまで壊れたダンス人形みたいに転がる。


「みんなの遺跡を汚しちゃダメだろうがよ、ええ?」


 軽捷に着地したニエベスがそう言うと、またしても他の三人がどっと沸いた。


 ――この人、強い……!?


 僕は痛む身体に鞭打って起き上がりながら、愕然とする。


 さっきから一撃一撃が重いし、動きも思った以上に敏捷い。


 いや、違う。考えてみれば当然だ。このニエベスという男は、曲がりなりにも『蒼き紅炎の騎士団』の一員だった人間だ。弱いはずがないのだ。


 ニエベスは立てた掌を裏返し、くいくい、と動かす。


「オラどうしたよ? まだかかってくるのか? それとも……ああ、ちょうどいいな。お前、自分が【吐いたやつ】の上で土下座しろよ。そうしたら許してやっからよ」


「うっわー! ニエベっちひでぇー!」


「鬼かよ悪魔かよ!」


 どこまでも下卑た指定をするニエベスを、赤コートとナイフ使いらしき装備の鼻ピアスが楽しそうに混ぜっ返した。


「だから、なんで……僕がそんなこと……」


 さっきから理不尽なことしか言っていないことに、彼らは気付いていないのか。僕が言い返すと、ニエベスは露骨に顔を顰め、こめかみに太い血管を浮かび上がらせた。


「ああ!? まだわかってねぇのかテメェ! 俺が誰のおかげで大恥こいて剣嬢のクラスタから追い出されたと思ってんだコラ! 他でもねぇテメェらのせいだろうがッ! 白々しいことほざいてんじゃねぇぞ!」


「おいおい完全に私怨っつうか逆恨みじゃねぇかよ」


 凄まじい剣幕で怒鳴り散らすニエベスの背後から、身長の高い格闘士が吹き出しつつ茶々を入れた。これにいきり立っていたニエベスが劇的な反応を示す。


「ああッ!? 何か言ったかよ!?」


「――いや落ち着けって。俺に喧嘩売ってどうすんだよ」


 予想外の勢いで噛み付かれたノッポが、両手を広げて宥めにかかった。その顔には、何気なく飼い猫を撫でたらいきなり引っかかれたような、驚きの表情が張り付いている。


「……チッ」


 音高く舌打ちをして、ニエベスはその場で唾を吐き捨てた。後ろの赤コート、鼻ピアス、ノッポは各々の顔を見合わせ、苦笑したり肩を竦めたりする。


 雰囲気から察するに、この中で一番強いのはニエベスだ。他の三名はおそらく、彼に付き合う形でこの場にいるのだろう。見るからに温度差が激しい。きっと先程ノッポが言った通り、僕に対する――おそらくはハヌにも抱いているだろう――怨みで、わざわざこんな所までやってきたのだ。


 そう、僕を尾行してまで。


 あらかじめ僕がこの階層に来るのを待ち受けていたとは考えにくい。なにせ今日この五三層に来ることは誰にも言ってないし、そもそもここへ来たのはほとんど偶然だ。ルナティック・バベルに入ってから、思いつきでクロードモンキーを相手に修行をしようと決めたぐらいである。そんな行動を先読みできるはずがない。


 となれば、どこかの時点から後をつけてきたとしか考えられない。でも、どうやって? 思えば視線は感じていた。けれど振り返っても何も見つけられなかった。何故?


「――で、どうすんだよ、早くしろよクソぼっち。そこのテメェが吐いた汚ぇもんに額を擦りつけるか、まだ俺にボコられてぇのか。とっとと決めろや」


 傲然と馬鹿げた二択を突き付けてくるニエベスの声に、思考が中断される。返答なんて決まっている。考えるまでもなく、どちらもまっぴらごめんだった。


「…………」


 そうだ。僕がその気になれば、勝てない相手じゃない。支援術式を駆使して、強化係数を跳ね上げれば、きっと一ミニトもかからず全滅させられる。


「ぁあ? なんだぁその目は? まだやるってぇのか?」


 好戦的な気持ちが盛り上がっていく一方、僕の中で、臆病で冷静な思考が警報を鳴らす。


 だけど――それで終わるのだろうか? 少なくとも相手は腰に吊した得物を抜いていない。ということは、ここで殺し合いをするつもりはなく、あくまで殴り合い程度で済ます腹積もりのはずだ。そういうことであれば、僕だって武器を握って命を奪うというわけにはいかなくなる。


 ということは――【次】がある可能性は高い。


 ニエベスはヴィリーさんに殴られ、追放された時のことを根に持っている。あれを自業自得と思わないのは逆恨みもいいところだけど――こうして実際、復讐しに来ているのだ。ここで返り討ちにしても、恨みを晴らすまではしつこく粘着されるかもしれない。今回は正面からだったけれど、次はSBと戦っているところを背後から奇襲される可能性だってある。もしそうなったら、命が幾つあっても足りない。


 つまらない意地で命を失う愚を、僕は知っている。このニエベスと同時期に出会ったダイン・サムソロというエクスプローラーは、まさしくその意地で死んだようなものだった。


 ここは嘘でもいいから謝って、相手の溜飲を下げ、二度と関わりを持たないのが賢明ではないだろうか。一時の恥なんて、命に比べれば安いものなのだから。


「おいどうした! かかってくるならさっさとしやがれ! ボロ雑巾にしてやっからよぉ!」


 焦れたニエベスが声を張り、装甲靴で床を踏み鳴らす。


 正直、悔しくないと言えば嘘になるし、出来ることなら今すぐあいつの顔をじゃがいもみたいになるまで殴り潰してやりたい。


 けれどもし、こいつらが僕だけじゃなく、ハヌやロゼさんにまでちょっかいを出すようなことになったら。迷惑をかけてしまうことになってしまったら。


 その時はきっと、僕は後悔してもしきれないだろうから――


 そこまで考えて、とうとう汚物に顔をつける覚悟を決めた時だった。


「早く決めろって言ってんだろクソが! テメェの次はあのメスガキなんだからよ! 余計な時間とらせんじゃねぇよ!」


「――――」




 ――いま、何て言ったコイツ?




 土下座の振りをするために踏みだそうとした足が、突如、鋼鉄になったみたいにガチリと固まった。


「お、おいニエベス、あのメスガキって……まさか小竜姫かよ? お前、あいつまでリンチするってのか?」


 鼻ピアスが、鈍色のそれまでもが真っ白になるほど明確に鼻白んだ。無理もない。巷のニュースを聞いていれば、〝破壊神〟とまで呼ばれているハヌがどれほど恐ろしい存在か、ちょっと想像力を働かせればわかるはずだ。


 だというのに。


 ニエベスは鼻ピアスに向き直り、バカにしくさった態度で怒鳴りつけた。


「ッたりめーだ! だからテメェらはビビりすぎだっつってんだろ! あんなクソガキに何が出来る! コイツみたいに泣いて謝るまでボコってやりゃあいいんだよ!」


 その言葉を聞いた途端。


 ブチン、と音を立てて僕の中にある何かが切れた。


 次いでふつふつと、先程とは比べものにならないほどドス黒い感情が、次から次へと胸の奥から溢れてくる。


「――――」




 ――ボコる? ハヌを? 誰が? アイツが?




 頭の中がそれだけで一杯になった。


 そうか。


 僕が憂慮するまでもなく、奴は既にあの子に狙いを定めていたということか。


 そうか。


「――させない……」


 決意の言葉は、知らず知らずのうちに唇からこぼれていた。


「あ?」


 顔を顰めて振り向くニエベスの目を、僕は真っ直ぐ見返した。


「そんなこと……絶対にさせない……!」


 頭の中が白熱していた。殴られて痛いとか、付き狙われて怖いとか、事態が変な風に大きくなったらどうしようとか――そんな余計な思考がどんどん蒸発していく。


 許さない。


 その想いだけが、燃焼するマグネシウムのごとく僕の思考を真っ白に染めていく。


 ストレージの中に収納してあった祖父の武器コレクションから、十文字槍クロススピアを選び、実体化させた。


 ディープパープルの輝きと共に具現化したそれを両手で握り、構え、切っ先をニエベスに向ける。


「な……!?」


「ちょっマジで!?」「テ、テメェ!」「おいおい――!?」


 穂先の向こうでニエベスが目を剥いて絶句し、一拍遅れて赤コート、鼻ピアス、ノッポが驚愕を露わにした。


 照明を照り返してギラつく十字型の白刃を前に、はぁぁぁぁ、とニエベスがわざとらしく全身を使った大きな溜息を吐き、反響して響き渡るほどの舌打ちを発した。


 歯軋りの音が漏れそうなほど厳めしい表情を作り、ニエベスが恫喝する。


「――おいおい本気かテメェ? いったん抜いたら後戻りは出来ねぇぞ? そこんとこちゃんとわかっ……!?」


 けれど言葉は不自然に途切れ、彼は痙攣のような動きで長剣の柄に手をかけた。


 怒りを露わにしていたはずの顔が、今や恐ろしい怪物と出くわしたかのごとく、大きく引き攣っている。


 またしても一歩遅れて、背後の三人も慌てて各々の武器を構えた。全身に電流が走ったかのような反応だった。


 僕は今。


 彼らにそうさせるだけの目を、多分、している。


「テ、テメェ……!」


 底冷えしているかのように震えた声で虚勢を張って、ニエベスがぎこちなく長剣を抜いた。ちゃんと構えると恐怖を認めてしまうことになるからだろうか、僕から見ても隙だらけの体勢で切っ先をこちらに向ける。後方の赤コートは短杖を、鼻ピアスは両手に大振りのナイフを、ノッポは腕につけた手甲を笑ってしまうほどガチガチな動きで構えた。


 空気が帯電し、緊張感が否が応でも高まっていく。


「――ぬ、抜かせやがったな! テ、テメェ! こ、後悔すんじゃねぇぞコラッ!」


 当たり前だ。後悔なんてするはずがない。


 後悔しないために、僕は今、こうしてお前らに刃を向けているのだから。


 僕は黒い柄の十文字槍を構えたまま、肩や額にアイコンを表示させ、支援術式を起動する。


 支援術式〈ストレングス〉、〈プロテクション〉、〈ラピッド〉をそれぞれ六回ずつ発動させ、全身の強化係数を六四倍に。激変する体の感覚に意識をチューニングさせ、全身から迸る力を制御する。


 向き合う四人の口から、ひ、とほとんど声にならない悲鳴が飛び出した。現れては弾けて消える僕の支援術式のアイコンを見ての反応だろう。


 そうとも――お前らなんか、僕が本気になれば一瞬で終わる。


 脳裏に思い描くのは、ほんの少し未来のイメージ。どういった順番で、どこに穂先を突き刺し、どこを石突きで殴り、止めを刺していくのか。一瞬で全ての軌跡を描き出し、視界に映る光景に重ねる。きっと全部で一〇セカドもかからない。簡単だ。あいつらには何もさせやしない。全く以て怖くない。赤子の手をひねるより簡単だ。


 そうさ、ヘラクレスやシグロスに比べれば、お前らなんて――




「お待ちなさいッッッ!!!」




 鋭く高い声が空気を切り裂いた。


「――ッ!?」


 今まさに床を蹴って槍を突き出そうとしていた体がビックリして、動きのとっかかりを失う。


 いきなりバケツの水でもぶっかけられたみたいに、僕もニエベス達も武器を構えたまま硬直してしまった。


 ただ全員が首と目だけを動かして、制止の声が飛んできた方角へ視線を向ける。


 そちらは何も無い空間のはずだった。けれど、僕ら全員が目を向けた途端、そこに忽然と二人の少女が出現する。


「双方、剣を引きなさい。この場は私、アシュリー・レオンカバルロが預かります」


 光学迷彩――支援術式〈カメレオンカモフラージュ〉でも使っていたのだろうか。彼女らは風景色のカーテンを押しのけるようにして、その場に現れた。


「テ、テメェらは……!?」


 ニエベスが呻くのも致し方なかった。おそらく、彼にとっては顔見知りの相手だっただろうから。


 唐突に出てきて水を差してきた二人の少女は、どちらも特徴的な蒼の装束を身に纏っていた。ショートジャケットとロングジャケットと形状に違いはあるけれど、どちらも同じ色合いの蒼い生地で、さらに左腕には、蒼く燃える太陽を赤く染め抜いた腕章をつけている。


 間違いない。『蒼き紅炎の騎士団』のメンバーだった。


「聞こえませんでしたか? どちらも武器を収めなさいと言いました」


 先程から戦闘停止――まだ始まってもいないのだけど――を呼び掛けているのは、赤金色の髪をシニヨンにした少女だ。高めに吊り上がった瑠璃色の瞳で僕とニエベスらを油断なく睥睨し、両手を腰に当てて威風堂々たる佇まいである。


「――もし私の話を聞く気がないのであれば、仕方ありません。その時は」


 言葉尻に被せて、アシュリー・レオンカバルロと名乗った少女の両掌にオレンジ色の輝きが収束する。フォトン・ブラッドによって〝SEAL〟のストレージから取り出されたのは――蒼い刀身を持つ、見るからに歪な形状をした二振りの曲刀だった。


「実力行使です。力尽くで止めてさしあげますので、どうぞ好きに争いなさい」


 なんだか滅茶苦茶なことを言い出したアシュリーさんの双剣に、僕は思わず目を奪われる。


 あれは確か――ショーテルだ。刀身の反りが強すぎて、ほとんど半円状かS字形にまで湾曲している両刃剣。重心が通常の剣とは全然違う位置にあるので非常に扱いづらいが、そのぶん斬れ味は鋭く、相手の盾を避けながら攻撃できる強力な武器である。今時珍しいけれど。


「い、いやいや、やっぱりやめるですよアシュリー、まずいですからっ」


「お黙りなさいゼルダ。流石にこの場を見過ごすわけにはいきません」


 隣に立つもう一人の少女がアシュリーさんを諫めようとして、すげなく一蹴された。


 ゼルダと呼ばれた少女が纏っているのが『NPK』の制服のショートジャケット版で、アシュリーさんがロングジャケットバージョン。雰囲気的には、ネイビーブルーの髪をウルフカットにしているゼルダさんが活発的で、赤金色の毛をきっちり結っているアシュリーさんが理知的という感じだろうか。


 とはいえ、


「五まで数えます。それまでに決めなさい。一、二――」


 剣を引けと呼び掛けている側が凶器を取り出しているあたり矛盾しているような気もするのだけど、とりあえず表情を見る限り彼女は本気らしい。


「チッ――! いきなりしゃしゃり出てきて仕切ってんじゃねぇぞ! 何様のつもりだテメェら!」


「アシュリー・レオンカバルロと名乗ったはずです。三」


 ニエベスの文句にビクともせず、アシュリーさんは冷静沈着に数字を数え続ける。この態度にニエベスがさらに激昂した。


「ンなこたぁ知ってんだよ! 〝絶対領域ラッヘ・リッター〟アシュリー・レオンカバルロに、〝疾風迅雷ストーム・ライダー〟ゼルダ・アッサンドリ! どっちも『蒼き紅炎の騎士団』の〝カルテット・サード〟だろうが! つうか一時期でも一緒にエクスプロールしてただろうが、この俺とよぉ!」


「〝カルテット・サード〟……?」


 我知らずその単語を口の中で復唱する。


 そういえば聞いた事がある。『NPK』の〝カルテット・サード〟――その名の通り、団長であるヴィリーさん、副団長のカレルさんに次ぐ、【同率三位の四人組】のことを。


 そう、かつて僕が誘われた際に提示された『第三席』という地位。そこには以前から、四人もの人間が横並びで座っているのだ。聞いた話によると、どの人物にも一長一短があり、甲乙付けがたいということで、全員が同率でナンバースリーに位置づけられているらしい。


 ニエベスの言葉にアシュリーさんは真面目な面構えのまま、瑠璃色の目をパチクリとさせた。


「……ゼルダ、彼を覚えていますか? 四」


「へ? ……う、うーん……どうでしたですかねぇ……?」


「テ、テメェらっ……!」


 質問を振られたゼルダさんが、目を凝らしてニエベスを見た挙げ句に首を捻ったものだから、ニエベスの顔が羞恥と憤怒で真っ赤に染まる。


「五。それはともかく。どうやらあなた達もベオウルフも私の話を聞くつもりはないようですね。では、宣言通り実力行使に移らせていただきます」


 アシュリーさんが両手に握ったショーテルを振り、軽く身構えた。笛の音にも似た風切り音が鳴り響く。


「あのー、みなさん? 悪いことは言わないですので、アシュリーの言うことは聞いておいた方がいいと思うですよー……? 見ての通り本気ですからぁ……」


 ちょいちょい、と掌を動かして、ゼルダさんが微妙すぎる面持ちで僕らに呼び掛けた。


「何を他人事のように言っているのですか、ゼルダ。あなたも手を貸しなさい」


「ぇえー!? マジかよですか!?」


「あなたがいた方がより平和的に話が進むと思ったのですが。嫌ならば仕方ありません」


「あ、嘘、嘘です、手伝いますです、はいっ」


 あっさり諦めたアシュリーさんにゼルダさんは慌てて背筋を伸ばし、右拳を胸に当てる形式の敬礼をした。


 それを見届けてからアシュリーさんは再び僕ら全員を睥睨し、こう告げる。


「失礼ながら一部始終を見聞きさせてもらいました。まず始めに、理不尽な動機からベオウルフに手を出したのはあなた達ですね。どうやら集団で彼を痛めつけ、その様子を撮影し、映像を拡散させるつもりのようで。つまり、あなた達が映像記録を消して引き下がらない限りは、ベオウルフも引くに引けないと。そう推察します」


 すらすらと現状認識を並べ立て、最後に瑠璃色の視線をニエベス達に据えた。


「これが最後の警告です。今すぐ〝SEAL〟の映像記録を削除した上で、この場から立ち去りなさい。そうすれば私は何もせずにすみます」


 これに対し、まず赤コート、鼻ピアス、ノッポの三人が互いの顔を見合わせてボソボソと相談し始めた。


「ヤバいって、ヤバいってこれ……」「〝カルテット・サード〟ていやぁ、どいつもこいつも頭のネジが外れてるって噂だぜ……?」「おいおい、なんだってこんなところに……」


 それを他所に、ニエベスが不敵に笑ってアシュリーさんにこう言い返す。


「こ、断ると言ったら?」


 口角を吊り上げて無理矢理笑って見せているが、目の動きや声の調子からそれが虚勢だというのは丸分かりだ。


「ならば選べ」


 いきなり口調が変わったアシュリーさんの声で、大気に電流が流れた。そう錯覚するほど全身に痺れが走った。


「力尽くで削除されるか、自分で削除するか、好きな方を選べ」


 もはや一方的に通告し、アシュリーさんは本気の構えを取る。


「ゼルダ」


「はいです」


 短く名前を呼び、返事をした瞬間だった。


 ゼルダさんが稲光になった。


『――!?』


 そう錯覚するほどの高速移動だった。


 何の予備動作もなしに電光石火の速度で動いたゼルダさんは、気付けばニエベス達の背後に立っていた。いつの間に取り出したのか、その右手にはエストックと呼ばれる刺突剣が握られている。


「ごめんなさい。逃がしはしませんですよ? 自分がアシュリーに怒られちゃいますんで」


 てへっ、という感じで笑うゼルダさんだったけど、今しがた見せられた超スピードのおかげで全然和めなかった。逃げようとすればあのエストックで背中を打ち貫かれるだろうイメージが、直接言われたわけでもない僕の頭にも思い浮かんだ。


 後方を塞がれた三人組が慌て始める中、唯一ニエベスだけが戦意を高揚させていた。


 というより、自棄になってキレた。


「ああああクソがクソがクソがクソがクソがクソがぁぁぁぁッ!! クッソ上等だテメェらァッ! どいつもこいつも舐めくさりやがってッッ!! やれるもんならやってみろってんだッッ!! ――〈フレイムジャベリン〉ッ!!」


 怒りで茶色の髪が逆立つほどの勢いで吼え、いきなりアシュリーさんに向けて攻撃術式を放った。


 左手に浮かんだアイコンから劫火に包まれた投槍が射出される。放たれた矢のごとく空気を焦がしながら宙を一直線に駆けた炎槍が、アシュリーさんの胸に突き刺さ


 らなかった。


「よく言いました」


 右のショーテルを横薙ぎに払う。たったそれだけの動作で信じがたいことが起こった。


 金属と金属が擦れ合うような耳障りな音が響いた直後、燃え盛る投槍は進行方向を変えられ、通路の壁に激突して爆ぜていたのだ。


「……っ!?」


 愕然とする。


 ――術式を……斬り払った……!?


 目を疑う光景だった。だけど、確かに見たのだ。アシュリーさんが迫り来る〈フレイムジャベリン〉を剣で迎え撃ち、真横に受け流す瞬間を。


「――!? ふ、〈フレイムジャベリン〉ッ! 〈フレイムジャベリン〉ッ! 〈フレイムジャベリン〉ッ! 〈フレイムジャベリン〉ッッ!」


 僕と同じく驚愕しつつも、恐怖に突き動かされてニエベスが攻撃術式を連発した。一メルトル前後のアイコンから炎の槍が続けざまに撃ち出される。


「やれるものですから、やってやりましょう」


 二振りのショーテルが閃く毎、飛来する〈フレイムジャベリン〉があらぬ方向へと逸らされる。しかもニエベスの攻撃術式を淡々と斬り払いながら、アシュリーさんは歩を進めだした。


「〈フレイムジャベリン〉ッ! 〈フレイムジャベリン〉ッ! 〈フレイムジャベリン〉ッ!」


 ニエベスが馬鹿の一つ覚えのように術式を撃ち続けるが、どれ一つとして命中は無く、終いには狙いが甘くなって直撃コースにすら乗らなくなった。そもそもかすりすらしないものは、アシュリーさんも払うことなく悠然と無視する。


 無造作な歩み寄りで相対距離はすんなり縮まり、とうとう剣で斬り結べる間合いになった。


 そこからは、もはや言うまでもない。右手の剣を振るうことすら忘れていたニエベスは喉元にショーテルの切っ先を突き付けられ、反射的に身を仰け反らせた。


 どうしようもない隙が生じる。


 次の瞬間、アシュリーさんが大きく跳躍した。


「――!?」


 とんぼ返りで瞠目するニエベスの頭上を越え、背後に着地する。


 そして、鎌のような双剣が、左右からニエベスの首を挟み込んだ。


 薄皮一枚切り裂く程度の絶妙な力加減で、ピタリ、と剣の動きが止まる。


「少しでもおかしな動きをすれば、あなたの頭は宙を飛ぶことになります」


 蟹の鋏のごとく一対のショーテルでニエベスの首を捉えたアシュリーさんは、冷然と事実だけを告げた。確かにあとほんの少しでも力を込めれば、彼女の予告は現実のものとなるだろう。


 端から見ているだけでも分かった。彼女の瑠璃色の瞳から氷の棘のような視線がニエベスの後頭部に突き刺さり、『どうします?』と言外に尋ねていることが。


 ニエベスは勿論、悪く言えば誇りを重んじて死を選ぶほど高潔ではなかったし、良く言えば意地を突き通して命を捨てるほど愚かでもなかった。


 彼は握っていた剣を手放し、床に落とした。両手を上げ、降参のポーズをとる。


「……け、消します……消させてください……」


 その声はいっそ哀れなほど震えていた。


 やがて、じんわりと股間のあたりが濡れそぼち、床に小さな水音が生まれ始めたことについては、業腹ながら彼の名誉のために黙っておこうと思う。





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