●4 有名税の納税義務 後
ラグディスハルト、ハヌムーン、ロルトリンゼの三名が夕食を摂っているファミリーレストラン『ジョイナス』。
その店内の片隅に、やたらと周囲に負のオーラを撒き散らす四人組みの客がいた。
全員、浮ついた雰囲気を纏う若者達だ。茶髪の男を筆頭に、どいつもこいつも膨れっ面を四人掛けテーブルの脇に並べている。
それも致し方ないことだ。彼らは昼間、女漁りを失敗したどころか、声をかけた少女に公衆の面前で叩きのめされるという憂き目にあったのだ。それ以来、楽しい気分とはすっかり縁を切っており、まだしばらくは仲直りできそうにない。
テーブルの上に靴ごと足を投げ出している茶髪ことニエベスは、チッ、と舌打ちを一つ。
「……ンだよ、クソウゼェ。なんかさっきからうるさくね?」
隣に座る赤シャツが、苦虫を噛み潰したような顔でニエベスの疑問に答える。
「どうせ誰か有名人でも来てんじゃね? 珍しくもねぇっしょ」
「田舎ならまだしも、ここにはルナバベがあるかんな。外出て石投げりゃ、そこそこ有名なエクスプローラーに当たんぜ」
同じく、ニエベスの向かいの鼻ピアスが雷雲のごとき低音で吐き捨てた。
「…………」
残るノッポは、腕を組んで天井を見上げたまま、未だに収まらない苛立ちに顔を歪めている。大股を開いて座っているその右足が、堪えきれない怒りを誤魔化すようにさっきから貧乏揺すりを続けていた。
四人とも怪我はとっくに治療済みである。あの後、遅ればせの通報によって駆けつけた救急隊員によって、医療用ポートを通じて治癒術式をかけてもらい、あの黒髪ツインテール少女から受けたダメージは完全に回復している。
だが、傷付いたのは肉体だけではない。治癒術式によって怪我は治せても、心に負った傷までは消せない。
大の男が四人がかりで、女一人に完膚なきまでに敗北した――しかもあんな大勢の前で。
目が覚めた時には笑いものになっていた。通りすがりの人間に「まぁまぁドンマイドンマイ」やら「大丈夫かぁ? いやぁ相手が悪かったなぁ」やら「まったく災難だったねぇ」と、くつくつ含み笑いをしながら言われる屈辱は、経験したことのない者にはわかるまい。
四人のプライドはズタズタにされ、名誉も威厳も地に落ちた。そんなものが最初からあったかどうかは定かではないが、当人達はそう思い込んでいる。
「あー、やってらんねぇー!」
突然、鬱積した感情を吐き出すようにニエベスが天井に向かって大声を上げた。一瞬、店内の客らが何事かと口を止め、四人組のテーブルを注視する。が、すぐに君子危うきに近寄らずの精神で、客のほとんどが見なかったことにしていった。
またも、チッ、と舌打ちしたニエベスはぶちぶちを愚痴をこぼし始める。
「なんなんだよ最近のツイてなさはよー、誰か俺に呪いでもかけてんのかよ」
ぷっ、と赤シャツが吹き出し、毒づくニエベスを指差した。
「そういや、ニエベっちは今日だけじゃなくて、この間から不運続きだって言ってたなぁ?」
「そうなんだよ! つかこの前なんかよ、せっかくあのトップクラスタ『蒼き紅炎の騎士団』に入れたんだぜ? この俺の実力が認められてよ? だっていうのによぉ……なんかよくわかんねぇ理由でぶっ飛ばされるわ、目が覚めたら追放通告受けるわ……あー、マジやってらんね。俺が何したっつうんだよ」
「そんでもって、やさぐれてた所を兄貴に拾われて、今じゃ俺らと同じ『裏会』の一員だもんな? 落ちる奴ぁ何したって落ちるもんだよなー」
ひひひ、と鼻ピアスが揶揄するようにニエベスを笑った。
彼らの住む浮遊都市フロートライズを治めているのは、都庁――つまり都市長をはじめとした自治体である。しかし、それはあくまで表向きの話だ。
光が差せば影が生じるように、表があれば裏があるのが世の必定だ。
中央区東側に都庁があるように、中央区西側には通称『裏会』と呼ばれるやくざな組織が、ここフロートライズには存在している。
巷では『東の都庁、西の裏会』とも言われ、実質的には二つの大組織が東西と表裏に別れてフロートライズを統治していた。
ニエベスを始め、ここにいる全員がエクスプローラーくずれであり、今や『裏会』に属する末端構成員であった。
「しかもよ、そこにこないだの『ヴォルクなんたら事件』だろ? マジ死ぬかと思ったつーの。最近マジついてねぇし」
「……で、そこに上乗せして今日のあのクソアマだよな」
ずっと黙り込んでいたノッポが、とうとう口を開いた。なおも苛立たしげに足を細かく揺らしている姿は、どことなく便意を我慢しているようにも見える。
少しだけ上向きになりかけた雰囲気が、途端に暗雲低迷した。赤シャツも鼻ピアスも笑みを潜め、思い出した悔しさに歯を軋らせ、舌を鳴らした。
「あのクソアマぁ……ちょっと顔の印刷がいいからって調子乗りやがって……! 次会ったらぜってぇ容赦しねぇぞ……!」
最後に止めを刺された赤シャツが、怨嗟をこめて吐き捨てる。
とはいえ、ここは浮遊都市フロートライズだ。もしあの少女が観光客だったとしたら、彼ら四人ともう一度相まみえる機会はほぼ無いと言ってよく、赤シャツの宣言が実現する可能性は限りなくゼロに近かった。無論、裏会の仲間を集めて捜索するという手もあるが、そのためには『一人、しかも十代と思しき少女に、四人がかりで負けた』ということを説明する必要が生じる。そんな情けない話が裏会に知れようものなら、逆にニエベスらの方こそ粛清されてしまう恐れがあった。
全員がそのことを理解し、察しているのだろう。復讐を誓う言葉にニエベスも鼻ピアスもノッポも同意を示さず、赤シャツもまた求めなかった。
「――にしても本気でヒソヒソコソコソうるせぇな。なんだよベオウルフとか小竜姫ってのは?」
テーブルに脚を載せたまま卓上のグラスに手を伸ばし、ニエベスが億劫げに疑問を口にした。不格好な体勢でアイスコーヒーの入ったグラスを引き寄せ、ストローを咥える。
先程から周囲のテーブルより聞こえてくる声には、やたらと『ベオウルフ』や『小竜姫』といった彼の知らない単語が含まれていた。
この質問にノッポが顔を顰める。
「あ? なんだテメー知らねぇのか? ベオウルフつったら、ここんとこ名が上がってきたエクスプローラーじゃねぇかよ。あの剣嬢ヴィリーお墨付きのスーパールーキーだぞ?」
ちゅー、とアイスコーヒーを吸い上げると、ニエベスは、へっ、と不敵に笑った。
「知らねぇよ、俺はエクスプローラーやめてからそのへんの情報は全部カットしてるし。興味ねぇし。つか、いきなりぶん殴りやがった剣嬢とかマジウゼェし。――で、どいつよ?」
靴を履いたままの脚をテーブルから下ろし、ニエベスは首を伸ばして店内を見回した。
「アレじゃね?」
「アレだな」
「アレだろ」
赤シャツと鼻ピアスとノッポが同時にとあるテーブルの方角を指差した。
「あーん?」
またもストローでコーヒーを吸い上げながらニエベスはそちらに視線を向け、窓際のテーブルに座っている三人組を見た。
「――――」
だばあ、とニエベスの口からコーヒーが滝のようにこぼれ落ちた。
「うおおおどうしたニエベっち!?」
「ワァオ! きったねぇ!?」
「どうした!? 何だってんだ!?」
仲間の思わぬ行動に、火が点いたように騒ぎ出す三人。だが、ニエベスの耳には聞こえていない。彼の目は、示されたテーブルでハンバーグを食べている少年に釘付けになっていた。
「――おい、あれって……〝ぼっちハンサー〟だろ……?」
口元や腹、太股がコーヒーで濡れ汚れていることに気付いていないのか、ニエベスは呆然と呟いた。
ノッポが呆れたように大きな溜息を吐く。
「ぁあ? だからなんで知らねぇんだよ。その〝ぼっちハンサー〟が〝ベオウルフ〟で、隣の銀髪のチビが〝小竜姫〟だろ。ルナバベの二〇〇層のゲートキーパーとか、テメーがさっき話題にしてた『ヴォルクリング・サーカス事件』の首謀者とかをぶっ倒して、ここ最近すげえ勢いで有名になってる奴らじゃねぇか」
「……マジかよ……」
「いや、冗談抜きでこんぐらいチェックしとかねぇとダメだぜ、ニエベス? 付け加えるとよ、新しくクラスタ作るってんで、早速ドラゴン・フォレストで有名ソロだった〝アンドロメダ〟をメンバーにしたって話だ。すわ新勢力誕生かって、業界内じゃわりと注目されてんだぜ」
ノッポに続けて、鼻ピアスが説明を補足する。
「……つうか、隣の奴もあん時のメスガキじゃねぇか……」
なおも震える声で独り言をこぼすニエベスに、他の三人はお互いの顔を見合わせ、首を傾げたり、肩を竦めたりする。
「……おい」
突然、荒々しい手付きでグラスをテーブルに置き、ニエベスが仲間達に向かって勢いよく身を乗り出した。
赤シャツも鼻ピアスもノッポも面食らって、息を呑む。
「――いいこと思いついたぞ」
低く押し殺した声で囁き、ニヤリ、とコーヒーに濡れたニエベスの口元が歪む。その両眼は、しかし俯き加減のせいで茶色の前髪が覆い被さり、仲間達からは見て取れない。
ニエベスはそのまま、へっへっへっ、と肩を揺らして笑い始めた。
「……な、なんだよニエベっち、いいことって……?」
その不気味さに若干引いている三人のうち、赤シャツが代表で質問する。
果たして、突然の茫然自失から薄気味悪く笑い出したニエベスは、こう答えた。
「――俺達の名誉挽回、汚名返上のチャンスだよ」




