●22 一人ぼっちじゃない最終決戦
目に焼きつくのは苛烈な攻撃の軌跡。
耳にこびりつくのは凍えた剣戟の音。
肌に突き刺さるのは質量を持った死の予感。
そして何より、全身の神経をひりつかせる――敵の殺気。
命の無いSBを相手にするのとはわけが違う。
自分と同じく意思と感情を持った人間との戦い。
対人戦。
単調なアルゴリズムとは比べ物にならない、不透明で複雑な駆け引きの連続。
身体的負担もさることながら、精神的な重圧がじわじわと僕の心を蚕食していく。
「――っぁあああああああああああっ!」
「LLLUUUOOOOAAAAA――!」
雲一つ無い蒼穹の中、僕達は渾身の力を籠めて得物を振るい合っていた。
僕は彼我の距離を計算に入れながら〈如意伸刀〉のトリガーをオン。瞬時に銀色の刃が伸長して陽の光を鋭く照り返す。
加速する思考。時間の流れがやたらと遅く感じられる僕の視界の中、三メルトル程離れた空間に浮いているシグロスに〈如意伸刀〉の銀閃が稲妻のごとく奔る。もちろん斬撃は一つだけではない。瞬時に重ねた幾十の斬閃が『弾幕』ならぬ『剣幕』となり、『線』では無く『面』でシグロスに襲いかかる。
一方シグロスの、〈裂砕牙〉によく似た四肢の武器は変幻自在に動く。牙のように尖っていたそれは、今や鞭のごとくしなやかな形状へと変化している。どこかロゼさんの鎖にも似た動きで跳ね回り、その軌跡がクロムグリーンの網を描いた。
剣閃の文目と鞭笞の網目が激突し、僕達の間に無数の火花を炸裂させる。
「うぉおおおおおおあああああああああああッ!」
「RRRRRRWWWWWOOOOOOOO――!」
声の大きさすら競い合うように雄叫びを上げ、僕らは刃をぶつけ合いながら広い空を駆け回る。
背中の翅を震わせてシグロスが間合いを開く。それを追いかけて〈シリーウォーク〉の薄紫の力場を力任せに蹴っ飛ばす。大気の壁をぶち抜いて加速する。すると黒い昆虫人間は空中で張り付いたように急停止。いきなり両腕から攻撃を放ってくる。緩急の落差に虚を突かれる。咄嗟の判断で嵐のような連撃をかいくぐり〈如意伸刀〉のトリガーをオン。一閃する。が、それは奴の脚から伸びた鞭によって叩き落とされる。クロムグリーンの鞭が生きた蛇のごとく軌道をねじ曲げて迫る。僕は〈スキュータム〉を多重展開させて受け流す。
蒼穹を上へ下へと飛び回りながら、銀弧と翠閃が衝突する。その度に光の粒子が弾ける。それが連続して流れ、空間に捻れた傷痕を刻みつけていく。
「――ッ!」
何度も〈如意伸刀〉のトリガーをオン/オフさせて刀身の長さを調節して振るいながら、内心で臍をかむ。爆発的に伸びたり縮んだりする〈如意伸刀〉のピーキーな使いにくさもそうだけれど――
このまま真っ正面から打ち合っていては、埒があかない。
支援術式の効果時間――残り八〇セカド。このままでは時間切れで僕の負けだ。
これじゃダメだ。何か手を打たなくては。考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ――!
シグロスと打ち合いを続けながら僕は全力で頭を回転させる。いくつもの思考がてんでバラバラに生まれていく。
――さっき急に通信をくれたロゼさんは無事だろうか。僕も余裕がなかったので、とにかくあちらの要請には応じたけれど。でもあのゲートキーパーが相手なのだ。早く助けに行かなければ。だけどあちらの加勢に向かうとなれば、なおさら時間が無い。さっさとこいつを倒して、ロゼさんとハーキュリーズのところへ行かないと――!
と、そんな焦る気持ちとは裏腹に、頭のどこかにいる冷静な僕が、無感情なまでに現状を分析する。
――シグロスの正体が読めてきた。さっきから使っている両手両脚の武器。あれはドラゴン型SBに必ずと言っていいほど存在する〝触角〟に違いない。フォトン・ブラッドで形成する〝触角〟は、機械でいうところのマニピュレーターに相当する。図体のでかいドラゴンが細かい作業をする際に必要となり、同時に精密な命中精度を誇る武器にもなるのだ――
以上の推測から結論を導き出し、対策を講じる思考がある。
――つまり、あの姿はドラゴン型SBと融合した姿なのだ。それも、あのサイズに【凝縮】して。そのおかげで力も速度も装甲も桁違いに進化している。道理で何度か〈如意伸刀〉の刃が直撃しているのに、碌にダメージを与えられていないわけだ。生半可な攻撃ではあの堅固な甲殻を貫き、奴の体内にある全てのコンポーネントを砕くことは出来まい。やはりハーキュリーズのときと同じく、僕の切り札――〈フレイボム〉の多重連鎖爆撃しかない。そう。あの漆黒の鎧ごと何もかも吹き飛ばしてしまえばいいのだ――
するべきことは決まった。なら、あとは実行するだけだ。
全ての思考を一瞬で終わらせた僕は、
「〈フレイボム〉!」
早速〝SEAL〟に必殺の攻撃術式を装填。五つ同時にセキュリティを解除してのけ、さらに〈如意伸刀〉を大上段に構えトリガーを引く。
「〈ドリルブレイク〉!」
剣術式を発動させた。ほんの一刹那で何十メルトルも伸び上がる銀色の刀身に、ディープパープルの回転衝角がまとわりつく。刃が伸長すれば伸長するほど、合わせてフォトン・ブラッドのドリルも膨張していく。
現在、シグロスとの相対距離は約五メルトル。タイミングは奴の攻撃を弾き返し、鞭のような〝触角〟が引き下がったこの瞬間。
僕は猛烈に回転する巨大な〈ドリルブレイク〉を振りかぶり――思いっきり【振り下ろした】。
「でやぁあああああああああああああッッ!」
「ッ!?」
ドリルは突き出すもの、という概念を無視して真上から迫り来る一撃に、シグロスが一瞬だけ度肝を抜かれたかのように動きを止める。が、
「――RRRRRLLLLOOOOOOOWWWWWWW!」
咆吼と共に両手両脚の〝触角〟が激しく乱舞。クロムグリーンの鞭打が、上方から落とされる長大な〈ドリルブレイク〉に堰を切ったかのように殺到した。
だけどそのほぼ全てが、高速回転するドリルにあえなく弾き返される。
――とった!
全ての抵抗を撥ね除け、兜割の強撃がシグロスの脳天を――
「――ッハァッ! おもしろいことやってくれるじゃないかヘボ野郎ッ!」
なおも楽しげに嘯いたかと思うと、漆黒の竜と融合した男は頭上で両腕を交差させ、防御体勢を取った。
次の瞬間、虫のそれにしか見えない竜人の口から、信じられない単語が生まれ出た。
「〈リインフォース〉ゥ!」
「なっ……!?」
耳を疑う僕の目の前で、しかし見たことのあるアイコンがクロムグリーンの光線で描かれる。
奴のフォトン・ブラッドで形成された新たな鎧が、異形の甲殻をさらに覆った。同時、四肢の〝触角〟もまたその輝きを強める。
直後、紫紺の〈ドリルブレイク〉の振り下ろしと翠緑に輝く装甲とが盛大に激突した。
「――~っ!」
耳を劈く擦過音が空気を震わせる。ほとんど噴水のように大量の火花が迸る。だがフォトン・ブラッドの追加装甲は、奴の甲殻と違って罅一つ入りはしない。
ロゼさんの術式〈リインフォース〉――どうしてシグロスがあれを使えるのか。不可解な事態に一瞬だけ混乱しかけるが、だけど、今はそんなことを気にしている場合では無い。
とにかく、奴は信じがたいことに使役SBに使用するべき強化術式を、自分自身に作用させたのだ。
今はそれだけ理解していれば十分だ。それに――構うものか。
こうなれば、その追加装甲ごと爆ぜさせてやる。
ハーキュリーズ戦で使った〈大断刀〉と違って、常に伸び縮みする〈如意伸刀〉の刀身に〈フレイボム〉を載せるのは至難の業だ。それに頑丈さもまるで違う。だから僕は両肩、胸、両膝から術式を発動させた。
防御体勢をとっている今なら、この五重〈フレイボム〉を避けられないはず――!
僕の体の前面に、五つのアイコンが重なって出現する。〈フォースブースト〉で強化されている術力を全開でつぎ込んだため、一つ一つの直径が五メルトルにまで達している。その中央から五本の細い光線が伸び、シグロスを照準した。
「――!」
その時、シグロスの両手両脚から四条の光が奔った。まっすぐこちらへ伸びた緑の光線は、しかし僕を狙ったものではない。僕の上下左右を通り過ぎただけ。何故か殺気も籠もっていなかったため、思わず見逃してしまったが――すぐその意図に気付いた。
逃げ場を奪われた――今や僕は上下左右をシグロスの〝触角〟に遮られ、前か後ろにしか動けない。ちょうど、ハーキュリーズがシグロス相手にそうしたように。
――否、上下左右だけじゃない。僕の側を通り過ぎた〝触角〟が背後で合流している。後方まで塞がれてしまった。
「〈天轟雷神――」
シグロスの声でその術式の名を聞いた瞬間、ぞわっ、と背筋に悪寒が走った。
嫌な予感しかしなかった。僕は直感的に全ての〈フレイボム〉をキャンセル、代わりに〈スキュータム〉を
「――裂砕牙〉ァッ!」
五一二倍の世界にいてなお、背中からフォトン・ブラッドを噴出したシグロスの加速は目を見張るものだった。
気付いたらほとんど目の前にいた。
「――!?」
シグロスの背後でなおも散っていた火花が、遅れてようやく発生源が無くなったことに気付いたかのように消えた。それほどの速度だった。
気付けばシグロスの四肢に、〝触角〟とはまた違うフォトン・ブラッドの『牙』が形成されている。格闘術式のフォローを受けた漆黒の巨躯が、弓矢を引き絞るがごとく拳を振り上げた。
ロゼさんが使っていた【あの連続攻撃】がくる――!
ついさっき見た戦いの光景が脳裏にフラッシュバックする。原始的な恐怖が僕を衝き動かす。術式の装填具合なんて気にしている余裕もなかった。僕はとにかく防御術式を発動
「UUUUUULLLLLLLLOOOOOOOOOOWWWWWWWW――!!」
目の前でクロムグリーンの輝きが雷光と混じり、四方八方へ迸った。
視界の中、煌めく流星雨が炸裂する。
「――っぬぁああああああああああああああああああああッッ!!」
防御術式〈スキュータム〉の薄紫に光る六角形のシールドが僕の前に現れた。僕はとにかくそれを連発した。
「LLLLRRRRUUUUUOOOOOWWWWW――!!」
稲妻の雨とでも呼ぶべき拳撃蹴撃が、一撃毎に〈スキュータム〉を破壊していく。だが、術式シールドは砕かれた瞬間にまた新しいものが発動する。
砕かれてはシールドが生まれ、また破壊されては新しいものが出現する。その繰り返し。
端から見れば、僕はまるでシグロスに砕かれるためだけに〈スキュータム〉を発動しまくっているように見えただろう。
しかし僕が〈スキュータム〉を発動させるより、奴の連打の方が僅かに、だけど確実に、速度が上だった。
やがて防御術式が追いつかなくなる。
かといって今更〈如意伸刀〉のトリガーを離して引き戻したとしても到底間に合わない。
そう悟った瞬刻、僕は一か八かで防御を捨てた。
「――ッ!」
変わりにストレージから武器を具現化して、左手に握る。
取り出したのは、刀身が砕けた黒帝鋼玄の柄。だが、たとえ刃が無くとも長巻である黒玄の柄はそれだけで一メルトルはある。僕は鍔のある方をシグロスへ向けて突き出し、
「〈ドリルブレイク〉!」
剣術式をぶっ放した。
果たして、奴の左腕の『牙』が僕の右胸を抉るのと、こちらの〈ドリルブレイク〉がシグロスの喉元を穿つのは、ほとんど同時だった。
「ぅぐあっ――!?」
「グェ――!?」
相打ち。
僕らはやはり二人同時に呻き声を漏らし、お互い激突の衝撃によって大きく弾き飛ばされた。
視界が滅茶苦茶に振り回される。自分の体がグルグルと空中を三次元的に回転しながら吹っ飛んでいくのがわかる。耳の奥で囂々と風の音が唸りを上げる。
「くっ……!」
天地もわからないような状態で、それでも僕は右胸を意識して回復術式〈ヒール〉を発動。同時に支援術式〈レビテーション〉を使って、身体にかかっている慣性を殺す。空中の一点でピタリと停止し、姿勢を制御して上下感覚を取り戻した。
全身の神経を駆け巡る激痛を無視して、全方位に視線を振りまき、敵の姿を探す。
いた。
シグロスは既に体勢を整えていた。それどころか半透明の翅を駆使して、とんでもない速度で再びこちらへ迫って来ている。喉を突かれた事がよほど腹に据えかねたのか、動きの端々から強い怒りの波動が感じられた。
転瞬の間、僕の思考――どうにかして奴の動きを止めなければ〈フレイボム〉を直撃させるのは無理だ。なら、どうやって奴を止める? 決まっている。さっき奴自身が教えてくれた。逃げ場を封じ、避けられない状況を作ってやればいいのだ。
じゃあまずは――!
僕は次なる行動を決め、〈如意伸刀〉のトリガーをオフ。何もない空中に現れた〈シリーウォーク〉の足場を力いっぱい蹴った。
「――~ッ!」
初っ端からトップギアだ。シグロスめがけてスピード全開で飛び出す。
これまでの戦闘でいくつかわかったことがある。強化係数五一二倍の僕と比しても、シグロスの力と防御はさらにその上を行っている。だけど、速度に関してだけは僕の方が凌駕している。というより、奴は【あの体で動くことに慣れていない】ようなのだ。
漆黒の竜――どう見ても虫にしか見えないが――と同化したシグロスの身長は、今や二メルトルを超えている。最初に見た針金のような中背痩躯が本当の姿なら、身体感覚は全く別物になっているはずだ。勿論、キメラSBみたいな変態的な化け物になる奴だ。多少の変化ぐらい容易く呑み込んでしまうのだろうけど――それでも基本、その動きは【大雑把】だ。殴ったり蹴ったりと単純に体を動かすならともかく、翅を使って空を飛ぶことについてはまるでなっていない。奴の空中機動はおおよそ、真っ直ぐ飛ぶか、大きなカーブを描いて曲がるか、その場で跳ねるか。この三つだけ。つまり、精密で複雑なマニューバーなど出来ないのだ。
故に、空中戦においては僕に利がある。こちらは〈シリーウォーク〉のおかげで、地上と変わりない速度で、しかも細かく立体的に動くことが可能なのだから。
僕は今、それを活かす。
「でやぁああああああああああああっ!」
超音速で突っ込んでくるシグロスに向かって空を駆けると、瞬く間に相対距離の桁が減っていく。
一桁になった瞬間、ダンッ! と強烈な踏み込みを一発。
猛スピードで【真上へ跳躍した】。
「!?」
シグロスが瞠目する気配。あの複眼でそんなことが出来るのかどうかはわからないけど、とにかく僕のトリッキーな動きに驚いているのがわかる。首を上げ、奴の視線が僕を追う。
真上へ跳ねた僕は空中でさらに横っ飛び。壁のように出現させた〈シリーウォーク〉の力場を蹴って、今度は右に向かって跳ねる。次は前。その次は下。高速のジグザグ運動でシグロスの視線を振り払う。
――そう、今この大空は僕の庭であり、同時に自由自在な『箱の中』だ。好きな時、好きな座標で、僕はそこを地面に、壁に、天井にしてしまうことが出来る。
だから、僕は弾丸になった。
跳弾のごとくあちこちで反射し、警戒して急停止したシグロスの周囲を高速で飛び交う。奴の視界の外から外へ縦横無尽に跳ね回る。その都度、〈シリーウォーク〉の薄紫の力場が発生しては消える。だけど跳ね返る速度が速すぎて、端から見れば全ての足場がほぼ同時に現れているように見えただろう。
それだけじゃない。
僕は足場を一つ蹴りつける毎に幻影術式〈ミラージュシェイド〉を発動。飛び退く直前に光学的な分身を残していく。動きが早すぎて分身しているように見える――のではなく、実際に術式による残像を置いているのだ。
それを繰り返すこと二〇回。こうして、総勢二十一人の僕が、上下左右三六〇度シグロスを取り囲む幻の包囲陣が出来上がった。
僕は【ある座標】でスピードを緩め、ぎゅるり、と身体を回転させ姿勢を制御。二〇体の〈ミラージュシェイド〉も鏡に映したように同じ動きをとる。
二十人の幻影と共に、右足の爪先を包囲陣の中心にいるシグロスへと向けた。そして、
「――〈ドリルブレイク〉ッ!」
コンバットブーツの先端から足の付け根辺りまでがディープパープルのドリルに包まれ、背中から加速用のフォトン・ブラッドが噴出された。
視覚的には逃げ場がない一斉同時〈ドリルブレイク〉が牙を剥く。
僕は二〇体の幻影と束になって、包囲の中心に浮かぶシグロスに怒涛のごとく襲い掛かった。
「づぁあああああああああああああああああッッ!!」
二十一のドリルが黒と緑の装甲に突き刺さらんとした瞬間、
「――RRRRRRRROOOOOOOOOAAAAAAAAAHHHHHHH!!」
シグロスが甲高い声で吼えた。刹那、四本の〝触角〟が自切したトカゲの尻尾にも似た動きで暴れる。速い。光の鞭が残光を曳いてのた打ち回り、全方位から殺到した〈ミラージュシェイド〉のほとんどを切り払った。
だけど、本体の僕には届かなかった。
何故なら僕は、シグロスの死角にいたから。
奴の背後、斜め上――それも太陽を背にした位置。虫の複眼を以てしても捉えられない方角から、さらに〈ミラージュシェイド〉の幻影よりほんの少しだけシグロスから離れていた。
ほんの僅かな、だけど致命的な差。
荒れ狂う〝触角〟の斬撃の嵐をくぐり抜け、シグロスの背面装甲、翅を動かしている支点に〈ドリルブレイク〉の先端が突き刺さった。
「LLRROO――!?」
シグロスの背中からアーク溶接のごとき眩しい火花が飛び散る。装甲はまだ貫けないが、衝撃の伝播によって薄い半透明の翅がその飛行機能を失った。漆黒の竜人を浮揚させていた力が消え、重力がその身を絡め取る。
落ちる。
「――ッ!」
そこをさらに一押し。僕はシグロスの背中に〈ドリルブレイク〉を突き刺したまま、さらに、
「〈ドリルブレイク〉ッ!」
ゾンッ! とさらなる回転と加速。僕の背から噴出するフォトン・ブラッドが爆発的に膨張した。
瞬間、僕とシグロスは撃ち出された弾丸のごとく地上に向かってかっ飛んだ。
「う ぉ お お お お お お お お お お お お お お ッ ッ ! ! 」
声を置き去りにしながら大気をぶち抜き、流星よりも速く落下する。
あっと言う間に地表が近付いてきた。
落ちゆく先にあったのは、巨大なガラス張りのショッピングモール。僕はシグロスを〈ドリルブレイク〉の先端に突き刺したまま、一切の減速なくそこへ突っ込んだ。
ガラス張りの天井に漆黒の巨体が激突し、罅が走る。だけど僕達の速度はガラスが破砕が広がるよりも速い。人型の穴をぶち空け、そのままショッピングモールの内部へ。
三階建て、吹き抜け構造の広い空間に出る。
けどそんなことを知覚するよりも早く、モールの中央、床のど真ん中にシグロスもろとも墜落した。
「――――――――――――――ッッ!!」
激震。破壊。陥没。そして轟音。
衝撃が爆発する。石で出来た床に一瞬で蜘蛛の巣みたいな罅が走り抜け、砕け散る。瓦礫が吹っ飛ぶ。破壊力の伝播は止まらない。建物全体に罅が入っていく。〈プロテクション〉で強化していてなお耐えがたい苦痛が僕の全身を駆け抜ける。爪先の先にいるシグロスがどんどん地面に沈んでいく。
やがて、全てのエネルギーを発散し終えた後に残ったのは、まさしく隕石が落ちた痕のようなクレーター。ショッピングモールの床面の殆どが割れ砕け、隆起していた。
「はぁっ……はぁっ……!」
息が切れる。肩で呼吸を繰り返す。足元のシグロスはピクリともしない。
空の高い位置から一直線に叩き付けたのだ。かなりのダメージがあるはずだ。
それに、地面にめり込んでいる今ならどこにも逃げ場はありはしない。
このまま奴が動き出す前に重連〈フレイボム〉を叩き込もうと、左手の黒玄をストレージに戻した時だった。
足元から、くひ、と笑う声が聞こえた。
「!?」
一体どういう構造の体をしているのか。顔を下にしてクレーターの真ん中に沈んでいたはずのシグロスが、一瞬にして【裏返った】。体は微塵も動いていないのに、後頭部が顔に、背中が胸と腹に、それぞれ変化したのだ。そう、キメラSBの姿をしていた時、スライムのように柔らかくなって別の異形へ変身したのと同じように。〝融合〟の神器の力を使って、体の前面と背面をそっくりそのまま【入れ替えた】のだ。
黒い甲殻に包まれた大きな手が、奴の背中――否、今や胸の上に乗っていた僕の右足首をむんずと掴んだ。
「――つかまえたァ」
にたぁ、と虫みたいな顔がいやらしい笑みを浮かべ――ずぶり、とシグロスの五指が僕の足首に深く沈み込んだ。まるでこちらの体が粘土か何かになったかのような、ひどく不自然なめり込み方だった。
「――ッ!?」
痛みはなかった。だからこそ余計に、生理的嫌悪で背筋に悪寒が走った。シグロスの指が埋まった右足首から、氷の触手のような怖気が這い上がってくる。反射的に僕の〝SEAL〟が激しく励起する。
いや、違う。これは――【励起させられている】……!?
直感した。
こいつ、僕の〝SEAL〟にアクセスしてるのか――!?
何か得体の知れないことをされている――その予感が僕の体を突き動かした。
「ッ〈フレイボム〉!」
――かまうものか、このまま足の裏から重連〈フレイボム〉を喰らわせてやる!
僕は攻撃術式を五つ同時に〝SEAL〟の出力スロットへ装填――しようとして、しかし、〈フレイボム〉のデータが消失していることに気付いた。
「!? な……!?」
いや、正確には〈フレイボム〉のデータの一部がクラックされていて、まともに読み込むことが出来なくなっている。正常でないデータになってしまったせいで、〝SEAL〟には術式そのものが消えたように認識されてしまっているのだ。
何故かなんて考えるまでもない。シグロスが、己の脅威を排除するため、僕の〝SEAL〟に物理直結して〈フレイボム〉の領域を情報的に攻撃したのだ。
これ以上やらせてたまるか。そう決心した僕は、右手の〈如意伸刀〉のトリガーをオン。刃先をシグロスではなく、奴が掴んでいる自分の右足へと向けた。
「~っ……!」
躊躇っている暇なんてなかった。腰を引いて歯を食いしばり、襲い来る痛覚を覚悟した上で、僕は思いきって自分の右足を臑の半ば辺りで切断した。紫紺のフォトン・ブラッドがぞっとするほどの勢いで噴き上がる。
「――ッうあああああああああああああッッ!!」
わかっていたとはいえ、凄まじい激痛にたまらず悲鳴をあげた。シグロスと物理的な接触を絶った途端、神経を逆撫でしていた冷たい感触が溶けるように消えていく。すぐさま左足で跳躍し、距離を離した。
「ぐぅっ……!」
涙目になりながら空中で回復術式〈リカバリー〉を発動。切断面から肉が盛り上がり、欠損した右足が徐々に再生していく。が、完全に足の形を取り戻すにはまだ少し時間がかかる。
いや、それよりも重大なことがある。必殺の〈フレイボム〉が封じられてしまった。決定打を失ってしまったのだ。やばい、やばいぞ、やばいやばいやばいやばいどうしようどうしようどうしようどうしよう――!?
クレーターの端あたりに左足だけでどうにか着地すると、一回の跳躍で一〇メルトル以上も間合いが開いていた。
支援術式の効果時間、あと約六〇セカド。もう残り三分の一。〈フレイボム〉は再インストールすれば使えるようになるはずだけど、そんな余裕なんてどこにもない。
――どうする!? どうやって、どうやってこいつを倒す!?
焦りの感情が冷静さを削り取っていく。頭がパニックになりそうなのを必死に我慢する。
「クヒ――ヒヒヒイヒヒイヒヒアハハハハハッ! どうしたどうしたぁ? 何をそんなに焦ってるんだヘボウルフゥ? 自分の足を切って逃げるとか、トカゲかお前は? なんだよ、狼ですらなかったのかぁ? ヘボトカゲェ? クハッ、ハハハハッ、アハハハハハハハッ!」
視線の先でシグロスが哄笑しながら立ち上がる。あんな高さから叩き付けてやったというのに、ダメージの片鱗も見えない。〈リインフォース〉のおかげか、奴の頑丈さはもはやハーキュリーズ以上だと言っても過言じゃなかった。
僕は内心の混乱を無理矢理押さえつけて、シグロスを睨み付ける。
「――狼だろうが、トカゲだろうが、好きに呼べばいいだろ。どうだっていい」
今になってようやく、砕けた天井のガラス片が雨のように降ってきた。煌めく破片のプリズムの中、僕とシグロスの視線が交錯する。
「第一、僕はもともと勇者でも何でもない――!」
痛みを無視して、再生中の右足を〈シリーウォーク〉の足場に載せた。そうすることで足元を固め、〈如意伸刀〉のトリガーをオン。
足を切断されようが、決め手を失おうが、戦いを止めるわけにはいかなかった。
「僕はただ、ロゼさんを傷つけたお前を許さない……それだけだッ!」
僕は決して、負けるわけにはいかないのだから。
「づぁあああああああああああああああああ――ッッ!!」
「LLLRRRROOOOOOAAAAAAHHH――!!」
申し合わせたように二人同時に雄叫びを上げる。
伸びる銀の剣閃が星屑のように光を飛び散らせる。
漆黒の竜人の全身からクロムグリーンの輝きが迸る。
ガラスの雨が降りしきる中、僕達はなおも戦い続ける。
■
ラグディスハルトとシグロスが繰り広げる戦いは、遠くからでもよくわかるほど派手に展開していた。
それ故に二人の少女は、仲間である少年の位置をほぼ正確に知ることが出来ていた。
一人は空から。
もう一人は地上から。
それぞれの移動手段を用い、少年を助けるため戦場へと向かっている。
特に巨人の肩に乗って地上を駆ける少女は、少年とスイッチでリンクしているだけに、より詳細に状況を察知していた。
こちらのリクエストにリプライされるバイタル情報は、彼が今なお激しい戦闘に身を置いていることを示している。一定の周期で更新される数値は、ブレが大きくひどく不安定だ。早く、速く助けに行かなければ――彼女はまともに動かない体に鞭を打ち、己が使役するゲートキーパーの足を急かす。
「ラグさん――!」
一方、空を飛翔する少女は、遠く、流れ星のごとく地上へ落ちる紫紺の矢を見た。その光の矢が直撃した建物から煙が上がり、空へと昇る柱となる。それが目印になった。自らの意志に付き従う鳳の嘴を、そちらへと向ける。
「ラト――!」
蒼と金のヘテロクロミアに決意の光を宿し、銀髪の少女は唯一無二の親友の為に空を往く。向かい風など微塵も気にならなかった。
決着の刻は近い――二人の少女は共にそう直感していた。
■
狭い建物の中では〈如意伸刀〉の剣速が鈍る。
そう判断した僕は、ガラスの雨を斬り散らしながらどうにか数セカドの間を耐え抜き、再生を終えた右足を踏み込んで再び空へと駆け上がった。
裸足の右足と、コンバットブーツを履いたままの左足のせいで走りに違和感があるけど、四の五の言ってられる状況ではない。ガラスが砕けてフレームだけになった天井を抜け、外へ。
背後――というより、足元の方からシグロスが追いかけてくる気配を感じる。
「〈エアリッパー〉!」
矢のように上昇しながら風刃の術式を五つ同時に起動。〝SEAL〟に装填して、いつでも撃てるようにしておく。
十分な高度に達し、振り向きざま、こちらへ斜め下から突っ込んでくるだろうシグロスの鼻先にぶつけてやろうと、
目の前に黒と緑。
「――!?」
想定以上の速度でシグロスが突っ込んできていた。竜人の尖った頭部が勢いそのまま僕の腹部に突き刺さった。
「が――はっ!?」
砲弾を撃ち込まれたような衝撃が僕を貫く。目の前が真っ白にスパークした。体がくの字に折れる。喉の奥からねばっこいものが這い上がってきたと思ったら、嘔吐するように鼻と口から大量の血が噴き出した。〈プロテクション〉の加護が無ければ、上半身と下半身が泣き別れになっていたに違いない。
クハ、と腹の下から嘲笑の波動を感じる。
シグロスは翅の加速に全力を注いで、猛然と体当たりを敢行してきたのだ。確かにシグロスのパワーと装甲なら、奴そのものが凶器みたいなものだ。さっきまでと同じパターンで攻撃してくると思い込んでいた僕が浅はかだった。
あまりの威力に全身が痺れる。若鮎が河面で跳ねるように、僕は力を失った姿勢でそのまま斜め上に吹っ飛んだ。
体が反り返り、視界が空の蒼と太陽の光だけになる。
死角から耳に届く、シグロスの翅の音。さらに大気を叩いて加速し、追撃をかけてくるつもりだ。
間延びした時間の中、僕は必死に体勢を整えようとする。
――くそ、駄目だ、体が動かない……!
回復術式〈ヒール〉なら既に発動させている。だけど、回復には多少の時間が必要だ。シグロスの再接近までには間に合わない。
ならせめて、装填してある〈エアリッパー〉だけでも――
いきなり戦闘ジャケットの首根っこを引っ掴まれ、ガクン、と体が揺れた。
背後、至近から声。
「――さっきはよくもやってくれたよな? なかなか痛かったぞ? ――お前も味わってみろよ、【ラグディスハルト】?」
「――!」
僕の名前。さっきの接触で、まさかネイバー情報まで抜かれていたのか。こいつ、ただ神器の力を持っているだけじゃない。それ以前にかなりの情報技術者だ。そうか、ロゼさんと同じくシグロスもハンドラーだから――
視界が急速にぶれた。体を思いっきりぶん回され、とんでもない勢いで投げられる。
斜め下に向かって。
「――――――――――――――――ッ!?」
さっきの意趣返し。
大気の悲鳴を聞く。僕は猛烈な速度で頭と背中を下にした状態で落ちていく。まるで野球の投手のようなフォームで僕を投擲したシグロスの姿が見る見るうちに遠ざかっていく。
僕は咄嗟に〈レビテーション〉を発動。これで慣性を殺し、空中に停止――できなかった。術式の許容量以上の負荷がかかって制御に失敗した。〝SEAL〟の演算が乱れる。
わずかな減速もなく落ちる。
受け身を取ることなんて当然出来なかった。どうにか背中に〈スキュータム〉×10を発動させるのがやっとだった。
隕石のごとく超高速で地面に激突した。
「――!」
硬い路面に突き刺さった瞬間、もはや自分では認識できないほどの衝撃が僕の全身を襲った。それでも、なお解消できなかった慣性が僕の身体を水平方向へ滑らせ、地面を抉らせていく。
ズガガガガガ! と空恐ろしい音をがなり立て、進行方向にあった建物をも破壊しながら突き進み、まるで空の向こうに棲む巨大な悪魔がその爪で引っかいたかのような深く長い傷跡を街中に刻む。
ようやく与えられた運動エネルギーを消費しきって停止した時には、周囲は文字通り瓦礫の山と化していた。
「…………!」
仰向けで体の半分以上を地面に埋めたまま、声が出せないどころか呼吸もままならない。〈スキュータム〉のおかげで地面との摩擦は防げても、衝突の威力だけは流石にどうにもならなかった。深いダメージが体の端々まで浸透している。支援術式による身体強化が無ければ、百回死んでもまだ足りなかっただろう。
「かっ――はぁっ! はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
どうにか呼吸が回復し、うっすらと瞼を開くと、視野の中心に小さく輝くクロムグリーンの光が見えた。
目を細めて焦点を合わせると、上空のシグロスが両脚の裏をこちらへ向けて、爪先にフォトン・ブラッドの輝きを収束させ――まさか、あれは――〈ドリルブレイク〉……!?
あいつ、そこまで『お返し』をするつもりなのか――!?
ギュルン、と音が聞こえるような勢いで翠緑の〝触角〟が回転する螺旋衝角を形作った。
次いで、ボッ、とシグロスの背中から蝶のそれにも似た大きな翅が広がった。否、翅ではない。元々あった翅から、さらに加速用のフォトン・ブラッドを放出したのだ。
彗星のような止めの一撃が、僕めがけて飛来する。
「ぐっ……うううううううううううっ……!」
唸り声を上げ、僕は動かない体を必死に起き上がらせようとする。
――動け……動け! まだだ、まだ終わるわけにはいかないんだ……!
己の体を叱咤すると、ほんの少しだけ体の感覚が戻ってきた。指先が動き、手首が反応し、肘が持ち上がる。もう少しだ、もう少し――!
だけど、間に合いそうにない。
このままでは確実に、軌道上から逃げるより先にシグロスの〈ドリルブレイク〉もどきがこの身に突き刺さる。それがわかってしまう。その未来が予測できてしまう。
――くそ……何でこんなに鈍いんだ、この体は……!〈ラピッド〉でいくらでも速くなっているはずなのに……!
死を目前にしているせいか、戦っている最中よりも時間の流れが遅い気がする。削った丸太のように太く鋭い円錐が、じわじわと近付いてくる。視界のシグロスが段々と大きくなっていく。
高高度の重力を味方に付けた超加速の〈ドリルブレイク〉。その貫通力はもはや想像の埒外だ。〈プロテクション〉で防御の強化係数を最大にして、〈スキュータム〉をありったけ重ねたところで、防ぎきれるかどうか。
防げなければ、間違いなく僕の体は粉微塵に吹き飛ぶだろう。
否、だろうではない。もはや一セカドと少し後、そうなることが確定しているのだ。
――ちくしょう、ここまでなのか……!
意志に反してろくに動いてくれない体。逃げ場のない状態。迫る防ぎようのない止めの一撃。完全なる詰み。
あまりのどうしようも無さに、もう焦燥を通り越して心が折れてしまった。
絶望の真っ黒いスクリーンに、真っ先に浮かんだのは、銀髪と蒼金のヘテロクロミアを持つ少女の顔だった。
――ああ……ごめん……ごめんね、ハヌ……こんな所で終わっちゃって、本当にごめん……
次いで、アッシュグレイの髪と、琥珀の瞳を持つ少女。
――ロゼさん、無事に逃げられたかな……
最後に、憧れだった金髪の女性剣士と、その腹心の男性。
――ヴィリーさん、カレルさん……後はよろしくおねが
『ラグさん! 私に最大の防御と盾を!』
「ッ!?」
いきなり頭の中に響いた声に遺言めいた思考を遮られ、だけど僕の〝SEAL〟は反射的にその『指示』を忠実に実行していた。
スイッチで繋がっているロゼさんに支援術式〈プロテクション〉×10。
続けざま防御術式〈スキュータム〉×15を実行。
刹那、まるで瞬間移動でもしてきたかのように、僕の前に長いアッシュグレイの髪を翻す背中が立ちはだかった。
――ロゼさん……!? どうして……!?
その出現が、使役権を取り戻したハーキュリーズに自らを投擲させることによって為した高速移動だったと知るのは、後になってからのことだった。
「――!」
着地と同時に胸の前で蒼銀と紅銀の鎖を巻き付けた両腕を交差させ、その上に薄紫の術式シールドを纏うロゼさん。
次の瞬間、そこに高空から舞い降りたシグロスの〈ドリルブレイク〉が直撃する。
耳を劈く轟音が鳴り響き、広がる波動が大気をビリビリと震わせた。
「くぅっ……!」
膨大な衝撃を受け止めたロゼさんの両足が一気に地面にめり込む。それだけでシグロスの〈ドリルブレイク〉の威力が知れた。
豪風が吹き荒れる。
「UUUURRRRRRRRLLLOOOOOOOOWWWWWWW――! ロルトリンゼェェェェッ! いィィィィいところにきたなぁ! クハハハアハハハハハハはははHAHAHAHAHA――!!」
狂熱に満ちたシグロスの声が跳ねる。汚い哄笑が上がる。奴が何を楽しんで喜んでいるのか僕にはさっぱりわからない。わかりたくもない。
クロムグリーンの螺旋槍と、十五枚重ねの薄紫のシールドが激しく鬩ぎ合う。目を灼く火花が迸る。
肝が冷えるを通り越して凍りつきそうな擦過音が響く中、パキン、パキン、と妙に遅いペースで〈スキュータム〉の術式シールドが一枚、また一枚と砕け散っていく。
残り十三枚。
風圧で長い髪が逆立ち、露わになるロゼさんの背中に僕は目を奪われた。満身創痍じゃないか。戦闘ジャケットのあちこちが引きちぎれ、ズタボロになっている。スーツの下の地肌まで見えていた。よほど激しい戦いでもなければああはなるまい。ロゼさんの消耗は、見るからに明らかだった。
パキン、パキン、パキン、とさらに三枚のシールドが破壊された。残り十枚。
――駄目だ、これじゃ駄目だ! このままじゃ奴の攻撃は止められない。僕どころかロゼさんまで巻き添えで死んでしまう!
「――ロ、ゼ、さんっ……! 逃げ、て……っ!」
「できませんっ!」
どうにか絞り出した僕の言葉に、間髪入れず否定が叩き付けられた。
血を吐くようにロゼさんの背中が叫ぶ。
「――ここで逃げるぐらいなら、死んだ方がまだ【マシ】ですッ!」
「!」
怒りとか悲しみとか決意とか、様々なものが複雑に絡み合った、けれど剥き出しの声だった。そのあまりに強い感情の色に、僕はもう何も言うことが出来なくなる。
何故ならその想いはかつて、僕自身も抱いたことがあるものだったから。
あの時、ルナティック・バベル第二〇〇層のセキュリティルームにハヌを助けに飛び込んでいく瞬間、僕はまさしく今のロゼさんと同じ気持ちを抱いていたのだ。ハヌを助ける。ここであの子を見捨てるぐらいなら、死んだ方がまだマシだ――と。
その時のことを思い出してしまった僕に、ロゼさんの想いと行為を否定することは出来なかった。
なおも激しく鎬を削る〈ドリルブレイク〉もどきと〈スキュータム〉。パキン、パキン、とシールドが爆ぜ散っていく中、僕の頭の中に直接ロゼさんの声が響いた。
『何があろうと、絶対に仲間を見捨てないこと――それがクラスタのルールでしたね、ラグさん』
スイッチで結線している〝SEAL〟同士でしか交わせない、専用通信。これならば声を出さずとも、思念だけでも会話が可能だった。
『こんな私をクラスタメンバーに迎え入れてくださり、本当にありがとうございます。仲間として認めてもらえたこと、今まで言えませんでしたが、本当はとても嬉しかったです』
落ち着き払った、いつものロゼさんの口調。ひどく静謐で、さっき見せた感情の波なんて全くないかのようだった。
だからこそ、背筋に悪寒が走る。
『ですから――私も何があろうと、あなたを見捨てません。絶対に』
これは――遺言ではないのか?
おそらくロゼさんは死を覚悟している。その決死の意志をもって何かをするつもりなのだ。
だから、こんなにも静かなんじゃないのか。
だから、こんなにも暖かなんじゃないのか。
だから、こんなにも優しいんじゃないのか。
だから、
『短い間でしたが、あなたの仲間でいられて、本当によかった』
こんなにも儚いんじゃないのか――!?
「ロ……ゼ、さんっ……!? や、めっ……!」
体に力を込め、起き上がろうとする僕の目の前で、
「〈オーバードライブ〉」
いっそ囁くような声音で、ロゼさんが術式を起動させた。
マラカイトグリーンの〝SEAL〟が励起する。さらには、激しく輝く輝紋から光の粒子が猛然と立ち昇り始めた。全身から煙を噴くように、ロゼさんの〝SEAL〟がフォトン・ブラッドの煌めきを放出する。
その瞬間、残り五枚まで減じていた〈スキュータム〉に変化が起きた。薄紫のそれにマラカイトグリーンの光が干渉して、内側に『渦』を描く。
薄紫の六角形の中央に、孔雀石色の丸い渦のマークが刻まれた。
『残念ですが、私では父の遺骸と同化したシグロスを討つことが出来ません。ですから――お願いします、ラグさん』
同化した二色の光が共鳴するように輝きを強めていく。もはや唸りを上げるシグロスの〈ドリルブレイク〉に負けず、砕けることもなくなった。
だけどそれは――蝋燭が消える寸前に激しく燃え上がるような、そういう力ではないのか?
『シグロスを倒してください。――大丈夫、あなたならきっと――』
やめろ、やめてくれ――
「ロ――!」
ゼさん、と僕が叫ぶより早く。
カッ、と〈スキュータム〉から目を射る閃光が弾けた。
ほとんど同時だった。
すぐそばで落雷があったかのような轟音が耳を劈き、
「LLLUUUOO――――――――!?」
そこにシグロスの悲鳴のような声が混じり、
そして、
ロゼさんの全身から放出されていた輝きが、そのまま血飛沫となって飛び散るのは、
ほとんど同時だった。
シグロスの体が凄まじい勢いで弾き飛ばされる。まるで〈ドリルブレイク〉の威力全てを【跳ね返された】かのように。
加速した思考の中、〈ドリルブレイク〉に変形させていた〝触角〟が解け、体をひっくり返しながら吹っ飛んでいく姿は、やたらと滑稽に見えた。
美しく立ち昇っていたロゼさんの光の粒子が、そのまま血の雨となって僕の全身に降り注ぐ。マラカイトグリーンの一粒一粒が陽光を反射して、キラキラと輝いている。
『――勝てます。私は、あなたを信じていますから』
その言葉を最後に、血塗れになったロゼさんの膝が折れ、体が崩れ落ちていく。
こちらに振り向くこともなく、背中を見せたまま。
その光景を目に焼き付けながら、僕は思う。
――どうして、と。
どうしてこうなった。何故こうなった。
守りたかったのに。
僕が守るはずだったのに。
なのにどうして、僕が守られて、ロゼさんが傷付いているんだ。
それは、僕が弱かったから。
そう、僕がもっと早くシグロスを倒してさえいれば――
否、違う。
悪いのは、アイツだ。
視線を上げ、無様な体勢で上空に吹っ飛んでいく漆黒の竜人を睨め付ける。
アイツが、全部悪いんだ。
あいつが あいつさえ あの男さえ
いなければ
誰も ロゼさんも 僕も みんな
傷付かなくて
死ななくて
悲しまなくて
よかったのに
全部 あいつが 悪い
何もかも
全て
よくも
「がぁあぁあぁあああああああああああああああああああああッッッ!!!」
純白に染まった頭の中、肺腑を振り絞り、怒りのマグマを吐くがごとく雄叫びを上げた。
体がどれだけ悲鳴をあげようが聞く耳持たなかった。筋肉の内側にある何かしらの〝すじ〟がブチブチと千切れていく感覚は、もはや心地よくすらあった。
さっきまで動かなかったのが嘘みたいに跳ね起きる。足元に〈シリーウォーク〉。見えない階段を蹴っ飛ばして駆け上る。空へ昇っていくシグロスを追いかける。
支援術式〈ストレングス〉。
支援術式〈ラピッド〉。
支援術式〈プロテクション〉。
支援術式〈フォースブースト〉。
強化係数を最大の1024倍に。
激変する感覚を情報の一つとして丸呑みする。関係ない。どうだっていい。変化はただの変化。合わせればそれでいい。
いつかのように紫紺のフォトン・ブラッドが〝SEAL〟の輝紋から稲妻のごとく迸る。捻れた紫色が視界の中で火花のように飛び散る。
左の拳に〈エアリッパー〉×5。セキュリティは既に解除済みだ。
喰らえ。
殴るように左の拳を突き出し、拳骨の先に直径十メルトル以上のアイコンを連続展開。〈フォースブースト〉で強化されている力を全開で注ぎ込んだ。並のエクスプローラーの十倍以上の術力だ。五枚のアイコンは一ミリトルのズレもなく、皿のように綺麗に揃って重なっている。
風の刃――いや、もはや『大剣』と呼ぶべき切断の力が渦を巻く。五本の風の大剣が、列車のように連結して一気に発射された。
切っ先はシグロスへ。
狙うはこちらへ晒している背中。
突き刺さる。
直撃した風の大剣が五回連続、時間差で炸裂する。
大風刃が一つ爆ぜるたびにシグロスの吹っ飛びが加速する。衝撃で漆黒の甲殻に罅が走る。半透明の翅がズタズタに切り裂かれる。これでしばらくは空中での姿勢制御は出来まい。
シグロスとの彼我の距離は数百メルトル。この目には奴の姿は点のようにしか見えない。だが問題ない。
右手の指はとっくに〈如意伸刀〉のトリガーを引いている。銀の刃が空に向かって伸び上がり、陽を照り返して一条の光となる。
「〈ボルトステーク〉!」
その一言だけで一気に十五個のセキュリティを解除した。さらに、
「〈ボルトステーク〉ッ!」
計三十の雷撃術式を〈如意伸刀〉に流し込む。『点』で照準しなければならない〈フレイボム〉と違って〈ボルトステーク〉なら刀身に走らせるだけで事足りる。
爆ぜる雷光が刃と一体となって大気を灼き焦がし伸長していく。もはや刃そのものが雷。〈如意伸刀〉が雷神の剣と化す。
空の一点で足を止め、構え、剣術式を発動。
「〈ズィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ――!」
照準するは今や都庁よりも高い位置に浮かんでいるシグロス。跳ね返された己の力と風の大剣の威力に翻弄され、翅を失い前後不覚に陥っている、〈リインフォース〉の鎧を纏った漆黒の竜人。
全ての元凶。
全身全霊をかけて叫ぶ。
「――スラァァアアアアアアアアアアアアアアアアシュ〉ッッッ!!!」
稲妻が奔る。
雷鳴が吼える。
全力全開の『サンダースラッシュ』。
大空に、左から右への一文字。
次いで端で刃を返し、右上から左下への袈裟斬り。
この時、雷刃の走る軌道上にいたシグロスを斜めに切り裂いた。
稲光が炸裂し、爆音が轟く。
竜人の鎧と甲殻を抜けた刃はそのまま滑り、またも刃を返し、今度は左から右への真っ直ぐな横線を引く。
フロートライズの天空に、光り輝く巨大な『Z』の軌跡が刻まれた。
ここでトリガーを離し、〈如意伸刀〉の刃を縮小。
まだだ。まだ、最後の一撃が残っている。
右手を弓引くように大きく引き絞り、直突きの構えをとる。
「――うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
咆吼と共に再びトリガーをオン。突きを放つ。
閃光が煌めき、流星のごとく大気を貫いて翔る。〈ズィースラッシュ〉のピリオドを打つ刺突が、雷神の怒りよろしくシグロスを穿つ。
――はずだった。
「――!?」
手応えに違和感。見ると、神器による【変形】によって体の前後を入れ替えたシグロスが、両腕の〝触角〟を交差させ雷刃の切っ先を防いでいた。激しく散る稲光と火花の向こうで、傷の再生も始まっている。
「――――」
真っ先に、生き汚い奴だ、と思った。
今日、どれだけの人が死んだと思っている。
お前のせいで、どれほど多くの人が不本意な人生の幕引きを強制されたと思っている。
そのくせ、お前はそんなにも生にしがみつくというのか。
たくさんの人を傷つけて。
たくさんの涙を流させて。
たくさんの嘆きと苦しみを
こいつ、笑って――?
「――ッ!!!」
ふざけるな。
お前は死ね。
僕が殺す。
「〈ドリル――ッ!」
斜め上に向けていた〈如意伸刀〉の切っ先を、釣り竿を引き上げる要領で真上へと向けた。当然、刃の先端に引っかかっていたシグロスも直上――いつの間にか中天に座していた太陽を背にする位置へと移動する。
稲妻の剣を突き上げ、〈シリーウォーク〉の足場を蹴っ飛ばし、太陽に向かって加速。
「 ブ レ イ ク 〉 ゥ ゥ ゥ ゥ ッ ! ! 」
〈ズィースラッシュ〉の刺突に被さって〈ドリルブレイク〉が発動した。
たった一言だけで十五の剣術式のセキュリティを解除し、畳み掛けるように重ねていった。フォトン・ブラッドが収束し、ディープパープルの円錐が生まれた瞬間、それが完成するより早くまた次のドリルが発生する。巨大なドリルがミルフィーユのごとく積み重なっていく。膨張していく。
回転。加速して、加速して、加速。
〈如意伸刀〉の刀身の伸び、積み重なる〈ドリルブレイク〉の厚み。こちらが上昇し、奴もさらに上昇し、しかし相対距離はどんどん離れていく。
かつてハーキュリーズの装甲すら打ち破った十五重〈ドリルブレイク〉は伊達じゃない。
〈ボルトステーク〉の雷光を迸らせ高速回転するドリルは、まずシグロスの〝触角〟を濡れた紙のように破り、砕き散らせた。
「LLLRRR――!?」
驚愕、焦慮、拒絶を孕んだシグロスの声。そこに被さるように〈ドリルブレイク〉の先端が〈リインフォース〉によるクロムグリーンの追加装甲に触れる。
チ、という本当に短い擦過音の直後、バギン、とフォトン・ブラッドの強化装甲が割れた。
シグロス本体の甲殻に〈ドリルブレイク〉が食い込む。青白い雷電が竜人の全身を駆け巡る。
「――!? !?」
刹那、奴の恐怖が刀身を通して伝わった。確かに感じた。
バキバキバキメキメキメキと音を立てて奴の甲殻が砕けていく。巨大な〈ドリルブレイク〉に粉砕されていく。
ここは空中。奴の背中の翅は使えない。重力は真下へ。けれどそちらにはディープパープルの回転衝角がある。
逃げ場は無い。
鉄壁の甲殻を貫かれ、高速で回転する力が内部に隠していた【肉】をズタズタにしていく。
「ガががGAGAGAガガガあああががGAGAGAアアアあああああああああAAAAAAAAAA――!?」
虫の口から迸る絶叫。ガクガクと奴の体が震えるが、どこにも逃げられない。シグロスはこのまま皮膚を、筋肉を、骨を、内臓を、どこまでも抉られ続けるしかない。
「ああああああああああああアアアアアアアアアアアアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――!!!!」
手応えを感じる。奴の体内にある無数のコンポーネント。それが次々と消えていく。何度死んでもおかしくない状況で、奴がなおも断末魔の声を上げ続けられているのは体内のコンポーネントを身代わりに使っているからだ。
ざまあみろ。このままその全てを削り取ってやる――!
「――――――――――――――ッッ!?」
もはや悲鳴も上げられなくなったシグロスの命を奪い続けること数セカド。
ついに、奴の全身がクロムグリーンの強い光を放ったかと思うと、瞬間、いくつもの閃光が弾けた。
花火のごとく飛び散ったのは、様々な色のコンポーネントの欠片。奴が体内に〝融合〟させていたそれらが、残滓となって飛び散ったのだ。
次いで、爆音。大きな手応えが〈如意伸刀〉に伝わったかと思うと、シグロスの体が〈ドリルブレイク〉の先端から弾け飛んでいた。
だが、様子が変わっている。視界の中、力ない姿勢でひっくり返っているのはオリーブグリーンの軍服を着た痩身の男。それと――すぐ傍に、小さくて何かよく分からないけど黒曜石のような、煌めく丸い石。
シグロスの人間体は大きく吹っ飛び、そのまま重力に絡め取られて下へ落ちていく。しかし一方の黒い石は、何故かこちらめがけて飛んできた。シグロスの最後の悪あがきかと思ったが、石は僕の〝SEAL〟に触れた瞬間、そのまま吸収されて消えた。
――今のは、コンポーネント……?
そんな疑問を抱いた瞬間、耳の奥で、バヅンッ! と音が鳴り響き、目の前がめちゃくちゃになった。
「――!?」
ABS。ちょっとした気の緩みがその発動を許してしまった。
身体強化の支援術式だけではなく、〈ボルトステーク〉も〈ズィースラッシュ〉も〈ドリルブレイク〉もまとめて強制キャンセルされた。
術式制御もくそもない無理矢理な中断だったせいか、攻撃術式のフィードバックが武器にまで及んだ。
何百メルトルも伸びていた〈如意伸刀〉の刀身がいきなり砕け散った。流体金属が粉々に爆ぜて、ギンヌンガガップ・プロトコルによってデータ化していく。右手に握った大柄が、グルルル、と犬のように唸った。かと思ったら、ガギン、という嫌な感じの振動が手に伝わった。
不意に、高空に吹き荒ぶ風を感じた。そうか、ここは空だ。強い風が吹いていることに、今の今まで気付かなかった。〈プロテクション〉の効果が切れてしまったことを、直に肌で感じた。
僕もまた、重力に引かれて落ちる。
■
ABSによる〝SEAL〟の混乱は、地表に着くまではどうにかなかった。
浮揚術式〈レビテーション〉を使い、またも地面に激突することは何とか避けた。
ゆるやかに素足とコンバットブーツの底で、瓦礫だらけの場所に降り立つと、急に目眩がきた。
「くっ……」
その場に膝を突き、左手で額を抑える。
フォトン・ブラッドが枯渇寸前なのだ。さっきの〈エアリッパー〉と〈ボルトステーク〉に全力を注ぎ込んだせいだろう。今の僕は、ギリギリの崖っぷちに立っているようなものだった。
勿論それだけではなく、肉体的なダメージも深刻だった。一歩でも動いたら、それだけで気を失ってしまいそうだった。
――でも、ロゼさんに〈ヒール〉だけでも……!
スイッチのリンクからバイタルを確認すると、まだ彼女の息があることがわかる。〝SEAL〟そのものが破損していたように見えたから、回復術式の効果があるかどうかはわからないけれど――やらないよりマシなはずだ。
ロゼさんに〈ヒール〉の術式を送りながら、首を巡らしてシグロスの姿を求める。奴もこの近くに落ちているはずだ。あの高さから、人間に戻った状態で落ちたのだ。生きているはずはないが――それでも、その亡骸を見るまでは安心出来なかった。
そこでふと、その事実に思い当たる。
――そうか、僕……アイツを【殺して】しまったのか……
SBやGKという疑似生命体を殺したことは何度もあるけど、生きている人間を手にかけたのはこれが初めてだ。
とはいえ、人が死ぬところはこれまで何度も見ている。最近では、ダイン率いるクラスタ『スーパーノヴァ』が虐殺される現場。
今日だって、たくさんの死体の山を見た。
思ったほど大したことないな、と思っている自分がどこかにいる。まだ実感が湧かないだけなのか、それとも、シグロスの見た目がSBと変わりない化け物の姿をしていたからなのか。
「……?」
そんなことを朧気に考えながら辺りを見回していると、ふと変な音に気付いた。
地鳴り? いや、微妙に違う。そも、浮遊島フロートライズに地震はないはずだ。けれど、地面から伝わる、大質量のものが移動しているような気配。
音はどんどん近付いてくる。そう、【こちらへ何かが近寄ってきている】のだ。
「――――」
正体不明の音には嫌な予感しかしない。けれど、適切な対応方法もわからない。故に僕には『待つ』という選択肢しかなかった。
警戒状態で待機すること数セカド。
次の瞬間、僕から見て左側、十メルトルほど離れた場所にあった瓦礫の山が突然、間欠泉のごとく噴き上がった。
「――!?」
『UUUUUURRRRRRRRRRRLLLLLLLLLLLOOOOOOOOOWWWWWWWWWW――!!』
甲高い電子音のような咆吼と共に、瓦礫の中から――いや、違う。
【瓦礫の山そのものが怪物に変異した】のだ。
「なっ……!?」
全体的な形状は蛇に見えた。ただ頭部の辺りはやや膨らんでおり、人間の上半身を模している。腹から下が長く伸びていて、かつて戦ったGKの海竜を彷彿とさせた。
『まァァだだァァァッ! まだ終わりじャねェぞォヘボウルフゥゥゥゥゥッ!!』
シグロスだった。どう見ても普通ではない姿。無数の瓦礫がそれぞれの断面を溶け合わせて、歪にくっつき合っている。これも――〝融合〟の神器の力だというのか。
『よくもォォォ! よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもォォォォォやってくれたなァァァァァ! このゴミ勇者がァァァァァッ!』
瓦礫の蛇の先頭にある巨人の上半身の大きさは、ハーキュリーズより少し小さいほど。瓦礫が寄り集まって出来たにも関わらず、どことなくシグロスのそれとわかるほど面貌を再現している。
『クヒ、クハ、クハハハ、アハハハハ、ナハハハハッ! もうまどろッこしいお遊びはやめだァッ!』
背筋がゾッとした。
どこまでも生き汚い。こんな醜悪な姿になってまだ戦おうっていうのか。
『お前を喰ッて! あッちで死にかけのロルトリンゼも喰ッて! さッきの龍の奴も喰ッて! どいつもこいつも! どいつもこいつも食い散らかしてやる! この世は俺の遊び場! テメェら全員ッッ!! 俺の喰いものだァァァァァァッ!』
狂ったように訳の分からないことを喚くシグロスの周辺で、またしても瓦礫の山が盛り上がり、奴の体へと吸収された。さらに体の質量を増やし、縦にも横にも増量していく。
馬鹿げている。これが本当に神器の力だっていうのか。こんなもの――ゲートキーパー以上の怪物じゃないか!
もはや瓦礫の竜とでも呼ぶべき姿に変貌したシグロスが、その巨体を唸らせ僕に襲いかかる。
怒濤のごとき圧迫感。瓦礫竜の全身が僕を押し潰さんと迫る。
――逃げられない……!?
考えるまでもなかった。奴の体は今や縦五メルトル、横幅八メルトル以上ある。支援術式の援護のない僕はただの弱小エクスプローラーだ。あちこちが痛んでいるこの状態では、とても逃げ切れない。かといって、今から支援術式を重ね掛けするにはフォトン・ブラッドの残量が全然足りなかった。
――どうする!? 何か、何か打つ手は……!?
無かった。どう考えても無理だった。
このまま押し潰され、瓦礫の波濤に呑み込まれる。そんな未来しか見えなかった。
今度は内心で遺言をしたためる暇もなかった。
巨大な瓦礫の壁があっという間に近付き、
「ラトぉ――――――――――――――――――――ッ!」
後方から飛んできた声に、弾かれたように振り返った。
振り向くより先に、声の主が誰かなんてわかっていた。
ハヌ。
僕を『ラト』と呼ぶのは世界にただ一人、あの子だけなのだから。
「ハヌ――!?」
向けた視線の行き先は、背後の上空。いつの間にあんなものを使えるようになったのか――正天霊符の十二支モード『酉』に乗って、ハヌが空からこちらへ飛び込んでくるところだった。
反応する暇があればこそ、彼女を乗せたスミレ色の鳳は僕の頭上を颯爽と飛び越え、旋風を巻きながらシグロスとの間に割り込んだ。
――え!? あれ!? その鳳で僕を救い出しにきてくれたんじゃ……!?
愕然とする。ハヌの行動が理解できなかった。
シグロスがこちらを呑み込み、押し潰すまで後一セカドもない。
――まさか、僕の身代わりに……!?
さっきのロゼさんの後姿がフラッシュバックする。
――そんな、嘘だ……! やめてよ……!
あまりの恐怖に吐き気がした。あんな思いをするなんて二度とごめんだった。
鳳が中空で急停止し、ハヌが僕に背中を向けている。彼女は正天霊符のリモコンを持ったまま両手をシグロスへ突き出し、構えた。飛行制御の反動で綺麗な銀髪がふわりと舞う。
――術式を使うつもりなのか……? ダメだ、間に合うわけがない! ハヌの術式には詠唱が不可欠だ。かといって今の僕に彼女を守る力はない。このままじゃ二人まとめてやられてしまう――!
「待っ」
てハヌだけでも逃げて、と言い切るよりも早く、僕らの上に巨きな影が覆いかぶさり、瓦礫の擦れ合う大音響が周囲を取り囲んだ。
咄嗟にハヌの背中に手を伸ばそうとして、けれどピクリともしなかった。肉体の限界などとっくに超えていて、むしろぶっ倒れていない方がおかしい状態だったのだ。
――ちくしょう、もうダメだ……!
ハヌが瓦礫に蹂躙される光景なんて見たくない。ほとんど反射的に目を瞑った瞬間、術式の起動音声が僕の耳朶を震わせた。
「〈エアリッパー〉!」
「――っ!?」
度肝を抜かれて目を開いた。
風で激しく躍る銀髪の向こうで、眩いスミレ色のアイコンが瞬く間に巨大化していく。
練習だったあの時とは違い、おそらく今は全力全開。
ハヌの汎用攻撃術式〈エアリッパー〉。
アイコンの縁は一気に遠ざかっていき、一体どこまで広がったのか。距離感がまったく仕事をしてくれない。少なくとも上部は空のかなたへと消えていた。
そして放たれる風の力。
風神が猛り狂っているかのごとき風音が耳を劈く。
少し斜めに傾いだ大きすぎる丸いアイコンから、まるで天龍そのものが飛び出してきたかのようだった。
漏斗のごとく徐々に太さを増す極太の竜巻が横向きに発生し、ほんの一息で山のごとく膨れ上がった。大量の瓦礫を巻き込み、天に昇っていく。天龍が身を仰け反らせ、空の彼方へと飛翔していく。
シグロスの瓦礫竜などひとたまりもなかった。悲鳴すら聞こえなかった。
瓦礫の山は粉々に砕け、あっという間に竜巻に呑まれた。
巻き込まれ、ぶつかり合い、さらに砕け、塵芥と化し、天空へと連れ去られていく。
後にはもう何も残らなかった。
台風一過ならぬ、竜巻一過とでも言うべきか。
最後に一陣の風が蒼穹の深淵へ消え去った後、鳳に乗ったハヌがくるっと振り返り、蒼と金のヘテロクロミアで僕を見た。
「……なんじゃラト、その顔は」
ぷっ、といきなり吹き出した。僕はよほど呆けた顔をしていたらしい。
鳳が、すぃーっ、と宙を滑り、僕のすぐ近くまで近付いてきた。そこでハヌは鳳の背から飛び降り、瓦礫の上に危なっかしく着地する。ぽっくり下駄が、カラン、と音を立てた。
片膝を突いてしゃがんでいた僕と、ハヌの目線の高さが、これでちょうど同じぐらいになる。
ハヌは正天霊符のリモコンを帯に差すと、くふ、と猫みたいな口で笑って、両手で僕の頬を挟み込んだ。
「言うたであろう? おぬしと妾が揃えば、敵うものなどどこにもおらぬ。妾とラトは最高のコンビじゃ――と。それが実現しただけの事じゃ。何を驚くことがある?」
「……あ、あは、あははは……」
簡単に言ってくれるハヌに、僕はもう苦笑するしかない。
ハヌは、ふふん、とドヤ顔をして、
「どうじゃラト。妾とて、そういつもいつも守られてばかりではないぞ? このように……およ?」
ふらっ、とハヌが足元からふらつき、ぽふ、と僕の左肩に額をぶつけた。
瞬間、死ぬほど焦った。
「――ハ、ハヌっ!? ど、どうしたの!? 大丈夫!?」
思わず大声を上げる。本当は抱き止めてあげたかったけど、体が全然動かなかった。
――やっぱり、ハヌが汎用術式を使うのは体にあってないんだ……!
「――だいじょうぶ、だいじょうぶじゃ。すこしやすめば、すぐなおるからの……」
嘘だ。僕の肩に顔を埋めて表情は見えないけれど、はぁ……はぁ……と肩で大きく呼吸している。辛いに違いなかった。
「……それよりもラトよ。詳しいことは後で聞くが、おぬし、此度もよく頑張ったようじゃの……? 流石は妾の親友じゃ……えらいのう……」
くふ、と笑い、そのままの体勢で腕を上げ、ハヌは僕の頭をなでなでしてくれた。
「ハヌ……!」
思わず、じーん、としてしまう。ハヌを心配する一方で、褒められたことで自分の行動が報われたような気がして、一気に涙腺が緩んでしまった。
「うん……僕、我ながら頑張った方だと思う……ありがとうね、ハヌ……」
たまらずグスグスと涙ぐんでしまい、情けない声で礼を言う。
すると、
「……こりゃ」
「ふへっ?」
僕の頭を撫でていた手が降りてきて、今度はほっぺたを軽く摘まんだ。と言っても、あんまり力が入っていないせいか全然痛くない。
「……のう、ラトよ……自分で言うのも何じゃが……わ、妾も、それなりに力を尽くしておってな……? ほれ、言うたであろう……? ラトと妾は、唯一無二の親友じゃと……そ、そのじゃな、つまり……妾とおぬしは、対等なわけじゃ。じゃ、じゃからの……つまりの……」
僕のほっぺたを弄ぶように【むにむに】しながら、ハヌは何か言い難そうにもじもじとする。やがて、僕の肩に額を押し付けながらも首の角度を変え、蒼い片目で僕を見上げ、
小さな声で、そっと囁いた。
「……ラトも妾のこと、褒めてたもれ……?」
「――!」
場違いなことに、瓦礫の山だらけの場所で、僕は不覚にもドキッとしてしまった。
まさかこんな場所で、こんな風に甘えられるとは、思ってもみなかったのだ。
「あ……え、えと……ご、ごめん、いま体が動かなくて……で、でも……うん……ハヌも、すごく頑張ったよね……あ、天龍の術式、すごかったよ……? うん、すごかった……え、えーと……流石は僕の親友だね……? すごく、かっこよかったよ……?」
僕のたどたどしい、言葉を選びながらの褒め言葉に、
「……んむ。重畳じゃぁ……」
満足げな声をこぼし、再び僕の左肩に顔を埋めるハヌ。心なしか、触れている箇所がほんのり温かくなったような気がする。
そんなハヌが何だか微笑ましくて、ついそれを実行しそうになった時だった。
「お楽しみのところ大変申し訳ないのですが……」
「うっっっわあっ!?」
「ん?」
ビックーン! と背後からかかった声に跳び上がるほど吃驚した。と言っても、体は動きたくとも動かないのだけど。
首の動きだけで振り返ると、そこには、どこかで拾ってきた鉄棒を杖代わりにして立つロゼさんがいた。
「ロ、ロゼさん……!? だ、大丈夫なんですか!?」
全身、マラカイトグリーンの血で塗れているロゼさんは、しかし琥珀の双眸に強い光を宿していた。出血はもう止まっているようだし、見た目ほどにはダメージがないのかもしれない。
ロゼさんは何ともないような顔で頷く。
「はい。おかげさまで、何とか大丈夫です。それより……」
僕とハヌが揃って視線を向けると、ロゼさんは質問に答えながら、片手の人差し指で、ぴっ、と上空を指差した。
――上?
頭上に何があるというのか。僕はハヌと一緒にロゼさんが示す方向へ顔を向けた。
結論から言うと、僕達は何も見つけることが出来なかった。
というのも、首を上げた瞬間、少し離れた場所にロゼさんが指差した【それ】が落下してきたからである。
相当な高さから落ちてきたのだろう。積もった瓦礫の中に落下した【それ】は、瓦礫がぶつかり合う硬質的な音と、地面にめり込む低い震動を生んだ。ぶわ、と土煙が舞い上がる。
「……落ちてきます――いえ、きました」
やや手遅れ感を漂わせながら、ロゼさんが訂正付きの事後報告をしてくれた。
もうもうと広がる煙が晴れたそこにあったのは、【奇妙な塊】と言う他ない代物だった。
「……喰ってやる……俺が……お前を……私が……僕が……あなたを……喰って……あの子を……あいつが……君が……自分を……食べて……吸収して……もっと……もっと……」
譫言のように気味の悪いことをブツブツ呟く【それ】は。
まるで互いに溶け合ったかのように、体の至る所が瓦礫と一体化――〝融合〟している人間体のシグロスだった。
そんな姿になっても、そいつはまだ、生きていた。




