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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第二章 格闘技が得意という歪なハンドラーですが、どうかあなた達の仲間に入れて下さい

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●21 NO PLACE LIKE A STAGE 3




 伸ばした手は彼の背中に届かず、虚空を掻いた。


 そして疾風のように少年は――ラグは行ってしまった。


 ロゼを置いて、空のシグロスと戦うために。


 逃げてください――そう言い残して。


 彼女にしてみれば、それは無謀以外の何物でもなかった。


 彼の実力は知っている。勇者ベオウルフという英名を冠せられる元になった戦いなら、映像で何度も見た。相手がシグロスだけなら、確かにラグ一人でもどうにかなるかもしれない。


 しかし、今のシグロスにはハーキュリーズがいる。


 己の過ちにより、ロゼが使役していたハーキュリーズのルート権限はシグロスに奪われてしまったのだ。


 慙愧の念に堪えきれなくなったロゼは、無意識に己が胸に手を当てる。そこは、シグロスの五指が刺さった箇所だった。だが、手触りに違和感を覚え、気付く。


 傷が無い。


「……?」


 そうと気付けば、視界の端に見慣れないARアイコンが表示されている。プロパティを調べると、どうやら支援術式が〝SEAL〟に作用している際にポップするものだとわかった。現在、ロゼの〝SEAL〟にかかっている支援術式は〈プロテクション〉。しかも十回分だ。一〇二四倍という、なかなかお目にかかれない強化係数が読み取れる。つまり今、ロゼの肉体はどんな鎧よりも強固な加護に守られているのだ。


 これがスイッチでコンビになっているラグからの支援であることは、考えるまでもなく明白だった。ではしかし、それならば何故、シグロスの指はこの胸に突き刺さったのか。


 いや、違う。あれは刺さっていたのでは無く、【融合】していたのだ。そうと考えれば、〝SEAL〟から術式を複写されたのにも納得がいく。ロゼの〝SEAL〟と自身のそれを物理的に接続し、強制的にデータを読み込んだのだ。


「――!?」


 突如、空で大量の水が一気に蒸発するような、激しい金属音が連続で鳴り響いた。


 戦いの音――高速で打ち合わされる剣戟の声だ。


 弾かれたように顔を上げれば、しかし建物の陰に区切られた空の範囲にラグとシグロス、二人の姿は見えない。音は聞こえど、姿は見えないほどの距離まで離れてしまったらしい。


 その一方、近場から崩落の音がする。早くも耳に慣れた雄叫びも。


『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』


 路地裏からでも、ハーキュリーズが六本の武器を振り回して周囲の建物を破壊している姿はよく見えた。


 ここでロゼは疑問を抱く。何故、ハーキュリーズは空の戦いに無関係な行動をしているのか。確かにあのゲートキーパーに飛行能力は無いが、それが故の〈インバルナラブル・キラー〉だ。あの黄金と白銀のロングボウを以てすれば、シグロス自身を囮としてラグを撃たせることが出来るはず。


 なのに、シグロスはそうはせず、ハーキュリーズをほとんど暴走状態にさせたまま、離れた場所でラグとの戦闘を行っている。確かに彼の性格ならば、勇者ベオウルフとまで呼ばれる少年の力に興味を持ち、その戦いに興じることも十分に考えられるが――


 どうにも腑に落ちなかった。


 今のシグロスが新しく手に入れた〝玩具〟を、ろくに遊びもせず放置するだろうか?


 ――もしや、【放置せざるを得ない】のではないか?


 ふとその可能性に気が付いた。


 短時間とはいえハーキュリーズを使役していたロゼにはわかる。あのゲートキーパーを完全な制御下に置くことがどれほど困難か。セミオートであってもフィードバックで届く情報量が生半可では無かった。シグロスがそれを嫌い、今はラグとの戦いに集中するために敢えてハーキュリーズの手綱を放しているのだとしたら。


 手の掛かるじゃじゃ馬の調教は後に回し、ハーキュリーズを用いての挟撃を考えていないのだとしたら。


「――――」


 逃げてください、と彼は言った。


 自分がここでシグロスとハーキュリーズの足止めをします、とも。


 そんな言葉が嘘なことぐらい、流石のロゼにもわかっている。


 援軍を要請したと彼は言ったが、そんなものが本当に来るかどうかは眉唾だ。街がこんな状況だというのに、そんな余力があるものだろうか。それに中途半端な助っ人が来たところで、シグロスとハーキュリーズ相手に歯が立つとは到底思えない。


 とはいえ、あのハーキュリーズを単身で打ち破ったラグだ。自分が何もしなくとも――そう、もし実際にここから逃げ出したとしても――彼は一人でシグロスを倒し、返す刀でハーキュリーズも活動停止シャットダウンさせ、生還するかもしれない。


 だが。


 だがもし、敗北を予感したシグロスが、放置していたハーキュリーズを加勢させたとしたら――


 もし、空で戦うことを止め、地上へ戦場を移したとしたら――


 自分を仲間と呼んでくれた、そして助けてくれたあの優しい少年は、圧倒的な怪物を二体同時に相手しなければならなくなる。その先に待つ末路など、考えるまでもない。


 不意にロゼの脳裏に、ラグの笑顔が思い浮かんだ。


 ロゼの下から離れていく直前に、彼が見せた笑顔。ひどく透明で、まるで怖いものなど無いかのようだった。


 自分は三ミニトの間だけなら世界最強の剣士だ――そう嘯いて、彼は戦いに赴いていった。


 そんなはずはないのに。あんなにも震えていたのに。


 それでも臆病な心を押し殺して、彼は行ったのだ。


 離れる寸前まで握ってくれていた手に、未だ彼の掌の感触が残っている。自分を元気づけるように優しく、しかし力強く、握り締めてくれた。


 ――そんな彼を見捨てて、どうして自分一人だけが逃げられようか。


「――……!」


 ロゼの琥珀色の瞳に、徐々に意志の光が蘇る。


 そもそも、この戦いはロゼ自身のものだったはずだ。父の幻影に惑わされ、弓引くことが出来なかった――それ故に敗北を喫し、術式とハーキュリーズを奪われた。


 責任は、自分にこそある。


 だというのに、ここでおめおめと尻尾を巻いて逃げるなど、出来るわけが無い。


 何より――彼はこう言っていたではないか。


『何があろうと、絶対に仲間を見捨てないこと』


 それがクラスタのルールであると。


 そして、ロゼがそのクラスタの一員であるのならば――


 ロゼもまた、決して仲間を見捨てるわけにはいかないのだ。


「……レージングル、ドローミ」


 ハーキュリーズの制御に集中するため、一時的にバトルドレスの背に収納していた二色の鎖を、ロゼは再び出現させる。シャラシャラと澄んだ音を鳴らし、蒼銀と紅銀の鎖が蛇のごとく円を描いて地面を這う。


 続けて、ロゼは切り札であるDIFAを具現化した。


「――グレイプニル」


 六つある背中の穴、二番と五番から飛び出した不可視の紐に、すぐさまレージングルとドローミが絡みついた。蒼と紅の鎖が二重螺旋を描き、『力の塊』であるグレイプニルの輪郭を浮かび上がらせる。


 かつて、世界を呑み込むほど凶暴な狼を捕縛したという魔法の紐――それがDIFA(ダイナミック・イメージ・フィードバック・アームズ)グレイプニルの由来である。どんなに強く暴れようとも、物質では無く自由に伸び縮みする『束縛の力場』であれば、決して引き千切られることはない。究極の拘束具、それがグレイプニルだった。


「――……っ」


 大きく息を吸って、覚悟を決める。


 これから自分がしようとしていることは、あるいはラグよりも無謀な行為かもしれない。


 頭のどこかにいる冷静な自分が、耳元でこう囁く。――やめておけ。正気か? いくらまだ神器が手元に残っているとはいえ、限界はあるんだぞ。ここで犬死にすれば、かえって彼の厚意を無駄にすることになるのではないのか?


 そんな理性の声を、しかしロゼは全て圧殺した。


 死などとうに覚悟している。忌避するべきは己の死より、ラグの死だ。彼が自分のわがままの為に犠牲になるなど、間違っている。本来なら、二人揃ったときに力を合わせていれば、今頃はシグロスを打倒できていたかもしれないのだ。そうせず、一人で戦いに臨んだのはロゼの我執が原因だ。


 故に、無謀だろうが何だろうが関係ない。ロゼには、命を掛ける義務があるのだ。


「――!」


 意を決し、大地を蹴る。コンバットブーツの底が砂利を噛み、ロゼは一気に暗い路地から飛び出した。


 広い場所へと身を移し、陽光を浴びる。全身に戦意を漲らせ、腹の底から声を上げた。


「――ハーキュリーズ!」


 街を破壊する巨人の背中へ、勢いよく気炎を叩き付ける。


「あなたの相手は私です!」


 ピタリ、と優先度の高い敵性対象を認識したゲートキーパーが動きを止め、ぐるりと振り返った。


『ォオオオオオオオオォォォォ……!』


 既に具現化し続けるためのエネルギー供給源もシグロスへと変更されている。その為、ハーキュリーズの双眸と、全身を包む〈リインフォース〉の鎧から放たれている光もまた、シグロスのフォトン・ブラッドの色――クロムグリーンに変化していた。


 ロゼにとっては忌々しいことこの上ない色のアイレンズが、索敵サーチングによってこちらの姿を認識する。瓦礫の山を背景に、ハーキュリーズが戦闘態勢に入る。


 言っても詮無きことは百も承知だが、それでも自己を鼓舞する為、ロゼはハーキュリーズに向かってこう告げた。


「――あなたは私がラグさんから託された、大事な預かり物です」


 柳眉を逆立て、まなじりを決し、強く強く睨み付ける。今のロゼに表情を隠す仮面は必要ない。必要なのは、混じりっ気なしの苛烈な戦意だけだ。


「あなたを奪われたのは私の過失ですが、それ故に、私はあなたを止めねばなりません。――ええ、そうです。何があろうと、ラグさんの邪魔だけは絶対にさせません……!」


 構える。四肢に力を篭め、背中の六本のDIFAに意志を通す。昂ぶる戦意に呼応したレージングルとドローミが、鈴の音にも似た響きを立てた。


 シグロスを相手にした時は父の姿に惑わされ、戦う意志が鈍った。その為に不覚を取ったが、ゲートキーパーが相手ならばその心配は無い。油断も無い。


 勿論、自分一人だけで活動停止させられるなんて思ってなどいない。だが少なくとも、足止めをすることは出来るはずだ。ラグがシグロスとの決着をつけるまで、このゲートキーパーを加勢に向かわせないこと。それが今のロゼに出来る精一杯であり――使命だった。


『――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』


 ハーキュリーズの雄叫び。大気がビリビリと震動し、豪風のごとき気配が全方位を圧迫する。


 爆発にも似た音と共に、いきなり巨人が駆け出した。地面をどよもしロゼへと迫る。


 ハーキュリーズの足はその剣閃ほど速くはないが、それでもその巨体ゆえの歩幅によって、瞬く間に相対距離が縮まっていく。


 まずロゼが採った戦術は、ハーキュリーズの動きを鈍らせることだった。両掌の先に一メルトル程のマラカイトグリーンのアイコンが生じ、弾ける。


「〈グラビトンフィールド〉!」


 術式が発動し、ロゼを中心とした半径三メルトルが薄墨色のドームに覆われた。ドーム内は術者以外の存在に三倍の重力がかかる特殊フィールドだ。流石に全長六メルトルに達するハーキュリーズの全身は無理だが、腰あたりまでなら巻き込むことが出来る。


『ウォオオ――!?』


 走る爪先が〈グラビトンフィールド〉圏内へ入った途端、動く壁のごとく迫り来ていた巨人の動きが目に見えて鈍った。身体の一部分だけに超重力が掛かったのだ。全身にかかるよりむしろ、バランスは崩れやすい。


 ハーキュリーズの上半身が大きく泳ぐ。奴の内蔵バランサーが姿勢制御処理を開始するタイミングを見計らい、ロゼは動いた。


「せぁあっ!」


 裂帛の気合を受け、背中のグレイプニルが二匹の大蛇のごとくのたうち暴れる。丸太ほどもある不可視の紐が生物そのものの動きでうねり跳ね、二色の鎖を纏わりつかせたまま猛然と上方へ伸び上がった。


 目に見えない力場が空気を裂き、笛のごとき音を奏でる。理論上は無限に伸びるグレイプニルはその身を一気に伸長させ、天球儀にも似た軌跡を描き、瞬く間にハーキュリーズの周囲を幾重にも取り囲んだ。


「――はぁっ!」


 次の瞬間、一斉に締め付ける。


『――ォオオオオオオオオオッ!?』


 縦、横、斜め。あらゆる角度から突然の緊縛を受けたハーキュリーズは、不可視の縛鎖ゆえ、六本の腕を不自然な形で畳むという滑稽な姿を見せた。ギチギチと機械の体を軋ませるほどの剛力が、巨人の全身を圧迫する。


 グレイプニルは持ち主であるロゼでさえ完全には制御しきれない暴れ馬だ。その膂力は絶大だが、レージングルとドローミで抑えなければすぐに暴走してしまう。だがそれだけに、一度対象を捕らえたグレイプニルは絶対にそれを逃さない。もはやハーキュリーズは袋の鼠も同然だった。


「〈裂砕牙〉」


 ロゼは格闘術式を発動。両手両脚に牙状に形成されたフォトン・ブラッドの武装が出現する。竜人と化したシグロスの武装もこれに似ているが、実際には逆だ。元々〈裂砕牙〉や〈烈迅爪〉の方こそが、ドラゴンやその他のSBの力を参考に開発された術式なのだ。


 ロゼはその場で跳躍し、雁字搦めになったハーキュリーズへまずは装甲の硬さを確認するための一撃を加えようと、


「――ッ!?」


 体の動きにひどい違和感。思った通りに体が動かせず、その場でつんのめってしまう。


 ――身体が、重い……いや、硬い……!?


 何とも言い難い奇妙な感覚。全身が重いのではなく、身体の芯――そう、骨が鉛にでもなったような感触。まるで関節が硬いゴムになったかのごとく、想定した通りに動かない。確かに先程から微妙な違和感を覚えてはいたが、それが戦闘機動に入った途端、あからさまにひどくなった。


『――ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』


「ッ!?」


 感覚の異変に戸惑う、その空白が隙になった。


 拘束を外せないと即断したハーキュリーズは、その場でぐるぐると横回転を始めた。いくらグレイプニルが強力な力で締め付けようとも、そもロゼと巨人とでは体重差が違いすぎる。咄嗟にグレイプニルの長さを伸ばしてもみたが、ハーキュリーズの回転速度の方が僅かに上回った。


 背中から引っ張られ、どうしようもなくロゼの身体が宙に浮く。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』


 巨体が独楽のごとく旋転し、合わせてロゼの体も玩具か何かのように振り回された。


「くっ……!」


 高速回転によって全身に凄まじいGがかかる。ジェットコースターよりなお酷い。竜巻に巻き込まれたかのようだ。かと言ってハーキュリーズを縛るグレイプニルを解くわけにはいかず、ロゼはどうにか縋りついたまま機会を窺おうと、


 目の前に壁。


「――!!」


 激突。


 とんでもない勢いのまま、ロゼの体は近場にあったまだ崩落していない建物へと突っ込んだ。


 轟音と衝撃。砲弾のごとき勢いで叩きつけられたロゼの体はそのまま何枚もの壁をぶち破りながら突き進み噴煙を撒き散らしつつ建物を貫通した。


『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォッッ!!』


 それでもハーキュリーズは止まらない。この戒めが解けるまで回り続けてやる――そう言うかのごとく、再度ロゼの身体は別の建造物へ叩きつけられ、衝撃と共に視界が粉塵にまみれた。


 モーニングスターをぶん回すかのように、鉄球に見立てられたロゼの体が辺りの建物を次々に解体していく。


「――~ッ!!」


 滅茶苦茶に振り回されながら、しかし、驚くほど身体にダメージが無いことにロゼは気付く。


 ――これは……!?


 間違いなく〈プロテクション〉の恩恵だ。同時に、体の不調の原因もそこにあると察する。そういえば、身体強化の支援術式には何がしかの副作用があるため、効果は絶大でありながら忌避されていると聞いたことがある。この体の動きにくさこそが、おそらくは〈プロテクション〉の弊害なのだろう。


 確か、支援術式はかけられている側からでも解除コマンドをキックすることが出来るはずだ。なら、その気になれば防御力強化の効果と共に、この動きにくさを捨てることは可能だろう。しかし――


 そこまで思考を巡らせた瞬間、天啓にも似た閃きがロゼの脳裏を過ぎった。


 ――そうだ。自分は今、ラグとスイッチでリンクしている。つまり、いつでも彼から支援術式による補助を受けることが出来る状態なのだ。


 ならば。


「――!」


 現状の利点に気付いたロゼの判断は早かった。エクスプローラーとして決して浅くない戦闘経験からくる直感が、彼女の次なる行動を決定付けた。


 まずはいったん、グレイプニルによるハーキュリーズの拘束を緩める。途端、ロゼを振り回していた力は弱まり、身体にかかる勢いが減じた。


 ロゼはレージングルとドローミを駆使して空中で姿勢制御。ちょうど周囲の建物より高い位置にいた彼女は、鎖で落下速度を緩めながら手近な屋根に着地する。その頃には拘束を解かれたものと誤解したハーキュリーズが、回転の速度を落として止まろうとしていた。


 髪や体中についた汚れを払う暇すら惜しみ、ロゼはこの隙に〝SEAL〟を操作する。スイッチでリンクしているラグとの通信回線を開き、


「ラグさん、詳しい説明も謝罪も後でします。今はとにかく話を聞いて下さい。私は今ハーキュリーズと交戦中です」


『――はえっ!?』


 前置きも無しに話しかけたものだから、回線の向こうから素っ頓狂な声が返ってきた。


『えっ、ええっ!? あれっ!? ロ、ロゼさ――ええええっ!?』


 混乱の坩堝に叩き込まれたような様相を表すラグに、ロゼはあくまで冷静な声で語りかける。


「落ち着いて下さい。互いに戦闘中です。時間を惜しみ、やりとりは最小限にしましょう。まずは現状を呑み込んで下さい。【お願いします】」


 語気を強めるロゼの視線の先で、瓦礫の山に囲まれたハーキュリーズが徐々に回転速度を緩め、ついには立ち止まった。やがて索敵モードに入り、こちらの位置が知られるのも時間の問題だろう。


『ッ――はいっ』


 回線越しに息を呑む気配と、こちらの意図を汲んでくれたらしきはっきりとした返事があった。流石に頭の回転が速くて助かる、とロゼは素直に感心する。言いたいことなどいくらでもあるだろうに、こちらの状況と事情を察し、全て丸呑みしてくれたのだ。


 ――本当に私は、この人に我が儘ばかり言っている……


 もし再会することが叶うなら、きっと何かしらの形で謝罪と礼をせねばなるまい。ロゼはそう心に固く誓う。


 そして意を決し、彼女は告げた。


 これから己がやろうとしていることを。


「ラグさん、『お願い』があります――」


 ロゼが話す『作戦』を、ラグは黙って聞いてくれた。無論、あちらにはあちらの戦いがあり、そちらの対応で切羽詰まっていたのかもしれない。それもあって、ロゼの『お願い』は、事の詳細がわからないほど端的なものになった。


「――では、一度目の合図で〈ラピッド〉と〈ストレングス〉を。二度目の合図で追加の〈ストレングス〉をお願いします」


『わかり――ましたっ!』


 今まさにシグロスと斬り結んでいると思しきラグの声。やりとりは最小限に――そうロゼが願い出たせいだろう。ラグは通信回線の向こうで様々な言葉を思い巡らせては逡巡するような間を置いて、最終的にはこれだけを言った。


『――信じてますからっ! 僕は! ロゼさんをっ!』


「――!」


 反射的に息を呑んだ。あまりに予想外で、それでいながら、いとも容易くロゼの奥底までその言葉は降りてきた。


 信じている。


 ロゼにそんな言葉をかけてくれる人間など、これまで一人もいなかった。それもそのはず。ロゼはずっとソロのエクスプローラーで、ハンドラーだった。仲間などいなかった。信じる相手も、信じてくれる友もいなかった。


 だから知らなかった。


 信じている――たったそれだけの言葉が、こんなにも力を与えてくれるだなんて。


「――はい。私も、ラグさんを信じています」


 体の奥底から湧き上がってくる不思議な力を噛み締めながら、ロゼもそう返した。


 信じてくれる人がいる。信じられる人がいる。


 その事実が、胸の中に温かい水が注がれていくような、不思議な高揚感を与えてくれた。


『オオォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――ッッ!!』


 天を突くがごときハーキュリーズの咆哮が、ロゼの意識を戦いへと引き戻した。


 見れば、ハーキュリーズの双眸がこちらの姿を完全に捉えていた。己の体の周囲に浮かんでいる――ように見える――レージングルとドローミを辿って見つけたのだろう。


 だが、


『ウォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』


 再び雄叫びを上げるやいなや、六本腕を無造作に振り回し、六つの武器でレージングルとドローミ、それらの依り代である不可視のグレイプニルを攻撃し始めた。またも自分を拘束するかもしれないと警戒しているのだろう。


 だがロゼにかかっている〈プロテクション〉×10の加護は、その装備品にまで伝播している。三種のDIFAも例外では無く、例えハーキュリーズの破格の攻撃力を以てしても、強化係数一〇二四倍の壁はそうやすやすと突破できるものではなかった。


 ロゼは視界の端に浮かぶ、支援術式のARアイコンを確認した。カウントダウン表示は無いが、これがポップした時刻ならわかる。そこから逆算するに、〈プロテクション〉の残り効果時間は一二〇セカド前後。


 つまり、あと二ミニト以内に決着をつけなければならない。


 そう、決着だ。


 今やロゼは、ハーキュリーズをその手で倒す決意を固めている。


 これから、単身であのゲートキーパーを打倒すると。


「……!」


 全身に気力を漲らせる。〝SEAL〟を全力で励起させ、マラカイトグリーンの光が全身を駆け巡る。握りしめた拳には、自分で思った以上に強い力が籠もった。


 あのゲートキーパーはラグからの預りものではあるが、同時にロゼが使役するために再生リサイクルしたSBでもある。いわば、ロゼの下僕と言っても過言ではない。


 使役していたSBの制御をしくじる――これをハンドラーの間では『飼い犬に手を噛まれる』と称す。また、使役しているSBと同種の敵に単身で勝てないハンドラーを『獣王の皮をかぶった鼠』と嘲る。この二つが、ハンドラー業界においては最大級の恥とされている。


 今のロゼは、その両方を兼ね備えた実に恥ずべきハンドラーだった。自分では勝てそうにないゲートキーパーを勇者ベオウルフから譲ってもらい、使役していただけの『他力本願な鼠』。しかも今ではルート権限を奪われ、制御下からも逃げられている『愚かな飼い主』。


 無様にも程がある。


 こんなことではいけない――そう、こんな体たらくでは駄目なのだ。


 勇者と呼ばれる彼のクラスタメンバーが、こんな惰弱であっていいはずがない。こんな臆病者であっていいはずがない。少なくとも、結果の如何を問う以前に、まずは一人で立ち向かうだけの気概を持つべきなのだ。


 せめて足止めを――などという気弱な考えではなく。




 必ず勝つ――その強き意志を持って。




 ロゼは戦闘ジャケットの背中、右側から現出させている三本のDIFAを静かに引き上げさせた。左の三本はそのまま、いつでも再びハーキュリーズを緊縛できる状態を維持する。ハーキュリーズは遠ざかっていく鎖には目もくれず、今も周囲を取り巻くものに対してのみ武器をぶつけていた。


 奴のアルゴリズムは把握している。ハーキュリーズがどういう条件でどんな行動をとるのか。それを逆手にとれば、こちらの思う通りに動かすことが可能なはずだ。


 まずロゼはその場から後方へ跳躍。引き戻した蒼銀と紅銀と不可視の鎖を、まるで自身の手足のごとく操り、建物の屋根から屋根へとバッタのように飛び移っていく。もちろん、移動に合わせてハーキュリーズの周囲に置いてある鎖らを伸長させることも忘れない。


 瞬く間に、ハーキュリーズとの間合いを離していく。


 やがて相対距離が約百メルトルほどになり、なおかつ高さがこの辺りで一番の建物の屋上に降り立つと、


「〈オーバードライブ〉」


 ロゼは真っ先に、己の神器を由来とする術式を発動させた。


 神器術式〈オーバードライブ〉――それは神器〝超力エクセル〟の『限界を凌駕する概念』を抽出加工したオリジナル術式である。文字通り、対象の限界点を概念ごと取り払い、一つ上の次元ランクへと引き上げる奇跡を発揮する。


 攻撃術式に作用させれば、その攻撃力の限界を超越させ。


 使役術式に作用させれば、本来なら再生できないゲートキーパーを顕現させ。


 武具に作用させれば、性能の全てを凌駕させ。


 己自身に作用させれば、その全てが限界を超えて進化する。


「――ッ!」


 刹那、ロゼの全身に張り巡らされた〝SEAL〟の輝紋から、マラカイトグリーンの輝きが服を透かして浮かび上がった。孔雀石色の幾何学模様の所々から、煙のように細かい光の粒子が立ち昇り始める。その姿はさながら、全身から迸るオーラを纏っているようにも見えた。


 ロゼの〝SEAL〟そのものが、【次の段階へと進化した】のだ。


「〈天轟雷神――」


 気息を調え、四肢に〈裂砕牙〉を纏ったまま構えをとる。前へ伸ばした両手の先に力を凝縮するイメージ。それを腰の右横まで引き寄せる。両手両足の〈裂砕牙〉が液体のように形を崩し、両掌の狭間へと収束した。


 凶暴な破壊力が、小さな空間に圧縮される。


 これぞ、ロゼが持つ最大威力の遠隔攻撃であり、キメラSBの体にも風穴をぶち空けた必殺の一撃。


「――牙獣咆〉!」


 踏み出しと同時、一気に撃ち出された一条の閃光が、大気を灼いて奔る。雷鳴にも似た轟音が凄絶に鳴り響いた。


 人間一人を丸ごと呑み込む巨大な光線が、暴れ回るハーキュリーズの胸と腹の中間に過たず突き刺さった。


『オ――!?』


 巨大な槍に貫かれたかのごとく、一瞬だけ巨人の動きが凍りついたように停止する。


〈天轟雷神牙獣咆〉――元は〈牙獣砲〉という〈裂砕牙〉の派生術式を、天轟雷神流の増幅術式で強化したものである。それをさらに、ロゼは〈オーバードライブ〉の影響によって威力を底上げしていた。


 よって、光の波濤が通り過ぎ消え去った後、そこには何も残らない。


 ハーキュリーズの体のど真ん中に空いた大穴から、向こうの景色がよく見えた。


 土手っ腹に風穴を穿たれたハーキュリーズは、


『――ォォォォォオオオオオオオオオオオオッ!』


 怒りに燃える雄叫びを上げ、しかし、巨体に空いた穴が瞬く間に塞がっていく。


 だが、その再生はロゼにとって想定の範囲内だ。


 ハーキュリーズを活動停止させるためには、あの装甲を貫くだけの攻撃を雨と降らせなければならない。超火力による飽和攻撃。それこそがあの破格のゲートキーパーを屠る唯一の手段だ。


 そして、それに値する攻撃方法は、ロゼの手中には無い。


『オオオオオッ!』


 ハーキュリーズが短く吼え、ギラリ、と剣呑な輝きに満ちた双眸を遠方のロゼへと向けた。己を取り囲む鎖より、遠隔攻撃を仕掛けてきたロゼの方を優先排除対象だと認識したのだ。


 先述の通り、ハーキュリーズは攻撃速度はずば抜けているが、その移動速度は他のゲートキーパーと比べても大差は無い。むしろ二本足な分、四本足や八本足のものより遅いぐらいだ。


 故にモード・ターミネーター時、敵が遠距離に在り、なおかつ相手が遠隔攻撃の手段を持っている場合――奴の思考ルーチンは、とある武器の使用を選択する。


 即ち、


「――〈インバルナラブル・キラー〉……」


 我知らず呟くロゼの視線の先で、ハーキュリーズの六本腕から剣や槍などの武器が消え、代わりに黄金の長弓が現れた。左の豪腕が弓を掴み、右の三本腕に白銀の矢が九本握られる。


 ハーキュリーズの奥の手、『不死身殺し』と名付けられた最終兵器。鋭く陽光を反射するその鏃が、百メルトル離れた建物に立つロゼへと向けられる。


 黄金の弓に束ねて番えられ、九本から捻れた一本の螺旋槍になる矢を、ロゼは琥珀の瞳で冷静に見つめていた。


 何のことは無い。これとて、彼女の思惑通りなのだから。


 ギリギリと弦を引き絞る音がここまで聞こえてきそうな程、ハーキュリーズが力強く弓を引く。


 普通なら、あれが放たれれば最後、ロゼの体は肉片も残さず消滅するだろう。今度は覚悟の無いマスターが撃たせるのではなく、無慈悲で容赦の無いAIが放つのだ。シグロスを撃ったときのように、直前で拡散することなど有り得ない。


 そう、【普通ならば】。


「ラグさん、お願いします!」


 ロゼは強い語調で、スイッチのリンク越しにそう声を掛けた。


『――はいっ!』


 すかさず鋭い返事が跳ね返ってきて、次いで、視界の端に支援術式の効果を示すARアイコンが二つ増えた。


 身体強化の支援術式〈ストレングス〉×5、〈ラピッド〉×5。強化係数三二倍。事前に『お願い(オーダー)』しておいた通りの支援だ。


「……!?」


 急激に周囲の様子がおかしくなっていくのをロゼは感じた。目に映る景色や、肌に触れる空気、いま立っている屋上の硬さ――それらが劇的に変質していく。


「……っ……」


 否、違う。変化しているのは周囲では無く、ロゼ自身だ。支援術式によって、〝SEAL〟を介して強化された筋力や敏速性が、ロゼの五感そのものに影響を及ぼしているのだ。


 ――彼は、いつもこんな感覚を持ちながら、使いこなしていると……!?


 たった三二倍の強化係数でも、目の前の世界が全く違って見える。空気の密度すら違う気がする。まるでいきなり水の中へ放り込まれたかのようだ。それほど、世界への〝体感〟が激変していた。


 だが、この感覚をものとし、適応しなければ勝機は無い。ロゼは歯を食いしばり、細かく体を動かしてどうにか肉体と意識のチューニングを行う。


 ――〈プロテクション〉の副作用である体の硬さは、先程に比べ軽くなっている。〈ストレングス〉の恩恵だろう。だがまだ万全ではない。油断は禁物だ。〈ラピッド〉の効果で、指や腕を動かした際のイメージと、実際の動きとに差違がある。単純に〝思った以上に早く大きく動く〟という感じだ。これはタイミングの違いを頭で憶えて、実際の体の動きに合わせていくしかない。そう、普段より三二倍、心の速度を上げればいい。ハンドラーであり、拳法家としても心・技・体を鍛えているロゼにとって、まったく未経験のことでないのがせめてもの救いだった。


 そうこうしている間に、もう〈インバルナラブル・キラー〉は発射寸前になっていた。黄金の弓と白銀の矢が眩い輝きを迸らせ、ほとんど光そのものと化している。キィィィン、という甲高い音がここまで届いていた。


 短い間とはいえハーキュリーズを使役していたロゼには、奴の【呼吸】がわかる。


 目を凝らして、銀色の鏃――ではなく、その奥にある弦に取り掛けている右手を見る。三本の手が人間にあらざる形で弦を引いているが、弓の構造上、その意味は変わらない。あの手が離れた時、それが矢の撃ち出される瞬間だ。


 ロゼは身構え、ただひたすらその瞬間を待つ。


 意識を集中させ、集中させ、集中させ――


 ついに、ハーキュリーズの右手が離れた。




 捻れて束ねられた銀の矢が、撃ち出される。




 この時、もはやロゼの精神は極限にまで集中していた。その為、銀色の閃光と化した螺旋矢が飛び出す過程を、まるでスローモーションでも見ているかのように感じていた。


「!」


 撃った――そう察した瞬間、ロゼは軽く身を屈ませ、真上へ跳躍した。


 体の違和感も、意識と動きのズレも全て織り込み済みだ。思った通りの動きで、少女の身は強化された筋力によって大きく跳び上がっていく。


 こちらへ迫る矢の動きは、もちろん速い。音速の壁を貫き、大気を引き裂きながら一直線にこちらへ向かってくる。


 杭のように太い螺旋矢は、ただ避けようとしても普通は避けられない。ハーキュリーズの巨体と比しても、槍と呼んでいいぐらいの太さなのだ。よしんば直撃を避けたところで、矢が周囲に纏っている風圧の威力だけで大抵のものは引き裂かれ、砕かれる。


 それ故の、ラグにかけてもらった〈ストレングス〉だ。筋力の強化は跳躍力の増加に繋がる。また〈ラピッド〉は、〈インバルナラブル・キラー〉が【撃たれてから動くための】神速の反応速度を与えてくれた。


 もはや〈インバルナラブル・キラー〉の軌道上に彼女の姿は無い。一瞬よりも短い時間で、ロゼの体は十メルトル以上も上昇している。


 空の中、ロゼは背中の右側のレージングル、ドローミ、グレイプニルを振って姿勢を制御。体を真下へ向け、そこを通るはずの白銀の閃光を待つ。


 来た。


 視界の端に銀の輝きを確認すると同時、ロゼは考えるよりも早く動いていた。そうだ、考えることなど何も無い。やるべきことはとうに決まっている。動くことは考えることであり、考えることは動くということだ。


 左、ハーキュリーズの周辺に残しておいた鎖達を締め上げる。巨人の上下左右に円を描きながら浮いていた縛鎖が、その直径を一斉に縮めた。矢を放った直後のハーキュリーズが、途端に無様な体勢で拘束される。


 右、こちらはこの瞬間のためだけに手元へ引き寄せた鎖達。疾風迅雷の勢いで蒼銀、紅銀、不可視の縛鎖が伸びる。生きている大蛇のごとく宙を駆け抜け、ロゼの視線の先、真下へと走る。


「ッ!」


 視界の中を通り過ぎようとする白銀の螺旋矢を、狙う。


 間延びした時間の中、銀の矢の動きも遅いが、こちらの打った手も遅い。チリチリとした焦燥感をうなじに感じる。届くのか。間に合うのか。いや、間に合わせなければならない。


 伸びる二本の鎖と、目に見えない力場の紐。これらを以て、あの白銀の矢を叩き落とす――のではなく。


 掴み取るのだ。


「――!」


 グレイプニルの伸長する速度が一番速かった。先端が白銀に輝く矢に届く直前、ロゼは咄嗟に不可視の力を制御。


 大雑把ではあるが、グレイプニルの軌道が歪み、高速で回転。その空間を超高速で通り過ぎんとする螺旋矢に、それ以上の速度でもって何重にも巻き付いた。遅れてレージングルとドローミがそれに追い付く。


 掴んだ。


「――!?」


 刹那、ほんのわずかとはいえ気が緩んだのか、時間の流れが速くなった。


 本来なら目にも止まらぬほどの速度で通り過ぎるはずの〈インバルナラブル・キラー〉に巻き付いたグレイプニルが、猛然と引っ張られる。強烈な反動に、ガクン、と空中のロゼの体勢が崩れる。


 一度放たれた矢は、その運動量の全てを消費するまで決して止まることは無い。最大飛距離を飛ぶか、もしくは何かしらの物体にぶつかって推進力を破壊力に変えるか、そのどちらかだ。


 ハーキュリーズの黄金の剛弓から放たれた矢は、いまなお加速しているような勢いで飛んでいた。螺旋矢のシャフト部分に巻き付いた三本の縛鎖もその身を伸長し続けていたが、間に合わず、あっさり遊びを失ってまっすぐ張ってしまう。


 ガン、という衝撃がロゼの肉体へフィードバックされた。


「――ぐっ……!」


 どうしようもなく猛然と引っ張られる。


 今のロゼは矢の後ろに結びつけられた小石も同然だ。空中を凄まじい速度で水平移動して、すぐにハーキューリーズを拘束している左の鎖達も遊びを失っていく。


 ロゼは本能的に両手で左右のレージングルとドローミを掴み、自分の腕に巻き付けた。鎖だけの力では保たないと直感したのだ。


『――オオオオッ!?』


 今になって、突然の拘束に驚くハーキュリーズの声が聞こえた。どうやらこれまでの動きは音速よりも速かったらしい。集中のあまり全然わかっていなかった。


 直後、ハーキュリーズ側の遊びも消え、全ての鎖が限界まで張った。


 さらに強い衝撃がロゼを襲う。


「――ああっ!」


 同時、


『ウォ――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』


 ハーキュリーズの口からも悲鳴に似た雄叫びが上がる。当然だ。奴にとっては予想外すぎる事態だろう。なにせ、【自分が撃った矢と自分自身が繋げられたのだから】。


〈インバルナラブル・キラー〉の強すぎる突進力は、撃った本人でさえ抗えるものでは無かった。無様な格好に拘束されつつもハーキューリーズは腰を落とし、自身を引く力に対抗したが、それでも少しずつ、ズ、ズ、と路面を削りながら矢の進行方向へ立ち位置がずれていく。


「くっ――!?」


 グレイプニルに巻き付かれている螺旋矢は、それでもなお直進を止めようとしない。むしろさらに加速していく勢いで、白銀の光を強烈に放ち、甲高いハム音を鳴り響かせながらグレイプニルの手の中で暴れている。


 こんな状態でもロゼの体と鎖達がバラバラにならないのは、ひとえに〈プロテクション〉による恩恵だった。


 だからロゼは、さらに叫んだ。


「――ラグさんっ! お願いしますっ!」


 二回目の合図。余裕など欠片もあるはずもなく、ロゼの声は血を吐くようにも聞こえた。


 今度はラグの返事は無かった。あちらも戦いに必死だったのかもしれない。しかし、支援は確かにきた。


 身体強化の支援術式〈ストレングス〉×5。


 これにより、ロゼの筋力の強化係数は一〇二四倍へと跳ね上がった。


「――ぁあああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」


 瞬間、ロゼは全力で吼えた。全身の力という力を総動員する。〝SEAL〟の輝紋から放出されるマラカイトグリーンの粒子量が増大する。


 矢の軌道をそらす。


 それだけのことに、全身全霊をかけた。


 そう、自分の攻撃ではハーキュリーズを倒せないことをロゼは知っている。


 だが――ハーキュリーズ自身の攻撃ならば?


 あの奥の手、〈インバルナラブル・キラー〉をハーキュリーズ本人にぶつけたならば?


 あのゲートキーパーはほぼ不死身の怪物かもしれない。だが、そんな存在を殺すからこその『不死身殺し』であるはずだ。


 ロゼが単身でハーキュリーズを倒せる、唯一の方法。それがこの『跳ね返し』戦法だった。


「――あああああああああああああああああああああああああああッッ!!」


 しかし、現実は甘くない。猛烈な直進力を持つ白銀の矢は、それでもなお軌道を変えない。グレイプニルとロゼによってハーキュリーズという重石に繋げられ、空間のある一点に留まってはいるが、少しでも手を緩めれば、あっと言う間に遠い彼方へ消え去ってしまうだろう。


 ロゼは両腕に絡めた鎖を握り、歯を食いしばって体を引き裂くような激痛に耐えながら、それでも矢の軌道をずらし、ハーキュリーズに直撃させることを諦めない。


 だが、今のままでは矢はビクともすまい。それだけは確実にわかっていた。


 その時だ。


『――信じてますからっ! 僕は! ロゼさんをっ!』


 不意に――何がきっかけになったのか自分でもよくわからない――耳の奥に、先程のラグの声が蘇った。


 【だから】。


「――〈オーバードライブ〉ッ!」


 気が付けば、ロゼはその術式を叫んでいた。


 術式の重ね掛け。しかも神器術式。自分で発動させておきながら、今更になって『こんなことをして大丈夫なのか?』と疑問が生じた。


 無論、そんなものは後の祭りだ。


 途切れ途切れに声を絞り出す。


「ラグさん! もう一度、全部、一回ずつ――ッ!」


『ッ!? は、はいっ!』


 今度は返事があり、間髪入れず支援術式がきた。〈ストレングス〉〈ラピッド〉〈プロテクション〉がそれぞれ一回ずつ。


 五回しか重ね掛けしていなかった〈ラピッド〉はともかく、〈ストレングス〉と〈プロテクション〉は既に〝SEAL〟の限界である十回に達している。一瞬、ラグが躊躇するような気配を見せたのはそのせいだ。


 しかし、そんな限界など、ロゼの〈オーバードライブ〉が消し飛ばしている。


 よって、新たな支援術式は確かにその効果を発揮した。


 限界を超えた、力と防御の【強化係数二〇四八倍】。


 人類未曾有の強化係数を得たロゼは、その琥珀の瞳からマラカイトグリーンの輝きを放ち、喉からほとんど絶叫のごとき声を吐き出した。




「ま が れ ぇ ぇ ぇ え え え え え え え え え――――――――――ッッッ!!!」




 途端、前にしか進むことを知らなかった〈インバルナラブル・キラー〉の先端が、くんっ、と鏃を真上へ向けた。


 加速する。


 そこからは一瞬だった。


 上方を向いた螺旋矢は勢いよく天に昇り、しかしグレイプニルという紐に結ばれたままだったため、さらに上向きへ、上向きへと進行方向を修正され――


 Uターンしてハーキュリーズの下へ戻る軌道に入った。


 そこからはもう白銀の矢の直進を阻む必要は無い。ロゼは腕の力を緩め、しかしグレイプニルの巻きつきだけは離さず、好きにさせた。


『ウウウウォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』


 己が置かれた状況に気付いたハーキュリーズが、抗議するかのように咆吼を上げる。彼の目に映るのは、撃ったはずの必殺の一撃が、何故か己の方へ舞い戻ってくる光景だ。


 ぎしり、と螺旋矢が軋む感触を、ロゼはグレイプニル越しに感じた。おそらくはハーキュリーズが螺旋矢に拡散コマンドを送り、自分を避けるよう仕向けたのだろう。だが、そうはさせない。その為にロゼは不可視のグレイプニルで、矢が九本に別れないよう固定していたのだ。そして――


 銀色の矢がハーキュリーズに当たる直前で、ロゼはグレイプニルの縛りを緩めた。その瞬間、送られたコマンド通りに〈インバルナラブル・キラー〉は九本の閃光に分裂する。


 ようやく。今更ながら。


『オ――』


 当然、目と鼻の先で分散したところで、その全てがハーキュリーズを避けるはずもなく。


 むしろ巨人の全身を貫き被害を拡散する形で、九本の矢が突き刺さった。


 爆裂。


『――――――――――――――――――――!?』


 閃光が目を焼き、轟音が耳を劈いた。


 あまりの威力に巨体が浮き、後ろに倒れた。大質量の転倒に、しかし拍子抜けするほど、震動は起こらなかった。爆風の影響で、もうもうと土煙が立ち込める。


 この瞬間、ロゼは空中で自分にかかった支援術式を全て解除。身体強化の効果をキャンセルし、通常状態へ。そして〈インバルナラブル・キラー〉を跳ね返した反動を、空中で竹とんぼのように回転することによって消費し、再び近くの建物の上に着地する。


 そして、見た。


 風に巻かれて噴煙が晴れた向こう――両手両足と首を失い、鼠に食い散らされたチーズのようになったハーキュリーズの胴体を。


不死身殺しインバルナラブル・キラー』――やはりその名に嘘は無かった。あの絶大なる力は、持ち主ですら滅ぼすものだったのだ。しかも、〈リインフォース〉による追加装甲すらものともせずに。


 しかし――未だハーキュリーズが活動停止シーケンスに入っていないことに、ロゼは首を傾げた。通常なら耐久力を失えば、すぐにでも始まるはずなのに。


「――なっ……!?」


 いや――それどころか、これまでに比べて緩やかではあるが、再生が始まっていた。ミミズがのたくるほどの速度だが、それでも確実に装甲が流体のように伸び、広がっていこうとしている。


「――~ッ!」


 駄目だ、あのゲートキーパーはまだ終わっていない。これから徐々に再生速度を上げ、最終的には復活するだろう。


 猛烈な焦りがロゼを襲う。どうする。あの状態なら〈天轟雷神牙獣砲〉で止めが刺せるだろうか? いや、その為にはコンポーネントの核である〝コアカーネル〟を正確に貫かねばならない。もし外したら、もう二発目を撃つだけの力がロゼには残っていない。


 しかも、調べなければ詳細はわからないが、先程の〈オーバードライブ〉の二重掛けのせいで〝SEAL〟が狂っている感触がある。プロパティがおかしくなっているのかもしれない。全開で励起させようとしても、どうも体の端々にまでフォトン・ブラッドが行き届かないのだ。


「……くっ……!」


 駄目だ、時間も力も足りない。このままでは、ハーキュリーズのコンポーネントがシグロスの支配下のまま、復活を――


 いや、待て。


「――。」


 そうだ、今ならば。


 ロゼは気付いた。今のハーキュリーズの状態だからこそ、使える手があることに。


「――うぁっ……!」


 すぐに実行に移そうとして、全身に電流のような激痛が走った。先程の無茶の反動だろう。〈インバルナラブル・キラー〉の直進を止めた時のダメージもある。


 だが、こんな所で立ち止まっているわけにはいかない。


「――グレイプニル!」


 ロゼはDIFAを使って、自らの体を運ばせることにした。六本の鎖が節足動物の脚のように動き、飛び跳ねる。そのまま跳躍を繰り返し、ロゼはほぼ原型を留めていない巨体の上へと降り立った。


 手足と首を失い、胴体のあちこちを大きく抉られながらも、今なおハーキュリーズの体は強烈な存在感を放っている。


 ロゼはその場に膝を突き、分厚い胸板に両手をあてて術式を起動させた。


「〈カーネルジャック〉!」


 一メルトルほどのアイコンが展開し、術式が発動する。


 本調子では無い〝SEAL〟でもどうにか発動させることができたのは、この術式が対象にフォトン・ブラッドを流し込むものだったからかもしれない。マラカイトグリーンの輝きが、残骸にしか見えないハーキュリーズの表面を駆け抜け、内部まで伝播していく。


「ッ……重いっ……!」


 思うように術式が効力を発揮せず、ロゼの唇からつい苦悶の声が漏れた。


 どこかにあるはずのコアカーネルが、制御権を強奪する術式の処理に抗っているのだ。通常、ここまでダメージを受けたSBなら、すぐにでもコアカーネルを支配ジャックすることが可能なはずなのに。


 しかし、だからといってここで怯むわけにはいかない。これが上手くいかなければ、遠からずハーキュリーズは復活する。その時にはもう、力を使い果たしたロゼにこいつを止めることは出来ない。そうなれば、想定していた最悪のシナリオが実現してしまうかもしれないのだ。


 ロゼは再び歯を食いしばり、覚悟を決めた。


 無茶だろうが何だろうが、ここまできたらやるしかなかった。


「――〈オーバードライブ〉!」


 叩き付けるように神器術式を発動させ、発動中の〈カーネルジャック〉へと作用させた。SBのルート権限を上書きする力が限界を超えて駆動する。


 ロゼの両腕から、再び大量のフォトン・ブラッドの粒子が噴き上がる。


 更なる力をひねり出すためか、それとも感情の昂ぶりか、あるいはその双方か。無意識の内に、ロゼは大声を吐き出していた。


「――もう一度言います! ハーキュリーズ! あなたは私がラグさんから託された、大事な預かり物です!」


 瀑布の飛沫がごとく、マラカイトグリーンの輝きが迸る。明るい緑色の光が下方からロゼの顔を照らし、凄絶な形相を浮かび上がらせる。


 すると、ハーキュリーズの内側からクロムグリーンの煌めきが滲み出てきた。シグロスのフォトン・ブラッドだ。想像以上の抵抗の強さは、この光がハーキュリーズの内側に根を張っているからかもしれない。


「いつまであの男の支配下にあるつもりですか! 誰があなたを再生させたと思っているんですか! さっさと戻ってきなさい!」


〝SEAL〟の調子が悪いせいか、ともすれば術式が制御しきれず、解けて消失してしまいそうになる。それをほとんど気力だけで維持しながら、ロゼは滾る感情を声に乗せてぶちまけた。


「思い出しなさい! あなたの主人が誰なのか!」


 ハーキュリーズの内側から染み出てきたクロムグリーンの光と、ロゼのフォトン・ブラッドとが激しく鬩ぎ合う。互いを相食み、ハーキュリーズの支配権を奪い合う。


 ロゼは力尽くでねじ伏せにかかった。


 歯を食いしばり、フォトン・ブラッドの粒子を放つ右腕を大きく振りかぶり、感情を剥き出しにして叫ぶ。




「あなたの飼い主は――このロルトリンゼ・ヴォルクリングですッ!」




 全力で右拳を叩き込んだ。


 激突。


 快音。


 光の欠片が星屑のように飛び散る。


 マラカイトグリーンの光が猛然と突き進む。クロムグリーンの輝きを圧倒する。


 孔雀石色の光がゲートキーパーの残骸を覆い尽くし――


 瞬間、閃光が爆発的に膨張し、その場の全てを呑み込んだ。





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