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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第二章 格闘技が得意という歪なハンドラーですが、どうかあなた達の仲間に入れて下さい

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●4 勘違いの焦点




 少女が放った渾身の一言を、しかし少年は微風か何かのように受け止めているようだった。


「?」


 キョトン。そんな音が聞こえてきそうなほど純朴な顔をしていた少年だったが、しかし何度か瞬きをする程度の間が空くと、表情を驚きへと変化させていった。


 ようやくこちらの意図が理解できたらしい。


 漆黒の目を見開き、色素の薄い唇を半開きにしてわなわなと震わせながら、見る見る間に頬を紅く染めていく。否、終いには耳の先から首の根元までもが、茹でタコのごとく真っ赤に変色してしまった。


「――な、な、な……!?」


 思いも寄らぬ言葉を聞いてしまった。そんな顔で狼狽する少年に、少女――ロゼは攻めの姿勢を崩さない。


 畳み掛ける。


「どのような形でも構いません。私と【契約】を結んでください。この命以外のものなら何でも差し出します。お願いします。どうか――」


「ま、待って!? 待ってください!?」


 とうとう耐え切れなくなったのだろう。少年の口から悲鳴にも似た大声が飛び出した。


「ご、ごごごごごめんなさい! ま、待ってくださいほんとごめんなさい! ちちちち違うんです僕はそういったことが目的でメンバーを募集したわけじゃなくて!? お、お体は大事にしてくださいね!? 安静に!? 安静にっ!?」


 おそらく、自分でも何を言っているのか理解していないに違いない。混乱の極みに達した少年はわけのわからないことを喚きながら、ロゼから逃れようと身体を後ろに引いた。


 しかし、その程度で逃げられるほどロゼの食いつきは甘くない。少女はさらにテーブルの上へ身を乗り出し、逃げる少年を追いかける。


「わかりました。それではまずネイバーになりましょう。安静に」


「あ、へっ!? あ、安静に!?」


「はい。安静にネイバーになりましょう。そうしましょう」


 まるで会話が噛み合っていないが、意思の疎通には成功したらしい。繋がっている手を通じて、ロゼと少年の〝SEAL〟間でネイバー情報が交換される。といっても彼は反射的にそうしただけで、意識してロゼとネイバーになりたかったわけではないだろうが。


 ロゼはすぐさま受信した情報を確認する。


 少年の名は『ラグディスハルト』。どうやら先程名乗った名前は偽名ではなかったようだ。姓はなく、単独名。そして姓と名を一緒にしたかのように長い。なるほど、だから〝ラト〟なのか、と納得する。


 年齢は十六。性別はもちろん男。連絡用の個別アドレスは二つ。それ以外の情報は入力無し。どうやらエクスプローラーらしく、最低限の情報しか設定していないようだ。


「……ラグディスハルト様。私も〝ラト様〟とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


「へっ!? や、いや! ご、ごめんなさい! そ、その名前はハヌ専用でっ、あのその、なんていうか――」


「わかりました。それでは〝ラグ様〟はいかがでしょう?」


「ええっ!? い、いいです、け、けど!? あの、でも『様』はちょっとその――」


「では〝ラグさん〟で。お察しするに『ハヌさん』とは〝小竜姫〟のことですね? 彼女がラグさんの恋人ですか? 私は一向に構いません。良くも悪くも私が求めているのは【契約】ですから、別段、体だけの関係というのも」


「――しっ、志望動機! 志望動機は何ですか!?」


 堪りかねたように少年――ラグが叫び、ロゼの言葉を無理矢理遮った。顔を強張らせ、必死な目でこちらを見つめてくる様子から、なんとか会話の主導権を握ろうとしていることがわかる。


「…………」


 それもよかろう、とロゼは冷静に計算する。そも、彼は気付いてないのだろうが、全ての主導権は既に彼が握っているのだ。ここで彼の質問を無視してゴリ押ししたところで、益は無い。


 何事も引き際が肝心だ。


「……志望動機ですか」


 乗り出していた身をやや引き、声のトーンを落とした。すると、それだけでラグは露骨にほっとした顔をする。


「は、はい、僕達のクラスタへ入りたいと思った、その理由をですね……」


「ラグさん、あなたがいるから――では理由になりませんか?」


 言った途端ビクンと少年の両肩が跳ね、頬が羞恥の朱に染まった。


「な、なりませんっ! え、あれ? ――い、いや! なりませんよ!? って、ていうか! だ、大体どうして僕なんですか!? い、言っちゃあ何ですけど、僕よりすごい人はたくさんいますし、うちみたいな曰く付きなんかより、ずっと大きくて立派なクラスタだって――!」


「しかしそこでは、私はきっと受け入れてはもらえないでしょう」


「……!」


 ロゼとしては事実を端的に告げたつもりだったのだが、ラグには何かしら感じ入るところがあったらしい。はっと表情を変え、息を呑む。


 しかしそれはあまりにも、あまりにも赤条条な隙であった。


「――ラグさん。あなたなら――いえ、【あなただからこそ】、わかっていただけると思います。私達ハンドラーは、あなたのようなエンハンサーと同じく、【普通の方々】からは忌避されます。まともなクラスタに所属することは、まず出来ません」


 実を言うとロゼは演技が得意ではない。顔にも声にも情感を込めることが下手くそで、むしろ普段から会話相手にこちらの思惑を誤解されることも多い。しかしだからこそ、本音を率直に話す時には、それをそのまま真っ直ぐ伝えることが出来る。


 愚直な少女は、少年と真っ正面から視線を合わせ、心から言う。


「私は――いえ、私こそが【曰く付き】です。その【曰く付き】を受け入れてくれる場所は、やはり【曰く付き】でしかありません」


 少年の黒い双眸が、憐憫の光に揺れる。思った通りである。


 ロゼとラグの境遇は似ている。彼は『勇者ベオウルフ』という異名をつけられるほどの実力を持ちながら、最近になるまで周囲に認められることなく、不遇に甘んじてきた。


 なればこそ、ラグはロゼの境遇に同情せざるを得ないはず。


 ロゼはただ、そこに付け入ればいいのだ。


「ここで断られたら、私はまた一人ぼっちです。他に当てはありません。どうかお願いします。私を、仲間に入れてもらえないでしょうか」


「……ロゼさん……」


 ようやく喉から這い出てきた少年の声は、わずかに震えていた。漆黒の瞳に浮かぶのは迷い。感情的にはこちらを受け入れつつも、何かが阻害して判断を決めあぐねているのだろうか、とロゼは分析する。


 彼を迷わせているものは何か? ロゼは考える。


 エクスプローラーが新メンバーを迎えるに際し、重視する点は、やはり戦力ではないだろうか。『探検エクスプロール』とは言うが、実際にはそのほとんどが遺跡でポップするSBを狩り、コンポーネントを回収するのがメインの荒事だ。当然、力は強ければ強いほどいい。


 ラグは今、判断に迷っている――つまり、彼はロゼの戦闘力に疑念を抱いているのではなかろうか。


 ピン、ときた。


 そうだ、きっとそうに違いない。というより、それ以外に考えられない。


 よろしい、結論は出た。ロゼは頷きを一つ。身を起こしながら両手で掴んでいるラグの腕を引き上げ、もろともに立ち上がる。


「なるほど、そうですか。わかりました。それでは実際に御覧に入れましょう」


「――へ? え、あの……?」


 いきなり椅子から立ち上げさせられたラグは、わけがわからずに呆然としている。しかし、こうと思い込んでしまったロゼはもう止まらない。


「いいえ、皆まで言う必要はありません。証明してみせましょう、私の力を」


「ええっ!? いやあの何の話ですか突然!? と、というかですね、僕ほんとにちょっと待っていただきたいんですが――」


「行きましょう、ルナティック・バベルへ」


「ちょおおおお!? あのあのあのあの!? あのですね!? ですからね!? 一度保留させてもらってですね!? ハ、ハヌと相談してお返事を――!」


 なおも何かを言い募ろうとする少年の腕を引いて、ロゼは個室を出る。こちらに遠慮しているのか、ラグの抵抗は思った以上に弱い。


 強く抗わないということは、口で言うほど問題がないということだ。


 ロゼはそう判断すると、より一層強く少年の手を握り、彼を引き摺るようにして『カモシカの美脚亭』を後にした。


 もちろん、勇者ベオウルフが二階の個室スペースからぎゃあぎゃあと騒ぎ立てながら降りてきて、見知らぬ美少女に手を引かれて連れて行かれる様を、昼食に来ていた大勢の客と店員とが揃って目撃していたのだった。






 どうしてこんな事になってしまったのか。


 流されやすい自分の性格――いや、糊塗するのはやめよう。これは性格じゃ無くて、明確な『弱さ』だ。


 押しに弱い。それが僕の駄目なところである。


 ――大切な友達と相談して決めますので、一日だけ待って下さい。


 はっきりそう言えば良かったのだ。それだけでこうなることは避けられたはずなのだ。


 なのに。


 たったそれだけが言い出せず、結局、相手――ロゼさんに流されるがまま、こんな所まで来てしまった。


 ルナティックバベル、第一八八層。


 最前線中の最前線とまではいかないが、しかし数年前まではこの辺りが最前線だったわけで。今朝、僕とハヌが訓練に選んだ五三層と比べたら、はるかに強力なSBがポップする危険領域である。


 とはいえ、実の所そのあたりはどうでも良かったりする。


 それよりも僕の脳裏を占めるのは、ハヌのこと。


 あんな風に『一人で遺跡に行ってはいけない』という話をした後だというのに、僕はこうしてルナティック・バベルに来てしまった。


 バレたらメチャクチャ怒られる。


 間違いなく、泣き顔で本気ビンタされる。


「良い感じに人気が少ないですね」


 後悔のあまり言葉を発する気力すら湧かない僕の傍で、エレベーターから歩み出たロゼさんが無感情に周囲を見回した。首を振るたび、豊かなアッシュグレイの長髪からやけに甘い匂いが振りまかれる。だけど今の僕の心境では、その年上の女性の香りにドギマギする余裕なんて微塵も無かった。


「……そうですね……」


 溜息を堪え、か細い相槌を打つ。


 ロゼさんは見かけによらず強引な人だった。彼女の境遇には共感する点が多々あったのだけど、こうして他人を巻き込んで行動できるあたり、僕とは種類の違う人間なのだと思う。


 それが羨ましくもあり、同時に、自分はきっとこうはなれないだろうなと諦めの感情が湧く。


「ラグさん、このエレベーターの周辺ではSBが現れないと聞いています。奥へ向かいましょう」


 そう言って僕の返事も聞かず――ちゃんとついてくるって確信しているのだろうけど――ロゼさんは先行する。


 彼女の出で立ちは、当然ながら出会った時のものから変わっている。ルナティック・バベルへ入る直前、ギンヌンガガップ・プロトコルを使って戦闘装備へ着替えたのだ。


 ハンドラーがよく使用するという噂の薄手のアーマースーツの色は、先程と同じ濃紺。その上に身につける形になっているバトルドレス――戦闘ジャケットとスカートには、所々に同色の強化装甲が追加されている。


 何より目を惹くのは、両腕に巻き付く蒼銀の鎖だ。戦闘ジャケットの背中に空いた六つの穴、その内二つから伸び出て、両肩から手首までぐるぐると巻き付き、そこから更に分銅のついた先端がだらりと垂れ下がっている。


 はて、これはどういうことだろう? ハンドラーの基本的な戦法は、使役するSBを前衛に出しての後方型と聞いているのだけど――ロゼさんは例外なのだろうか? 僕の持つ知識では、ハンドラーのメイン武器は近接系でも長柄武器ロングポールウェポン、遠距離系では銃やビット、もしくは攻撃術式が基本なのだけど。


 鎖が武器というのは、あまり聞いたことが無い。いや、そもそもあれは武器なのだろうか?


 僕は首を傾げながらロゼさんの背中について行きつつ、同時に心の中でハヌへの言い訳を考えていた。


 ――確か問題の焦点は『一人で遺跡に行ってはいけない』ということであって、この状況はロゼさんと二人で来ているのだから、別に問題ないのでは? 何故一人が駄目かというと、それは危ないからで。二人以上で安全マージンを多めにとってエクスプロールすることは、別に悪いことでは無いはずだ。


「…………」


 うん、無理がある。絶対に納得してくれない。ハヌが『そうじゃの』と言ってくれるイメージが全く湧いてこない。むしろ『この場合の一人と二人というのは妾とラトのことであって他の者はまったく全然関係ないわこのばかものがぁぁぁぁっ!』って怒鳴られる想像しか出来ない。


 やっぱり殴られちゃうしかないか――なんて考えていた僕に、前方を行くロゼさんから声がかかった。


「出ましたね」


 いつの間にか俯かせていた顔を上げると、立ち止まったロゼさんの背中が視界に入った。僕も慌てて足を止め、立ち位置を右にずらし、彼女の肩越しに向こうを見やる。


 すると、大型と言っても良いSBが三体、そこに具現化していた。


 ペリュトン。


 鳥の胴体と翼に、鹿の頭と前脚を持った歪な怪鳥。全長三メルトル弱はある巨体を彩るのは、青から碧へと変化する美しい体毛のグラデーション。額から生えた鉄色の角は、実に獰猛な形状をしている。


『GGGGRRRRRRYYYYYYY!!』


 前方に一体、後方に二体が並び、小さな鏃型陣形を形成しているペリュトン共が一斉に翼を拡げる、雄叫びを放った。


 狭くないはずの通路を、巨大な存在感が埋めつくす。


「――!」


 甲高い電子音に圧され、僕は条件反射で腰の脇差し〝白帝銀虎〟を抜き放った。内心、メイン武器である長巻〝黒帝鋼玄〟がまだ使えない状態であることをちょっとだけ悔やむ。白虎ではペリュトンに勝てない――とまでは言わないが、面倒なのは事実だ。


 僕が身も心も戦闘態勢に入った瞬間である。


「ラグさんはそこで見ていて下さい。ここは、私の実力を披露する場面ですから」


「――あっ……」


 ロゼさんの言葉で、いきなり水をぶっかけられたように戦意が萎えた。


 そうだった。ここで僕が戦ったら、ここまで来た意味が無いではないか。


 けれど――


「だ、大丈夫なんですか?」


 失礼かもとは思ったけれど、聞かずにはいられなかった。


 ペリュトンの脅威度は、マンティコアのそれに勝るとも劣らない。僕だって支援術式を使わないと勝てないのに、女性が一人で戦うなんて、本当に大丈夫なのだろうか。


 僕の質問に、ロゼさんは振り返りもせず答える。


「ご心配なく。こう見えてソロは慣れておりますので」


 僕と同じだ、なんてちょっと共感した。あまり良いことではないのはわかっているのだけど。


「ハンドラーの戦いには、いくつかのパターンがあります」


 一歩前へ進み出たロゼさんが、これから戦うというのに淡々と語り始めた。どうやらハンドラーについて解説しながら戦ってくれるらしい。


 ロゼさんとペリュトン達との彼我の距離は約一〇メルトル。結構離れているようにも見えるけど、SBがその気になれば一瞬でゼロになる間合いだ。


「まずはこのように――」


 ロゼさんが右掌を上に向けて前方へ差し出すと、そこに青白い光の球体が出現した。エクスプローラーなら見間違えることはない、コンポーネントである。ギンヌンガガップ・プロトコルでストレージから取り出したのだ。


「〈リサイクル〉」


 続けて術式の起動音声が発せられた。ロゼさんの衣服に覆われていない肌の部分――僕からは彼女の横顔と右手しか見えないけど――に〝SEAL〟の幾何学模様が浮かび上がる。


 そこを駆け巡るフォトン・ブラッドが放つ輝きは、孔雀石の色――マラカイトグリーン。


 瑞々しい森のごとき光が直径三〇セントル程のアイコンを描き、掌のコンポーネントに作用する。その直後、これまで見たことも無い変化が起こった。


 それは、術式の名称そのまま【再生リサイクル】だった。


 術式を受けたコンポーネントが一際強い青白い輝きを放ち、弾かれたように宙を飛んでロゼさんとペリュトンとの中間地点へと落下する。


 青白い光の塊は落下しながら粘土のようにうねり、膨張し、変形し――一体のSBへと具現化したのだ。


『――PPPPPPRRRRYYYYYY!』


 たっ、と四本の足で純白の床に降り立ち咆吼を上げたのは、赤い体毛を持つ魔犬――レッドハウンド。このルナティック・バベルの低層によく出没する、下級SBだった。


「――――」


 初めて見た。


 これがハンドラーが得意とする、使役術式。


 強制的に活動停止シャットダウンされたが故にデータが破損したコンポーネントを、再びSBとして実体化させる術式。


「――と、入手したコンポーネントに仮想カーネルを与え、SBとして再生させる方法。これがリサイクルです。ただこれは、元々のアルゴリズムに介入して単純なコマンド入力しかできないのが難点ですが」


 流れるような口調で説明を続けながら、ロゼさんは右手の人差し指でペリュトンの一体を指し示し、


「アタック」


 短くそう言った。


『PPPPPRRRRRRRRYYYYYY!』


 コマンドを受けたレッドハウンドが雄叫びを上げ、ペリュトンへ向かって突撃を開始する。


 とはいえ、第三層にポップするレッドハウンドと、この一八八層のペリュトンとでは格が違いすぎる。というか、普通に考えて敵うわけが無い。


 案の定、レッドハウンドは一蹴された。


『GGGGRRRRRRRRRR!』


『PRRYYYY――!?』


 普通の犬と同程度の大きさのレッドハウンドが足元まで近寄ってきた瞬間、ペリュトンは鹿の脚――といっても大きさは段違い――で蹴り飛ばしたのだ。玩具か何かように吹っ飛んだレッドハウンドは、壁にぶつかって跳ね返る頃には再び活動停止してコンポーネントへと戻っている。


「――今のはあくまでパフォーマンスです。手持ちで一番弱いものを使用しましたので、この結果は想定内です」


 小さな球体へと回帰し、空中を滑って戻ってきたレッドハウンドのコンポーネントを〝SEAL〟へ吸収しながら、ロゼさんは語る。その言葉には言い訳の匂いは全くなく、ただ事実だけを淡々と述べているようだった。


『GGRRRRRR……!』


 一方、ペリュトンの方は今のレッドハウンドの敵対行為で完全に火が入ったらしい。甲高い間抜けな唸り声を上げ、三対の視線がロゼさんを睥睨する。


「さて、次なのですが……少々手荒になります。巻き込まれないよう気をつけて下さい」


 言うが早いか、ロゼさんの両腕が俊敏に翻った。シャラリと蒼銀の鎖が音を立て、宙を躍る。


『GGGGRRRRRRRYYYYYYYYYY!』


 同時、ペリュトンが激発した。三体が揃って翼を拡げ、羽の内部で大気を圧縮。次の瞬間、一気に解放された風が爆発し、奴らは頭の角を突き出して弾丸のように飛び出した。


 巨体がそれぞれ通路の空間を埋めつくし、こちらを押し潰さんと迫り来る。


「まずは邪魔者を遠ざけます」


 玲瓏と響く声に、鎖が鳴らす涼やかな音。


 ロゼさんの両腕に巻き付いている蒼銀の鎖が、彼女の動きに合わせて、まるで生きているかのようにその身を伸ばし、跳ね上がった。


 氷が軋むような美しい調べを奏で、鎖が伸長する。空中で円を描き、しなり、奔る。


 両手首がスナップ。


 鎖が大気を裂き、複雑な軌跡を残して宙空を貫く。その姿は、さながら稲妻のようだ。


『GRRRRR!?』『GGGRRRYYYYYY!?』


 高速で放たれた鞭にも似た双撃を受けたのは、後方左右にいたペリュトン二体だった。突き出していた脳天に鎖の直撃を受け、それぞれハエ叩きでも喰らったかのように床へ叩き付けられる。それどころか、墜ちた反動で後方へと転がっていった。かなり強烈なカウンターだったらしい。


「次いで捕縛です」


 ロゼさんがさらりと囁くと、二体のペリュトンをはたき落とした銀鎖が床に跳ね返るように翻り、うなり、分銅のついた二つの先端が、残る怪鳥を背後から追いかける。


 二本の蒼銀の鎖は螺旋を描きながらペリュトンに追い縋り、瞬く間に巨体を取り囲むようにして追い越した。


 刹那、ロゼさんの両手が鎖を掴み、紐を結ぶような動きで勢いよく引き寄せた。


 その途端、二重螺旋を描いてペリュトンの周囲を囲っていた鎖が締め上げられ、奴は広げていた翼ごと雁字搦めに縛り上げた。


『GGRRRRYYY――!?』


 ロゼさんの宣言通り、捕縛の完了である。


 が、捕縛されてもペリュトンの体にかかる慣性が消失するわけもなく。むしろ制御の利かない塊となってこちらへ飛んでくるわけで。


「う、うわっ!?」


 僕は慌てて身を沈め、頭を下げた。しかし、コントロールする自信があるのか、ロゼさんの背中は身じろぎもしない。


 果たして、その頭上ギリギリを鎖で縛られたペリュトンの巨体が猛スピードで通過する。


「続いて、ある程度のダメージを与えます」


 料理の工程でも説明するみたいに言うと、ロゼさんは振り返りつつ両腕を左右に、くいっ、くいっ、とスナップした。


 真っ直ぐ僕達の頭上を通り越していったペリュトンの軌道に力が加えられ――


 勢いそのまま右の壁に激突する。


『GRY!?』


 悲鳴と思しき電子音を吐き出すペリュトン。だが奴にとっては不幸なことに、衝撃は一度では終わらない。壁にぶつかった時の反動を鎖でうまく利用しているのか、まるでボールが跳ね回るようにペリュトンは床にも天井にも連続で叩き付けられる。


 ズダダダダダダン! と凄まじくも残酷な音が響いた。


 そんな光景を前に、


「まだ足りませんね」


 無慈悲にもロゼさんはそう断定した。


 彼女の両腕が頭上に掲げられると、激突の衝撃でまだ空中にあったペリュトンの体が、ガクン、といきなりこちらへ引き寄せられた。


「わっ、わわっ!」


 間違いなく僕にぶつかるコースだったので、慌ててその場から飛び退いた。


 そして見た。


 ロゼさんの露出している素肌、そこに浮かび上がっているマラカイトグリーンの〝SEAL〟が激しく励起する様を。


 かつて人類は、物理法則の枷に縛られていた。


 それを打破したのが、遺伝子に刻まれた〝SEAL〟であり、そこに流れるフォトン・ブラッドだ。


 術式を見てわかるとおり、僕達人類は【世界を変える力】――現実を【改変】する力を手に入れた。


 その力が発揮されるのは、何も術式を発動させた時だけではない。


 人体の一部である〝SEAL〟とフォトン・ブラッドは、自らが宿る肉体すらも、物理法則の限界から解き放ったのだ。


 もはや、筋力を決定付けるのは筋肉の質や量だけではない。


 筋力を強化する――その意志の強さに〝SEAL〟が共鳴したとき、人の肉体は容易にその物理的限界を超える。


 例えば剣嬢ヴィリーが、巨大なゲートキーパー・ボックスコングと真正面から戦えたように。


 僕の使う支援術式が、五〇〇倍や一〇〇〇倍といった馬鹿げた強化係数を実現させるように。


 そして今、ロゼさんが腰の横で構えた右拳を、引き寄せ戻ってくるペリュトンへ叩き込もうとしているように。


「――破っ!」


 珍しくロゼさんの唇から裂帛の気合が放たれた。


 全身の〝SEAL〟から鮮烈なマラカイトグリーンの輝きを放ちながら、ロゼさんは左足を前へ。半身を開き、綺麗なフォームで腰の入った右拳を打ち出す。


 その最大攻撃力が発揮される座標へペリュトンの腹部が飛び込んでくるのは、まさにドンピシャのタイミングだった。


 ズドン、と砲声にも似た重苦しい低音が響き、ロゼさんとペリュトンを中心に放射状の風が吹いた。ふわり、とアッシュグレイの髪が浮かび上がる。


 果たして、体格差を考えればあり得ない光景がそこには生まれていた。


 鎖で雁字搦めになったキメラ型SB、その剥き出しの腹に右拳を突き刺しているハンドラーの少女。


『――GR……RR……』


 カウンターになる形で腹へぶち込まれた拳に、ペリュトンが断末魔の呻きを漏らす。そこへ、


「〈カーネルジャック〉」


 すかさずロゼさんの術式起動音声。腹へ突き刺さった右腕を中心に一メルトル程度のアイコンが生まれる。


 マラカイトグリーンの光は蒼銀の鎖にも伝播し、一瞬、捕らわれのペリュトンの全身を淡く包み込んだ。


 術式の輝きが収まると、ペリュトンを絡め取っていた鎖がスルスルと解け始める。


「これでこのSBのコアカーネルを支配ジャックしました。今から【この子】は私の下僕です」


 ペリュトンの腹から右腕を抜き、鎖を回収したロゼさんはしれっとそんな事を言った。確かに拘束を解かれても、ペリュトンは暴れようとはしない。


「この使役術式の難点は、対象の耐久力がある程度下がっていないと実行できないところです。いきなりカーネルをジャックしようとしても抵抗されますし、ジャックに失敗した場合は術式が無駄になりますから」


 と、何やら平然とした顔で説明しているけれど、このルナティック・バベルの最前線付近にポップするペリュトンを、鎖と素手だけでそこまで追い込むことがどれだけ難しいか。


 怪力という一言で済ませて良いレベルでは無いはずだ。


「リサイクルとジャック。この二つがハンドラーの基本です。ここまでは、ハンドラーを名乗る人間なら誰にでも出来ることです」


「……は、はぁ……」


 多分だけど、誰にでもは無理なんじゃないかと思う。いや、ハンドラーとしての技術云々の話ではなくて。


 琥珀色の瞳が真っ直ぐに僕を見る。


「つまり、ここからが私、ロルトリンゼ・ヴォルクリングの真骨頂です。他のハンドラーとは格が違う所をご覧に入れましょう」


 そう宣言すると、ロゼさんはアッシュグレイの髪を振って残る二体のペリュトンへと向き直った。


 視線を転じると、通路の向こうで先程ロゼさんに地を舐めさせられたペリュトン二体が起き上がり、体勢を立て直そうとしている。


 ロゼさんは右掌を掲げ、術式の起動音声を口にした。


「〈リインフォース〉」


 岩緑青の輝きがアイコンを形作り、弾けて消える。


 術式による変化は、ロゼさんにではなく、彼女にジャックされたペリュトンに起こった。


『グルルルルルルルルルルルルルルルルァッ!』


 SBのものとは思えない低音の唸り声。


 ロゼさんの術式〈リインフォース〉の効果を受けたペリュトンの全身に、マラカイトグリーンの光が宿った。それは幾つかの塊に分かれ、集中し、まるで鎧のようにペリュトンの異形を覆っていく。


「これが他のハンドラーと違い、私のテイムするSBがすぐに見分けがつく方法――〝機甲化リインフォース〟です」


 完成した姿は、さながら馬鎧を着せられた騎馬のようだった。ロゼさんのフォトン・ブラッド色の光でペリュトンの要所を覆い強化された威容は、確かに他と見間違えることはないだろう。


『グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』


 機甲化――それが完了したペリュトンが力強い咆吼を上げた。大きな翼が勢いよく広がり、強い風を巻き起こす。


 見ただけで分かった。先程ロゼさん自身から与えられたダメージすら回復し、武装したペリュトン――ややこしいのでこれを『機甲ペリュトン』と呼ぼう――の全身から、充溢した力が迸っている。


「……すごい……!」


 思わず称賛の声が漏れた。これなら先程ロゼさんが『カモシカの美脚亭』で言った「必ずやお役に立ちます」という台詞も、そこに籠められた自信もわかる気がする。


「アタック」


 猛る機甲ペリュトンとは打って変わって、ロゼさんの唇から静かなコマンドが発せられた。


 再び鹿の口から雄叫びが上がり、広げた翼で風が爆発する。


 砲弾のごとき勢いで飛び出した機甲ペリュトンは、つい先刻まで仲間だったはずの二体に猛然と襲いかかった。


 機甲ペリュトンの力は圧倒的だった。


 まず最初の突撃で右の一体を巨大な角で貫き、引き裂いた。


 そいつが断末魔の声を上げる間もなく水風船のように弾け、青白いフォトン・ブラッドを撒き散らして活動停止する。さらに間髪入れず、機甲ペリュトンは残る一体へ両翼の先端についた刃で斬りかかった。


 空気抵抗を受けないよう寝かされた翼が左右同時に走り、マラカイトグリーンの光が『×』の軌跡を空間に刻んだ。


『GGGGRRRRRYYYYYYY――!?』


 鹿頭の喉元と鳥胴の胸部分を深く切り裂かれたペリュトンは、まるで裏切りの攻撃に抗議するような叫びを上げながら活動停止する。


 ペリュトン二体はコンポーネントへ回帰すると、宙を滑ってロゼさんの方へ飛んで行き、彼女の〝SEAL〟へと吸収された。どうやらハンドラーの使役するSBが他のSBを倒した場合、コンポーネントの所有権はマスターへと帰結するようだ。


 戦いを終えたロゼさんが、くるりと僕の方へ向き直る。


「いかがでしたでしょうか。もちろんこれだけではなく、私には他にも【手札】があります。必ず、ベオウルフ――いいえ、ラグさん。あなたのお役に立ってみせます」


 自信満々――ということもなく、相も変わらず淡々と無表情でロゼさんは言う。が、よく見ると琥珀色の瞳には、わずかながら期待の光が瞬いているように見えた。


「あ、えと……」


 僕は答えに窮した。


 別段、ロゼさんをクラスタに入れること自体は、僕は嫌では無いのだ。というか、さっきからそう言っているつもりなのだ。念のため、ハヌに確認をとってから返事をさせて欲しい――と。


 とはいえ、その意志がロゼさんに届いてないのだとしたら、上手く伝えられていない僕が悪いのだろう。


 そうだ。もっとちゃんと勇気を出して、はっきりと言うべきなのだ。


 そうでなければ、わざわざこんな所まで来て実力をアピールしてくれたロゼさんに失礼では無いか。


 僕は意を決すると深く息を吸い、頭を下げた。どうあっても聞いてもらえるよう大きな声を出す。


「ご、ごめんなさい! ちょっとだけ待って下さい! 僕の友達、ハヌと相談してお返事します! ですから一日、一日だけ待って下さい! お願いします!」


「…………」


 返事はすぐには来なかった。


 僕は腰を折って頭を下げたまましばらく待ったのだけど、それでもロゼさんは何も言ってくれない。


 流石に三〇セカドも過ぎるとおかしいと思って、面を上げた。


 すると、そこには海のように真っ青になったロゼさんの顔があった。


「……えっ!?」


 思わず驚きが声になって出た。


 ふらり、とロゼさんの体が揺れ、一歩後ろに下がる。


「……そんな……断られるなんて……ここまで言っても……駄目だなんて……私は……どうしたら……」


 呆然とした口調で呟く彼女に、僕は不吉な予感を得た。


 もしかしなくても、さっきの僕の台詞の「ごめんなさい」の部分だけしか聞いてないんじゃないか、この人――!?


「あ、あのですね!? 違いますよ!? ちょっとだけ、ちょっとだけ待ってもらえたら――き、きっとハヌも賛成してくれると思いますから!」


 一生懸命言葉を尽くすけど、ロゼさんの表情は一向に和らがない。もしかしたら耳に入ってないのかもしれない。


 ロゼさんはさらに二歩、三歩と後ずさり、最後には通路の壁に背中をもたれさせた。


 余程ショックを受けたのだろう。目は虚ろに、視線はあらぬ方向へ向けられている。


 ――だ、だけど、もうちょっと人の話を聞いてくれないものかなぁ!? いや僕が言うのも何だけどっ!


 と、その時だった。


『――グルルルルルRRRRRRRRRYYYYYY!!』


 戦いを終えて大人しくしていた機甲ペリュトンが、突如動き出した。しかも咆吼のトーンが徐々に元の甲高い電子音に戻るおまけ付きで。


「――!」


 背筋に悪寒が走り、全身が一気に緊張する。


 何事が起こったのかは理解できなかったけど、危険な状況だってことだけは肌感覚で理解していた。


 反射的に右手の白虎を強く握り、身構える。


 これはただの直感だけど、おそらく茫然自失に陥ったロゼさんの制御が弱まり、機甲ペリュトンのジャックが解けてしまったのではないだろうか。


 しかも使役術式は解けただろうに、何故か機甲化は変わらずそのまま。この状況では、考え得る最悪のパターンだった。


『GGGGGRRRRRRRRRYYY!!』


 操られた挙げ句に仲間を殺させられた恨みだろうか。機甲ペリュトンの敵意はまっすぐロゼさんへと叩き付けられた。


『GRRYY!』


 機甲ペリュトンが武装したまま巨大な翼を拡げ、鹿の脚で床を蹴った。爆発的な突進力。普通のペリュトンを一撃で粉砕した角の突撃が、ロゼさんを狙う。


 一方のロゼさんは下僕の反逆に気付いていない。まったくの虚脱状態で、無防備なままだ。


「――危ないっ!」


 気付いた瞬間、僕は無我夢中で動いていた。


 支援術式〈ストレングス〉〈ラピッド〉〈プロテクション〉をそれぞれ五つを同時発動。僕の全身から星屑のごとく十五個のアイコンが飛び散る。切羽詰まっていたからだろう。強化した肉体とそれを操作する心の摺り合わせは無意識に行っていた。僕はごく自然に、強化係数三二倍の体を操る。


 疾風のような速度で、空中を突進する機甲ペリュトンとロゼさんとの間に割り込んだ。さっきから握りっぱなしだった白虎を右手に持ち、左手を機甲ペリュトンの角へ向けて突き出し、〈スキュータム〉を五枚重ねで展開。


 薄くディープパープルに輝く術式シールドを束ねて、機甲ペリュトンの突撃を真っ向から受け止めた。


 骨の芯まで響く強い衝撃。


「くっ――ッ!」


 歯を食いしばり耐えると、〈スキュータム〉が一枚だけ砕け散った。が、そこで機甲ペリュトンの突進の威力は完全に死ぬ。慣性を全て打ち消された奴は、空中で無防備に浮かぶただの的と化す。


 僕はすぐさま〈スキュータム〉を解除して奴の懐へ飛び込むと、右手の白虎を振りかぶり剣術式を発動させた。


「〈ズィースラッシュ〉!」


 右手の甲に紫紺のアイコンが浮かび、弾けた。


 僕の右腕、そしてその手に握る白虎が術式のフォローを受けて半自動的に動く。


 剣術式〈ズィースラッシュ〉は白虎のように刃の短い武器で使用することを推奨される術式だ。理由は、高速で放つことに意義があるからである。


 僕の右手が目にも止まらぬ速度で三度閃き、白虎の白刃が術式の名前のごとく『Z』を描いた。


 最後に右手が大きく後ろへ引き絞られ、それこそ弓矢よろしく突きが放たれた。


 彗星のごとく尾を引いて奔った刺突が、斬撃の軌跡が描いた『Z』字のど真ん中を穿つ。


『GGRRRRRR――!?』


 僕の身体能力と共に強化された白虎の刃は、ロゼさんの〈リインフォース〉で形成された鎧をもまとめて切り裂いていた。


 首元、胸、腹に斬撃スラッシュを受け、締めに体の中心へストローク符合としてのスラッシュを刻まれた機甲ペリュトンは、今際の声もそこそこに活動停止シーケンスへと移行していく。


 徐々に薄くなって消えていく機甲ペリュトンの姿を見届けると、僕は支援術式プロセスを一斉に解除。肩の荷を下ろしたように、どっと脱力する。


「ふぅ……」


 安堵の息を吐くと、背後のロゼさんへと振り返る。どんな顔をしていいのかわからないまま、曖昧な笑顔でこう聞いた。


「あ、あの……大丈夫、ですか?」






 ――ごめんなさい。


 その一言が頭の中で反響して、目の前が真っ暗になった。


 よもや、ここまで自分の実力を誇示したのに、即答で断られるとは思ってもみなかったのだ。


 ひどいショックだった。


 予定していたこと、想定していたこと全てが水泡に帰したと思い、頭の中が空っぽになってしまった。


 ジャックしたペリュトンの手綱を手放してしまったことにすら、気付かないほど。


「――危ないっ!」


 その鋭い声で正気を取り戻した時にはもう、決着はついていた。


 深い紫色の光がいくつも弾けたと思ったら、自分のテイムしたSBが『Z』字に刻まれ、活動停止に叩き込まれていた。


 ほんの一瞬だった。


「――――」


 さっき受けた衝撃が、別の驚きで吹き飛んでいた。


 目の前には、いつの間にか少年――ラグの背中があった。


 ぼけっとしていたとはいえ、一体どうやって彼がそこに立ったのか、まるで分からなかった。


 速いなんてものではない。先程の紫色の光は支援術式のアイコンだっただろうか。あの輝きの量、いったいどれだけの数を同時に制御したというのか。そして、それによる副作用をものともせず、しかも自分が使役術式〈リインフォース〉で強化したペリュトンを瞬殺したというのか。


 あのヘラクレス戦を映像で見ていながら、そしてこうして直に目にしていながら、俄には信じられなかった。


 ――怪物。


 その文字列が脳裏をよぎる。


 これはまさしく怪物の所行だ。勇者ベオウルフなどという異名は、むしろ【生温い】のではないだろうか――


「あ、あの……大丈夫、ですか?」


 ラグが振り返り、そう聞いてきた。何とも言えない、微妙な苦笑いを浮かべて。


「…………」


 こちらが目を見張って硬直していると、彼は何を思ったか、


「え、えと、あの……そ、そうだ! ちょ、ちょっと待って下さいね?」


 そう言って空中に両手の指を走らせ、どうやら自身の〝SEAL〟の操作を始めた。


 少しして、ロゼの〝SEAL〟にネイバーメッセージの受信があった。


 発信者の名前は、ラグディスハルトとある。


「……?」


 目の前にいるのにわざわざダイレクトメッセージを? と視線で問うと、少年はまたも曖昧な笑みを浮かべてこう言った。


「あ、あの……ぶ、文章ならわかりやすいと思いまして……」


 どういう意味かはわからなかったが、とりあえずメッセージを見ればわかるかもしれない。そう思い、ロゼは〝SEAL〟を操作して受け取ったメッセージを開いた。




『明日、返事をします。一日だけ待ってください。多分、大丈夫です。僕がハヌを説得します。明日から一緒にエクスプロールしましょう』




 思わず二度読みしてしまった。


 内容を理解した瞬間、ロゼは何かの歯車がずれていたことに気付いた。


 先程の「ごめんなさい」は、自分の思う「ごめんなさい」ではなかったのだ。


 勘違いだったのだ――と。


 そう悟った途端、ロゼはとても恥ずかしくなってきた。


 しかし、それをおくびにも出さず、彼女は努めて冷静な声を作ってこう言った。


「……わかりました。よろしくお願いします」


 表情も歪まないよう、顔の色も赤くならないよう、最大限の配慮をした。幸い、それらの努力は正しく報われた。


 だが、目が泳ぐのだけはどうすることも出来なかったのだった。





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