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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第五章 正真正銘、今日から君がオレの〝ご主人様〟だ。どうぞ今後ともよろしく

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●45 幕間・復活劇 4







 その怪物は、じっと息を潜めていた。


 姿を隠し、気配を抑えながら、ただひたすらを窺っていた。


 何の機かと言えば無論、戦いの機である。


 生まれ落ちてからこの方、戦いに関してだけは『機を見るに敏』を地で行ってきた怪物である。目を閉じていようと、耳を塞いでいようと、鼻を封じていられようと、勝機だけは決して逃さない。


 故に、待つ。


 待機するのは得意だ。何もしなくてもいい。ただひたすら、勝利の果実が熟れて落ちてくる瞬間を待てばいいのだ。さすれば甘い恍惚は自然と手元までやってくる。


 こんなに楽なことはない。


 焦れることもない。ほくそ笑むこともない。これまで何度もやってきたことだ。当たり前すぎて何の感慨もない。


 呼吸をするように観察し、ひたすら機が熟すのを待つ。


 狙うべき獲物は九つ。


 否、今ちょうどとおに増えた。


 特段に大きいのが一つ。中ぐらいのが七つ。小さいのが二つ。


 まずは定石通り小さいのから狙いたいところだが、二つの内一つは弱っている。また大きいのもかなり傷付き、消耗しているようだ。


 怪物が普段狩っている獲物というのは、体が大きければ大きいほど鈍重で、小さければ小さいほど敏捷はしこいのが常だ。


 だが、今回の獲物らはその常識の埒外にあるらしい。観察の結果、大きい奴ほど敏捷性にすぐれ、小さい奴ほど足が遅いのがわかった。


 なら、まず狙うべきは一番大きい奴……と見せかけて、やはり小さいのを狙おう。


 何故なら、先程から中くらいの奴らが小さい奴、特に白くて綺麗な奴を【ぐるり】と囲んで守っていたからだ。


 だから小さい奴を狙えば、自然と大きい奴も中くらいの奴も前へ出てくる。自らやられに来る。不完全な状態で。そこを叩くのだ。そうすれば楽に狩ることができる。


 化物の思考に『正道せいどう』というものはない。『邪道』というものもない。


 結果だけが全てだ。結果に繋がるものだけが全て正しく、繋がらないものは全て悪。それだけの理屈しか持ち合わせていない。


 故に化物は最初の標的を、小さくて白い奴に定めた。もう一つの、小さくて蒼い奴はグッタリとしている。あれは最後でよさそうだ――とも。


 時間というものは便利な指標だ。時が経てば経つほど、獲物は警戒を緩める。先程から奴らは寄り集まり、談笑しているように見える。一部の獲物が眠っているので、きっと動けないのだろう。最初は周囲を警戒していたようだが、やはり時を経るごとに緊張感が緩んでいくのが、もはや目に見えるようだった。


 もう少しだ。もう少し経てば、完全に警戒を解く。


 その時こそ、機の熟す時だ。


 満を持して【ここ】を飛び出し、一つずつ順番に狩る。


 そうすれば自分の勝ち。完全勝利だ。


 だが油断は禁物である。


 なにせ、あちらには自分をここまで追い詰めた奴がいるのだ――と怪物は気を引き締める。


 こうして隠れているのは奴のせいだ。黒い中くらいの奴。アレのせいで【鎧】が壊され、剥がされた。


 おかげでこうして、【素】の状態で怪物は隠れ潜んでいる。


 一番の脅威はアレだ。アレだけは何を置いても確実に狩らねばならない。


 逆に言えば、あの黒い中くらいの奴以外は、さほど恐れる必要がないとも言える。


 怪物はこっそりと牙を剥き、音もなく爪をぐ。


 あの黒い中くらいの奴とて、周囲の仲間がやられれば驚き、激昂して、隙が出来るに違いない。そこが好機だ。


 その瞬間こそ、全身全霊を以て、あの黒い中くらいの奴を終わらせる。


 息の根を止めてやるのだ。


 怪物はそう心に決め、更に待つ。じっと待つ。


 絶好の瞬間が訪れるまで。


 そら、そうこうしている内に黒い中くらいの奴がこちらへ背を向けた。


 いいぞ、いいぞ。もっとだ、もっと気を緩めろ。


 一方的に、一気呵成に、激流に呑み込まれるように、一瞬で終わらせてやる。喉笛を噛み切ってやる。


 油断しろ。気を抜け。安心しきってしまえ。


 その時がお前らの最期だ。


 やがて、黒い中くらいの奴だけでなく、青い中くらいの奴ら――どうやらこの三つはメスのようだ――までもが、こちらへ背を向けた。


 もはや、怪物がいる方面に気を払っていないのが明白だ。


 完全に油断しきってい


 ――何だ?


 怪物は微妙な違和感を覚えた。


 鳥がいる。


 そう、この気配は空を飛ぶ鳥だ。空気の流れでわかる。


 それが複数。怪物が隠れているあたりを旋回するように飛んでいる。


 なんと鬱陶しい存在か。こんな時に限って。自分が隠れ潜んでいるのがバレたらどうしてくれよう。


 この場から飛び出して邪魔な鳥共を食い散らかしたくなるが、怪物はぐっと我慢する。


 まぁいい、逆に好機と捉えればよし――と。


 もはや機は熟した。今こそ決行の時。


 ここを飛び出し、白くて小さい奴を真っ先に狙う。そのまま狩れればそれもよし。大きい奴、中くらいの奴が庇いにきたとしても、またよし。


 初撃によって生まれた間隙を突き、一番の脅威たる黒くて中くらいの奴を最優先で狩る。


 さぁ、行くぞ。


 さん、にぃ、いち――






 結局のところ【奴】は、僕達が気付いていることに気付かなかったらしい。


 ゴルサウアはまだ生きている――そんなことは言われるまでもなく、この場にいる全員がわかっていた。


 何故なら、ゴルサウアが乗っ取ったミドガルズオルム・ヒュドラの体は粉々に砕け散ってはいても、奴はいまだ情報具現化コンポーネントへと回帰していなかったのだから。


 そうは言っても僕は、感覚的にはいきなりここへ連れて来られたようなものだったから、先程のように『白』チームの通信回線を通じてヴィリーさんに教えてもらったのだけれど。


 その時、一緒にゴルサウアのやり口についても聞いた。


 奴は【やられた振り】をすると。それでこちらが油断したところを狙ってくると。実際、ヴィリーさんも一度それにやられかけたのだ、とも。


 そこまでわかっているなら、逆に利用する他ない。


 虎視眈々とこちらの隙を窺うというのなら、そうとわかった上で隙を見せてやればいい。


 無論、油断などしてやらない。だが、奴には『こちらが油断している』と思わせねばならない。


 だから僕はこっそりと支援術式〈イーグルアイ〉を複数発動させ、キラキラと輝く砂の山と化したミドガルズオルム・ヒュドラの残骸を見張っていた。


 ゴルサウアがどこぞに隠れて僕達の様子を窺うように、こちらも同じように鳥の目をもって監視する態勢を作ったのだ。


 だから、奴の動き出す瞬間は確実にわかった。その時のために覚悟も決めていた。


 しつこいようだが、ここはルナティック・バベル。そして、このゲームにおいてだけでもエイジャがやってきたことを考えれば、ここにきて僕達が油断する理由は微塵もない。


 ただ唯一の誤算は、巨体を脱ぎ捨てた奴のスピードだった。


 正直、これまでのゲートキーパー、フロアマスターとの戦いではなかったパターンだった。


 考えてみれば当たり前の話で、体が大きければ大きいほど鈍重どんじゅうに、小さければ小さいほど素早くなるのは自然の摂理だ。もちろん例外はあるだろうけれど。


 思えば、かつて戦ったシグロス・シュバインベルグもそうだった。将星類ドラゴンのコンポーネントこと〝星石〟と融合し、竜人形態になった奴は、それこそ強大なドラゴンの力を圧縮ないし凝縮したようなパワーとスピードを誇っていた。


 まさに疾風迅雷。


 ゼルダさんの異名も顔負けする、それがゴルサウア『本体』の速度だった。


 そう、『本体』。〝妖鬼王ゴルサウア〟はフロアマスターであると同時に、鬼人の王でもあった。結局のところ鬼人の軍勢ですら奴の一部だったと判明しても、突き詰めればゴルサウアが一号氏、二番氏、三等氏と同じく〝巨人態ギガンティック〟を纏った存在であることに変わりはない。


 であれば必ず〝核〟が存在する。僕達と同じ人間サイズの『本体』が。


 ただそれが、まさか砂の山を爆発させて閃光にも等しい速度で飛び出してくるとは、流石に予測できなかった。


 一瞬だった。


 弾丸どころか、光さえ『見てから躱せる』とも言われる〝剣聖〟――その愛娘であり〝剣嬢〟であるヴィリーさんですら反応できないほどのスピードだった。


 色んな色が混じり合った極彩色の閃光がまっしぐらに襲いかかったのは、誰あろう、僕のすぐ近くにいたハヌだった。


 こと今に限っては自慢にもならないが、僕はその気になれば強化係数一〇二四倍の〝アブソリュート・スクエア〟でも普通に動ける集中力の持ち主である。だがそんな僕でも、【見えてはいたが動くことができなかった】。まだ支援術式の重ね掛けをしていない状態では、目で反応できても、肝心の手が間に合わなかったのだ。


 そんな中、【彼】だけがまともに動けたのは、熟練した戦士の勘か。あるいはパワードスーツのセンサーと加速力のおかげか。それとも『黒い僕』が下したという命令の強制力によるものか、はたまたハヌの言霊による支配がまだ解けていなかったのか。


「――――」


 ハウエル・ロバーツ。


 彼だけがハヌとゴルサウアの間に立ち塞がり、致命の攻撃を防ぐことが出来た。


『……げぇ……ッ……!』


 青黒いパワードスーツのスピーカーから流れ出たのは、おそらくは吐血のそれ。びしゃびしゃと水音が混じっている。


 原因は一目瞭然だ。その巨体に応じて大きな腹のど真ん中を、ゴルサウア本体の頭から生えた極太のつのによって、完全に貫かれていたのだから。


 様々な色がマーブル模様を描くように散りばめられた、毒々しい体色。それは頭に生えた角も例外ではなく、海老色に輝く血に濡れたそれがハウエルの背中から生え、あと数セントルで先端がハヌに届くといったところで止まっていた。無論、ハヌの顔は飛び散った海老色のフォトン・ブラッドによって盛大に汚れている。


「――!?」


 絶句した。先述の通り、これほどまでの――ほとんど光に近い速度は、完全に予想外だったのだ。いずれ痺れを切らして出てくるだろうとは思っていたし、大体の居場所もわかっていたが、ここまで規格外なスピードはまったく想定していなかった。


 ハウエルとゴルサウア以外の全員が息を呑み、凍り付く中、


『――ハッハァッ! 捕まえたぜぇ!』


 痛覚を母親の腹の中に置いてきたかのごとく、ハウエルが巨腕でもってゴルサウアを捕獲した。頭の角を前へ押し出して腹部へと突っ込んできた体に対し、脇の下へと腕をくぐらせ、ゴルサウアの背中側で両手を繋げて、逆羽交い締めにする。


 当然、腹に角が刺さった状態でそんなことをすれば、更に深く沈むに決まっている。だというのにハウエルは一切の手加減無く、全力でゴルサウアの本体を締め上げた。傷口がさらに大きく広がり、腹に空いた穴の縁から、大量の海老色のフォトン・ブラッドが押し出される。見ているこっちまで痛みを覚える光景だった。


「ギ、ギギッ――!」


 どこか昆虫じみた奇妙な声を上げるゴルサウアの『本体』。


 体の大きさは成人男性の平均ほどか。まるで全身に鎧を着ているかのような形状だが、それは肉の内側にある骨格が異常なほど肥大化しているからだ。長く伸びた髪はざんばらで、極彩色の体色を映えさせるがごとく真っ白。落ちくぼんだ眼窩からは、おどろおどろしい毒色の光が漏れ、炎のように揺らめいていた。


「ギアッ、ギァアアアアアアアアアアアアッッッ――!!!」


 ハウエルの膂力によって捕らわれたゴルサウアが奇声を上げる。ジタバタと四肢を動かして暴れ、逃れようとする。だがハウエルの逆羽交い締めは完璧に極まっており、ビクともしない。


『――オラァ何してやがるテメェら!! 〝勇者〟のに〝剣嬢〟のぉ!! ボサッとしてんじゃねぇぞぉ!!』


「――ッ!?」


 ハウエルのその怒声によって、僕達は間抜けな硬直から脱出できた。


 だが次の瞬間、ゴキリ、と骨の外れる嫌な音がゴルサウアから響いた。途端、極彩色の人体がスライムになったかのようななめらかさで、するり、とハウエルの腕の中から脱出する。


「ギギァッ!!」


 そこからは再びの高速。電光石火の速度でゴルサウアは逃げ、僕達から距離を取る。自分が飛び出してきた砂の山のふもとまで一時撤退し、四つん這いになって身を沈める。毒々しい色に揺らめく両眼が、こちらを睨め付けてくる。


『チィッ――!』


 ほんの数瞬しかゴルサウアの『本体』を捕らえていられなかったハウエルは、悔しげに舌打ちの音をスピーカーから響かせると、そのまま膝を折って崩れ落ちた。


「お、おぬし……!」


 思わずと言った感じで声を漏らしたのは、庇われる形となったハヌだ。


 だが傷付いたハウエルを気遣う余裕は微塵もなかった。


「ギァッ!」


 短く吼えたゴルサウアが、獲物を狩る肉食獣のごとく身をたわませたかと思うと、またしても極彩色の閃光と化した。目が眩む色合いの角が突き込まれる先は――僕。


「――~ッ!?」


 僕は咄嗟に〝SEAL〟の出力スロットに術式を装填。支援術式〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉をそれぞれ五つずつ同時に発動――ダメだ間に合わない!?


 どう計算しても奴が突っ込んでくるまでに術式の処理が終わらない。僕が襲い来るであろう衝撃と激痛に対して奥歯を噛んだ、その瞬間。


 一体何の冗談か、青黒いおおきな背中が目の前に現れた。海老色の光が視界の端でひらめいたかと思えば、ぬっと落ちた影に体ごと包み込まれたのだ。


『――オオルルルルァアァアアアアアアアッッ!!』


 眼前の巨体から迸る雄叫び。続いて響く鋭い激突音。


 周囲に散らばらせていた〈イーグルアイ〉の視覚情報から、ハウエルが今度は僕を庇ってゴルサウアの突進を受け止めている姿が見えた。先程空けられた腹の穴に、もう一度あの極太の角を突き入れさせて。


 暗い赤茶色に輝く液体が派手に飛び散り、僕の全身に浴びせかけられた。


「ギァッ! ギァギァギァアァアァアアアアアアアッッ!!」


 一度ならず二度までも攻撃を阻害されたゴルサウアが、明らかに苛立ちまぎれの叫びを上げた。今度は捕まる前に、弾かれたピンボールのような勢いでハウエルから身を離す。だが距離が短い。ハウエルの腕が届くか届かないかの絶妙な間合いを開く。そこから、


「ギギィィィィィアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」


 猛攻撃が始まった。


 速い。


 速すぎる。


 目にも止まらない連続攻撃が棒立ちになったハウエルへと畳み掛けられる。


 かつての竜人シグロスを想起させるような、猛烈な連打ラッシュ。ゴルサウアの両手足に生えた鋭い爪が、ハウエルのパワードスーツを紙切れか何かのように引き裂き、破壊していく。


 最初の角の突撃によって貫通したのもそうだったが、あのハウエルの装甲を、である。いくら支援術式が使えなかったとはいえ、僕が防御を抜くことを諦めて火山のマグマに飛び込むしかなかったほどの、あの堅固な装甲が。


 嘘のように砕かれ、剥ぎ取られていく。


 ついにはヘルメットが吹き飛び、頭部が露わになった。血塗れになったドレッドロックスが広がり、海老色に光る水滴を飛散させる。


 それでもゴルサウアの連撃は止まらない。


 それは時間にすれば数秒のことだったろう。だが、その間にハウエルへ浴びせられた致死性の攻撃の数は百は下るまい。例えHPが残っていたとしても、あっという間にゼロになっていたはずだ。


 思い出したように、すっかりパワードスーツを剥がされたハウエルの巨躯が青白い光に包まれる。ゴルサウアのあまりの猛攻に処理落ちしていたかのごとく。


 ――だめだ、まって……


 あまりにも目まぐるしい展開に頭がついていかない中、現在進行形でボロボロになっていく男の背中に、僕は思わず手を伸ばしかける。


 そうとも、この男は敵だ。不倶戴天の仇敵だ。だからこの男が傷付き倒れようとも気にする必要などない。実際、一度はこの手でそうさせたではないか。


 でも、なら、どうして。


 この男は、僕を庇って傷付いているのだ――?


「ギィィイイイイイイッッ!!」


 倒れない。ハウエルが一向に倒れない。だからゴルサウアの攻撃が激化の一途を辿る。もう既にHPを失い〝死亡〟エフェクトが始まっているというのに、この『探検者狩り(レッドラム)』の大男は一歩も退かず、僕とゴルサウアの間に立ち塞がり続ける。


「――ヘッ、〝追い剥ぎ(ハイウェイマン)〟が身ぐるみ剥がされてりゃ、世話ねぇって話だぜ。ハッハァッ!」


 なおかつ肉声で、そのような軽口まで叩いた。


 その上で、


「――それはそれとして、いい加減にしやがれってんだこのクソがぁッッッ!!!」


 突然、両腕を大きく広げたかと思えば、そのまま体を前方に投げるようにして猛攻撃を仕掛けているゴルサウアに抱きついたではないか。


「ギィァ――!?」


 ベアハッグ。


 パワーはともかく、体格だけで言えばハウエルの方が上だ。故にゴルサウアの極彩色の肉体を抱き寄せ、背骨を折る勢いで締め上げる体勢に持って行くのは容易だったらしい。ゴルサウアの強靱な足腰が地から離れ、せっかくのスピードが殺される。


 もはや全身から青白い光の粒子を噴出させているハウエルは、その状態で今一度、僕達に向かって怒鳴りつける。


「テメェらもだヴィリーにベオウルフゥッ!! とっとと逃げて態勢を立て直しやがれぇッ! 人がここまでやってやったんだ! 無駄にしやがったら承知しねぇぞオラァ!!」


「ギァギァアァアァアアアアアアアッッ!!」


 被さるように、両腕と腰を拘束されたゴルサウアが、唯一自由となる両脚をバタバタと暴れさせた。その度に爪先から伸びた長く鋭い爪がハウエルの下半身に突き刺さり、えぐ穿うがつ。それでもハウエルのベアハッグは小揺るぎもせず、むしろ力を増してギチギチと極彩色の怪物を締め上げた。


「――ラトっ!」


 ハヌの声。振り向くと、正天霊符〝酉の式〟を発進させてこちらへ来る姿。手を伸ばして、僕を呼んでいる。


 それを知りつつも、僕は問わずにはいられなかった。


「ど、どうして……!?」


 どうして僕らを庇ったのか。しかも身を呈して僕達を逃がそうとしているのか。僕達は互いにしのぎを削ったほどの敵同士だったはずなのに――と。


 たった四文字の疑問符を、しかしハウエルはあやまたず汲み取ってくれた。


「――ハッ、クズな大人がガキ共の手前、ちいと見栄を張っただけだ。気にしてんじゃねえよ……」


 その声は果たして、ハウエルの喉から発せられて僕の耳に届いたものだっただろうか。


 次の瞬間には無意識に上げていた手をハヌに掴まれ、腰から下をライトワイヤーのおおとりの頭に担ぎ上げられるようにして、僕の体は宙に浮いていた。


 瞬く間にハウエルとゴルサウアの姿が、その向こうにいるヴィリーさん達の姿が遠ざかっていく。


「――ハヌ! ヴィリーさんやアシュリーさんが……!」


 そう言っている間に、ゴルサウアをベアハッグで拘束していたハウエルの姿が、青白い光の粒子となって霧散した。途端に極彩色の怪物が自由を取り戻す。


「も、戻ってハヌ! みんなを助けなきゃ!」


 ハヌの〝酉の式〟の広い背中にそのまま寝かされていたロゼさんやフリムはともかく、カレルさんとユリウス君はエアバイクから下ろされ、地面にマットを敷いて横たえられていた。アシュリーさんが再びエアバイクをストレージから取り出し、運転席に座り、他のみんなを乗せて空に飛ぶには、どうしたっていくらかの時間が必要だ。


 その間、あのゴルサウアの超スピードで攻撃されてはたまったものではない。


 助太刀してみんなが逃げる時間を稼ごう、と言った僕に、


「ばかもの!」


 ハヌから本気の怒声が叩き付けられた。


「こちらにはロゼとフリムがおるのじゃぞ! 気を失っているこやつらがいるのに、あのような危険な化生のもとへ戻れると思うてか! おぬしは仲間の命を何じゃと思うておる!」


「――ッ……!!」


 速度を緩めるどころか、むしろ力強く加速させて鳳を飛翔させるハヌ。グングン遠ざかり小さくなっていくヴィリーさん達と極彩色の怪物の姿、そして友達からぶつけられた強烈な言葉に、僕は声にならない声を漏らしてほぞを噛んだ。


 ハヌの言う通りだ。あのハウエルをものの数秒で〝死亡〟させたゴルサウアの攻撃力と速度。奴のいる場所へ、意識のないロゼさんとフリムを連れて行くのはあまりに危険すぎる。


「でも、僕が〝アブソリュート・スクエア〟を使えば……!」


 元よりそのつもりで、みんなで示し合わせて『ゴルサウアが生きていることに気付いていないふり』をしていたのである。危険は承知の上だったはずだ。


「ならぬ! 見たであろう! 少しの油断で命が散るぞ!」


 ハウエルの返り血に汚れた顔で、ハヌは断固として僕の要求を却下した。


「気持ちはわかるが今は一時撤退じゃ! 余所のことは余所、こちらはこちらじゃ! 妾達はまず自らの仲間を守らねばならぬ! 違うか!?」


「……!」


 ハヌの言うことは完全に正しい。むしろ僕の言っていることが支離滅裂なのがよくよく自覚できる。


「でも――!」


 それでもなお、僕は黒帝鋼玄を背中の鞘に収めながらスミレ色の鳳の頭をよじ登り、〝酉の式〟を操縦しているハヌに喰らいつく。


「それなら僕だけ、僕一人だけで行けば――!」


 額がぶつかるほど顔を近付けたところ、今度は右頬に衝撃が走った。


 さっきほど強烈ではなかったけれど、それでもハヌの掌に殴られたのだ。


 高速で空を飛翔する鳳の上で、僕は唖然とする。


 横に向かされた顔を元の位置に戻すと、僕の友達は綺麗な蒼と金のヘテロクロミアから、ボロボロと悔し涙をこぼしていた。


「ならぬと言っておろう! 一人で行って何とする!」


 ただでさえ、僕を除いた全員で死力を尽くしてもなお殺しきれなかった相手ぞ――という、ハヌの心の声が聞こえるようだった。


 しかし、僕だって無策で言っているのではない。


 現在進行形で戦場から遠ざかっている中、僕はなおも声を張り上げて訴える。


「――【だからだよ】! 僕じゃないとダメなんだ! いや、僕一人の方がいいんだ!!」


 気付けば僕も涙声になっていた。ハヌに殴られようが、泣かれようが、絶対に引けない時がある。今がその時だった。


「あいつのスピードに対抗できるのは僕だけなんだ! だから僕じゃないとダメなんだ! 他の人じゃ無理なんだよ! 僕が今行かないと――みんな死んじゃうんだよ、ハヌ!!」


 だけどハヌの決意だって固い。僕をみすみす死地へ行かせたいわけがない。僕が行方をくらましている間ずっと気を揉んでいたのだ。また同じ想いをするのはごめんだと思っても無理はない。


「…………」


 だから、ぐっと唇を横一文字に引き結んで、強気な目線で僕を見つめ返すハヌに、僕はひたすら頭を下げるしかなかった。


 両手で小さくて細い肩を掴み、深くこうべれてお願いする。


「だから、お願いだよ、ハヌ……! お願いだから……【僕を僕でいさせて】……!」


 咄嗟に出てきたその言葉が、どのようにハヌに響いたのか、僕には知りようもない。


「――――」


 ただ、小さな体が硬く強張ったのが、肩に乗せた両手に伝わってきた。


 そして、短くも長い逡巡の果て。


「……あいわかった。そこまで言うのなら、もう止めはせぬ。行くがよい」


 抑揚のない、感情の抜け落ちた声音。思わずおもてを上げると、そこには眉根を寄せて、実にもの悲しげな表情をしたハヌがいた。


 諦めるように僕の顔から視線を外した彼女は、肩を掴む僕の腕に、そっと小さな手を添える。


 すぅ、と息を吸い、


「【サルベージ】」


 突然のマジック発動に、僕は瞠目する。


 これを以心伝心というのだろうか。


 ゴルサウアが砂の山から飛び出してくる直前、僕がハヌにお願いしようとしていたのが、まさにこの『サルベージ』のマジックだったのだ。


 万全の状態で戦うため、僕をプレイヤーとして〝復活〟させて欲しい――そのためにハヌのMPを使って欲しいと、頼もうと思っていたのだ。


 ハヌの手からスミレ色の輝きが溢れ、僕の腕を伝って全身へと伝播する。淡い燐光が僕を包み込むと、視界の端にあるHPとMPが一ゲージずつ回復していく。




 HP:■■■■■■■■■■


 MP:■■■■■■■■■■




 完全回復に至るまで、ほんの数秒しかかからなかった。


 やがてスミレ色の燐光が消え、マジックの効果も終了する。


「誓え、ラト」


 不意に下りた沈黙を破るように、ハヌが〝酉の式〟を減速させながら強い声で言った。


 視線を戻し、真っ正面から僕と目を合わせる。


「必ずや生きて帰ってこい。よいか、必ずじゃ。必ずじゃぞ。妾は……待っておるからの」


 普段のハヌならまくらに『今更言うまでもないことじゃが』と付けていたかもしれない。


 だが状況が状況だけに、彼女は僕の言葉を欲した。誓え、というのはつまりそういうことなのだ。


 だから、僕も深く頷きを返す。


「わかった、任せて」


 両手の中で微かに震えるハヌの肩を、少し力を込めて握る。切なそうに、だけど鼓舞するように、キリリと引き締めた表情で見つめてくる大切な友達に、僕は力強く誓う。


「絶対に、必ず、勝って帰ってくるから」


 そこからは、ある意味ではいつも通りだった。


「安心して、ハヌ」


 僕は恐怖心を誤魔化すために。


 心の奥の深いところに埋まっている勇気を汲み出すために。


 魔法の呪文を口にした。




「三分間だけなら、僕は世界最強の剣士だ」




 そう言い切ると、気付けば僕は自然と笑顔を浮かべていた。


 何故だろう。不思議なことに、このセリフを声に出して言うと、どうしても表情筋が緩んでしまうのだ。


 そんな僕の顔をハヌは、じっ、と見つめ――


「……うむ。よかろう」


 くふ、と口元を綻ばせて笑った。


 僕達を乗せたスミレ色の鳳が、空の一点で完全に停止する。


 僕はハヌの後方で眠っている――怪我はないようだけど、まだ目を覚まさない。心配だ――ロゼさんとフリムに視線を向け、


「……いってきます」


 聞こえないと知りつつも、囁くようにそう告げた。


「よいか、ラト。妾はこのまま、こやつらを伴って安全圏へと移動する。勝負を決めた暁には――」


「うん、通信を飛ばすか、届かない時は『サーチ』を使って探しに行くね。だから、待ってて」


 ここで、よくある物語のヒーローなら、ヒロインである女の子の額や頬にキスなどしてから立ち去るものなのだろう。でも僕とハヌは友達同士なので、そういったやりとりは必要ない。


 ハヌはしっかと頷き、言った。


「いってこい。はよう帰ってくるのじゃぞ」


 だから僕も頷き、快諾した。


「うん、頑張る」


 そこから僕は、自身にかけていた心理的なセーフティロックを解除した。


 立ち上がりながら〝SEAL〟を励起。


 全身を深紫の輝きが駆け巡る中、いつもの支援術式を一斉発動。


 ――〈ストレングス〉――


 ――〈ラピッド〉――


 ――〈プロテクション〉――


 ――〈フォースブースト〉――


 パッと花火が散るように、十個の術式アイコンが僕の周囲に現れてはまとめて弾け飛んでいく。それを都合四回繰り返すと、僕の強化係数はフルエンハンスの一〇二四倍――即ち〝アブソリュート・スクエア〟へと達した。


 ハヌとも、ロゼさんとも、フリムとも、極力使用しないという約束を交わしていたけれども。


 やっぱり、いざとなればこうなるのだ。


 こうなってしまうのだ。


 我ながら度し難い奴だと思う。


 でも、これが僕なのだ。


 こうでなければ、僕ではないのだ。


 だから、せめて悔いだけは残さない。絶対に、何があろうとも、全身全霊を使い切って、目に見えるもの、手の届く範囲のものを守り抜いてみせる。


「――――」


 一度は鞘に収めた長巻、黒帝鋼玄を抜き、構え直して。


 さぁ、行こう。


 さんいち――


 後ろ向きに軽く跳躍して、ハヌの〝酉の式〟から飛び降りる。受け止めてくる足場を失った僕の体が下へ落ちる。


 ハヌやロゼさん、フリム達の姿が視界から外れて。


 支援術式〈シリーウォーク〉発動。


 ここぞ、というタイミングで空気の壁を全力で蹴っ飛ばした。


 何もない空間が雷鳴にも似た悲鳴を上げる。


 刹那、僕は深紫の稲妻になった。







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― 新着の感想 ―
[一言] ハウエルがカッコいい……だと……!? 想像以上に悪いやつではありませんでしたね……良いキャラだ。今度は「他人のために命を張れる大人が、なぜ探索者狩りなんかしてたのか」という疑問が浮かんだりし…
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