●43 混戦・収束、そして火蓋が落ちる 2
『SSSSSSSSSSHHHHHHHHHHHHHHRRRRRRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――――――!!!』
巨大な怪物が目を覚ます。
途端、ロゼの肉体と精神、その両方に膨大な負荷がかかり始めた。
当然だ。本来なら人間などには到底まかないきれないほどのエネルギーを必要とする存在、それが遺跡のフロアマスターだ。
それをたかだか一介のエクスプローラー、一人の使役術式使いが再生して召し抱えるなど、もはや人力で十万トンを超えるクルーズ船を動かすにも等しい。
到底できるはずがないのだ。
だが、ロルトリンゼ・ヴォルクリングはそれを敢行する。
「――……ッッッ!!!」
遥か高みから降ってきた巨大な岩石がごとき負荷を、ロゼは全身全霊で受け止めた。
重い。あまりにも重過ぎる。
だが必要なものは全て揃っている。ほとんどが急ごしらえだが、それでも理論上は問題ないはずだ。
頭の中を、〝SEAL〟の演算回路を、膨大な情報が濁流のごとく流れ行く。もはや一つ一つの情報を精査している余裕などない。一塊の情報を『そういうもの』と定義して丸呑みにするしかない。とにもかくにも再生が完了し、現実世界への具現化が成功してしまえばこちらのものだ。後はフロアマスターことミドガルズオルムの持つ戦闘アルゴリズムが、自動的に活動を開始するだろう。
だが逆に言えば、そこまでが難関とも言える。
「――ッ、これっ、思った以上にっ……ヤバイ、わねっ……ッ!」
背後から〈フォトンプロバイダー〉によって、ミドガルズオルムの具現化に必要な力の一部を供給してくれているフリムが、苦しげに荒い呼吸を繰り返す。ロゼほどではないが、彼女にも相当な負荷がかかっていた。
ミドガルズオルムの再生に必要なエネルギー源は二つ。一つがフリムの特殊体質『永久回炉』。もう一つがカレルレンが接続してくれた『地脈』からのバックアップ。
どちらが欠けても完全再生には足りない。『地脈』との経路を維持するだけ――と言っても、それとて相当過酷なことだが――のカレルレンと違い、フリムは文字通り自分の身を切り売りしている。カレルレンの負担もかなりのものだが、後に語る【もう一つの役割】を思えば、フリムの負担はロゼに次ぐものであった。
『SSSSSSSSSSSHHHHHHHHHHHHRRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――!!』
耳を劈く電子音の咆哮。大地の内側にあったものが膨張し、地表が一斉に盛り上がった。
大きくせり上がるのは、ロゼ、フリム、ハヌムーン、そしてヴィリー、アシュリー、ゼルダ、カレルレン、ユリウスを含めた八人を中心とした周辺の大地。直径五十メルトル以上の範囲が丘のように盛り上がったかと思うと、次いで、その地域を取り囲むように【九つ】の土柱が突き上がった。
土砂が間欠泉のごとく噴き上がり、天を突き刺す。吹き飛ばされた土くれや石礫、舗装路の欠片が雨のように降り注ぐ中、いくつもの電子音が重奏する。
『SSSSHHHHHAAAAAAAAA!!』『SSSSHHHHHHRRRRRRR!!』『SSSSSSHHHHHHYYYYYAAAAAAAA!!』『SSSSSSSSSHHHHHHHHHRRRRRRRRRYYYYYYY!!』『SSSSSSSSSSHHHHHHHHHHRRRRRRRRRRROOOOOOOOWWWWWWWWWW!!』
地底から次々と飛び出してくるのは、玉虫色の装甲を持つ蛇の首。それも、一本一本が樹齢数千年の大樹よりも太い、超がつくほどの大蛇だ。
地中から一斉に天空へ向けて勢いよく伸び上がる、巨大な機械の蛇身。
その数、総じて九つ。
何あろう、ミドガルズオルムの第二形態〝ヒュドラ〟であった。
首一つが長く連なった列車のようにも見える、ヒュドラの九つ首。その内の三本が宙で反転し、『本体』の質量によって盛り上がる地上の一部を目指す。果たして、その先にいたのはヴィリー、アシュリー、ゼルダの三騎士だ。素晴らしい速度で三人めがけて頭を下した三つ首の蛇は、しかし彼女らを襲うことなく、むしろ恭しく丁重に迎えた。人間の大人など軽く一呑みできるほどの大口を開き、赤く細いマニピュレーターの舌を差し出す。女傑三人がその舌先にブーツを載せると、そのまま蛇頭の上へと運ばれた。
合わせて、ミドガルズオルム・ヒュドラの『本体』が土砂のヴェールを脱ぎ捨て、姿を現す。瀑布がごとき土砂崩れを下へ落としながら、九つの蛇身を取り纏める大きな【胴体】が顕現した。
中央に大きな眼球を持つ、木の切り株のような、あるいは亀の甲羅にも似た円盤型の『本体』。玉虫色が揺らめく金属の巨塊。見ようによっては、九本の華の土台となる植木鉢に見える。
ギョロリと開いた大目玉の中心部に立つロゼを筆頭に、エネルギー供給を続けるロゼとカレルレン、詠唱に集中するハヌムーンはその場に残り続け、せり上がるヒュドラの『本体』に乗ったまま立ち位置が上昇していく。
しかし、ここで異なる行動を取る者が一人だけ。
最後尾のユリウスだ。
「よぉ――――――――し来い来い来い来い来た来た来た来たきたきたキタァ――――――――ッッッ!!!」
幼い少年が踊るように全身を振り回し、様々なポーズをとっては奇声を上げる。
カレルレンの展開した〝領域〟は既に地上からヒュドラの装甲へと移っている。『本体』の中央の目玉――と言っても生物的なそれではなく、あくまでも硬く透明なレンズである――の上を這い、ルビーレッドの輝線がそれぞれのメンバーの足元へと伸びている。〝面〟を広げて不特定多数の味方を対象に『地脈』の恩恵を授けるのではなく、直接カレルレンの〈ブラッドストリーム〉を接続することによって『地脈』との経路を形成しているのだ。
「いま再び余の威光が復活するっ! やあやあ我こそはユリウス・ファン・デュラン! 遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 戦友達よ、ここは余にまかせよっ! これが天下無敵の〝鎧袖一触〟の力っ! 我が無双の〝サウィルダーナハ〟ッ――どぅわぁ――――――――――――――――ッッッ!!!」
次々にポージングしながら――当然、本人はかっこいいと思ってやっている――溜めに溜めた叫び声を轟かせたユリウスの、小柄な体から溢れんばかりの山吹色の輝きが迸った。あまりに強すぎる輝光は少年の姿を塗り潰し、余人の目には映らなくなる。
次の瞬間、黄金にも似た輝きを放つ少年の体が、急激に膨れ上がった。
一瞬にしてユリウスの形をした光の塊が青年然としたシルエットへと成長し、輪郭を持つ。
サンライトイエローの光がゆっくりと落ち着くと、やはり現れるのは、大人に成長したユリウス・ファン・デュランその人。
こうして幼い活発な少年から、相当な美丈夫へとユリウスが変化するのには理由がある。
デュラン家に代々受け継がれる、秘蔵の物質データ〈光の城と影の国〉。
だがその他にも、デュラン家の男には延々と継承され続けているものがあった。
それこそが、ユリウスの成長した姿の根源。
それは〈光の城と影の国〉をストレージから具現化させる際、肉体が急激に【活性化】してしまう――という特性だった。
ただし、これがデュラン家の〝SEAL〟および遺伝子に刻まれた特性なのか、あるいは〈光の城と影の国〉が有する副作用なのかは、判然としない。
だがどちらにせよ〈光の城と影の国〉を具現化している間、デュラン家の当主の肉体は常に【最盛期の姿】へと変化する。幼き者は成長し、年老いた者は若返り。だがその理屈も原因も不明。代々『そういうものだ』として継承され続け、現在へと至る。
デュラン家がその武力から、デイリート王国の貴族界内で畏れ敬れつつも、どこか『頓痴気』扱いを受けているのは、このあたりが原因であるのだろう。
肉体が急激な変化が生じるため、もしかするとこれも『変貌者』の一種かもしれない。ただ残念ながら、大切な当主の肉体にメスをいれるわけにもいかないため、真相を究明するのは非常に困難だった。
「フハハハハハハ!! フゥ――――――――ハッハッハッハッハッハァッ!! 気分いいなあこれ! 余は大変楽しいぞカレルレン! またやりたい! もっとやりたい! むしろずっとやりたい! 次もこれでいこう!! よいか!? よいな!! よおぉおぉしっっ!!」
腕を組んで仁王立ちになったユリウスは、己の役割に集中して返事をしないカレルレンに一方的にまくし立てると、一方通行のまま話を終わらせた。
その身が、ふわり、と宙に浮く。
「よいぞよいぞ、先程は皆の後塵を拝したが、今度こそ余の独壇場!! 戦友を守るため、我が全身全霊を尽くそうではないかっ!」
いつの間にやら彼の足元には眩い光が収束し、そこから現れた黄金の大盾が足場となって、その体を空中へと押し上げていた。
「そう、今度こそっ! 今度、こそ――」
高笑いをし、傲然と胸を張って大声で宣っていたユリウスの声が、不意に詰まった。
次いで、気持ちよさそうに笑っていた顔が、一転して曇る。まなじりを下げ、眉を弓形に反らし、唇をへの字に変え、やがて薄いエメラルドの両眼から滂沱と涙が流れ落ちた。
「お、おお、おおおお……おおおおおおおおおおぉーんっっ!!」
狼の遠吠えにも似たそれは、紛れもない哀哭だった。
せっかくの美貌が崩れるほどの号泣を、唐突に始めたユリウスは、天に向かって己が不明を叫ぶ。
「すまないっ! すまなかった皆よっ! 我が戦友達よっ! 余が、この余が不甲斐ないばかりに、あたら皆の命を散らせてしまった……何より余が、誰よりも余こそが、皆を守らなければならなかったと言うのにっ……!!! ううっ……うおっ……!!!」
うおおおおおおおおおお――とユリウスは再び喉を伸ばして慟哭した。目尻からこぼれた涙が、雨となってヒュドラの『本体』へと降り注ぐ。
このユリウスという少年、こう見えてただの脳天気ではない。基本的にマイペースかつ世間知らずの常識外れだが、それだけに誰よりも青臭い精神を持つ。
彼だって『蒼き紅炎の騎士団』の仲間が好きだった。ナイツのメンバーを愛していた。
なにより先程の戦闘においてユリウスは防衛を任されていた。皆を守る使命を与えられながら、しかし、みすみすと仲間達の命を敵に奪われてしまった。
気にしていないように見えて、大いに気にしていたのだ。あっけらかんとした顔の内側で、人知れず懊悩し、自己を責めていたのだ。
だからこそ、戦いを前にして彼は号泣する。仲間達の英霊にこそ誓う。
「――必勝だ! 余は必勝を皆に誓おうっ! 必ずや勝つと! 決して戦友達の命を奪った奴らを許さぬと! この余の魂にかけてっっ!!」
澎湃と涙を流すユリウスは、両腕を広げて決意の言葉を天にこだまさせる。
そこへちょうど、被さるようにミドガルズオルム・ヒュドラが咆哮した。
『SSSSSSSSSSSSSSHHHHHHHHHHHHHHHRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRYYYYYYYYYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――――――!!!』
産声を上げる赤子のように、九つの蛇頭がユリウスよろしく天に向かって電子音の雄叫びを上げる。甲高い音響の唱和が、警笛のごとく浮遊大島全体へ鳴り響いた。
何かを呼び寄せるように。
だが、これを賛同として受け取った馬鹿がいる。
「――おお、おお……!! よくわからぬが卿も余と同じ想いか! そうだな!? そうなんだな!? そうだろうとも!!!」
泣き顔から一転、同志を見つけたと思い込んだユリウスは、満開の花に匹敵するほど壮麗な笑みを浮かべた。
しかし当然ながら、それは盛大なる勘違いである。
次の瞬間、ヒュドラの周囲を取り囲むように、百を超える青白い光の球体が一斉に出現した。
ヒュドラの頭の一つに乗っているアシュリーは、この光景からいつかの時を思い出し、表情筋の一部を引きつらせた。
何もない空間に現れた青白い光球の群れは、転瞬、次々に具現化を果たしていく。
『UUUURRRRRRRRRYYYYYYYYYYYYYY――!』『GGGGGGYYYYYYAAAAAAAAAA――!』『WWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOWWWWWW――!』『GGGGGRRRRRRAAAAAAAAAA――!』『PPPPPPPPPGGGGGGGGGGYYYYYYYYYYY――!』
青白い光の球――即ち情報具現化コンポーネントは、ミドガルズオルム・ヒュドラが召喚した下兵類ドラゴンの群れだった。
宙に浮いたものは飛竜へ。
地表に降りたものは駆竜へ。
それぞれが多種多様なドラゴンとして顕現し、戦意の咆哮を轟かせる。
一般的にドラゴン系SBは、比較的小さなサイズ――いわゆるレッサー種であろうと、様々な遺跡に配されているゲートキーパー級に準ずる力を持つとされる。
これが体格の大きい竜種であれば当然、ゲートキーパー級を超え、フロアマスターにさえ迫る実力を持つ。
そんな怪物がヒュドラの一声で百体以上も召喚されたのである。
「――まさしく圧巻ね。敵だった時はひどく厄介だったけれど、こうして味方となると、これほど心強い援軍もそうそうないわ」
蛇頭の上で蒼炎を纏ったヴィリーは、次々に展開していく自軍の陣営に嘆息する。
何が恐ろしいかと言えば、この圧倒的な風景を作り出しているのが『たった一つのクラスタ』という事実である。
この場にいるエクスプローラーは僅か八名。その内の七名の力で以てミドガルズオルム・ヒュドラおよびドラゴンの軍勢はこうして具現化している。
無論、起点となるのはかつてラグディスハルトが倒したフロアマスターのコンポーネントであり、それを再生できるのは〝神器保有者〟であり使役術式使いであるロルトリンゼ・ヴォルクリングだけだ。
どちらも得がたい才能、得がたい実力――即ち、得がたい人材である。
そして、具現化のためのエネルギーを供給しているのもまた、尋常ならざる逸材ばかり。
無限のフォトン・ブラッド回復力を持つ特異体質者、ミリバーティフリム。
手前味噌だが、神器〝生命〟の力を応用して人と『地脈』を接続させるカレルレン・オルステッド。
――こうなったからには、本気で考えないといけないわね。この子達と一緒になることを……
戦闘に臨む今、ヴィリーは意識的に自身の感情を凍結している。故に、先刻は泣き喚き無茶を叫んでいた悲劇に対しても、大して心は動かない。大切な部下達の喪失を数字として丸呑みし、騎士団の団長として冷静な思考だけを稼働させていた。
大半のメンバーを失った『蒼き紅炎の騎士団』はもはや、クラスタとしては壊滅したと言っても過言ではない。たった五人ではただのパーティーだ。ここで、自分達はクラスタではなくナイツだ、と強がってみたところで実態は変わらない。
今こうして、これほどの戦力を用意できる人材を手元へ置きたいと考えるのは、人材コレクター的側面を持つヴィリーでなくとも、至極当然な心理だった。
一方その頃、
「――あーーーーーーー!! キッツ!! これキッツ!! かーなーりキッツイわ!! っていうかロゼさん大丈夫ぅ!?」
現在進行形で絶賛エネルギー供給中のフリムは、自らが背中を押すロゼに対して愚痴半分、心配半分の声をかける。
「……大丈夫、です。それよりも、集中を。まだ、完全ではありません」
フリムの両手に背中を預けているロゼは、硬い声で返答した。一聞しただけでは余人にはわからないだろうが、その声音はロゼの限界寸前を示すものだった。
理論上で可能であることが、現実でもそのまま容易に実践できると思ったら大間違いだ。思った通りに事が運ぶのならこの世に苦労はない。
支援術式〈フォースブースト〉の重ね掛けによって出力は充分過ぎるほど確保した。
フリムとカレルレンの尽力によって燃料も存分に用意できている。
ならば、あとは駆動系だ。
ロゼの〝SEAL〟によって、膨大な情報量が圧縮されたミドガルズオルムのコンポーネントを処理し、現実世界に具現化するための演算をやりきらねばならない。
だが、はっきり言ってロゼ一人の能力では処理しきれない。文字通り情報量が桁違いなのだ。この点が当時、自分が十人は必要であると語った由縁である。
たとえ天地がひっくり返ろうが不可能な所業を、いかに可能とするか。
「……オッ、ケー。大丈夫よ、アタシも、覚悟はできてるし――いいわよ、こっちに【もっとちょうだい】」
「……お願い、します……!」
既にロゼもフリムも、髪の先まで拡張した己の〝SEAL〟をこれでもかと励起させている。孔雀石色と純紫の輝きを全身から放ち、ミドガルズオルムの再生に全精力を注いでいる。
転瞬、二人の輝紋がその煌めきを強めた。
「――~ッ……!?」
急激に増大した負荷に、フリムがピュアパープルに輝く両眼を見開き、奥歯を強く噛みしめる。
出力の増幅、そして燃料の増大を外部に求めたロゼは、演算装置もまた複数用意して並列処理することを画策した。
そのために必要だったのが、現在フリムに宿っている神器〝共感〟だ。
前所有者のロムニック・バグリーは神器の力を主に『読み込み』に活用していた。相対した者の心を読み、あるいは記憶を覗き見るなど、戦闘を有利に運ぶために。
だが神器〝共感〟の力はそれだけではない。実際、ロムニックも最後の最後には神器の力を敢えて暴走させ、決闘を観戦する群衆の心をラグディスハルトへの憎悪一色に塗り潰し、その行動を操る愚挙を決行した。
そう、〝共感〟の力は一方的に『読み取る』だけではなく、他者への『書き込み』も可能なのである。
であれば、これを使わない手はない。
ミドガルズオルムのコンポーネントを再生するロゼに掛かる膨大な演算負荷を、〝共感〟によるセッションでフリムへと分割――【ではなく】、ルーターによって接続されている全員へと【分散】。そうすることでロゼとフリムは、各々の仲間の〝SEAL〟の空き領域を借りてミドガルズオルムの具現化に必要な演算を処理できるよう、ネットワークを構築したのだ。
無論、演算のメインはあくまでロゼであり、フリムはそのサブ、他の者はさらにそのサブだ。負荷の大半はロゼとフリムが担っており、他の六名は負担らしい負担を感じていない。そちらに気を取られては、それぞれが負った役割を果たせないからである。
畢竟、神器〝共感〟によって形成された演算ネットワークは、いわば補助輪に過ぎない。主動力であるロゼとフリムが動かない限り、補助もまた効果を現さないのだ。
「――あと、もう少し、です……!」
脂汗を滲ませながら、両手で印を結んだロゼが低い声で告げる。事前に想定していた負荷はしょせん机上の空論でしかなく、頭の中で行うシミュレーションと、実際に行動して受けるフィードバックは、完全に別物だった。
頭の中にあふれかえる情報の奔流に、脳みそがシェイクされるかのようだ。耳や鼻の穴から攪拌された脳細胞がこぼれそうになる。自分がいま立っているのか地面に伏しているのかもわからなくなってきた。ともすれば現実の体感覚が失せ、意識もろとも空気に溶けてしまいそうな錯覚を感じる。
「ねぇ、知って、る……? 山登り、って……頂上の直前が、一番……キッツイん、だって……!」
演算の負荷こそロゼより少ないフリムだったが、彼女には〈フォトンプロバイダー〉によって情報具現化エネルギーを供給するというもう一つの役目がある。さらには神器〝共感〟による演算ネットワークの維持を合わせれば、あるいはロゼ以上の負担が彼女にはかかっていた。
実を言うと、既にロゼの背中へ当てている両手の感覚がない。体温は感じるので、掌がそのままロゼの体と溶け合い、内部に埋まってしまったかのように思えてならない。頭が朦朧として前後不覚もいいところだ。膝はさっきから笑いっぱなしで、腰もいつ抜けるかわかったものではない。
いつしか、ロゼとフリムは二人して肩で息をするようになっていた。
はぁ、はぁ……と声を漏らし、玉の汗をかき、全身を小刻みに震わせる。
どちらも膝を突いていないのが不思議なほどだった。
しかしながら、二人の献身もあってミドガルズオルムの再生は順調に進んでいた。今や強大なフロアマスターは第二形態のヒュドラとしての顕現を果たし、その眷属である竜種らも召喚できた。戦闘アルゴリズムも動き出し、もはやいつ開戦しても問題はない。
だがそれでも、ロゼとフリムは演算を続けなければならなかった。最終的にはミドガルズオルムの本来の姿――即ち〝第三形態〟を情報世界から引き出し具現化させるまで、どのみち彼女達の仕事は終わらないのである。
「――来ます! 来ますでありますですよ!」
ヒュドラの頭の一つに乗っているゼルダが、鼻をひくつかせながら叫んだ。
次の瞬間、城壁のごとくそびえ立つユリウスの〝コンホヴァル・マク・ネサの盾〟から、凄まじい擦過音が響き始めた。
妖鬼王ゴルサウアだ。
先程からハヌムーンの強大な術力、およびミドガルズオルム・ヒュドラの出現を感知して、無数の角が壁を削る音が鳴っていたが、それが急激に大きさを増してきた。
ついに本腰を入れて戦闘行動を開始したのだ。
もはや黄金の巨大盾から響くのは掘削音へと変貌している。強靱な鬼の角が、鉄壁の防御を削り、掘り崩しにかかっているのだ。
来る――そう直感した前衛の三名が完全戦闘態勢に入った。
ヴィリーは身に纏った蒼炎を広げ、火炎鳥の形状へと変化させ。
アシュリーは〝サー・ベイリン〟の『モード・ロンギヌス』を構え。
ゼルダは人狼形態へと〝変貌〟してマーナガルムの柄を強く握り込む。
ハヌムーンの詠唱はまだ続いている。味方のいるこの場で、彼女の極大術式を発動させるには【それなりの加減】が必要となる。その調整に時間が掛かっているのだ。
「フハハハハハハ!! そちらだけではないぞゼルダ! 見たまえ! 四方八方からも有象無象が寄り集まっているではないか! 盛り上がってきたぞう!」
一人、自らの力で宙に浮いているユリウスが、高らかに笑いながら両腕を広げる。その言葉通り、ありとあらゆる方角に鬼人の群れが織り成す巨影が見えた。
「そうら行くぞカレルレン!! 余にもっと力を寄越せ!!」
傲然と吼えると、青年ユリウスは広げた両腕をオーケストラの指揮者よろしく大仰に振り上げた。
その気炎に応じるように、彼の全身を覆っていた山吹色の燐光が煌めきを増し、星屑にも似た無数の光を散り撒く。
「出でよ! 出でよ! 出でよ! 余の中に眠りし力よ! 彼奴らめの進路を阻むために!!」
山吹色の〝SEAL〟が激しく励起し、光の粒子を立ち昇らせた。
バッ、と鋭い衣擦れの音を立てて、ユリウスが勢いよく万歳をする。
「――限定再臨! 〈光の城と影の国〉ッッッ!!!」
刹那、シャボン玉にも似た光の〝膜〟がユリウスの体から放射され、瞬時に膨張した。
サンライトイエローの輝きが全方位へと広がり、あっという間に浮遊大島全土を駆け抜ける。
それはさながら、地上を奔るオーロラのようでもあった。
際限なく拡大していく薄い山吹色の〝光膜〟が通った後には、ほのかな燐光が残される。
直後、地表から天空に向かって勢いよく光の柱が突き立った。
空を指す槍の一撃がごとく。
しかも連続だ。
止まらない。
いくつも、無数に――否、無限に。
雨後のタケノコがごとき勢いで数百、数千の光の柱が地上の至る所から立ち上がり、天を突き刺さんとばかりに伸び上がっていく。
地中から地上へと逆に打ち込まれる杭のようだ。
乱打される。
最初は無秩序に突き立ち、だが数が増えていくにつれ、それらは実は計算され尽くされた場所から飛び出していたことが判明する。
適当に突き出しているものと思われていた光の柱は、しかし空いた隙間を埋めるように次々と新しいものが生まれ、やがて整然と連なり、繋がっていく。
果たして出来上がるのは、黄金の光で練り上げられた大壁。
そして、その大壁で組み上げられた城塞都市だ。
鬼人の〝巨人態〟の全長を遙かに超す長大な城壁。迷路のように入り組んだ街並み。建造物は全てが砦。四方に門を置き、東西南北を貫く大通り。
それはまさしく、黄金の光で形作られた一つの街だった。
「さあ、見たまえ戦友達よ!!」
己が再びこの世に現臨させた、秘伝の物質データ〈光の城と影の国〉の一部を眼下に眺め、ユリウスは胸を張って誇る。
「これで彼奴らめの進路は制限された! 余の城壁に触れることあたわず! 空を飛んで超えようとするものは〝ブリューナク〟が撃ち落とす! なれば彼奴らめは四方の大通りを進むしかない! そこが狙い目だ!」
そう、ユリウスの展開した黄金の城塞都市は、けして鬼人の軍勢の侵攻を防ぐためのものではなかった。
むしろ、その逆。
【誘い込む】ことにこそ、その目的はあったのだ。
『WWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOORRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRROOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOWWWWWWWWWW――――――――――――――――!!!』
ユリウスがヴィリーを救出するために展開した〝コンホヴァル・マク・ネサの盾〟の向こう側から、『蒼き紅炎の騎士団』の者達にとっては耳慣れた咆哮が轟いた。
醜悪で巨大な肉体を失い、確たる形を持たぬ『角の群れ』と化した奴のどこから出ているのか。
聞く者の魂すらも震わす雄叫びが、強く大きく響き渡る。
また、その叫びに応じるように、
『■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!!』『■■■■■■■■■■■■■■■!!』『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!』『■■■■■■■■■■!!』『■■■■■■■■■■■■■■■!!』『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!』『■■■■■■■■■■!!』『■■■■■■■■■■■■■■■!!』『■■■■■■■■■■――!!』『■■■■■■■■■■!!』
ユリウスの言う通り、鬼人の放つ鬨の声が四方八方から届き始めた。
だが迫力だけなら、こちらも負けてはいない。
『SSSSSSSSSSSSSSHHHHHHHHHHHHHHHRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRYYYYYYYYYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAOOOOOOOOOOOOOOOOOWWWWWWWWWWW――――――――!!!』
ミドガルズオルム・ヒュドラの九つの蛇頭が負けじと吼え、
『VRRRRAAAAAAAAOOOOOOOOOWWWWW!!』『GGGGRRRRRRYYYYYYY!!』『URRRYYYYYYYYYYYYYY!』『PPPPGGGYYYYYYYYYY!』『GGGGGRRRRRRAAAAA!』『WWWWOOOOOOOOOOOOOOOWWWWWW!!』
蛇の王に付き従う飛竜と駆竜の群れが追随して戦歌を天に轟かせる。
刹那、それを待っていたかのように、〝コンホヴァル・マク・ネサの盾〟に大きな亀裂が走った。
空間そのものが裂けたかのごとき大きな破砕音を立て、黄金の城壁に罅が入る。
最初は稲妻のごとく縦に走った数本のそれは、やがて時を経るごとに広がり、次第に蜘蛛の巣にも似た形を描いていく。
堅固な堤防が蟻の穴を起点として崩れゆくように、破壊は連鎖して広がり、ついには決定的な崩落を呼んだ。
爆砕。
パズルのピースのように割れた城壁の隙間から、数百数千の色取り取りの角が飛び出した。
ゴルサウアの角――いや、今やゴルサウアそのものと言っても過言ではない『硬質生命体』だ。
『――!!』
断裂した黄金の壁は雪崩を打って崩れ落ち、空いた亀裂からは『角の群れ』が勢いよく吹き出し、押し寄せる怒濤と化す。
それは金属と生きた角の群体による大津波だった。
轟音、激震、世界が揺れる。
最終決戦の幕が、派手に切って落とされた。




