●39 混戦・銀鎖の乙女と災厄女王
「ねぇ、あっちは相当盛り上がってるみたいだけど、アタシ達はどうしたらいいと思う?」
「あちらへの加勢は必要ないでしょう。既に白黒のチーム分けも意味がなかったとわかりましたし」
「よね。じゃあ合流するなら、あっち――ハルトと小竜姫ってことになるけど……」
語尾を濁しながら、フリムは紫の双眸を頭上に向ける。
「邪魔者を排除して進むか、あるいは無視して飛行していくか。どちらかですね」
黒髪ツインテールの少女に倣って蒼穹に琥珀色の瞳を向けたロゼは、相も変わらずの恬淡さで応じた。
二人の視線の先にあるのは、やはり怒濤のごとく押し寄せてくる巨人らの軍勢。
ざっと見積もっても百体以上。もはや巨大な壁がそのまま近付いてくるような光景である。
常人であれば恐怖で凍り付くであろう状況にしかし、はぁ、とフリムは深い溜息を一つ。
「まったくなによもー、こんなに離れてるっていうのに、どうしてアタシ達がここにいるってわかるわけ?」
憮然と吐き捨てた。
二人がいるのは中央の都市区から遠く外れた、浮遊大島の北側。ちょうどスタート前に過ごした海辺の近くである。
ラグディスハルトと小竜姫との戦いで消耗したフリムとロゼは、回復の為にいったん飛行でここまで移動し、身を休めていた。
そこへ、先程のエイジャの『告白』と鬼顔城の登場である。何事かと腰を浮かせている内に、あれよあれよと事態は進行した。島の東の方から天変地異としか言いようのない竜巻と炎の嵐が巻き起こったかと思えば、唐突に何もなかったかのごとく掻き消え。
その直後あたりから、島中央の都市区で明らかに『蒼き紅炎の騎士団』によるものとしか思えない、凄まじい戦闘が勃発したのである。
フリムの〝ホルスゲイザー〟によって高速飛行が出来るからと、戦場から遠く離れた場所で一息ついていた二人は、あまりにも早い状況の変化にすっかり【置いてけぼり】を喰らってしまっていた。
「おそらくですが、あちらも『サーチ』のマジックが使用できるのではないでしょうか。それなら合点がいきます」
「あ、なるほどね。そりゃ確かに」
ロゼの指摘に、フリムがポンと手を打った。これが『ゲーム』であり、〝こちら〟と〝あちら〟のプレイ条件が同等なのであれば、なるほどマジックが使用できるのも道理である。
「――ってちょっとちょっと、おいおいおいおい? いやこのゲームバランスかなりおかしくない? アタシ達ってば普通の人間よ? あっちは鬼人っていう特別な『変貌者』な上に、あんな〝巨人態〟にライド・オンしてんのよ? なのにあっちもマジックが使えるってわけ? 『フリーズ』とか『ウォール』とか。しかも数が段違い過ぎだし。これクソゲーにも程がない?」
納得したのも束の間、フリムは空いた片手を適当に振ってゲーム設定に半笑いでツッコミを入れる。
そんな軽口に、しかしロゼは追従しない。
小首を傾げ、アッシュグレイの柔らかい髪を揺らした。
「――? そうでしょうか? 前にも申し上げましたが、戦いは体が大きければ良いというものではありません。小さいことが有利に働く場合もあります。数は確かに多勢に無勢ではありますが……少なくとも【私達四人】にはあまり意味のないことかと」
「えっ? そこでマジレスされちゃうのアタシ?」
素で返されてしまったフリムは、冗談の通じない仲間に思わず真顔になって甘引きしてしまう。
「それより移動はどうしますか? ラグさんと小竜姫なら、おそらくは先程の竜巻と炎が渦を巻いていたあたりにいるものかと」
「あなたって、ほんっとブレないわよねぇ……」
しれっとツッコミを無視して次の話題へと移ってしまうロゼに、フリムは苦笑いするしかない。
――でもまぁ、こういうところがこの人の魅力っちゃあ魅力なのよねー……
ロゼの空気を読まないところ、基本的に即断即決が過ぎるところは時に短所となるが、それ故に彼女の美点でもある――とフリムは考える。
周囲の空気に関係なく行動するということは、芯が強いということだ。固い信念であったり、自己を律するルールを持っているということだ。だからこそ、周りの雰囲気に流される人間には出来ないことがロゼには出来る。
判断と行動が早いのも、勘違いや失敗の元ではあるが、こと戦闘に置いては最も重要な素養である。
このあたり、ロゼと小竜姫はよく似通っているな、とフリムは思うのだ。
傍から見ると到底似ても似つかない、見た目だけならラグディスハルトと比するよりも更にデコボコな二人だが、実は本質的には似たような気質を持っている。
故に、小竜姫とロゼが意外と意気投合して仲良くしているのは、フリムから見れば意外でも何でもないのだった。
以前、フリムはラグディスハルトからこんな問いを受けたことがある。
『そういえばフリムって、ロゼさんに対してだけは態度が違うよね?』
ふと思い付いた素朴な疑問。そんな体で質問してきた弟分の少年に、フリムはしかめ面を返した。
『は? そんなのアンタだってそうじゃない。ロゼさんって、一人だけ〝さん〟付けしてるでしょ?』
『そ、それはそうだけど……でもほら、フリムって色んな人を〝アンタ〟って気安く呼ぶのに――ほら、ハヌとかアシュリーさんとかは――でもロゼさんにだけは時々〝あなた〟って言ってるでしょ? どうしてかな、って……ロゼさんは仲間だし、すぐ距離感詰めるフリムにしては珍しいなぁ、って思って』
『んー……まぁ、言われてみればそうね……?』
自分でも特に意識していたわけではないが、思い返してみれば確かに少年の指摘は的を射ている。
近寄りがたい雰囲気は確かにある。だがそれを言えば小竜姫やアシュリーとてなかなかのものだ。そんな彼女ら相手に遠慮なく接しては物申す自分が、何故ロゼにだけは丁寧な扱いをしてしまうのか。
『……いやでも、アタシこう見えても目上の人にはそれなりの態度してるわよ? ほら、ヴィリーさんとかカレルさんとか』
『え、じゃあフリムにとってロゼさんって、目上の人になるの?』
『や、そう言われると……そうじゃないんだけど……』
ハルトのくせに痛いところ突いてくるわね、と思いつつ言葉を濁し、フリムは唇を尖らしてしばし沈思した。
『……そうね、強いて言うなら……』
『言うなら?』
『――ロゼさんって、他人を雑に扱わないでしょ? だからアタシも、あの人を雑に扱わないんだと思うわ』
これは、咄嗟に出てきたにしては我ながら的確な表現だった、とフリムは自画自賛する。
ロゼは常に一歩引いた態度で、誰と接するにも敬語を怠らない。これを慇懃無礼ととる向きもあるだろう。実際にそうである場面を見たのは一度や二度ではなく、それどころかフリム自身にさえ降り掛かったもある。
だが、わざとではない。それだけはわかる。ロゼはロゼなりの気遣いで、あの謹厚で丁寧で折り目正しい振る舞いを選んでいるのだ。
フリムの見る限り、ロゼは原則、誰に対しても鄭重に接する。できるだけ相手を傷付けぬよう、不器用ながらも全力で敬意を持った応対を心がけている。
そんなロゼだからこそ、フリムも迂闊に〝アンタ〟などとぞんざいに呼ぶことができず、無意識に〝ロゼさん〟〝あなた〟と呼んでしまうのかもしれなかった。
フリムの答えを聞いたラグディスハルトは、しばしの沈黙の後、
『……………………そっか、うん。うん……確かに。ロゼさんは、そうだね。いつも一生懸命で、他人を適当に扱わないよね。そっか、そうだよね。うん、なるほど。そういうことだね』
笑った。まるで自分のことを褒められたかのように、とても嬉しそうに。あるいは、フリムの答えが己のそれと合致したことを喜ぶように。
――ま、別に付き合いが長いってわけでもないけど、アタシも嫌いじゃないのよねー、こういうタイプの人。
ここで回想を終えたフリムは、んんっ、と咳払いを一つ。
「……そうね、アタシのホルスゲイザーなら割とすぐにあそこまで飛んでいけるとは思うんだけど――」
ガラスのように無機質な琥珀色の双眸を向けてくるロゼに、フリムは背中に担いだ飛行武装を肩越しに一瞥し、
「――でもアタシ達が逃げたら、結局あいつらも追いかけてくるんじゃない? そんな気しない?」
「確かに」
ロゼは即答して頷いた。これは無遠慮なのではなく、彼女の場合は頭の回転が速いのだ、とフリムは理解している。
「だったら、最後にはぶっ飛ばすわけだから――」
「今ぶっ飛ばしても変わりはない、ということですね」
「そゆこと」
話が早くて助かるわ、とフリムは指を鳴らす。
この仮想空間に飛ばされた時、つまりエイジャの言うところの『予選』において、フリムはロゼと行動を共にした。
転移させられた際、気付けばどことも知らぬ浜辺に、ロゼと二人っきりで立っている自分を発見したのである。
それから浮遊小島に用意された『予選』をくぐり抜けるため、フリムはロゼとタッグを組んだ。
元よりラグディスハルトと小竜姫が結成した『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』の仲間として共に戦っていたフリムとロゼではあったが、客観的にその付き合いは短いと言わざるを得ない。
故にロゼと二人っきりで行動するとなった時、フリムは少々不安になった。こう見えて自身の破天荒な性格を自覚しているフリムである。幼馴染みの少年というクッション無しの状態で、長時間ロゼと共に行動できるだろうか――と。実際かつてのアシュリーとは、少年がいなければ喧嘩したまま険悪な状態で、別行動を取っていたに違いないのだから。
だが、それは結局のところ杞憂に過ぎなかった。流石はあのヘタレ弟分と仲良くなり、同じクラスタの仲間となっただけある――とは少し言い過ぎだろうか。ある意味、ロゼの方こそフリムより破天荒な部分があったからかもしれない。
フリムとロゼの二人は思った以上に波長が合った。
おかげで『予選』など何のその。我ながら思わぬチームワークを発揮して、あっさりとクリアしてしまった始末である。
「では、あの群れを中央突破し、ある程度蹴散らしてからラグさんと小竜姫のもとへ向かう――それでよろしいでしょうか?」
ロゼの改めての確認に、フリムは軽く頷きかけて、
「オッケー、それで……あ、ちょい待って」
「? はい」
肯定の動作を中断したフリムに、しかしロゼは平坦に応じる。ここは幼馴染みの少年なら『もー、何なのさ』と言ったかもしれないが、ロゼは文句一つ言わない。そこがフリム的にはやりやすいような、どこか物足りないような、絶妙なところであった。
「ある程度蹴散らしてから、ってのはちょっと違うかも」
「と、言いますと?」
「ある程度【壊滅させてから】、って方が正しくない?」
そう言って、フリムはにやりと笑った。
「――……」
自慢のツインテールを揺らして発された言葉を、ロゼはどのように受け取ったのか。変化の乏しい表情筋からは何も窺い知れない。
しかし。
「なるほど」
やがて殺風景な顔をしていたロゼの口元が、ふ、と緩んだ。
途端、既にバトルドレス姿だったその背中から、勢いよく蒼銀と紅銀の鎖が飛び出した。堰を切ったように溢れ出て、無数の鈴を一斉に鳴らしたような音が響く。
「確かに、その通りですね」
首肯した。視線を切って、ロゼは琥珀色の瞳を迫り来る鬼人の軍勢へと向ける。
「蹴散らす程度では足りません。私達に近付こうと思わなくなるほど、壊滅させましょう」
「オッケー、それで行きましょ」
今度こそロゼの豪語を肯定して、フリムは片手に握ったドゥルガサティーを肩に乗せた。
風が吹く。二人に吹き付ける向かい風だ。
「ウルスラ、レイダー、ロゼさんのサポート任せたわよ」
『了解イタシマシタ』
『No problem』
フリムの声に、ロゼの右腕と両脚に装備された光臓武装が応える。フリム愛用の戦闘ブーツは、引き続きロゼに譲渡されたままだ。ここからは巨人との戦いである。使役術式使いであり格闘士であるロゼには、飛行能力が必須だった。
「サティ、ゲイザー、よろしく頼むわよ」
『Sure』
『リョ』
ウルスラグナと同じく新開発であるホルスゲイザーも、スカイレイダーやドゥルガサティーとは違う言語機能を搭載している。が、高速飛行を旨とする設計のせいか、ホルスゲイザーは言葉を適当に略する性格になってしまった。今の『リョ』は『了解』という意味だろう、とフリムは察する。
「ゲイザーあんたねぇ、返事ぐらいちゃんとしなさいよ」
『ゴメ』
「ごめんなさい、ぐらいちゃんと言えっつーの。まったく……」
我ながら捻くれたAIを生んでしまったものだ、とフリムは呆れの息を吐く。が、すぐに気を取り直し、
「ま、いいわ。そんじゃ行くわよ、アンタ達の力を存分に見せてやりなさい! どいつもこいつもディカプル・マキシマム・チャージっっ!!」
勢いに乗った創造主の掛け声に、被造物らは一斉に声を重ねた。
『『『『ママママママママママキシマム・チャージ』』』』
ピュアパープルとマラカイトグリーンの光の粒子が星屑のように煌めき、流星のごとく尾を引いてそれぞれの光臓武装に吸い込まれていく。
武装展開。
四つの武具が使用者のフォトン・ブラッドの色に輝き、猛然と駆動を開始した。
■
「いきますよ、ハーキュリーズ」
まずロゼが始めたのは、しかし突撃ではなくストレージの開放だった。
それじゃお先にっ、と勢いよくすっ飛んで行ったフリムの後ろ姿を見送りつつ、ロゼは足を止めたまま〝SEAL〟を励起させる。
マラカイトグリーンの余剰光が煌めき、ロゼの〝SEAL〟から天地が逆転した雨のごとく、青白い光の線がいくつも立ち昇る。天の神に吸い上げられたかのような大量の青白い光線は、空中で凝り固まり、一つの巨大な光球と化した。
情報具現化コンポーネントである。
無論、ただのコンポーネントではない。
史上最強のゲートキーパーと称しても過言ではない、比類無き怪物のコンポーネントであった。
「――〈リサイクル〉」
通常のSBとは比べものにならないサイズのコンポーネントに対し、ロゼは使役術式を発動。基礎中の基礎、情報具現化コンポーネントからSBを再生させる術式を。
しかし、巨大コンポーネントは何の反応も示さない。故に、
「〈オーバードライブ〉」
追加で発動させられるのは、神器〝超力〟を持つロゼにしか扱えないオリジナル術式。
ドグン、と大きなコンポーネントが強い鼓動を放った。
さらに、
「 世界を守護する清けき精霊よ 我が心に応えよ 」
言霊を紡ぐ。
力持つ言葉で世界に訴える。
思えば、こうしてロゼがこのコンポーネントを再生させるのも、今回で三度目になる。
毎度のことながら、少しでも制御を誤れば大変なことになる非常に危険な行為なのだが、もはやロゼには手慣れたものだった。
「 其は禁忌なる力 其は封印されし力 」
風が吹く。強く大きな風が。吹き荒れる大気がロゼのアッシュグレイの髪を弄び、激しく躍らせる。
しかし瞼を閉じて集中するロゼは、何事もないかのように言霊を紡ぎ続けた。
「 我が神なる器の名において 今ここに誓わん 」
少女の声は言霊を重ねるごとに大きくなり、張りを強めていく。
コンポーネントの放つ青白い輝きが、徐々に激しさを増していく。どこからかハムノイズに似た音が生まれ、唸りを上げながら大きくなっていく。
「 我と汝が力と心を合わせ 全ての敵に破滅を与えんことを 」
巨大コンポーネントの発する輝光が、もはや直視出来ないほどに強まる。
その光を頭上から浴びながら、すぅ、とロゼは大きく息を吸い、より強く言霊を練り上げた。
「 目覚めよ 」
凄烈な声が力強く響き渡る。
かくして、最強のゲートキーパーを顕現させるトリガーがキックされた。
「 其が真名 〈ハーキュリーズ〉 」
大地をどよもし、機械仕掛けの英雄が浮遊大島へ降り立つ。
『WWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOO――!!』
光の爆発の中から誕生した怪物は、胸を開き体を仰け反らして雄叫びを轟かせた。さながら産声を上げる赤子のごとく。
かつてルナティック・バベルの第二〇〇層を守護していたゲートキーパー・ハーキュリーズ。
筋骨隆々としたフォルムに、初っ端から解放されている六本の腕――モード・ターミネーター。
その威容は巨人――とは、今回ばかりは流石に言い難かった。
全長六メルトルになんなんとする巨躯は、なるほど人間から見れば十分過ぎるほど強大である。
しかし、これより戦うは鬼人の〝巨人態〟の群れ。
相対的に見れば、ハーキュリーズの背丈は子供か小人としか言い様がない。
自らの術式と言霊を駆使して再生させたロゼですら、その印象は否定できなかった。あの巨大なはずのハーキュリーズが、どうしても小さく見えてしまう――と。
だが同時に、所詮は些末事に過ぎない――ロゼはそう断ずる。
戦いは体の大きさで決まるものではない。例え子供でもナイフ一本あれば大人を殺せる。体格差などその程度で簡単に覆るものなのだ。無論、例外もあるだろうが。
しかし、今回は例外には当てはまらない。
ロゼの見解としては、鬼人はあくまで〝巨人態〟という巨大な『乗り物』を操っているだけであり、巨人そのものではない。それ一つが、都市部の高層ビルよりも大きな生命体というわけではない。
であれば、付け入る隙などいくらでもある。
「〈リインフォース〉」
使役しているSBを強化する術式を発動させ、既に臨戦態勢にあるハーキュリーズにマラカイトグリーンに輝く武装を与える。
同時に、ハーキュリーズに内蔵されたアルゴリズムが目の前の戦況を分析して、自動で武器を選び取った。
『WWWWWWWWOOOOOOOOOOOォオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
主であるロゼとの連結が確立したことを示すように怒号が変化したハーキュリーズの、逞しい六本の腕にそれぞれ強い輝きが生じる。
明星にも似た光から現れるのは、黄金の強弓と白銀の矢。
即ち、不死身殺しの弓矢――〈インバルナラブル・キラー〉。
『オオオオオオオオオオオオッッ!!』
九本の銀矢が捻れて一束となったものを弓へつがえ、ハーキュリーズは戦意の雄叫びを上げる。
本来ならここでロゼがコマンドで介入し、〈インバルナラブル・キラー〉の照準を決めるところだが、
「――好きに暴れなさい、ハーキュリーズ」
しかし、ロゼは握っていた手綱を躊躇いもなく【手放した】。
『オオオオオオオオオオオオオオオooOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOWWWWWWWWW――!!』
ロゼとハーキュリーズの間にあったリンクが消失し、再びゲートキーパーが自律行動モードに入った。身に纏うマラカイトグリーンの装甲はそのままに、アイレンズに灯る輝きが青白いものへと変化する。
「どこを狙っても的に当たりますよ。掃討は任せました」
膨大な負担のかかるハーキュリーズの制御を捨てたロゼは、空いたリソースを自らが装備したウルスラグナとスカイレイダーへと割り当てる。
本来なら再生したSBとのリンクを確立させたまま、精密なコントロールをするのが使役術式使いの本懐である。味方や周囲に被害が出ぬよう、正しくSBを運用するのが理想の姿だ。
さりとて、それも状況によりけりである。
ここが街中や遺跡内であればロゼも配慮しただろう。しかし今、周囲には壊れて困る物もなければ、巻き込む怖れのある味方も一般人もいない。
見渡すばかりは敵の軍勢だけ。
無論、空には唯一の味方であるフリムがいるが、地上から放たれるハーキュリーズの攻撃に当たるほど彼女は弱くもないし、間抜けでもない。短い付き合いではあるが、ロゼはそのことを知悉していた。
故に。
「行きますよ、ウルスラ。サポートよろしくお願いします、レイダー」
『了解イタシマシタ』
『Of course』
フリムから預かった二種の光臓武装に呼び掛け、戦う意志を確認すると、足を一歩前へ。
漆黒の戦闘ブーツで、地面を強く蹴る。
「――!」
既に全開稼働状態のスカイレイダーの踏み込みによって地面が盛大に爆発するのと、
『WWWWWWWWOOOOOOOOOOO――!!!』
ハーキュリーズが〈インバルナラブル・キラー〉を発射するのは、ほぼ同時であった。
藍色の戦士と白銀の螺旋矢が、揃って宙を貫く。
かくして二人と一体の、戦いの火蓋が切られた。
■
飛行は即座にトップスピードに至る。
怒濤のごとく押し寄せてくる鬼人の〝巨人態〟。
色取り取りの怪物らの姿が瞬く間に近付いてきて、すぐにフリムの視界には収まりきれなくなった。
一定の間合いに入ったことを確信して、少女はホルスゲイザーにさらなる加速と上昇のコマンドを同時にキック。直進から斜め上へと飛び上がり、一気に高度を得て迫り来る鬼人の軍勢を見下ろした。
絶好の攻撃ポジションである。
「いきなりだけど出鼻から挫いてあげるっ! ゲイザー!」
『Sir yes sir』
普段は適当に言葉を略すホルスゲイザーだが、戦闘中のおいてだけはその限りではない。しっかりとした返事をした後、
『シームルグ・ウィング』
充填された紫のフォトン・ブラッドを消費して、ランドセル型の機体から生やしていた一対の光翼を膨張させる。
そのままフリムの有する特異体質『永久回炉』から貪欲にフォトン・ブラッドを吸い上げ、あっという間に光翼を膨張・増殖させると、一瞬にして小山のごときサイズにまで成長させた。
蒼穹に、紫紺に輝く曼珠沙華が花開く。
これから放つのは『勇者ベオウルフ』と呼ばれる、最弱にして最強の少年を攻略する為に生み出した攻撃。
たった一人の戦士を倒すために編み出した技ではあるが、それが故に、多数の敵を一気に殲滅することが可能となる技。
いわば【広域殲滅波状攻撃】だった。
『■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!!』『■■■■■■■■■■■■■■■!!』『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!』『■■■■■■■■■■――!!』『■■■■■■■■■■!!』
彼らからすれば小さな羽虫にしか見えないだろうフリムだが、これだけ巨大な光翼を背負っていれば嫌でも目立つ。空に浮かぶ大型の翼を見つけた鬼人が一体、声を上げて指差すと、他の巨人らも顔を上げて騒ぎ始めた。
鬼人の中には遠距離攻撃可能な『異能』を持つ者もいるだろう。あるいは、攻撃術式を使って攻撃してくるかもしれない。
だが、その前に。
「先手必勝よっ!! サティ、ゲイザー、ユニゾンッ! ツイン・ディカプル・チャージッッ!!」
『『ママママママママママキシマム・チャージ』』
フリムはさらなるチャージを敢行。少女の肌にピュアパープルに輝く幾何学模様が浮かび上がり、そこから星屑にも似た光の粒子が一斉に飛び出す。光の粒子は残光の尾を引いて背中のホルスゲイザーと、両手に握られたドゥルガサティーへと吸収されていった。
『フェザー・レイン・エクスプロージョン』
『ジャイアント・グラビトン・スピア』
花が散った。
巨大な紫に輝く花弁が爆散し、数え切れないほどの破片となる。
破片は全て流星と化し、一斉に地上へ降り注いだ。
『■■■■■■■■■■■■■■■!?』『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!?』『■■■■■■■■■■――!?』『■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!?』『■■■■■■■■■■!?』
鬼人達もけして無抵抗ではなかったが、無駄な抵抗でもあった。
自らの『異能』による攻撃で相殺を試みた者がいた。防御系の術式を発動させた者がいた。手に持っていたタワーシールドを構えた者がいた。
全員漏れなく光の羽根のシャワーの前には無力だった。
ピュアパープルの流星雨を浴びた鬼人らは、まさしく豪雨に撃たれる泥人形のように削られ、摩耗し、磨り潰され、消滅する。
数百を超える鬼人の軍勢の一割が、ほんの一瞬で削り散らされた。
「もういっちょぉ――――――――――――――――ぉおぉっっっ!!!」
だがそこで飽き足らぬのがフリムが『災厄女王』などと呼称される由縁だろう。
両手で握った白銀の長杖――ドゥルガサティーを振り回し、フリムは『シームルグ・ウィング』から放射された光の羽根を一斉に制御。単に降り注ぐだけだった光の羽根を、海中の魚群のごとくうねらせ軌道を変える。
上から下への動きから、横向きへ。
光の羽根の群れが渦を描き、竜巻と化す。
先刻は空において花開いた紫紺の華が、此度は地上にて雄々しく咲き誇った。
『■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!?』『■■■■■■■■■■■■■■■!?』『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!?』『■■■■■■■■■■――!?』『■■■■■■■■■■!?』
巻き込まれたら即死――たとえ〝巨人態〟であろうとも容赦なく微塵に刻まれ消滅する巨大竜巻を前に、鬼人らは慌てふためき逃げ惑った。
「――はっ! 空は飛べないし図体はデカイしで狙い放題じゃない! ぶっちゃけこの前のドラゴン相手の方が大変だった気がするわね!」
先日の『開かずの階層』こと〝ミドガルド〟での戦闘を思い出し、フリムはドゥルガサティーを振り回しながら壮語した。
当時フロアマスターに付き従うように大量にポップした下兵類ドラゴンの群れは、空を飛ぶ飛竜と地を駆ける駆竜の混成で、フリムとアシュリーは揃って手を焼いたものだ。口から放たれる強力なブレス攻撃もえらく厄介だった――とフリムは述懐する。
それに比べれば、鬼人は大きさこそドラゴンらの何倍もあるが、地面を這いずるだけで芸がない。またロゼが言っていた通り、戦いは体が大きければ良いというものでもない。
当たり前の話だが、あちらが大きいということは、こちらは小さいといことだ。飛び回る羽虫を捕まえるのがどれほど難しいかを考えれば、むしろこのサイズ比はアドバンテージである。
――なにせ攻撃力だけならピカイチだもんね、アタシ達は!
フリムの耳に、つい先程聞いたロゼの声が蘇る。
『少なくとも【私達四人】にはあまり意味のないことかと』
全くその通りだ。同意しかない。
尋常ではない極大術式を扱う小竜姫を筆頭に、支援術式の重ね掛けで〝アブソリュート・スクエア〟状態になれる少年、ゲートキーパーを使役できる上に格闘技も達者なロゼ、そして強力な光臓武装を自由自在に操る自分――たった四人しかいないクラスタ『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』は、しかし『ジョーカーズ』の名前の通り、実に攻撃力過多な集団であったのだ。
誰も彼もが一騎当千。否、小竜姫に至っては一騎当〝万〟と言っても過言ではないだろう。
たかだか図体がデカいだけの烏合の衆など、物の数ではなかった。
「――アタシ達をどうにかしようってんなら、鬼とか巨人じゃなくてドラゴンの皇帝類ぐらい連れて来なさいってぇーのよぉっっ!!」
そんなフリムの啖呵が聞こえたのか、鬼人の軍勢に変化があった。
『■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!』
やや甲高い叫び。声帯のサイズが違いすぎて何を言っているのかはさっぱり聞き取れないが、フリムは背筋に【ひやり】としたものを感じる。
――なに……? 攻撃的な声じゃなくない……?
これまでの鬼人の雄叫びとは違い、何故か怒りや戦意、憎悪や殺意などが一切感じられなかった。違和感の原因はそれだろう。
むしろ、まるで女性歌手が歌っているかのような、可憐で美麗な声音。
しかし、それは一体何を意味するのか?
淡くほのかな白い輝き。それが鬼人らの陣中央あたりから生まれ、一瞬にして放射状に広がった。
「――なっ……!?」
次の瞬間、薄い白色の光を帯びた鬼人達の体が【次々と宙に浮かび上がった】。
「ちょっ……うそっ!?」
それだけではない。支援術式〈レビテーション〉のごとく浮かび上がった鬼人らの一部は、そのまま足を動かし、そこに不可視の階段があるかのように駆け上がってくるではないか。
その姿はフリムの脳裏に、支援術式〈シリーウォーク〉を使用するラグディスハルトの姿を連想させた。
また、足を動かさない連中はそのまま上昇を続け、緩やかにだがフリムよりも高い位置へと飛翔していく。まずこちらの『頭上』を取ろうという算段だろう。
――よくわかんないけど〈レビテーション〉と〈シリーウォーク〉の合わせ技ってこと? ってことはアイツらの中に支援術式使いみたいな『異能』の持ち主がいるってこと? ああもうっ、なんにせようっとおしいわねっっっ!!!
原因不明かつ一介の武具作製士としては原理や機構が気になって仕方ないが、今は戦闘中ということで雑念は斬り捨てる。
ともかく敵は空を飛ぶようになった。弟分の少年のように立体機動もできるようになった。
こちらのアドバンテージが一つ消えた。その事実を感情に触れさせることなく、フリムは丸呑みにする。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!』『■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!!』『■■■■■■■■■■■■■■■!!』『■■■■■■■■■■――!!』『■■■■■■■■■■!!』
白い不思議な光は止まることなく広がり続け、鬼人らは次々と、そして加速度的に飛行可能な人数を増やしていく。フリムの操る『シームルグ・ウィング』の竜巻を避け、こちらを目指して進軍してくる。
これをフリムは笑い飛ばした。
「――はっ、じょーとぉーよっ! 言われてから飛ぶなんて遅過ぎだし大体最初からこっちのこと舐めすぎだっつー話よっ!」
フリムはホルスゲイザーとドゥルガサティーにキャンセルコマンドをキック。展開している『シームルグ・ウィング』へのフォトン・ブラッドの供給を止め、意識を接近戦へと切り替える。
「第一そうやって空を飛ぶ奴なんてハルトで見飽きてんのだからっ! このアタシにそんな付け焼き刃が通用すると思ったらおー間違いだっつうのっ! ほらゲイザー、サティ、ツイン・ディカプル・チャージッ!!」
『『ママママママママママキシマム・チャージ』』
気炎を吐く主の命に、二個の光臓武装が間髪入れずに応じた。
『エアフォイルブレード』
ランドセル型飛行装置の左右から生えた紫の光翼が、長く細く伸長していく。先程の大技を放ったことによって従来のサイズに戻っていた一対の羽が、まさしく刃のごとく鋭く研ぎ澄まされていく。
『ナギナタブレード』
白銀の長杖のスリットからピュアパープルの輝きが迸り、緩く反った刀身を形作った。イメージの元となった『薙刀』によく似てはいるが、サイズ比がまるで異なる。雄々しく伸び上がった刃の巨大さは、ともすればドゥルガサティーの別モード『ジャイアントハンマー』に勝るとも劣らない。
背中と両手の長杖から都合三本の長大な刃を生やしたフリムは、そのフォルムで以て鬼人達にこう宣告していた。
――近付く奴は容赦なくぶった斬る!
際限なくフリムのフォトン・ブラッドを吸い上げていく『エアフォイルブレード』と『ナギナタブレード』は、今なお時を経るごとに長く延び、幅を広げていた。
とうに巨人であろうと優に切り裂ける大きさへと達した三本の刃を帯びる少女は、その紫色の双眸から剣呑な輝きを放つ。空中にあって体を前傾させ、得物を狙う肉食獣のごとく前のめりになる。
唇の両端が吊り上がり、好戦的な笑みを描く。自慢の黒髪ツインテールが高空の風を受けて宙を舞い踊る。それはさながら、悪魔の角か堕天使の翼か。どちらにでも見えるその姿は、いわゆる聖性と呼ばれるものからは程遠かった。
「――どっからでもかかってきなさいっ! 全員まとめてチョン斬ってあげるっっ!!」
どこを、とは言わぬままフリムは放たれた弾丸のごとく飛び出した。
急加速。
巨大な刃となった光翼が空を切り裂く。
■
フリムの戦いが激化する頃、ロゼもまた鬼人の軍勢と激突していた。
漆黒の戦闘ブーツを履いて宙を疾走する彼女の背後から、尽きることなく連続で銀色の閃光が飛来し、頭上を越えて鬼人の群れへと降り注いでいく。
ハーキュリーズの〈インバルナラブル・キラー〉だ。
着弾の寸前に拡散コマンドを入力された白銀の螺旋矢は、空中で爆発するように炸裂。九条の流星へと分かたれて鬼人らを頭上から襲い掛かる。
『■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!?』『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!?』『■■■■■■■■■■■■■■■!?』『■■■■■■■■■■――!?』
ハーキュリーズの奥の手は流石の威力を発揮し、鬼人の〝巨人態〟を射貫いた。鎧を着ていようが全く関係ない。不死身殺しの矢は鎧ごと巨人の肉体に風穴を空ける。
「サーチ」
スカイレイダーのアシストを受けて高速機動中のロゼは、自分にしか聞こえない声で『サーチ』のマジックを発動。すかさずロゼの視界に、無数の赤や緑の矢印が浮かび上がる。赤色は近くのプレイヤーを示し、緑は遠くのそれを意味している。矢印の脇には、燃えるような真っ赤な色で名前らしき文字列がそれぞれ並んでいた。
エイジャからの説明はなかったが、人類側の『白』と『黒』に対し、鬼人側のチーム色は『赤』。いかにも敵愾心を煽る色合いのチーム色が設定されていた。
無論、敵の位置など『サーチ』を使わずとも十分以上に見える。隠れる場所などない上に、あの巨体だ。それが群れを成して押し寄せてくるのだから、否が応でも視界に入る。
しかし。
――これなら敵の『核』の位置がわかるはずです。
『■■■■■■■■■■■■■■■――!』
ハーキュリーズの降らす矢の雨の被害を受けず、宙を駆け抜けるロゼへと接近した一体の鬼人が、その手に持った片手斧を横薙ぎに振るった。ラケットでボールを打ち返すようなフォームだ。片手斧とはいえ巨人が持つ物だけに、そのサイズはロゼから見れば一つの建造物レベルである。
豪風を巻き起こし迫り来る巨大な一撃を、
「――レイダー、いきます」
ロゼは短い言葉で前進の意思を告げ、左足を強く踏み込んだ。何もない空間、そこにスカイレイダーが展開した力場を全力で蹴る。
空気の破裂する音が炸裂した。
刹那、ロゼの姿が掻き消える。
否、消えたように見えたのは錯覚で、実際には目にも止まらぬ速度で跳躍したのだ。
仲間であるラグディスハルトが得意とする立体機動が、彼より優秀な格闘士であるロゼにできない理由などない。
疾風迅雷の高速空中機動。一度跳躍したロゼは押し寄せてくる片手斧を飛び越え、そこでまた壁を蹴るように跳躍。ある程度の距離を進んだところでさらに跳躍。一瞬のうちに何度も跳躍を繰り返し、跳弾のごとく宙を貫く。稲妻にも似たマラカイトグリーンの軌跡を刻む。
接敵は一瞬だった。
『■■■■――!?』
自らが振る片手斧の軌道上にいたはずの獲物が、気付けば目の前――文字通り、顔面の至近――にいる。その驚愕は鬼人の巨体をして雷撃を浴びたかのごとくだった。
――【そこ】、ですね。
全身を硬直させて動きを止めた鬼人に対し、ロゼは視界に浮かぶ赤い矢印が指し示す先を照準。
喉元の下、左右の鎖骨が示す中央よりさらに下、そして胸骨の上部あたり。
サーチのマジックが指し示す『敵の位置』は、確かにそこを向いていた。
「ウルスラ、撃ちます」
『〝グラディウス・エクスティンクション〟 発動』
高速の動きの中、ロゼのコマンドにウルスラグナは必要最低限の応答だけを返した。
変形開始。
『瞬撃 ノ ダッシュブレイク』
ウルスラグナが宣言すると、白銀の籠手はスリットから強いマラカイトグリーンの輝きを放ち、ギンヌンガガップ・プロトコルによって内臓されたパーツを具現化。即座に合体機構を組み上げる。
一瞬にしてロゼの右腕が怪物と化した。
「――破ッ!」
間髪入れず、ロゼの裂帛の声を皮切りにウルスラグナのブースターがオン。ロケット噴射による加速でロゼの体が藍色の弾丸となる。
激音が轟き、白銀の巨拳が大気をぶち抜き。
一気に突き刺さった。
『■■――!?』
雷光にも等しい一撃を胸の中央に受けた鬼人が、驚愕の呻きを漏らした刹那、
『閃撃 ノ コネクトブレイク』
容赦なく追撃が入る。ウルスラグナのスラストがさらに噴射量を増加、硬い拳が〝巨人態〟の胸板へ深く深くめり込んでいく。
そしてロゼは、鬼人に反撃する隙など微塵も与えなかった。
『雲耀 ノ ファイナルブレイク』
次の瞬間、凄まじい衝撃が鬼人の分厚い肉体を貫いた。
破壊力の槍が巨体の胸を貫通し、爆ぜさせた。
意外なことに爆発飛散したのは、ウルスラグナが突き刺さった巨人の胸板ではなく、その反対側。鬼人の背中が内側から突き破れるようにして爆裂し、無数の肉片を飛び散らせた。
白銀の巨拳から放射された激しい衝撃波が体内で暴れ回り、出口を求めて駆け抜けた結果、背面を破壊しながら外へと飛び出したのだ。
『――――』
断末魔の叫びはなかった。ただ静かに、ロゼの視界に浮かんでいた赤い矢印が消失する。ウルスラグナの〝グラディウス・エクスティンクション〟を受けた鬼人の『核』が、一瞬にして破壊されたのだ。それこそ、ミキサーでみじん切りにされ攪拌されるように。
そして『核』とは――【鬼人の本体】のことであった。
ラグディスハルトとハヌムーンが出会った一号、二番、三等がそうであったように、〝巨人態〟内部には操縦者である鬼人本人が埋め込まれている。結局のところ〝巨人態〟は大きな乗り物に過ぎず、あくまで鬼人という『変貌者』が有する『変貌』の一端でしかない。
故に、彼らを打倒するためにはその巨体を傷付ける必要などまったくなく、詰まる所は『核』である鬼人本体を叩けば、それで事足りるのである。
鬼人の〝巨人態〟の双眸に宿っていた光が失せ、巨体が膝から崩れ落ちていく。その初動を察したロゼは素早くウルスラグナの拳を引き抜くと、脱兎のごとき勢いでその場から撤収した。
巨大な肉塊が倒れ込み、重低音を響かせる。膨大な量の土煙が発生し、濃霧のように辺りを包み込んだ。
すばしっこくその影響範囲外へ逃れたロゼは、もはや己が下した相手など一顧だにせず、早くも次の標的を見定めていた。
そうしながら、やはり、と胸の内に確信を抱く。
思った通りだった。『サーチ』は敵味方関係なくプレイヤーの位置を示すマジック。
エイジャはこの戦いを『ゲーム』と呼んだ。であるならば、【鬼人らもまたプレイヤーであるはず】、とロゼは考えたのだ。
とくれば、次に考えるのはプレイヤーにしか使えない『マジック』の存在。
もし〝巨人態〟そのものがプレイヤー扱いではなく。
あくまで鬼人本体がプレイヤーだとすれば。
サーチのマジックは自ずと、鬼人本体の位置を矢印で指し示すはずだ――と。
ロゼはそう考えたのだ。
そして、その予測は的中した。サーチの矢印が示す先をウルスラグナの〝グラディウス・エクスティンクション〟で撃ち抜いたところ、〝巨人態〟は一瞬にして無力化された。
やはり矢印は鬼人本体の位置を指している。ならば、後は目に映るその全てを打ち貫くのみ――と、ロゼは表情を変えずに決意を新たにした。
既に目に見える範囲における鬼人の本体位置は確認した。ロゼほどの実力者ともなれば、敵の弱点を一瞬で把握して記憶するなど造作も無い。
また、位置のパターンも見て取った。どいつもこいつも本体の居場所は違えど、それでも体の正中線に沿っているところだけは共通している。人体と同じだ。元より正中線は急所の集まる場所。いずこかを打てば致命傷となる。
いずれはサーチの効果も切れるだろうが、鬼人の些細な動き、体重移動の仕方などの【クセ】から本体の位置を推察するのは、そう難しいことではない。
「ウルスラ、オーバーロード前に自己申告を。その際、冷却されるまではレイダー、あなたの蹴りでいきます」
言外に休みのない連続攻撃を宣告して、ロゼは自らの〝SEAL〟を励起。澄まし顔の皮膚上にマラカイトグリーンの幾何学模様が浮かび上がる。
「ウルスラ、レイダー、ユニゾン開始。ツイン・ディカプル・マキシマム・チャージ」
作り主の勢いある発破とは違い、ロゼの指令はことごとく恬淡としていた。だが、そちらの方が光臓武装に搭載されたAIにとっては重圧を感じるのか、彼らは応答する暇すら惜しんでフォトン・ブラッドのチャージを開始する。
『『ママママママママママキシマム・チャージ』』
ロゼの〝SEAL〟から飛び散った孔雀石色の煌めきが、尾を引いて白銀の籠手と漆黒のロングブーツへと吸収されていく。
『グラビトン・ステーク・ストライク』
『ライトニング・ドリル・クラッシュ』
ウルスラグナとスカイレイダーの光臓機構が連結稼働。同期し、同調し、共鳴する。装甲籠手と戦闘ブーツのそれぞれから唸り声にも似た音が生まれ、やがて咆哮にも等しい激音を轟かせ始めた。
白銀の籠手に薄闇色の力場が収束し、重力場の杭が。漆黒のロングブーツには紫電が纏わり付き、爪先にフォトン・ブラッドの螺旋衝角が装填される。
さらには、
「〈裂砕牙〉」
徒手だった左腕に格闘術式を発動させ、光の牙を纏う。これによってロゼの四肢は全て凶器と化した。
その上で、
「レージングル、ドローミ……グレイプニル」
バトルドレスの背中から蒼銀と紅銀の鎖を吐き出し、さらには不可視の力場たる〝魔法の紐〟を出力した。
目に見えない力の奔流と共に四本の鎖が一気に噴き出し、一瞬だけロゼの背中から巨大な羽が生えたかのような幻視を呼び起こす。
「――――」
空中で身を撓め、ブーツの底に展開した力場を踏みしめ、アッシュグレイの毛並みを持つ獣は力を溜める。
気合いの声も雄叫びもない。ただ琥珀色の瞳に計り知れないほどの戦意を漲らせて、少女は稲妻よろしく宙を駆け出した。
次の瞬間、凄まじい速度で巨人の間を駆け抜け、まさしく鎧袖一触で鬼人の急所を抜いて殺していく凶風が吹いた。
何者にも邪魔されない一人きりの戦い。
それが故に、ロルトリンゼ・ヴォルクリングは縦横無尽に暴れ回る。
つまりは独壇場だった。
■
ハーキュリーズが嵐のごとき矢を降らせ。
フリムが竜巻のごとく斬撃を振りまき。
ロゼが精密射撃よろしく『核』を撃ち抜く。
何も知らない者が見れば、にわかには信じられない光景だろう。
それは誰がどう見ても、数で劣る少女達の優勢であり、巨大な力を持つはずの鬼人の軍勢が一方的に圧倒されているのだから。
巨大な人型のマシンが発射するのは一撃必殺の『不死身殺し』。たとえその威力は九本の銀矢へ拡散しようとも衰えるところを知らない。巨人の堅固な肉体を射貫き、痛手を与え、時には偶然『核』を撃ち抜いて命を奪う。
背中の刃翼と、人の身には巨大過ぎる光の長刀を振るうフリムは、さながら死神の巻き起こす風だ。目にも止まらぬ速度で飛翔する彼女が通った後に二分されていないものはない。あらゆるものが切り裂かれ、分断されたものは全て形を失い崩れ落ちていく。例外はない。空間そのものを断裂させる、それは悪魔の切れ味だった。
一方、フリムを『悪魔の風』とするなら、稲妻のごとく宙を蹴って飛ぶロゼはまさしく『神の迅雷』――一瞬にして命を撃ち抜く、天罰にも等しい存在と化していた。ただでさえ強靱な脚力に戦闘ブーツのブーストが合わさり、もはやロゼの姿は誰の目にもアッシュグレイと藍色の影としか映らない。見ようによっては荒野を駆ける狼の形状に見えないこともなく、かつて彼女が呼ばれていた〝狂戦士〟の異名を彷彿とさせる。背中から生やした四本の鎖と二条の力場の紐。それらを駆使して鬼人らの動きを縛ったかと思えば、瞬く間に拳撃ないしは蹴撃で『核』を打ち砕く。避けようのない連続コンボを繰り返し、一体ずつ確実に鬼人の息の根を止めていく。あまりにも俊敏に動くものだから、鎖の音が遅れて聞こえてくるほどだ。
あまりにも圧倒的な実力。
敵を殲滅してから〝勇者ベオウルフ〟と〝小竜姫〟との合流を目指す――それが決して大言壮語でないことを、彼女達は身を以て証明していた。
だが、しかし。
「――? ちょっと……」
気付かぬ間に自身の中に溜まっていた違和感に、ようやくフリムが自覚を得る。
「……もしや、これは……?」
同じ頃、ロゼも同じ気付きへと至っていた。
二人の戦う少女が覚える違和感。
それは――
「数が……減って――ない?」
「いいえ、むしろ――増えている?」
遠く離れた空間で戦いに臨む二人の思考が、この時確かに同調した。
そう、激しい戦闘の最中、フリムもロゼも相当な数の鬼人を落とした。SBで言えば『活動停止』に等しい状態へと追い込み、敵軍の頭数を素晴らしい速度で減らしていたはずだ。
さらには、ハーキュリーズの〈インバルナラブル・キラー〉連続射撃によってもかなりの数の鬼人らが行動不能へと陥っており、たった二人と一体だけとは思えぬほどの戦果を上げていた。
だというのに。
減っていないのだ。
敵の数が、少しも。
「……いや、何よあれ……ちょっと……冗談でしょ……?」
フリムの喉から掠れた声が漏れる。
「…………」
ロゼは無言のまま琥珀色の双眸を細め、眉根に僅かな皺を刻んだ。
二人は戦闘行為をいったん止め、安全な状態を確保してから鬼人らが出没する大本――即ち『鬼顔城』へと視線を向けていた。
その先にあるのは浮遊大島の中央、朽ちた都市群の真ん中へと降り立った巨大な岩の城。
三面人首の鬼の顔を象った形状で、目と口の部分には奥が見通せない、大きすぎる穴が空いている。
気付けばその九つある空洞から、鬼人の軍勢が【今なお尽きることなく吐き出され続けていた】。
「――まさか……ッ!?」
フリムは瞬時に気付き、背筋に走った電流に声の底を震わせた。
「――……っ……」
ロゼは身の内で生まれた衝撃を、それでも喉元までせり上がる前に呑み込み、自己を制動した。
二人とも思わず、足元に転がる〝巨人態〟だったものへと目を向ける。わかってはいたが、やはりSBのようにコンポーネントには回帰しておらず、巨大な廃棄物として、小山のごとく折り重なっては横たわっている。
故に、有り得ない――という感情が真っ先に湧いた。
理性では悟りつつも、感情が『そうであってほしくない』と声を大にして叫んでいた。
それは、一つの可能性。
まさかとは思うが……鬼人らはSBのように【鬼顔城の中から無限ポップする】のではないか――と。
考えるだに恐ろしい、それは戦慄を禁じ得ない可能性だったのだ。
事実、フリムとロゼの見据える先では現在進行形で、アリの行列よろしく鬼人の群れが延々と上陸を続けている。鬼顔城から地上へと降り立っている。
仕組みなどわかるはずがない。遺跡であるルナティック・バベル内で起こることだ。カラクリなど現代人にわかろうはずがないのだ。
ただ一つ推測できるのは、〝巨人態〟の内部にある『核』、即ち鬼人本体がSBのように情報生命体で、死ぬ度にコンポーネントが鬼顔城へ転送されては復活を遂げているのではないか――という、その程度のものだった。もはやそれぐらいしか考えつかないのである。
しかし。
「――はっ、上等!」
「……なるほど、よくわかりました」
二人の少女は時を同じくして自己を立て直す。
あまりのことに一瞬は絶望しかけたが、よく考えれてみればなんのことは無い。
【やるべきことは何一つ変わらないのだ】。
敵を殲滅し、突破する――それだけなのだ。
巨人が無限に復活を続けようが関係ない。それ以上の速度で数を減らしてやればいい。力尽くで強行突破してやればいい。
それが二人の結論だった。
フリムの口元に不敵な笑みが浮かぶ。
ロゼの琥珀色の眼光が剃刀のごとく煌めく。
敵の軍勢が無限に再生するという事実は、ある意味では少女達の内なる制限を外してしまったのかもしれない。むしろ彼女らの炉心にこれ以上無い【火】を入れてしまったのかもしれない。
フリムにもロゼにも、人並みに良心というものが存在する。例え彼女らが鉄火場で呼吸するエクスプローラーとは言え、慈悲も情けも持ち合わせていないわけではない。
これまで二人は、心の中で鬼人らを『命』として見ていた節がある。ここへ至る前の『予選』で似たような鬼人と少なからず縁を結んだことも、けして無関係ではないだろう。今は戦い故に、エクスプローラーらしく割り切って意識の埒外へと飛ばしてはいたが。
しかし、【無限に復活するならそれは命ではない】。
SBと同じ、代替できる何かであり、言うなれば『ただの怪物』だ。
よって、容赦も呵責も必要なくなった。
終わりの見えない戦いという絶望を前に、かえって少女二人の心は晴れやかになった。
遠慮はいらない。悔いは残らない。これから行う戦闘はそういうものだ。
ならば。
「サティ、ゲイザー、ツイン・ディカプル・マキシマムチャージッッ!!」
「ウルスラ、レイダー、ツイン・ディカプル・マキシマムチャージです」
蹴散らすことに躊躇など微塵もなかった。
二つの掛け声に、四つの機械音声が応じる。
『『『『ママママママママママキシマム・チャージ』』』』
ピュアパープルの光が。マラカイトグリーンの煌めきが。
星屑となって光臓武装へとめいめい吸収されていく。
これまでになく高まる駆動音。同期し、同調し、共鳴する光臓武装が悲鳴にも似た排気音を轟かせた。
『フェザー・レイン・ハード・エクスプロージョン』
『ジャイアント・グラビトン・ジェット・スピア』
『スターライト・バックショット・バースト・エクスキューション』
『ライトニング・ジェット・ファイア・ドリル・グラビトン・クラッシュ』
ここにラグディスハルト少年がいれば、どこか聞き覚えのある音声に背筋を凍らせたかもしれない。また、かつて聞いたときよりも若干コマンド音声が付け足されていることにも気付いたかもしれない。
そう、フリムとロゼが彼に向けて放ったのは、あれでも多少の手心が加えられていたのだ。ほんの気持ち程度、ではあるが。
だが今、二人に手加減をする理由などない。先程まではあったかもしれないが、今ちょうど完膚なきまでに消滅してしまった。
故に――全力全開。
「「――――――――――――――――ッッ!!」」
空に二輪の華が咲く。
光り輝く巨きな花弁が開く。
次の瞬間、申し合わせたかのようなタイミングで二人の超攻撃が炸裂する。
それらは相乗効果を生み、群がる鬼人の軍勢に埋めようのない大穴を穿った。
遠くから浮遊大島を眺める者がいれば、ほんの一刹那だけ、島が僅かに傾いた瞬間を目撃できたかもしれない。




