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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第一章 支援術式が得意なんですけど、やっぱりパーティーには入れてもらえないでしょうか

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●幕間 ダインの末路と、その他諸々




 僕が〝その男〟の末路について委細を知ったのは、病院で目を覚ました日の夜のことだった。




 というか、せっかく昏睡から覚醒して退院したというのに、玄関を出たところで再び失神してしまったのはご存じの通りで。


 改めて病院に担ぎ込まれた僕――原因がハヌにキスされたからだとは、流石に恥ずかしすぎてお医者さんには言えなかったけど――が今度こそ目覚めた時には、時刻はもう夕飯時になっていた。


 ベッド横の椅子でこっくりこっくりと船を漕いでいたハヌと一緒に病院を辞して、僕はヴィリーさんにダイレクトメッセージを送信した。


 目を覚まして退院した旨と、心配をかけてしまった謝罪と、お見舞いに来てくれたお礼を込めて。


 すると、すぐに返事がきて、末文に『良かったら小竜姫も一緒に食事でも』というありがたい申し出が添え付けられていた。


 ちょうど夕飯時であり、僕自身二日以上何も口にしていなかったので、これには喜んでOKさせてもらった。


 勿論ハヌの承諾も得ている。どうやら僕が眠っている間にハヌはあの二人と仲良くなったみたいなのだ。そのうち詳しい話を聞いてみたいと思う。あのハヌが、僕のほっぺにキスしてくれた件の経緯も含めて。


 合流場所を打ち合わせるためヴィリーさんと何度かメッセージのやりとりをしつつ、ふと、冷静な頭で考えてしまった。


〝ぼっちハンサー〟という蔑称で呼ばれている僕が、あの『蒼き紅炎の騎士団』の剣嬢ヴィリーさんとネイバーになり、こうして食事の約束をしているという、この状況。


 多分、少し前の僕に教えてあげたら絶対に信じないんだろうなぁ、なんて思う。というか、今でもヴィリーさんからメッセージを受信する度に、心臓が口から飛び出すぐらい緊張してしまうのだ。下手をすると、そのまま逝ってしまうかもしれない。


 けれど今は――なんだかもう、少し前の僕とは決定的に『何か』が変化してしまった気がする。


 具体的にどこが、とは自分でもよくわからないのだけど。


 ただはっきりしているのは、その原因が、僕と手を繋いでいる女の子の存在だということ。


 ハヌと出会って、僕は変わった。


 変わってしまったと言えばいいのか、変えられてしまったと言えばいいのか、わからないけれど。


 それは確かなことであり――僕にとっては、幸せなことだった。


 父さん、母さん。お祖父ちゃん、お祖母ちゃん。


 僕、友達が出来たよ。




 閑話休題。


 僕とハヌ、そしてヴィリーさんとカレルさんが落ち合ったのは、前回の高級料理店とは打って変わって、ファミリー向けのレストランだった。


 所謂、ファミレスと省略される一つのチェーン店である。


 店員さんに事情を説明して、先に来ているヴィリーさん達のテーブルへ案内してもらう。


 近付いていくと、まずヴィリーさんが僕達に気付いて、にこやかに手を振ってくれた。


「こちらでございます」


 と案内をしてくれたウェイトレスさんが、テーブルに追加のメニュー表を置いて立ち去っていく。


 僕は二人に軽く会釈をして、ハヌと一緒にソファ型の椅子へ腰を下ろした。その途端だった。


「こんばんは、小竜姫。それに勇者ベオウルフ」


「へ?」


 いきなり笑顔のヴィリーさんから聞き慣れない名称で呼ばれた僕は、つい間抜けな声を漏らしてしまった。


怪物ジ・モンスター、もしくは千変万化のトリックスター。君はどの呼び名がお好みかな、ラグ君?」


 カレルさんもからかうような笑顔で、そんなことを聞いてくる。


「え? へ? ……はい?」


 僕が自分の顔を指差して混乱していると、隣のハヌが、くふ、と笑った。


「ラト、おぬしの異名じゃよ。巨人殺しの〝ベオウルフ〟。あるいは、おぬしの強さが理解できない者が呼ぶ〝怪物〟。また、おぬしが使う術式の特性から〝トリックスター〟と呼称する者もおるそうじゃ」


「――――」


 ぽかんとしてしまった。


 さっきも言ったが、僕は〝ぼっちハンサー〟なる蔑称をつけられた人間である。


 その僕が、まさか、ヴィリーさんで言うところの〝剣嬢〟、カレルさんで言うところの〝氷槍〟と同じ【異名】をつけられるだなんて。


 にわかには信じられなかった。


「ベオウルフというのは、超古代の叙事詩にある英雄の名前よ。伝説では、彼は城のように大きな巨人と、炎を吐く竜を倒したというわ。少し違うけれど、あなたも小竜姫と共に蒼い竜のゲートキーパーを。そして今回、巨人のヘラクレスを倒したわ。私はピッタリの名前だと思うのだけど、どうかしら?」


 ニコニコと上機嫌で説明してくれるヴィリーさんに、僕は何も言い返せない。


「君とヘラクレスの戦いは『放送局』が撮影していてね。あまりにも速過ぎたからスローモードで見せてもらったんだが……正直、度肝を抜かれたよ。自分には、君の事を〝怪物〟と呼ぶ連中の気持ちが、正直わからないでもない。君達のコンビ名は確か〝ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ〟だったね。これは確かによく言ったものだよ。ラグ君、君と小竜姫は揃いも揃って〝規格外ジョーカー〟だ。ワイルドカードにもなれば、ババにもなる。まさにトリックスターだよ」


 なんだかカレルさんまで真面目な顔でそんなことを言う。多分、褒められているのだろう。それも、ものすごい勢いで。


 だけど、まったく、全然、実感が沸いて来ない。


 僕に付けられた〝ベオウルフ〟なる異名は、早くも放送を通じて全世界に広まっているとも聞かされた。だけど、どうしても『どこかの誰か』の話を聞いているような感じがして、自分のことだとは到底思えなかった。


 その後、ヴィリーさんが注文するメニューを検討しながら僕とハヌを取り巻く環境について説明をしてくれた。それも、ほとんど頭の中に入ってこなかった。


 とりあえず、ヴィリーさんとカレルさんが中心になって、僕らBVJを勧誘せんとするクラスタ群を抑え、取り纏めてくれていることは理解した。


 注文した料理が運ばれてくる頃には、僕はただ恐縮し、ひたすら「あ、ありがとうございます。と、とんでもないです」と繰り返すだけの機械になっていた。


 ところで、今回の食事の場がどうしてファミレスになったのかというと、これはハヌの希望だったりする。


「妾は甘いものを所望する! 甘いものを所望するぞ!」


 とまぁ、昼間、僕が約束を交わした途端に失神したものだから、彼女としてはフラストレーションが溜まっていたのだろう。食事を取りつつ、甘いお菓子があるお店となると、ここが適切だと思ったのだ。


 というわけで、今やハヌは、目の前に並べられたビーフシチューオムライス、アップルパイのアイスクリーム添え、クリームブリュレの虜と化していた。


「おお……! おおおお……!」


 感動のあまり言語を忘れた野生の獣みたくなっているハヌはとりあえずさておき、ここからが本題である。




「――あの男なら自滅したわ」




 食事中にダイン・サムソロの名前が出た時、ヴィリーさんははっきりとそう言い切った。


 あの男が死んだ、ということはハヌとの会話の端々から察してはいたけれど、僕はまだ詳しい経緯を知らなかった。


「君が昏睡状態だった間にな。昨日のことだ」


 ヴィリーさんの隣に位置するカレルさんが、いつものように補足を入れる。


 二人の前に並んでいるのは、サーロインステーキセットとミックスグリルセット。あれほどの高級店に誘ってくれた二人にこんな庶民的な店は失礼かとも思ったけれど、ヴィリーさんは気さくに「気にしないでちょうだい。私もよくこういうお店に来ているのよ」と言ってくれた。すごく優しい人だと思う。注文するときに「ドリンクバー? これはどういうものなの?」って店員さんに尋ねていたから、本当は嘘だって気付いてしまったけれど。


 やっちまった感が半端ない。


「あの、その……あの人は、どうしてまた……?」


 僕は主語も述語もぼやかして、そう聞いた。


 正直に言うと、ダインがハヌをヘラクレスの足元に投げ飛ばしたときは、一瞬とは言え、殺してやろうかとも思った。


 他人に対してあれほど明確な殺意を抱いたのは、生まれて初めてのことだったと思う。それほど腹が立った。


 だけど、まさか、目が覚めたら彼が死んでいるだなんて――まったく予想していなかったし、吃驚してしまった。


 殺意と殺人との間には大きな溝があるって言うけれど、本当にそうなんだなと思う。殺してやりたい、と思ったことはあっても、それはあくまで一過性の気分のようなもので。僕は実際に彼をこの手にかけようとは、微塵も考えていなかったのだから。


「ダイン・サムソロは、人として、そしてエクスプローラーとしての正道を踏み外してしまったわ。それも、あんなに大勢の目の前で」


 どこかやりきれないような口調で、ヴィリーさんは吐き捨てる。かつては自らの手で首を斬ろうとした相手だと聞いていたけれど、どうやら簡単には割り切れない思いがあるようだった。


 熱くなるヴィリーさんの精神を冷やすかのように、カレルさんの落ち着いた声が話を継ぐ。


「ラグ君なら知っているとは思うが、遺跡レリクスの中は基本、無法地帯だ。そして、我々エクスプローラーも良く言えば自由業、悪く言えば無法者と呼んでしかるべき存在だ。しかし、それ故に我々の間には〝暗黙の了解〟、もしくは〝掟〟とでも言うべきルールが厳然とある」


 僕は首肯する。カレルさんの言う〝暗黙の了解〟については、かつて師匠から教えてもらったことがある。


 エクスプローラーなら知っていて当然の常識なのだけど、ここにはハヌがいるからだろう。カレルさんは敢えて丁寧に、わかりやすく話を進めてくれた。


「言うなれば、遺跡内の自治は我々エクスプローラー全員の、そのモラルによって成り立っている。だが今回、ダインはその〝総意〟に逆らってしまった」


 彼に与えられた異名〝仲間殺し〟――と言っても公のものではなく、NPKによって付けられた烙印なのだけど――は、その響きだけで既に掟破りを表している。


 無法の戦場に生きるが故に、エクスプローラーが持つべきは互助の精神である。互いに助け合い、支え合い、その上で競い合う。それこそがエクスプローラーのあるべき姿だ。まぁ、理想論ではあるのだけど。


 クールダウンできたのだろうか。ふぅ、と息を吐いたヴィリーさんが、深紅の瞳に憐憫の光を宿し、囁くように言う。


「それだけじゃないわ。ダインは『放送局』と無謀な契約をしていたのよ。二〇〇層のゲートキーパー戦を放映する権利を、逆にあちらに売りつける形でね。かなりの額の契約金を受け取っていたらしいわ……」


 通常、エクスプローラーは『放送局』に【放送してもらう】側の立場だ。彼らに放映してもらうことによって、エクスプローラーは名声を得て、仲間を募りやすくなったり、資金援助を受けやすくなったりする。


 しかし、ある程度有名になったクラスタなどは、逆に『放送局』に放映権を売ることが出来るようになる。自分達の闘いは人気コンテンツなのだからギャラを支払え、という風に。


 ダインは大胆にも、結成したばかりの『スーパーノヴァ』でもって、その契約を持ちかけていたというのだ。


「しかし、ダインは失敗した。ゲートキーパー・ヘラクレスとの戦いには敗れ、あまつさえ、カメラの前で小竜姫を盾にするという愚行を犯した。単なる契約違反どころか、あのような映像を流した『放送局』のイメージダウンをも招いてしまう、許されざる悪行だ」


 亡きダインに対して、微妙ならざる感情を抱いているように見えるヴィリーさんとは対照的に、カレルさんの翡翠色の双眸は雪原のように静謐だった。同情する価値すら感じていない、ということなのだろうか。


「その結果、ダインはこれまでのツケを全て支払う羽目になった。それが昨日のことだ」


 恬淡と語るカレルさんの言葉を元に、その一部始終を僕なりに再現してみようと思う。


 あくまで僕の想像なので、正確ではないだろうけれど。


 多分、こんな感じだったはずだ。








「お、おい……冗談だろ? か、勘弁してくれよ! こんなの無理に決まっているだろ!」


 周章狼狽する男の声が、セキュリティルーム内に反響する。それをマイクが拾い、外のスピーカーが増幅して放出する。


 スピーカーから放たれる声を聞くのは、いつもと違い、その顔を険しくさせたエクスプローラーの集団である。


 ルナティック・バベル、第二〇一層――セキュリティルーム。


 男――ダイン・サムソロは、たった一人でそこに押し込められていた。


 セキュリティルームの出入り口は閉めきられている。だが二〇〇層とは異なり、その扉を開けば、彼は脱出することが可能である。しかし残念ながら、現状においては理論的に可能であっても、物理的には不可能であった。


 今、扉の外側では、武装したエクスプローラー達がそれぞれの得物を手にしたまま、油断なく構えていた。


 何故かなどと問う必要はあるまい。見ての通り、ダイン・サムソロの逃走を阻止するためである。


 切羽詰まった苦境に陥った彼の訴えを、『放送局』の司会者が手に持ったマイクに声を吹き込み、冷たくあしらう。


『おいおい見苦しいぜぇ【英雄ダイン】! てめぇがやってきたことを胸に手を当ててよぉーく思い出してみな! ええ? この〝仲間殺し〟さんよぉ!』


 この時既に、ダインがこれまで犯してきた罪科は明るみに出ていた。


 NPKに所属していた時だけではない。彼はこれまでのエクスプローラー人生で、危機に陥る度に周囲の他人を犠牲にして生き延びてきたのだ。いくつものクラスタを股に掛け、時には『スーパーノヴァ』のように自ら仲間を集め、場合によってはその名前を偽りながら。


 ここに揃っているエクスプローラーの大半が、かつて彼に裏切られた過去のある者達であった。そして残りの者達も、ダインの悪行に怒りを覚え、決して許すまじと意志を固めた連中である。


 ダインはセキュリティルームの内側で、扉に背をつけながら懸命に叫ぶ。


「し、仕方ないだろ! 俺達エクスプローラーは、いつも危険と隣り合わせだ! 時には命を喪うことだってある! それはみんなわかっていたはずだ! だから――」


『あぁーん? だから――何だってんだ? ダインさんよぉ、もしかしてテメェ、そんな理屈で〝だから俺は悪くない〟とでも言いてぇのかぁ?』


 司会者がダインの言葉を遮ってそう言った途端、群衆の中から怒りの声がいくつも爆発した。


 ふざけるな。それこそ冗談じゃねぇ。勝手なことをほざくな。死ね――と。


 恋人を殺された者がいた。家族を殺された者がいた。親友を殺された者がいた。彼ら彼女らとて、ダインの説く理屈はわかってはいただろう。エクスプローラーが死ぬのは、ある意味当たり前の現象であると。


 しかし、そんな理屈を超えたところで、ダイン・サムソロという人間が生きていることを、彼ら彼女らは許せないのだ。


 自分達の大切な人は、奴の身代わりになって死んだ。なのに何故、あの男が未だに生き続けているのか。こんな理不尽が、あっていいものなのかと。


「俺は悪くない! 俺は悪くないぞ! 死んで当たり前の戦場にいたんだ! 死んだ奴らは運が悪かった! それだけだ! 俺は生き延びるために全身全霊を尽くしただけじゃないか! お前らだってそうだろ!? 俺はたまたま近くにいた奴に、敵の攻撃をまかせただけだ! そいつに力が無かったのが悪いんだ! だから俺は悪くない! 悪くないんだ!」


 そんなダインの主張に、当然ながら怒号が、罵詈雑言が吹き荒れる。


 もう我慢出来ねぇ、この手で殺してやる――そう叫ぶ男がいた。


 しかし、その声には、それはダメだ、それでは奴の罪を裁くことにならない、と反論があった。


 かてて加えて、司会者がマイクでこうも言う。


『まぁまぁ待ってくれ皆の衆。直接ぶっ殺してやりてぇって気持ちもわかるけどよ、今日は抑えてやってくれ。ダインの奴はよ、舐めたことに俺達との契約を破りやがったんだ。今日はそのお詫び、振替の撮影ってわけだ』


 そして、現在の状況を説明しうる一言を発する。


『そう、たった一人でゲートキーパーに挑戦する――それが今日の企画の主旨なんだぜ!』


 その無慈悲すぎる目的に、今度は歓声が上がった。手を叩き、囃し立て、誰もがダインに降り懸かる不条理を喜ぶ。


「――ち、ちくしょおぉぉっ! ふざけんじゃねえぞテメェらぁっ! 一人でゲートキーパーと戦うなんざ無理に決まってるじゃねぇか! くそが! おれは間違ってないぞ! 俺は間違ってない! なのにどうして、こんな目に遭わなきゃいけねぇんだよぉぉぉぉっ!!」


 ダインの絶叫に、騒々しい声を切り裂くほど寒々しい声が応えた。


「そうね、貴方は間違ってはいないわ」


 途端、騒いでいた者達が一瞬にして静まり返る。


 声の主は誰あろう、剣聖ウィルハルトが実子、剣嬢ヴィリーであった。


 黄金に輝く長い髪と、燃えるような深紅の瞳――まるで伝説の黄金竜が人に変化したかのような女傑の存在感に、誰もが声を失った。


 かつてダインが所属していたNPKの団長は、集団の中から歩み出てセキュリティルームの扉に近付き、よく透る声で繰り返す。


「ダイン・サムソロ、貴方の主張は間違ってはいないわ。確かにその通りよ。エクスプローラーは死と隣り合わせの生業。生きるか死ぬかは、実力と、運が良いか悪いかだけの問題よ」


 つい先程まで、ダインの言い分に抗議を上げていた連中も、この時ばかりは沈黙している。ヴィリーの全身から放たれる不可視の迫力が、無形の手となって彼らの口を塞いでいたのだ。


 同時に、彼らにはわかっていたのだ。剣嬢ヴィリーの言葉が、決して本心ではないことを。


「ダイン、貴方は言ったわね。俺は生き延びるために全身全霊を尽くしただけだ。そのせいで死んだ奴は、運が悪かっただけだ。そいつに実力さえあれば、死ぬことはなかった。だから、悪いのは俺ではない。弱かったそいつが悪いんだ……そうよね?」


 花の蕾かと思えるほど可憐な唇から紡がれるその声は、しかし氷山が軋る音よりも硬く冷たかった。


 極限状態に置かれたダインには、その声音の違いになど気付けるはずもない。彼は露骨に安堵した顔と声で、


「そ、そうだ! そうなんだよ! わかってくれて嬉しいぜ! 流石は俺の元上司だ! ありがとう、剣嬢ヴィリー!」


 あからさまなお世辞に、周囲の人間達が揃って眉根を寄せる。しかし、当のヴィリーは表情筋をピクリともさせず、仮面の無表情を貫いていた。


 そして、氷柱の如き鋭い一言が発せられる。




「だけどその理屈ならば、今の私達も間違ってはいないわ」




「――な……!?」


 愕然とするダインの声。目を白黒させて、無言の内にどういうことだと彼はヴィリーに問う。


 冷気を纏った言葉が、その無言の問いに応えた。


「貴方がそう言うのなら、私達はこう主張させてもらうわ。私達は生き延びるために全身全霊を尽くす。そのせいで死ぬ人は、運が悪いだけ。その人に実力さえあれば、きっと死ぬことはないのだから。その人が死ぬのは、その人の弱さが悪いのよ」


 冷然と、ヴィリーはダインの主張するところを言い換えて、彼自身に突き付ける。


「な……何を言って……? ど、どういう意味だ、剣嬢……?」


 ヴィリーの意図するところが理解できず、彼は間抜けにもそう聞き返した。


 おそらく、この時点で理解できていなかったのはダイン一人だけだったであろう。あるいは本能的に理解していながら、理性でその理解を拒否していたのかもしれない。


「貴方がここのゲートキーパーと戦うことで、私達は貴重な情報を得ることが出来るわ。それは、私達が生き残るために必要かつ重要な情報よ。【だから私達は悪くないわ】」


「――っ……!」


 ダインの顔に理解の色が生まれる。それは血の気が引き、蒼白になった顔の色だ。


「だから、この戦いで貴方が死んだ時は、貴方の運が悪いだけ。実力のない貴方が悪いだけ。弱かった貴方が悪いだけ。【だから私達は悪くないわ】」


 ヴィリーは力を込めて、最後の一節を繰り返した。


 この時になって初めて、彼女は表情を緩め、優しく微笑んだ。


「安心しなさい、ダイン。【貴方に実力さえあれば、死ぬことはないわ】。勿論、ゲートキーパーを倒して生還した貴方には、誰にも手出しさせないわ。騎士の誇りにかけて、私が約束する」


 いっそ女神のような慈悲深さで、彼女は告げる。


「だから、貴方は貴方の正しさをその身で以て証明してみせなさい。ついさっき貴方自身が、その口で主張した正しさよ。よもや舌の根も乾かぬうちに、あっさり掌を返すなんてこと……しないわよね?」


 その舌鋒はもはや氷の切っ先だった。


 ヴィリーはダインが振るった言の刃を翻し、そのまま彼の喉元に突き付けたのである。


「――~っ……!」


 ぐうの音も出せず、ダインは悔しげに顔を歪め、歯噛みした。


 もはや彼に退路は無い。出入り口は封鎖され、これまで武器にしていた弁舌はへし折られ、進むべき道はただ一つだけとなった。


「――くそが……! 上等じゃねぇか、やってやるよ! あのエンハンサーのガキに出来たんだ! 俺にだって――吠え面かくなよテメェら!」


 覚悟を決めたのか、はたまた開き直ったのか。


 追い詰められたダインはとうとう背負った大剣の柄を握り、抜刀した。


 彼のカテゴリは重剣士。いくら落ちぶれようが、かつてはトップ集団であるNPKに所属したこともある実力者である。


 自ら陣頭に立って指揮をする確かな強さに、彼の過去を知らぬ者達は皆、惹かれて仲間になったのだ。


 ダインの一歩が、セキュリティルーム奥に浮かぶコンポーネントの具現化をトリガーした。


 巨大な青白い球体が、ゲートキーパーへと姿を変えていく。


『KEEEEEERRRRRRRRRROOOOO!』


 顕現せしは、巨大なカエル型の機械型SB。


 後日、エクスプローラー達によって付けられた名前は〝フロッグイーター〟。


 全長は四メルトル前後。エメラルドグリーンの体表と、大きく膨らんだパールホワイトの腹。イエロートパーズのぎょろりとした目玉が二つ、左右バラバラに当て処のない視線を振りまいている。


「――はっ! なんだありゃ! どう見ても雑魚じゃねぇか!」


 ダインが頬の筋を引き攣らせながら、気丈に叫ぶ。


 フロッグイーターの見た目は、確かに一つ前の階層で見たヘラクレスと比べれば、その迫力は数段以上に劣っていた。


『KERRRR……KERRRR……』


 ご丁寧に顎下の折りたたみ式装甲を、本物の蛙のごとく膨らませるその姿は、どう贔屓目に見てもヘラクレスに遠く及ばない。


 一言で言ってしまえば、ひどく弱そうに見えた。


 観衆から諦め混じりの吐息がいくつも生まれた。アレはダメだ。本当にダインの奴が一人で勝ってしまうかもしれない――そう思った者は決して少なくなかっただろう。


「いくぞぉぉぉっ! うおおおおおおおおおおおっ!!」


 雄々しく胴間声を轟かせ、ダインは突撃を敢行した。


 重苦しい足音を響かせて迫る男を、しかしフロッグイーターは見向きもしない。あらぬ方向に目を向けて、ただ喉を鳴らしている。


 そんな風に見えた。


 刹那、フロッグイーターの口元で赤い光が煌めいた。


 一瞬の事であった。


 カエル型ゲートキーパーの口から閃光のごとく飛び出した長い舌が、まだ十メルトル以上は離れているダインの体を巻き取り、あっと言う間に引き寄せたのだ。


 まるで瞬間移動のようにダインはフロッグイーターの口元へ連れ去られる。


 遅れて、両手に握られていた大剣が床に落ちた。


 あまりにも速すぎて彼自身にも何が起こったのか、すぐには理解できなかったのだろう。


「……………………あ?」


 彼は逆さまになり、フロッグイーターの口に腰から下を飲み込まれた状態で、そんな声を漏らした。


『――KERO』


 とフロッグイーターが鳴いた。




 聞くに堪えない、醜い悲鳴が上がった。




 無様に命乞いをし、断末魔の声を迸らせるダイン・サムソロを、フロッグイーターは長い舌を駆使して口内へ引きずり込んでいく。


 じっくりと、ゆっくりと。


 獲物を嬲るかのような速度で。


 やがて泣き叫ぶ叫喚すら胃に飲み込まれ――唐突に静寂が訪れた。


 誰も、何も言わなかった。観衆は黙ったまま、フロッグイーターの挙動を見守り続けた。


 約三ミニト後、微動だにしなかったフロッグイーターが、突如として具現化を解き、元の巨大コンポーネントへと回帰した。


 もう役目は終わった――そう言わんばかりに。


 ダインが飲み込まれ、フロッグイーターが消えるまでの間。それはもしかすると、彼が溶けるまでにかかった時間だったのかもしれない。








「そういうわけでの、ラトよ。妾はあの蛙もどきとは戦わぬぞ」


「へっ?」


 隣でビーフシチューオムライスとデザートに夢中だったはずのハヌからそう言われて、僕は驚いて振り返った。


 唇の端にシチューがついたままのハヌは、横目で僕を見上げている。どことなく不機嫌そうな表情。言わずともわかれ、そう言っているような感じだった。


 ハヌはデザート用のスプーンを、カチャン、と音を立てて皿に置く。


「わからぬか? あの愚か者は蛙もどきの腹に収まりよった」


「う、うん……そうだね?」


 そういえば、ハヌもその場で一部始終を見ていたらしい。当時の光景を思い出したのだろう、実に不愉快そうに眉をひそめている。


 僕が曖昧に頷くと、まだわからぬか、とハヌは言葉を重ねてきた。


「蛙もどきはそのままコンポーネントに戻りよった。つまり、アレにはあの愚か者が【混じっておる】ということであろう? ということはじゃぞ、もし妾があやつを退治すると、あの汚らわしいコンポーネントが妾の中に入ってくるということではないか」


「あ、あー……うん、そ、そうなるの、かな……?」


 なんとなくハヌの言わんとしていることはわかる。とはいえ、コンポーネントはコンポーネントだし、詰まる所データの塊なわけで、


「……気にすることないと思うんだけど……」


 と僕は考えるのだが、ハヌとしてはそうもいかないらしい。


 小さな掌が、バン、とテーブルを叩いた。


「ばかもの! あの愚か者はこの妾を騙そうとしたのじゃぞ。あまつさえ、妾を投げ飛ばしよった。あの時打った背中がどれほど痛かったことか!」


「あー……」


 そこなんだね、と納得する。この様子から察するに、相当痛かったのだろう。


 それもそうか。あんな風に投げられたら、普通だったらすぐには立ち上がれないほどのダメージを受けるものだ。ハヌの場合はまだ体重が軽かった分、多少はマシだっただけで。


 ぷんすか怒ったハヌは腕を組んで、ぷいっとそっぽを向く。


「故にラトがあやつと戦うことも認めぬ。例えデータという形であろうと、ラトの中にあの愚か者が混じるなど、妾は絶対に嫌じゃ。あの蛙もどきは他の者に任せればよかろう」


 事実上の禁止命令が出てしまった。よほどダインのことが嫌いだったのだなぁ、と思う。かく言う僕も、彼に苦汁を舐めさせられた口だけど。


 とはいえ実際問題、二〇一層のゲートキーパーに手を出さないというのは良い提案だと思う。


 先程もカレルさんが言ったとおり、エクスプローラーの間には歴とした〝ルール〟が存在する。


 一つのクラスタ、もしくはパーティーが連続で一箇所のゲートキーパーを倒すというのは、一種のマナー違反になるのだ。


 基本、ゲートキーパー攻略は多くの情報収集戦を経た上で行われる。その情報の蓄積は、関わったエクスプローラー全員の功績だ。しかし、実際に生じる報酬は――例外はもちろんあるけれど――ゲートキーパーのコンポーネントが一つだけ。


 よって、その報酬を一つの集団が連続して掻っ攫っていくのは、他のエクスプローラー達からの反感を買う羽目になってしまうのだ。


 無論、こんなのはトップ集団が気にすることであって、本来なら僕みたいな若輩者には関係の無い話だったのだけど――今となっては、無関係だなんて言ってはいられない。


 僕とハヌは既に、一九七層の海竜、そして二〇〇層のヘラクレスを倒し、それらのコンポーネントを取得してしまっているのだ。


 いくらハヌの術式が強力とはいえ、これ以上むやみやたらとゲートキーパーを倒していけば、いらぬ謗りを免れ得ない。ほとぼりが冷めるまで、しばらくは大人しくしているのが賢い選択だろう。


 それに、今の僕達二人には、それよりも大事な課題があるのだし。




 せっかくの食事中に料理が美味しくなくなるような話はもうやめよう――というわけで、カレルさんが別の話題を提供してくれた。


「そうだラグ君、突然で申し訳ないのだが」


「は、はい、何でしょうか?」


 いつものよう落ち着いた声で、カレルさんは言った。




「君を我が騎士団に迎えたいというあの話を、無かったことにして欲しいのだが、いいだろうか?」




 それは、光と音のない雷鳴のようだった。


 ちゃりーん、とヴィリーさんの手からフォークが零れ落ちて、床に転がった。


 そんな話は聞いていない――そう言いたげな表情で、ヴィリーさんが隣のカレルさんを凝視する。


 けれどカレルさんは、頬に突き刺さる深紅の視線を無視して、真剣な顔で僕をじっと見つめていた。


 これまで経験したことのない、得も言えぬ雰囲気がこの場に充満していく。


 僕自身、予想もしていなかった話に頭が少し混乱していた。


 ――あれ? えっと……こ、こういう時って、何て返事すればいいんだろう? 定型文って何かあったっけ?


「……えっ、と……へっ……?」


 突然すぎる申し出に何と返せば良いのか。この時の僕には、さっぱりわからなかったのだった。





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