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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第五章 正真正銘、今日から君がオレの〝ご主人様〟だ。どうぞ今後ともよろしく

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●32 デス・ペナルティ







「 〈天龍現臨てんりゅうげんりん塵界招じんかいしょう〉 」




 ハヌの極大術式が発動した。


 鮮烈な光が閃き、あの〈天剣爪牙〉ですら比べものにならないほどの大きさのアイコンが、大空いっぱいに広がっていく。端っこなど見えるはずもない。世界の果ての向こうまで伸びているんじゃないかってぐらい、巨大という概念を超越したスケールだった。


「……!?」


 僕は思わず周囲の警戒を忘れ、頭上に広がるスミレ色の光に見入ってしまった。


 ――なんだ、この大きさ……!?


 多分、これまで僕が見てきた中でも、最大級の術力が込められているのだと思う。なにせ『ヴォルクリング・サーカス事件』の時、フロートライズの上空に広がった〈天龍現臨・天穿龍牙〉のアイコンよりも明らかに大きいのだ。あの時はもしかしたら、空に伸びるルナティック・バベルが邪魔で、上手く術力が込められなかったのかもしれないけれど。


 かつてないほどのハヌの本気。


 しかも発動されたのは、かつて彼女がゲートキーパー海竜こと〝タケミナカタ〟を一撃で屠った、僕らにとってはある意味記念的な術式。あの時は立体アイコンがタケミナカタを取り込み、そのまま活動停止シャットダウンするまで内部で嵐が吹き荒れたのだけれど――


 今、僕の視線の先に展開するのは、平面の術式アイコン。ということはつまり、あの時、立体アイコンの中で起こっていたことが目に見える形で展開するわけで……


 一体何が起こるのか?


 どうしようもなく興味を惹かれてしまった僕は、そのまま馬鹿みたいに口を開けて極大術式の動きを見守ってしまう。


 以前に聞いたハヌの説明によれば、〈天龍現臨・塵界招〉とは神の化身たる『天龍』の力をもってこの世と塵界とを結び、全てを塵芥へと還す荒ぶる風を呼び込む術式なのだという。


 果たして僕の目の前で展開したのは、森のごとく林立する竜巻の群れだった。


 ことの起こりは〈天龍現臨・天穿龍牙〉に似ている。地表を緩やかな風が撫でたかと思うと、遙か頭上に広がるハヌの術式アイコンへと吸い上げられ、大気が集められていく。


 アイコンを通り抜けた風は途端に指向性を与えられ、渦を巻き、収束し、細い竜巻と化す。


 一本、二本、三本――と、螺旋を描いて伸び上がる風の奔流が増えていくと、次第に増殖速度が加速していく。


 あっというだった。


 あれよあれよといっているあいだに蛇のような竜巻は増え続け、あっという間に空一面を覆い尽くしてしまったのだ。


 僕達のいるこの浮遊群島を、遠く離れて真横から眺めれば、上空に現れたスミレ色の平面アイコンを苗床として、無数の風の植物が生えているように見えたかもしれない。


 一呼吸ごとに増えていく竜巻の総数はもはや、千か万か。数え切れない。


 しかも竜巻の森林はかさを増しながら、同時にめいめい身を伸ばし続けていた。竜巻は伸び上がるほどに力が拡散し、同時に周囲の大気を取り込んで肥大化する――いわゆる『漏斗状』になる傾向を持つ。ハヌの〈天龍現臨・塵界招〉が生んだ竜巻の群れもご多分に漏れず、規模を拡大させながら成長していた。


 浮遊群島――否、この空間全体の大気を掻き集めて膨張していく大量の竜巻に、やがて大きな変化へんかが訪れる。


 龍化。


 かつて〈天龍現臨・天穿龍牙〉の巨大竜巻がそうだったように、万を超えるであろう竜巻の一つ一つの先端が龍のかおへと変化へんげし、剣呑な牙を剥いたのだ。


 それは圧倒的な光景だった。


 きっと、地上の誰もが戦いを忘れて、僕と同じように空を仰ぎ見ていたであろう。


 蒼穹を覆い尽くす、風の龍の大群たいぐん


 かつて『ヴォルクリング・サーカス事件』で〈天龍現臨・天穿龍牙〉の巨大な風の龍――即ち『天龍』の姿を見たことがある人間なら、十中八九このように思ったはずだ。


 世界の終わりが来た――と。


 それほどまでに破滅的で、壊滅的で、絶望的だった。


 いまや浮遊群島全体と比べてもなお大きい、風龍の群れ。空に生けられた、一天万乗いってんばんじょうの華。


 そんな力の根源が、よりにもよって僕よりも小柄な女の子だと、一体どうして信じられようか。


「――――――――!」


 ハヌの力を目の当たりにするのはこれが初めてというわけでもないのに、僕はどうしても戦慄を禁じ得なかった。悪寒が背筋を何度も往復して、吐き気にも似た圧迫感を腹に覚える。


 やはり、ハヌは現人神あらひとがみなのだ。


 改めて実感する。普段は小さくて、可愛らしい女の子にしか見えないから忘れがちだけど、やはりハヌは人の形をした神様なのだ。僕達の生きる世界を自由にできるだけの力を持つ、超常の存在なのだ――と。


 くんっ、と風の龍が一斉に鎌首をもたげた。


 一心不乱に上昇を続けていた龍達が急激に鼻先の向きを変え、長い胴体をくの字に折る。


 下降。


 当然だ、空に敵などいない。ハヌの極大術式の狙いは、浮遊大島の中央にある『氷の城塞』。カレルさんが神器〝生命ビビファイ〟によって造り上げた居城。


 風の龍は各々が意思を持つかのごとく自ら軌道を選び、仲間同士ぶつかり合わないよう隙間を縫って、一気呵成に『氷の城塞』を目指した。


 入り乱れる龍の身体は、どう考えても計算され尽くしたようにしか見えない。精緻な編み物のように折り重なる風の流れはいっそ芸術的で、この瞬間、僕は目の前で起こっていることがまさに『神話』なのだと、心の底から理解した。


 万を超える龍の群れが、ホーミングミサイルよろしく複雑な軌道を描いて『氷の城塞』へと殺到する。


 が、先述の通りカレルさんの『氷の城塞』は巨大な薄紅のドームに覆われている。と言っても、厚みのほとんどない氷の膜だ。きっと龍の鼻先が触れただけで砕け散り、大挙した竜巻の群れに『氷の城塞』はあえなく蹂躙される――その光景を幻視したのは、何も僕一人だけではなかったはずだ。


 だけど、カレルレン・オルステッドという人物は、そんな生易しい相手などではなかった。


「――――――――ッッッ!?」


 ただでさえ信じがたい光景が、さらに驚愕の展開を見せた。


 風の龍が――【溶けていく】。


 ハヌの極大術式〈天龍現臨・塵界招〉の生み出した龍の大群が、『氷の城塞』を覆う薄紅のドームに触れる端から消滅していくのだ。


「――な……っ!?」


 思わず呻き声が漏れた。


 ハヌの極大術式なのに。これまで無敵で、最強の一撃を誇ってきたのに。あれの前に耐えきれるものなどないと、ずっと信じてきたのに。


 それを、防いでいる――!?


 頭の中を直接ハンマーで殴られたような衝撃だった。立っている地面の底が抜けて、いきなり落とし穴に嵌まったような驚きだった。驚天動地とは、まさにこんな時に使う言葉だと思った。


 ――カレルさん、こんなものまで用意して……!?


 立て続けに下降、突撃していく風の龍のことごとくが薄紅の氷に阻まれ、それこそ熱した鉄板に触れた雪のごとく溶けて消えていく。


 薄い氷の膜は小揺るぎもしない。


 あれだけの大質量の大気の塊を受け止めているにも関わらずに、だ。


「……ラト」


「――っ!?」


 苦々しげなハヌの声が、僕の意識を現実へと帰還させた。


 見ると、ハヌは両手で印を組んだまま、眉根を寄せて順次消滅していく〈天龍現臨・塵界招〉を睨んでいた。悔しそうに唇を歪め、


「あやつ、カレルめ……! 妾の力を【素通り】させておる……!」


「えっ、す、【素通り】……!?」


「さよう。どういったカラクリかはわからぬが――いや待て……? よもやあやつ、この島の〝龍穴りゅうけつ〟を掌握しておるのか……!?」


 はたと何かに気付いたハヌが口を噤んだかと思うと、今度は愕然と表情を強張らせる。


「え、えっ? りゅう……あっ!」


 龍穴という聞き慣れない単語に首をひねりかけて、けれど僕は唐突に思い出した。


 呼び方は違えど、同じ意味の単語を僕は耳にしたことがある。


「――ま、まさか、『ヴォルクリング・サーカス事件』の時に聞いた……!?」


 即ち――〝龍穴ボルテックス〟。


 いわゆる『パワースポット』の一種だ。


 世の中には、大地の中には『龍』が棲む、という思想がある。これは科学的にも『地脈エネルギー』と呼ばれていて、確かに僕達の立つ地面の奥深くには、途方もないエネルギーが眠っているのだという。


 そして一部の界隈では、そんな大地のエネルギーを『龍脈』と呼んでいる。


 大地の中を駆け巡る『龍脈』は、一説には『惑星のフォトン・ブラッド』なんて言われているのだが、その力の一部が噴き出す特殊な土地を、一般的に〝龍穴ボルテックス〟と呼称するのだ。


 エクスプローラー業界では割と有名な話である。特にフリムのような付与術式使い(エンチャンター)は、術式をトラップとして地面に設置したりするので、エネルギーの供給を地脈に頼ることも多い。


「そうじゃ。カレルめ、〝龍穴〟を通じて『龍脈』ごと浮島を利用しておる……! 妾としたことが、抜かったわ……!」


 そんな〝龍穴〟と『龍脈』といえば、やはり最大級の衝撃を伴って思い出されるのが『ヴォルクリング・サーカス事件』――その中核を担った術式〈コープスリサイクル〉である。


 ロゼさんの説明によれば、シグロス・シュバインベルグ率いる使役術式使い(ハンドラー)クラスタ『ヴォルクリング・サーカス』の使用した〈コープスリサイクル〉は未完成品で、〝龍穴ボルテックス〟からのエネルギー供給を受け続けるために術者がその場から動けない、という欠点があった。


 しかしながら、いくら未完成かつシグロスの神器〝融合ユニオン〟で無理矢理ツギハギされた欠陥品パッチワークであろうと、その効果の絶大さは知っての通り。


 たくさんの――本当に【たくさん】の人が、殺された。


 無論、『龍脈』自体は強大であれどただのエネルギーの塊であり、大勢の人々が無惨に亡くなったのは『ヴォルクリング・サーカス』を先導したシグロス・シュバインベルグの悪意故なのだけど。


 惑星のフォトン・ブラッドなんて言われるほど、『龍脈』の力は強力かつ無尽蔵だ。フリムの特異体質『永久回炉メビウス・オヴェン』にも似ているけれど、流石にスケールが違いすぎて比べものになるまい。


 つまり、無限のエネルギー炉――そう呼んでも差し支えないのが『龍脈』というものなのだ。


「そ、そんな……う、嘘……!?」


 当然、その扱いは難しく、ただエネルギーを汲み上げるだけでも慎重を期さねばならない。今では付与術式〈ジオアブソーブ〉といった安全機構付きの術式でエネルギー利用は容易になっているけれど、それだって程度による。言わずもがな、『龍脈』から引き上げるエネルギーが大きくなればなるほど、制御の難度も危険度も加速度的に跳ね上がっていくのだ。


 ましてや、『龍脈』の力が溢れ出している〝龍穴ボルテックス〟ともなれば――だ。


 例えるならそこは、惑星のフォトン・ブラッドと呼ばれる力の吹き溜まりであり、過負荷に耐えきれず噴き上がってくるエネルギーの間欠泉なのだ。


 下手に手を出せば、自滅するのは必至。火薬庫の中で火遊びをしたらどうなるのかなど、それこそ火を見るより明らかである。


 なのにカレルさんはその力を利用し、あまつさえハヌの極大術式の直撃を防ぐという離れ業をやってのけている、というのだ。


「おそらくじゃが、あやつは妾の術をそのまま〝龍穴〟へ流し込み、浮島の別の場所へ捨てておる。全くの無駄ではなかろうが、それでも妾の天龍らは、ほとんど何もせずに【素通り】しておるようなものじゃ。小さいとはいえ、『龍脈』を見事に使いこなすとはの……このままでは、押し切れぬやもしれぬ……!」


 ハヌが術式に集中しながら、悔しそうに歯噛みする。こんなハヌを見るのは、彼女と出会ってから初めてのことだった。


 ――し、信じられない……!


 ハヌの術式が通用しない、という事実にもそうだが、あまりにも信じがたいのはカレルさんの思考だ。


 カレルさんの発想が、僕にはわかる。否、僕みたいな人間ですらわかってしまう。


 これは、とてもシンプルな話なのだ。


 即ち――ハヌの力は『龍』を呼ぶ。


 であれば、『龍』に対抗できるのまた『龍』でしかない――カレルさんはそう考えたのだ。


 だから、カレルさんは『龍脈』を利用する方法を考えた。そこには『龍が棲んでいる』から。


 目には目を。歯には歯を。そして、『龍』には『龍』を。


 カレルさんが取った手法とは、つまりはそういうことだったのだ。


 とはいえ、


 ――あの人、どれだけ引き出しを持ってるんだ……!?


 いくら多少は時間があったとはいえ、そしてこの浮遊大島がフロートライズのような浮遊大陸と比べて小型だとはいえ、まさか『龍脈』をその手に握るだなんて。


 カレルさんの持つ神器とは、これほどのことを可能とするものなのか。


 いや、もしかして、ヴィリーさんやロゼさんの神器も、使いようによってはこれと同じか、それ以上のスケールのことが出来てしまうものなのだろうか――


「――じゃが、打つ手がないわけではないぞ、ラト。妾は術を終わらせるまでこの場を動けぬが、それはカレルとて同じことじゃ。こうして妾の術を受け流しておる限り、あやつは一歩も動けぬ。――今こそ勝機じゃ!」


「――えっ?」


 僕を横目に見つつ、くふ、とハヌは不敵に笑った。窮地に置いて笑みを浮かべる友達に、僕はいい意味で意表を突かれる。


「既にロゼもフリムも撃退済みじゃ。もはや妨害はあるまい。一つ、ヴィリーの女狐めの動きが気になるが……いや、その前に決着をつけてしまえばよいだけのこと」


 ハヌは現在の状況を敢えて口に出して説明する。そうやって道を舗装して、僕の思考が一つの結論へと辿り着くように。


 もちろん彼女の言わんとすることに、僕もすぐ思い至った。


「え、えと、えっと……え? ハ、ハヌ? それって、もしかして……?」


 けれど、その結論というものが割ととんでもなくて、嫌な予感しかしなくて、もしかしたら誤解かもしれないし、そうだったらいいなぁ……と思いつつ聞き返してみたところ、


「さよう、その【もしかして】じゃ!」


 ニヤリ、と笑ったハヌに断言されてしまった。


「ラト、おぬしがカレルめの首をとってくるのじゃ!」


「や、やっぱりぃぃぃぃぃっ!?」


 大それた作戦に、ひえええっ、と僕は悲鳴にも似た声を上げてしまう。


 まさか僕が、勝敗を左右する重要な局面を任せられるだなんて――という驚き。


 しかも、直接対決でカレルさんを討ち取ることになるだなんて――という畏怖。


 だって、だってである。あの〝氷槍〟カレルレン――〝剣嬢〟ヴィリーの片腕にしてハイランクのランサー、そして実質『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』を統率する、稀代のコマンダー。


 誰がどう見たって、第一級のエクスプローラーなのだ。


 今ではもう客観的にはそんなこともないのだろうけれど、それでも僕の心理的には、未だにカレルさんは『雲の上の存在』なのである。


 ――そ、そんな人の首を獲れって……僕が!?


 いやでも、確かにこうなる気はしていたのだ。ハヌの言う通り、ロゼさんもフリムもほぼ戦闘不能状態。どちらもHPを残してプレイヤーとしては生きてはいるけれど、どのみち回復しなければ戦線復帰は難しい。だから、きっともう邪魔は入らない。


 ちなみに、フリムは僕との激突の後もケロッとしていて、それでもひどく悔しそうに、


「あーもー! ちっくしょおぉーーーーーーっ!! ったくハルトのくせにぃっ! ――まぁでも落とし切れなかったものはしょうがないわね! 今回は引き分けよハルト! 勝負は次に持越し! 次こそは絶対にアタシが勝ってやるんだからッ! アイシャルリターン! お姉ちゃんリベンジ待ったなしよッ!!」


 と捨て台詞を残して、バビュンと嵐のような勢いで逃げ去って行った。ひっそりと去って行ったロゼさんとは、どこまでも対照的に。


 無論、追撃を考えないでもなかったけれど、僕もHPの残量に不安があったり、肝心の〈バルムンク〉が故障していたのもあって、ついそのまま見逃してしまったのである。


「え、で、でも、僕一人じゃ……その、ほら、だ、だって、相手はあの、カレルさんなんだよ……!?」


「ばかもの! ここまで来て何を怖気づいておる! 妾の術もそう長くはもたぬぞ! 迅速に勝負をつけてくるのじゃ!」


 ついつい漏れてしまった弱音を、ハヌの怒声に一喝された。


 フリムやロゼさん以外の『黒』プレイヤーは、地上の『探検者狩り(レッドラム)』達との戦闘にかかりきり。そこには『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』幹部のアシュリーさんやゼルダさんも含まれているはず。


 元よりあちらは寡兵かへい。余裕など微塵もないはず。であれば、


 ――カレルさんは今、単独で『氷の城塞』内部にいるはずだ……!


 もちろん全ては推測であり、確証なんてものはない。あのカレルさんのことだから、予想外の伏兵を用意している可能性もゼロではない。


 だけど――そう、ハヌの言う通りである。


 ここまで来たのだ。もう怖気づいている場合ではない。


 僕は深呼吸を一つ。覚悟を決め、ハヌに頷きを返した。


「――うん、わかった。じゃあ、行って来るね……!」


 僕は両手に握っていた黒帝鋼玄を持ち直して、心ごと臨戦態勢に入る。


 フリムが僕の為にリビルドしてくれた〈バルムンク〉が故障して、同時に〈フロッティ〉や〈リディル〉の光刃フォトン・ブレードも使えなくなったため、現在の形状は、何だか懐かしくも思える長巻モード。腰のハードポイントには脇差モードの白帝銀虎を吊るしているから、何だかちょっと前の自分に戻ったみたいな気分だ。


 でも、そんなことは有り得ない。時間は未来に向かってしか動かない。良くも悪くも過去に戻ることは出来ないのだ。


「――よかろう。その言葉が聞けたのなら、もう安心じゃな」


「えっ……?」


 くふ、と微笑んだハヌに思いも寄らぬことを言われて、思わずキョトンとしてしまう。


 ハヌはどこか嬉しそうに微笑んだまま、


「〝うん、わかった〟――しかと気合いが入った時、おぬしはいつもそう返事するではないか。妾は知っておるぞ。覚悟を決めたラトは強い。そして強いラトは、いつも難局をどうにかしてくれるのじゃ」


「ハヌ……」


 信頼に満ち溢れた言葉が、僕の胸に響く。得も言えぬ歓喜が体の奥底で爆発して、こんな時だって言うのに顔がにやけてくるし、一緒に涙まで込み上げてきた。


「ここは妾に任せよ。ラト、おぬしは威風堂々と大将首をあげてくるのじゃ!」


 全身全霊で術式を維持するハヌに鼓舞されて、僕の戦意ははち切れんばかりに漲った。


「……うんっ! いってきます!」


 この期待に応えなければ、僕がハヌの友達でいる甲斐がない――!


 僕は思いっきり首を縦に振ってから、長巻状態の黒玄を頭上に高く掲げた。自分の〝SEAL〟を励起させ、喉からキーワードを放つ。


「――黒帝鋼玄、モードチェンジ! モード〈大断刀〉!」


 ギンヌンガガップ・プロトコル発動。黒玄内部のストレージに保管されていた追加パーツが具現化し、長巻にまとわりつくようにして装着されていく。瞬く間に全長三メルトル超の極大剣が出来上がり、漆黒の刀身が、それでもなお陽光を鋭く照り返した。


 これぞ黒帝鋼玄に秘められし力の一つ、モード〈大断刀〉。


 かつてルナティック・バベル第二〇〇層のゲートキーパー、ヘラクレスを屠った剛剣だ。


 あわせて支援術式〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉を一斉発動。強化係数を一気に五百十二倍まで跳ね上げる。


 どうやら思考回路というものは、やる気を充填するとよりよく回るようで、僕はカレルさんの居場所を特定する簡単な方法を、ぱっ、と閃いた。


「――サーチ」


 MPを消費してマジックを発動。視界にARスクリーンを呼び出し、マップを表示させる。リアルタイムの敵味方の位置情報が色違いの光点で示され、僕は『氷の城塞』と重なる黒い点を一つ発見した。


 間違いない、これだ。この黒点こそがカレルさんだ。


 目標は定まった。照準は後からでも合わせられる。


 ならば発射だ。


「〈ドリル――!」


 剣術式を起動。一息に二十個のアイコンが表示され、弾け飛ぶ。〈大断刀〉の広く厚い刀身にディープパープルの輝きが集まり、フォトン・ブラッドのドリルが猛烈な回転をしながらミルフィーユのごとく重なっていく。


〈大断刀〉の切っ先を『氷の城塞』へ向けて固定。


 背中に凶暴な力が溜まっていくのがわかる。これが爆発した瞬間、僕は流星よりも速く落ちる砲弾となるのだ。


 発射から着弾まで、そう時間はかかるまい。氷の防護膜を突き抜け、邪魔な障害物を蹴散らし、カレルさんめがけて一直線に突き進む。ハヌの極大術式を防ぐことに注力しているだけに、きっとまともな防御はできまい。


 一瞬だ。


 一瞬で何もかもを貫き、戦闘不能にする。


 そして、その瞬間こそが今――!


「――ブレイ」


 ク、と叫ぼうとした、まさにその時だった。




 ピンポンパンポ――――――――ン




 間の抜けた音が空いっぱいに響いた。


「――へぇっ!?」


 あまりの不意打ちに肩から力が抜け、ガクッと空中で転ぶという、無駄に器用なことを僕はしてしまった。


 当然、発動しかけていた〈ドリルブレイク〉はオールキャンセル。というか、ABSオートブレイクシステムが作動して、回転したドリルが快音を立てて砕け散ってしまった。当然、背中に溜まっていた推力もエンストよろしく空回り。挙げ句に、パァン、と弾け飛んで雲散霧消してしまう。


「……なんじゃ……?」


 急なことでも術式の制御は維持したまま、ハヌが怪訝そうに頭上を見上げる。すでに空中の高い位置にいる僕達だけど、さっきの妙に気の抜ける音は確かに、上から降ってきたように聞こえたのだ。


 だけど、そこには空一面に広がるハヌの術式アイコンが見えるだけ。


 が、一拍を置いて、ちょうどハヌのアイコンを上書きするように――下から見上げているので正確には『上書き』ではないのだろうけれど――巨大なARスクリーンが浮かび上がり、エイジャのバストアップを映し出した。


『やぁ、プレイヤー諸君。ゲームを満喫しているところ失礼するよ』


 赤毛の美少年が満面の笑みを浮かべて、ふざけたことを宣った。自ら志願したのならともかく、無理矢理参加させられたゲームを満喫なんてできるはずもないというのに。


『オレとしても、とてもいい局面だったので、こうして割り込むのはやめておきたかったのだけど――今回ばかりは仕方がない。新たに必要な情報をプレイヤーに提示するのも、ゲームマスターの大事な務めなのでね』


 ははは、と軽やかに笑うエイジャの声に、ぞわり、と背筋に悪寒が走る。


 ――新たに必要な情報? まさか、ここに来て新ルールでも追加するつもりだろうか? まったく、一体どれだけ僕達を振り回せば気が済むというのか……


 内心辟易しつつエイジャの言葉の続きを待っていると、ふと巨大ARスクリーンに映るエイジャの薄紅の瞳が、こちらを見た――気がした。


「……?」


 気のせいだろうか。一瞬だけ、エイジャの視線が僕とハヌを一瞥した気がしたのだけど――それがどうにも意味ありげな視線だったように思えて、胸がざわつく。


『本題に入ろう。実を言うと、つい先程ようやく〝死亡〟したプレイヤーが出た。そう、HPを全て失って〝失格〟状態になったプレイヤーが、さらに攻撃を受けて死亡してしまったんだ』


「……〝死亡〟……?」


 僕は首を傾げる。どうして今更そんな話をするのか、と。〝失格〟や〝死亡〟については事前に配られたルールにも記されていた。要は〝死亡〟すると、『サルベージ』のマジックを使ってもゲームに復活することができなくなる――そういう話だったはずだ。


「――。」


 いや、待て。


 刹那、凄まじく嫌な予感が脳裏をよぎって、僕は喉元に吐き気を覚える。


 ――まさか……【違う】、のか……!?


 エイジャの言う〝死亡〟とは、ゲーム的な〝死亡〟を指すのではなく、もしかして――


『せっかくだから、わかりやすく映像で見てもらおうと思う。このゲームで〝死亡〟するということがどういうことなのか、プレイヤー全員に知ってもらって欲しいからね』


 エイジャがそう告げると、巨大ARスクリーンの映像が切り替わった。


 浮遊群島全体に『放送局』の〈エア・レンズ〉みたいなものを撒いてあったのか、それはやけに鮮明な記録映像だった。


 やっぱり僕達は密かに監視されていたのか――と真っ先に思った。多分、ジェクトさんとの会話もエイジャには筒抜けだったのだろう。そう思うと、何とも居心地の悪い気分であった。


 流し出された映像を一目見てわかるのは、まず『蒼き紅炎の騎士団』のメンバー達が映っていること。次いで、『探検者狩り』の、どことなく顔に見覚えのある連中も見つかった。


 場所は、もちろん朽ちた都市部のまっただ中。灰色の廃墟の群れを背景に、どうやらあちらの『黒』プレイヤーと、こちらの『混色』チームとの戦闘を録画したものらしい。


 右下に表示された時刻を信じるなら、それはほんの数分前のものだった。


『見ての通り、数が少ないのは黒のプレイヤーだが、追い詰められているのは多勢の白と黒の混成チームの方だ。ああ、本人達もこの映像を見ているだろうね。断りなく君達の記録映像を上映してしまってすまない。ま、謝ったのだから許してくれたまえ』


 傲然と告げるエイジャの声とともに、映像内の人々がせわしなく動く。どうやら映像だけで、音声はないらしい。時折、種々様々な術式アイコンが表示され、攻撃術式や剣術式、その他が発動しているが、それらの起動音声コールは全く聞こえない。


『――さて、ここだ。注目して欲しいのは、黒チームの彼だよ』


 エイジャが告げた途端、彼と指名された男性――『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』の一人に赤い大きな矢印がつけられた。ついでに、HPとMPのバーも合わせて。


 特徴的な蒼の装束は、ヴィリーさんを始め『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』メンバーの共通点だ。年の頃はカレルさんに近い、赤茶色の短髪ツーブロックの男性。名前は確か――『トーア・ウッドリー』さん、だったはず。合同エクスプロールの前にみんなで自己紹介をしたので、個人的に話したことはないけれど、名前だけは覚えていた。


 そのトーアさんは他の『NPK』メンバー二人と一緒に、つまり三人一組で、十人ほどの『探検者狩り(レッドラム)』を相手に、一歩も引かず善戦していた。


 素早く走り回って敵を攪乱し、統率が乱れたとこをすかさず強襲。三人で一斉に襲いかかって『探検者狩り(レッドラム)』のHPを全損させ、一人ずつ失格へと追い込んでいく。


 汗と努力が結晶化したような、実に鮮やかな手並みだった。


 しかし。


 業腹な存在ではあるけれど『探検者狩り(レッドラム)』もまた、対人戦闘のスペシャリストである。トーアさん達ほどの連携こそとれていないが、普段からエクスプローラーを標的にしているだけあって、個々の能力は突出しているのだ。


 一方的にやられてなるものか、と言わんばかりに『探検者狩り(レッドラム)』の反撃が始まった。


 もしかすると、この映像の『探検者狩り(レッドラム)』達は、ハウエルやヤザエモンに次ぐ実力者だったのかもしれない。


 あるいは、トーアさん自身にも油断があったのかもしれない。


 意趣返しのつもりか、『探検者狩り(レッドラム)』は申し合わせたかのようなタイミングで標的をトーアさん一人に絞り、味方の二人と分断させることに成功した。


 残念ながら、トーアさんがそのことに気付いた時にはもう手遅れだった。


 わずかな隙を突かれて、トーアさんは一瞬にして包囲されてしまう。


 そこからは本当にあっという間だった。


 他の『NPK』の二人が助けに入る暇もなく、トーアさんは五人の『探検者狩り(レッドラム)』から総攻撃を受けて、瞬く間にHPを全て失った。頭の上に表示されていた『黒』チームであることを示すアイコンが、パッと弾けて消滅する。


 疑似的に戦闘をしているけれど、これはもちろんゲームであり、本来なら相手が『失格』になったところで手を引くのがマナーだろう。もちろん、HPを全損したプレイヤーがさらに攻撃を受ければ『死亡』状態になることを知っていたとしても。


 が、何人もの仲間がやられて気が立っていたのだろう。『探検者狩り(レッドラム)』の一人が苛立たしげに唾を吐きながら、地面に尻もちをついたトーアさんに向かって、何事か罵声のようなものを浴びせかけた。ついでに右手に持っていた剣の先端を、まるで地面に落ちたリンゴを拾うかのようなぞんざいさで、トーアさんの胸に突き刺した。


 これはゲーム。さっきまでと同じく、ダメージエフェクトが発生するだけで肉体には損傷を与えないと、そう思っていたはずだ。


 だから、キョトンと意表を突かれたような顔をしたのは、刺した方と刺された方、どちらもだった。


『――?』


 トーアさんは喉奥から溢れてきて、ごぷっ、と思わず吐き出した自分のフォトン・ブラッドを手に付け、不思議そうに見下ろした。


 剣先を突き刺した『探検者狩り(レッドラム)』もまた、柄に返ってきたリアルな手応えに戸惑っているようだった。


 斯くして、二人は次の瞬間には電撃的に理解する。


 剣が、トーアさんの胸を本当に抉っているのだ――と。


 あくまで無音声なのが、ことの凄惨さをより一層際立たせていたかもしれない。


 自分でやっておきながら『探検者狩り(レッドラム)』の男は、まるで灼けた鉄棒に触れたかのような反応で剣を手離した。他人を傷つけたことに驚いたというよりも、予想とは全く違う出来事が起こったことに対して驚愕しているように見えた。


 剣はトーアさんの胸に突き刺さったまま、地面に落ちることはなかった。思いのほか深く内部へと沈んでいたのだ。


 と、その時だ。トーアさんの全身を燐光が包み、両手足の先端が青白い光に分解され始めたのは。


 赤いダメージエフェクトとは真逆の、しかしどこか〝終わり〟を感じさせる――それは【死亡エフェクト】だった。


 トーアさんは悲鳴を上げた。こちらに声は届かないが、光り輝く血にまみれた唇を大きく開いて、壮絶な顔で叫んでいるようだった。


 胸の傷から総身へ広がる苦痛。光の粒子に変換されて消失していく手足への恐怖。それらが相乗効果を及ぼして、精悍な顔を絶望に染め上げていた。


 青白い光となって消失していく死亡エフェクトは、まずトーアさんの四肢を奪い、ついで腰から胸へと上がっていき、最終的に頭部を呑み込んでいった。


 完全に消滅する直前、口元が消えるまで、トーアさんは大きく口を開いて悲鳴を上げ続けていた。限界まで見開かれた目は、助けを求めてずっと左右に動き続けていた。


 トーアさんだった光の最後の一粒が消えた後も、画面内に映る『NPK』メンバーや『探検者狩り(レッドラム)』達は微動だにしなかった。あまりの惨状に、誰もが呆然としていたのだろう。


 そこで、映像は唐突に終わった。


『――ということさ。わかったかな?』


 巨大ARスクリーンに再びエイジャの姿が現れた。それも、満面の笑みで。


 つい先刻までの凄惨さを考えたら、あまりにそぐわない表情であった。


『事前に配布したルール通り、HPを失い〝失格〟となった状態からさらに攻撃を受けると、このように〝死亡〟することとなる。つまり、ゲームからの退場だ。後、〝失格〟の時点でもうプレイヤーではないからね。ダメージおよび痛覚の緩和もなしだ。今更で申し訳ないが、どうか気を付けて欲しい。これまでに痛くて辛い思いをしたプレイヤーには、改めて心からお詫びを申し上げよう。まぁ、詫びるだけ、なのだけれどね?』


 悪びれもせずに冗談めかして、そんなことをのたまうエイジャ。


 ふざけるな、と真っ先に思った。


「死亡って――〝プレイヤーとしての死亡〟って意味じゃなくて……!」


 本当に死んでしまう、ということだったのか。


 僕は、空に浮かぶARスクリーンに届かないと知りながらも、それでも口に出さずにはいられなかった。


「そんな……そんなの、どこにも書いていなかったじゃないか……!」


 騙された。騙されていた。まんまと。エイジャの掌の上で。踊らされていたのだ。


 ――いや、違う。エイジャは確かに嘘はついていない。そう、〝死亡〟状態になってもプレイヤーの安全が保証されている――なんてことはどこにも記されていないのだ。配布されたルールには、必要かつ最低限のことだけが並んでいただけなのだ。


 でも。だけど。だからって。だからと言って。


 ――納得できるわけがない……!


 どう考えてもエイジャがミスリードを誘ったのは明白だ。そんなつもりはなかった、だなんて絶対に言わせない。もし今、彼が目の前にいたら即刻顔をぶちのめしてやりたい――そう思うほどに、僕は腹が立っていた。


 だというのに。


『――おや? プレイヤー全員、随分と反応が薄いじゃないか。そんなに驚いたのかい? まぁ確かに、誤解されるような書き方をしたのはオレの方だ。それは認めよう。悪気はなかった、なんて言えば当然嘘になるね。それも認めよう』


 いけしゃあしゃあと、エイジャは自らの悪意を認めたではないか。僕の胸の奥で噴き上がっていた怒りの炎が、ガソリンをぶっかけられたように強く燃え盛った。


 エイジャの口の端が大きくつり上がり、実にあくどい――そう、邪悪としか言いようのない笑みを浮かべた。


『――けれども、君達にも責任はあるはずだ。だって、オレは質問には何でも答えると言っただろう? もちろん、ゲームが始まるまでは答えを伏せないといけないこともあったけれども、この本番が開始してからはどんな質問にもしっかりと答えてきたつもりさ。これは本当に』


 エイジャはわかっている。今更、僕達にはどうしようもないということを。ここではエイジャが上位者であり、僕達は彼の胸三寸でどうとでもなってしまう弱者でしかないのだということを。


『つまり――なかったんだよ。君達の誰からも〝死亡〟に関する質問が、ね? だからオレは教えなかった。それは、そんなに悪いことなのかな? なにせオレはゲームマスターだ。常に公平でなくてはいけない。そうだろう?』


 同意など求めてもいないくせに、エイジャは僕達プレイヤーにそう問いかけてくる。賛否に関係なく、自分が思ったことをそのまま実行しているだけのくせに。僕達プレイヤーが意見を言ったところで、それが事後であれ、あるいは事前であっても、方針を変える気なんて微塵もなかったくせに。


 つまり彼の言葉は、そのことごとくが虚言でしかないのだ。


 むしろ素直に『面白そうだから黙っていた』と言えばいいものを。


 わざわざ死亡したプレイヤーが出た途端、こうして顔を出してきたのだ。エイジャの魂胆など、火を見るよりも明らかだった。


 ふふっ、とARスクリーンのエイジャが笑みを漏らした。いっそ妖艶とも言える表情で浮遊群島を見下ろし、彼は告げる。


『まぁいいさ。そんなことよりも、ゲームの続きが重要だからね。さ、邪魔をして申し訳ない。プレイヤーは遠慮なくゲームを再開してくれたまえ』


「――痴れ者が。抜かしおる」


 僕の隣にいたハヌが、低い声で呟いた。言うまでもなく、彼女はとうに極大術式を解除して『氷の城塞』への攻撃を中止している。トーアさんの肉体が消滅したあたりのタイミングで、エイジャの背後にあったハヌの術式アイコンは大気に溶けるように消えたのだ。彼女もまた、あの瞬間にこのゲームが『殺し合い(デスゲーム)』であると気付いたのだろう。


 そんなハヌは、当然のごとく鋭い視線を上空のエイジャへと向けていた。


「妾達に知らず知らずの内に殺し合いをさせておきながら、それを悪びれもせず暴露して、なお戦えじゃと? ラト、ようやくわかったぞ。あやつ、エイジャとやらは完全に【気が触れておる】。まともに相手しておっては、こちらが馬鹿を見るだけじゃ」


 最初からそんなものなどあった試しはないのだけど、ハヌのエイジャに対する評価には、完膚無きまでに容赦がなくなっていた。


 あれは唾棄すべき生き物だ――と言わんばかりに。


 そう思ったのは何もハヌだけはない。


 ここ、空中には僕とハヌの二人しかいないけれど、それでも浮遊大島全体を取り巻く空気が激変しているのが肌でわかった。


 拍子抜けするぐらい、静まり返っている。


 つい先刻まであっちこっちから聞こえてきていた戦闘音が、まるで嘘だったかのように消えていた。


 僕とハヌがそうであるように、きっと島のどこかにいるロゼさんやフリムも、そしてヴィリーさんやカレルさん、ハウエル達『探検者狩り(レッドラム)』も、このゲームの危険性に気付いたのだろう。


 これ以上の戦闘行為は危険すぎる。下手に続ければ、犠牲者がさらに増えていくだけだ――と。


 そう、間違いなくエイジャのパフォーマンスは悪手であった。彼はあのように〝死亡〟ルールの正体を知らしめて、一体何がしたかったのか。あんなものを見せられて、さらにゲームにのめり込もうなんて酔狂な人間などいるわけがない。


 エイジャの魂胆がどうあれ、これにてゲームは事実上の終了だ。もしこれがボードゲームだったとしたら、もう誰もダイスを振らない。誰もゲームを進行させない。このまま、ゲームは終わらないまま【終わる】。


 この場に流れる空気は、そういう冷たさを孕んでいた。


 まさしく、興が冷めたの一言であった。


「……うん。そうだね。こうなったら流石に、ね……じゃあハヌ、ロゼさんとフリムを探して、いったん合流しよっか?」


 ゲームを降りる――そう決めた途端、肩の力がびっくりするほど抜けた。もはやゲームとしての敵味方は関係なく、本来の仲間としての四人に戻ろうと提案した僕に、ハヌは正天霊符の扇子型リモコンを取り出しつつ頷いた。


「うむ。それがよかろう」


 しかし。


 そんなことを考えていたのは、残念ながら僕達だけだったのかもしれない。


 突如、視界の端に蒼い蒼い炎がチラついた。


「え――……?」


 振り返る。方角は、東の方。戦闘前の『サーチ』では、ヴィリーさん達『白』チームの片割れがいると思われていたあたり。中央都市部の郊外。


 そこに、天を突き、焼き焦がすほどの蒼い火柱が噴き上がっていた。


「な……」


 勢いよく噴出した蒼い炎は、どこまでもどこまでも高く空を登っていく。まるで昇龍のごとく。


 あっという間に僕とハヌのいる高度を超え、さらに高みへ。蒼穹の消失点の彼方まで。僕はその先端を追いかけ、ついつい空を見上げてしまう。


 色も形も違うのに一瞬、こんなところにないはずのルナティック・バベルを、僕は幻視した。


「――ヴィ、ヴィリー……さん……!?」


 他に誰がいようか。いったいヴィリーさん以外の何者に、こんな真似ができようか。


 出し抜けに天空を貫いた蒼炎の剣は、誰がどう見てもヴィリーさんの仕業に違いなく、その苛烈すぎる所業に、僕は絶句する他なかった。


「――いかんラト! あやつ逆上しておるぞ!」


「え、ええっ!? え、なに、どう――あっ、ああっ! そっか!」


 情けないことに、僕もハヌも揃って迂闊をしてしまっていた。人は他人の痛みなどわからない、などとよく言うが、確かに己が身ではないからといって、僕達二人は少し暢気に考えすぎていたのだ。


 死亡して消えたトーアさんは『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』のメンバーだった。そう、ヴィリーさんの大切な仲間だったのだ。


 僕達の認識が甘かった。大事な人があんな風に消滅したというのに、ヴィリーさんが黙って引き下がるはずがない。


 あの空を突き刺す蒼い炎の塔こそは、まさしくヴィリーさんの怒りの具現化であった。


「まずいの、このままではヴィリーめが虐殺を始めかねぬ。止めねばならぬぞ、ラト!」


 ハヌが正天霊符で〝酉の式〟を編みながら、真剣な顔を僕に向ける。


 僕がアシュリーさんと『開かずの階層』こと〝ミドガルド〟から帰還した際、あんなにも感謝の意を表してくれたヴィリーさんだ。入団してすぐの新人ならともかく、仲間内に誰一人として大事ではない人間などいないだろう。


 彼女の怒りは、きっと僕の想像を絶する境地にあるに違いなかった。


「う、うんっ!」


 スミレ色のライトワイヤーで編まれた鳳の背に飛び乗ったハヌに続き、僕も後を追う。


 あるいはカレルさんが近くにいれば、ヴィリーさんを制止してくれたかもしれない。かつて、ダイン達『スーパーノヴァ』がヘラクレスに鏖殺されんとしているところに飛び込んで行きそうだったのを、一喝して止めてくれた時のように。一時の感情に流されるな、と気勢を制してくれたはずだ。


 だが残念なことに、ゲーム上では敵対する立場にあった為、二人の位置はあまりにも離れすぎている。


 しかも、


『おっと、これはすごい。どうやら火に油が注がれてしまったようだ。文字通りに、ね。まぁオレとしては目論見通りというか、喜ばしいことというか。やはりこうでなくてはね。ゲームがさらに盛り上がってくれそうで何よりだ』


 肝心のゲームマスターがこれである。


 ヴィリーさんの怒りそのものである蒼炎の塔を確認したエイジャは、一人で楽しげに手を叩き、くつくつと笑っていた。


 ――決めた。次に会った時は、何があろうとあの綺麗な顔面に一発は喰らわせてやろう。そう、何があろうとだ。何が何でも。必ず、絶対に。


 だって、僕は言ったのだ。もし僕達の【仲間】が一人でも欠けるようなことがあったら、僕は君を絶対に許さない――と。


 それは約束ではなく、僕からの一方的な通告ではあったけれど。それでも、僕は確かにそう言ったのだ。


 だから僕はもう、エイジャを絶対に許すことはできない。できないのだ。


「よいかラト、まずはヴィリーめを止める。そののちにカレルめと合流し――」


 この戦いを止めるのじゃ、と言おうとしたのだろう。僕達を背に乗せた〝酉の式〟がグングン加速していく中、ハヌが状況を整理して僕に伝えようとしている時のことだった。


 先日の『根の国』で見た巨大な火柱を連想させる、ヴィリーさんの蒼炎の塔。その半ば辺りが急激に渦を巻き、風船よろしく膨らんだ。


 やがて火柱の腹が爆発し、内部から巨大な火炎の塊が飛び出す。


 それは――大きな翼を広げ、美しく羽ばたく火の鳥。


 考えるまでもない。


 ヴィリーさんだ。


「――ハヌ、あそこっ!」


「うむっ!」


 僕はハヌの肩に手をかけ、身を乗り出しながら忽然と現れた猛炎纏う不死鳥フェニックスを指差す。ハヌもまた打てば響くような反応速度で〝酉の式〟の鼻先をそちらへと向けた。


 まだこんなにも離れているというのに、こちらへ向かって飛翔してくるヴィリーさんの蒼炎の鳥から凄まじい重圧プレッシャーを感じる。ビリビリと肌がひりつくような熱気。これだけで、ヴィリーさんがどれだけ怒り狂っているのかがわかろうというものだ。


「……ッ……!」


 あの猛火の燃料となっているのは憤怒、そして憎悪。矛先は無論、元凶であるエイジャにも向いているだろう。だけど、今はひとまずは目先の、特にトーアさんにとどめを刺した『探検者狩り(レッドラム)』であるのは間違いなかった。


 そして、もしヴィリーさんがさらなる報復として『探検者狩り(レッドラム)』達を手にかけ始めたら――もはや歯止めが利かなくなってしまう。


 その時はまた、別の意味でゲームが終わることになる。ゲームという枠を超えた、殺し合いの地獄が始まるのだ。


 そんなことをさせるわけにはいかなかった。


「で、でも、どうしようハヌ!? ヴィリーさんを止めるなんて、そんなのどうやったら……!?」


 相手はあのヴィリーさんだ。〝剣嬢〟の号を持つ世界有数の剣士。エクスプローラーとしても最強の一角として数えられる女傑。


 そんな人が今、あんなにも瞋恚しんいに燃えているのだ。


 生半可な説得で止められるとは、到底思えなかった。


 けれど、


「決まっておろう!」


 ハヌは顔を前へ向けたまま、力強く断言した。


「妾とおぬしで、あやつを立てなくなるまで叩きのめすだけじゃ!」







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