●31 『外』からの来訪者 1
浮遊大島の上空で、本日二度目となる爆音が轟いた。
「おやおや、味方同士だと言うのに随分と遠慮のないことだ。よほどの信頼関係が出来上がっているのか、それとも普段から仲が悪いのか……いや、彼に限って後者はないかな? 互いに本気を出し合える、そんな素敵な関係を築いているのだろうね。なにせ、このオレのマスターとなるべき人間なんだ。それぐらいの人物でないと困る。ま、困ろうが困るまいが、やるべきことは変わらないのだけど」
ゲームの舞台から遠く離れた、蒼穹の一点。とある座標で浮遊群島にて巻き起こる戦闘を観測しているのは、赤毛の美少年。口元にシニカルな笑みを浮かべ、薄い紅茶色をした瞳を弓形に反らしている。
エイジャは何もない空間で、そこにさも椅子があるかのように腰掛け、優雅に足を組み、ゲームの推移をただ眺めやっていた。
彼の目は浮遊群島で起こる、全ての事象を把握している。なにせ【ここ】はエイジャ自身が作り出した空間。わからないことなど何もない。千里眼よりも詳らかに、プレイヤーの状況を監視できる。
「それにしても、いい感じに盛り上がってきたものだね。あの女の子――そう、〝小竜姫〟。自称マスターの唯一無二の親友。いやはや、思った以上に楽しい動きをしてくれるね。まさか本来の敵を味方に取り込んで、ゲームの駒にするとは思わなかった。そういった才覚で言えば、マイマスターよりも遙かに優秀だろうね。戦いに秀でた才能を持っている……そう、当人の望む望まないにかかわらず」
全てを見通す瞳を持ちながら、しかしエイジャが【手を出す】ことはない。彼はこうして、己がマスター候補と他のプレイヤーが織り成す光景を遠くから観察し、感想を口にするだけ。
それこそがこのゲームの趣旨であるからだ。
あくまで、エイジャ自身にとっての――ではあるが。
「それ以外の仲間にも恵まれているね。誰もがマスター・ラグディスの本気には及ばないまでも、少しでも気を抜けば形勢を逆転させられる程度の実力なら有している。まさに『匹敵』という言葉が似つかわしい。よくもこれだけ逸材ばかりを集めたものだ。これもマスターの人徳かな。それとも……運命? いやいや、はははは。オレらしくもない。埒もないことを言ってしまった」
己のランダム思考の発露にエイジャは苦笑する。本来、AIとは無駄な思考にリソースを割かない。が、彼は敢えてオートでランダムな思考回路を稼働させ、思わぬ結果が演算されることを楽しんでいる。わかりきった結果を計算するほどつまらないことはない。思わぬ計算違い、予期せぬ結果、予想外の展開こそが心を躍らせるのだ。
「まいったな。どうやらオレは『楽しい』らしい。これはいいことなのか、それとも……」
くつくつと喉を鳴らすエイジャは、言葉尻を浮かせたまま不意に言葉を切った。口を閉ざし、しばしの間を空ける。
そして。
「――これは新発見だ。予想外、計算外の出来事は愉快なことのはずなのに、条件が変わると、こんなにも不愉快になってしまうものだったらしい」
声音を尖らせ、独り言の話題を別のものに転じた。
否、違う。
先程までは完全な独り言だったが、今度の発言は明確に、他者へと語りかける口調であった。
それもそのはず。
「……おっと、これはこれは。大変申し訳ありません。奇妙な例外アドレスがあったものですから、つい気になってしまって」
エイジャの他に誰もいないはずの空間で、しかし成人男性の深い声が響いた。途端、その姿が大気からにじみ出るようにして出現する。
黒髪とサングラス、そして黒のスーツとコートを着た背の高い男。手袋までしており、一部を除いて首から上しか肌を露出していない――まさに全身〝黒尽くめ〟の男だった。
「珍しいからと言って、無遠慮に入ってこられては非常に不愉快だ。無粋な闖入者とはまさに君のことだよ」
黒い男はエイジャの背後に音もなく現れたが、赤毛の少年は振り返りもしない。見るまでもないのだ。この空間は全てエイジャの掌の上。目を向けることなく、何もかもを見通すことが出来るのだから。
「ですから、ええ、このように謝っております」
くす、と微笑んだ黒の男は、誤魔化すように肩をすくめてみせた。そうして、エイジャの舌鋒を軽くいなす。
エイジャは静かに目を伏せ、わずかに頭を振った。
「謝れば許される、というものでもないさ。君のその態度は、いわゆる一つの『慇懃無礼』というものだよ。しかし……こうして見かけるのは初めてだけれど、同時にとても懐かしいとも言えるね。君もそうなんじゃないか?」
問いかけに対し、男は空中で足を進め始めた。何もない虚空に、しかし硬い靴音が響く。まるで不可視の床があるかのごとく。
エイジャの背後に歩み寄った黒の男は、胸に片手を当てて小さく頷いた。
「ええ、勿論。言っては何ですが、あなたもそれなりに『慇懃無礼』という言葉が似合うと思いますよ? そして――【初めまして】、【お久しぶりです】」
「…………」
微笑とともに奇妙な挨拶をした男に、エイジャは何やら感じ入るものがあったかのように振り返った。首を巡らし、肩越しに黒尽くめの男を一瞥する。
「――そうか、なるほど。【そう言えばよかったのか】」
新しい玩具を見つけた子供のように破顔する。
そのまま腰を上げ、立ち上がった。
今度は体ごと向き直り、男と同じように片手を胸に当て、
「こちらこそ【初めまして】。そして【久しぶりだね】。こうして顔を合わせるのは一体いつ振りかな、勾邑?」
不敵な笑みを浮かべて、同じく奇妙な挨拶を仕返す。
彼我の距離は、手は届かず、しかし武器を抜けば届くほどの間合い。友好があるようにも、かといって敵対関係にあるようにも見えない、絶妙な距離感。
「はてさて、いつ振りになるのでしょうか? まぁ、少なくとも【私】や【あなた】には知る由もない時代の頃でしょうが」
勾邑と呼ばれた男もまた微笑をたたえて返答するが、サングラスに隠された双眸がどんな形をしているのかは、杳として知れない。
意趣返しするかのごとく、エイジャは瞼を閉じた。目からこちらの思惑を見せてなるものか、と。そして、肌で風を感じるかのようにおとがいを上げ、
「そうか、ああ、確かにそうだ。なにせオレ達は初対面なのだからね。こんなにも懐かしいというのに。実に不思議なものだ」
ふぅ、と大きく息を吐いて、エイジャは目を開く。
「まぁ、だからと言って、会いたいと思ったことなど一度もないのだけどね?」
言葉につけたトゲが勾邑の肌に突き刺さる。が、意にも介さず黒尽くめの男は鷹揚に頷き、
「ええ、奇遇ですね。私もですよ、アウルゲルミル」
同程度に尖った言葉を返した。
これに対し、エイジャは目を開いて唇を尖らせた。片手を上げ、近寄る者を押し止めるようなジェスチャーをする。
「おいおい、その名はよしてくれないか。オレの名前はエイジャ。少なくとも現段階ではそう名乗っているのだからね」
「これは失礼しました、エイジャ。失礼ついでに、私の友人を紹介させていただいてもいいでしょうか? どうも彼女も【こちら】へ来たがっているようですので」
「断る、と言ってもどうせ聞かないのだろう? 好きにするといいさ。オレもそうするしね」
勾邑が漆黒の手袋に包まれた掌を振ると、そこに一人の少女が魔法のごとく出現した。
「……ほう」
勾邑の友人と思しき幼い少女を見たエイジャは、軽く目を見張って感嘆の息を吐く。
一方、勾邑の案内によって空中へと招待された少女は、
「――ふぅん……? なんや、なんもあらへんところやねぇ……」
つまらなさそうに周囲を見回し、ぞんざいに吐き捨てた。
「アグニール、本当のことを言っては失礼ですよ。見てください、空ですよ。雲もありますよ。私達、宙に浮いてますよ」
わざとらしく解説する勾邑に、アグニールは一転して満面の笑顔を見せた。次いで、鈴を転がすような声音で、
「――もしかせんでも、うちのこと馬鹿にしてはるん? 勾邑はん」
「いえいえ、滅相もありません。そう聞こえたのなら申し訳ありませんでした」
すっ、と少女が手に持った朱色の和傘を棍棒よろしく掲げ持った途端、勾邑が両手を挙げて謝罪した。
すると、アグニールの顔から笑みが消え、ツンと澄ました表情へと変化する。
「ほなら余計なことは言いんとき。あんさん、態度は丁寧でも腹ん中は真っ黒なんやから。口開いたら毒が出てくるだけや。気ぃつけよし」
深紅の生地に金銀の装飾が施された着物を、両肩も露わに着崩している少女は、ついっ、とエイジャへと目を向ける。
青と赤、色違いの瞳を。
「――ほんで、あんしとは? 勾邑はんの知り合いどすん?」
この疑問に答えたのは、アグニールが顎で示した当人だった。
「ああ、そうだね。知り合い、というのなら確かに知り合いさ。お互いに知り合っている間柄だよ。決して懇意にしているわけではないけれど。だって、ほら。誰だってゴキブリの存在ぐらいは知っているものだろう?」
いつしか、空と風だけの場所に刺々しい雰囲気が漂っていた。高空を吹く強い風であろうと、この空気を散らすことはできない。この場にいる三者から、常に不穏な気配が生み出され続けているのだから。
「――さて、本題に戻ろうか。君達は何しにここへ? 悪いけれど、オレはいま取り込み中なんでね。邪魔しないで欲しいのだけれど」
片手を腰に当て、片足に体重を乗せ、エイジャは斜に構える。つまり言外に『帰れ』と言っているのだが、相手の二人がそうと気付いていながらも無視することを彼は確信していた。
「先程も言った通りですよ、エイジャ。散歩中に奇妙な例外アドレスを見つけたので、気になって割り込んでみたところ、ここへ辿り着いたというわけです」
「まったく、相変わらず余計なことをするものだね、君は。まぁいいさ。なら用件は済んだだろう。出て行ってくれないか」
予想通りの展開に呆れ、つっけんどんな態度で率直に要求したエイジャを、アグニールがクスクスと笑う。
「いややわぁ、自己紹介もまだやいうのに、もううちらを追い返しはるん?」
明らかな意地悪でしかない言葉に、エイジャは冷たい目線を返した。
「自己紹介? そんなものは必要ないさ。オレは君のことを知っているからね」
「へえ、そりゃ驚きおすなぁ。うち、あんさんとは初めて会うたはずやけれど?」
「ああ、確かに会うのは初めてだね。あと、アグニールという個人名も先程初めて知ったよ。現人神〝ロシュダルク〟」
「…………」
エイジャの最後の一言で、アグニールの眉根が強く寄せられた。幼い美貌に深い皺が刻まれる。
「……勾邑はん、なんなんこいつ」
明らかに不機嫌になったアグニールが、もはや遠慮のない口調で勾邑に問うた。
しかし勾邑は肩をすくめ、
「おやおや、おかしいですね。彼の正体を考えれば、私よりアグニール、あなたの方が詳しいはずですが?」
「はぁ?」
お前は何を言っているのだ、と顔をしかめてアグニールが振り返ると、彼女に『なんなんこいつ』と言われた当人が勾邑に答えた。
「そうだね、そのはずだ。けれど勾邑、残念なことに彼女らはオレのことを知らないらしい。なにせ、先程会った〝ヴァイキリル〟もまた、オレのことに気付いていない様子だったからね」
その瞬間、ビクッ、とアグニールの両肩が跳ねた。聞き捨てならない言葉を聞いてしまった――そのような反応だった。
「……は? いま、なんて言いはったんどす?」
少女の声の底が凍える。抑えきれぬものをどうにか抑え、その上で絞り出したような声音だった。
「ヴァイキリル? あんさん今そう言いはった?」
しかし、幼い少女の自制などたかが知れていた。その名を口にした途端、アグニールの体から激情が溢れ出た。全身の〝SEAL〟が励起し、赤味の強い暗く深い紫色――紫檀色の幾何学模様が皮膚上を駆け巡る。青と赤、色違いの瞳にも仄かな燐光が灯り、感情の強さを表すように光り輝く。
静かな激情に取り憑かれた銀髪の少女は、剥き出しになった殺意をエイジャへ向けたまま、問いを重ねる。
「ハヌムーン・ヴァイキリル? あのハヌムーン姉様が? ここにおるんか? おるんやな? おるんやろ? なぁ?」
冷たく凍えていた声音にも徐々に熱が入り、温度を上げていく。やがては燃え盛る炎のごとく、天を焦がせと噴き上がり、
「――答えぇな!」
問いを畳み掛けた挙げ句、アグニールは声を荒げて激昂した。
刹那、小柄な体から濃密な術力が猛烈に溢れ出す。紫檀色に煌めく光輝と化した膨大な術力は、瞬く間に周辺の空間を埋め尽くした。エイジャ、アグニール、勾邑の三名がいる座標を中心として、半径数キロ圏内が巨大にして濃厚な術力に満たされた領域となる。
並の生物ならそこにいるだけで溺死しかけない――あまりにも凶暴な力の奔流だった。
「……これは驚いた。現人神の力がここまで強大なものだったなんてね。【知ってはいたけれど】、【体験したのは初めてだ】。なるほど」
キラキラと煌めく光の粒子に包まれながら、エイジャは周囲を見回して感嘆の息を吐く。すぐ近くから、視線で射殺さんばかりに睨め付けてくるアグニールを意にも介さず。
「――まぁまぁ、ちょっと落ち着いてください、アグニール。流石に、少々はしたないですよ」
口元に柔和な笑みを浮かべた勾邑が、アグニールの傍で片膝を突き、少女の剥き出しの肩に手を乗せた。途端、漆黒の手袋に包まれた掌から、〝黒い輝き〟という矛盾したものがアグニールの〝SEAL〟へと注入される。
「…………」
アグニールは無言のまま、しかし力を抑え始めた。どこか毒々しくもある赤紫のオーラの流出が徐々に止まり、ゆっくりと薄まっていく。それでもなお、エイジャの顔を睨み付ける眼光の鋭さだけは欠片も変わらなかったが。
やがてアグニールの体から無限かと思うほど溢れ出していた術力が、完全に拡散した。再び高空の冷たい空気が取って代わり、三者の間を強い風が吹き荒ぶ。
今更のように、自らの肩に置かれた勾邑の掌に気が付いたアグニールが、小さな手でそれを振り払った。
「……はよ離しよし」
「おっとっと。これは失礼致しました」
ペシッ、とぞんざいにはね除けられた勾邑は、対して悪びれもせず軽い謝罪のみをして、立ち上がる。
アグニールは手に持っていた和傘を無造作に開くと、肩に担ぎ、エイジャに背を向けた。開いた朱色の和傘によって互いの視線を遮断し、精神的な空間を切り離したのだ。
和傘の陰から小さく、すー、はー、と深呼吸の音がした。
「……すんまへんなぁ。ちぃと頭に血ぃ昇ってしもうて、失礼こきましたわ。許してくれはる?」
激昂した際とは別人のような〝作った声音〟には、得体の知れない不気味さが漂っていた。
だが、目に見えている地雷をわざと踏みに行く馬鹿はいない。
「――ああ、もちろんだとも。現人神ロシュダルク。それとも、アグニールとお呼びした方がいいかな?」
「へぇ、ほなら、うちのことはアグニールと呼んでおくれやす」
エイジャの見ている前で、くるり、くるり、と和傘が回転する。
「ほんで、話は変わるけれども――あんさん、さっき『取り込み中』や言いはったやろ? それって、なにしてはったんどす?」
無礼を謝罪した上で、アグニールは質問を変えてきた。最終的に彼女が『ヴァイキリル』、あるいは『ハヌムーン姉様』なる存在について聞きたがっているであろうことを了解しつつ、エイジャは質問に答えた。
「なに、なんてことないゲームの観戦だよ。あちらの島で行われているのを、ゆっくり楽しんでいたところさ。ちょうどゲームが佳境に入ってきたところでね、オレとしては他人に邪魔されたくないものなんだけれど……」
そう言いながら、エイジャは薄い紅茶色の視線を勾邑に向ける。一番最初にこの空間へ割り込んできた相手に、元はと言えばお前のせいなのだからな、と釘を刺すように。
無論、そんな白い目にたじろぐような男ではない。
「なるほど、【ゲーム】ですか。このような大きな例外アドレスまで作成して、これはまた。いやいや、どのあたりが『なんてことない』のかがわかりませんが、とても良い趣味をお持ちで。ところで、現人神ヴァイキリルがそのゲームに参加しているということは、もしや〝勇者ベオウルフ〟ことラグディスハルト君も同様に?」
流石のエイジャも唐突に出てきた意外な名前に、意表を突かれる。
「……知っているのかい、彼を?」
故に、迂闊な返答までしてしまった。質問に対して質問を返すというのは、言外に肯定することを意味する。ラグディスハルトがゲームに参加していることを、エイジャは言葉ではなく態度で認めてしまったのだ。
勾邑は片手の中指でサングラスのブリッジを押し上げつつ、頷く。
「ええ、有名人ではありませんか。ああ、それとも、あなたも流石に〝下界〟の噂には疎くなるものなんですかね? ここ最近、急激に頭角を現してきた若手エクスプローラーですよ。主に〝勇者ベオウルフ〟と呼ばれていますが、他にも〝雷神〟、〝大穴〟といった異名がつけられています。少々、いえ、かなり異色なタイプといえるでしょうね。実は私も、彼には興味があっ――」
「ちょお待ちぃな、勾邑はん……」
「はい? なんですか、アグニール? 私、今とても大切な話をしようと――」
「あんた――ハヌムーン姉様がその〝勇者なんちゃら〟と一緒におること、知っとたんか?」
話を遮られた勾邑が軽く抗議しようとしたところ、アグニールが剃刀のごとく鋭い口調で問い返した。
言うまでもなく、その声から滲むのは怒りと敵意。返答次第ではただではおかない――その意思がありありと表れていた。
しかし、これには勾邑にも言い分がある。
彼は瀟洒な所作で肩をすくめて見せて、
「ええ、知っていましたよ? それが何か?」
「ッ! あんた、なんでうちに黙って――!」
怒気に着火して爆発しかけたアグニールを、勾邑はさっと掌をかざして制止する。
「アグニール、どうもあなたは怒っておられるようですが、私はしっかり情報共有をしていたはずですよ? ラグディス君に関する資料は全て渡してありますし、動画なども見ておいてくださいね、と私はちゃんと言いましたよ? 資料に目を通してさえいれば、そこにあなたの言う『ハヌムーン姉様』が映っていることもわかったはずです。流石に、自身の怠慢の結果を私に転嫁するのはお門違いというものですよ」
ぐうの音も出ない正論を提示され、アグニールは言葉に詰まる。
「――~ッ……!?」
エイジャからは傘に隠れて直接は見えないが、悔しそうに歯噛みしている気配だけは如実に伝わってきた。
「そ、そんなん……そんなんっ……!」
どうにも収まりがつかなかったのか、アグニールは詰まりながらも何かを訴えようとする。勾邑とエイジャの男二人は、そんな少女の様子を黙って見守っていた。
やがて、怒りを通り越したのか、アグニールの涙声が弱々しく響いた。
「――っ……! そ、そんなん……っ……しってたんなら、おしえてくれはったって、ええやないのぉ……! もぉぉぉ……っ……!」
叫びというよりは、それは絞り出すような呻きであった。泣きの衝動で喉が潰れ、気道に引っかかった無様な声で、ついには【しゃっくり】までもが始まってしまう。
「なん、でっ……なん、でっ……そんな、いじわるっ、すんの、やぁ……っ……!」
「……え? ア、アグニール……? あの、もしや、泣いているのですか?」
「いや君、それは流石に聞くまでもないことだと思うのだけれどね?」
アグニールの肩の震えが和傘にまで伝播して、朱色の輪が大きく揺れている。その光景を目にしながら、今更すぎる問いをする勾邑に、エイジャはつい余計な指摘を入れてしまった。
ただ面白いことに、つい先刻までは何を言っても動じなかった黒尽くめの男が、現人神の涙を見た途端に動揺し始めたではないか。どうやら勾邑としては、ここまで現人神ロシュダルクが泣きじゃくるとは思わなかったらしい。
「これは……参りましたね。アグニール、申し訳ありません。嫌がらせをしたつもりはなかったのですが……」
何もないはずの空中に膝を突き、勾邑は和傘の下へと入る。言い訳じみた言葉は、やはり言い訳程度の効果しか発揮せず、アグニールの涙はどうにも止まる気配を見せなかった。
「やれやれ。ここは児童保護所ではないのだけれどね」
エイジャとしては辟易して肩をすくめるしかない。
勝手にやって来て、勝手に居座り、勝手に痴話喧嘩のようなものを始めたのだ。相手になどしていられない。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
だが、まぁいいだろう――エイジャはもはや興味を失いつつある二人から視線を剥がし、そう考え直す。良くも悪くも、勾邑とアグニールは二人の世界に入ってくれたらしい。これならしばらくは大人しくしているであろう。
その間、こちらは悠然とゲーム観戦の再開といこうではないか。
エイジャは再び不可視の椅子に腰掛けると、意識を浮遊群島へと集中し始めた。
※お知らせ
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
突然ですが、ここでお知らせです。
拙作「リワールド・フロンティア」がコミカライズされることとなりました。
掲載場所は、「ニコニコ静画」内のweb雑誌「コミックコロナ」
掲載開始は、2019年5月23日(木)からとなります。
こんなにもありがたいことになったのは、ひとえに皆様のご声援のおかげです。
本当にありがとうございます。
コミカライズということで、漫画家さんの手によって、とても素敵なラトとハヌを描いていただいております。
親バカとしてはニヤニヤが止まりません。
是非ともご覧ください。
掲載日にはまた本編を更新して、お知らせいたしますね。
ご期待の上、もう少々お待ちくださいませ。




