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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第五章 正真正銘、今日から君がオレの〝ご主人様〟だ。どうぞ今後ともよろしく

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●30 踊る最前線 2






 舐めていた。


 正直、ここまでやるとは思わなかった。




 エイジャが用意したゲームの舞台。そのメインである浮遊大島は、中央に崩壊した都市部を抱き、周辺を海や山といった自然に囲まれている。


 南北に海。東西に山々。単純化するとそんな景観だ。


 よって高低差にも波があり、水平線方向から遠く見やると、東西の山はもちろんのことながら高く峰を伸ばしているが、島中央へと進むに従って標高はなだらかに低くなっていく。


 ところが都市部へ入った途端、再び背の高い物体が姿を現す。


 ビル群だ。


 風化が進んで崩壊しているビルもよく目につくが、それでもその大半が、朽ちてはいても形状をしっかり保っている。


 ビルの林立する街並みは、まさしくコンクリートのジャングルと言っても過言ではない。


 ビルの高さはまちまちだけど、それでも中央へ行けば行くほど、より空に近いものが増えてくる傾向にある。


 この時、僕とハヌの二人はハウエル達『探検者狩り(レッドラム)』達との通信網を維持するため、〝酉の式〟での低空飛行を続けていた。つまりビル群の頭を越すのではなく、隙間を縫うようにして『探検者狩り(レッドラム)』達の上空を浮遊していたのである。


 それがちょっとした仇となった。もっと見晴らしのいい高い位置を移動していれば、すぐに見つけられただろうに。


「……あれ? ハヌ、なんだろうアレ……?」


 最初に気付いたのは僕だった。ハヌは〝酉の式〟の操縦と、AR兵棋台とにらめっこするのに集中していたし、地上を歩行かちで進んでいるハウエル達『探検者狩り(レッドラム)』にいたっては、気付けというのが無理な注文だった。


 一方、僕は戦闘準備として〈リディル〉と〈フロッティ〉を取り出した後は手持ち無沙汰となり、落ち着きもなく周囲をキョロキョロと見回していた。


 だから気付けた。


「――ほ? どれじゃ?」


 僕の声に、ハヌが夢から覚めたような反応をした。軽く後ろへ振り返ると、蒼と金のヘテロクロミアをパチクリとさせる。僕が前方の斜め上を指差したところ、再び銀色の髪をキラキラと陽光に躍らせながら前方へと向き直り、


「……………………なんじゃ、あれは?」


 くいっ、と左側に小首を傾げた。後ろから見ていると、その動きがどこか白猫めいて可愛らしかったのだけれど、いやいや今はそんなことを言っている場合ではなくて。


「氷、だよね……? それも、赤い……」


 僕は底冷えするような感覚を覚えながら、その単語を口にする。


 僕達の目の前に広がるのは、いくつもの高層ビルの集まり。空中を進むにつれて景色は段々と移り変わり、太陽に照らされて反射する光と、その輝きの強さに反比例して濃くなっていく巨大な影とのコントラストが、流れるように変化していく。


 時折、カーテンの隙間から漏れるように空の蒼が覗いたりもするが、それは砂漠の蜃気楼のごとくすぐに見えなくなってしまう。


 そんな中、視界上方でやけに強く光を反射する赤いものが、たまに現れては消えるのを繰り返していた。


 色は赤味を帯びているが、あの陽光の反射具合や透き通り具合を見るに、やはり氷としか思えない。


 だがそれにしたって、この大きさは何だ。


 わずかに見える部分だけでも、その異常性は充分に伝わってくる。


 先程、カレルさんに高層ビルを丸ごと氷の大樹に変えて籠城されては面倒だ――みたいな話をしていたが、それどころではない。


 あれはどう少なく見積もっても、横幅だけで普通のビルの十個分はある。


 高さはおそらく、この朽ちた都市部の中で一番のビルと同じかそれ以上だろう。


 奥行に至ってはまるで見当もつかない。


 もはや、山。


 想像だにしていなかったほどの巨大な威容が、無数に連なるビル群の向こう側に見え隠れしているのだ。


「……もしや、カレルめの仕業か……?」


 流石のハヌも意表を突かれたのか、やや乾いた声で呟く。そして次の瞬間、


「――ラト!」


「うん、今やる!」


 ハヌに名前を呼ばれる前から僕は〝SEAL〟を励起させ、支援術式〈イーグルアイ〉を発動させていた。二十個の術式が同時に専用エンジンを駆け抜け、二十体の光の鷲を作り上げる。一斉に真上へ飛び立ったディープパープルの鳥は残光を引き、まるで開いた扇にも似た軌跡を宙空に残した。


 高空へ飛翔した〈イーグルアイ〉の俯瞰視野が統合され、僕の〝SEAL〟へと転送される。これはもちろん、ハヌとも情報共有されている。


「こ、これって……!?」


「ほう……」


 僕の愕然とした声に続き、ハヌが混じり気のない感嘆の息を吐いた。


 そこにあるのは、山なんて生易しいなものではなかった。僕達が見ていたものなんて、それこそ氷山の一角でしかなかった。


 空飛ぶ鳥の視覚に写るもの――それは、『氷の城塞』とでも呼ぶべき代物だったのである。


 最初の見立ては、大体の部分ではあっていた。カレルさんの仕業であろう赤い氷は、高層ビル一つでは飽き足らず、地面を通じて広がり、同じような巨大氷樹をいくつも作り上げていたのである。


 さらには、それら全てを覆うように半球形の薄氷のドームが展開していた。まるでバリアーみたいなこれが、僕達がさっき目にしていたものの正体だった。


「も、もしかして……これ全部、カレルさん一人で……!?」


 答えのわかり切っていることを、しかし僕は口に出さずにはいられなかった。


 正直、神器の力を舐めていた、と言うほかない。


 かつて『ヴォルクリング・サーカス事件』でシグロスと戦った際、神器〝融合ユニオン〟の力でキメラSBになったり、竜人になったり、瓦礫竜になるところを見ていたので、かなりの力を秘めていることは知っていた。


 けれど、次に体験した神器がロムニックの〝共感アシュミレイト〟という、厄介ではあれどスケールとしては小さいものだったせいか、心のどこかで高をくくっていたのかもしれない。


 カレルさんの赤い氷――確か本人が〝領域〟と呼んでいた気がする――は都市部の中でも一際大きなビルを中心として、半径数キロに渡って同心円状に広がっていた。〝領域〟内の全ては不吉な赤色を持つ氷に覆われ、その表面から剣山のごとくびっしりと棘を突き出している。見るからに冷たく、そして痛そうな雰囲気を醸し出していた。


 氷樹の森、と呼び変えても差し支えないこの光景は、現代のいかなる術式を使おうとも再現はできまい。


 いわばスケールだけで言えば、ハヌの極大術式と同レベルのことをあの人はやっているのである。


 改めて戦慄する。


 これが〝神器保有者セイクリッド・キャリア〟の力。


 最強集団の一角と名高い『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』のナンバー2――〝氷槍〟カレルレン・オルステッドの実力。


 ――これが、カレルさんの本気……!


「……くっ……ふ、ふふっ、ふはっ、ふはははははははっ! はっはっはっはっはっはっ!」


 静かにおののく僕の前で、なんとハヌが爽快に笑い声を上げ始めた。喉を逸らし、楽しげに可愛らしい声を空に響かせる。


「――よかろう! 相手にとって不足なしじゃ!」


 どうやらカレルさんの作り上げた『氷の城塞』を前に、ハヌの戦意は衰えるどころか、むしろ激しく燃え上がったらしい。


「本当に抜け目のないやつじゃの、カレルめ! やけに潔く撤退するとは思っておったが、よもや【コレ】を用意するためだったとはのう! さしずめ、広げるのに手間のかかるものだったのであろうが、あやつめ上手く時間を使いよった」


「? ? ど、どういうこと?」


 半分腹立たしげに、けれどもう半分は賞賛するようにカレルさんの行動を分析するハヌに、僕はその意図を問う。


 ハヌは肩越しに一瞥をくれ、


「知れたこと。あやつが妾達を逃がしたのは、【コレ】を作る時間を稼ぐためだったということじゃ。どうせ先刻の術力禁止空間とやらも、妾の力を削ぎ、休養する時間を作らせるのが狙いだったのじゃろう。つまり、あやつらは【例の空間が破られることを前提に】襲いかかってきたということじゃ。適度なところで撤退し、妾とラトが休息に入れば、あやつらはこの砦を作るための時間を得ることができる。つまり、妾達は休む余裕を得たと思うておったが、全てあやつの掌の上だったというわけじゃ」


「……っ……!」


 ハヌの言葉に、僕は頭に雷が落ちたかのような衝撃を受ける。


 当時、僕もカレルさんのオリジナル術式〈ユグドラシル・フヴェルゲルミル〉による術力禁止空間に対し、まるで破られること前提で動いているかのような違和感を憶えた。そして『まさか、全てはカレルさんの掌の上だったのか?』といぶかしんだものだけど、その思考はまだ全然浅かったのである。


 まさか、こんな城塞を作り出すための時間稼ぎの意図まで含まれていたとは。一石二鳥だとか三鳥だとかの次元ではない。一つの行動に無数の意味を同時に持たせる――そういうことを、カレルさんは呼吸するようにやっていたのだ。


 にわかには信じがたいけど、ハヌが言うのだ。きっとその見立ては外れていないのだろう。


「じゃが、おかげでヴィリーめが動かぬ理由もわかった。あの女狐めはカレルに【コレ】があることを知っておったのじゃ。であれば、必ずや漁夫の利を狙いに来よるぞ」


 くっふっふっ、と小さな肩が上下に揺れる。実に不穏な笑い方だ。悪巧みをしている背中にしか見えない。


『指令変更じゃ。包囲はせぬ。右翼は東、左翼は西に陣を取って待機。ヴィリーら『白』を警戒せよ。あやつらの来る時期は大体わかった。こちらとカレルら『黒』が戦闘に入れば、すぐにでも動くはずじゃ。〝ぶるーふりーず〟とやらもある。必ずや出てくるはずじゃぞ』


『――おいおい〝竜姫〟の、急にどういうことだぁ? さっきは一気に包囲殲滅だとか言っていたじゃねぇか』


『たわけ、状況が変わったからに決まっておろう。よく聞け――』


 突然の方針変更に、ハウエルが目の前のエサを取り上げられた犬のように文句をつけ、ハヌが理由の説明を始める。『黒』チームがこれ以上ないガチガチの籠城戦の構えであること。それを理由に東西に分かれた『白』チームが、こちらとあちらで犬兎の争いになることを目論んでいること。そんな割り込みを許さないためには、東西からの挟み撃ちを想定した陣形を整えねばならないこと――等々。


 その会話を聞くともなしに聞いていた僕の視界に、何か得体の知れない、けれど決して見過ごすことのできない【何か】が映った。


「――!?」


 背筋が凍る。理由はわからない。見過ごせないはずの何かが――しかしどこにあり、何を指しているのかを理性が理解できていない。本能的な直感が僕に警告音アラートを鳴らすだけで、まるで要領を得ない。


 ――何だ……!? この感じ……すごく嫌な感じだ……!?


 僕自身の視界。地上の『探検者狩り(レッドラム)』の進行速度に合わせて微速前進している〝酉の式〟。その背に乗って、ゆるゆると変化していく崩壊した都市部の風景。


 高空へと飛び放った二十体の〈イーグルアイ〉から送られてくる視覚情報。ほぼ全方位を網羅している複合視野は、けれど僕にとっては自分の目で見たものに等しい情報として処理される。


 説明できない違和感。


 ――どこだ……!? どこにある……!? 僕は【どこ】に【引っかかった】んだ……!?


 今にも手の中からすり抜けていきそうな違和感の尻尾を、思考回路を全力で回転させて手繰り寄せていく。


 呼吸さえ忘れるほどの過集中の果て、僕はようやく違和感の正体にたどり着いた。


 真上。


「――ッ!?」


 全方位を見渡せるからこその、意識の死角。地上にある氷の巨大城塞に圧倒され、なおかつ、空中を飛んでいる自分より高い位置にいる者などあり得ないという思い込み。さらには世界をあまねく照らす太陽の輝きの中に、【彼女ら】は身を隠していたから。


 だから気付くのが遅れた。


「――ハヌッ!」


 説明している暇などなかった。太陽の光にわずかに混じった影に確信を得た僕は、有無を言わさず行動した。


 支援術式〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉をそれぞれ五個ずつ自分へと発動。同時にハヌには〈プロテクション〉×5を発動させ、急な機動に対する耐性を強化した。


 背後からハヌの細い腰に両腕を回し、掻っ攫うように左へ飛ぶ。踏み砕くぐらいの勢いで〝酉の式〟の背中を蹴っ飛ばし、その場から飛び退いた。


「うにょぉ――!?」


 いきなりのことにハヌの喉から変な声が漏れ出る。急にお腹を締められて苦しかったのかもしれない。大変申し訳ないけれど、緊急事態だったので後で謝って許してもらおう。


 爆発的な瞬発力で僕とハヌがその場の座標から待避した直後。


 音もなく、強い日差しにまぎれて飛来した【不可視の力場】が、そこにまだ残っていた〝酉の式〟を激しく打ち据えた。


 刹那、ハヌの術力――スミレ色のワイヤーフレームで組み立てられたおおとりが金属的な音を立てて爆裂四散する。


「――!」


 ハヌを抱きかかえたまま空中で三次元的な回転をしていた僕は、〈イーグルアイ〉の視野からその様子を観測していた。


 鳳は弾け飛んだとはいえ、単に枠組みが崩壊しただけだ。十二個の護符水晶は全て無事で、再利用は充分に可能なはず。


 それより、


 ――今のは……ロゼさんの〝グレイプニル〟……!


 間違いない。目に見えない攻撃であそこまで破壊力を持つのは、『黒』チームの現状ではそれしか思い当たらない。本来なら蒼の〝レージングル〟、紅の〝ドローミ〟を巻き付かせないと上手く制御できないとロゼさんは言っていたが、今のように一直線にぶつけるだけなら単体で充分だったのだろう。


 ――でも、ロゼさんがどうやって空に……!?


 支援術式〈シリーウォーク〉を発動させながら、僕は〈イーグルアイ〉の数体をさらに上昇させ〝グレイプニル〟の一撃が飛んできた方を確認する。


 体を捻って姿勢を制御。ハヌの体を枕のように抱きかかえたまま、膝を折って空中に【着地】した。


 愕然とする。


「な……!?」


 緊急上昇させた〈イーグルアイ〉の捉えた映像に、僕は喉を詰まらせたように絶句した。


 果たして、そこには二人分の人影があった。


 言うまでもなく、ロゼさんと――フリムに違いない。少なくともあの長いツインテールの影は、誰がなんと言おうと間違いなく僕の従姉妹で幼馴染みの彼女でしかあり得ない。


 二人が一緒に行動していることは想定していた。だからそっちはいい。だけど、そのシルエットの異常さだけは見逃せなかった。


 鳥――いや、天使……?


 太陽を背にしているから逆光で影にしか見えないが、しかしそれでもツインテールの人影の背中から飛び出した鋭角的な一対の翼だけは、はっきりと見て取れる。


 僕の〈イーグルアイ〉がさらに上昇。ようやく陽光に邪魔されることなく二人の姿が撮影できる位置まで辿り着いた。


 やっと見えたのは、やはり想像通りのもの。


 フリムが背中にランドセルにも似た、飛行ユニットと呼ぶしかないものを装備して、まさしく鳥か天使のごとく飛翔していたのである。ランドセルの左右からはコウモリっぽい光の羽が生えており、フリムのフォトン・ブラッドで形成されているのか、強いピュアパープルの輝きを放っていた。


 ロゼさんは、そんな術式なしで空中飛行するフリムの腰に一本の鎖を巻き付け、ぶら下がるようにして同行していた。


 ――何だあれ!? あ、あんなのいつの間に……!?


 反則的な光景に僕は瞠目し、内心で叫ぶ。


 少なくとも、この謎の空間に連れてこられてから作った物ではあるまい。この間のハウエルとの戦闘中に発動した『マクスウェル・チャージ』といい、フリムはいつの間にか色々なものを開発していることが多い。あれもその一つということか。


「――な、なにごとじゃあラトッ!? いい、いいきなりどうしたというのじゃ!?」


 今更のように腕の中のハヌが狼狽えながら抗議の声を上げた。どうやらこれまでの思考は意識が集中していたせいか、ものすごい速さで回転していたらしい。


 そう考えると、ロゼさんの奇襲も事前に察知して回避出来たわけで、これは僕にしてはかなり上出来なのではなかろうか?


 と、そう自覚した途端、僕の中のスイッチが一気に切り替わる。戦闘モードに入り、頭の中が驚くほど冷静になった。


「敵襲だよ、ハヌ。フリムとロゼさん」


 喉の奥から何の引っかかりもなく言葉が出てきて、僕は落ち着いた声で現状を端的に説明する。


 すると、ピタリ、とハヌの動きが止まった。フリーズしたかと思うほどの急停止だったけど、それも一瞬のこと。


『――敵襲じゃ者共ものども! 周囲を警戒せよ! 敵は上か、もしくは下から来るぞ!』


 ハヌも別人になったかのように張った声を通信網へと吹き込む。


 上か、もしくは下から――その言葉にはっとする。そうか、エイジャが『Lコンシェルジュ』に搭載したマップ機能には高低の概念がない。あくまで平面的な表示であり、それは高空にいようが地底にいようが関係なく扱われる。


 ロゼさんとフリムがこうして僕達より高い位置で待ち受けていたように、地上より下――すなわち【地下】に『黒』チームが潜んでいる可能性は充分にあるのだ。


 僕達は既に、都市部の中央エリアへと足を踏み入れている。確認したわけではないが、かつてこれだけ発達した都市だ。地下街があったってなんら不思議ではない。実際、フロートライズにも地下エリアや地下交通網だって無数にあるのだから。


 ハヌの警告が飛ぶのと同時、間髪入れずにハウエルからの応答があった。


『――おい〝竜姫〟のぉ! こっちも緊急だ! 〝氷槍〟の奴が動きやがった! とんでもねぇ速度でこっちに来てるらしいぞ!』


 遅い。今更すぎる報告だ。僕達はとっくに奇襲を受けた後だというのに、そんなことを聞いても何の役にも立たない。


 あるいはカレルさんは、こちらの通信網の弱点を見越していたのかもしれない。『Lコンシェルジュ』の通信を使った連絡網は規格上、全ての『探検者狩り(レッドラム)』からの報告をいったんハウエルへと集中し、そこから僕とハヌに転送される形となっている。ハウエルは僕達と同じ『白』チームだが、奴の最大の腹心であるヤザエモンが『黒』チームのため、そこで両チームからの報告をまとめることが出来るのだ。


 だけど悲しいかな、どんな事象も起こってから報告が届くまで、いくつものクッションを挟むことになる。つまり、どうしても大きなタイムラグが生じてしまうのだ。


 逆の立場になってみよう。相手がそんな迂遠な通信方法で情報共有をしているのなら、どう攻めるのが効果的か?


 それ即ち――速攻だ。


 先程ハヌ自身がヴィリーさん達『NPK白』にそうすると決めていたように、情報の伝達が間に合わないほどの速度で攻めてしまえば、全ては後の祭りと化す。


 あの巨大な『氷の城塞』は強力な防御の構えであると同時に、とても大袈裟な【ブラフ】でもあったのだ――!


「――ラト! 妾を守れっ! 詠唱に入る!」


 もはや今からどんな指示を出しても手遅れと断じてか、ハヌが腕の中で宣言した。一瞬だけ『この状況で!? そんな無茶な!』と思ったけど、ハヌだってそれぐらい承知の上だ。その上で、無茶をやり遂げてみせろと彼女は僕に期待しているのだ。


 だから、僕が返すべき答えはたった一つ。


「うん、わかった!」


 全肯定。打ち合わせも何もいらない。僕は僕に出せる全身全霊でハヌを守り、その詠唱が完了して術式が発動するのを、必ずや成功へと導く。それだけだ。


 僕は支援術式〈シリーウォーク〉を発動。対象はハヌ。彼女が詠唱に集中するためにはちゃんとした足場が必要となる。どうせ〝酉の式〟が残っていてもどうせ解除するしかなかったのだから、手間を省かれたと思った方が建設的だ。


「僕はロゼさんとフリムを止めるから、ハヌはここで集中してね!」


「うむっ!」


 支援術式の発動はハヌの〝SEAL〟にも通知がいっているはず。彼女言うところの『空歩きの術』である〈シリーウォーク〉が効果を発揮しているのを確認してから、僕は細い腰から腕を離した。ぽっくり下駄がカランコロンと、何もない空中に広がった薄紫の力場の上で音を立てる。


 申し合わせたように、下方から爆発音。それも複数。地下から飛び出してきた『NPK黒』と、地上を進んでいた『探検者狩り(レッドラム)』とが戦闘に入ったのだ。


『――おいおい〝竜姫〟のぉ! こっちはもうぶつかっちまったぞ! どうすりゃいい!』


 どこか嬉しそうに指示を求めるハウエルは、どう見てもこの状況を楽しんでいる節がある。どうせやることなど一つに決まっているというのに、それでも『どうすりゃいい』などと聞いてきた愚か者に、ハヌは苛烈な一言を叩き付けた。


『戦え!』


 ハウエルを一刀のもとに斬り捨て、ハヌは僕と目線を合わせる。無言で頷き合い、そこからは互いにするべきことをするべく、めいめい動き出した。


「 あまねく大気に宿りし精霊よ 我が呼び声にこたえよ 」


 ハヌはその場にとどまって術式の詠唱。


 僕は改めて支援術式〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉を二つずつ発動。三十二倍だった強化係数を百二十八倍まで跳ね上げ、不可視の階段に足をかける。


 上空の〈イーグルアイ〉から送られてくる視覚情報では、既に奇襲の失敗に気付いたロゼさんとフリムが新たな動きに出ている。フリムの背中の羽が角度を変え、急降下へと入った。勢いそのまま僕達を強襲するつもりだ。


 ――そうはさせないっ!


 完全に想定外の思いがけない襲撃ではあったけれど、やられっぱなしではいられない。


 僕は片足に全力を込め、百倍以上に強化された脚力を爆発させた。


「――ッ!」


 矢のごとく銃弾のごとく稲妻のごとく、一直線に跳躍する。


 両手には既に黒帝〈リディル〉と白虎〈フロッティ〉。双方を合体させて太極帝剣〈バルムンク〉を形成。術力を注ぎ込んで光の大剣を抜刀する。ディープパープルの光刃フォトン・ブレードが逆巻く瀑布のごとく噴出した。


 ロゼさんはもちろんのこと、フリムもゴリ押しのパワープレイを得意とする。ハウエルの時は結果的に愚策ではあったけれど、しかし『目には目を歯には歯を』とも言う。あの二人の猛攻を止めるには、こちらにもそれなりのパワーが必要なのだ。


 自分の視界と〈イーグルアイ〉から転送される複合視野でもって、僕は広く戦場を認識する。


 急降下するフリムとロゼさん。


 急上昇する僕。


 相対距離が吹っ飛ぶように無くなっていく。


 だが間合いが完全に詰まってしまっては、二対一の状況はこちらに不利だ。


 故に、


「〈レイザー……!」


 両手で握った〈バルムンク〉に剣術式を発動。手の甲で小さなアイコンが弾けて消える。深紫の大光刃がさらに強い輝きを放つ。


「――ッ!」


 空を叩き割るぐらいのつもりで左足を叩き付けた。コンバットブーツの靴底から薄紫の力場が放射状に広がる。〈バルムンク〉を後方へ引き絞り、腰をのせて思いっきり横薙ぎに振った。


「――ストライク〉ッッ!!」


 強化係数百二十八倍のフルスイング。二メルトル近い刀身から生まれた光の斬撃が固体化し、術式による推力を得て発射される。僕と言うカタパルトから射出された〈レイザーストライク〉は巨大な三日月形の斬撃と化して、降下してくるフリムとロゼさんへと襲い掛かる。


 狙ったのは二人――ではなく、フリムとロゼさんを繋ぐ鎖。あの二人を直接狙ってもどうせ当たるまい。なら、攻められるのが一番嫌そうな場所を狙う。それで少しでも進行スピードが遅くなるのなら、それだけハヌを守るための時間が稼げるというものだ。


 が、しかし。


「――はっ! ちょっと短絡過ぎよハルトっ!」


 早くも声が届く距離まで来たフリムが、八重歯が見えるほど明確に口の端を釣り上げ、僕の行動を嘲笑った。


「サティ! ディカプル・マキシマム・チャージッ!」


 風圧のせいで長いツインテールが鬼の角みたいに逆立っているフリムが、両手に握った白銀の長杖――サティこと〝ドゥルガサティー〟を構えた。


『ママママママママママキシマム・チャージ』


 彼女の皮膚に浮かび上がった紫色の輝紋から無数の煌めきが放射され、サティのスリットへと吸収されていく。次いで、機械音声が『ビッグサイス』と告げるのと同時、


「ロゼさん行ってっ!」


「了解です」


 二人は驚愕の行動に出た。僕の放った〈レイザーストライク〉の斬撃を前に、なんと互いを繋いでいた鎖を解いたのである。


「な……!?」


 思わず眼を剥いた。馬鹿な、フリムはともかくロゼさんに空中歩行や飛行といった術はない。あの鎖はまさしく命綱だったはずだ。なのに、それを解くだなんて――!?


 ここは地上から百メルトル以上の高空。こんなところから自然落下したらどうなるかなんて、小さな子供にだってわかる。


「ちょっ――ええっ!?」


 紫の光の翼を広げるフリムからロゼさんが切り離され、僕の撃った〈レイザーストライク〉は二人の間を唸りを上げて通り過ぎ、虚しく空を斬る。が、そんなことに頓着している場合ではない。


 ――ロ、ロゼさんが落ちちゃう……!?


「――うおぉりゃぁあああああああああああッッッ!!!」


 思わず落ち行くロゼさんを目で追ってしまうと、こちらの都合など一切構わず――今は敵同士だから当たり前なのだけど――フリムがそのまま突っ込んできた。ロゼさんを投棄パージしたおかげか、さらなる加速をもって。


「――ッ!?」


 ロゼさんを空中に放り出しておきながら、わずかの躊躇もなく突撃してくるフリムに僕は絶句する。しかも好戦的な笑顔もそのままに。


 フリムは巨大な鎌と化した〝ドゥルガサティー〟を真後ろに引いて構えていた。体勢だけ見れば、まるで浜辺で地引き網でも引き上げているかのような格好だ。


 それで何をするつもりかと思えば――僕は彼女の背後に展開する『ビッグサイス』の形状に瞠目する。


 刃が一枚だけではない。いつの間にやら三日月にも似た鎌の数が増え、六枚になっていた。もはや大鎌とは呼べないような形だ。天頂から俯瞰すれば『*(アスタリスク)』にも似た形で刃が展開しており、あるいは『傘の骨だけの状態』と言えなくもない、おかしな形状をしていた。


 そして、斜め上から急降下してくるフリムからは減速する気配がまったくない。


 ――まさか……!?


 幼馴染み故の直感でフリムのやろうとしていることに感づいた僕は、咄嗟に〈バルムンク〉を体の前に立てて構え、防御姿勢を取った。


「――くぅぅぅらぁぁぁぁえぇぇぇぇっっっ!!!」


 流星のごとく突進してきたフリムが、しかし直前でその狙いを左へややずらした。


「――!」


 そのまま僕のすぐ横を通り過ぎ――


 交錯。


 一拍遅れて目の前に迫る紫の刃。


 ――やっぱりだ……!


 遅れてやってくる衝撃。僕の光刃とフリムのそれが激突し、甲高い金属音を響かせた。〈バルムンク〉の刀身の腹に炸裂した『ビッグサイス』六枚の刃の内の三枚が勢いよく滑り、ギャリリリリッ! と火花を飛び散らす。


「ぐぅっ……!?」


 空中に足を止めた状態でフリムに【引っ掛けられた】僕は、あちらの超スピードの勢いに敢えて抗わず、流れに身を任せた。左へ持って行かれる重心に合わせて体を回し、『ビッグサイス』の刃ごと衝撃を受け流す。


「……ッ!」


 思った通りだ。フリムは巨大な鎌を振るうことなく、飛行スピードにものを言わせて『*(アスタリスク)』状に広げた刃をぶつける戦法をとったのだ。


 ――でも、なんだってこんな回りくどいことを……!?


 直情径行型というか、猪突猛進的なフリムらしくない。それこそ『ジャイアントハンマー』あたりを大振りしてきた方がよほど彼女らしいのに。


 身を流しつつ捻って、爪のような大鎌の刃をどうにかやり過ごした。かと思えば、僕を引っ掛けたことでガクンと減速したフリムの、さらに下降を続けていく後ろ姿が視界に飛び込んでくる。


「――――」


 その刹那、電撃的な違和感が僕の背筋を貫いた。


 ――いや、待て……何だ? 何か……変だ、変だぞ……!? 何か、どこかがめちゃくちゃ変だぞ……!?


 頭の中で鋭い警告音アラートが鳴り響く。


 目に映るフリムの後ろ姿がどこか、しかし絶対的におかしい。あるはずのものがそこにない、欠落の感覚。


「――あ……!」


 気付いた。


 脚だ。


 いつもは黒くてゴツい戦闘ブーツ――〝スカイレイダー〟に包まれているはずのフリムの両脚が、今は何故か素足を晒している。というか、裸足だ。


 ――待って、じゃあ〝スカイレイダー〟はどこに……?


 という疑問と、つい先刻フリムから切り離されたロゼさんとが繋がるのは、当然の帰結だった。


「――っ!?」


 血の気が引くのと同時に慌ててロゼさんの姿を探す。


 いた。〈イーグルアイ〉の複合視野。フリムと一緒に急降下していた時の加速度を保持したまま落下して、僕の真下へと移動していた。


 無論、【空中に立った状態で】。


 ――そうきたかっ……!


 その両脚には、やはり漆黒の戦闘ブーツ。事前にフリムから譲り受けていたのだろう。レイダーをフリム専用の武装だと勝手に思い込んだ、己の浅薄さが恨めしい。


 すでにレイダーは装甲を展開して、刺々しい形状へと変化している。表面に走る幾何学模様は、いつものピュアパープルではなく、ロゼさんのフォトン・ブラッドの色――すなわちマラカイトグリーンの輝き。


 蒼銀と紅銀の鎖を四本、バトルドレスの背中から翼のごとく生やしているロゼさんは、相変わらず感情を覗かせない顔で僕を見上げ、


「ウルスラ、レイダー、〝ユニゾン〟でいきます」


『了解シマシタ』


Certainly(かしこまりました)


 胃の腑がぞっとするようなことを呟いた。右腕に装着した白銀の籠手ガントレットと両脚の戦闘ブーツもまた、無感情な機械音声で応答する。声だけ聞いているとどれが人間ので、どれが機械のものかわからないぐらいだ。


 フリムの開発した光臓機構フォトン・オーガンの新機能〝ユニゾン〟。通常、光臓機構フォトン・オーガンのチャージ最大数が10(ディカプル)であるところを、二つ以上のメカニズムを同期させ、同調させ、共鳴させることによって出力を大きく上昇させる新技術。


 ドゥルガサティーとスカイレイダーでその〝ユニゾン〟が可能なのは知っていたけれど、まさかウルスラグナにもその機構メカニズムが搭載されていたなんて。


「ツイン・ディカプル・マキシマム・チャージ」


 ロゼさんの静かな声。彼女の〝SEAL〟が励起して、皮膚上に孔雀石色の幾何学模様が浮かび上がる。そこからいくつもの星屑みたいな煌めきが迸り、残光を引いてウルスラグナとスカイレイダーへと吸収されていく。


『『ママママママママママキシマム・チャージ』』


 二つの光臓武装が、それぞれのスリットから熱感のあるマラカイトグリーンの光を放つ。まるで内側で溶解炉が燃えるかのごとく。


『スターライト・バックショット・エクスキューション』


『ライトニング・ジェット・ファイア・ドリル・クラッシュ』


 聞き覚えのあるものから、ないものまで。とにかくたくさんのコマンドが処理されていくのがわかった。


 唸りを上げるハム音。ロゼさんのフォトン・ブラッドの輝きが右腕のウルスラグナへ収束していく。


 どんな攻撃が来るかは知らないが、何か途轍もなくすさまじいものが来るだろうってことだけは、嫌でもわかった。


 一瞬の躊躇。


 ここで〈スキュータム〉を重複展開するか、それとも安全を期して『ウォール』のマジックを使うか、僕は判断に迷った。


 その挙げ句、


「――ウォール!」


 僕は後者を選んだ。


 無論、回避行動は取るつもりだ。みすみす当たってやるつもりはない。だけど。


 僕に油断がないように、フリムやロゼさんにも慢心はないはずだ。いつもは力押し全開の二人が、こうして搦め手から攻めてきたのだ。この攻撃には支援術式で強化している僕を圧倒することができる、それだけの破壊力があると見るべきだった。


「――ッ!」


 呆けたようにロゼさんの動きに見入っている自分を切り離して、僕は回避行動へ入る。しかし、ただロゼさんの攻撃から逃げるのではない。ここで取るべきは、積極的な回避行動だった。即ち、


「〈ドリル――!」


 自ら攻撃の中へ飛び込み、間合いを詰める。『ウォール』の効果で守られている間にロゼさんに肉薄し、少しでもダメージを与えるのだ。第一、フリムがこのまま降下を続けていけば詠唱中のハヌが襲われてしまう。そうさせるわけにはいかなかった。


「――ブレイク〉ッッ!!」


 切っ先を下に構えた〈バルムンク〉の刀身に〈ドリルブレイク〉×20を発動。ディープパープルのフォトン・ブラッドが収束し、ミルフィーユのごとく幾重にも連なる巨大ドリルが形成される。


 応じるようにロゼさんの背中の鎖が動いた。百個の風鈴を一斉に鳴らしたような音を響かせて、蒼と紅の銀鎖が勢いよく伸び上がり、二重螺旋を描いて宙を飛び回る。向かう先はもちろん僕。しかし、こちらを拘束しようという動きではない。鎖に渦を描かせトンネルを作り、僕の逃げ場を封じる動きだ。


 あっという間に二色の鎖が僕の周囲を通り過ぎ、僕はロゼさんの結界に閉じ込められた。後方で鎖が描く渦の直径が絞られ、これで僕とロゼさんは鎖で作った卵型の空間に隔離されたことになる。


 空の高い位置、そして低い位置で向かい合う僕とロゼさん。遠く離れていても互いの視線がかち合う。


 ここからは真っ向勝負だった。


 僕の背中から勢いよく深紫のフォトン・ブラッドが噴出する。


 ロゼさんの右腕に装着されたウルスラグナが猛烈なマラカイトグリーンの輝きを放つ。


 ――いきます!


 目線に意思を込め、射込む。


 ――勝負です、ラグさん。


 ロゼさんの琥珀色の瞳が、そう応えてくれた気がした。


 激発。


「――づぁああああああああああああああああああッッッ!!!」


 膨大な推進力が爆発し、僕は一条の彗星と化した。


 大気の壁をぶち抜き音速を超えて突撃する僕に対し、ロゼさんは力を溜め込んだ右拳を閃かせた。


「――破ぁ阿々っ!」


 普段の声音とはまるで別人の、ロゼさんの裂帛の気合い。


 これ以上なく綺麗なフォームでウルスラグナの拳が打ち出される。ロゼさんらしいスマートかつシャープなストレートパンチ。


 空間に風穴を空けるかのごとき拳撃は、まさしく光の暴風と言う他ない現象を巻き起こした。


 白銀の籠手ガントレットに包まれた拳から放射されたのは、無数の星屑。


 砂粒かと思うような小さな煌めきが噴霧のごとく広がったかと思うと、その一つ一つが唸りを上げて肥大化し、光精霊ウィル・オ・ウィスプよろしく縦横無尽に暴れ始めたではないか。


「――!」


 果たして、生まれたのは光の【波濤はとう】。


 撃ち出された光輝の粒子が散弾となり、拡散放射されたのだ。


 僕の視界に映るそれは、もはや壁。マラカイトグリーンの光が寄り集まって出来た津波か、雪崩であった。


 なるほど、だから『星屑スターダスト』に『散弾バックショット』といった単語がウルスラグナの起動音声コールに含まれていたのか――と得心する。


 もはや光弾の一粒一粒が、赤熱したベアリングにも等しい。いや、スカイレイダーの『ライトニング・ジェット・ファイア・ドリル・クラッシュ』の起動音声コールも考慮に入れれば、それ以上の威力を持つ弾丸と化しているに違いなかった。


 下手をすればゲートキーパー級すら一撃で活動停止シャットダウンさせて、なお余りあるオーバーキル攻撃だった。


 これがフリムとロゼさんの選んだ戦術。僕が支援術式を使って〝アブソリュート・スクエア〟まで強化係数を引き上げることを想定した、攻撃方法。


 千倍の速度に達した僕を普通の攻撃で捉えることはまず不可能。ならば、〝点〟ではなく〝面〟で。攻撃の軌道も〝線〟ではなく〝空間〟で。


 膨大かつ局所的な範囲攻撃でもって僕に回避させない――〝当てる〟というよりも〝包む〟と称すべき飽和攻撃を展開させる。


 そう考えたのだ。


 ――滅茶苦茶が過ぎるけど、理には適ってる……!


 しかも、こうして空間や進行方向が限定される状況シチュエーションとあっては、僕に避ける術は皆無と言っていい。


 でたらめな戦術を考えただけでなく、それを実行にまで移す破天荒さは、流石は僕の仲間だと言わざるを得なかった。


 ――でも……!


 だからこそ負けられない。


 あの二人の前で僕は誓った。強くなると。それを口先だけで終わらせないためには、身をもって証明しなければならないのだ。


「――ぁああああああああああああああああッッッ!!!」


 雄叫びを上げて突っ込んだ。


 衝突。


 そして、付近に散った〈イーグルアイ〉の複合視野から、僕はその光景を目にする。


 ロゼさんの撃ち出した光の波涛。その真ん中に僕が突っ込むことによって粒子が拡散し、まるで蕾が花開くような変化を生んだのだ。


 大空に華が咲く。


 それは蒼穹に咲き誇る、青緑に輝く百合の花。


 だが、その見た目ほど実態は甘くない。


 当然ながら〈ドリルブレイク〉の先端がみどりの波濤に触れた瞬間から、鋼鉄かのごとき手応えが返ってきていた。


「――~ッ!?」


 重い。そして硬い。


 光輝の集まり故に軽く柔らかそうに見えていたが、その性質は全くの真逆だ。手の感覚から、ヤザエモンの〈イモータルアブスタクル〉や、ハウエルのパワードスーツの装甲とぶつかった時のことを思い出す。


 先の丸まった削岩機で分厚い岩盤を削っているような気分。


 これは、先日飛び込んだマグマすら比較にならないぞ――そう判断した僕はさらに支援術式を発動。〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉を重ね掛けし、強化係数を一気に五百十二倍まで跳ね上げた。


 本来、こうして他の術式を重ね掛けしている最中に――それ自体も大概なのだが――支援術式を上乗せするのは、失敗すれば起動中の全てのプロセスがキャンセルされるという、非常に危険な行為だ。だがロゼさんとフリムの【本気】を前に四の五の言ってなどいられない。


 貫くのだ。


 一点突破で。


「――〈ドリルブレイク〉ッッッ!!!」


 剣術式×20をさらに発動。十重二十重とえはたえどころか四十重になった螺旋衝角が獣のような唸りを上げる。全身の〝SEAL〟が激しく励起し、体表から紫電が迸るのがわかった。


 突き進む。全身がマラカイトグリーンの煌めきに包まれる。


「――くっ……!」


 凄まじい粘性を感じる。体中にゴムか餅かがまとわりついているような気分。四肢の至る所で光輝の粒子が弾けていくのがわかる。熱い。とんでもない灼熱感。だけどダメージはない。咄嗟に『ウォール』を使っていなければ、今頃どうなっていたことか。


 目の前が光に埋め尽くされていて、瞼を開けてなどいられない。だが自分のステータスだけは目を閉じていても見える。視界の端に浮かぶHPに変化はない。いま気付いたが、下部に見慣れないアイコンが表示されていた。形状からして『ウォール』が発動していることを示しているらしい。


 無敵状態を付与する『ウォール』のマジックは、しかし身に降りかかる攻撃を跳ね返すたぐいのものではなかった。ダメージは受けず、HPも減らないが、それだけ。痛覚はどうやらカットされておらず、今の僕が七転八倒していないのは〈プロテクション〉の恩恵があるおかげだった。そして何より、無限と思えるほど畳み掛けられる光の波濤を、排除するのにまるで役に立たない。


 さもあらん。そんなことが可能なら『ウォール』を使って壁を破壊したり、体当たりで敵を攻撃できるようになってしまうのだ。


 つまり、この瀑布をさかのぼるがごとき所業は、どうあっても自らの力で成さねばならなかった。


 少しでも気を緩めれば、意識ごと持って行かれてしまうほどの勢い。押し負けて流されれば、一体どこまで連れて行かれるのかわからない。もしくは、このまま一分が経過して『ウォール』の効果が切れれば、そのまま【磨り潰される】可能性だってなくはない。


 ――ゲームじゃなかったら、本当に死んでたかも……!


 だが逆に言えばこれは『ゲーム』で、どこまでも仮想でしかなく、死ぬ心配はまずない。


 だから。


「〈ドリル――ブレイク〉……ッ!」


 さらに上乗せ。強化係数五百十二倍の六十連〈ドリルブレイク〉。


 ただでさえ膨らんでいたドリルがさらに巨大化し、貫通力が上昇。背中から噴き出すフォトン・ブラッドの出力も増加し、僕の体がグングン前へと進みだした。


 岩盤のようだった手応えが柔らかい土にまで変化して、〈ドリルブレイク〉の回転がうなぎ昇りに加速していく。螺旋衝角の切っ先がマラカイトグリーンの怒濤を掻き分け、突き進んでいく。


 ――もう少しっ……!


 付近に散っている〈イーグルアイ〉から送られてくる視覚情報から、自分とロゼさんの相対距離を測る。もうあと一メルトルもない。右腕のウルスラグナを前へ突き出し、尽きることなく霧のごとき光の散弾を発射し続けているロゼさんに、あと数秒もあれば届く。


 しかし。


「〈我王がおう裂神れっしん――」


 囁くような、それでいて空間に刻み込むかのごときロゼさんの声。


 そうだ。当たり前だけど、ロゼさんの腕は一本だけではない。


 【二本ある】。


 そう。右拳だけではなく、左拳もあるのだ。


 ましてやロゼさんは使役術式使い(ハンドラー)であると同時に、トップクラスの格闘士ピュージリストでもある。利き手がどちらかなんて関係ない。両の腕を利き手のように使えて当たり前なのだ。


「――!」


 新たに生まれたマラカイトグリーンの輝きが、強く握り込まれたロゼさんの左拳へと収束していく。


 あれは、ゲームがスタートした直後にも放とうとしていた、まだ見ぬロゼさんの本気の一撃。あの時は『フリーズ』で止めたけど、今回は『ウォール』を使用中だからそれは出来ない。


 ――けど、この『無敵状態』ならいけるっ!


 痛みや衝撃はあるだろう。だが、HPは減らない。それなら、後は耐えるだけだ。〈プロテクション〉の加護もある。絶対に耐えきってみせる。


 ロゼさんは間合いに入った僕を〈ドリルブレイク〉ごと打ち砕くつもりだ。多分、こちらが『ウォール』を使っていることに気付いていない。少しずるい気もするが、今回はそこに付け入らせてもらう。


 抜けた。


 光の波濤を乗り越え、いま目の前にロゼさんが――




「ハック」




 ――えっ?


 虚を突かれた一瞬。


 ロゼさんの唇から放たれた単語に、僕の頭の中は真っ白になる。


 刹那の思考――どうして? 知っていたのか? わかっていたのか? いいやそんなはずはない。声が届くような距離ではなかった。〈イーグルアイ〉で周囲を観測しつつ音を拾っている僕とは違い、ロゼさんにはその術がなかったはずだ。なのに何故? 先読みされた? 予知された? まさかカレルさんの入れ知恵? それとも僕の性格をよく知るフリムの直感? もしかして、ただの当てずっぽう? わからない。答えが絞れない。


 そして、今はそれどころではない。


「――っ!?」


 ロゼさんの額からマラカイトグリーンの光線が飛び出して、真っ先に僕に直撃した。


 快音。


 涼やかな音を立てて僕の『ウォール』が解除される。視界の端に浮かぶARステータス、その下部にあったアイコンが真ん中から破けて消える。


 無敵状態が解除された。


 マジックの効果が消え、僕は素の状態に。


 そこへ、


「――通天つうてん八極はっきょく〉ッ!」


 ロゼさんの切り札が炸裂した。


 唸りを上げる左の拳が、瞬間移動したかと思うほど速度で、気付けば僕の〈ドリルブレイク〉の先端と激突していた。


 轟音。


 削岩機と削岩機を真っ向からぶつけ合わせれば、あるいはこんな音をがなり立てるのかもしれない。それほど耳障りな音が、天を突くほど激しく鳴り響いた。


 回転する螺旋衝角と、唸って光るロゼさんの拳とが、空間のとある一点で拮抗する。


 僕には驚愕しかない。たとえ今が〝アブソリュート・スクエア〟状態でなくとも、その一歩手前の強化係数五百十二倍。なおかつ〈ドリルブレイク〉は六十連。とうにあのヘラクレスの装甲だって突き破れる破壊力を有しているはずなのに。


 それどころか。


「――~……ッ!?」


 違う。得も言えぬ、けれど嫌な予感が僕の脊髄を駆け抜ける。


 これは【違う】――何かが【変】だ。直感が叫ぶ。


 ――なんだ……これ……!?


 手応えがおかしい。僕の〈ドリルブレイク〉とロゼさんの〈我王裂神・通天八極〉は鬩ぎ合っているはずなのに、力の〝衝突点〟とでも呼ぶべきものが、ジワジワとこちらへ近付いてきている気がするのだ。


 否、違う。


 これは――〝透し〟だ。


「――!?」


 あるいは〝裏当て〟や〝浸透勁〟、場合によって〝鎧通し〟とも呼ばれるもの。その名の通り、衝撃が物体をすり抜けて、あるいは伝播して装甲の向こう側、体の内部まで突き抜ける特殊な技術。


 以前、ロゼさんが見本として僕とハヌの前で〝丈勁〟なるものを披露してくれたことがある。『遠当て』とも呼ばれるそれは、簡潔に言えば『打撃する位置を【ずらす】技術』であり、たとえ直接触れてなくても対象にダメージが与えられるという、どう見たって超能力か何かとしか思えない代物だった。


 これはその仲間というか、亜種。


 こうしてロゼさんの拳が僕の〈ドリルブレイク〉と直接触れ合っている限り、生まれた衝撃波はフォトン・ブラッドを伝い、〈バルムンク〉を伝い、やがては【僕の肉体に直接作用する】。それどころか僕の内部まで浸透して、そこで爆発することだって考えられるのだ。


 ――まさか、最初からこれが『狙い』だった……!?


 僕が支援術式〈プロテクション〉で防御を固めることを知った上で、その内部に衝撃を伝えるべく、この〈我王裂神・通天八極〉を放つことがロゼさんの狙いだったのだとしたら。


 ゲームがスタートした直後の乱戦においても、あの場面でこれを放とうとしていた理由にも合点がいく。


 硬い外側からではなく、少しでも柔らかい内側からの破壊。それがロゼさんの考えた僕――いや、〝勇者ベオウルフ〟への対処法。


 ――でも、そうとわかれば……!


 すぐにでもこの場を離れれば、少なくともロゼさんの目論見は破綻するはず。


 僕はすぐさま〈ドリルブレイク〉をキャンセルし、不毛どころか時限爆弾かチキンレースにも等しい鬩ぎ合いを止め――いや、駄目だ。


 【逃げ場がない】。


 周囲はロゼさんの鎖に囲まれている。背後にはまだ散布されたまま残っている高密度の光の霧。『ウォール』を強制解除された今、どちらへ行ってもダメージを受けることは避けきれない。まさに前門の虎、後門の狼といった状態だ。


 もはや選択肢は一つ。ロゼさんの〈我王裂神・通天八極〉の破壊力が僕の体内へ届く前に、この場を突き抜けること。


 ロゼさんを正々堂々と打ち破った上で。


「――っ!」


 他に選択肢がないことで、逆に覚悟が決まってしまった。


 僕は少しでも制御を誤ればバラバラになってしまいそうな〝SEAL〟の演算機能に構わず、さらに支援術式〈フォースブースト〉×10を発動。アイコンが一斉に弾け、術力の強化係数を一挙に一千二十四倍へ。


「――〈ボルトステーク〉! 〈エアリッパー〉!」


 続けて攻撃術式を音声起動コール。頭の中がグチャグチャになりそうなところを、思考を分割化して整理。中には気が狂うやつがいるかもしれないが構うことはない。そんなものはいつもみたいに切り捨てるだけだ。


 各十個ずつ、計二十個の攻撃術式を発動中の六十連〈ドリルブレイク〉に割り込み、融合させる。


 即席の『サンダーエアリアルブレイク』――全てを攻撃力と推進力に変えて突き進む、破壊の権化。


 回転する螺旋衝角からザラついた音響とともに雷電が迸る。荒れ狂う風の刃が絡みつき、竜巻を起こす。


「うぉおおおおおおあああああああああああああああッッッ!!!」


 吼える。我知らず腹の底から声を上げていた。


 ゆっくりと、だけど確実に〈通天八極〉の衝撃がこちらへ近寄ってくる。もう既に〈バルムンク〉の刀身の半ばを超えている。猶予はもうない。


「――く……ぅっ……!」


 ロゼさんの呻き声。いつも無表情な美貌が、この時ばかりはわずかに歪んでいる。あちらも必死なのだ。


 当然だ。僕には逃げ場も選択肢もないが、逆に言えばそれは、ロゼさんも同じなのだ。


 僕もロゼさんも、目の前の相手を破ることでしか窮地を脱し得ない。条件は一緒。


 だから。


「破ぁ阿々々々々々々々々々々々々々々々々々ッッッ!!!」


 ロゼさんも吼えた。口を開き、雄々しく声を張り上げる。彼女の気勢に呼応して左拳の光が強くなる。


 それどころか、ロゼさんは一度打ち出した右腕のウルスラグナを後ろへ引いた。まさか次弾か。連続突きは格闘士にとって当たり前のこと。不思議ではない。


 ――その前に……!


 事ここに至り、僕は自らの無傷を諦めた。考えが甘かった。ロゼさんはそんな生易しい相手ではなかったのだ。覚悟が足りなかった。


「――〈フレイボム〉ッ!」


 新たな攻撃術式を音声起動コール。ヘラクレスやミドガルズオルムを完全破壊した、僕の必殺の術式。〈フォースブースト〉で術力を千倍以上に強化した上での、二十連鎖〈フレイボム〉。これがゲームでなければ決して味方には使えない攻撃。この距離で使えば僕も巻き込まれてただでは済むまい。自爆にも等しい行為だ。


 それを、稲妻放ち豪風渦巻く〈ドリルブレイク〉に割り込ませ、融合発動。同時に展開したアイコンが列車のように並び、膨れ上がった〈ドリルブレイク〉を輪切りにする。


「――――」


 はたとロゼさんの顔色が変わった。他の誰よりも――かつてヘラクレスのコンポーネントに強くこだわったロゼさんだからこそ知っている、重複連鎖した〈フレイボム〉の威力。


 それを叩き込む。


「――――――――――――――――――ッッッ!!!」


 もはや言葉もない。乾坤一擲の刹那。『サンダーエアリアルブレイク』が風船のように膨らんだかのように見えた。


 爆裂。


 閃光が炸裂する。自前の視界も、〈イーグルアイ〉の複合視野も全て光に塗りつぶされた。


 耳で感知できる音量を超えた轟音。全身がビリビリと震え、爆風と衝撃波が全方位を駆け抜ける。体の至る所が引き裂かれるような感覚。筋肉が断裂するかのごとき感触。目を瞑っていてもなお見えるHPのバーが一気に半減するのがわかった。


 しかし、その甲斐はあった。


「――……っ!?」


 永遠かと錯覚するような崩壊の一瞬が過ぎ、目の前が開ける。


 何もかもが弾け飛んでいた。


 僕はさっきまでいた位置から大きく後方へ吹き飛ばされており、フォトン・ブラッドで形成されているはずの〈バルムンク〉の刀身が根元近くで折れ、光刃フォトン・ブレードを再生できずにいた。黒玄と白虎を合体させた大柄にも細かい罅が入っているから、動作に不具合が発生しているのかもしれない。


「――っ! ロゼさんは……!?」


 ロゼさんの姿を探す。発動させた僕ですらこのダメージだ。ロゼさんはもっと――


 いた。下方。僕と同じく大きく吹っ飛ばされ、しかもそのまま落下を続けている。受けた衝撃が強すぎて体が動かないのか、それとも気を失っているのか。だが、頭の上に浮かぶ『黒』のアイコンはそのまま。HPを全損して『失格』になっていればチームを示すアイコンは消えるはずだから、ゲーム的にロゼさんがまだ【生きている】のは間違いない。


 変な話だけど、少し安堵する。やり過ぎてしまったらどうしよう、という思いがやはりどこかにあったのだ。


 とはいえ。


 ――え? あ、あれ? まだ落ちる? と、止まらない……えっ、ちょっ、フリムは!? フリムがロゼさんを助けたりは!?


 ロゼさんの自由落下が止まらない。もしかしなくても彼女は意識を失っているのだ。そういう意味で、


 ――しまった、やり過ぎた……!?


 と僕は後悔した。今さっきひどい攻撃をかましておいてなんだけど、このままロゼさんが地表に激突するのを指をくわえて見ているわけには、当然いかない。


「ま、待ってっ!」


 慌てて〈シリーウォーク〉の力場を蹴って下へ飛ぶ。真っ逆さまに落ちながら、飛び石のように大気を蹴っ飛ばして加速。〈バルムンク〉の大柄を左手に持ち替え、右手を落ちつつあるロゼさんへと伸ばす。


 届いた。


 空中に寝そべるような体勢だったロゼさんの腕を掴み、不可視の坂道にコンバットブーツの靴底を滑らせてブレーキをかける。その途端、風に煽られて逆立っていたロゼさんのアッシュグレイの長い髪がしなだれ、ふわりと舞い上がった。


 僕はすかさずロゼさんの腰の後ろに腕を回し、抱き上げる。いつもハヌにしているのと同じ、お姫様だっこで。


「――ロゼさんっ!? 大丈夫ですかロゼさん!? 目を覚ましてくださいっ!」


 我ながら何言ってるんだって台詞だが、僕はロゼさんに必死に呼び掛ける。自分で気絶させておいて大丈夫も何もないけど、心配なものは心配なのだから仕方ない。


「……ぁ……?」


 幸いなことに、ロゼさんはすぐに目を開けてくれた。琥珀色の瞳がうっすらと姿を現し、焦点が合わないままやや泳ぐ。少ししてから焦点が結ばれ、ロゼさんが僕の顔を見た。


「……ラグ、さん……?」


 不思議そうに名前を呼ぶ。僕は、うんうん、と頷き、


「はい、僕です! だ、大丈夫ですか!? あの、ご、ごめんなさいっ! さっきは僕、必死になりすぎちゃって――!?」


 思わず謝罪してしまった僕に、ロゼさんは「ああ……」と息を吐くように声を出した。


「……構いません。お互い、本気だったのですから。ラグさんが気に病むことではありません」


 こんな時、慰めに微笑んだりしないのがいかにもロゼさんだった。それでも彼女は琥珀色の瞳を大きく開いて、とても真剣な眼差しで僕を見つめてくれる。だから、その言葉に嘘がないことを、僕は素直に信じることができた。


「お見事です、ラグさん。私なりに真剣に戦ったつもりだったのですが、及びませんでしたね」


 当たり前のようにロゼさんが左手を持ち上げ、僕の頬に触れる。さっきまで僕の〈ドリルブレイク〉と拮抗するほどの拳を作っていた掌は、思いのほか柔らかく、優しい感触がした。


「流石はあなたです。私を……いえ、フロートライズを救った英雄。ゲームとはいえ、本気のあなたと直に対峙することが出来て、とても光栄でした」


「ロゼさん……」


 さすり、さすり、と優しく頬を撫でてくれる。少しくすぐったいぐらいの力加減だ。まるで僕が子供で、ロゼさんがお母さんかのよう。さっきの勝負に勝ったのは僕の方なのに。


「…………」


 ううっ、なんだか気恥ずかしい……。僕は思わず視線をあらぬ方向へ逸らしてしまう。


「……フリムさんには申し訳ありませんが、私はここで一度引かせていただきます。HPが残り一しかありませんから。それとも……私に止めを刺していかれますか?」


「あっ……!」


 そうだ、フリム。今になっても戻ってこないということは、やはりあのままハヌのところへ向かったとしか考えられない。すぐにでも追わなければ。


「え、えっと、えとえと……!?」


 急いでハヌの下へ! と逸る気持ちと、このままロゼさんを失格にしないまま放っておくわけには……という気持ちとの間で板挟みになって、僕は挙動不審に陥る。


「〈リサイクル〉」


 そうこうしている内にロゼさんがストレージから青白いコンポーネントを取り出し、使役術式を発動させた。孔雀石色の〝SEAL〟が励起し、一度は活動停止シャットダウンしたSBセキュリティ・ボットの核が再活性化する。


 情報世界から現実世界へと具現化したのは、鷲の頭と翼、そしてライオンの四肢をもつグリフォンだった。


『GGGGGRRRRRRRYYYYYYYYYY!!』


 体格的には人間の大人よりも大柄な鷲獅子じゅじしが、喉を反らして電子のいななきを上げる。


 グリフォンはルナティック・バベルにおいて、オルトロスやヌエ、マンティコアなどと同じ階層に現れる強力なSBだ。最近の最前線あたりでもポップするこいつを、ロゼさんはいつの間に活動停止シャットダウンさせてコンポーネントを入手していたのだろうか。おそらくは僕の修行中、ハヌとコンビを組んでいた時だとは思うのだけど。


 ロゼさんは両足に装着した漆黒のスカイレイダーに、ちらり、と一瞥をくれ、


「せっかくお貸しいただいたブーツですが、即興なせいもあって、やはり上手く扱えませんでしたね。踏み込みのために必要ではあったのですが……しかし空を飛ぶのなら、こうして慣れた方法が一番です」


 とかなんとか言いながら、言葉とは裏腹に華麗な身のこなしで彼女は僕の腕から抜け出し、ホバリングするグリフォンの背中へと飛び乗った。僕の腕から重みと女性の肢体特有の柔らかさ、温かみが消え、一抹の寂しさを覚えてしまう。


「…………」


 そうか、しまった。さっきの僕はなんて馬鹿だったのか。すっかり地上戦でのイメージが強かったせいで忘れていたけれど、ロゼさんは使役術式使い(ハンドラー)なのだから、飛行型SBを再生リサイクルすれば地表へ落ちることはなかったのだ。


 いきなりのことだったとはいえ、我ながら動揺しすぎである。ハヌにもよく言われるけど、まったく精神鍛錬の足りていない自分に、ほとほと嫌気がさしてしまう。


 馬にまたがるように慣れた調子でグリフォンに騎乗したロゼさんは、仮面のような顔をこちらへ向け、


「……私が言うのも何ですが、急いだ方がよろしいかと。フリムさんはとうに小竜姫のもとへ向かっているはずですから」


『GGGGGRRRRRYYYYYYYY――!』


 言うが早いか、ロゼさんの〝SEAL〟からコマンドを受けた鷲獅子グリフォンが甲高く嘶き、大振りな翼を鋭角に振った。途端、その身が滑空を始める。


「え……? あ、あの……?」


 ごく自然に遠ざかっていくロゼさんとグリフォンの姿に、思わず片手を挙げ――そのまま何もできず、僕は一人と一体のシルエットが小さくなるまで見送ってしまった。


「……あれ……?」


 遅れて気付く。何だこの空気は、と。


 いつもの無表情という何食わぬ顔でロゼさんは去って行った。有無を言わさず強引に、という風ではもちろんなく。まるでこちらの心の隙を突くかのごとく、そそくさと。


 ――もしかして、敢えてこちらのペースを崩して逃げていった……?


 有り得る。


 いつも感情があまり表に出ない人だからわかりにくいけれど、さっきのはもしかしなくとも、ロゼさんなりのポーカーフェイスだったのだろうか。


 戦闘中にやるような〝駆け引き〟を、まさかこんな局面でまで……いや、強い人というのは、あるいは逃げ方も上手な人でもあるのかもしれなかった。


「――って、ボケッとしている場合じゃなくて!」


 我に返った。僕は慌てて方向転換し、移動を開始する。


 向かう先は、下。ハヌのいるところ。


 今更ロゼさんを追いかけて『失格』にしている暇などない。自業自得だけれど。それよりロゼさんが言った通り、あっちに行ったフリムが気がかりだ。ハヌがそう簡単にやられるわけないとは思うけれど――


「――フリムも何するかわからないから……!」


 さっきのロゼさんにスカイレイダーを履かせたりした作戦も、きっとフリムの発案だ。僕の『お姉ちゃん』は昔から奇抜なことをするのが大好きなのだ。それでどれだけ子供の頃の僕が苦労させられたことか。


 色んな意味で友達の心配をしつつ、僕は稲妻よりも速く宙を落下し始めた。







※これにて平成最後の更新となります。

 令和もどうぞよろしくお願いいたします。

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