●30 踊る最前線 1
僕が思うに、ハヌにはコマンダーとしての才能がある。
現人神として生きてきた経験がそうさせるのか、大勢の人の士気や機微に敏感で、個々人の特性を見抜く眼力を持っている。また、それらを活用するのがとても上手い。
思い返せば、出会った頃からそうだった。
初めての土地でエクスプローラーとなるべく、人の集まる『カモシカの美脚亭』へ単身で乗り込み、悠然と席に座って周囲をじっと観察していた。
その内、お人好しで御しやすい人間――つまり、それが僕だったわけだが――が近付いてきたら、即座に捕まえて必要な情報を聞き出す。
決して焦らず、獲物がかかるまでじっとしていたというのが、僕なんかにはとても真似できないところであろう。
ちょうどよい案内人を手に入れたら、目的地である遺跡へと向かう。そこである程度のノウハウを学習したら――おそらくハヌは、適当なところで姿をくらますつもりだったのだろう。本人に直接聞いたわけではないけど、少なくとも僕がハヌだったら、きっとそうしていたはずだ。
何故ならこの時点では、僕はまだ当時のハヌの言う〝トモダチ〟――即ち、常日頃から時間を共にするような対等の関係は築けていなかったのだから。
が、しかし。ここでちょっとした計算違いが起こる。それは無論、僕が彼女の正体に気付くことなのだけど――それはまた別の話。
閑話休題。ともあれハヌは支援術式使いである僕と縁を結び、半永久的にコンビを組むこととなった。
そんな僕達が初めて力を合わせた戦いというと、やはりルナティック・バベル第一九七層のゲートキーパー、海竜こと〝タケミナカタ〟とのそれが思い出深い。
あの時、生まれて初めてのゲートキーパー戦に慌てふためく僕へ向かって、ハヌはこう言ったのだ。
『ラトよ、妾を守れ』
言霊の詠唱に入ると無防備になってしまう自分を、極大術式の構築が終わるまで守護しろ――と。
いま思えば、これほど端的かつ的確な指示もない。
僕は支援術式使い。パーティーメンバーを支援し、補助するのが役割だ。そしてハヌには、ゲートキーパーを一撃で屠るだけの力があった。
僕がハヌを守りつつ時間を稼ぎ、彼女が満を持して必殺の攻撃を放つ――あまり言いたくないが、これぞまさに『シンプル・イズ・ベスト』。一切無駄のない、完璧な役割分担だったのである。
このことからもわかる通り、ハヌには下手をするとカレルさんに匹敵するほど――とは言い過ぎかもしれないが、僕から見ると、勝るとも劣らぬセンスが秘められているようにしか思えないのだ。
そう――ちょうど今、僕の目の前で発揮されているように。
『よいか、三人一組を三つも作ったのじゃ、それぞれ『さーち』を怠るでないぞ。敵に動きあれば即座に報告せよ。遅延は許さぬ。何があろうと最優先じゃ。生きた情報こそ勝利の近道なのじゃからな!』
僕とハヌは再び〝酉の式〟の背に乗って、高空を飛翔している。周囲には空の色しかなく、風の音しか聞こえない中、ハヌはハウエル達『探検者狩り』との間に即席で構築した通信網を使って、指示を飛ばしていた。
『通信網は決して乱すでないぞ、必ず維持せよ。全員の連携こそ要なのじゃからな。数はこちらが上じゃが、多人数での戦いの練度はあやつらの方が上じゃ。分断されては敵わぬと知れ』
このゲームにおける『マジック』の効果時間は原則として、一律で一分。それに対し、次の『マジック』が使用可能になるまでの『クールタイム』は三分。このルールに着目したハヌは、常に『サーチ』で敵味方の位置を把握するためのローテーションを組んだ。
それが三人一組を三つ、合計九人で構成された『サーチ班』である。
白黒混合の彼らの役割は、一人一分ずつ『サーチ』を使ってリアルタイムの戦況を監視すること。
これによって敵、つまりはカレルさん達の様子を複数人で見張る。何か動きがあれば『Lコンシェルジュ』の通信機能を使用して、伝言ゲームのように自軍の中枢であるハウエルにまで報告が届けられる。それがさらに僕やハヌへと転送され、情報が共有されるという仕組みだ。また、ハウエルには僕からはもちろんのこと、ハヌからも言霊によって『縛り』が課せられ、嘘や虚偽の類いは言えないようになっていた。
ハヌの工夫はこれだけではない。
今回、エイジャが勝手にインストールしたアプリによる通信には、距離の制限がある。あの赤髪の統括プログラムの言葉を信じるなら、通信可能距離は二百メルトル以内。
そのため、先程も言った『通信網』を維持するパーツとして、『黒』メンバー一人と『白』メンバーの二人組による『通信中継役』なるものが立てられていた。
先程も言っていたように、迅速な情報共有こそが勝利の要であり、通信の途絶は生命線の断絶に等しい。ハヌはそれらを『決して崩すな』と厳命するのと同時に、それが可能となるだけの方策を『探検者狩り』達に授けていたのだ。このあたりがやはり、彼女の非凡なるところだろう。
彼女の戦略および戦術センスには、天賦の才があると言わざるを得ない。
しかしながら、正直なところ僕も彼女の作戦の全てを理解できているわけではない。陣形にしても、ところどころ意図のわからない部分があるにはある。
なので、ハヌの最終的な目的はわかってはいても――先程、耳打ちで教えてもらったので――、そこに至るまでの過程はまるで想像できなかった。
今回ばかりは、戦いの趨勢はハヌに任せるしかない。
では、じゃあ僕は何もできないのか? というと、実はそうでもない。
これは先程ハヌと話し合って決めたことなのだけど、僕達はお互いに役割を分担することにしたのだ。
ハヌの役割は、このゲームで勝利すること。より詳細に言えば、『白』チームを勝利へと導き、その上で二人とも失格にならずに残存すること。
一方、僕の役割はというと――ジェクトさんが言っていた『このゲームの本当の攻略法』を探すこと。
まるでとっかかりのない話ではあるけれど、ハヌがカレルさん達『黒』チームとの戦いに全精力を注ぎ込むと決めた以上、こちらの案件は僕が請け負うしかない。
無論、ジェクトさんはジェクトさんで独自に動いているだろうから、個人的にはあちらに期待したいところなのだけど。
とはいえ、せっかく情報をもらっておきながら何もせず、ただエイジャの掌の上でゲームにのめり込むというのも、微妙に据わりが悪い。
――何か、何か落とし穴があるはずなんだよなぁ……
ハヌが高空から矢継ぎ早に細かい指示を飛ばしているのを余所目に、僕は思索にふける。
ここはルナティック・バベルだ。そして、ゲームマスターはあのエイジャだ。
カレルさんが直感的に『何か裏があるはず』と考えたように、僕もこのゲームの裏側にはなにがしかの詭謀が隠れているように思う。
絶対に【何か】があるはずなのだ。思わずハマってしまうような、意識の陥穽へとつけ込み、答えは目の前にあるのに、決してそうとは気付かせないようなトリックが。
思い返せば〝ミドガルズオルム〟や〝イザナミ〟との戦いがそうだった。いつもヒントはさりげなく、だけど確実に示されているのだ。わかってしまえば何のことはない、よく考えていればわかったことなのに――と後悔するようなものが。
――念のため、もう一度ルールを見直してみようかな……?
僕は〝SEAL〟のメモアプリを立ち上げて、最初にエイジャから配布されたルールと、先刻ジェクトさんから教えてもらった〝隠しルール〟を書き写したページを呼び出す。
――多分、この中にヒントというか、罠があると思うんだけど……
ARスクリーンに表示された文字列を一文字一文字、舐めるように読み直し始めた、その時だった。
『動きがあったぜぇ、〝竜姫〟の。〝氷槍〟のが陣形を変えてやがる』
ハウエルからの報告が入った。その瞬間、僕の目の前にある小さな肩が、ぴくんっ、と動く。
『――詳しく申せ。どのような陣形じゃ』
間髪入れずハヌは質問を返した。ハウエルも、流石は一つの集団を率いている首領と言うべきか。すかさず返答する。
『中央に集まって一塊になろうとしてやがるな。こっちが手を広げてるからって、中央突破でも仕掛けようって腹かぁ?』
ハウエルの言葉を聞いて、ハヌの細い指が素早く虚空を走る。
そこには彼女の〝SEAL〟が表示させたARスクリーンがあり、この浮遊群島のマップが表示されていた。マップの上のレイヤーにはチェスの駒にも似た三色のアイコンがいくつも置かれ、僕達や『探検者狩り』の灰色チーム、カレルさん達『NPK黒』チーム、ヴィリーさん達『NPK白』チームの居場所を示している。
ハヌの指はマップ内の黒駒を操作し、ハウエルの報告通り島の中央部へと集まらせていた。
これはいわば、ハウエル麾下『探検者狩り』の報告から作り上げた、即席の〝兵棋台〟である。もちろん報告の全てを頭から信じるわけにはいかないので、時折ハヌか僕の『サーチ』でズレがないかを確かめないといけないけれど。
『ふむ……守りを固めるつもりか、カレルめ……ヴィリーめの動きはどうなっておる? あやつも盤上を見ておれば、そろそろ動く頃合いじゃ』
『いや、〝剣嬢〟のに動きはねぇぜ。二手に分かれて散ったままだ。ピクリともしねぇ。どうやら様子見に徹する気らしい』
むぅ、とハヌが不満そうに唸った。どうやら少し目論見が外れているらしい。どう外れているのかは、僕にはわからないけれど。
ハヌの肩越しにAR兵棋台を覗き見る。
話にある通り、カレルさん達『NPK黒』を示す漆黒の兵棋は、浮遊大島の中央部の真ん中――即ち、僕達エクスプローラーのゲームスタート地点だった場所から、やや南へ下ったところにかたまっている。
確か、都市部の中央あたりには他のと比べて一際大きなビルディングが群れをなしていたはず。空中を移動中、視界の端に引っかかったのでよく憶えているのだ。
カレルさんはどうやらその中の一つを陣地――いや『城塞』に選んだらしい。
カレルさんの持つ神器〝生命〟――その力を駆使したオリジナル術式がフロートライズの都庁を巨大な氷樹に変えたことは、僕もハヌから聞いたり、『放送局』の記録を見て知っている。
だから、その恐ろしさも多少は理解しているつもりだ。
高層ビルを一つまるごと巨大な氷樹に変えられていたら、通常戦力でそれを攻めるのは非常に難儀することだろう。
しかし、こちらには誰あろうハヌがいるのだ。
ハヌの極大術式であれば、高層ビルの一つや二つを破壊するなど造作もないこと。むしろその気になれば、都市部全体を完全崩壊させることだってきっと不可能ではない。
だが、その程度のことはカレルさんにだってわかっているはず。一塊になっていたら、ハヌの術式の格好の的であることも。
ということは、何かしらハヌの極大術式への対策があるのか、それとも、僕達がそこまでしないと高をくくっているのか――いや、後者はあるまい。そんなあやふやな根拠で判断を下す人なら、〝氷槍〟だなんて異名で呼ばれたりなんかしない。
――カレルさん、積極的に僕達と敵対するつもりはないんだろうけど、念のためとか万が一の時を考えて、僕とハヌを仮想敵として色々と対策を講じているみたいだからなぁ……
もしかしなくとも、僕なんかには思いつきもしない奇想天外な手法で、ハヌの極大術式を防ぐ備えがあるのかもしれない。そう考えると、軽々(けいけい)にハヌに極大術式をぶっ放してもらうというのも考え物だ。
『――よかろう。ヴィリーが動かぬのであれば、こちらがカレルを討つだけのこと。者共、足を速めよ。ヴィリーの女狐めが重い腰を上げた時には手遅れになっている速度で、カレルめの元へと攻め込むのじゃ』
わずかな沈思を挟み、ハヌは進軍の速度を上げるよう指示を出した。兵は拙速を尊ぶ、疾きこと風の如く、などと言うように、集団戦において速度とは時間と空間をコントロールするために重要なパラメーターだ。進撃が速ければ速いほど、こちらは有利になる。
『おうともよ! 野郎共、全速前進だ! ――ハッハァッ! こいつは楽しいことになりそうだぜ!』
近付く戦いの予感に、ハウエルのテンションがわかりやすく上がる。返ってきた通信の念には隠しきれない歓喜がたっぷりデコレーションされていた。
しかし。
『足を速めよとは言うたが、陣形を崩すことは許さぬ。当然、通信網の維持が最優先じゃ。言っておくが、右翼左翼は通信が切れた場合、その時点で敵にやられたものとするぞ。その時はそちらへ妾の術が飛ぶやもしれぬが、文句は聞かぬ。なにせ通信が断絶しておるのじゃからな。それが嫌ならば命がけで通信網を死守せよ。よいな』
戦闘に逸るハウエル達『探検者狩り』の出鼻をくじくように、ハヌは再度、秩序だった行動を取るように申し付けた。
『足手まといとなる味方は敵よりも厄介じゃ。邪魔になる前に妾が消し飛ばす。憶えておけ』
容赦のなさすぎる命令は、とても幼い少女が発しているものとは思えなかった。我が親友ながら、心底恐ろしい子である。
何はともあれ、この命令は効果覿面だった。ハウエルによる「全速前進」の号令の直後には危うくほつれかけた戦線が、次の瞬間にはビシッと元の形に戻るのが上空からでもよく見て取れた。
ハヌの言葉からある程度は察せられる通り、僕達『灰色』チームはいわゆる〝鶴翼の陣〟なる陣形を組んでいる。名前の通り、鶴が広げた翼のような形状をしている陣だ。横幅の広い『V字型』と言った方がわかりやすいだろうか。
本来なら防御型の陣らしい。攻めてきた相手を上手く包み込み、包囲するための形状なのだとか。
ハヌに直接問いただしたわけではないけれど、防御型の陣形で敢えて攻めるのは、彼我の戦力差が大きいからだろう。あちらは『NPK』の約半分と、ロゼさん、フリムの二人。多く見積もっても二十人にも満たない少人数だ。
一方こちらは、僕とハヌの手によって三十人近くを失格へと追い込んでしまったが、元からして百人を超える集団だった『探検者狩り』と僕達二人。人数だけでいえば倍以上の開きがある。
であれば、最初から包囲を狙うのも戦術の一つではあろう。無論、それ以外の【意図】も当然ながらあるとして。
ついでに言えば、ヴィリーさん達『NPK白』は先程ハウエルが言った通り、ただでさえ少ない人数を二手に分け、都市部の東西の端へと散っている。ちょうどカレルさん達『NPK黒』を左右から挟む形だ。これがオセロなら黒が白にひっくり返ってお終いなのだが、残念ながらそうはならない。
ハヌは、僕達『灰色』が『黒』を攻めるに乗じてヴィリーさん達『白』にも動いて欲しかったみたいに言っていたが、あちらが様子見を選択するのはある意味当然のことだ。
この浮遊大島という盤上には『黒』と『白』、そして『灰色』という三つの勢力が乗っている。その内の二つが激突するのであれば、残る一つが様子見の後に漁夫の利を得ようとするのは、むしろ定石であろう。
となれば、僕達『灰色』が取るべき手は一つ。ハヌが言っていたように、ヴィリーさん達『白』が介入する隙を与えることなく、一気呵成にカレルさん達『黒』を落とすこと。
そのままヴィリーさん達が動かないのであればそれでよし。もし介入する素振りを見せたのであれば、返す刀で東西の『白』の挟み撃ちに抵抗する――こんなところだろうか。
と言っても、僕なんかでもここまで予想できるのだ。ハヌやカレルさんの頭の中ではさらに複雑な思考が巡らされている可能性は充分にある。
この戦いの行く末がどうなるのか。
それはまだ、神のみぞ知ることであった。




