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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第五章 正真正銘、今日から君がオレの〝ご主人様〟だ。どうぞ今後ともよろしく

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●26 現人神の雪辱と涙








「はぁあぁっ……!」


 鋭い呼気とともに、僕にとっては死神の鎌にも等しい双曲刀の連撃が襲い掛かってくる。あらゆる角度から放たれる剣閃の束は、まさしく千変万化の万華鏡。〝絶対領域ラッヘ・リッター〟の異名をとる天才剣士の本気の攻撃だ。


「ッだぁあああああああああああああああッッ!!」


 視界の中で星屑のごとく煌めく無数の剣光を前に、僕は死に物狂いで双剣〈リディル〉と〈フロッティ〉を振るう。小気味よい金属音が打ち鳴らされ、無数の火花が一斉に咲く。


 先程のロゼさん戦と違い、今の僕に身体強化の支援はない。素の自分のまま、一時は剣号〝流麗剣〟を授与されようとしていたアシュリーさんと真っ向から立ち会わないといけないのだ。当然、死だって覚悟する。無論これはゲームなのだから、そこまで発展することはないとわかっているけども。


「――よくぞここまで成長しましたね、ベオウルフ。やはりと言うべきでしょうか。ほんの少し見ない間に随分と上達しているようで。これは私もロゼさんも教え甲斐があるというものです」


 嵐がごとき斬撃を間髪入れず叩き込みながら、けれどアシュリーさんは平然と僕を褒めそやす。が、その余裕の態度こそが僕の恐怖を誘う。僕と激しく打ち合いながらも顔色一つ変えずに会話するだけの余力が、アシュリーさんにはあるのだ。


「――!!」


 時々指導してもらえる時にも思うことだが、アシュリーさんの〝サー・ベイリン〟の太刀筋は非常に読みにくい。アシュリーさんの剣技が優れているのはもちろんのことながら、それ以上に大きく湾曲した刀身がこちらの感覚を狂わせるのだ。アシュリーさんはその時々において、湾曲した側を前へ出したり、手の中で【くるり】と返して後ろ側へ引いたりして、斬撃の長さや斬り方を絶妙に変えてくる。しかも、目に留まらぬほどの高速で。


 そのくせ、彼女の攻撃は両手足が絶えず連環し、決して途切れることはない。


 さながら無数の頭をもつ大蛇おろちがごとく。


 ――た、戦いにくいっ……!


 硬い剣で戦っているはずなのに、アシュリーさんの剣筋は鞭か何かのごとくしなやかで、変幻自在の軌跡を描く。迎え撃つ双剣に力を込めるタイミングを何度も外されて、僕は瞬く間に圧倒されてしまった。


「ただ、残念なことに【まだ足りません】。あなたの剣はまだまだ未熟です。副団長の言う通り、これがゲームでよかったですね。さもなければ――」


「――ッ!?」


 刹那、右脇腹と左太腿に熱く鋭い衝撃。斬られた――と思ったときには体勢が崩れ、僕は足運びに失敗して不格好に転倒していた。


 ――しまっ……!?


 視界の右上にあるAR表示が変動する。




 HP:■■■■■■


 MP:■■■■■■■■■




「――今頃あなたは五体バラバラでしたよ」


 さらに蒼い剣閃が奔り、ほとんど一瞬で体の各所を三回も斬られた。


 が、その割には痛みや喪失感はない。それもそのはず、アシュリーさんの〝サー・ベイリン〟が切り裂いていった箇所はしかし、一切の傷もなく、ただ真っ赤に輝くダメージエフェクトだけが発生していたのだから。


 咄嗟の思考で理解する。なるほどそうか、僕達は本物の武器を持ってゲームをプレイしているが、これなら首を落とされようが頭を割られようが死ぬことはない。ただHPが減少するだけだ。




 HP:■■■


 MP:■■■■■■■■■




 だけど僕のHPも残り三。虫の息もいいところだ。


 ――このままじゃ失格になる……!


 焼きごてを当てられたかのごとく胸の奥が焦慮で熱くなるが、赤い冷気を揺蕩たゆたわせる地面に転がっている今、僕はあまりに無様で無力だった。


 もはや起き上がるよりも早くアシュリーさんの双曲刀によって僕のHPが削りきられるのは明白で、既に失格は確定したものと思えたが……


「――な……!?」


 突然、アシュリーさんが僕から視線を外し、愕然とした声を漏らした。


「……?」


 アシュリーさんの視線は僕の上を素通りして――背後、ハヌとゼルダさんがいるはずの方角へ向けられている。


 攻撃の手が止まったのをいいことに、僕もその場で上体を起こすと、首を捻って後方をかえりみた。


「……え?」


 思わず、僕も声をこぼしてしまった。


 そこにあったのは、実にあり得ない光景だったのだ。


「――ぐ、ぐぬぬぬぬぅぅぅぅ……!」


「……ふふん、どうした犬娘? 随分と気張っているようじゃが、まるで剣先が動いておらぬぞ。おぬしの力はその程度か?」


 悔しそうに呻くゼルダさんに、その様子を鼻で笑うハヌ。


 なんと――ゼルダさんが渾身で突き出したであろう直刺剣エストックの先端を、ハヌがピンと立てた二本指の刀印で受け止めていたのである。


「……え、ええええっ!?」


 あり得なさ過ぎる光景に、反射的に膝立ちになって変な声が出てしまった。


 いやいや、そんな馬鹿な。あんなロゼさんみたいな真似、ハヌに出来るわけ――いや、でも目の前にある光景は目の錯覚ではないし、必死の形相を浮かべたゼルダさんが直突きの構えのまま、少しでもエストックの切っ先を進めようと奮闘しているし、ハヌの短くて細い二本の指は、確かにその尖った先端を挟み込んで停止させているではないか。


 唖然とするしかない。


 ――も、もしかして、これがさっき言ってた『試したいこと』……!?


「――……!」


 確かにハヌを信じてゼルダさんの相手を任せたのは僕だし、それはアシュリーさんを前にして彼女をカバーするなど到底不可能だからと判断したからであって――でもだからといって、ハヌがゼルダさんの超身体能力を前にどんな対応をするかなんて全く頭になく、まぁそこはそれ、ハヌなら持ち前の機転で『マジック』を使ったりしてどうにかしてくれるだろう……なんて思っていたのだけれど。


 でも、冷静に考えるとやっぱりあり得ない。ここはカレルさんの作った〝術力禁止空間〟。戦闘力の大半というか99.9%を術力に依存するハヌに、こんな達人めいた芸当ができるわけ――


「――のう、カレルよ。妾はおぬしに感謝するぞ」


 出し抜けに、ハヌが重苦しい声でカレルさんに語りかけた。鈴を転がすようでいて、どこか遠雷にも似た響きを孕んだその声には聞き覚えがあった。僕にはわかる。


 それは、怒りの波動。


 そう、ハヌは今、かつてないほど不機嫌だった。


「実に不快なことを思い出させてくれるではないか。これは、アレであろう? 妾があの時、巨大な化生を前に手も足も出せずにおった場所と同じか、あるいは酷似したものであろう?」


 ハヌは片手の刀印でゼルダさんの剣を止めたまま、肩越しに振り返り、蒼と金の瞳をカレルさんに向ける。


 宝石のように美しい双眸に宿るにのは、燃えるような瞋恚しんいの輝き。


 それでいて口元には不敵な笑みが浮かんでおり、幼い女の子とはとても思えない壮絶な表情で、ハヌはカレルさんを見据えていた。


「おかげで胃の腑が焦げつくようじゃわ。あなうらめしや……今でも夢に見るぐらいじゃぞ。あの時、術を封じられた妾は何も出来ず、傷付くラトをただ見ておることしかできなんだ……」


 ハヌの声調は決して激しくなく、抑揚もなく、むしろ静かに凪いでいた。


 けれど、それが嵐の前の静けさであることは明白だ。


「…………」


 黙ってハヌの視線と言葉を受け止めるカレルさん。だがその脳裏に浮かぶのは、きっと僕と同じものであろう。


 あれは忘れもしない。ルナティック・バベル第二〇〇層におけるヘラクレスとの戦い。


 あの時のセキュリティールームは術力制限フィールドになっていて、発動すれば必殺のハヌの極大術式は、けれど発動どころか起動させることすらできなかった。それ故、ハヌ擁する新進気鋭のクラスタ『スーパーノヴァ』は、リーダーのダイン・サムソロを筆頭に無様に潰走して、決して逃げることはできない閉鎖空間で一人、また一人と確実に鏖殺されようとしていた。


 そこから先は知っての通り。居ても立ってもいられなかった僕が無謀にもセキュリティールームへ飛び込み、紆余曲折を経た結果、ヘラクレスを活動停止シャットダウンさせることに成功した。


 傍から見ればきっとそれは、めでたしめでたし、な話であったのだろう。いや、当事者である僕自身でさえそう思う


 だけど――これまで考えたこともなかったけれど――ハヌにとっては、果たして本当にそうだったのだろうか?


「妾はの、あの時のことを思い出すたびおのれが許せなくなるのじゃ。ラトにえらそうな口を叩いておきながら、畢竟ひっきょう何もできなんだ己を……何もできぬからと、一人で戦うラトを眺めておることしかできなんだ己を……いや、【何も出来ぬと思い込んで何もしようとしなんだ己】を、な」


 ハヌは俯き、ポツリ、ポツリと言葉を下に落とす。綺麗な銀髪が流れ落ち、その表情を絶妙に隠す。


 すると、僅かに見える唇の端が大きく吊り上がり、ピエロの口のように笑んだ。


 その瞬間、周囲の大気が帯電したかのようにビリビリと震え始めた。


「――じゃからの、感謝するぞカレル。今ここにおる妾は、もうあの頃の妾と違うことを証明する、絶好の機会を用意してくれたおぬしにな。ああ、そうじゃ。今こそ雪辱を果たす時じゃ……!」


 ハヌの声音が熱を帯びる。彼女の好戦的な笑みがトリガーとなったように、大気の震動が徐々に大きくなっていく。


「――!? これ、は……!?」


 僕の近くで立ち尽くしていたアシュリーさんが頭上を見上げ、愕然とする。僕も同様に上に視線を向け、気付いた。


 ――違う、震えているのは空気じゃない……【この空間そのもの】が、軋むように揺れているのだ。


「――ッ!?」


 ハルバードを構えて姿勢を固定させていたカレルさんが、突如、電流を流されたかのごとく身を震わせた。反射的に自分の両手に目を向けたカレルさんは、眉間に皺を寄せてから再びハヌへと視線を戻す。


 足元、地面の下からゆっくりと重低音がせり上がってくる。ゴゴゴゴゴゴ……と不穏な振動が上からも下からも近付いてくる感覚。


 ふと視界の端にスミレ色の光を感じて、僕は弾かれたようにハヌの方を振り返った。


「――ハ、ヌ……?」


 あり得ない光景再びだった。


 カレルさんが構築したこの〝術力禁止空間〟において、ハヌの皮膚にスミレ色の幾何学模様が浮かび上がり、〝SEAL〟が励起していたのだ。


 いや、それどころではない。


 ハヌの小柄な体から徐々に、手に触れられるほど濃密な術力が漏れ出していた。それはさながらスミレ色のオーラとなり、彼女の全身を包むようにして量と輝きを増していく。


「のう、カレルよ。おぬしは言うたな。ここは【術力禁止空間】じゃと。いかなる術も使うことあたわぬと。であれば、この空間を維持しておるのは当然おぬしの術力であるまい。そうであろう?」


 ハヌの放つスミレ色のオーラはなおも増大し、やがては指先で受け止めているゼルダさんの直刺剣エストックにまで伝播し始めた。いや、むしろハヌの術力は最初から彼女の剣に影響を及ぼしていたのだろう。目に見えなかっただけで、ハヌの体内でその膨大なる術力は渦を巻いていた。だからこそ、素手でゼルダさんの切っ先を受け止めるなんて芸当ができたのだ。


「ならばの、これはおぬしの中にある〝神器〟とやらの仕業じゃ。あの面妖な代物のな」


 ハヌの言葉に、僕は深く得心する。なるほど、言われてみれば確かにそうだ。一切の術式を禁止するということは、カレルさんも内部に居る限り、この紅い氷で出来たドームを形作った術式とて消失して然るべきである。だが実際にはそうならず、それでもなおカレルさんはこの空間を維持する為、ああやって動けずにいる。


 つまり、この空間を発生させる為には〈ユグドラシル・フヴェルゲルミル〉なる術式が必要になるが、一度発動さえしてしまえば、維持するには神器の力さえあればいい、ということになる。


「じゃが――妾に言わせれば〝神の宝器ほうき〟などとは笑わせる。妾を誰と思うてか。たかだか人の手に余らぬものが、この妾に楯突けるとでも思うたか」


 言うまでもないことだが、ハヌが極東の現人神だったことをカレルさんは知らないはずだ。故に彼にとってはハヌの言い分は意味不明もいいところだろう。しかしもはや、ハヌにとってそのような些事は眼中にないらしい。


「どういったカラクリかは知らぬが、おぬしの用意したこの空間……これより妾が完全に粉砕してくれるわ……!」


 怨念すら籠もった声音で宣言した瞬間、ハヌの〝SEAL〟の輝きがさらに強まった。スミレ色のオーラがさらに増大し、勢いよく範囲を広げていく。至近にいたゼルダさんはもちろんのこと、少し離れた場所にいる僕やアシュリーさんまでもが膨張するオーラに呑み込まれた。


「――……!?」


 ハヌのフォトン・ブラッド色の煌めきに包まれた途端、全身に凄まじい重圧がのしかかった。息が詰まり、地面に両手をついて四つん這いになってしまう。


 そうか、ゼルダさんの突撃を止めていたのはハヌの体内の術力だけではない。まだ光を放つほど密度を上げてなかったハヌの術力が、きっと分厚い膜のように彼女の体を覆い、まるでクッションのようにゼルダさんの体を受け止め、遮っていたのだ。


 そう考えると、この空間は最初からハヌの術力をほとんど封印できてなかったと言っても過言ではない。あるいはそれは、ハヌの怒りの力に拠るものだったのかもしれないけれど。


「――くっ……!」


 カレルさんが苦しそうに顔を顰める。両手に握ったハルバードが大きく震え、手甲の中でガタガタと音を立て始めた。察するに、このドーム内の空間とカレルさんは、あのハルバードを介して同調リンクしているのだろう。


 ハヌの術力は、なおも天井知らずに膨張していく。なにせあの『恐怖の大王(メガセリオン)事件』の際には、何千人もの群衆をその術力で押さえ込み、一斉に口を閉ざさせた彼女である。ハヌの限界がどこにあるのかなんて、僕でさえ知らないのだ。


 もはや間欠泉のごとく術力を迸らせるハヌは、ゼルダさんの直刺剣エストックを止めていた手すら下ろしてしまう。だが、不思議なことにゼルダさんの体は硬直したまま身じろぎ一つしない。否、できないのだ。ハヌの濃密な術力に全身を覆われて、完全に封じ込められてしまっている。


 ハヌはとうとう体ごとカレルさんへ向き直った。


「ふん、カレルよ、この手応え……さてはおぬし、妾達をたばかったな?」


 くふ、と不敵に笑ったハヌは威風堂々と腕を組み、傲然と胸を張る。


「術力禁止空間じゃと? よくもそのような法螺が吹けたものじゃ。かように【こすい】手を使うのが騎士とやらの本道なのか? ヴィリーの女狐めの腹心も、どうやら大したことないようじゃの」


 嗜虐的に笑んだかと思えば、次の瞬間にはつまらなさそうに、ふん、と鼻息を鳴らす。


「この力が抜けていく感覚、おぬし神器とやらの力で妾達の術力を吸収し、それを大気なり地脈なりに放り出しておるな? 道理で妙に感覚が違ったわけじゃ。あの時は栓が詰まったように力を外に出せなんだが、今はいくらでも力が出せるからの」


 ルナティック・バベルの術力制限フィールドと、カレルさんの術力禁止空間。その相違を、感覚的にだがハヌは解説する。


「まぁよい。並の者であればこのような違いなどに意味はなかろう。力の弱い者にとっては結果は変わらぬ。力を封じられるか、奪われるか……どちらにせよ本領を発揮できぬという点では同じじゃからな」


 したり顔で語るハヌに、けれどカレルさんは返答しない。その余裕がないのだ。必死の形相で、掌の中で暴れ回るハルバードを押さえ込もうと腐心している。


「……ッ!」


「じゃが見誤ったのう、カレルよ。よもや妾の力がそこまで小さいと思うたか? 天や地に吸収させれば、この妾が大人しくなるとでも夢見たか?」


 煽るように問いかけるハヌは、さらに術力の密度を増大させる。その影響下にいる僕やアシュリーさん、ゼルダさんにはますます重圧がのしかかってくる。


『――……!!!』


 今やアシュリーさんもゼルダさんも剣を取り落とし、僕と同じように四つん這いになっていた。ハヌの術力が空気すら侵しているようで、呼吸すら苦しくなってくる。声も出せない。


 次の瞬間、カッ、とハヌの双眸からスミレ色の光が放たれた。


「――たわけが! たかだか〝世界〟程度の器で、この妾の力を受け止めきれると思うたか! 痴れ者が! 妾の力は天と地の理をも覆すものぞ! これしきで封じようなどと片腹痛いわ!」


 ごう、と颶風ぐふうが吹き荒れた。突如として発生した突風の発生源は、もちろん傲然と大言壮語してのけたハヌである。信じがたいことにハヌの術力はさらに勢いを増し、もはや疾風すら孕ませて荒れ狂った。無秩序に溢れるだけだったスミレ色のオーラはやがてベクトルを持ち、明確な『流れ』をもって渦を巻く。


 一瞬にして巨大な竜巻へと膨張したハヌのオーラは、あっという間に氷のドームを満たしてしまった。


「――くっ……!」


 短いが、悔しそうなカレルさんの声。彼の両手の中で、捕らえられた大蛇のごとく暴れていたハルバードが次の瞬間、とうとう抑えきれなくなって爆竹よろしく弾け飛んだ。


 同時、ドームの天井がガラスのごとく砕け散った。クリスタルグラスを叩き割ったかのような小気味よい音が響き渡る。


 内圧で破裂した氷のドームは連鎖的に崩壊し、ドミノ倒しか何かのように外側へ向かって散り散りに吹き飛んでいく。


 狭いところに押し込められていたハヌの術力は解放された途端、爆発する勢いでさらなる膨張を起こした。オーラが大きく広がり、豪風が吹き荒れ、周囲の廃墟が破砕される。


 だけど、それが最後だった。


 目的を果たしたハヌが気を抜いたのか、巨大な竜巻と化したスミレ色のオーラはそのまま蒼穹に向かって上昇していく。


 さながら昇り龍のごとく。


 そして、瞬時に何百メルトルも飛翔したかと思えば、唐突に芯を失ったかのごとく雲散霧消した。スミレ色の煌めきがキラキラと輝きながら、大気に溶けるようにして消えていく。


「…………」


 台風一過。


 まさにそうとしか言えない気分だった。


 ハヌの術力が天に昇ったことで重圧から解放された僕は、呆然と頭上を仰ぐ。


 空を舞うのは、砕かれた紅色の氷の欠片と、スミレ色の光輝。蒼穹を背景とした煌びやかな光景はいっそ幻想的で、ここが戦場であることを一時忘れさせる。


「――ふっ、ふはは、はははは、あーっはっはっはっはっ!!」


 そこに、ハヌの高笑いがこだました。圧倒的な術力の放出によって見事カレルさんが構築した〝氷の術力禁止空間〟を内側から破壊してのけたハヌは、勝ちどきとばかりに嬉しそうな笑い声を上げる。


「どーじゃカレルよ! 見たか妾の力! これに懲りたのならば――ん?」


 勝ち誇ったハヌが敗残者であるカレルさんに容赦の無い死体蹴りを入れようとしたところ、何か違和感を覚えたのか、眉を寄せて小さく呻いた。


 見ると、僕達用に用意した〝秘策〟である〈ユグドラシル・フヴェルゲルミル〉を破られたカレルさんは、しかし微笑を浮かべてこちらを見据えていた。いささかも狼狽えている様子はない。


「――なるほど、よくわかった」


 よく透る声で平静に告げたカレルさんは、ごく自然な動作で右腕を上げ、空に向かって掌を広げた。


 そこに狙い澄ましたかのごとく、先程弾け飛んだハルバードが落ちてきた。カレルさんは曲芸よろしくノールックで愛用の武器を掴み取り、手の中でクルクルと回転させながら背後に回し、ビシッと穂先を下にして止める。


「いいデータが取れた。感謝しよう、小竜姫、ベオウルフ。おかげで〝この手〟がベオウルフにはそれなりに有効で、小竜姫には無駄であることがわかった。一度の戦闘で得られる収穫としては充分だ。次の機会までには新たな別の手を用意しておこう。楽しみにしていてくれ」


「「…………」」


 あまりの言いように僕もハヌも無言。


 というか――うわぁ……あんなにものすごくいい笑顔しているカレルさん、初めて見たんだけど……!?


 そういえば、聞いたところによるとカレルさんには『氷槍』以外にも『氷の貴公子』なんて呼び名があるそうで――なるほど、そこにあるのはまさしく、いかにも貴族然とした爽やかな微笑みであった。


 かつてないほど上機嫌に見えたカレルさんは、しかし一瞬で意識を切り替え、表情を引き締めた。


「――ゼルダ、アシュリー! 目的は果たした! これ以上の戦闘は無益だ! 一時撤退する! 急げ!」


「「……了解!」」


 僕と同じく地面に這いつくばっていたゼルダさんとアシュリーさんが鋭く応答し、勢いよく身を起こした。取り落した武器を拾いつつ、バネのようにその場を飛び退いて僕達から離れる。一定の間合いが開くと蒼の制服を着た三人は揃って踵を返し、一目散に逃げ出した。


「……へ?」


 あまりにも鮮やかな手際に、我知らず間抜けな声が漏れ出ていた。


 まるで竹を割ったような切り替えの早さだった。そんなカレルさんの指示に忠実に従う〝カルテット・サード〟の二人もすごい。今の隙だらけの僕ならいくらでも攻撃できただろうに、一切の執着も見せずに彼女達は指令どおり素早く撤退に入ったのだ。


 信じられない。僕なら多分、一秒か二秒かは迷うだろうに。


 ――えっと……も、もしかしなくても……全部、カレルさんの掌の上だった……? まさか最初から破られること前提で……?


 一糸乱れぬ統制に心奪われた僕は、情けないことにカレルさん達三人の背中が見えなくなるまで呆然と見送ってしまった。


 気が付けば、周囲にいた他の人達の姿も見えなくなっていた。皆、僕とハヌが氷のドームに囚われている間にどこかへ逃げてしまったのだろう。小竜姫の極大術式に巻き込まれてはたまらない、と。


 静寂。


 いつの間にやら、さっきまでの喧騒が嘘だったかのように辺りは静かになっていた。聞こえるのは、廃墟の間を通り抜ける風の音だけ。


「――ラト」


「えっ?」


 そんな静けさの中、ハヌのぽつりとした声はとてもよく聞こえた。振り向くと、ハヌは両腕を組んで仁王立ちしたまま、得も言えぬ表情で僕を見つめている。


「……? ど、どうしたの、ハヌ?」


 様子がおかしい、とすぐにわかった。カレルさん、アシュリーさん、ゼルダさんはもういないし、危険はない。おそらくだけど僕ら『白』チームも、カレルさん達『黒』チームも今は散り散りになって、戦局はいったん落ち着いているはずだ。


 なのにハヌは肩に力を込めたまま、いかめしく立ち続けている。じっとカレルさん達が退却していった方角に体を向けたまま。いや、ちょっとプルプルと震えている……?


 彼女は次いで、囁くように言った。


「……ラト、近うよれ……」


「? う、うん……?」


 よくわからないけれど、その声には妙に緊迫感が含まれていた。何かのっぴきならない事態でも起こっているのかと思い、僕はハヌの言う通りにする。立ち上がり、仁王立ちしている彼女に歩み寄った。


 すると、


「……ふにゃぁ……」


「わっ……!? ハ、ハヌ……!?」


 僕が近付いた途端、ハヌの体がスライムのようにとろけた。だらーんと力を抜き、芯を失って僕の腰にしな垂れかかる。


「ど、どうしたの!?」


 僕は慌ててしゃがみこみ、崩れ落ちるハヌの体を抱き止めた。力を抜いて倒れ込んでいるせいか、ぐにゃーん、と掴み所がなくて若干受け止めにくい。猫みたいだ。


 どうにか片膝をついて左肩に顎を載せさせると、ハヌはさっきまでの威勢はどこへやら、打って変わって実にフニャフニャした声で、


「……ちと、ちからを、ひりだし、しゅぎた……わらわは、もう、うごけぬ……ちゅかれたのじゃ……」


「え、ええっ……!?」


 どうやらさっきまでの態度は全部虚勢だったらしい。つまり、カレルさんの術力禁止空間〈ユグドラシル・フヴェルゲルミル〉を破った時点で、ハヌの体力は限界を超えていたのだ。


 それもそのはず。そもそも術式用に加工もせず生の術力を無秩序に垂れ流すなんて、本来なら無益もいいところな行為なのだ。それをあんな大出力で行っておいて、ただで済むわけがない。


 でも、あのカレルさんの前でこんな隙だらけの格好を見せたら、いくら撤退の判断を下したからと言っても気が変わるかもしれない。だから、ハヌは彼らが姿を消すまで気張って仁王立ちを維持していたのだろう。


「あ、あんな無茶するから……あ、いや、でも……ありがとう。ハヌのおかげで助かったよ」


 無理な体勢にならないよういたわりつつ、腕を背中や膝の裏に回してお姫様だっこで抱き上げると、ハヌは身を丸めつつ、くふ、と笑った。


「……んむ。どうじゃラト、見ておったか?」


「え?」


 誇らしげな顔をするハヌに、何のことかと聞き返すと、


「確か……〝りべんじ〟、とかいうたか? ほれ、妾は見事それを果たしてみせたのじゃぞ?」


 指を三本立てて、僕の腕の中でむんっと胸を張る。指の本数が違うけど、どうやらVサインのつもりらしい。リベンジ含め、フリムあたりに教えてもらったのだろうか。


 だがここで誤りを指摘するのは愚策であると、僕は経験則で知っている。故に、僕はハヌが待ち望んでいるであろう言葉を模索して、口に出した。


「――うん、すごい、すごかったよ! 流石はハヌだね! これならもう、今度から術力制限フィールドが出て来ても全然大丈夫だね!」


 僕が褒め称えると、ハヌの顔がパァァァと明るくなった。まるで花の蕾が咲き開くかのように。無意識にだろう、両手をぐっと握り込み、


「そうであろう、そうであろう! うむうむ、任せよ! 次も同じように妾の力で何とかしてやるからの! もう二度とあの時と同じ轍は踏まぬ! またぞろ力を封じられようとも、また力尽くでこじ開けてくれるわ!」


 鼻高々と宣言するハヌは本当に嬉しそうで、何だか僕まで誇らしくなって、口元がほころんでしまう。


 ――いや、でも本当にすごかった……


 改めて先程の出来事を思い返し、僕はしみじみと感じ入る。


 いや、ハヌは本当にすごい女の子なのだ。元現人神とか、術力が強いとか、そういう話ではなく。


 かつての挫折を乗り越えるため、目の前の障害に真っ向から立ち向かい、それを全力で打ち砕く――そういう強い〝魂〟を持っていることが、ハヌのすごいところなのだ。


 もちろん、しでかしたことのスケールの大きさは余人などおよぶべくもないし、尋常でないのは確かなのだけど。


 でも、すごく強い力を持っているだけでなく、『そういう在り方』が出来るということ自体が本当にすごいことで、やはり僕はそんなハヌを心から尊敬してしまうのである。


 よって、僕は心の底からハヌを褒めそやすことができた。


「うん、よかったね、ハヌ。リベンジ達成おめでとう。すごく頑張ってたもんね。本当にすごいよ……本当にありがとう」


 遺跡レリクスの術力制限フィールドにも匹敵する、カレルさんの術力禁止空間こと〈ユグドラシル・フヴェルゲルミル〉。おそらくは彼の持つ神器〝生命ビビファイ〟の力を応用したオリジナル術式。


 思い返すだに恐ろしい戦術だった。少なくとも、僕一人だけだった間違いなく終わっていた。もしハヌが一緒にいなかったらと思うと寒気が走る。


 それをなまの術力を大量に放出し、飽和させて処理能力を破綻させ、内側から破壊するなんて。ハヌの力の底知れなさは相変わらずのまま、その深さがさらに増したように思える。


 ――でも、あれは完全に想定内って顔だった……


 カレルさんの爽やかな微笑が脳裏に浮かび、僕は静かにおののく。


 事前に用意されていた神器術式に、タイミングよく合流したアシュリーさんとゼルダさん。まるで――否、間違いなく普段から、ああいう段取りで僕達と戦う訓練をしていたに違いない。二人に対して、カレルさんから出る指令コマンドが少なかったのもそのせいだ。既に何度も練習している流れだから、敢えて何も言わずとも事が進んだのである。


 そして、ハヌの前代未聞のやり方で氷のドームが砕かれた後も、三人の反応は淡泊だった。流石にハヌがゼルダさんのエストックを指先一つで止めた時は驚いていたようだけど、あの術力禁止空間に関しては最初から『破られる前提』だったところがある。


 そう。何かしらの手段で対抗されると考えていたからこその、あの撤退の手際の良さなのだ。


 あまりにも冷静沈着すぎる。いや、怜悧狡猾れいりこうかつ、と言った方がいいかもしれない。怖いぐらい鋭利な判断力に、僕は戦慄を禁じ得ない。


 ――これがトップクラスタの一角、『蒼き紅炎の騎士団』幹部の実力……!


 直に対決して初めてわかった。カレルさん達の戦いに関するスタンス。


 そこには戦意とか敵意といった感情はなく、どこか機械のように正確で無慈悲な――そう、まるで【SBセキュリティ・ボットを相手に狩りをするかのような】――氷がごとき冷たさがあった。


 人間相手にそこまで冷徹になりきれるものなのか、と畏怖すら覚えてしまう。


「…………」


 と、いつの間にやらそんな風に沈思黙考していると、ふと腕に抱いたハヌが静かになっていることに気付いた。しかも、気のせいか少し体が震えている……?


「……えっ……? あ、あれ……? ど、どうしたの、ハヌ?」


 さっきまであんなに喜んでいたのに、と不思議に思って声をかけると、俯いて寒そうにしていたハヌが、すん、と鼻を鳴らした。


 ――え……?


 首を傾けて覗き込むと、そこには唇を引き締めて綺麗な金銀妖瞳ヘテロクロミアに大粒の涙を溜めている、ハヌの泣き顔があった。


「――っ……! ぅ……! ――っく……!」


 ――え、ええええええええ!? な、泣いてるっ!? な、なんで!? どうして!?


 さっきまであんなに大喜びしていたのに――と僕の頭は一気に錯乱状態へと叩き込まれた。


 今泣いたカラスがもう笑う――なんて言うけれど、これはその逆である。


 一体全体どういうわけなのか、僕にお姫様だっこされたままハヌは声を押し殺し、しゃっくりを我慢するように泣き続けていた。


「ど、どうしたのハヌっ? 何かあった? あ、もしかしてどこか痛いの!? ど、どこ!? 待ってて、今すぐ〈ヒール〉を――」


「…………」


 慌てて〝SEAL〟を励起させて治癒術式を発動させようとした僕に、ハヌはポロポロと涙を流しながら首を横に振った。


 違う、そうではない――そんな声が聞こえた気がする。


 ハヌの両手が僕の胸元に当てられ、小さな掌が、ぎゅっ、と服を掴む。


「――っ……ら、と……! わらわ、は……!」


 悲しみなのか喜びなのか、どちらかわからないけれど、とにかく感情が昂ぶりすぎて言葉にならないらしい。泣いているから、そのせいで喉が潰れているというのもあるだろう。


「わ、らわ、は……――~っ……!」


 ハヌは僕に何かを伝えようとしている。でも様子を見るに、それが一体何なのかはすぐには語れそうにない。


「え、ええっと……」


 とにもかくにもハヌを落ち着かせねば。そう思った僕は、腕に力を込めてハヌとの密着度を増やし、彼女のほっぺたに自分の頬をくっつけた。僕の感情が乱れた時、いつもハヌがしてくれるように。


 そうして、出来るだけ優しい声で問いかける。


「――本当に大丈夫なの? 怪我はなくて、どこも痛くはないんだね?」


「……っ……!」


 固く目を閉じ、泣きながら体を震わせるハヌは、うんうん、と肯定の頷きを返してくれる。


 よかった。ともかく緊急事態でないことは確かなようだ。僕は内心、ほっと胸をなで下ろす。


「……じゃあ、ひとまず移動しちゃうね、ハヌ? ないとは思うけど、またカレルさん達が戻ってきたり、他の『黒』チームの人に見つかったら大変だから……」


「――っ……! ひっ……く……っ……!」


 おこりのように泣き震えるハヌは、僕の問いかけに再びコクコクと頷いた。それどころか、僕の胸に顔を埋めて『うぅ~……!』と本気泣きモードに入ってしまう。本当にどうしてしまったのだろうか。こんな風にまともに喋れないほど泣きじゃくるハヌを見のは初めてかもしれない。


 情緒不安定なハヌには時間薬が有効だろうと考え、僕は支援術式〈カメレオンカモフラージュ〉、〈アコースティックキャンセラ〉、〈タイムズフレグランス〉を発動させる。


 今度こそ邪魔は入らなかった。


 いきなり声をかけられることもなく、術力を封印されることもなく。隠蔽術式で気配を消した僕は、ハヌをだっこしたまま廃墟の街中を移動した。


 一時的に身を隠せる場所を求めて。









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― 新着の感想 ―
[一言] はぁー……やっぱり何度も何度も思う事だけど、神器反則くせぇ…… 今さらだけど、サーカスの時の掠め取られた感がやっぱり気になってくる……
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