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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第一章 支援術式が得意なんですけど、やっぱりパーティーには入れてもらえないでしょうか

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●12 一人ぼっちの頂上決戦



 踏み出した一歩目で大気の壁をぶち抜いて音速を超えた。


 目に見えない階段を駆け上りながらヴェイパーコーンを発生させ、それすら振りほどいて翔ける。


 いきなり爆発した衝撃波に周囲の人達が吹き飛ぶのすら無視して、僕は空中を全速力でひた走った。


 主観的に間延びした時間の中、既にヘラクレスの剣はピークを越えて振り下ろされている。


 体のあちこちからヴェイパートレイルをたなびかせ、足を進めるたびに現れる薄紫の力場を蹴って、出入り口のバリアーを通り抜ける。大きな蜘蛛の巣を突き破ったみたいな感覚を越えて、セキュリティルームの内部へ。


 ハヌの元へ!


 高速過ぎて極端に狭まった視界の中、ハヌの姿だけを中心に捉え続け、ヘラクレスの刃が届くより速く両者の間に滑り込んだ。


 右手で背中の黒帝鋼玄、左手で腰の白帝銀虎を抜刀。漆黒と純白の刀身を交差させながらヘラクレスの剣にぶつけるように斜め上へ押し上げる。


 支援術式〈プロテクション〉は本人及び装備している物の頑丈さも強化してくれる。祖父が遺してくれたこの業物ならば、いくら奴の剣が鋭くとも――!


 激突。


 いくつもの火花がゆっくりと咲いていく。両腕と両肩に、落ちてくる岩石を受け止めたかのような重い手応え。白と黒の刀身がたわみ、微細に振動する。


 やらせるものか。押し負けるわけにはいかないのだ。ここでハヌを救えなかったら、僕は死んでも死にきれない――!


「う――ぉおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」


 雄叫びを上げて自らを鼓舞すると、僕は全身全霊をかけ、力尽くでヘラクレスの剣を押し返した。


 ガギィン! と交差していた黒玄と白虎の刀身がすれ違い、僕はそれぞれの刃を振り切った。


 身体強化の支援術式で、まさしく一騎当千の力を得たおかげだろう。


 振り下ろしの一撃を猛然と弾き返されたヘラクレスの上半身が泳ぎ、大きくよろめく。否、それだけではない。足裏が床から離れ、ふわり、と巨体が宙に浮いた。勢いそのまま、後方――僕から見て前方――へと吹き飛んでいく。


 その瞬間だった。


 バヅン! という音が耳の奥で弾けた直後、僕にかかっていた支援術式が突如、一斉に解除された。


「――!」


 もはや慣れたものだった。昨日までの二日間で何度も経験した感覚変化に、僕は反射で対応した。力が流れる向きに逆らわず、その場でバック転をするようにひっくり返り、体前面から床に、ビタン! とカエルみたいに叩き付けられる。


 うん、わかっている。我ながら相当かっこ悪いことは。けれど、受け身はしっかりとれたからダメージはほとんど無い。ちょっとは痛かったけど。


「――あいたたた……」


 白虎を持つ左手で顔を押さえながら、体を起こす。


 今の急激な術式解除は、おそらくABSオートブレイクシステムの仕業に違いない。いまや人類の肉体と一つになった《SEAL》には、防衛本能にも似たシステムがいくつか継承されている。その一つがABSだ。


 掻い摘んで簡単に言ってしまうと、《SEAL》が状況に応じて『肉体が危険な状態』と判断した場合、勝手に実行中のプロセスを強制終了させてしまうのだ。


 こればっかりは本能的なものなので、なかなかコントロールが難しい。体と同様《SEAL》にも『これは危険ではない』ということを慣れさせ、憶えさせていくしかないのだ。


 今のは多分、急激すぎる機動のせいでフォトン・ブラッドの流れが偏り、失神(G・LOC)する危険性があったからだと思う。実際、頭が少しクラクラして、視界が白やら黒やらでチカチカしていた。というか、今、僕はどうやってここまで来たんだっけ? 何だかとんでもない無茶をしでかした気がするのだけど――


 いきなり前方でものすごい音が響いた。まるで、とんでもない重量の物を地面に落としたような轟音だ。見ると、セキュリティルームの端の方でヘラクレスが仰向けに転がっていた。


「……あ」


 それで思い出す。そうだ、僕は身体強化を全開で発動させ、ここまで走ってきてアイツを吹っ飛ばしたのだ――と。


「……ラ、ト……?」


 背後から、掠れた細い声が聞こえてきた。


 膝立ちのまま振り返ると、そこには驚きに見開かれた蒼と金の瞳。


 ハヌが、涙に濡れた双眸で僕を見つめ、可憐な唇をわなわなと震わせていた。


 胸がぐんと熱くなる。


「ハヌ……!」


 助けに来たよ、そう言おうとして言葉にならなかった。僕も両眼に涙を浮かべ、ただ名前を呼ぶ。


「ハヌっ……!」


「――ラトぉ……!」


 ハヌが立ち上がり、僕に向かって駆け出した。


 泣きながら駆け寄ってくる彼女を、僕は両手を広げ、胸の中に受け止め




「このばかものがぁああああああ――――――――――ッッッ!!!」




 ばちこーん! と左頬に凄まじい衝撃が発生した。


「はぶァっ!?」


 首を根こそぎ持って行かれるかと思うほどの一撃に、僕は目を白黒させる。


 えっ? あれ? ビ、ビンタされた? しかも助走つきで?


「!? ? !?」


 顔の向きを戻すと、腕を振り切った体勢のハヌが息を切らせながら柳眉を逆立て、僕を睨んでいた。それでもなお両眼からは、ぼろぼろぼろぼろ、と涙の粒がこぼれている。


「ラトぉ……!」


 ギラン、とヘテロクロミアが鋭く尖った。


 一発では飽き足らなかったのか、ハヌは何度も何度も僕を叩き始めた。


「この――ばかものが! ばかものが! ばかものが!」


「ちょ、えっ!? あだっ!? いたっ、痛い! 痛いよ!? ええええええええっ!?」


 腕で頭を庇うけどそれなりに痛い。どう考えても、冗談でも何でもなく、本気で殴ってきているのだ。


「あ、あのハヌ!? ハヌさん!? ちょあの本気でいた、痛い! 痛いです!」


「黙ればかもの! 来るのが遅すぎるわ! 何をしておったのじゃ! 妾が……妾がどれだけ待っておったと思っておるんじゃ!」


 右手、左手と休むことなく僕を叩き続けるハヌ。怒れる彼女に対して、僕は必死に抗弁するしかない。


「ご、ごめん! ごめんなさい! 僕が全面的に悪いです! あのあのでもでも、今はちょっとそれどころじゃないっていうか、まだ敵が――」


 吹っ飛ばして倒れさせたとはいえ、まだ撃破したわけではない。いつヘラクレスが立ち上がって、こちらに攻撃してくるかわからないのだ。こんな問答をしている場合ではないのだけど――


 そんな心配をする僕に、ハヌが爆発した。


「やかましいわぁ――――ッ! 大体、ラトはいつもそうじゃ! 妾が大事な話をしておるというのに、いつもいつも《それどころじゃない》だの《後にしてくれ》だの! 妾を何じゃと思うとる! 勘違いをするな! 話し合いをしようというのではない! 妾は怒っておるんじゃあ――――――――ッッ!!」


 怖い。本気で怖い。金目銀目の奥で燃える怒りの炎が、今にも僕を焼き払ってしまいそうだった。


「ご、ごめん、ごめんね、ハ、ハヌのお怒りはごもっともなんだけど、あの、でも、」


「さあ早う質問に答えよ! おぬし、これまで何をしておった! 妾が一体どれほど待ったと思っておる!」


 僕の言葉を遮り、ハヌが殴るのをやめて、ずびし、と人差し指をこちらへ向ける。


 えーと、なんだこれ? どうしてこんな事になってるの? こんな事していていいのか僕?


「あ……えと、その……み、三日、ぐらい……? あいたっ」


 適当に答えたら、また頭を叩かれた。


「三日も、じゃ! イチニチセンシュウの想いだったのじゃぞ! この妾の気持ちがわかるか!? ずっとおぬしが、ラトが来るのを待っていた妾の気持ちが! それを三日も待たせおって……! これだからおぬしは……! 本当におぬしは……!」


 ぶるぶるとハヌの小柄な体が、怒りに震える。


 また殴られる――そう思って反射的に身を固めた僕の胸に、ぽす、とハヌが顔を埋めた。


「……え……?」


 いつの間にか閉じていた目を開け、僕は銀髪のつむじを真上から見下ろした。


 僕の服を両手で掴んで、額を胸に押し付けたハヌは、生まれたての子鹿のように震えていた。


 そして、僕にしか聞こえないぐらい小さな――そう、〈エア・レンズ〉のマイクでは拾えないほど本当に小さな声が、微かに耳に届いた。




「……よう……きてくれた……!」




「……!」


 心臓が溶けて無くなってしまいそうなほど、胸骨の内部が熱くなった。


 ハヌは僕にしがみついたまま、声を殺して泣き出した。ひうっ、ひうっ、と嗚咽がいくつも漏れる。何度も鼻を啜る音が聞こえる。体の震えは止まることなく、小さな背中がしゃっくりを繰り返す。


 怖かったはずだ。辛かったはずだ。僕が手を離したせいで、たった一人ぼっちで。それでも僕を待っていてくれて。ましてや、こんな所にまで連れて来られて、危ない目にまであって。


 そうだ。


 本気で怒って、泣いて、殴るぐらい――ハヌは僕を待っていてくれたのだ。


 必ず迎えに来ると、僕を信じてくれていたのだ。


「……ごめん、ごめんね、ハヌ……!」


 震えるか細い身体を、両腕でぎゅっと抱き締める。肩に顎を載せて、頬を寄せる。いつしか、僕の体も感情の奔流に震えだしていた。


「――本当にごめん……! ごめんなさい……!」


 熱い涙が、自然と頬を流れていた。


 僕は大馬鹿野郎だ。どうしてこの子の手を離した? この女の子は、こんなにも小さかったのに。こんなにも儚かったのに。


 全部、自分の勝手な思い込みだった。何もかも、自分の都合でしかなかった。僕はただ、我が身が可愛かっただけだ。


 僕はハヌのことを思っているつもりで、その実、これっぽっちもこの子のことを考えちゃいなかったのだ。


 救いようのない愚か者だった。


「……でも、もう大丈夫だよ……」


 ハヌがこんなにも怯えている。これは僕の罪だ。罪は償わなければならない。


 僕はさっき、なんて馬鹿なことを考えていたのだろうか。


 どうせ死ぬならハヌの傍がいい?


 ふざけるな。


 守る。


 絶対に、守ってみせる。


 この子だけは何があろうと、他の何を犠牲にしても、必ず守り抜いてみせる――!


 ハヌの頭を撫でて、僕はゆっくりと立ち上がった。


 涙に濡れた顔で見上げてくるハヌに、僕はいっそ自然なほど柔らかく微笑み、囁く。


「僕が君を守るから」


「――――」


 ハヌの顔が、呆気にとられたものに変わった。とても信じられないものを見た――そんな表情だった。


 この子が安心するなら、何でもするし、何でも言える気がした。だから僕はこう言った。


「大丈夫だよ、ハヌ。安心して。君が言った通りだから」


 適当な嘘を、けれど真実にするために。自分に言い聞かせるために、僕はその言葉を口にする。




「僕は三ミニトの間だけなら、世界最強の剣士だ」




 背後でヘラクレスが動き出す気配を感じて、僕は振り返った。


 巨大な英雄は上体を起こし、ゆっくりだけど、床に手を突いて立ち上がろうとしていた。


 その周辺には誰もいない。ダインも他の『スーパーノヴァ』のメンバーも、これ幸いと遠くへ逃げて、ヘラクレスの様子を窺っているのがあちらこちらに見えた。正直、彼らにも思うところや言いたいこともあったけれど、今はそれどころではない。


 むしろ、ヘラクレスの近くに誰もいないのは僥倖だった。手加減や躊躇をしていて勝てる相手じゃないのはわかっている。空間を目一杯使って、思いっきり戦える方が余程ありがたかった。


「……ラト」


 背後からハヌに呼び掛けられて、僕は肩越しに振り向いた。


 すると、現人神の少女はこちらを見ながら、どこか満足そうに笑っていた。


 すん、と鼻を鳴らしてハヌは言う。いつも通り堂々と、それでいて、妙に誇らしげに。


「もう三日も待たされたのじゃ。あともう少しなら、待ってやってもよい。じゃから……さっさと片付けてこい」


 くふ、と笑って、ハヌは僕の背中をぽんと叩いた。


 僕も、あは、と笑って頷く。


「うん、わかった。ちょっと待ってて」


 我ながら、朝食のパンでも買いに行くような感じだな、とか思いつつ、ヘラクレスに視線を戻す。


 奴はもう立ち上がり、こちらを見据えていた。右手に剣、左手に盾。


 僕も目元の涙を拭い、足元に転がしておいた黒玄と白虎を拾い上げ、構える。


『UUUUWWWWWWOOOOOOO――!!』


 雄叫びを上げ、ヘラクレスが駆け出した。


「――ッ!」


 歯を食いしばる。もはや退路はない。ここから後ろは、ハヌのいる絶対領域だ。搦め手も作戦もない。


 真っ向勝負だった。


「……すぅー……」


 深呼吸をする。ハヌに殴られた左の頬がじんじんと熱い。それは、三日ぶりにあの子と触れ合った証だった。今は、それがとても嬉しい。紅葉のように赤く腫れているだろうけど、僕にとってはどんな勲章よりも誇らしいものだから。


 だからこそ、守りきってみせる。


 僕は口元に笑みを刻む。戦意は充分だ。体に漲る感情に、怯えや恐怖はない。


《ぼっちハンサー》はずっと一人で戦ってきた。けれど今は、後ろに友達がいる。僕を見ていてくれる。


 これほど心強いものはない。


 黒玄と白虎の切っ先を向けて、僕は叫ぶ。


「さぁ来い! 三ミニト以内に片付けてやる!」


 この瞬間、戦いの幕が切って落とされたのだった。




 ――とか何とか言いつつ、やはり僕はエンハンサーだ。


 真っ当な剣士や戦士と違って、エンハンサーにはエンハンサーなりの戦い方というものがある。


 僕は床を蹴り、ヘラクレスに向かって走り出しながら術式を起動。


 現在、僕が同時に使用できるスロットは五つ増えて、十五。これ以上はまだ訓練が必要だから、今はこれで凌ぐしかない。


 支援術式〈イーグルアイ〉×7。


 支援術式〈リキッドパペット〉×7。


 体の至る所で紫紺のアイコンが生まれては弾け、術式が発動する。


 小さな鳥が七匹、アイコンから生まれ一斉に飛び立った。それぞれの俯瞰視覚情報が、順次僕の《SEAL》へと送られてくる。


 次いで、流体で作られた僕の分身が七体、周囲に誕生する。


 光学的幻術である〈ミラージュシェイド〉と違い、〈リキッドパペット〉は体温と同じ温度の水で形作れた、実体型の分身だ。操作と制御は難しいが、よほど強力な攻撃でも喰らわない限り制限時間が切れるまで効果が続く、高度な囮術式である。


 僕は七匹の〈イーグルアイ〉と七体の〈リキッドパペット〉に適当なアルゴリズムを突っ込み、自動化した。各々が対となり、〈イーグルアイ〉が得た視覚情報を〈リキッドパペット〉にフィードバック。情報を得た〈リキッドパペット〉がそれを以て動き方を決めるよう定めたのだ。


 こうして僕は八人に分身した。


『WWWWOOOOOOOOO――!』


 地響きを鳴らして迫るヘラクレスを前に、『僕達』は散開。文字通り八方へ散っていく。


『WOOO……?』


 狙い通り、ヘラクレスの照準がぶれた。奴の視線が何人もいる僕の間を行き来する。


 そのまま囮の〈リキッドパペット〉達に攪乱を任せ、僕自身は身体強化の〈ラピッド〉〈ストレングス〉〈プロテクション〉を三回重ね掛け、合わせて〈シリーウォーク〉を発動。


 八倍の力を得て、僕は宙を駆け上る。


「づぁああああああああっ!」


 風のように接敵。奴の死角から飛び込んで、あらぬ方向を見ている頭部に向かって上昇、間合いに入ったところで黒玄と白虎を振り下ろした。


 ガギン! と硬い手応え。マンティコアを一撃で屠った斬撃は、しかし奴の髪の毛一本切ることも出来ずに跳ね返される。


 やはり硬い。生半可な攻撃じゃ全然意味が無い。


『WOOO!』


 頭に攻撃を入れられてようやく僕の存在に気付いたヘラクレスが、ぐりん、とこちらを視界に捉えて、剣を斬り上げた。


「ッ!」


 僕は咄嗟に身体強化のギアを一段階上げ、大気を蹴って回避行動をとった。真下から跳ね上がってきた獰猛な刃を横っ飛びで躱す。


 斬撃が空恐ろしい風切り音を纏わせてさっきまでいた空間を通り過ぎていく。その迫力に肝を冷やした僕は、白虎を鞘に収めつつ一時後退した。


 必ず三ミニト以内にこいつを倒す。けれど近接戦闘中にABSでプロセスが強制解除されたら、その瞬間に終わりだ。少しずつ段階を踏んで、身体強化のレベルを上げていかなければならない。


 だけど、今の状態で奴の攻撃を受けたら、さっきの『スーパーノヴァ』のメンバーのように一刀両断だ。ならば――まだ上手く扱えないだろうけど、やるしかない。


 僕は空中に立ったまま両手で黒玄を握り、頭上に高く掲げ、【それ】に必要なキーワードを放った。


「――黒帝鋼玄、モードチェンジ! モード〈大断刀〉!」


 ヴンッ、と黒玄が震えた。瞬間、黒玄自体が内部機能として持っているGPギンヌンガガップ・プロトコルが起動、【データ化して格納していた追加強化パーツを具現化していく】。


『WWWWWWOOOOOO!!』


 その一方では、ヘラクレスが僕の分身を相手に剣を振り回していた。奴の周囲にまとわりつく〈リキッドパペット〉は、流体であるため斬られてもすぐに再生し、何事も無かったように動きを再開する。


『WOOOOOOOOOO!』


 斬ってはすぐ元通りになる七人の『僕』を、ヘラクレスは狂ったように切り刻み続ける。このゲートキーパー、もしかしたら破格の攻撃力と防御力のかわりに、アルゴリズムはひどく単純なものなのかもしれない。例えば――侵入者が動かなくなるまで攻撃しろ、とか。これなら戦闘の序盤、『スーパーノヴァ』達が攻撃するまで動かなかった理由も合点がいく。


 奴がそうやって偽物と戦っている内に、黒帝鋼玄のモードチェンジが完成する。


 いまや僕の手に握られているのは、柄部分が一メルトル、刀身が二メルトルにも及ぶ大型武器だった。元の黒玄の全長は二メルトルなので、長さは一・五倍。刀身の太さや厚みなどは三倍にまで膨れ上がり、全体は巨大な鉈のようなシルエットへ変化していた。


 これがモード〈大断刀〉――祖父の形見、黒帝鋼玄に秘められた力の一つ。その名の通り、あらゆる物を力尽くで断ち切るための形状である。


 身体強化のギアを上げ、強化係数を三二倍に。僕にこの〈大断刀〉を操る技術はないが、筋力だけなら充分に用意できる。


「はぁあああああああああぁっ!」


 僕は〈大断刀〉を構えると、再びヘラクレスに向かって空中を疾走した。彼我の距離を一瞬で潰し、囮に夢中になっているゲートキーパーの背中へ、大きく振りかぶった一撃を叩き込む。


「――ぐうっ……!?」


 しかし掌に返ってくる強烈な衝撃。鋼鉄の塊を殴ったような反動に、腕が痺れる。


 ――まだか……! まだ攻撃が通らないのか!?


『WWWWWOOOOOOOOOO!』


 ヘラクレスの反撃。右から水平に迫る――敏速性も三二倍になっているはずなのに速いと感じる――巨剣に、避けられないと判断した僕は、咄嗟に〈大断刀〉を打ち合わせた。


 刹那、目の前が真っ白に爆発した。それほどの衝撃を感じた。


「――ぐぁっ……!?」


 視界が明瞭になったかと思った瞬間、凄まじい衝撃が僕の全身を貫いた。


「……なっ……!?」


 気が付いたら、ヘラクレスが遠く離れた場所にいた。わけが分からない。ふと、背中に硬い感触。何かと思えば、それはセキュリティルームの壁だった。


 ここでようやく気付いた。ただ一発の攻撃で部屋の端まで吹っ飛ばされ、自分は背中から壁に激突したのだ、と。


「……がはっ……!」


 ダメージを認識した瞬間、思い出したように肺と胃の腑が、ぐるり、と痙攣した。


「おぇっ――!」


 込み上げてくる吐き気を堪えられず、僕は空中の壁際に立ったまま吐血した。ディープパープルのフォトン・ブラッドを、ジョッキ一杯分ぐらい嘔吐する。びちゃびちゃと紫紺の液体が床に跳ね、汚い模様を描いた。


 堪らず〈シリーウォーク〉を解いて床に降り立った。涙目で回復術式〈ヒール〉を発動させる。


「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 こんなに血を吐いたのは初めてだった。自分の内部から、こんな大量の液体が出てくるとは夢にも思わなかった。


 口元の汚れを拭いながら、囮の〈リキッドパペット〉を相手に暴れるヘラクレスを見据える。


 強い。強すぎる。いくら僕が脆弱だとしても、身体強化で能力を三二倍にまで上げているのだ。だというのに、このダメージである。忘れているはずの恐怖を思い出してしまいそうだった。


「――お、おいお前! な、なにしてんだ! 死ぬぞ!」


 出し抜けに横合いから声がかかった。


 うるさい誰だ、邪魔をするな――戦闘モードの僕はそいつをうざったく思う。目だけを動かして一瞥をくれると、そいつは誰あろう、あのダインだった。


 ついさっき地獄に堕ちても文句が言えないことをやってのけた男は、僕を指差し、何故か偉そうにこんなことを言った。


「バ、バカかお前は! 死ぬぞ! か、勝てるわけがないだろ! 意味ねえだろ、こんなとこまで来やがって! 何考えてんだ! こ、これだから《ぼっちハンサー》はよぉ!」


 ゴミだと思った。


 こんな時に言うべき言葉が、そんなものなのか。


 心の底から、こんな奴どうでもいいと思った。


 だから僕は【そういう目】で奴を見てから、無言で視線を外した。


 こんな奴の相手をしている暇なんかない。今は生きるか死ぬかの瀬戸際だ。そういう『シンプル・イズ・ベスト』なのだ。


「〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉……」


 スロットに攻撃術式を装填しながら、同時に空きスロットで支援術式も発動。身体強化を重ね掛け、強化係数を六四倍に。今回は〈フォースブースト〉×10も追加。僕の術力は並のエクスプローラーの百分の一程度だから、これでようやくその一〇倍ぐらいだ。


「〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉」


 床を蹴って走り出す。


 走りながら、もう一度身体強化。強化係数を一二八倍に。


「〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉――!」


 加速。〈大断刀〉を両手で振りかぶり、さらに身体強化。強化係数を二五六倍に。なおも加速。


 加速して、加速して、加速。


「 お お お お お お お お お お お ッ !」


 自分の声さえ置き去りにしながら僕はヘラクレスめがけて疾駆。


 振り上げた〈大断刀〉に攻撃術式〈ボルトステーク〉×10を装填。漆黒の刃紋に雷針のアイコンを並べ、まさしく迅雷が如き速度で奴の足元へ食らいついた。


「――ッ!」


 ヘラクレスの右足、その臑へ〈大断刀〉を袈裟斬りに振り下ろす。直撃する刹那、十個の〈ボルトステーク〉を同時に発動。


 雷霆よろしくぶち込んだ。


『――WWWWWOOOOOO!?』


 眩い閃光が炸裂し、奴の口から悲鳴の響きが迸る。


 やった。今度こそ僕の攻撃はヘラクレスの装甲を破り、右足を打ち砕いた。落雷の直撃を受けて爆ぜ割れる巨木のように、ヘラクレスの足が――


 否、砕いたと思った臑が、何故か時間を巻き戻すかのように再生していく。


「――なっ……!?」


『UUUUUURRRRRRROOOOOO!!』


 悲鳴が力強い咆吼へと変化した。確かに破壊したはずの足がしかし、しっかりと床を踏みしめ――ヘラクレスが剣の切っ先を僕に向ける。


 ――なんだこれ……!?


 頭上からすくい上げるような斬撃が来た。ゴルフのスイングのように、半円を描いて僕を斬る軌道だ。


 今の強化係数ならさほど速いとは思わなかった。けれど〈大断刀〉を振り切った体勢の僕には即座の対応が出来ず、止む得ず防御を選択するしかなかった。


〈スキュータム〉をフルスロットで発動。十五枚の術式シールドを――足の裏に!


『WOOOO!』


 迫り来る縦の刃へ向けて、右足の裏に展開する重層術式シールドを蹴り込むように叩き込んだ。


 激突する。


「――~ッ!?」


 そら恐ろしいことに、十五枚中の十枚までもが一気に切り裂かれた。十一枚目でようやく切断の威力を殺しきり、術式シールドががっちりと刃を挟み込む。


 けれど勢いだけは止められず、僕は半弧を描く剣に乗る形で真上へ跳ね上げられてしまった。


 天井に向かって猛スピードで吹っ飛ばされる。


 瞬間、これは好機だ、と判断した。


 空中で姿勢を制御して、天井に【着地】する体勢に入る。


「〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉――」


 そうしながら早口で攻撃術式を装填していく。


 コンバットブーツの爪先が天井に触れ、着地。僕は膝を曲げながら衝突の勢いを殺し、逆に力を溜めていく。


 天地が逆転した視界の中、僕にとって【真上】にいるヘラクレスのつむじを睨む。


 先程の再生能力――あれはおそらく、ルナティック・バベルの外壁が持っているのと同じ《自己修復》機能に違いない。きっと生半可な攻撃では奴を撃破することは出来ないのだ。


 ならば、急所を一気に破壊し尽くすしかない――!


「――〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉!」


 合計十個の〈フレイボム〉同時起爆。例え制限フィールドで術力が弱まっていようと、一〇二四倍の爆発力ならば。


 下半身に蓄積した力と反動を合わせて、僕は天井を蹴った。


 床へ向かって、そしてヘラクレスへ向かって、稲妻の如く【跳躍する】。


「――ぁあああああああああああッ!!」


 奴にしてみれば、僕が跳弾のように天井から戻ってきたように感じられただろう。


 空中で身を丸めて回転して、遠心力を味方にする。勢いそのままヘラクレスの頭頂めがけて〈大断刀〉を叩き付けた。


 ガン! と確かな手応えを得た瞬間、剣に籠めた術式全てを一気に発動。


『WO――!?』


 爆裂した。


 爆発音はあまりにも大きすぎて、僕には『音』として認識できなかった。ただ衝撃で全身がビリビリと震え、爆風で弾き飛ばされる。


〈フレイボム〉の威力増加は、爆撃範囲だけはそのままに中心部の破壊力だけが増す。つまりは高圧縮の爆発だ。これだけの威力なら、今度こそきっと――!


 そう思いながら――ある意味、一縷の望みだったと言っても過言ではない――床に着地した僕の目に、信じがたい光景が映った。


 僕の十連〈フレイボム〉は、ヘラクレスの肩から上を全て爆ぜさせていた。むしろ胸の中程までを抉り、それが人間であれば即死級の結果を生んでいた。


 【しかし】。


 再生、していく。時間が巻戻るように、奴を構成する金属がウネウネと動き、失った部位を修復していく。


「……!」


 失望感が視野を黒く塗りつぶしていくようだった。今ので駄目なら、一体どうすればいいんだ? 十五連〈フレイボム〉か? いや、違う、そもそもそういう問題なのか? 僕は何か見落としてないか?


 めまぐるしく頭を回転させる僕の耳に、ひどく不吉な電子音が届いた。しかも、ヘラクレスのいる方角から。


『POWER UP』


 違う、電子音ではないし、いつもの『WWWWOOOOOO』という単純かつ野蛮なものではなかった。それは確かに、意味のある『言葉』だったのだ。


 心臓が鷲掴みにされたかと思うほどの戦慄が走った。


『SPEED UP』


 ――まさか。


『DEFENSE UP』


 ――まさか、まさか、まさか。


『ARMS EXPANSION』


 ついに完全再生されたヘラクレスの貌、その両眼から突然、青白い光が放たれた。そして、褐色の肌の上を走る、同じ色の【幾何学模様】。


 ――そんな、馬鹿な。有り得ない。こんなの、絶対におかしい。


 この二〇〇層のゲートキーパーを設定した古代人は、間違いない、絶対に悪魔だ。


 【ゲートキーパーが、術式を使うだなんて】――!


『UUUUURRRRWWWWOOOOOOOOO!!』


 ヘラクレスが野太い雄叫びを放ち、その胸の中央に、図体からすれば非常に小さなアイコンが連続して現れた。


 アイコンが弾け飛び、奴の金属的な肉体が変質していく。


 我が目を疑いたかった。けれど、目に映るものは現実でしかなかった。


 ヘラクレスの両肩、そして両の脇腹が、ぼこり、と盛り上がった。かと思った瞬間、そこから飛び出すように【新しい腕が生えた】。


 ほんの一刹那で、奴は人間の英雄から六本腕の怪物へと変化したのである。


 それぞれの手に、斧、槍、棍棒、ブラスナックルが具現化され、握られる。さらには、元々持っていた盾の表面にまで棘が生えるおまけ付きだ。


「…………」


 足元の影から闇色の手が幾本も伸びてきて、体にまとわりついてくるイメージ。どろりとしたコールタールのようなものが、胸の内に溜まっていく感覚。


 これがきっと、掛け値なしの絶望、というものなのだろう。目を開けていてなお、目の前が真っ暗になるとは思わなかった。


「……――ッ!」


 けれど、僕は歯を食いしばり、〈大断刀〉の柄を強く強く握り込んだ。


 今ここで、僕に絶望する資格なんて、諦める権利なんて、これっぽっちも無い。僕が負けたらハヌも殺される。それだけは――それだけは、何があろうと絶対にあってはいけないんだ!


《SEAL》の体内時計を確認すると、戦闘開始から既に三〇セカドが過ぎていた。


 支援術式の有効時間、あと一五〇セカド。


 僕は不屈の闘志を燃やす。最後の最後まで、絶対に諦めない。諦めてたまるものか。


 支援術式を発動させ、身体強化のギアをさらに一段階上げた。強化係数、五一二倍。おそらくこれが、今の僕が安定して使える最大の強化係数。この二日間の特訓で、ここまでは確認していた。


「――でやぁあああああああああッ!」


 心にまとわりつく絶望を払いのけるように叫び、僕は再び走り出す。


 勝つしかないのだ。ハヌと一緒に生き残るためには。




 それから何合も何合も、剣を打ち交えた。


 僕は〈リキッドパペット〉を囮に使い、〈シリーウォーク〉で空を駆け、〈スキュータム〉で絶え間なく降り注ぐ攻撃を防ぎ、〈大断刀〉で奴を幾度も斬りつけた。


 術式らしきものを使用したヘラクレスは、やはりその音声から察するとおり、能力が強化されていた。


 おそらくは、この状態こそが奴の『本気』だったのだろう。


 力は強く、動きは速く、装甲は硬く――何より、圧倒的に増えた手数がどうしようもなく厄介だった。


 奴の強化係数がどれほどのものかはわからないが、なにせ元々の性能が段違いだ。僕は五〇〇倍以上もの強化をしているというのに、どうしても奴を大きく上回ることが出来ない。


 戦闘は拮抗状態に陥り、僕は極限状態を維持したまま、必死に戦い続けた。


 六本の腕から放たれる種々様々な攻撃をかいくぐり、囮の〈リキッドパペット〉に引っかかった隙を衝いて、奴の首を、胸を、腹を、腰を、太股を掻き斬ってやる。


 しかし、そのどれもが堅固な装甲に阻まれ、ほとんど傷つけることが出来なかった。ならば、と攻撃術式を併用して攻撃しても、今度は毛ほどの傷しか付けられず、それもやはり瞬時に再生、修復されていく。


「ハァ……ハァ……ハァ……!」


 くそ! このゲートキーパーには弱点がないのか!? 耐久力に限界はないのか!? このままじゃ、このままじゃ――!


 肋骨の内側を焼くような焦り。呼吸がつらい。残り時間は六〇セカド。既に一二〇セカドも戦っている。客観的な数字だけで見れば短い時間だけど、僕の主観ではもう何アワトも戦っているような気分だった。


 強化係数は高いまま、けれど僕自身のパフォーマンスが落ちつつある。


 言うまでもない。疲労だ。いくら身体強化を施しているとはいえ、馬鹿みたいな運動量をこなしているのだ。しかも速く動きすぎているせいか、呼吸が上手くいっていない気がする。息苦しさがさっきからずっと消えない。酸素が足りないのだ。このままいくと、制限時間が切れる前に酸欠になってしまうかもしれない。フォトン・ブラッドの消費量もメチャクチャだ。もう一体どれぐらいの術式を発動させた? 憶えていない。とにかくたくさんだ。このままじゃ酸欠の上に、貧血が重なって、


 突然、くらっと来た。


 途端、頭上から圧迫感が迫る。


『UUUUWWWWWWOOOOOOOOOO!!』


「!?」


 戦いながらほんの一瞬だけど意識を失っていた。その隙を狙って、ヘラクレスが剣と槍と斧を僕に向かって打ち下ろしたのだ。


「――くぁっ……!?」


 本能的に〈大断刀〉を盾のように構え、その上に〈スキュータム〉を重ね掛けして防御する。


「くっ……のっ……!」


 何枚かのシールドが激突の瞬間に砕け散ったが、どうにか受け止めることが出来た。


 けれど、押し返せない。三本の武器が僕を押し潰そうと、さらに重量をかけてくる。僕は床を踏みしめ、歯を食いしばり、ひたすらに耐える。


「く……そ……!」


 頭が朦朧とする。息が苦しくて、手足に思うように力が入らない。駄目なのか? ここまでなのか?


 僕はここで無様に負けて、ハヌを守れなくて、何も出来ないまま――死んでしまうのか?


 ――そんなの駄目だ! 何があろうと、あの子だけは、ハヌだけは! 絶対に! 守ってみせるんだ!


 でも、もう感覚が――手が冷たくなって――頭の中がふわふわしてきて――駄目だ――視界がブレて――嫌だ――足がもう――ちくしょう――耳に声が――誰かの声が――


 誰かの声が聞こえる……?




「ラトぉ――――――――――――――――ッッ!!」




 聞き違えるはずもなかった。


 ハヌだ。ハヌの声だ。


 ハヌが、僕を呼んでいる。


 どうして?


 決まっている。


 応援しているのだ。


 僕を、励ましてくれているのだ。




「負けるなラトぉ――――――――――――ッッ!!」




 もしかしたら、ハヌはずっと僕に声援を送ってくれていたのかもしれない。叫んでくれていたのかもしれない。


 ただ僕が戦いに必死になりすぎて、聞こえていなかっただけで。


 僕はいつもそうだ。さっきも本人から言われてしまった。ちゃんと話を聞け、と。


 いつもいつも、僕は自分の都合ばかり優先して、ハヌの話をちゃんと聞けていないのだ。


 大体、あの子はどうしてこの浮遊島にいる? 『極東』の現人神なのに? 何故エクスプローラーになりたいと? そもそも、あの子の年齢はいくつなんだろう? 僕はそんなことさえ、まだ知らないのだ。


 悔しい。もっと、もっと知りたいのに。ハヌといっぱいお喋りしたいのに。あの子の笑顔を、たくさん見たかったのに。


 なのに、もう、意識が、薄れて――




 頭の中が、空っぽになった。








「がぁあああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」




 まともな思考など消え失せた状態で、喉からケダモノじみた咆吼を上げた。


 支援術式〈ラピッド〉〈ストレングス〉〈プロテクション〉を追加発動。


 強化係数、《SEAL》の限界である一〇二四倍へ。


 後先なんて何も考えていなかった。理性など蒸発していた。ただ闘争本能の赴くまま、体が勝手に動いていた。


 ――ぶっ潰す。


 こいつを屠殺して、蹂躙して、消滅させてやる――!


 強化された全身の力を総動員して、上方から押し込まれているヘラクレスの剣と槍と斧を押し返していく。


「――ッらぁっ!」


 背筋が伸び切ったと同時、〈大断刀〉を振り上げて一気に弾き飛ばした。


 間延びした時間の中、ゆっくりとヘラクレスの武器が上空へ上がっていく。


 三本の腕を跳ね返されたヘラクレスは、今度は残る三本の腕に握ったバトルメイス、スパイクシールド、ブラスナックルを叩き込んで来た。


 笑わせるな。遅すぎる。タイミングを合わせ、返す刀でそれらも弾き返した。


 全ての腕を打ち払われたヘラクレスの上体が泳ぎ、バランスを崩す。千倍速の世界から見ると、その姿は象よりもノロマで滑稽だ。


 がら空きになった腹に〈大断刀〉の切っ先を向けて突きの体勢をとり、剣術式を叫ぶ。


「〈ドリルブレイク〉!」


 紫紺の輝きが螺旋を描く錐の形をとって〈大断刀〉の刀身を覆った。背からフォトン・ブラッドを放出して全身が加速。


 ドリルを猛烈に回転させ、撃ち出されたライフル弾のごとく突撃する。


 ドリルの切っ先がヘラクレスの腹筋の真ん中に突き立ち、噴き出す鮮血にも似た形で火花が散る。


 やはり硬い。否、硬い以上にこの材質は受けた衝撃を分散させ逃がしている。故に許容以上の衝撃を与えない限り砕くことが出来ない。


 【だから】。


「〈ドリルブレイク〉!」


 剣術式に剣術式を重ねた。ドリルの上にドリルが生まれ、さらなる回転を生む。


「〈ドリルブレイク〉!」


 さらに上乗せ。回転速度が上がる。それでもヘラクレスの装甲は貫けない。舐めるな。ならば貫くまでやってやる。


「〈ドリルブレイク〉!」の上に「〈ドリルブレイク〉!」して「〈ドリルブレイク〉!」から「〈ドリルブレイク〉!」で「〈ドリルブレイク〉ッ!」さらに「〈ドリルブレイク〉ッ!」を「〈ドリルブレイク〉ッ!」重ねて「〈ドリルブレイク〉ッ!」一気に「〈ドリルブレイク〉ッ!」貫けぇえええ「〈ドリルブレイク〉ッ!」ええええ「〈ドリルブレイク〉ッッ!」えええええええ「〈ドリルブレイク〉ッッ!」ええええええええェッッッ!!!




 ピキリ、と亀裂が走った。




 生じた裂け目に〈ドリルブレイク〉の先端が分け入り、さらに傷口を広げていく。〈大断刀〉の刀身が半ばまで入ったところで、全〈ドリルブレイク〉をキャンセル。


「〈フレイボム〉」


 そのまま新たに攻撃術式を起動。いっそ囁くような静かな声で、起動音声を唱え続ける。


「〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉――」


 胸や肩、額など体のあちこちにアイコンが浮かび上がり、攻撃座標を決める光線が伸びていく。その全てを、〈大断刀〉が突き刺さっているヘラクレスの傷口へと一点集中させる。


「〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉――」


 一本、また一本と紫紺の光線が増え、追加されていく。


 何も聞こえない静かな空間。ゆっくりと流れる時間の中。少しずつ動いていくヘラクレス。その腹に突き刺さった漆黒の大太刀。そこへ殺到する光の線。


「〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉――」


 十六個目の〈フレイボム〉を起動させた瞬間、ぶちん、と『何か』が切れる音がした。


 どこかの大事な神経だったかもしれない。あるいは、限界を定めていた枷だったかもしれない。


 そんなことなどどうでもよかった。気にしちゃいなかった。


 粉微塵にしてやる。


 それだけしか頭になかった。


「――〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボムフレイボムフレイボムフレイボムフレイボムフレイボムフレイボムフレイボムフレイボムフレイボムフレイボムフレイボムフレイボムフレイボムフフフフフフレレレレレレイイイイイイボボボボボボムムムムムム――」


 あまりにも早口すぎて外界では『キィィィン』という金属音にしか聞こえないだろう速度で起動音声を連呼して、体内のフォトン・ブラッドが空っ欠になるまで術式を装填し続けた。


 後で何がどうなってしまうかなんて想定の埒外だった。


 限界を超えた負荷に鼻血が出てこようとも、何とも思わなかった。それでもなお最後にダメ押しの、


「〈フレイボム〉」


 体のあちこちから何十本もの光の導火線が伸びて、ヘラクレスの体内へ入り込んでいる。今、最後の一本が、そこに合流した。


 それを見届けて、ぽつり。


 一言だけ、掠れた声で呟いた。




「くたばれ」




 起爆した。






 気が付いたら、どこだかわからない床の上に転がっていた。


 多分、自分で起こした爆発に吹き飛ばされたのだと思う。


 頭が朦朧としていて、自分の体がどうなっているのか、それすらもわからなかった。


 ただ、誰かが僕の体を揺さぶり、泣き叫んでいる声が聞こえる。


「――ラト――っしろ――ト――だいじょ――ぬな――ラト――」


 とても必死な、だけど途切れ途切れにしか聞き取れない声。耳が馬鹿になっているのだ。けれど。


 ああ、これはきっとハヌだ――とわかった。


 不意に、首元に暖かい感触。お湯に浸けたタオルを巻き付けられたかのような、とても心地の良い感触だ。


 僕は何とか力を絞り出して、うっすらと瞼を開けた。


 まず最初に目に入ったのは、遠く向こうにプカプカと浮かんでいる、青白い巨大なコンポーネントだった。


 もう吃驚する気力も残っていなかったけど、やっぱり意外に思った。さっきの【アレ】は、コンポーネントごと消し飛ばしてやるつもりでやったのに。なんて化け物だったんだろうか、あのゲートキーパーは。


 次いで、視界の端に綺麗な銀髪が映っていた。


 どうやらハヌが僕に抱き付き、体を震わせて泣いているようだった。


 そこでようやく、僕は自分の勝利を認識した。


 良かった……勝てたんだ……


 これで、ハヌも無事に帰れる。


 もう、何も心配することはない――


 そんな安堵の思いを最後に、僕の意識は今度こそ闇の奥底へと落ちていった。


 最後の最後まで、ハヌが僕を呼ぶ「ラト」という声が耳の奥で響いていた。



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[良い点] ヘラクレスの皮を被った阿修羅像ww
[一言] やっぱりここが1番好き
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