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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第五章 正真正銘、今日から君がオレの〝ご主人様〟だ。どうぞ今後ともよろしく

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122/183

●21 幕間バカンス 1







 何はともあれ、中央本島に赴かねば始まるまい。


 というわけで、僕とハヌはひとまず一号氏達の下へと引き返し、挨拶をしてから浮遊大島へ向かうことにした。


 お別れをしようと戻ってきた僕達を出迎えてくれたのは、やけにハイテンションな二番氏と三等氏、そして体育座りになって「知らねぇ……俺様は知らねぇ……何も聞いてねぇ……」と虚ろな瞳でブツブツと呟く一号氏であった。


 つい先刻まで弟だと思っていた二人と、一族の掟とは言え結婚することがいきなり決まってしまったのである。長年の宿敵である『根の国の女王』こと〝フロアマスター〟を打倒したこともあって悲喜こもごもであろうが、何にせよ一号氏が受けた衝撃は計り知れない。


 僕に出来るのは精々、彼らのこれからの幸福を祈ることぐらいである。


 僕とハヌは、貝のように自己の内側へ閉じ籠る一号氏と、その周囲で結婚式の詳細についてキャピキャピと語り合っている二番氏と三等氏に別れを告げ、とにもかくにも地下空間から脱出した。


 エイジャの計らいによって無数の浮遊島と、中央に君臨する大島との間に橋が架けられたけれど、それを素直に渡るほど僕達も馬鹿ではない。


 今度だって、どんな罠が仕掛けられているのかわかったものではないのだ。


 地上へ出た僕は念の為、ストレージから追加のブラッド・ネクタルを取り出し、フォトン・ブラッドを最大限まで回復させた。


 さっきまでの戦闘で受けた怪我は〈ヒール〉と〈リカバリー〉の重ね掛けで治したし、フォトン・ブラッドの残量――正確には血に宿る現実改竄物質の量――もこれで問題なし。


 ただ、体力だけはちょっと心配だ。ずっと眠らされていたハヌはともかく、僕の疲労は客観的に見て相当なものだと思われる。筋肉の疲労などは回復術式で多少何とかなるものの、根幹の生命力である体力だけはどうにもならない。


 それでも、無理を押して進むことにした。


 出来れば静かな、かつ安全な場所でテントを張って休息したいところだったけど、もしかしたら中央大島へ行けばロゼさんやフリムと合流できるかもしれない――そう思うと、居ても立っても居られなかったのである。


 第一、ここまで無理を通したのだ。後もう少しだけ頑張ってもばちは当たらないはずだ。


「なに、心配はいらぬ。何かあれば妾の術で吹き飛ばしてくれるぞ。安心するがよい、ラト」


 準備を整え、改めてお姫様抱っこするとハヌは僕の腕の中で、くふ、と笑った。


「思うに、エイジャとやらは派手な催しが好きなようじゃ。であれば当の本人が【本番】と嘯いた大舞台が始まるまで、余計な手出しはして来ぬじゃろ。ま、軽い〝いたずら〟程度のことならしてくるかもしれぬがの」


 なるほど、確かに。


 ハヌの洞察に僕も同意するしかない。


 あのエイジャの性格からすれば、僕達が到着する前にせっかく用意したステージを台無しにしてしまうなんてことは考えにくい。であれば仮に手を出してきたとしても、ハヌ言うところの軽い〝いたずら〟……例えば、黄泉比良坂よもつひらさかこと一号氏の住処まで続く洞窟に設置されていたトラップの数々のような、メインに比べれば――あくまで『比較すれば』の話だが――些細な嫌がらせ程度であろうことが推測できる。


 とは言え、あれはあれでくぐり抜けるのが結構大変だったので、出来れば何事も起きないのが一番なのだけど。


 僕は支援術式〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉の三種を同時発動させ、強化係数を三十二倍に。さら〈シリーウォーク〉を発動させ、コンバットブーツの靴底に空中を歩くための力場を発生させる。


 余談だが、フリムお手製である僕の戦闘ブーツ〝スカイソルジャー〟は、知っての通り空中歩行の機能を有している。先の戦闘でも大活躍してくれた、まさに『縁の下の力持ち』だ。


 だが、戦闘ジャケット〝アキレウス〟のモード〈ステュクス〉もそうだけど、これらはあくまで【非常用】なのである。いずれ消費したフォトン・ブラッドが回復する術式と違って、スカイソルジャーや〈ステュクス〉の機能は使用する都度、装備品に負担をかける。それが度重なると、最終的には不具合が起こる。以前、フリムが愛用している戦闘ブーツ〝スカイレイダー〟が、酷使した挙げ句のオーバーヒートによって動作不良を起こしたように。


 故に、装備品の特殊機能はよほどの事態でない限りは使うな、とフリムから釘を刺されている。


 なので、僕がスカイソルジャーや〈ステュクス〉の機能を使うのは、主にロムニック戦やハウエル戦のような、支援術式の使用が禁止された戦いのみである。


 もしくは、術力制限フィールドの上位にあたる『術力封印フィールド』に運悪く行き当たってしまった時は、使わざるを得ないだろう。


 とにもかくにも、フリムが搭載してくれた便利な武具、それらに搭載された各種機能は『いざという時の保険』でしかない。よって普段は特に問題がなければ、空中移動には〈シリーウォーク〉や〈レビテーション〉を使用するのが僕のルールとなっていた。


 閑話休題。


「――じゃ、行くよ、ハヌ。少し急ぐから、しっかり掴まっててね?」


「うむ、よきにはからえ」


 ハヌの細い腕が首に回され、ぎゅっ、と抱きつくのを確認すると、僕は体力の消耗を抑えつつ移動速度を上げるため、小走りで空中を駆け上り始めた。


 ただの小走りではない。身体強化の係数三十二倍の小走りである。


 ハヌを抱きかかえた僕は、スポーツカーの疾走よろしく宙を駆けていくのだった。




 ■




 結論から言うと、中央大島に辿り着くまで、予想していたような妨害や嫌がらせなどはなかった。


 せっかくどんな罠が張られていても即応できるよう、楽で速いハヌの正天霊符の『酉の式』ではなく、僕の〈シリーウォーク〉で移動したのに。


 まったくの杞憂だったというわけだ。


 しかし、何の障害もなく目的地に到着できたのは喜ぶべきことである。


 一号氏達のいる小島から大島へ、まっすぐ伸びる架け橋。その大島側のたもとへ降り立った僕達は、再びエイジャからのメッセージを目にすることとなった。


『北側のビーチへ全員集合』


 橋のたもとに立てられた掲示板には、そんな短い文字列と、大島の全景を表した簡易な地図が描かれていた。


 ――はて? 何故にビーチ?


 と、僕とハヌは揃って首を傾げたが、無論答えを知っているのはエイジャだけである。いくら頭を捻ってもわかるはずがない。


 メッセージにある通り、確かに大島の北側には広いビーチがある。僕達が上陸――浮遊島に使っていい言葉かどうかわからないけど――したのは真東側だったので、少し北上しつつ回り込めばすぐに到着できるだろう。


 流石にこれ以上歩いて移動するのはくたびれるので、今度こそハヌの正天霊符を使って空路を行くことにした。


 スミレ色のワイヤーフレームで形成されたおおとりの背に乗り、全身で風を受けながら飛翔する。残念ながらロゼさんがいないので掴まる鎖がなく、あまり速いスピードは出せなかったのだけど。


 さて。


 そんなこんなで、割とのんびり北のビーチへと向かった僕達を待っていたのは、果たして――




「……あら? あなた達も今来たところ? 奇遇ね、私とカレルレンもついさっき着いたところなのよ。でもよかったわ、ここで合流できて」




 なんと水着姿のヴィリーさn




 気絶していたらしい。


「――はっ……!?」


 目を覚ますと、砂浜に突き立てたビーチパラソルの下、レジャーシートで寝転がっている自分がいた。


「お、ようやっと目を覚ましたか、ラト」


 左脇からハヌの声。僕が覚醒するのを待ってくれていたらしい。僕はゆっくり上体を起こしつつ、


「……あれ……? 僕、なんで……?」


 どうしてこんな所で寝ていたのか、前後の記憶がさっぱりない。


「えっと……確か……ハヌと一緒に空を飛んで……?」


 必死に記憶の糸を手繰ろうとしていると、ハヌは遠雷がごとき声で唸った。


「なんじゃ、覚えておらぬのか? ラト、おぬしはここへ来るなり、ヴィリーめの顔を見た途端に気を失ったのじゃぞ?」


 口をへの字にして、ジト目で睨み付けてくるハヌの言葉に記憶野の一部が猛烈に刺激された。


「ヴィ、ヴィリーさん……?」


 刹那、稲妻のごとく記憶が蘇る。


 そうだ。そうだった。


 砂浜に降り立った時、確かにそこにはヴィリーさんがいた。


 濡れた紙にインクが滲むがごとく、じわりじわりと記憶が範囲を広げていく。


 そう、太陽の光をそのまま帯にして頭に巻き付けたかのような美しい金髪は、トレードマークのポニーテールで。どこかネコ科の肉食獣を思わせる、けれど深い紅色の瞳はまるで宝石のようで。僕とハヌを見て顔をほころばせ、きゅっと口角を釣り上げた唇は桃薔薇のつぼみのようで。


 ――そう、そこまでは、いつも通りのヴィリーさんだった。


 しかし、その首から下はほとんど肌色で、ただ主要な箇所のみがアイスブルーの水着で隠され――


「――ぐぶふぁっ!?」


 改めて胸を胸に衝撃が生じ、僕は体をくの字に折り曲げた。ズキュン! と心臓をブチ抜く不可視の力に悶絶し、僕は自分でもよくわからない叫びを上げる。


「な、な、なっ、なっ……!?」


 脳内に投影された意味不明な光景に、僕は言葉を紡ぐことすら出来ずに動揺した。慌てて両手で口を塞ぎ、もうこれ以上喉から変な音がこぼれないよう自制する。


 多分、否、間違いなく僕の顔は今、トマトが真っ青に見えるほど真っ赤になっているはずだった。


 ――いやでもだって!? な、なんで水着!? いやここはビーチだし海だけど!? 謎の仮想空間でもあるのに!? いや馬鹿なそんなはずはないあれはきっと幻だ僕の頭が勝手に作り出した幻影なんだそうだ絶対そうに決まっているいや待てそれならそれで僕の頭がおかしくなってしまったということでそいつは相当ヤバいことなのではないのかいやだけど何故に寄りにもよってヴィリーさんが水着姿に見えたのかいや別に相手がハヌやロゼさんやフリムだったらいいというわけではなくて特に誰かの水着姿が見たいと思っていたわけでもないのにむしろ何も考えていなかったのにいきなり相手の格好が水着に見えたというのはつまり僕の中にとんでもない変態性が眠っているということに他ならずつまり僕はいつかハヌが言っていたように本当にムッツリという奴なのではいやいや馬鹿なはははいやそんなそんないいやそんなはずはないそんなはずはないんだ僕はまともなんだまともまともまとも――!


 思考を高速回転させてどうにか自己制御セルフコントロールしようとしていたところ、


「……まったく、修業が足りぬぞ、ラト」


 こつん、と左側頭部にちっちゃな握り拳が当てられた。


 ハヌに軽く小突かれた僕は、はた、と我に返る。


「ハヌ……?」


 落ち着いて視線を向けると、はぁ、と小さな現人神は呆れの吐息をついた。


「おぬしが気を失った理由は大体察しがつく。さしずめヴィリーめの色香にでもやられおったのであろう? まったく……たかだか水着に着替えただけではないか。それを目にした程度で卒倒するとは……本当におぬしは修業が足りぬっ」


「うっ……」


 ぐさり、と胸へと突き刺さる言葉に、僕はさっきまでとは違う意味で胸を抑えて呻く。気絶した理由を自覚しているだけに、返す言葉もない。


 が、しかし。


「――って、み、水着に着替えた……? え、あれ? あの、ハヌ……? ヴィリーさん、本当に水着だったの……? えっと、その、僕の見間違いじゃなくて……?」


「……ラト、それはおぬしの頭の心配をしておるのか? それとも、目の心配をしておるのか?」


「りょ、両方、かな……」


 憤懣やるかたない様子で僕にジト目を向けるハヌに、僕は気まずく視線を逸らしながら答える。すると、ハヌはやれやれと言った様子で、


「……その調子じゃと、せっかくの妾の晴れ姿も目に入っておらぬと見える。嘆かわしや……ほれ、よく見よ、おぬしの唯一無二の親友の姿を!」


「えっ?」


 突然すっくと立ち上がったハヌに、僕は視線を引っ張られるようにして顔を上げた。


「――――」


 驚いた。ハヌのいつもの普段着と色合いがよく似ていたから、言われるまで全然気付かなかった。


 ハヌもまた、都雅な水着姿だったのである。


「ど、どうしたの、ハヌ……!? その格好は……!?」


 それはスミレ色と白を基本とした、どこか上品なデザインの女児用水着であった。胸元に紫ラメの横ラインが入っていたり、腰元のフリルスカートがシースルーだったり、背中のリボンが蝶の翅のように見えたりして、他とは一味違うのは一目瞭然。一見するとすごく派手に見えるのに、けれどハヌが着ているというだけで不思議と雰囲気が調和して、違和感がまったく感じられない。まるで彼女の為だけに仕立てられたような、そんな水着だった。


「くっふっふっふっ……どうじゃ? 似合っておるであろう?」


 薄い胸を張ってドヤ顔するハヌに、僕は素直に頷く。というか、頷く他ない。


 だって元々可愛らしいハヌが、これまた可愛らしい水着に着替えたのである。可愛い以外の感想が浮かんでくるわけがないのだ。


「う、うん、すごく似合ってるよ……! とっても可愛いと思う……!」


「であろう? であろう?」


 思わず拳を握って何度も首肯しながら褒め上げると、ハヌもまんざらではないのか、嬉しそうにその場でくるりと一回転した。フリルスカートの裾や、背中の大きなリボンがふわりと舞い、何とも言えない軌跡を描く。一瞬だけスカートの中が露わになり、左足の太腿にスミレ色のリボンガーターが巻かれているのが見えて、それがひどく印象的だった。


「――って、なんでハヌまで水着!? え、あの、一体何がどうなってるの!? そもそもハヌってそんな水着持ってなかったよね……?」


 はっ、と我に返った僕は、矢継ぎ早に質問する。すると、さっきまで機嫌よく笑っていたハヌの顔が一転して、不満そうに唇を尖らせた。


「……おぬし、妾の水着では気を失わぬのじゃな……まぁ、それだけ妾に慣れておるといえばそうなのじゃろうが……」


 どうやら僕の質問が不愉快だったわけではなく、水着姿への反応がヴィリーさんの時と違ったのが不満だったらしい。


 ふぅ、と吐息したハヌは、起伏のない胸の前で華奢な腕を組んだ。


「――まぁよい。倒れぬのなら倒れぬで重畳じゃ。ラト、水着を着て風呂を共にする話、妾は忘れておらぬからな? いずれ約束は守ってもらうぞ?」


 両手を腰に当てて、ずい、とこちらに顔を近付けてくるハヌ。蒼と金の瞳から、じとり、とした目線を放たれた。できれば忘れていて欲しかった話に、僕は思わず視線を逸らして、


「あ、あは、はは、あはは……」


 冷汗をかきながら、適当に笑って誤魔化すしかない。


 ハヌが身を引き、再び腕を組んだ仁王立ち状態になると、彼女は声音と表情を切り替えて状況を説明してくれた。


「ともあれ、じゃ。ひとまずは安心せよ、ラト。ここに危険はない。さように警戒する必要はないぞ。まずは肩の力を抜くがよい」


 くふ、と微笑むハヌに、僕の張り詰めていた神経が自然と緩み、ほっとした。ハヌが安全だと断言するのなら、きっと間違いはないのだろう。体が自動的に反応するほど、僕はどうやら彼女のことを信頼しているようだった。


「おぬしはしばらく眠っておったからの、詳しい説明を聞いておらぬじゃろ。確か、おぬしが倒れてからすぐのことじゃ。ロゼとフリムもこの浜辺に現れての。そこへ――」


「ロ、ロゼさんとフリムが!? ふ、二人は無事な――ふぶっ!?」


 かなり気になっていた二人の名前が出た途端、思わず大声を出してしまったら、ハヌのちっちゃな手に両頬を挟まれてしまった。


「妾の話を黙って聞け」


 話を遮られたハヌは不機嫌そうに僕のほっぺたをムニムニしながら、厳しめの声で釘を刺す。僕は『ふぁい……』と返事して観念した。


「二人とも無事じゃ。今もピンピンしておる。後で会えるから心配するでない。まったく……おぬしはいつも自分より他者じゃの。どう考えても無事でないのはラトの方なのじゃぞ?」


「うう……」


 両手でほっぺたを挟まれているのと、返す言葉もないのが相まって、僕は情けなく呻くことしか出来ない。


「ヴィリーとカレル、ロゼとフリムが現れてからはもう、雪崩を打って他の者達が現れての。あれよあれよという間に、全員が合流出来たというわけじゃ。ほれ、あれを見てみよ」


 ぐいっ、とハヌが僕の頭を動かすと、ここからそれなりに離れた浜辺に無数の人影が見えた。距離がありすぎて個人は判別できないけれど、結構な人数が集まっている。ちょうど、僕達『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』とヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』を合わせたぐらいの規模だ。


「あやつらが何をしておるか、わかるか?」


 それは何となくわかる。黒い粒のようにしか見えない人影の群れは、一部は浜辺に寝転がったり、何やら白い煙の昇るかまどのようなものを囲っていたり、海に入って泳いだりしている。


 つまり――


 次の瞬間、僕の思考を読み取ったかのごとく、ハヌが楽しそうにその単語を口にした。


「――そう、【ばかんす】じゃ、ラト」




 ■




 というわけで。


 いや、どういうわけなのかよくわからないけれど、唐突に海辺のバカンスである。


 ――うん。いや、意味がわからない。


 一体どうして、何故にバカンスなのか?


 そりゃ確かにここは自然豊かな浮遊島で、実際に存在したらフロートライズとはまた別の意味で観光資源になっていそうな感じではあるのだけれど。


 しかしだからと言って、僕達がわざわざここでバカンスを過ごす理由は一つもなく。


 大体、僕達をこの仮想空間へ転移させたエイジャの目的は一体全体どうなっているのか?


 バカンスなどと言っておらず、こんな場所から早々に脱出する方法を模索した方がよいのではないか?


 というかむしろ、一号氏達がいた島のように、何かしらクリアしないといけないミッションがここにもあるのではないか?


 っていうか最初にバカンスなどと言い出したのは一体どこの誰だというのか?


 ――と、以上のような疑問に関しては、発案者直々からの説明があった。


『説明しよう。――うん、いや、何事もメリハリが大切だからね。今回はここでいったん休憩を挟もうかと思っただけさ。ほら、皆も疲れているだろう? 特にマスター、君はいっとう疲労が濃い。体力が完全に回復するまで休息するべきだと思わないかい? ねぇ?』


 エイジャである。


 そう、この状況、全ての元凶である。


 いかなる手法を使ったのか、僕の〝SEAL〟をクラッキングして、こちらの視界にARスクリーンを表示させ、そこに自らの胸から上を映しているのである。


 2Dでもひどく綺麗に映る顔が、ことここに至っては無性に小憎たらしい。


『というわけで、楽しい【本番】が始まるまでのほんの僅かな期間だが、いい感じに休暇を満喫して欲しい。なに、そちらへ送り出したのは他でもないオレだからね。ちゃんと責任を取って、それなりの待遇を保証させてもらおう。食べ物や飲み物、水着や娯楽の一通りを揃えてある。なんだったら必要なものがあれば用意するから言ってくれ。そうそう、浜辺の近くに宿泊施設も用意してある。どうしても疲れが取れないというなら、そこで体を休めることをお勧めするよ。ああ、もちろん御代は必要ないから安心して欲しい。全て無料さ。予選通過のお祝い、ご褒美だからね』


 口元に薄い笑みを張り付け、エイジャは悪びれもなく放言する。


 あんなとんでもない状況をセッティングしておきながら、それを『予選』などと言い放つ神経。僕にはとても理解できない。


 まぁ後に、僕とハヌに与えられた状況だけが他の人達と比べて一際厳しかったことが判明するのだけど、それはまた別の話である。


『ちなみに、君達の陣営と〝あちら〟の陣営とはしっかり分けてあるから、そこも安心して欲しい。本番が始まるまで顔を合わせることはないはずだ。いやしかし、参加者全員が予選を通過したというのは本当に喜ばしいことだね。次のゲームはとても盛り上がりそうだ』


 あちら――その代名詞が、即ちハウエル達『探検者狩り(レッドラム)』側を指していることはすぐにわかった。


 ということは、エイジャの言葉が真実だとするなら、ハウエルやヤザエモンも予選を通過した――ということになる。


 ――あれだけやったのに、それでも無事だったのか……


 耳を疑う事実に、軽い戦慄が走る。


 極限状態過ぎて記憶が少々怪しくなっているのだけど、それでもかなりのダメージを与えたはずだ。むしろ、死んでいてもおかしくないぐらいのことをやった気がする。


 ――でも、生きてるんだ……もしかして、また会うことになるのかな……?


 出来ればもう顔を合わせたくないと思うのだけど、多分そういうわけにもいかないのだろう。そういえばあの時、ヤザエモンの姿が見えなかったのは、もしかしたら主であるハウエルを助けに行っていたからだったのかもしれない。だとすれば、死にかけのハウエルが命を永らえたのも合点がいく。


『さて。少々曖昧だけれどバカンスの期間は、参加者全員の体力と気力が完全に回復するまでとしよう。本番の詳しい開始日時は、君達のステータスを監視して、目処が立ち次第連絡しようと思う。ある時いきなり始まるなんてことはないから、どうか安心して休んで欲しい』


 もう既に底意地の悪さが露呈しているエイジャにしては、破格の待遇と言わざるを得ない。むしろ気持ち悪いほどの優しさである。


『ああ、それと、せっかくだからバカンスの期間を利用して次のゲームのルールを憶えてもらおうか。そう、今回は事前にルールを開示する。優しいだろう? 折角の大舞台だからね。事前にルールがわかっていれば、戦略を練ることも出来るだろう? 詳しくは各々にデータを送付するから、しっかりと読み込んでもらいたいね。まぁ、ろくにルールを知らなくても楽しめるようにはなっているけれども』


 飄々とした調子で、どの口でか己を『優しい』と自負するエイジャに、僕もハヌも白い目を向けることしか出来ない。


『――以上が現状の説明となるのだけど、この回答にはご満足いただけたかな? ご希望であればさらに細かい説明も出来るし、質問も受け付けるけれども?』


 何かのサービス業のようなことを言って話を打ち切ろうとするエイジャに、僕は率直に問いをぶつけた。


「……君は、一体何が目的でこんなことをしてるんだ?」


 すると、エイジャは『やはりそれか』とでも言うかのごとく、にやり、と笑った。


『またその質問かい、ラグディス? だが、その問いには既に答えたはずさ。言ったろう? これは君とオレとの〝契約〟に必要な【手続き】なんだ、と。そう、オレは君にまつわるいくつかの事柄を〝確認〟しなければいけない。そうでなければ、いつまで経ってもオレと君との〝契約〟は正式に締結されないんだ』


「……だから、その〝確認しなければならないこと〟が何なのか、ってのを聞きたいんだけど……」


 内心、無駄だろうと思いつつも食い下がると、エイジャはよく整った顔をニッコリと微笑ませた。それはあまりにも綺麗すぎて、逆によく出来た仮面にしか見えなかった。


『残念だけど、それを言ったら〝確認〟の意味がない。それに、君が知らなくてもいいことだよ、ラグディス。君は俺のマスターなんだ。些細なことは気にせず、堂々と降りかかる災な――試練を乗り越えて欲しいな』


「――いま災難って言いかけたね?」


 思わぬ失言に、堪らず僕が目を眇めて追及すると、エイジャは、くすっ、と笑った。


『ああ言いかけたね、誤りは素直に認めよう。まぁしかし、どちらにしても結論は一緒さ。災難にせよ、試練にせよ、運命にせよ。君はそれらを乗り越えなければならない。でなければ……』


「……でなければ?」


 エイジャが舌を止め、妙な間を空けるものだから、つい聞き返してしまった。


 瞬間、エイジャの薄く淹れた紅茶の色をした瞳が、冷たく凍ったように見えた。


『死ぬだけさ。契約は破棄され、何もかもが終わる。なにせラグディス、【君がいなければ、オレに他の連中を生かしておく理由はないからね】』


 その声は、どこか鉄の塊を擦れ合わせたような響きをしていた。


 冷たくて、硬くて、まるで歪みようのない――そんな声音だった。


「――……」


 静かに、けれど確実に、心に亀裂が走るのを感じた。僕の中で何かに罅が入り、何かの枷が壊れる音がした。


 悔しいことに具体的なことは何一つ上手く言えないけれど――しかし僕の中で【致命的な何か】が起こったことだけは、確かにわかった。


 ――なるほど。よくわかる話だ。


 確かにそうだろう。彼にとって、僕以外の人間には価値などあるまい。他の人間は全て、マスターと認識する相手を取り巻く『付属物』に過ぎず、故にマスターである僕が死んだ場合、それらも同時に無価値のゴミと化す。


 元来、彼は無慈悲なAIだ。


 それも、この魔塔ルナティック・バベルの統括プログラム。


 躊躇いなど微塵もあるまい。


 僕がこの世から消えた瞬間、エイジャは寸暇を置かずハヌやロゼさん、フリムやヴィリーさん達を指先一つ動かすことなく殺すだろう。


 間違いない。


 彼なら必ずそうすると、疑いもなく確信できた。できてしまった。


 だからだろう。


 僕は自然に声を低め、エイジャに言い放っていた。


「わかった。僕が死んだ時は好きにすればいい。どうせ僕は何もできないだろうから。でも――」


 怒りは特になかった。逆に、悲しみもなかった。僕の心はとても落ち着いていて、けれど同時に、どっしりと重く身構えてもいた。


 覚悟――そう、鋼のような覚悟だけが、そこにはあった。


「――約束する。もし僕が生きて還った時、ハヌやロゼさん、フリムやヴィリーさん達……僕の【仲間】が一人でも欠けていたら、【僕は君を絶対に許さない】」


 それは、ヤザエモンを指差し刻み込んだ〝呪い〟にも似ていた。でも、あの時ほど感情は尖っておらず、なのに覚悟の重さだけはあの時以上だった。


 僕はただ、僕がするべきことを静かに告げる。


「君は、君の都合で僕の仲間を巻き込んだ。なのに、もし何か一つでも取り返しのつかないことが起こったら……僕は君を許せなくなる。だから、覚悟しておいて欲しい。もし君が原因で、僕の大切な人が一人でもいなくなったら……僕は【君を一生恨むことになる】。具体的なことはその時になってみないとわからないけど、少なくとも僕が死ぬその直前まで、僕は君を【どうにかしよう】とし続けると思う」


 そこに正邪の区別はない。どんなに卑怯な手であれ、どれほどの外道であれ、その恨みを晴らすためなら、僕はどんなことでもやってのけるだろう。


「僕はその覚悟を決めた。だから……君も、覚悟を決めて欲しい」


 詰まる所、ハウエルや一号氏みたいに言葉を悪くして言うなら『こっちのタマを奪うつもりなら、テメェのタマも奪われる覚悟は当然出来てるんだろうなぁ?』ということである。


 つい先刻まで溶岩の濁流の中に突っ込んだりして生死の境ギリギリを渡ってきたせいか、まるで呼吸をするように、命のやり取りを僕は要求していた。


 無論、エイジャが真っ当な意味での『生命』でないことは理解した上で。


『――――』


 ARスクリーンの中のエイジャは、彼にしては珍しく唖然としているようだった。薄い紅茶色の双眸をやや大きく見開き、キョトン、と僕の顔を見つめ返している。


 やがて――ふふっ、と小さく噴き出した。


『くっ……くくっ、くっくっくっ……』


 片手の甲を口に当て、込み上げる笑いの衝動を我慢するように体を揺らす。だが次第に堪え切れなくなったのか、手を離して本格的に笑い始めた。


『――くはっ、ははっ、はははははっ、はっはっはっはっ!』


 声を上げて屈託なく笑う姿は、まるでどこにでもいる少年のようで。どこからどう見ても、太古の遺跡を管理する無慈悲なAI、などという存在には見えなかった。


『ああ――ああ、そうか、そうだね、君はそういう人間だったね、ラグディス』


 ひとくさり笑うと、エイジャは目元の涙を拭う振りをしながら――当然ながらAIは涙を流さない――、何故かひどく納得した様子で頷きを繰り返した。その間、なおもくつくつと笑いながら、エイジャはその瞳に悪戯っ子な輝きを宿す。


『――イエスだよ、マイマスター・ラグディス』


 爽やかに、彼は肯定した。


 ひどく煌びやかな、何の曇りもない笑顔で。


『君の覚悟は受け取った。この上はオレも全身全霊をかけて、その覚悟に見合うだけの舞台を用意させてもらおう。是非とも期待しておいてくれ』


 ――ん……?


 胸を張って請け負うエイジャに、僕は内心で首を傾げる。


 ――……あれ? ちょっと待って? 何だか今……踏んではいけない床を踏み抜いてしまったような……?


 予想外すぎる反応に思考が硬直し、エイジャの言葉に反応できないでいると、


『そうと決まれば、のんびりはしていられないな。既に自信のあるシナリオを組んでおいたのだけど、さらにブラッシュアップするべきだ。うん、よし。それじゃあオレはここで失礼しよう。マスター、君達は気にせずゆっくり体と心を休めてくれ』


 以上だ、と言い残して、エイジャとの通信は唐突に切れた。視界にあったARスクリーンが消失し、ぷっつりと会話が途切れる。


「…………」


 耳に届くのは、打ち寄せては返す波の音。


 肌を撫でるのは、優しく吹くそよ風の手のひら。


 左頬に突き刺さるのは、ハヌの呆れたような視線。


「……もしかして僕、余計なこと言っちゃった……かな……?」


 肋骨の内側で増殖する不安に耐え切れず、言葉に出して問うと、


「うむ。まさに、虎の尾を踏む、竜の逆鱗に触れる、という奴じゃな」


 水着姿のハヌは、しかしいつものように腕を組んで、うむうむ、と頷いてくれた。


 後悔先に立たずとは、まさにこのことであった。












お待たせしました。

更新再開です。

しばらくはフラットな展開になると思いますので、ある程度文字数が貯まり次第更新していきます。

できれば一週間~10日ぐらいのペースで(予定は未定)


先日のコミケ94にお越しくださった皆様、ありがとうございます。

まさか30部持っていた内の20部もが捌けるとは思いませんでした。

またペーパーも思いのほか受け取りに来てもらえて、本当に嬉しかったです。

なお、ペーパーの高解像度のファイルは、この下にある大きなイラストをクリック(タップ)することで飛べる公式サイトで公開しております。

白黒ですが、アシュリー、ゼルダ、エイジャといったキャラのデザインがありますので、興味のある方はどうぞ。

サークルスペースに直接来てくださった皆様には直筆サインを入れられましたので、そちらで差をつけているとお思いください。

私なんぞのサインに価値があればよいのですが……



皆様にお願いです。

「このライトノベルがすごい2019」の投票が始まっております。

2017年10月10日発売のリワールド・フロンティア3巻も、ギリギリ範囲に収まっております。

もし投票がまだで、リワフロをおもしろいと思っていただける方は、何卒ご投票をお願いいたします。

残念ですが、ひとまず今回が最後の機会となると思いますので……(T_T)

9/24(月・祝)までで締め切りだそうなので、この連休中に是非。



とにもかくにもペースが遅くてすみません。

コミケもさることながら、先月と今月で残業が50時間ぐらいあったもので……(@@;)

来月からは多少余裕が出来るはずですので、ペースを上げていきたいと思います。

どうからこれからもよろしくお願いします。




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