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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第五章 正真正銘、今日から君がオレの〝ご主人様〟だ。どうぞ今後ともよろしく

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112/183

●14 公平な勝負をしよう

大変お待たせしました。

約20万文字ほど書きためました。

順次更新して参ります。






 油断していたお前が悪いのだと言わば言え、それに抗弁するつもりもない。


 油断していたと言えば油断していた。


 それは間違いないのだから。


 そして、奴はその瞬間をこそ待ち受けていたのだろう。


 僕達の意識が完全に逸れる、その致命的なまでの隙を。




 事が起こったのは、一号氏のカロリー摂取のための食事が終わった後のことだった。


 一号氏は、ハヌの術式によって灰と化した〝巨人態ギガンティック〟の残骸へと近づくと、一度は下りたそれを上り始めた。


「ま、ゼロから作るよか、こんなんでも材料になるだけマシだからな。再利用リサイクルってやつだぜ」


 と、僕にハンドラーのロゼさんを想起させるようなことを嘯きながら、一号氏は軽快な動きで灰の山を駆け上がっていく。灰と言ってもかなりの粘度と重さを持っているようで、一号氏の巨体が見る見るうちに頂上へと近付いていった。


「さぁて、一丁始めるとするかぁっ!」


 大きな両手を叩き合わせ、小気味よい音を高く響かせる。


「――フゥンッ!」


 僕とハヌが並んで見上げる中、〝巨人態〟の天辺で足を大きく広げ、力士のように腰を落とした一号氏が気合いの声を上げた。


 次の瞬間、一号氏の〝SEAL〟が励起する。


 朱色の肌に浮かび上がるのは黄緑の煌めき。ライムグリーンの光線が皮膚の上を駆け抜け、幾何学模様を描きく。


 腰巻だけしか身に着けていないおかげで、輝紋の広がっていく様子がよく見えた。筋骨隆々とした全身にくまなくフォトン・ブラッドが駆け巡り、薄暗い空間の中で一際ひときわ強く輝く。


「――ォォォォオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」


 さらに野太い雄叫びが上がった。腹の底から絞り出すような、力強い咆哮。


 一号氏の〝SEAL〟の輝きが、より一層強くなった。


 ここまで来ると、もはや一種の照明である。


 下手をすれば僕の〈ランプボール〉よりも煌めく一号氏の〝SEAL〟がこの時、さらなる変化を見せた。


 【拡張】だ。


 驚くべきことに、体表を走っていた光の線が宙空へと伸び始めた。ウネウネと触手のごとく蠢くライムグリーンのそれは、一本から二本、二本から四本と、支援術式の強化倍率よろしく増殖していく。


 うねる光線の束は、つまるところ〝血管〟だ。


 そう、一号氏の〝巨人態〟の内部を駆け巡る〝疑似血管〟。


 巨人の全身にフォトン・ブラッドを流す経路となる拡張した〝SEAL〟の輝紋が、次々に増加して伸張していく。


 人間の形へ。


 左右に伸びた束は両腕に。


 下へ伸びたものは下半身に。


 上へ伸びた群れは上半身に。


 本体である一号氏を、ちょうど腹のど真ん中に据える形で、幾重にも束ねられた光の血管が巨大な人型を作り上げていく。


 その光景はさながら、大きな藁人形が編み上がっていくようにも見えた。


 そうして素体が完成する。


 もはや一号氏の姿はどこにも見えない。完全に呑み込まれてしまった。


 だが、この時点ではまだ針金で組んだ人形のようなものだ。人間の形状をしているとは言え、まだ肉付けが済んでいない。ハリボテの、その骨組みでしかない。


 だから、さらに拡張する。


 拡張〝SEAL〟の輝きが灰の山へと伝播した。堆く積もった燃え滓が淡いライムグリーンの光を帯びる。黄緑の輝きは点滅を繰り返しながら、しかし徐々にその光を強めていく。


 いつしか灰の山がすっかりライムグリーンの煌めきの塊となった、その刹那だった。


 スライム状になった灰の山がゆるゆると動き出し、同じく黄緑に輝く素体へとまとわりつき、角ある巨人の形を成し始めた。


 ゆっくりと、目に見えない金型を埋めるように、【肉付け】が進んでいく。


 初めて見るその現象にはどこか、朝焼けやオーロラのごとく、本能に訴えかける美しさがあった。


 それ故、僕とハヌは呆けたように、巨人化していく一号氏の姿を眺めていた。


 間抜けにも、周囲への警戒を一切せずに。




 そこを狙われた。




 気のせいかもしれないが、事が起こる直前、僕のうなじに【ひやり】とした感触があった。


 まるで幽霊か何かが、その部分をさっと撫で去っていったかのような。


 虫の知らせだったのかもしれない。


 そう。ぞくっ、とした悪寒と微妙な違和感を、その時の僕は覚えた。そして、


 ――誰かに見られている……?


 唐突に、そう思った。


 ここには僕とハヌしかいないのに。


 それ以外では、目の前で〝変貌〟している一号氏しかいないのに。


 そんなはずはないのに、でも、誰かの視線を感じる――?


 僕の思考回路は「気のせいだ」と言った。いくら先日、ヴィリーさんやアシュリーさんから地獄のような特訓を受けたからと言って、一朝一夕でそんな達人のような気配察知なんて出来るわけがない。調子に乗るな、ちょっとした錯覚に決まっているだろ――と。


 一瞬だけ、多分そうだろうな、と納得してしまった。


 それ故に初動が遅れた。


 違和感を無視できなくなったのは、左側に立つハヌの方から、またしても【ひんやり】とした空気を感じ取った時だ。


 ――何か、おかしい……?


 一号氏の〝変貌〟は今も派手に展開している。ライムグリーンの光が鎧のようなシルエットを形取り、頭には角が生え、藁人形のようだった人型が段々と人間っぽい形状へと変化していく。


 すぐには目が離せなかった。


 だけど。




『      』




 ハヌからの念話。


 ヘッダもフッタもない空っぽのデータ通信。


 言葉に出来ない心の声。


 まるで幽霊の囁きのようなそれが、ルーターを介した共通プロトコルにパケットされて、僕の〝SEAL〟へと届いた。


 その瞬間だった。


 ようやく、今更ながら、ここで起こっている異常に気付いたのは。


 左へ振り向く。


 ハヌの姿を探す。


 いない。


「……えっ?」


 馬鹿な、そんなはず。


 でもいない。


 どこにもいない。


 影も形もない。


 この巨人の部屋の中は今、一号氏の放つ強い光に埋め尽くされ、コントラストの濃い風景を描き出しているというのに。


「ハヌ? どこ?」


『ハヌ? どこ?』


 肉声と念話の両方を使って呼びかけた。


 すると、背後に冷たい気配。まるで背中に氷柱を入れられたような。


「――!?」


 嫌な予感に衝き動かされ、弾かれたように振り返る。


 そこに、




「動くな。動けば小竜姫を殺してそれがしも死ぬ」




 落雷の光に照らし出されるように、黒い人影がいた。


 影の塊のようなものが、ハヌを背後から羽交い締めにして、手袋に包まれたゴツい手で彼女の口を塞いでいた。


 大きく見開かれた蒼と金のヘテロクロミアが、助けを求めるように僕を見ていた。


「――な……!?」


 馬鹿な。    何が起こった。


     誰だ?        黒い装束を纏っている。


 どうしてそこにいる?    ハヌが怖がってる。


       あり得ない。        頭まですっぽり頭巾に覆われている。


 気配なんて全くなかったのに。  片方の手に握られた刃物がハヌの喉元に突きつけられている。


              ここには僕達以外誰もいないはず      唯一露出しているのは目元だけ。


 ハウエルでもない。    唯一見えている目元の肌も真っ黒に染められている。


          いつからそこにいた?       両腕に衝いている黒くて丸い塊の群れは何だ?


 突然の出来事に混乱している僕は、千々に乱れる意識の中、それでも無理矢理に思考を統一する。


 ――こいつは何者だ?


 ――どうしてそこにいて、ハヌを捕まえている?


「――――」


 理性は一瞬で蒸発した。確認など一切必要ない。ハヌが怯えている。今にも泣きそうな目で僕を見つめている。


 こいつは敵だ――!


「下手に動けば爆発する」


「――ッ!?」


 楔のような一言が、支援術式を発動させようとした僕の動きを止めた。


それがしの全身には爆弾が巻き付けられている。お前が抵抗するなら起爆して小竜姫ともども爆死するぞ」


「な――っ……!?」


 脅迫にしてはあんまりすぎる言い種に、僕は別の意味で絶句した。ハヌの命どころか、自分のものまで人質にするというのだ、こいつは。


「小竜姫を人質に取るか、さもなくば共に死ね――某はそう命じられている。下手な動きはするな。こう見えて某も極限状態だ。お前がちょっとでも変な動きをすれば、【衝動的に起爆してしまうかもしれない】」


 全身が黒尽くめすぎて、黒い瞳孔と白目の部分だけが浮いているように見える男は、変なところで素直に僕を脅してきた。


「そして考えてもらいたい。敢えて人質を取った意味を。お前を殺すだけならば今の隙を衝いて喉を掻き切っている。そうせず、こうして小竜姫を人質に取った意味を考えろ」


『ラト、こやつの言葉を聞くな! おぬ――』


 ハヌの叩き付けるような念話が、けれど唐突に力尽きて途絶えた。


 黒い男の掌に何か薬でも塗られていたのか、恐怖に怯えていた目から力が抜けて、電源を落としたかのようにハヌが気を失ったのだ。


「……小竜姫には眠ってもらった。もはや自力で逃げ出すことは不可能。さぁどうする。某に脅しは通用しない。お前が言うことを聞かなければ某は小竜姫と共に爆死する。おかしな動きをしても爆死する。わかったのならその手の武器を捨てろ」


 言われて気付く。我知らず、僕は両手に黒帝鋼玄〈リディル〉と、白帝白虎〈フロッティ〉を取り出し、光刃を出力していた。


「…………」


 生唾を嚥下しながら、僕は思考する。


 こっちがハヌを取り戻そうとしたら、諸共に爆発して死ぬ? 何を馬鹿な、そんなこと出来るはずがない。


 メチャクチャだ。


 まったく意味がない。それじゃ何のためにハヌを人質にとったのかわからないではないか。


「……なるほど、某の本気が伝わっていないと見える。ならばお見せしよう」


 男はそう言うと、ハヌの口を塞いでいた手を離し、彼女の首へ絞めつけるように左腕を回した。そうして、ハヌの首筋に刃物を当てていた右腕を振り上げ、


 爆発した。


「――!?」


 腕に衝いていた黒くて丸い塊――爆弾が炸裂したのだ。腹に響く爆音が轟き、奴の右肘から先が吹っ飛ぶ。褐色のフォトン・ブラッドが盛大に飛び散った。


「――ハヌっ!?」


 瞬間、僕が真っ先に心配したのは捕まっているハヌのことだった。眠らされた彼女の顔に褐色のフォトン・ブラッドが飛び散り、盛大に汚す。


「……このような爆弾を全身に巻き付けている。単発ではこの程度だが、全てを一気に起爆すれば――どうなるかはわかるな?」


 片腕が吹き飛んだというのに、想像を絶する激痛が襲っているはずなのに、それでも奴は平然と言葉を紡いだ。


 ややあって、男の左手あたりに褐色の術式アイコンが灯り、回復術式〈リカバリー〉が発動する。失われた右腕がゆっくりと再生を始めた。


「わかるか? 某は本気だ。死ぬことなど恐れない。爆弾は全て本物。お前が武器を捨てなければ、今ここで小竜姫と共に果てる。それもまた我があるじの望みの一つだ。某は微塵も躊躇わない」


 感情の欠片も窺わせない真っ黒な双眸が、じっと僕を見つめている。


「……!」


 わかってしまった。理解してしまった。こいつは本気なのだ、と。


 宣言通りだ。僕がハヌを助けようとしたら、それを察知した瞬間、こいつは爆発する。体中の爆弾を炸裂させ、無防備に気を失っているハヌごと木っ端微塵になるつもりだ。


 正直、爆弾の威力は大したことがない。だけど、今は奴とハヌが密着しすぎている。少しでも離すことが出来れば、死ぬのは奴一人で済むけれど――その隙がない。


「さぁどうする、ベオウルフ。武器を捨てるか、それとも小竜姫を失うか。好きな方を選べ」


 奴が己の命をいとうなら、まだやりようはあった。僕の方が奴を脅して、ハヌを救う手段だってあったはずだ。だけど、相手が自分の命を勘定に入れていなければ、僕に打つ手はない。奴は【爆弾そのもの】なのだ。


「……わかった」


 僕は両手を離し、〈リディル〉と〈フロッティ〉を下に落とした。堅い地面に転がり、フォトン・ブラッドの供給が途絶えた光臓機構フォトン・オーガンは稼働を維持することが出来なくなり、光刃が消失する。


「いいだろう。そして感謝しよう。こんなことをしておいて何だが、誰も死なないのが一番だ」


 完全に再生した右手に再び短刀を取り出し、ハヌの首元へ近づける男。抑揚の薄い口調で、随分と間抜けなことを言う。


 誓って言うが、今の僕は冷静ではない。ああそうだ、冷静にだなんていられやしない。


 ハヌが人質に取られているのだ。今この瞬間、現在進行形であの子の命が脅かされているのだ。冗談ではない。ふざけるな。状況さえ許されるなら、今すぐあの男を八つ裂きにしてやりたいぐらいだ。


 だからこそ余計に、誰も死なないのが一番、という言葉に苛ついた。


「…………」


 もはやこの感情は言葉にすらならない。僕は怒りを抑えるためだけに唇を閉じ、押し黙った。下手に口を開けば、そのまま胸の中で荒れ狂う野獣がごとき衝動に身を任せてしまいそうだったから。


「そうだ、それでいい。我が主の望みは、お前の死でも小竜姫の死でもない。故に【それ】が正解だ、ベオウルフ。それでこそ小竜姫を人質に取った甲斐があるというもの」


 大して嬉しくもなさそうな声で、まるでこちらを値踏みするかのように男は宣う。


 僕は怒りが暴発しないよう努めて、大きな深呼吸をしてから質問した。


「……お前の目的は、いったい何だ……!」


 こいつはハヌを人質に取った。つまり、そうまでして通したい要求があるということだ。それが叶えられれば、ハヌは解放される。これはそういう交渉なのだ。


「状況がこうなった場合、我が主から名乗ることを某は許されている。聞け」


 そう前置きしてから、黒装束の男は厳かに告げた。


「某の名はヤザエモン・キッド。そして、我が主の名は――」


 ヤザエモンと名乗った男は、そこで一拍の間を空けた。本来ならこの舌に載せることすら憚れる、とでも言いたげに。


 そして、


「――ハウエル・ロバーツ様だ」


「……!?」


 紡がれた名称に、僕は脳天を撃ち抜かれたかのごとき衝撃を受ける。


 それはさっきも脳裏をよぎった名前だった。


 もしこの場にいる可能性があるのだとしたら、そいつだと。


 何故なら、この島で僕が出会った人間は、ハヌを除けばその男しかいなかったから。


 だから、何者かに不意を打たれた瞬間、ハウエル・ロバーツの名前が真っ先に思い浮かんだ。


 だけど同時に、奴がここにいるわけがないこともわかっていた。休戦協定は奴から申し出たことだったからだ。


 勿論、その全てを信じて鵜呑みにしていたわけではない。だけど、あれだけの巨躯だ。僕だって周囲を警戒していたし、一度認識した気配をそうそう読み違えたりもしない。


 だから、それ以上にショックを受けたのは、


「……まさか……………………騙されて、いた……?」


 迂闊だったとしか言いようがない。


 僕は奴を信用していないつもりで、しかしうっかり信じてしまっていたのだ。


 【奴が一人で行動している】――と。


「一人じゃなくて……【二人いた】、のか……!?」


「その通り」


 ヤザエモンは短く肯定した。


 おかしな話ではない。僕とハヌだって二人セットでこの浮遊島に転移させられたのだ。ハウエルとこのヤザエモンが同じように二人組でいたとしても、何ら不思議なことではない。


 だが、ハウエルはそうとわからぬよう、僕の前で演技していたのだ。自分は一人ぼっちであり、他に仲間などはいない――そう思い込ませるために。


 もしかしたらあの時、僕に気配を察知されて見つかったのも、わざとだったのかもしれない。敢えて僕の前へ姿を晒し、自分が単独であることを強く印象付けるための作戦だったのかもしれない。


 僕は、それにまんまと引っかかってしまったのだ。


「――~ッ……!!」


 己の度し難さに反吐が出そうだった。


 そうだ、逆の立場になって考えてもみろ。僕がハウエルだったらどうする? 決まっている。自分は休戦協定を結んだ振りをして油断を誘い、その一方で仲間のヤザエモンを監視役につける。そしてこう命令するのだ。


 奴らが隙を見せたら、そこを衝いて小竜姫を人質にとれ――と。


 それが今だ。ハウエルが一人ぼっちだと思い込んでいた僕は、奴以外の気配には注意していなかった。加えて、おそらくだがヤザエモンはハウエル以上に気配を殺す術に長けている。一体いつから、どうやって僕達を尾行していたのかはわからない。だが、それでも身を隠したままここまでついて来たのだ。相当な手練れであることは間違いなかった。


「主の望みを伝える。それを聞いた後は、全力で某を見逃せ」


 悔しさに顔を歪ませる僕の前で、ヤザエモンは淡々とその目的を語った。


「〝公平な勝負をしよう〟――それが主から、お前への要求だ」


「……?」


 一瞬、本気でヤザエモンの言葉の意味がわからなかった。


 いや、時間が経過してもまったく理解できない。


 ――公平な勝負をしよう、だって? ハヌを人質に取った上で言うのが……そんなことなのか……!?


 僕の怪訝な顔から察したのか、ヤザエモンが続けて補足する。


「我が主はお前との対等な勝負を所望している。つまり、お前の支援術式による身体強化を封印しろ、ということだ」


 その説明を聞いた時、僕はせせら笑うのを堪えなければならなかった。


 何かと思えば、またそれか――と。


 怒りを通り越して呆れが湧き上がり、けれどやはり、その呆れをも通り越して再び怒りが衝き上がってくる。


 何のことはない。先日、僕と決闘したロムニックと同じだ。


 僕の支援術式――いわゆる『ベオウルフ・スタイル』が怖いのだ。


 それはそうだろう。なにせ最大強化係数〝アブソリュート・スクエア〟にもなれば、その数値は一〇二四倍にも達する。どんな雑魚でも千匹も集まればそれなりの勢力になるのと同じで、僕がどれだけ弱小エクスプローラーであろうと、基礎能力のケタが三つも増えるのはかなりの脅威なのだ。


 しかし。


「……意味がわからない。何だ、その要求は? そこまでして望むことがそんなものなのか?」


 もはや僕は遠慮のない口調で問い返す。感情が高ぶるあまり、声が震えるのをどうしても止められなかった。


 そうだ。自分で言うのも何だが、僕を相手に人質を取る気持ちはよくわかる。けれど、ハヌの命を脅かしてまで要求するのが『支援術式の封印だけ』というのは、一体全体どういうことなのか。


 むしろ、無抵抗のまま黙って殺されろ、とでも言われた方がまだ納得できる。


「その通り。ここまでして要求するのが、そんなものだ。それこそが我が主、ハウエル様の希望である。言ったはずだ。主は、対等な勝負をお望みだと。お前はただ支援術式を使わなければいい。そうすれば全てが終わった後、小竜姫は無傷で返すと約束しよう」


「…………」


 まるで解せない。まったく信用できない。


 対価と報酬のバランスがあまりにもおかしい。


 何か裏があるに決まっている。だけど、それが何なのかさっぱり想像できない。


「迷う必要はない。小竜姫の身の安全を思うのであれば、お前は要求に従うしか道はない。断るのであれば、お前はここで大切な仲間を喪う羽目になる」


 ヤザエモンは恬淡と、単刀直入にものを言った。


 僕も理性ではそれが的確だとわかっているだけに、余計に神経を逆撫でにされる。


 この際、あちらの要求なんてどうでもよかった。ハヌの命を対価に出されたら、僕はどんなことであれ呑み込むしかないのだから。


 ただ、僕の頭の中にあるのは――怒りだった。


 憎悪の炎がひたすら身の内を焦がしていた。


 何もかもが許せない。


 ハヌを人質に取ったヤザエモンも、そんな命令を出したハウエルも。


 そして、奴らにいいようにさせてしまった自分自身も。


 全部まとめて殺してやりたいぐらい、頭にきていた。


 そんなどうしようもない激情を、それでも脇に置いて、僕は冷静な思考を続ける『別の自分』を表に出して、口を開く。


「――わかった。従う。お前達の前で支援術式は使わない。だから、その子には一切手を出すな。今すぐ返せ」


 ほとんど意味がないことぐらいわかってはいたけれど、僕は片手を差し出してハヌの身柄を求めた。


 当然、


「口約束は信用できない。先程も言った通り、小竜姫を返すのは【全てが終わった後】だ」


 ヤザエモンは首を振って拒絶し、後ろへ一歩退いた。


「しばらくすれば『女王の間』にて戦いが始まる。その場にて、このゲームの決着がつく。ベオウルフ、お前が戦闘中に支援術式を使いさえしなければ、結果が勝利だろうと敗北だろうと、小竜姫は解放する。それが我が主が決めたルールだ」


 またしても不可解な条件が出された。『支援術式を封印して負けろ』ならわかるが、支援術式を使わなければ、勝敗に拘わらず人質を解放するという。まるで意味がわからない。


「これより某は『下』へと向かう。決して追いかけてくるな。追いかけてきた場合も、小竜姫の命は保証しない。某とともに爆散する。この幼子の内臓が見たいのであれば、そうすればいいだろうが」


 挑発的なことを告げながら、一歩、また一歩とヤザエモンは後退していく。


 僕は衝動的に動きそうになる四肢を、膨大な意志の力で捻じ伏せていた。


 腹の奥底で獣が咆哮を上げている。今すぐ飛び出して奴をバラバラにしろと。だけど、それは今じゃない。ヤザエモンはハヌの小柄な体をがっちりとホールドして、何があろうと手放すまいとしている。下手に動いて爆死されたら、一巻の終わりだ。


 だから僕は、右腕をゆっくりと持ち上げた。


 人差し指を伸ばし、右手を拳銃のような形にして、指先を離れていくヤザエモンに向ける。


 つまりこれは――〝呪い〟だ。


 かつて祖母から教えてもらったことがある。誰にでも出来る、とても簡単な〝呪い〟のかけ方だと。


「これだけは言っておくぞ、ヤザエモン・キッド」


 真正面から相手を指差し、そして名前を呼ぶ。これが【儀式】だ。


「もしハヌに――その子に傷一つでもつけてみろ。たとえ髪の毛一本分でも傷つけてみろ。その時は――」


 宣言する。


 我ながら、指先が僅かも震えていないのが不思議だった。


「――絶対に許さないぞ。何があっても必ず報いを受けさせてやる」


 これは術式ではない。〝異能〟でもない。


 だから、物理的に何かを変えるわけでもない。


 しかしこの瞬間、僕の指先からは目に見えない、それどころかどんな優秀な計測センサーを用いても決して観測できない〝チカラ〟が迸り、ヤザエモンの体へと突き刺さる。


 それは肉体に影響を及ぼすものではない。


 が、しかし。


 僕の放った〝チカラ〟は皮膚を透過し、肉を貫き、奥深くまで沈み込む。


 そうして食らいつくのだ。


 奴の魂へ。


「絶対に逃がさない。どこへ逃げたって必ず捕まえてやる。地獄の果てまで追い詰めて、逃げ場がなくなるまで追い込んでやる。いいか、絶対にだ」


 繰り返し、刻み込む。


 ヤザエモンの魂の奥底に刻印する。


 僕の〝呪い〟を。


「お前を追い詰めて、捕まえて――生まれてきたことを後悔するぐらい、【メチャクチャ】にしてやる」


 僕は今、どんな顔をしているだろうか。


 自分ではさっぱりわからない。怒りに歪んでいるのだろうか。それとも、悔しそうにクシャクシャになっているだろうか。あるいは、何もかもが滑り落ちた無の表情になっているのだろうか。


 ただ、この時初めて、ヤザエモンが明らかな反応を見せた。


 これまでずっとこちらを見据えていた目が、僅かに揺れたのである。


 驚くように、おののくように、怯えるように。


「いいか、覚えておけ。僕は絶対にそうする。必ずそうする。お前こそ自分の命が惜しかったら、全力でその子を守れ。傷一つつけるな。たとえ全部が終わって、その子が無事に戻ってきたとしても、傷が一つでもあれば、僕はお前らを絶対に許さないからな」


 繰り返し、念を押す。


 ヤザエモンは何も答えなかった。無言のまま後退を続け、ふとした瞬間、何故かその姿が掻き消えた。懐に抱えたハヌと共に。


「…………」


 この場を照らす一号氏の〝変貌ディスガイズ〟の輝きはまだ続いている。あれだけの巨体を生成するのだ。かなりの時間がかかるのだろう。


 ライムイエローの光に照らされる中、僕はだらりと腕を下ろす。


 そうすると、急激に実感が湧いてきた。


 自分は今、一人ぼっちなのだと。


 また、一人ぼっちになってしまったのだと。


 ついさっきまで隣にいたハヌがいない。


 それだけで、この場の気温が急速に低下したような気がした。


「――――」


 ヤザエモンが姿を消した場所を見つめて、呆然とする。


 胸の中央に手を突っ込まれて、無理矢理な力で心臓をむしり取られたような気分だった。


 体の真ん中にぽっかり穴が空いている。


「…………ッ……!」


 あまりの喪失感に膝が折れてしまった。僕はその場に崩れ落ちて、尻餅をつく。両手の指先に、さっき落とした黒玄と白虎が触れた。


 ――ハヌを奪われた。


 よりにもよって、誰よりも大切で、僕にとって世界で一番かけがえのない人を。


 目の前で、みすみす連れ去られてしまった。


 すぐ近くにいながら。


「――~ッ……!!」


 喉元まで衝き上がってきた激情はもはや言葉に出来ない。


 僕は衝動的に黒玄と白虎を引っ掴み、光刃を出力して猛然と頭上に振り上げ、そのまま地面に叩き付けようと――して、動きを止めた。


 フリムがメンテナンスしてくれた武器を気遣ったのが半分、それ以外の理由が半分だ。


 さっきと一緒だ。肺腑を焦がすほどのこの感情を吐き出すべきは、今じゃない。ここで大声で叫び、ものに当たることは簡単だ。僕が今感じている膨大なストレスは、破壊衝動に変えることで多少は解消できるだろう。


 だが、それをここで解消してはならないのだ。


 この怒りは、悔しさは、憎しみは、一ミリも減らすことなくハウエルとヤザエモンにぶつけなければならない。


 だからここで、無駄に解消してはならないのだ。


「…………」


 僕は深呼吸して、頭を切り替える。


 今は、今だけは客観的に考えろ。全部の感情に蓋をして、カレルさんみたいに冷静になれ。冷徹になれ。冷酷になれ。さもなければ、ハヌを取り戻すことなんて到底できないぞ――


 息を整え、僕は立ち上がった。


 改めて現状を整理する。ヤザエモンは『下』へ向かうと言っていた。そして、『女王の間』で決着をつけるとも。


 つまり、奴やハウエルは僕達よりも早く、『根の国』についての知識を持っていたことになる。


 多分、僕達が野営して休んでいる間も島の探索を続けていたのだろう。おそらくあの二人と、一号氏の弟である二番氏ないし三等氏、あるいはその双方が接触したのだ。だからヤザエモンもハウエルも『女王』についての知識を持っていた。


 ということは、奴らも〝神使〟として一号氏のような巨人と共にいて、『女王』と戦うつもりだ。


 なら、やるべきことはただ一つ。


 これから一号氏と共に『女王の間』へ向かい、奴らと戦う。


 その上で、ハヌを取り戻す。


 それだけだ。


 もはや僕の思考に迷いはない。いつもだったら『支援術式を封印したまま勝てるのか』とか『負けたらどうしよう』とか考えるところなのに、そんな考えが一切湧き上がってこない。


 勝てる勝てないの問題ではないのだ。


 やる。


 必ずハヌを取り戻す。


 これは、そういう話なのだ。


「――待ってて、ハヌ。必ず迎えに行くから……!」


 誓いの言葉を胸に刻み、僕は〝変貌〟中の一号氏を見上げる。


 彼の〝変貌〟はほぼ終盤だったようで、徐々に黄緑の光が弱まっていく。素体への肉付けが終わり、先程と同じ状態へと回帰していく。


 やがてつつがなく〝巨人態ギガンティック〟に戻った一号氏は、その魔眼『月夜見』が発動した双眸で僕の顔を見ると――そうでもしないとサイズが小さ過ぎてよく見えないらしい――、あらかじめスイッチで結線リンクしておいた回線を介して、遠慮がちな念でこう聞いてきた。


『……ベオウルフ様……? アンタ、どうしちまったんだ? ひ、ひでぇおっかねぇ顔してるじゃねぇかよ……』


 十五メルトルもの巨人がそんな風に怯えるほどの顔を、どうやら僕はしているらしかった。







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